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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2003年09月30日(火)
風邪ひいてまんねん◆ 祖未蠅垢りの素敵なグランド〜


 車が京都縦貫道路の始点・沓掛に戻ってきたとき、「やっと下界に帰ってきた〜」と思う。今日は遠出の仕事で、舞鶴へ行ってきた。ここでよくやく京都市に入ったのだ。競馬で言えば、最終コーナーにさしかかったときの感覚。そのとき、目に入るのが京都成章高校のグランドだ。

 京都成章高校は、山の中(?)にあるため、下道を走っているとグランドを見ることができない。私も長年同校のグランドを目にすることはなかった。通りすがりに見えるグランドが決して広いとは言えず、私が見るときは誰もいないか、なぜかラグビー部の姿を目にする可能性が高い。野球部のあるグランドとは残念縁遠い。しかし、あのグランドで、甲子園準優勝するまでのチームを作るなんて、すごいなあと思った。今はなかなか結果が出せずに苦しんでるようだけど、このままでは終わらないと思う。

 さて、通りすがりのグランドといえば、先月行った東北の旅で、一目惚れしたグランドがある。3日目、青森から八戸へ向かう特急電車の車窓を流れる風景の中にあり、ほんの一瞬しか見えなかったのだけど、その映像が今も色鮮やかに脳裏に焼き付いている。見た限り、学校の目と鼻の先にあるんだけど、校内のグランドではなさそう。第二グランドとかいう名前がついてるっぽい。黒土に、緑の芝生か草。でも、球場みたいに整った設備ではなく。あくまでグランド。周りを囲んでいるフェンスは低く、真っ白なユニフォームの部員達がいた。その白さもまた景色によく映えた。

 始発駅の青森から、次駅の浅虫温泉までの間。おそらく、東青森駅から小柳駅の間で、やや東青森寄りだったように思う。この日は段取りが悪く特急を使ったのだが、予定通り在来線に乗っていれば、途中下車できたのにぃ〜。是が非でも、もう一度青森に行って、このグランドを見てこないといけない。それくらい惚れ込んでいる。



2003年09月29日(月)
風邪ひいてまんねん  舛修譴任眛表颪僚〜


 今日は、ダウン。入社以来初の“シフトに名前が入ってるのに”お休みした。と言っても、朝昼晩の3つのうち、晩を休んだだけなんだけどね。でも、私にとっては大いなる決断だった。幸運にも昼の仕事はごっつはよ終わって、帰宅したら4時だった。

 すでに居間には布団が敷いてあった。A型の母親を持つと素敵だね。よく気のつくおかんですわ。私はさっそく、寝転がった。そこで素直に寝ればいいのに、なぜか寝ることが出来ずに、かばんの中に入ってた本を取りだした。

 実は今、ほんまにひっさしぶりにスポーツノンフィクション系を読んでいる。『魔術師(完全版)』という三原脩さん(故人)について書かれた厚さ5センチくらにくそ分厚い本だ。三原マジックという言葉はあまりにも有名。ま、京都の高校野球ファンには、同音異義語の“三原マジック”があるのだが、それがおいといて。

 世紀末に野球を見るようになった私にとって、三原さんは歴史上の人物だ。だから、本や雑誌に書かれた人物像でしかイメージできないのだが、前々から興味があった。運やツキをすごく大事にする人で、それで結果も出している。その単純にそのルーツを知りたかった。そういや、常総学院の名将・木内監督もいつぞかの夏、地方大会ではベンチ入りすらしていなかった選手を甲子園ではスタメンで使うという大胆な作戦に出ていた。やはり、理屈では割り切れない“何か”を大切にし、うまく使うことって結果を出すためには必要なのかもしれない。



2003年09月28日(日)
“梅田の阪神百貨店、タイガースショップに風邪ウイルスをまき散らす”の巻


 風邪ひいてるんやから、止めといたらいいのに、大阪へ出かけた。相方くんとともきちからの誘いはなぁんか断れない。体育会系なもんで(嘘)。

 今日は、梅田の阪神百貨店6Fにあるタイガースショップへお出かけ。優勝してもう2週間近く経つのにまだ店内はババ混み。順路が出来ていた。歩くのもままならない。「奥の方が混み合っているので、空いてるところからごらんくださ〜い」警備員の声がした。

 グッズがたくさんあった。でも、相方曰く、「もっと早くに来てれば、もっといいモンが買えたんやろけど」。確かに、「こんなん誰が買うねん」という商品もある。いいモノはすでに売り切れているため、この人混みで思いあまった人がどさくさに紛れて買うのをもくろんでいると以外に思えない。後ろにいた家族連れのおとうちゃんが、「どさくさに紛れて訳わからんもの買わんように気をつけなあかんで」と偉そうに世帯主の風を吹かせていた。

 そんな目論見にひっかかりそうな人を早々に発見した。電話で息子らしき子供と連絡を取りながら店内に入っていたおじさん。「ああ、ビールかけのときのTシャツやな。おお、あるある、いっぱいあるわ」と言いながら、Tシャツのワゴンの方へ進んでいた。けど、おじさん、それはV記念ロゴTシャツやで。ビールかけんときのTシャツは、隅っこの目立たない場所にあって、それも選手とおそろいの黒は売り切れてんで。あかん、あかん。家帰ったら親子ゲンカになるで。っちゅーか、こういうときの買い物をおじさんに頼んだらあかん。

 さて。我が相方くん、一通り見て、出口の近くになると、また元に戻って…の繰り返し。どうやら、グッズを買う気みたいだけど、かなり迷っているようだった。ま、同じミッフィーぬいぐるみで鑑定士並に商品を見比べて買う人やから、覚悟はしてたけど、何せ、今日は風邪でしんどい。あ〜、あ〜。はよして〜。することないので、店内で“ごほっ、げぼっ、おえぇ〜”と咳き込んでおいた。風邪は人に移すとはよ治るし。

 ところで、早く帰りたかった理由はもう一つある。Vグッズを買うまいという自分でうち立てた信念と戦っていたからだ。ま、実際はそれほど惹かれる商品もなかったのだけど、体調不良のため、さっき書いた“どさくさに紛れて”しまう予感を自分で感じたからだ。

 なぜ、グッズを買うまいと思ったのか。
 私は、経済効果という言葉を信じていないからだ。テレビや新聞で騒がれている、“○○億円の経済効果”に自分が組み込まれるのがすごく癪な気がする。なんか、大きな権力に負けてしまったような感じがするし、企業がもうかっても自分の財布の中身は…。だまされているような気がする。それに、道頓堀ダイブもそうだったけど、大勢の人がやることを自分がしてもしゃあないやろ、みたいなあまのじゃくさもある。優勝グッズをいっぱい買ったというより、阪神ファンやのに優勝グッズを買わなかったっていう方が、後々話のネタ的にはおもしろいと思う。

 私のV記念は、甲子園レフトスタンドのチケットと翌日のデイリー新聞だけ。そう言いたかったのに、結局、相方にストラップとテレフォンカードを買ってもらってしまった。自分の金じゃないからいっか。そう言い聞かせて、ありがたくちょうだいすることに。私もまだまだ未熟だね。
 



2003年09月27日(土)
甲子園が近づいてきた


 もう4冊目になる東山スクラップ。もちろん東山の記事だけを集めているのだが、たった1枚だけ東山以外の記事が貼ってある。1冊目の終わりの方。その記事の主人公は、南京都高校のエース。名前は斉藤和己という。

 1995年、南京都高校3年生だった彼は、すでにドラフト候補選手で、地元でもかなり注目されていた。彼は甲子園に出ていない。京都大会準々決勝で、東山高校に負けた。好ゲームになるという前評判だったが、東山は速球に滅法強いチームだった(余談だが当時私は、「すっごい大接戦かコールドで、東山が勝つ」と言っていた)。スコアは0−10。5回コールド。スクラップされてるのは、そのときの記事だ。記事はこう締めくくられている。『「甲子園は遠いなとつくづく思った」。つぶやきが耳に残った』

 なぜこれをスクラップしてあるのか、自分でもわからない。次の日、東山は京都成章高校に完封負けした。ピッチャーは小谷という2年生で、タイプ的には彼とは正反対。緩急をつけた投球を続けた。東山にとっても、結局、甲子園は遠かった。

 ところで、そんな彼を球場以外で見掛けたことがある。

 京阪三条駅は地下にあるのだが、地上に出て、三条大橋を渡ると、左側に鴨川が見える。その河原一帯は、“三条河原”と呼ばれ、近くにある飲屋街木屋町でコンパや飲み会をする学生たちの待ち合わせスポットの定番になっている。彼は、その真正面にある中華料理店の前に友達といたのだ。最初は人混みのせいもありわからなかった。でも、こんな声が聞こえてきたのだ。「こいつー。斉藤和己ぃー。南京都のエースやってん。プロに行くねんで〜」

 斉藤和己…?
 喧噪の中、なぜその声だけがはっきり聞こえてきたかはわからない。周りを見渡したが、振り返る人はいなかったが、私は声が振り返り、高校らしき男の子を捜した。すぐ見つかった。3人連れ。2人は、“君ら、大丈夫?”系だったが、彼はいたって普通の格好をしていた。なんで彼と他の2人がツレなのか、わからない。彼は真ん中で長身を折り曲げるようにして恥ずかしそうな、困ったような感じでうつむいていた。

 秋になり、彼はドラフトで指名され、ダイエーに入団した。もう7年が経った。あのとき背中を丸めてうつむいていた少年は、いまや20勝に手が届く第一線級の投手になった。チームはマジック1。明日にでも優勝が決まる。日本シリーズでの対戦相手は、すでに決まっている。阪神タイガース。本拠地の球場名は、言うまでもない。
 



2003年09月26日(金)
僕が野球をやらない理由(わけ)


 9月9日。神宮遠征の際、強烈な阪神ファンと出会った。東京日野市内の中学生で、その日は学校帰りに球場に来ていた。小柄で細い。色は黒いけど、ひ弱なイメージはぬぐえない。髪の毛は丸坊主頭をそのまま伸ばしたような無造作ヘアー。ちょっと昔にそこらに溢れていたタイプの中学生だ。下に着ているTシャツは85年に阪神が優勝したときのオーダーと打撃成績が書かれた俗に言う“オーダーTシャツ”。君、そのとき生まれてへんのとちゃうん?というつっこみはこの際おいとく。

 彼は、旧式レジのレシートが出てくるみたいに、機械的なリズムで話す。一語一句を規則的に区切るので、早口だったけど聞きやすかった。ま、彼と同世代の子から見ると、“真面目くさい”という印象も否めないのだろけど。

 おもしろそうなので、色々話してみた。好きな選手は、郭李と部坂。渋すぎて泣きそうになった。大学は亜細亜大学に行くという。行きたいではなく、行くと言った。次の名古屋にも行く気満々なのだが、いかんせんチケットが手に入らない。でも、周りの大人から色々情報を仕入れているうちに、“チケットが余っている”という人を見つけることが出来た。やった!さっそく、その人に電話連絡をする。ところが、1枚8,000円という値段を提示される。それまでの気合いの入りようからして、“行く”と言うのかなと思っていたら、「8,000円はキツいですよ。だって、子供料金だったら500円で入れるんですよ」と不平をあわらにした。なんだかんだ言っても、やっぱり中学生なんやなと思った。

 そんなに野球が好きなら、すればいいのに。学校帰ってすぐに球場に来ているということは、野球部にもボーイズなどのチームにも入っていないのだろう。その歳でもう応援専門なの?

 そんな私の疑問は訊くまでもなく解けた。彼はコンピューター部に入っているのだという。ずっと彼の口調を聞いていたら、素人でも(?)わかる。彼は続けた。「僕がですね。野球をやらないのはですね。それは、野球が見れなくなるからなんですよ」

 後日、彼が9月15日の甲子園球場には来なかったと聞いた。マジックが1になったら行くと知人に言っていたらしい。まあ、しょうがない。彼はまだまだ若い。
 



2003年09月25日(木)
小市民


 一昨日になるかな。こないだ買った福井大会のプログラムを何気なく見ていたら、「ひょっとして!」と思い、情報を得ているであろう知人に、真夜中にメールをしてしまった。

 実は、福井高校に東出という名前の選手がいる。下の名前も見覚えがあった。毎年買っているプロ野球選手名鑑には、独身選手の親兄弟の名前と歳が掲載されている。そこで見たのだ。間違いない、はず。彼は広島の東出選手の弟だ。兄が気比で、弟が福井か…。確信が持ちたくて、何の迷いもなく、息をするがごとく、メールを送った。

 はた迷惑なメールにもかかわらず、早々に返信があり、私の推測は一つの情報になった(Tさん、その節は誠にありがとうございました)。これでまた新しい楽しみが出来た。今までならそれで満たされてたはずなのだが、何なんだろう。口の中に砂が残ったような後味の悪さ。

 自分、何嬉しがってんの?アホちゃう?ともう一人の私がせせら笑ってるような。そんな取るに足らない情報のために、一途な子供のように何の疑いもなく、真夜中に忙しい人にメールまでして訊くことかいな。もっと落ち着いて、後日にするとか、いい大人なんやから、考えんと。一途になってやらなあかんことは、もっと別なことやで。なぁ〜んか恥ずかしいなあ。



2003年09月24日(水)
ブブスケ特別寄稿「東の県から〜2003乱入」


阪神が劇的な優勝を遂げた9月15日から遡ること4日の9月11日、私は始めてあるこさんとお会いしました。

私があるこさんと知り合ったのは別の方が管理人をされていたHP(残念ながら現在は閉鎖されています)の掲示板でした。私はそのHPを直接知っていたわけではなく、いつも訪れていたHPとリンクしており、その縁で訪れるようになったに過ぎませんでしたが、あるこさんと同志ということもあってか、以来、2年以上にわたり掲示板やメールでのやりとりをさせて頂き、今日に至っていました。しかし、住んでいる所が京都と埼玉ではお会いする機会がないのも仕方がなく、「どういう方かな〜」とずっと思っていました。当然、野球日記の愛読者でもある私は、関西弁で書かれている日記を見て「典型的な関西系のネーチャン」(これを説明しろと言われるとちょっと辛いです)というイメージを持っていましたが、実際お会いするとごく普通の女性でした(「にょろ〜ん顔」かは、ちょっと…)。人間、変な先入観を持ってはいけません。その日は野球の話はもとより、以前掲示板で書かれていたこと(それこそ「○ー娘。」の話もありました)を話したりして、楽しく過ごすことができました。

さて、あるこさんと私を結び付けたのは「野球」ということになりますが、偶然にもあるこさんとお会いした9月11日というのは、ご存知の通り、アメリカで同時多発テロが起きた日でもあります。今でこそ、野球に関する本は本屋等で多数出版されており(これを書いているのが阪神優勝直後のせいか、阪神関係本のコーナーがある所もあります。関東なのに…)、また、野球をやることに関して敵国のスポーツだから禁止ということもありません。しかし、今から約60年前、我が国では野球そのものができなかった時期もあったことを我々は忘れてはならないし、また、現在、野球に関して自由に語ることができることに感謝しなければならないと思います。

私事になりますが、私は阪神ファンであるのに対し、家族は巨人ファンであり、シーズン中は「勝った、負けた」と一喜一憂していました。そのとき、私は「本当に平和だよね〜」と言っていました。そして、私には現在2歳弱の甥がいますが、彼を見ていると今後も野球に関係なく平和であることを祈らずにはいられません。自分の子ができたら尚更でしょう。

 最後に、今回特別寄稿という形で投稿させて頂きましたが、文才のなさも手伝って、苦労しました。この作業をほぼ毎日こなされているあるこさんや他の野球日記の作者の皆さんに敬意を表すると共に、あるこさんや掲示板で知り合った常連さんの方とお会いする機会があることを楽しみにしております。そして、私の拙い投稿を読んで下さいました読者の皆さん、ありがとうございました。m(_ _)m

to be continued…もとい、おわり(もう書けません)



2003年09月23日(火)
球場で食べるお昼ごはん/野球ラジオと私/秋季福井大会4日目


『球場で食べるお昼ごはん』

 球場内でご飯を食べるのが好きだ。手作り(できればお母さんの)弁当であれば最高だが、この際贅沢は言わない。コンビニ弁当でもいい。福井で野球を見る際、友人と見るときは店に入るが、相方と見に行くときは、コンビニで買い出しをして、球場に戻ってから食べる。友人は地元の人なので、おいしい店をよく知っている。郷には入れば郷に従え、だ。

 今日は、相方くんとの観戦だったので、コンビニ買い出しコース。第二試合が終わってすぐ球場を出、買い物をしたら、第三試合が始まったころに戻ってこれる。移動手段は車なのだが、会場である敦賀市総合運動公園には野球場以外のスポーツ施設もあり、大会が重なると駐車場の空きを見つけるのに苦戦する。だから、「1回出たら、入れなくなるのでは?」と思うが、そこは私も学習していて、「さっきの試合は敦賀勢同士の対決やったけど、次は違うし、車も減るやろ」となる。チケットの半券を持っていれば再入場可能なので、助かる。

 コンビニから戻ると、案の定観客がガクンと減っている。私たちは屋根のあるネット裏最上段を陣取り、袋から丼もの(こういう場所で食べるのはなぜか丼ものが多い)を広げる。前回、汁がこぼれて痛い目にあったにもかかわらず、懲りていない。そんなわけで、試合の序盤は、もぐもぐと口を動かしながらの観戦となる。

 腹を落ち着かせて辺りを見渡すと、前の試合を終えた選手がお弁当を食べていた。なんてことない高校野球を見ていれば、出くわす光景。ただ、ふと思った。「これって、球場でごはんを食べるように学校(部)側が指示してるんだろうな」、と。

 うちの母校(高校)は、半日授業の土曜日もお弁当の時間があったことを思い出した。4時間の授業が終わったあと、弁当を食べ、掃除をし、終礼のあと、「はい、さようなら」。同じ午前中授業といえど、他校に比べると拘束時間は長い。なんかだまされてるような気がした。なんでそんなめんどくさいことするんだろうと思っていたが、「午前中で終わったら、昼は買い食いをする生徒が出てくる。それを防ぐため」だと聞いた。なるほどね。でも、生徒も生徒で対策は考えてる。その場でお弁当を食べない、もしくは、量をセーブして、校外での“本番の”昼食に備えるのだ。私の場合?ここでもきちんと食べたし、もちろん“本番”でもきちんと食べてました(^o^)。

 よくわからないけど、野球部員が球場内でごはんを食べ“させられてる”のって、そういう理由のような気が、する。たま〜に、ユニフォーム姿のまま、店の前に座り込んで、ご飯を食べてる選手を見かけるけど、なんだかねえ…。


『野球ラジオと私』

 ラジオの現場と初めて遭遇したのは、今夏の京都大会でのこと。ネット裏の上段に腰掛けていると、背後から何か声が聞こえる。すごく流暢な独り言。声の方向を見ると、最上段の設置されている中継席に3人の男女がいた。しゃべっているのは、一番手前の男性。Yシャツに包まれておなかがぽこっと出ている。

 すでに中継が始まっているようで、彼は話す話す話す…。おかげで何も知らずにふらっと観戦に来た私でも、それぞれのチームに思い入れをもって試合を見ることが出来た。印象に残ったのは、中盤、バッターボックスにいた選手がバントをした際、ボールが手に当たったときのことだ。この日、中継席にはモニター画面はなかった。彼は、そこから目をこらして選手や周りの状況を見極めて、しっかりと今起こっていることを伝えた。彼より前の席にいる私でもよくわからなかったのに…。

 試合後、今日来ていたのは北部のローカルラジオ局であることがわかった。京都大会は、準々決勝までテレビ中継がない。でも、北部の人は緒戦からラジオをつければ地元チームの活躍が耳に入ってくる。北部の風景を多少ながら知っている私の脳裏には、ラジオ中継が流れる仕事場で、働くおじさんやおばさんたちの姿が浮かんだ。

 そういえば彼、空き時間に、「他に話しておくことないですかね?」と言って、手元にある資料をペラペラめくっていたのだが、その手元の資料の作者に今日出会った。

 福井大会。私がコンビニ弁当を食べているとき、ノートを持った若い男性が、前の試合を終えた選手となにやら話し込んでいた。雰囲気からした取材であることはわかる。球場内には、秋季大会の2回戦だというのに、テレビカメラが回っている。だから、ここのマスコミは高校野球に熱心なんだろうと思った。だから、試合後、新聞記者が取材をしていてもおかしくないな、と。それか、私の友人たちのように未来のスポーツノンフィクションを担うライターの卵かも?

 とにもかくにも、自分が見た試合の記事が出るなら読んでみたい。取材が終わったあと、彼に近づいた。「すいませ〜ん、記者さんですか?」。振り向いた彼は、大学のテニス部にいそうなさわやか系だった。こういう業界にいる若い人は、妙にさわやかか、世の中を斜に構えて見ている雰囲気が漂っているかどちらかである。ま、私個人の考えにすぎないが。

 その彼は、記者でもライターでもなく、ラジオ局のスタッフだった。次の準々決勝から、ラジオ中継が始まる。その際にアナウンサーが使用する資料としての情報を集めているとのこと。「話せるだけ、話すっていう感じで」。そう言った。イコール。話されることなく終わってしまうものもある、ということだ。

 この日は天気が良くなく、寒かった。彼は続く第三試合もノートを片手に見ていた。実際にラジオ中継を聴くことはあるのだうか。ノートに書き込まれた資料の読まれなかった部分に対してどういう思いを抱くのだろう。そんなことを考えてしまった。しかし、彼は所属しているのは福井県内のラジオ局であるため、残念ながら、私にはノートの中身を何一つ知ることはできない。

 ラジオは大変だなと思う。テレビなら見てわかることでも、リスナーに言葉に変え声を出して、伝えないといけない。どうしても言葉が多くなる。だからなんかあわただしいような感じがする。そんな私だが、野球をラジオで聴くという習慣はない。人に乗せてもらった車でたまたま流れているのを聴く程度である。ラジオの周波数といいますか?あれを合わせるのがめんどくさい。とっていうか、ぶっちゃけ、やり方がわからないのだ。FMってなぁに?

 昔、ただ1回だけ、コンポに張り付いてラジオを聴いたことがある。92年秋の近畿大会決勝戦だ。対戦カードは、東山ー南部(だったかな?)。もうすでに翌春の選抜大会の出場は確実なものにはなっていたが、何も知らない私はただ勝利を願って、手を握っていた。会場は、和歌山の紀三井寺球場だった。高校生の私には遠かった。今やったら、速攻で行くっちゅーねん。電車で3時間くらいやろ。近い近い。


『秋季福井大会4日目(敦賀・第二、三試合)』

☆ 敦賀気比 5−4 福井農林 (敦賀第二試合)

 気比にとってじゃ危ない試合といえば、そうだったかな?
 序盤、先制したものの追加点が捕れず、中盤にミスが出たのもあり、一気に4点を入れられる。一瞬のグランドの凍り付いた雰囲気にはびっくりした。結局、終盤にヒットを重ねて逆転に成功したのだけど。

 一番印象的だったのは、気比の上畑くんの足。以前は友人と見ていて、守備がいいなあとは言っていたが、今日は足で魅せてくれた。先制点も、彼が長打で判断良く三塁へ進んでいたため、あとは単打でホームイン出来たし、8回裏の決勝点もバッテリーミスで普通なら二塁までしか進めないもので、三塁まで進んでいた。その後、ヒットが出たのだ。ネット裏から見た彼は、フィールドをなぞるように走っていた。迫力というより、軽やかさを感じた。“重さ”という言葉が存在していない場所がこんなところにある、みたいな。ランナーが彼ではなかったら、この試合どうなっていたかわからない。このあと、ネット裏で次の試合を見ている彼がいた。ユニフォーム姿のまま、私服の高校生らしき男の子と話していたのだが、私はなぜかずっと彼の足首ばかり見ていた。前話(『野球ラジオと私』)に男性に話を聞きに行くときに彼の前を通ったが、耳に入ってきた声は、イメージを裏切る低い声だった。

 1−4で迎えた7回表から、気比はピッチャーが背番号“8”の山田くんに代わった。春見たときはエースナンバーだったはず。事情はわからないが、マウンドに上がると、球威が違った。(ちなみに先発した芦田くんも背番号は“4”。彼も前はピッチャーの“1”か“10”か忘れたけど、ピッチャーの背番号だったのだけど。今年の気比は油断するとコロコロ背番号が代わってる)チームの反撃は7回裏から始まった。やっぱ、この子、マウンドが似合うよ。ゲームセットのあと、笑顔で捕手に駆け寄った。描いていたイメージとはほぼ正反対。丸顔で子供っぽい笑みを浮かべていた。春、県営球場でうなだれていた姿とはまるで別人だった。

 一方の最後に逆転を許した福井農林。9回は、相手ピッチャーの制球難で満塁のチャンスもあったが、モノに出来ず。そういや、終盤に相方が言った。「あのピッチャー、続投で良かったんちゃうか?」。福井農林は、背番号「1」の木下投手と、背番号「9」の左の田中選手を交代で使っていた。相方曰く、「左の方が(相手打線が)合ってなかった」のだそうで。事実、木下投手に代わってから、気比打線は当たり出した。これはヒットの見本、みたいなきれいな当り。おそらく得点にかかわる出塁のすべてがヒットだったんじゃないだろうか。

 試合終了後、相方は、「しっかし、惜しいなあ、福井農林」と小さなため息をついた。“おれ、ここで何しているんやろ”と言いたげな表情で、抹茶色のシートに腰掛けていた相方が、知らない間に試合にハマっていた証拠だ。なんだかうれしかった。

 福井農林高校。全国的にはおそらく無名。でも、福井商業を倒し、気比を苦しめ…。どんな練習をしているのか、地域や集まってくる選手達の背景に何があるのか。今後も気になるチームになりそうだ。

☆ 鯖江 1−0 武生商業 (敦賀・第三試合)

 福井は、甲子園に出てくる学校にしろ、公式戦で上位にくる学校にしろ、特定の学校で固定されているような状態が続いているようだ。全国区の福井商業に、福井、北陸に、敦賀気比。そこに絡んでいるのは、鯖江高校である。いつもベスト4か8くらいには進出してくる。鯖江市には鯖江ボーイズというチームがあるのだが、同校が力をつけているのと、何か関係があるのかもしれない。ともあれ、この学校が今後どう飛躍するかで、福井の高校野球が変わる気がする。

 結果から言えば、1回表に犠牲フライで入れた1点が試合を決めた。私が天丼をモグモグ食べていたときの出来事だった。相手の武生商業の力を知らないので、これからあと何点くらい入るのだろうと思ってみていたが、むしろチャンスを多く作っていたのは武生商業の方だった。ノーアウトやワンアウトなどアウトカウントの若いうちに、ツーベースやスリーベースが出たのだ。でも、それがなぜか得点に結びつかないまま、ゲームセット。う〜ん、歯がゆかっただろうなあ。

 9回表、武生商業はチャンスに代走を出した。「一塁ランナーは、赤星くん」。タイムリーや。あまりにタイムリーすぎる選手交代。すると、背番号「17」をつけた小柄な選手がファーストキャンパスに向かった。武生商業のユニフォームは縦縞。行け!やったれ!武生のレッドスター☆ 結局、次のバッターがうまく送れず、赤星くんはセカンドでアウト。ドラマはそう簡単には起こらないものなんだね。



2003年09月22日(月)
姉の友人Yさんの2003年9月15日。


 ご存じ2003年9月15日は、タイガースセリーグ優勝の記念すべき日。その日が敬老の日であることや、小学校5年のときに好きだったMくんの誕生日だったことなど頭から吹き飛んで、その感慨に浸っていた私ですが、同じ日、姉の友人Yさんははるか富山の地で涙に暮れていたそうです。

 Yさんはジャニーズファン。それも、SMAPやV6などおなじみのメジャー系ではなく、まだ名もないジュニアのメンバー。私たちの半分も生きていない男の子たちです。そんな彼女の趣味についてはこの際おいといて。同じ日、ジャニーズジュニアの新ユニット(NEWS。このネーミングセンスも、おいといて)がお披露目。本当なら紙面を華々しく飾る予定が、阪神優勝のため、どこへやら。しかし、Yさんはそれを嘆いていたのではなく、Yさんがプッシュしていたジュニアの男の子がそのユニットに入れなかったことにへこんでいました。ユニットのメンバーには、森進一夫妻の息子が入っていました。実情はわかりませんが、彼女は「ジャニーズって実力で選んでくれないのかな」とメールで姉にこぼしていたそうです。

 私はジャニーズファンではないので、冷静に、それはYESだと思います。ユニットに同じようなメンバーは2人もいりません。もちろん、実力者は必要ですが、売れるための話題性、カリスマ性、ルックス、将来性など私たちにはわからない側面を考慮に入れていることでしょう。なんかね、野球のレギュラー選びも似ているような気がするんですよ。そりゃ、歌手やタレントほど極端ではないんにしろ。以前、本で、三原脩監督は「ツキのある選手を試合に出していた」と読んだことがあります。なんか妙に納得してしまいました。人間、努力だけではどうにもならないことがあるんだなあ、と。だからと言って、怠けてる私はダメなんですけどね(苦笑)。



2003年09月21日(日)
今日は寒い一日でした

 今日は、秋季福井大会を見に行きました。ライターシローさん風に言うと、「本日、敦賀総合運動公園野球場」という具合。見たのは、敦賀ー敦賀工業という地元同士の対戦。中盤までは取りつ取られつのシーソーゲームだったけど、終盤にかけて敦賀は加点し、終わったら10−4。

 それはともかく、今日は寒かったぁ〜。半袖の私はおろか、上着を着ていた友人も震えていた。おまけに、今日はあいにくの天気で雨がぱらついていたので、球場の数少ない屋根がある席を取ったはいいけど、後ろから吹き付ける風の必要以上の冷たさったら。終盤になると、「あと2点入れたらコールドやね。がんばって打って、早く終わって」、それが無理だとわかると「もう点いらん。ランナー、出んでええで〜」などと不謹慎なことを言いながら、震えていた。そんなん言うくらいなら帰ったらいいのに、サンダーバード代の元は取らないととシートに張り付いていた。

 こういうのは、世間でいう“純真な高校野球ファン”という名の小学5年生女子学級委員みたいな人に、「そんなこと言うのは、相手校に失礼じゃないですか?選手はみんな一生懸命がんばってるんですよ」と叱られる類のものなんだろうな。寒いと心が荒むんです。ちょっと話がそれるのですが。「選手はがんばっている」という言葉を盾にいろんなことがまかり通っているのはどうかと最近思っている。自分の思いを正しいものだと相手にわからせ、相手の考えや野球の見方をあからさまに否定するために、“選手はがんばっている”のではないし、高校野球が存在しているわけでもない。そう思うのですが。

 それはともかく。敦賀も敦賀工業も愛着のあるチーム。こんな早い時期(緒戦)に対戦するなよぉ。余談だけど、敦賀工業のユニフォーム、好き。父兄さんが着てたおそろい青いTシャツも。一度でいいから勝ったところを見てみたい。

 第一試合が終わったあと、昼ご飯を食べに球場を出たら、もう二度と球場に戻れない体に…。ドライブをしながら、途中下車し、雨の中練習をするボーイズチームを眺めたり(あるこ、ボーイズチーム謁見デビュー♪)、喫茶店に入って、21世紀枠や野球部補強について話したり、星稜高校グランド訪問ツアーの企画を進めた。



2003年09月20日(土)
今日も、一応、野球のことを考えてました。

 こんばんは、あるこです。

 今日は、お休み。久しぶりに東山の練習でもと思っていたのですが、朝から雨がしとしと。これは、神様が休めと言ってるんだなと思い、昨日借りた1泊2日のレンタルすら返しに行くことなく、家でぐったりしてました。

 朝はNHKの子供番組で、動体視力を鍛えた野球少年が野球人生初ヒットを打つのを見ました。司会者は、「体と脳を鍛えて、メジャーリーガーを目指してください」と言っていました。昼はサスペンスドラマの再放送。古手川祐子って美人かも。夕方には阪神の優勝特番をちょろっと見ました。15日のサヨナラ勝ちの瞬間、川藤氏がしんみりしているのが印象的でした、イメージからすると、わーわー騒ぎそうなのですが。夜は、「あの人は今」とか「おしん」を見ました。そのあと、キューバで音楽にかける若者たちを追いかけるドキュメント番組を見ました。海外での演奏を夢見る若者に対してプロの音楽家の父は、こう言いました。「あいつはまだ頭で(太鼓)を叩いてるよ」。あ〜、どっかで聞いたことあるセリフだなあ。

 夜、友人とのメールのやりとりで、敦賀参りが決まりました。秋季福井大会。久しぶりに福井も見ないとと思ったけど、先月行ったばかりやん。いいんです。

 そうそう、前にちらっと日記で書いた隠岐行き、決まりました。10月の半ばの平日に2泊3日で行きます。とりあえず今は、航空券の予約を済ましただけで、あとのことは白紙。また、準備にあわただしい日が始まります。



2003年09月19日(金)
“オレの領域に入ってくんな”


 職場の先輩Bさんはアニメ大好きで、マニアで有名だ。そんな彼が移動中の車内で、「オレ、Dさん、嫌いやわ」とぽつりと言った。Dさんは、最近新しく入ってきた人。Bさん、Dさんと私はこないだ仕事で一緒だった。BさんとDさんはアニメの話で盛り上がっていたように思ったのだが、Bさん曰く。「確かに同じアニメ好きやけど、初対面やのに慣れ慣れしく、自分(Bさん自身)の好きなものについてあれこれ語られるのはちょっと…。“オレの領域に入ってくんな”って感じで」

 野球とアニメは違うが(野球と出会う前は私のアニメ好きやったけど)、好きなものに関する“オレの領域に入ってくるな”という彼の気持ちはわかる。その領域では自分が一番でいたいというか、自分が誰よりも好きなんだと思いこんでいたい。よくないことだってわかっているけど、仕事じゃないんだから、他人に心をかき乱されなくないのだ。これはオフラインでよく人に言うことなのだが、私は東山高校ファンの人に対して親近感を持つことはあっても、友達にはなれない。今、東山絡みで交流している人はOBや父兄など関係者だけだ。私が野球を通して知り合い、今も懇意につきあっている人たちは、他校のファンやプロ野球のファン、東山をよく知らない人などである。

 本やネットで東山のことが書かれているとうれしい反面、いろんなことを思い複雑な心境になる。事実、昨夏甲子園に出て以来、取り上げられる回数も増えたが、読んでてイヤな気持ちになるものも出てきた。仕方ないと言えば、仕方ないのだが。

 今日、ある掲示板に、『東山の2年生部員はいません。昨年の不祥事で全員辞めました』というおったまげた書き込みがあった。単なる情報提供以外の好意を持てない感情がくみ取れた。私はこのチームが嫌いだとか、今度のチームが弱いという内容なら、個人の気持ちだし、はっきり言って強いとも言えないから、仕方ない。でも、これは情報として明らかに間違っている。腹立たしい気持ちと、「こんなカゼネタ堂々と書いて、恥ずかしくないの?」という嘲笑する気持ちと、「なんでこんなこと言われなければいけないのだろう」というモノ悲しい思いが入り交じった。ネット上でとことん責め立てたい気持ちはあったけど、関係ない読者や管理人さんを巻き込むわけいにはいかない。結局、事務的に間違いを訂正するにとどめた。書き込むのにちょっと時間がかかった。私は私なりにない自制心と一生懸命戦った。えらいやろ〜、ほめて、ほめて〜。

 その掲示板を見て、知らない人に「東山の2年生は不祥事で全員辞めたんだ」という誤った情報がインプットされるのはどうしてもイヤだった。グランドで、球場で、見ている選手たちが“なかったものにされる”のはたまらなかった。今の2年生をそれほどたくさん見てきたわけじゃないけど、ふとした仕草や声やエピソードなどは耳に入ってきて、私の中で大切のものになりつつある。それに透明インキをぶっかけられたところを頭の中で想像してみた。許せなくなった。選手は私のものではないが、心に残る仕草や印象は、自分で足を運び、何らかの行動を起こして勝ち得たものだから。



2003年09月18日(木)
壁の虎


 もういい加減、阪神優勝ネタでひっぱるのはやめた方がいいと思うんだけど、最後にひとつだけ。

 昔、近所、と言っても歩いて10分はかかるのだけど、の家の壁に阪神の虎のロゴが実にリアルにペインティングされていた。おそらく85年の優勝のときに血迷ったこの家の主がやっちゃったのだろう。妻と娘(がいたとしたら)はおそらく反対してたと思う。近所でもちょっと話題になってたかな?

 それから、数年が経ち、世間が阪神の「は」の字も言わなくなっても、壁の虎は健在だった。でも、段々色あせていくのがわかった。「いつか消されてしまうんじゃないか」と心配になりはじめたのは、私がようやく自分の意志で野球を見始めたころだ。随分粘っていたので、ちょっと安心していたら、ある日、虎は忽然と消えていた。ついに妻か娘かが、「お父さん、恥ずかしいからやめて」と言ったのだろう。ずっと粘っていた主も、ふがいない阪神を思って、「そうやな、言われてみれば恥ずかしいわ」とでも思ったのかもしれない。いつごろだったかな?92年の快進撃を迎えることはなかったはずなんだけど。

 かつて虎があった場所は、まわりの壁と同じ色に塗られていた。でも、ペンキの新しさが妙に目立って、「ああ、ここには虎のマークがあったんだな」とますます悲しくなってしまった。阪神はなにかすごく重要な人に見切られたように思えてならなかった。

 こないだ、久しぶりにその家の前を通った。家はこぎれいの建て替えられており、虎を描くスペースはどこにもなかった。 



2003年09月17日(水)
タイガースと仕事と私。


 今日、仕事が1時間も遅くなったのは、阪神タイガースのせい。一昨日のタイガース優勝をうけて、店がこぞってバーゲンや安売りを始めているが、コンビニもその例にもれず、さっそくやっている。急な値段変更、コード変更を店から言われ、上の人はてんてこまいだったみたいだ。これまで阪神優勝によるいい影響しか見えていなかったので、いい勉強になった。

 今、関西では安売りをしていない店を探す方が難しいかもしれない。ま、気合いの入ったお店もあるが、中には「阪神優勝って、どういうことがわかってんの?」と言いたくなる店もある。ま、どうであれモノが安くなるのは消費者としては万々歳だが、今日、昼ご飯を食べたイタメシ屋で、くたびれたおっさんが、「阪神優勝で、安くなってます」と抑揚のない声で繰り返し、あれもこれもと勧めてきたのに閉口した。きっと上からの命令で無理矢理やらされてるな。ま、そんなこともあるわな。そういや、大阪近鉄ファンのハイヒールモモコが、「今は、“阪神ファンや”って言っておかんと仕事がこおへん」って言ってたらしい。そんなもんやろね。



2003年09月16日(火)
スポーツ新聞狂騒曲?!


 阪神ファンですから、優勝の翌日のスポーツ新聞とか見たいわけで、いつもより10分早めに家を出て、駅で購入した。阪神といえば、デイリー。案の定、他の新聞より売れ行きは早かった。駅の売店にはすでに列が出来ていた。おばちゃんが「ごめんね、ちょっと待ってねえ」と準備に大あらわ。スポーツ新聞を買うおじさんは、地球に空気があるのと同じくらいなじみがあるけど、ファッション雑誌から飛び出したようなパリッとした服装の若いOL風お姉ちゃんのそれは、非常に違和感があった。

 仕事の移動中、堂々とページを広げて読みいった。普段なら絶対しない。今日はコンビニで仕事、9時前に店に入ったら、すでにほとんどの新聞がなくなっていた。店長いわく、「今日は70部発注かけたんやけどなあ」。やっぱりすごいねんなあ。朝、買っといて良かった。

 ところが、昼過ぎ、相方くんからメールがきた。「ニッカンとデイリーを2部買っといてんか」。何じゃ、そら。もうちょっとはよゆってくれや!…ま、怒っても仕方ないので、仕事場や夕飯のために寄ったコンビニで新聞探しを始めた。5,6店行ったけど、ないとこは全然なかったし、あるところには嘘みたいにあった。きっと、売れることを予想して、大量に発注をかけてたんだろう。結局、ニッカンもデイリーも夕方に町中のコンビニで入手することが出来た。なんや、これやったら、わざわざ私に頼まんでもよかったんちゃうん?と思ったけど、後で姉から聞くと、大阪は京都よりも売れ方が激しかったらしい。相方くんには、精一杯ありがたがってもらおう。



2003年09月15日(月)
2003,9,15  阪神優勝!

 あるこ枠でチケットを手にしたメンバーは、私の中学時代からのツレ“みきこ”と日記でもおなじみの市長(「1人でも行く」と言った根性の入った人たち)、お世話になった東山OB父兄さん(女性)とその息子(=東山野球部OB)の4人。我ながら情緒に欠けた人選(笑)。でも、4人とも情熱があってお祭り好き、ノリも良かったので、人選は大正解やなと思った。私たちは、相方が中心となって席取りをした学生時代のサークルと相方の職場に人たちの団体の末席にて観戦。

 通路にまで人が溢れた状態で始まった試合。最初というか8回まで、ホンマにイライラした展開。正直、「明日、どうやって休み取ろうか」と考えた。8回表のピンチをしのいだあと、片岡が同点HR。私、球場で片岡のHRをよく見る。こないだの神宮でも打ってたし。その後もチャンスだったから、一気に逆転と行きたかったけど、うまくいかず。でも、9回にランナー一三塁から、赤星にサヨナラ打が出て。歓喜の渦。とりあえず、胴上げへの道、最低ラインは突破。あとは横浜が勝つことを祈るのみ、他力本願。でも、どんな形でもいい。“胴上げが見たいんやっ!”

 落ち着いたら、選手もファンも球場に残って、ヤクルトー横浜戦を観戦。雰囲気はやや穏やかになり、トイレへ行く人や買い物へ行く人、場内で写真を撮る人など、大観衆は思い思いの時間を過ごした。私はのどかかわいてしんどかった。終盤にもらったビールは、片岡の同点HRで興奮しすぎてこぼしてしまったし、相方くんは予備のビールを持ってたのにくれへかったし…。終盤に、みきこが「ちょっとだけやけど」と言って、ペットボトルに入ったデシリットル単位のお茶をくれた。天国の味がした。教訓:こういう事態になると売り子はやって来ません。

 ヤクルトは、ここんとこことごとく苦しめられていたので、強さは知っている。今シーズンの横浜を思うと、正直「やっぱり無理やろなあ」という心境だった。ところが、野球ってわからない。横浜、打つわ打つわで12得点。途中、ピンチがあったけど、どうにかしのいでいた。横浜スタジアムにいた阪神ファンの姿が印象的だった。ある意味、ここにも真実がある。

 8回くらいに、ウエーブ禁止のはずの場内でウエーブが起こった。1周回って2周目。ベンチ前にいた選手も参加。大いに盛り上がった。そんなこんなで9回を迎えた。横にいる父兄さんが「なんか泣きそうや」と言い、息子は「自分が優勝したときより弾けるかも」と言った。9回表は、スクリーンがよく見えなかった。みんな立ってたし、風船やメガフォン持ってたから。最後のバッターはセカンドゴロだったかな?優勝が決まった。風船を飛ばした。メガフォンをたたきながら、胴上げの写メールを撮った。きれいに写らないの、わかってるのに。落ち着いてから、側にいる相方を見ると、泣いてた。目が潤んでた。初めて見たから、びっくりした。

 星野監督のヒーローインタビューはユーモアがあっておもしろかった。「闘将」というイメージとは裏腹に終始、穏やかだった。でも、インタビュアーの質問に対する答えがチンプンカンプンなときがあり、監督とてやっぱり頭が回らない事態なんだなって思った。でも、星野監督、ホンマにしんどかったんやなとも思った。ペナント持っての場内一周の間、ずっと六甲おろしを歌ってた。そのあと、記念撮影だったのだが、終わったら、選手が2,3人単位で出てきて、外野やアルプス席で、「万歳!」を始めた。飛び上がっての万歳だったのだが、その跳躍力が彼らを子供に見せ、とてもかわいらしかった。どさくさに紛れて、トラッキーの持ってた旗を奪って、振ってたのは片岡だったかな?(注:金本でした)

 1時間ほどして、セレモニーは終了。球場を後にする観客も増え始め、私たちもぼちぼち帰ることにした。OB父兄さん親子は少し前に帰ったので、みきこと市長の3人で球場を出た。一塁アルプス付近で、すれ違うファン同士がハイタッチをしてた。そのすぐ側で、「サンテレビコール」が起こっていて、その横には球場の売店の従業員が並んでいた。ファンが「お疲れさま〜」「ありがと〜」と言ってメガフォンを叩くと。手を振って答えてくれた。

 阪神甲子園駅はとんでもないことになってたので、JR甲子園口駅まで歩いた。「米と脂が食いたい」という市長の要望に応えて、ラーメン屋に入った。ここで、ずっと送信出来なかったメールがよくやく送れるようになった。市長には「優勝おめでとうメール」が20件ほど入ってたらしい。甲子園口で電車に乗るころは、周りもすっかり落ち着いていて、ごく普通の夜の光景だった。あの瞬間は本当だったんだろうか?と疑いたくなった。まだ、実感がわかない。



2003年09月14日(日)
甲子園、段ボールの上で過ごした一日。


 昨晩、相方から電話。「明日8時までに甲子園に来てくれへんか?並んでる人の人数確認するみたいやし」。特別な予定がなかったのと、一度は消えた生胴上げ謁見の夢が再燃し、朝5時前に起床し、いざ甲子園に乗り込んだ。すでにすごい人。阪神「甲子園」駅の側まで人が溢れていた。そんな中、相方くんは大奮闘。売り場から20メーター後方という夢のようなポジションで寝ぼけた顔をしていた。段ボールの上のガムテープを貼る席取りはもう一昨日の夜からしている。昨日は徹夜だ。気合いの男や。

 人員のために朝もはよから集まったのは、私を含めて5人。あまりの人のため、明日の試合なのに、9時半で販売を始まった。1人5枚。3,000枚しかないという噂が飛び交っていたので、前の人の頭を見てちょっと不安がよぎった。でも、40分後ようやく5枚購入することが出来た。5人がそれぞれ5枚買ったので、計25枚。こういうときはやっぱし団体戦に限る。あとで姉からのメールでチケットは1時間で完売したと聞いた。

 チケットを手に入れたあとは、場所取りのためにまたポジションを変えてならんだ。日陰のないところで、暑かった。段ボールには、名前と人数、そして、「はがさないで」の一言を書き、近くにある日陰に入ったり、散歩に出たりする。昼ごはんを食べると、眠くなって、もろ日光の当たるダンボールの上に寝転がった。暑くて目がやられそうだったので、タオルを目に当てた。風も強かったので、タオルを押させることにきがいってあまり眠れなかった。

 こういうときは、昼まっからアルコールである。野球に絡んだ暑い日の昼間の酒は夜に味わう酒とはまた違ったおいしさで、ちょっといけないことをしているような、堕落しているような、妙な心地よさがある。

 待っているときにすること。チケットの分配。電話をして、「明日のチケットあんねんけど」。私が声をかけた人たちはすごく喜んでくれてたけど、学生時代のサークルの人たちは、喜んでくれる人が予想以上に少なかった。「デートがあるから」「習い事があるから」「仕事に段取りが…」拍子抜けした。待機メンバーのテンションがちょっと下がった。でも、夕方になると、昼間が冴えない返事をした人たちが「やっぱり行きたい」と言い出した。やる気のないヤツは断って、喜んできてくれる人を優先しようということになった。そりゃ、そうでしょ。徹夜してもチケットとれなかった人のことを思うと。

 中日戦や広島の情報はラジオと家への電話で仕入れた。結果は、ブルーになるので言わないことに。待機中、報道カメラやわけのわからんおじさんがしゃべってきた。報道カメラマンは私たちにインタビューしたけど、リアクションで「これはカットだな」とすぐわかった。報道サイドは景気のいいファンを撮りたいのだろうけど、その日は暑かったし、ここにいる人たちは徹夜もしくは早朝から並んでいるので疲れている。それに、阪神、負けてたし。あと、新聞の取材も来た。「どこからこられたんですか?」と聞かれたので、先輩が「うちらは近いんで」と言った。私でもわかった取材趣旨。安直だね。遠方がいいんだね。わけのわからんおじさん、チケットが1人5枚取れたのは、僕のおかげだと言った。そのあと、延々10分くらい話して、結論が「チケット余ってない?」。なんじゃ、そら。

 夕方からは、夜の待機メンバーを待ちながら、プチ酒盛り。何しゃべってだろう。う〜ん、たいして内容のないことのような気がする。でも、頭はしっかり動いていた。段ボールの上は思ったより柔らかい。でも、じっと体重をかけると、下のアスファルトの感触がする。堅い。痛い。そして、ここで流れる時間の長さ…。正座したり、あぐらかいたり、寝転がったりしながら、ここから見えるスポーツって大事かもしれない。そう思った。



2003年09月13日(土)
関係ない話 その7 「あるこ、髪型を変えた日」

 昨日の朝。鏡を見ていて、「なんか自分、みすぼらしいなあ」と思った。ただ伸ばすだけ、伸ばした髪。うっとおしくないように、いつも黒いゴムで後ろを一つにまとめているだけ。それでも、はみ出す後れ毛や短い毛があって、それを見ていると惨めな気持ちになったんので、髪型を変えようと思い立った。

 髪型を変えたいというのは前々からの気持ちだったが、具体的にどういう髪型にしたいかわからなかったし、失敗は出来ない。それでずっと煮えきれずにいた。でも、一生こんなボサボサ頭の辛いなあ。思い切って美容院へ行き、明日に予約をした。今度の美容院は髪型について話し合うことが出来るし、アドバイスや髪に関する知識も教えてくれる。今の自分の事情を話しておいた。

 家に帰って、姉に「明日美容院に行くねん」と言うと、ヘアカタログを見せてくれた。パラパラとページをめくる。ヘアカタログで私が真っ先に見るのは、モデルの髪型ではない。下に記されているその髪型に適した髪質の表だ。今まで、「あ、この髪型いいっ!…でもあかんなあ」と挫折を何度も繰り返してきたからだ。ところが、なぜか今日は真っ先に髪型に目が行ってしまった。それにまた、一目惚れ!やってしもた…。期待を抑えて表を見ると、髪質「硬」髪量「多」クセ「有」。まさしく、私の髪やんっ。イケる、イケる、これにしよう。髪型で1年も悩んでいたなんて嘘みたいに、あっさりと決まった。

 次の日、決めた髪型の写真を持って、美容師さんと話し合い。結局、髪型は写真より後ろをやや多めに残し、カラーも入れることになった。職場の規定でほんまなダメなので、目立たないようにとお願いした。以前、猫もしゃくし茶髪ってくらいのブームがあった。そのとき、私は「100年経っても髪の毛に色なんて入れへん。親からもらった大事な体やで」などと、肝臓とかはちっとも大事にしてないのに思っていた。しかし、そんなあまのじゃくの砦も10年で崩れることに。

 シャンプーのあとはカット。美容師さんのはさみが入り、髪がどんどん床に落ちていく。ああ、こんなにたくさんの髪をぶらさげて歩いてたんやなあ。これで体重がちょっとは軽くなるのかな?これで、頭を洗うのもめんどくさくなるな。今回は前髪の取り方も変えた。今まではおでこ沿いに取っていたのだが、今回はつむじの近くかだ大胆に。うわ、なんか芸能人やモデルみたいな前髪の取り方みたぁ〜い。と一人で感激に浸っていた。これで、長年悩んでいた“横髪がうっとおしい”ともおさらば、かも。今までの横髪が本来、こういう風に前髪であるべきだったのだ!

 いつも縮毛矯正をしていたので、カラーにかかった時間は屁でもなかった。カラーはライトにあたると上の方がわかる程度で、このあとともきちや相方くんにあったけど、「カラーリングしたん?」とは聞かれなかった。でも、自分ではものすごく気になった。会社大丈夫かなあ?

 帰り、スタイリングの仕方を教えてもらった。私がイメージしていた髪型はやはりそのままだと出来ない。何もしないと、ヘルメット型にになってしまう。私、不器用だからいっつもこれでつまづくんだよなあ。美容院では、「いい感じ〜」と思っていても、1度頭を洗ってしまったら、自分で復元するのは難しいもん。

 とはいえ、これで気分一新。すっきりした〜(*^_^*)。美容院はいいね。億万長者になったら、マイ美容師をつけて、頭を洗ってもらうんだ〜♪



2003年09月12日(金)
上下関係


 東山活動における上下関係に続くのは、阪神応援の上下関係。上は相方、下は私。ワシ、いつも下っ端なんですわ(^^;)。私も相方も学生時代は、同じ阪神を応援するサークルに入っていて(また、弱いときに…)、私の方が先輩なのだが、虎キチ歴と熱の入れよう(だって、優勝したとき泣いたんやで)は比較のしようがない。う〜ん。上下関係というか、弟子と師匠というかライバルというか…。

 それは、スタンドで応援歌を歌うときに顕著に出る。今はインターネットで応援歌の歌詞を検索できるが、私がサークルにいたころは、ネットが普及していなかった。そのため、応援歌は自分の耳で聞いて覚えなければならない。歌詞を相方に直接教えてもらえばいいという考えもあるのだが、歌詞は知ってて当然、知らないのは恥ずかしいことだ、人に訊いてまで歌う必要なない、サークルに漂っていた空気を引きずっていて、私の中では、聞くは一生の恥ということになっている。

 聞き取るときも、恥ずかしくて露骨にはできない。自分も知ってるよ〜という風にメガフォンを叩きある程度の声を出しながら、耳の穴だけで相方の声を捕らえる。でも、ときどきバレていて、わかりづらいところを大きな声で歌ってくれる。ありがたいというか、悔しいというか…。ところが、そうしてやっと覚えて歌も、ちょっと音程がはずれたり、ずれたりすると、「はずれてる」「ズレてんで。そろえんと」と容赦なくピシャリと注意される。虎キチへの道は厳しい。

 でも、最近、相方くんは、「○○の応援歌、ネットで調べといて」と言ってくる。もうすぐ、下克上かな?いや、それはないな。



2003年09月11日(木)
野球談義


 ものすごく人寂しかった。昼過ぎに「今日も神宮へ行く」という相方と電車の中で別れ、2時に待ち合わせしている某虎党さん(掲示板時代の常連さん)と会うために、東京駅に出てきた。あと1時間もすればひとりぼっちではなくなるのに、その1時間が耐えきれず、手相占いをしてもらった。ちょっと厚化粧のおばさんは、人寂しさに隠れたどんよりした気持ちを、「今は何してもダメな時期だから仕方ないよ。10月まで我慢しなさい」とあっさり片づけてしまった。(あと、「あなたは東へ行くと疲れるから、北か西へ行きなさい」と言われた)

 2時から4時くらいは某虎党さんとお茶をしていたので、寂しさは紛れたが、帰りの新幹線でまた人寂しくなった。3時間近くもどうしようと思っていたら、いい感じで眠気が襲ってきた。よっしゃ、こんな感じで京都まで寝てしまえ!ところが、おなかがすいて、完全睡眠モードが妨げられる。そうや、おやつは食べたけど、昼ご飯食べてへんかったなあ。思い出したように売店で買ったバームクーヘン(これもおやつやんけ)を袋から取り出して、ほおばった。すると、目が覚めてしまった。あ〜あ。窓の向こうは薄暗い。もう少しで景色見て気を紛らわせることも出来なくなる。

 「雨雲が出てますねえ。雨、降るのかな」
 いつの間にか隣の席に人がいた。おそらく私に話しかけているのだろう。私は、「そうですね」とだけ答えて、黙ってしまった。こういうのしんどい。中途半端に話してしまって、そのあとずっと沈黙で…。何も話さなかった方が気楽だったのに、みたいな。でも、話は終わらなかった。

 「帰りですか?」「はい」「どこに帰るの?」「京都です」「東京へは観光で?」「はあ、まあ」。そんな会話が続いた。隣の人は会話の糸口を探しているよに思った。私と同じで、人寂しいのかもしれない。「神宮行ってたんですよ。負けましたけど」。初めて自分から話した。すると、「えっ、阪神?!僕も好き。大阪の人間だから」。声のハリが今までのとは違った。私は初めて、隣の人と目線を合わせた。細身でスーツ姿に身を固めた年輩の男性。めがねをかけていて、優しい顔つきをしていた。ほっとして、言葉がせきをきったかのように出てきた。

 タイガースの話から、高校野球の話になった。大阪はどこが甲子園優勝経験があるのかにかなりの時間を割いた。おじさんは、高校生のとき、藤井寺球場でPL学園が甲子園初出場を決めた試合を見て以来のPLファンだ。私なんかはPLが初出場したときのことなんて考えたことなかった。PLは100年前から常連で、強豪校だと思っていた。年齢は56。高校野球ファン歴は50年。私が見たことのない選手もその目に焼き付けている。いい機会だから、池永投手と湯口投手のことを聞いた。「いいピッチャーだったよぉ。ボールが速くて」。たいしたコメントじゃなかったけど、リアルタイムで見ている人の言葉はやっぱり響く。印象的だったのは、選手の話をするときに、ピッチャーならボールを投げるときの仕草、バッターなら打つときの仕草をしながら話してくれたこと。以前、「スポーツマスコミの究極は、読者が体を動かしたいなと思う、もしくは思わず動かしてしまうこと」と聞いた。ふとそのことを思い出した。私はそんなおじさんの話に、本で得た知識で何とかついていった。おじさんは、「よく知ってるね」ってほめてくれたけど、知識は所詮知識でしかないなと思った。

 新幹線は、そんな私たちを運んで「まもなく、京都、京都です」。時間はあっという間にすぎた。おじさんは、「あっちに取引先の人がいるから、早めに行くわ。今日はありがとね。楽しかった」そう言って、指定席のある隣車両に消えた。おじさんは現実に戻った。私は、あと少しここにいて、現実に戻るのは明日にしよう。



2003年09月10日(水)
神宮遠征記◆舛燭斉江紊欧見たいだけなんだよぉ〜


 昨日の今日なので、ちょっとは学習している。買い物は事前に宿の近くのスーパーで済ました。神宮球場の最寄り駅「信濃町」から総武線で20分ほどの場所だけど、店の氷は正午の地点ですべて売り切れていた。で、コンビニに入ってかろうじてあった1つを購入。すげえなあ、阪神現象。でも、次の日同じくらいの時間に行ったら、冷蔵庫の氷たちはすし詰め状態になっていた。阪神負けたら、店の在庫が増える…。あの氷、重いし、数えにくいんだよなぉ。

 神宮には1時半頃に着いた。席を取ってくれているグループを捜して合流しようと思ったけど、もんのすごい人で、見つけるのがやっと。「ゆっくりでいいですよ」と言われたので、遠慮なく、列には加わらなかった。まもなく開門し、並んでる人たちは、「走らないでください」というアナウンスをちょっと気にしつつも、やっぱりダッシュをかましていた。私たちは、そんな彼らを目に、しゃがみこんで、酒飲んでいた。必死になって走っている人の姿が、酒のおいしさをいっそう引き立てた。究極やわとか思ってた。私ってイヤなヤツ?!

 そんなこと思ってるからバチが当たったんだろう。試合は延長でサヨナラ負け。せっかく井川が投げたのによぅ。先制点あげたのによぉ。9回はすんごいピンチをしのいで盛り上がったのに。結局、負けるときはあっけない。ああ、鬼門の神宮。鬼門の岩村。君、ホームラン打ちすぎ(^^;)。ちゅうか、なんでベースカバー忘れるかな。それにしても、終盤からは阪神ばかりピンチだったような気がする。京都においてきた某H高校の試合を見ているような気分になった。ハハハ。

 最初はプロ野球観戦神宮デビューを楽しもうみたいなノリだったのが、マジックがわずかになったため、胴上げ謁見を意識してしまい、野球自体を楽しむことが出来なかったのが正直なところ。名古屋で決まるんだろうな。「もういいもん」とすねる反面、「よっしゃ、甲子園に戻ってくるまでアンチ阪神になってやる」とも思う。こんなんは、“真のファンの姿”じゃないね。でも、悪いのは私じゃなくて、18年も待たせた阪神やと思ふ。



2003年09月09日(火)
神宮遠征記 楚正椶いい箸魁一度はおいで〜


 縁というのは不思議なもので、相方が甲子園で知り合った虎ファンを通じて、神宮でのヤクルト戦のチケットを手に入れた。30〜40人の団体さんの中に入れてもらったのだが、この時期に席取りをせずに観戦できるとは恵まれてる。相方の熱き虎への情熱が神様に通じたのか?…なあんてね、ふふ。

 今年の阪神にはなんか情熱がわかないと言いながら、やっぱり胴上げはみたいもの。もう優勝はするんだろうから、この時期の観客の願いは、「自分が生胴上げを見れるか否か」でしょう。少なくとも、私はそう。この目で胴上げを見たい!そういう己の欲求だけに素直に応援。ゲーム内容とか、関係ないから。

 チケット以外の宿の手配や移動手段等は私の担当。相方は何を隠そう今日が神宮デビューなのだ。私は神宮経験者だし、総武線や中央線沿線なら多少ながらわかる。この遠征では、「うち、東京人やし」が口癖になってしまった。

 朝8時、高速をぶっとばして、6時間、東京に到着。途中、おねえに諏訪湖の写メールを送る。東北の旅では、「海のメールばっかりやった」と言われ、途中からは返信をくれなくなっていたので、今度は湖にしてみた次第。軽い嫌がらせ。

 宿で一休みしたあと、神宮へ向かった。神宮付近には本気でコンビニがなく、20〜30分くらい歩いてスーパーで買い物。同じような阪神ファンを見かけた。

 球場に着いたのは、6時前。券を手配してくれた人と落ち合って、言われた席に座った。眺めがいい。くどさを抑えた青色のシートと、人工芝の緑。周りには自然もあれば、高層ビルもある。町中ながら落ち着いた雰囲気の不思議な景色。外野は甲子園の半分か3分の2くらいの高さ。シートは正方形。真ん中がくぼんでいて座っていても、腰やお尻が痛くならない。甲子園の外野シートの2倍の広さ、観客がいっぱい入っても、通路下に荷物を置く余裕がある。ああ、麗しの神宮外野席!一発で気に入ったぞ。

 試合は負け。幸い、マジック対象チームの広島も負けたので、かすかな希望が残されてるだけにほっとしたけど。痛かったのは、岩村の満塁ホームラン。直前に、相方が「ここで満塁ホームラン出たら、逆転されるな」とぽつりをつぶやいてた。アホか〜、そんなんゆうから打たれたやなかいっ!

 点差が広がると、両チーム選手交代が激しくなった。阪神は杉山の登板(えへ、打たれちゃった)、ヤクルトは山本樹に本郷。あと、河端が出てくれば完璧だったんだけど。「まあ、京都から来たん?え、龍谷出身?せっかくやし、先輩や後輩、見ていってぇや」。そう言って、お茶でも出されたような妙な気分だった。実は、お世話になった団体さんは東洋大学のサークルで、桧山が出てくると、「東洋大学の意地〜」と叫んでいた。やるせないので、「平安高校の意地〜」と言っておいた。いつか、「龍谷大学の意地〜」と叫べるようなスター選手が出てくるといいなあ。

 帰り、近くにある天一へ行った。前から知ってはいたけど、ねぎの追加に金がかかる。東京ではねぎは高級品なんだろうか。天下一品を高級グルメラーメン店にしたいのか、よくわからん。輪切りが60円で、斜め切りが90円(次の日行った新宿大久保店では3桁の大台に突入してた。東京は怖いところや)。何が違うねん。相方くんは、餃子のタレを自分で作らねばならないことにカルチャーショックを受け、「ショックで寝れへんわ」と言っていた(割には、ガーガーいびきかいてたのは誰や)。行きは宿から歩いてきたのだが、店を出ると近くの電話ボックスでおっさんが吠えていた。警察密着24時に出てくそうなエキサイティングな光景だった。怖くなってタクシーを使った。
 
(明日へ続く)



2003年09月08日(月)
おばあちゃんのほっぺたばかり見てた


 ある日、グランドに練習を見にきているおばあちゃんと話をした。「『おばあちゃん、僕、辛くないよ。野球楽しいよ』、そう言ってくれるのが、すごくうれしくて…」と話してくれたおばあちゃんは、たまらなく魅力的なほっぺたをしていた。

 髪の毛が真っ白。もうかなりご年輩のはずなのに、20代の私なんかよりも遙かに若い肌。中でも、大きくせり出しているほっぺたは、私の視線を釘付けにする。温かみのある雪見だいふくみたいだ。うわ〜、さわりた〜い。気持ちよさそう。ぷにぷに、ぷいぷに。その感触を想像するだけで、たまらなくなる。私はおばあちゃんの話にうんうん頷きながらも、ほっぺたが気になってしかたなかった。なんでそんなにきれいな肌をしているのだろう。

 その答えはすぐに出た。
 「実はね、私も運動やってるの、卓球をね。若いころやってて、しばらくしてなかったんだけど、最近また始めたの。近くに卓球教室があって、そこに行ってるの」
 というわけだ。そして、おばあちゃんは孫の練習を見にきたけなげなおばあちゃんから、一アスリートへ変わった。

 「結局は、野球も卓球も同じなの」
 おばあちゃんはそう言った。お、うまく人を惹きつけるなと思った。

 「卓球で大切なのは、膝を使うことなの。膝を曲げてバネのようにして、こうやって動く。膝を立てたまま動いたって、全然ダメ。ついていけなくなるの。ほら、さっき監督も言ってたでしょ。膝を使いなさいって」
 おばあちゃんは、その場で膝を曲げた状態で前後左右に移動した。そのあと、膝を立てた状態で同じことをした。確かに前者の方が動きが早いし柔らかい。

 そういえば、さっき練習中に監督が野手に「膝を曲げて、武士のように動け」と言ってた。私、おばあちゃんをちょっと見くびっていたようだ。まさかこんな話をおばあちゃんから聞くことになるとは思ってもいなかった。さっきまでプニプニだと思っていたほっぺたが、心持ち引き締まってみえた。



2003年09月07日(日)
グランドに拒絶された日


 桂高校って、阪急の線路沿いにあるやん。だから、駅前で地図見たらすぐ行けると思ってたのに、私とともきち、2人寄れば予想を超える方向感覚が生み出され、なんと試合に1時間40分も遅刻(汗)。駅から桂高校までは、普通に行くとホンマは徒歩10分くらいなのだが、私らマジで1時間半かかった。ハハハ、ばっかぁ〜。

 気づいたら桂川の河川敷に出てて、西京極球場の照明とか見えてて、びっくらこきました。人もいない、タクシーも通らない。ダレダレになりながら、「暑い〜」「おなかすいたよ〜」「リムジンで迎えにこんかい!」「グランド持ってきてぇ」「報われへん〜」と子供のようにわめいて住宅街をさまよう私たち。ちょっと木々を見たらすぐ桂離宮やと思いこんでしまう。やばい、幻覚や。いや違う、単なる地理音痴。これは、わたしらに来るなって言ってるんやな。でも、ここがどこかわからない。家に帰ることも、グランドに向かうことも出来ない。かわいそうな、愚か者私たち。暑さで偏頭痛がする。もう一生グランドにたどり着けないかもしれない。まじめにそう思った。性格が悪くなる。元からか。

 歩いたら歩くだけ迷うことに気づき、木陰でタクシーを待つことに。数分後、タクシー到着。事情を話したら、ドライバーのおじさんに引かれた。料金はワンメーター分しかなからなかった。私らって…。

 グランドに着いたら、12時前。もう終わってる?いいや、東山の試合は長いので有名(?)なんですよ。案の定というか、何というか、6回終わったばかり。でも、疲れた。ここまで来るだけで疲れたのに、ネット裏にあるでっかい建物で試合が全く見えないことで、さらに疲れた。試合用に設営されたテント付きの観客席にはすでにたくさんの人。うろうろしたが、どこで見ても見にくい。外野へ行こうと思えばいけるけど、そんな体力ないし、第一、暑そう。次の試合の選手や関係者もあいまって、周辺はすごい人口密度。どこにいても、邪魔者になっているような気分になって、試合を見る気力、限りなくゼロに近い。今日は、ここに来ただけでも、誰かほめてよ。

 唯一の救いは、OB父兄さんに会って、話をしたこと。ぽっちゃりして、笑顔が暖かいおかあさんで、ほっとした。そのお母さんとの話に夢中で、いや、故意に夢中になって、目の前で繰り広げられながら、ほとんど見ることのできない試合から関心をそらす。ごめん。練習試合とか、もっとがんばって見に行くんで、今日は勘弁してください。

 抜群のローテンションと疲労感。癒しを求めに、マッサージ。2回も行ってしまった。お金の使い方、間違ってるかも。いいんだよ。市長から、メール。市長がラブなチームは初回にいきなり12点も入れたらしい。わっはっはっは〜。でも、応援観の違う人に囲まれて、ストレス抱えてたので、かねてから出ていたチゲ鍋大会の話になった。「日を決めて」というメールが来たので、「じゃ13日」って返したら。試合だってよ。次の日試合(会場が遠くて前泊しなきゃいけない)だからダメだってさ。いいもん、ふん。(そういや、市長に、「もう試合の結果は聞きませんから、壊れないでください」って言われた…)

 今日はいつになく、“やさぐれモード”のあるこでした。それでは、ごきげんよう。




2003年09月06日(土)
グランドコートの夢


 先日、ついに“夢のグランドコートデビュー”を果たした。ただのグランドコートではない。高校野球部のグランドコートだ。

 先月末、柏崎高校に行ったときに、「寒くないですか?」とマネージャーがグランドコートを貸してくれた。デカイ私でも余裕のあるゆったりサイズ。その上、あっかたぁ〜い。とろけそうになった。ああ、ぬくい、ぬくい、ぬくい。心の中で自分が納得行くまで繰り返した。まさかこんな形でグランドコートを着ることになるとは、6年前には考えもしなかった。

 6年前は、ともきちがグランドコートデビューを果たした年である。それも東山の!晩秋の練習試合観戦中、OBか誰かが「寒いやろ」と言って着せてくれたのだとか。「あったかかったよ〜」と言っていたが、このとき私はなぜかいなかった。デートだったかな?彼女の話を聞いたとき、自分は何か大きなチャンスを逃したような気がした。でも、もし、あの日、グランドにいたのがともきちではなく私だったら、と考えた。私、太ってるし、寒そうに見えないんだよな。どんよ〜りした記憶がある。

 その後、グランドコート貸してくれたOBらしき人とは疎遠になった。20代も終わりかけ。暑さ寒さにすっかり弱くなった。相手がグランドコートを貸してやらねばと思ってしまうような薄着ではいられない。完全防備になる。当時は当時なりに漠然と、「ああ、生涯私はグランドコートに袖を通すことはないんだろうな」と思っていたのだ。それからはグランドコートを意識したことはほとんどなかった。

 実はこの日も、雨合羽も兼ねた上着は持ってきていた。でも、何かの手違いでホテルにおいてきてしまったのだ。夏の夜が震えるほど寒いなんて思ってなかったのだ。北信越を侮っていた。今までもそういうドジはよくふんでいたが、今回はそのドジが、忘れかけていたささやかな夢を叶えてくれた。



2003年09月05日(金)
テレビつけたら、ホームラン


 夕飯食べたら、眠気が襲ってきて、テレビのある部屋でごろごろしていた。物寂しいので、テレビをつけると、「見ろ」とばかりに阪神戦の中継。バッターボックスには矢野が立っていた。しかし、すぐに画面はすぐ満員になったライトスタンドに切り替わる。みな、総立ち。盛り上がってるなあ。

 打球があがった。ぐんぐん、ぐんぐん、センター方向へ。センターが打球を追いかける。隣で寝ていたはずの父が、「ホームランや、ホームランや」とはしゃぐ。いるんだよな、スタンドでも、ホームラン性の打球をいち早く「ホームランだ」と断定して、自分の野球眼の鋭さをアピールしたがる人。喜ぶのは、スタンドに入ってからでいいやん。

 そして、打球はフェンスを越えた。ホームラン。ベースを回る矢野が子供のように飛び回るながら、ホームに戻ってきた。「矢野、プロ13年目にして初のサヨナラホームランです!」。アナウンサーが絶叫した。テロップが、3−3から4x−3に変わった。

 そのとき、真っ先に思ったこと。
 また、ホームランやった。

 今季は、わざわざ阪神戦を見るためにテレビをつけたことはない。でも、テレビをつけたら、たまたま阪神戦の中継をしてたということが少なくない。で、最初に立ってたバッターがホームランを打ったということが、もう4,5回あるのだ。今回の矢野の前は、早川だったし、アリアスや片岡、金本のときもあった。なんという偶然。私って、ひょっとして“ホームラン女神”??…もちろん、そんなはずなく。今季の阪神はそれほどたくさんのホームランを打つチームだということにすぎない。

 もうホームラン見飽きたなんて、ありがたくも、罰当たりなことを思う今日この頃。一時はあきらめていた生胴上げ。チケットのある9日から11日の神宮で是非実現して欲しいなあ。今季はちっとも応援してないけど、弱いときはたくさん球場に足を運んだんだから、いいやんか、なっ(苦笑)。



2003年09月04日(木)
次の旅の計画


 夏の東北、良かったです。自分が体験したことはもとより、涼しかった!関西とは10℃ほど温度差があり、夜もクーラーいらず。快適快適♪てなわけで、春は暖かい九州へ行こうと思います。早速、時刻表とにらめっこして、計画開始。ペーパー旅行も楽しいんです。

 今回の経験をふまえて、余裕のある日程にしようと思っています。あと、あれこれ欲張らず、一日1校(もちろんグランド訪問)をめどに。訪問候補は、今のところ、5校。そして、一度でいいから、東横インに泊まりたい!今回は空席なしで断念したんで。

 日数は今回と同じ4日、もしくは5日。
 小倉からスタートし、大分→宮崎→鹿児島→熊本→佐賀→長崎というコースをとる予定で、大分、佐賀、長崎は重要訪問地。宮崎は車窓を楽しむ旅。鹿児島と熊本はどちらかに的を絞ろうと思っています。佐賀以外の九州は、高校の修学旅行以来で、鹿児島は実は行ったことありません。

 あと、頭の中の山陰コースもあったりします。やむ終えない事情で長期休暇が取れない場合は、こちらに切り替えます。1泊2日か2泊3日で行けるコース取りをしています。

 こんなことばかり考えてると毎日が楽しいのですが、そのための資金繰りは現実でしかありません。え〜ん、仕事行きたくないよぅ。



2003年09月03日(水)
出会う才能


 ライター塾に行っていたころ、私があちこちの高校のグランドに行っていると聞いた先生が、「それはいいことだよ」と言ってくれた。私はてっきり、“現場へ足を運ぶ”という意味だと思っていたが、どうやら違うらしい。

 “出会う才能を鍛える”という言葉は新鮮だった。グランドに足を運んで、ふと目に入るもので、その学校の方針やカラーや雰囲気がわかってしまうということがあるらしい。私にはまだそこまで見える眼はないけど。それをわざわざ探すのではなく、自然に目に入ってくるようになる。またそういう出来事に遭遇出来るようになる。それが“出会う才能”。

 先生が、こんな話をしてくれた。ゴルフの取材で、選手が目の前でホールインワンを達成した。ところが、同行のカメラマンはその決定的な瞬間を写せなかった。そのとき、先生はどういう文章を書いたのか。私はそれをクイズ方式で問いかけらたが、答えられるわけがないと端からわかってるかのような目論見が見えた。答え。先生は、前日、たまたまそのホールインワンが達成されたホールを整備していたキャディー(?)の若者に会っていたのだ。親が元プロゴルファーで、彼もゴルファーを目指している。そんな話を聞いていた。そして、翌日、そのホールでホールインワン。なんとできすぎた話。先生は、これで、自分はスポーツライターとしてやっていけるという確信を持ったという。確かに、聞いてる私まで惚れ惚れしてしまう“出会い”だ。

 自分のしていることをふと疑問に感じたり、不安になることがあったが、この話を聞いてからは“別にいいんだ”と思えて、少なくとも心の根本の部分では安心している。

 “夢に向かって、具体的に何をしてますか?”
 そう聞かれると重くなる。だいたい、夢自体もよくわからない。でも、どうしても答えなければいけないのなら、「出会う才能を鍛えています」と言おうと思う。泣いても笑っても、グランド訪問はもう少し続けよう。

 そうそう、この出会う才能の究極の持ち主がともきちだ。端から見れば、おもしろおかしく生きているように見える彼女でもやはり落ち込むときがあり、自信をなくすときがある。そんなとき、私はどう励ましていいかわからないけど、彼女の長所の一つが、この“出会う才能”を持っていることだ。でも、それは履歴書に書ける資格でもないし、給料があがるわけでもない。だから、無責任に口に出来ずに今まで黙っていた。でも、私は彼女にくっついていたおかげで、たくさんの出会いに遭遇し、貴重な経験をした。私にとっては喉から手が出るほど欲しい能力だが、そんなことを言っても、彼女は首をかしげるだけだろう。皮肉なことに、その才能は彼女が本当に欲しい物にはまだ出会わせてくれていないから。



2003年09月02日(火)
旅  〜最終日・仙台〜 (更新完了)


 不覚にも朝目覚めたとき、「さあ、今日は最終日、がんばろう!」などと口走ってしまった。好きでやってることなのにね。

 さて、盛岡から仙台。道中はブレーキの音がびっくりするほどうるさいこと以外特記することはない。う〜ん、何時間も電車に乗ってることに慣れたのか、仙台まであっという間のように思った。むしろ、時間的には短いはずの昨日の青森→盛岡間の方が長く感じた。

 仙台に着いたら、昼前。その前に、いろいろ調べなければならないことがあり、駅前を重い荷物を持ってうろうろ。その後、駅構内のカレー屋さんで、“せっかくだから”と牛タンカレーを食べる。牛タンってこんなに分厚かったんやと思った。普段食べてるの、薄いからなあ…。

 調べものをしていたのは、東北高校のグランドへ行くためだ。東北高校のグランドというか野球場は、市内郊外の泉校舎にある。ところがここ、バスが1時間に2本しか通ってない旅行者泣かせの難関。でもって、帰りの飛行機の時間もあるので、所要時間や時刻表調べ、万が一のときのためのタクシー手配等々、ぬかりなくしておかなければならなかった。

 12時台のバスに乗った。バスは郊外をひた走る。20分ほどすると、「東北高校、準優勝おめでとう」と書かれた紙が貼ってある店をちらほら見かけるようになった。山を切り開いて出来た町が続いているのか、アップダウンが激しかった。そのアップダウンが3回目か4回目で、最寄りの停留場「泉ビレジ一丁目」に到着。平日の昼間、道路状況が穏やかな中、所要時間は45分。さすが、新興住宅街。シルバニアファミリーに出て来そうな抑えめながら彩りのある家が並んでいて、歩くそのたびに、どんどん現実離れしていくなあと思った。

 東北高校泉校舎は、停留場のすぐ側にある。きれいな校舎で、大学みたいな雰囲気だった。たっぷりの敷地に、校舎は2階建て。窓が開いていて、先生の声や生徒のざわめきが風に運ばれてきた。ここにも、いたるところに「準優勝おめでとう」の文字。野球場は校舎の一番奥にあった。両翼90メートル、中堅は120メートル。ネット裏にはスタンドもあり、ホンマ物の球場仕様だ。当日、野球は試合のようでグランドのは人っ子一人いなかった。他のクラブの選手は周辺を走っていたけど、やはり静まり返っているという印象はぬぐいきれなかった。

 スコアボードには、「東北高校、ALL FOR ONE!」と書かれてあった。若い子の字だなとすぐわかった。初めて見たような気がしないのは、きっとどこかの雑誌に写真にせいだろう。その隣に、白いボードに赤字で、「闘志なき者は去れ」。外野を覆う木々で見えない箇所のあったけど、内容はすぐにわかった。グランドは前日に雨が降っていたのか、まだ湿っていた。ダグアウトはあったが、目を引いたのはその奥行きの狭さ。普通の半分くらいしかない。ベンチの一列しか並んでいない。なんか意外だなと思った。そういえば、ここ、スタンドの椅子の色も、外野のラバーの色も、色あせている。それは、長年こういう恵まれた場所で練習をしているという証。そう考えれば、ベンチの奥行きの狭さも、納得いく。帰り、構内で作業員のおじさんに挨拶された。停留場の側はスクールバスの駐車場で、ドライバーのおじさんが車を洗っていた。ああ、学校って一大ビジネスやねんなあなどと思ってしまった…。

 ただ“グランドを見た”だけなので、帰りの飛行機の時間を心配する必要はなくなり、むしろ“残り時間をどうしようか”という問題が浮上した。しかし、それもすぐ解決。帰りのバスの中で。首が気が狂うかと思うくらい痛くなったので、駅前のマッサージ屋へ駆け込んだ。気休めかもしれないけど、とりあえずこの場をしのぎたいと思ったし、いい時間つぶしだとも考えた。幸い、胃の調子が悪いのと、移動時間が多い旅だったので、お金はあまり使っていない。いつも行ってる地元に店とは違い、和室でおばちゃんのしてもらう方式だった。さわるところ、さわるところ、気持ちよくて、“もっと押してよ〜”とは思ったが、まあ、良かった。でも、何度も「どうですか。どうですか」と聞かれるのはちょっとしんどかったかな。

 帰りはどっぷり寝てやろうと思ってたのに、窓側に座ったものだから、雲の上からの景色に夢中。当日の仙台は曇り。でも、上昇を始め、最初の雲を抜けると、まばゆい光に襲われた。雲の上はいつも晴れやねんなあ。



2003年09月01日(月)
旅  〜第三日目・青森〜 (更新完了)


 午前中は五能線を堪能。秋田駅から出発。今回の旅で泣く泣くあきらめた金足農業の部員と席が隣になった。神のご加護やと思った。電車で金足農業のグランドらしきフェンスだけを見ることができた。いつか絶対ここに来る。次は一定の場所に長くとどまる旅にしてやる。そう決意した。

 電車は、能代から(ああ、能代高校も行きたかった〜)海沿いを走り、青森に入る。元々この五能線に乗りたくて、この旅を企画した。車内に乗り込むおじいちゃんやおばあちゃんは本家本元の“ズーズー弁”。初めて“言葉が聞き取れない”と思った。青森に入ると、車窓からリンゴ園が目立つようになった。JRの駅の表札の下にもリンゴのマークが。思えば遠くに来たもんだ。

 青森駅につくと、昼ご飯を食べ、青森山田高校へ向かった。バスの本数が少ない上、バス停からも遠かった。今日はこれまでと違い暑かったし、エラかった。学校は住宅街の中に静かにたたずむように建っていた。正門がわからなかったので、裏口のような場所の低い塀をまたいで入った(あかん、不法侵入者やん)。いろんな設備が迷路の壁のように建っていて、グランドを見つけたときは、“ゴールや”とすら思った。でも、そこで足がすくんでしまった。練習はこれから始まるようだ、部員はウォーミングアップをしていた。動物的勘で、「これは事務所を通した方がいい」。そう思い、校舎へ向かった。

 事務所では、愛想のいいおばさんが応対してくれた。でも、平日の昼間とあって“ただの野球ファンの練習見学”はあまりに異様に思われたようだ。電話で連絡を取り、案内役の部員まだ呼んで、「彼が案内するので、ついて行ってください」と言われた。私の読みでは、「野球部に練習見たいのですが」「どうぞ、あっちがグランドなので」となるはずだったのだが。なんか大変なことになってしまった…。

 野球部員なのになぜかジャージ姿の彼は、眉毛の形を整えた昭和系の顔つきをしていた。私は彼から少し距離を置き、淡々とついて行った。施設の迷路に再び入った。そこにはさっきは気づかなかった「野球研修センター」があった。出迎えの部員を待っている間、事務所のおばさんが「立派なのが出来たんですよ」と話してくれていた。

 すると、ジャージの彼がポツリと言った。
 「部長先生、知ってますか?」

 …し、知ってる。雑誌とか本で、よぉ〜く。ここに来た動機の55パーセントやもん。でも、彼の“知ってる”と私の“知ってる”は果たしてイコールで結ばれるのか?返事に困っていると。「挨拶しておいた方がいいですよ」

 この瞬間、彼は出迎えの部員から私の先輩になった。私は新人アルバイト、彼は中堅アルバイト、部長先生はベテランのパートのおばちゃん。配役はそんな感じ。私は「はあ」とだけ言った。でも、心の中はこの大変な事態に大パニックだった。知り合いでもないのに挨拶しても、ねえ…。

 グランドに着いたら、彼はまず監督のいるネット裏へ。監督は後ろに隠れていた私を見つけてしまった。こわいよ〜、こわいよ〜。それでも、今更引き返すわけにはいかず。私は、“カールのおじさん、カールのおじさん”とおまじないとかけ緊張をほぐしながら、練習を見に来た旨を伝えた。監督は“?”が消えないような顔をしてはいたが、一応了解してくれたようだ。そして、ジャージの先輩に従って一礼して、次なる場所へ向かった。

部長先生はグランドのダグアウトの中にいるらしく、ジャージの先輩はアスファルトとグランドの境目で一礼して、中へ入っていった。私は、「うそん」と思いながらも彼にならってグランドの土を踏みしめてしまった!部長先生はダグアウトの片隅に座っていた。雑誌や本でよく出てきている方だが、実際顔を見るのは初めて。イメージを180%裏切る色白で、めがねをかけていた。不二家のペコちゃん男性バージョンって感じで、小学校のクラスメートだった“まーちん”と呼ばれていた男の子に似ていた。私は、“まーちん、まーちん”と心の中で呪文を唱えながら(“カールのおじさん”とか“まーちん”とか、まったくもって失礼なヤツである)、さっきのコピーのような挨拶をした。練習見学の了承と取ったので、グランドを後にしようとすると、「あなた、名刺持ってないんですか?」と聞かれた。

 はて?名刺。ビジネスカード。
 「持ってません」と答えると、いぶかしげな顔をしながら、「じゃ、いいです」と言われ、それで話は終わった。一体何だったんだろう。グランドに行くのに名刺を持っていくのは常識なんだろうか?ま、確かに突然来て、身元も明らかにしないというのは、よくないといえばよくないのかもしれないなあ。高校野球も今や情報合戦だっていうし、私が他校のスパイではないという証拠もないわけだから。昔の私なら、「これも縁や。何か(仕事とか)につながるかも」と喜びいさんで、10枚500円で作った名刺を渡してたんだろうけど、もうそんな若さないし。ま、身分証明という意味でなら、保険証のコピーがあったんだけど、そんなボケが通じるような雰囲気ではなかったしなあ。

 それから、ジャージの先輩は私をネット裏の「本部室」と呼ばれる場所に連れて、丁寧にお茶まで持ってきてくれた。とても見やすい場所だったけど、ガラス越しで(グランド撮影に大苦戦)、なんか「ここから動くなよ」と言われているような雰囲気だった(そんなことはないのだろうけど、全体に緊張感というかそういうものが張りつめていたので)。「帰りも部長先生に挨拶したほうがいいんですかねえ」。私は不安になってジャージの先輩に聞いた。すると、先輩はややあってから、「そうですね」と答えてくれた。

 グランドではウォームアップが終わり、キャッチホールが始まった。部員たちは、専用の野球場の端から端に散らばっていた。ダグアウトにいる部長から指示が出ると、それをダグアウトに近い部員から、遠い部員に向かって伝言ゲームのように伝えられていく。キャッチボール中に指導が入る練習風景を初めてみた。つきなみながら、やっぱり基本は大事なんだな。

 順応性というもはこわいもので、30分ほど経つと、となりのトラックで別メニューをこなす部員やブルペンにも足を運んでみた。トラックには他クラブの部員もいて、ひときわ目立つ黒人の選手がポツポツと走っていた。

 盛岡で待ち合わせがあるので、限界は1時間。部長先生が見あたらなかったので、近くにいた選手の声をかけおいとました。普段なら練習中の選手には声をかけない。でも、ここは挨拶を大事にしているのがよくわかったので、誰かしらに声をかけておきべきだと判断した。もし黙って帰ったとなると、部長先生への印象が悪くなる。おそらくもう会うことはないだろうから、いいといえないいんだけど、なんかそういうことを許さない人っぽかったし。

 バスが遅れていたので、停留場にいた地元に人に相談して、タクシーを飛ばした。どうにか間に合って、18切符の旅にあるまじき特急電車と新幹線に乗った。急いでたわけはさっきも書いたが、人と待ち合わせをしていたから。盛岡にいる掲示板時代の常連さんである元球児さんと会うためだ。近くの飲み屋に連れて行ってもらい、閉店までしゃべっていた。そのときの話も機会があったら、書いてみたい。