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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2003年07月31日(木)
審判のこと


 梅雨に入る前のこと。練習試合があった。県の審判員が、試合前、審判をする部員を集めて話をしていた。グランドルールのことなど簡単な説明だったが、最後にこう言った。

 「いいか。自信がない判定ほど、きちんとしなさい。アウトなら思い切り拳をあげる。セーフなら腕がはちきれんばかりに水平に広げなさい。曖昧なことしたら、絶対抗議が出るから」

 部員たちは教えを忠実に守った。この日の試合はきわどいプレーが多かった。それもこちら側不利の。スタンドでは、「あれ、セーフじゃ…」という小さな声はあがったが。それが抗議やヤジに結びつくことはなかった。

 そうそう、これは遠征先での出来事だったが、この審判、東山のピッチャーを指して、「この子、前にも見たことあるような気がする。いいや、絶対そうだ。」と言った。確かに去年夏、甲子園で投げてるけど。審判の言葉は続く。「いや、僕が審判してたときに見たんだ。去年の春だったかな?」。そういえば、去年の春、対戦相手はここじゃないけど、この地方には来ている。多分そのときのことだろう。スゴイ記憶力だ。



2003年07月30日(水)
言葉少なになってしまう


 準々決勝西高戦の試合前、「言葉ってそんなにいらないものかもしれない」と思った。

 見覚えのある人から「あ、こんにちは」と声をかけられた。一瞬のことだったので、会釈するのが精一杯だったけど、あとで思い返したらOBの父兄さんだった。現役時代は一言も言葉を交わしていなかった。これがきっかけだったのかもしれない。

 以前は最後の大会だから、話せる限りいろんな話を聞きたいと思った。話せる雰囲気がしたら、一気に切り込んでいた。でも、今年は「こんにちは」と言われ、「こんにちは」と返したあとの言葉が出なかった。目があって、うなずくような表情をして。でも、それが言葉のような気がした。

 そう思うと、すごく気持ちが楽になって、現役OB問わず、知っている父兄さんに、ただ「こんにちは」だけを言いに、スタンドを歩き回った。我ながら、変なヤツやなと思うけど。



2003年07月29日(火)
男子便所コミュニティー


 ここ1,2年、相方と高校野球を見に行く機会が増えた。地方の小さい球場では、一般観客と選手や関係者が同じトイレを使う。その日行った球場のトイレは、トイレというより便所という言葉がぴったりだった。(ここに来たら、ともきちはどうするんだろう)

 試合前、相方がその便所から戻ってきて、いきなりこう言った。「あの監督、便所行ったあと、手ぇ洗わんと出て行きよった」。思わず吹き出してしまった。

 でも、グランドで戦う人とそこまで身近に接することは、残念ながら女である私には無理(市長あたりは、普通に「あるこさんも行ったらいいですやん」とか言いそうだけど)。

 そりゃ、女ですから。女子選手や監督とトイレではちあわせる可能性はあるかもしれない。でも、あそこは最終的には個人の空間になる。だから、男子便所ほど“接する”という感覚は持てない。

 件の監督が率いるチームは、勝った。相方は球場を出るとき、監督がいたベンチの方向に顔を向けて、「便所のあとは、手を洗いましょう」と言った。ほっといたあげぇや、ゲン担ぎなんかもしれんし。



2003年07月28日(月)
涙の理由


 ある人の日記にこんなことが書いてあった。試合後に泣く球児がいるけど、あとになって当の球児に聞くと、「なんで泣いたのかわからない」という。

 これにはすごくはっとさせられました。私は泣いている選手を見て、その理由を考えます。答えは出ないんだけど。何が悔しいのかな。何か残念なのかな。何が辛いのかな。みたいな。

 でも、違うんですね。悔しいからとかいうより、涙が出るから泣くんですね。表象現象なんですね。



2003年07月27日(日)
この夏、出会った人たち


 みんな、何してるんだろうと考えていました。野球をしている選手しか知らないから、野球以外で何をしているのか全くと言っていいほど想像できないんです。例年試合に負けたあとはそんな物思いにふけってしまうのですが。今年は、「3年生何しているのかな」というより、ほんまに「みんな、何しているんだろう」という思いでした。2年生はいよいよ最上級生になる。1年生はぼちぼち本性を見せ始めるころだとか。昨日梅雨明けし、景色はすっかり夏。今日も練習かな?

 今日は相方くんとびわこバレーまでドライブ。山の上とだけあって涼しかったです。でも、なぜか駐車場に車を停めて、ラジオで京都大会の決勝を聞いていました。不思議です。


 「あるこさん?」
 京都大会初日、球場へ向かう階段を上っていると、後ろから声がした。私の夏はここから始まった。振り向くと、OB父兄さん、去年はずいぶんお世話になった方だ。結局、その日はその父兄さんと観戦することになった。独りでなくてよかった。

 同じ日、東山の新OBも見かけた。髪がすっかり伸び、夏休みだから金髪とかの子もいた。でも、面影はやっぱり残っている。中には、今年の朝日新聞の選手紹介の表紙を華々しく飾っている選手もいた。「自分、おいしいとこ取りやなあ」と人に冷やかされていた。彼は困ったように笑うだけだった。

 何日後か、タクシーで太陽が丘まで向かった。ドライバーのおじさんが言った。「よく翔英の子を乗せるよ。週末になると、城陽のグランドまでね。雨の日も、風の日も、いっつも行ってるなあ。ただ、あそこの子が小さいんだよ。背が165とかそこらで…」。球場に着くと、できすぎたドラマみたいに目の前に背番号をつけた京都翔英の選手が歩いていた。すれ違いざまに背くらべをしてみた。目線が私と同じくらいだった。私の身長は165。サンダルはいているのを入れても、170はいかない。

 今年初めての経験だった。3回戦の花園戦でのこと。夏前に練習試合をした相手校の父兄さんに声をかけられた。覚えてくださっていたのにびっくりした。当日は、その学校の試合はなかった。「今日は応援にきました〜」と言ったあと、「うそ」といたずら少年のようにあどけなく笑って、スタンド後方へ。

 花園戦が終わったあと、知らんおっちゃんに、「東山の、あの左の子は2年生か?」と聞かれた。「いえ、3年生ですけど」と答えたには答えたけど、なんで私に聞いてきんだろう。謎だ。それにしても、周りには野村くんを2年だと思っている人が多かった!なぜだ?!

 西京極でちょっと当惑するのは、場内で運営している学校の部員が選手名鑑を売りに回っているときだ。こちらに来られるのも困るのし、野球くらいゆっくり見せて欲しい。これを高野連はどう見ているのだろう気になってならない。あれは労働じゃないのかい?

 球場と言えば、売り子の兄ちゃんとも仲良く(?)なりました。ピアスをつけたホンマいまどきの学生で、彼が売り子じゃなかったら、生涯縁がなかったはず。お茶を買ったとき、私のスコアに興味を持って、話かけてきた。なぜか話やすい雰囲気がしたので、一言二言会話をした。するとずっと相手に傾いていた流れがこっちに戻ってきた。2日後、別の学校の試合を見ていると、兄ちゃんに遭遇。「明日、東山スタンドにおいで。なんか買うわ」と約束した。次の日、第二試合から観戦していたら、その兄ちゃんに見つかった。お茶を買うと、もう1本おまけしてくれた。準々決勝、好カードの目白押しながら、天気が悪く、「全然売れない」と元気がなかった。その上、今年から売り子に女の子が入り、わずかな客も取られてしまうと嘆いていた。でも、ちょっとおしゃべりすると、「行ってきますわ」とくじけず、スタンドを歩き回っていた。「がんばってな」と言って見送ってあげた。それでも、彼は私に一度も「買ってください」と言ったことはない。そういうところも気に入っていた。結局、試合中は「東山スタンドにおいで」と言いながら、兄ちゃんからモノを買う余裕はなかった。でも、試合後、こっちに来て挨拶をしてくれた。「めげんとがんばりや」そう言って別れた。次の日には梅雨が明け、空は青かった。お茶もビールもたくさん売れたに違いない。

 こちらでさん(今では知る人ぞ知るになったかな?)にも会った。教育実習に行き、グランドでノックバットを振り、生徒と関われた経験は、「すごく貴重だし、僕自身が教えてもらうことが多かった。ますます教師になりたいと思った」と話してくれた。

 MAさん(『ベースボール倶楽部掲示板』常連さん)の学校とはよく同じ日に同じ会場で試合をした。そのため、お忙しいのを知りながらも、試合ごとに挨拶に行った。よした方がいいかなとも思ったけど、こういう場所でしか会って話せないから、仕方ない。ほんま一言二言しか話していないが、そういう関係もいいものだと思った。

 市長とも野球観戦した。これまた市長がラブな学校と東山の試合が近く、市長はラブな学校が勝つと、「じゃ、がんばって」と言って帰っていった。次が東山の試合。あれは本人が思っている以上に体にきましたよ。ともきちが夏が終わったので、「チゲ鍋しよ」と言っていました。来週以降で予定はいかがな感じでしょうか?(って、こんなんメールでええやん)

 東山が負けたとき、選手はさばさばしていました。近くで見守っていたOB父兄さんが言いました。「子供らより、親の方が胸にポカンと穴があいたような気分なんやで。私らもそうやった。子供らはいつも前を見てるわ」

 番外。声だけ会った人。ライター・シローさん。声がイメージと違った。ほんま、大阪の兄ちゃんって感じだった。大学の先輩とかにいそうな感じ(すんません)。

 この夏、意外によく会っていたのが、たっちゃんさんかもしれません。試合と試合の合間、「時間ないんですわ」と言いながら、焼きそばをほおばっていた姿はかわいかったです(笑)。
 



2003年07月26日(土)
練習してるかな?


 朝起きて、普通にテレビで京都大会の中継を見ていた。そんな自分にちょっと驚いた。することもないので、山科グランドにでも行こうかなと思った。昨日の今日だけど、やっているような気がして。

 朝ごはんを食べ、ネットして、音楽聴いて…。昼からでいっか。昼ご飯食べてたら、吉本新喜劇が始まった。これ、終わってからでいっか。終わって、さ、出かけようと思うも、何の服着て行こうと考えて、腰が上がらない。もしやってなかったら徒労やしなあ。でも、やってるような気するしなあ。新チーム見たら、抜けた気もちょっとはシャンとするかもしれん。でも、結成一日目から駆けつけたら、ほんまおかしな人やと思われそうやなあ。何事も駆け引きが大事やし。そうこうしているうちに、おやつ食べ、やっぱ行こうかなと思い、立ち上がったら、目の前に読みかけの本があり、そっか読書の秋やもんなあと思い、本を手にまた寝転がったら、もう日が落ちていた。

 …そんなわけで、結局、グランドには行かなかった。ふつつかも者ですが、これからもよろしくお願いします。

 さて、そんな私が今日読んだのは、金城一紀氏の『GO』という作品。すでに映画化されているものだ。作中でこんな言葉があった。主人公が民族学校に通っていた時代を思い出してるところで、バスケットボールの大会で負けたとき、泣いている下級生をコーチはぶんなぐって、言った。「(前略)人前で泣くな。泣くなら部屋で独りで泣け」。でもって、主人公も終盤恋人に、「オレは人前で泣けない男(人間、だったかな?)なんだ」と言っていた。

 そういや、京都韓国学園も民族学校だ。昨日試合に負けたあと、彼らは泣いていただろうか。



2003年07月25日(金)
ラストシーン


 2回裏、先頭バッターの打球はふら〜っと、それでいて力強くセカンド後方へ飛んだ。セカンド・北山選手がバックする、バックする…。後ろからライト・今堀選手もボールを追って前進。しかし、間に合わず。ボールは無情にも芝生の上に落ちた。ランナーはすでにセカンドベースに達していた。

 試合は負けた。2回に3本の長打を集められ3失点、7回には2本のヒットにボークも絡んで1点を追加され、ダメ押しは8回の押し出し四球だ。なんて効率のいい攻撃なんだろう。一方の東山は、12本のヒットに2つにエラーをもらいながら、取った点は1点のみ。ノーアウト満塁から併殺間に入ったもの。究極の拙攻と書いたら叱られるかな。

 悲壮感とかあるかもしれないと思ったが、試合後球場出入り口に姿を見せた選手たちの表情は明るかった。父兄さん、OB、ファンなど多くのギャラリーの前に選手が整列し、高橋キャプテンが挨拶。

 「ぼくたちのチームは不祥事があり、辛いこともあったけど、部員が辞めないで最後まで続けられてことがうれしかったです。3年生でベンチに入れないヤツもいたけど、みんな、応援してくれて…。試合には勝てませんでしたが、悔いはありません。今までありがとうございました」

 本当に晴れやかな顔だった。

 そのあと、記念写真の撮影が始まった。「はじけようけぇ」の声があがり、みんなざわめきはじめた。父兄さんのデジカメから、女子高生のカメラ付き携帯まで、選手たちには複数のレンズが向けれた。「こっち向いて」「こっち向いて」とあちこちから声があがる。被写体の選手たちは、「どこ見てええかわからん」「カメラ多すぎ〜」とか言いながらも、きっちりサービスポーズを決めた。一歩離れたところで、なんとも言えない優しい笑みをした監督がそんな選手たちをじっと見守っていた。

 ひとまずキリがつき、ギャラリーがカメラや携帯を片づけたころ、選手がまたパフォーマンスを始めていた。みんなで何か叫びながら、帽子を一斉に空に向かって放ったのだ。安っぽい青春ドラマみたいやなと思いながらも、白い雲をバックに舞った帽子の残像は脳裏にしっかり焼き付いてしまった。

 そうしてパフォーマンスは終わり、選手たちは特別ではない試合後の姿に戻った。服を着替えたり、パンをほおばっていたり、家族と写真を撮っている選手もいた。そのとき、声が聞こえてきた。

 「あれは、オレが(捕りに)いったろって思ってたら、ヤスオがな…」。
 セカンドの北山選手だ。誰かに話しているようだ。彼はいつも明るい。でも、あれが試合の明暗をわける大事なシーンだったんじゃ?!それを、「こないだおいしいラーメン屋見つけてん」みたいな感じの軽やかな口調で話していたのだ。そんなん聞いてたら、なんか、「ま、いっか」って思えた。

 落ち着いた選手たちは、再び球場に入った。すでに次の試合が始まっていた。


<準々決勝> 東山 1−5 京都外大西 (西京極)



2003年07月24日(木)
あるこの野球な一日


 今日は、市長と一緒に野球観戦。市長がラブな福知山の高校も、東山も出ないので、のどかなもの。お昼は市長お手製の焼きそば(美味!ボリュームもあり、男料理はいいね。ごちそうさま)をいただき、ビールをかっくらった。暑い球場で飲むビールはうまいっ。

 今日も売り子がスタンドを歩き回っている。おとつい、お茶を買った若い男の子と目があって挨拶された。スコアをつけてる私が異様だったのか、よく覚えていたらしい。せっかくなので、今日も買うことにした。彼から買うと東山に得点が入ったので、「明日も来てるの?東山スタンドにおいで。何か買うわ」と調子こいてしまった。若い子にこういう勢いで話すようになると、私ももう…。

 3試合見ました。共通したこと。不利を言われていたチームが中盤まで健闘したものの、1つのミスから崩れて相手にビッグイニングを献上してしまったという試合展開。

 第一試合は、10−2で西高の勝ち。対戦相手決定。印象的だったこと。7回、西が伝令を出したときに、エース大谷くんが露骨にいやがる仕草をしてたこと。オレが投げるという主張か。山城の二番手河野投手。1年生らしい。マジか。洛水の瀬尾くんともども注目だ(違ったらごめん)。ちなみに、山城うちわは無事返却しました。

 第二試合は、6−0で立命館宇治の勝ち。中盤まで1−0。しまった試合。東稜、ふんばるも、終盤に集中打を浴びてしまった。守るのは守るが、どうやって得点しろというのだ、立宇治のあのピッチャー…。

 第三試合は、6−1で鳥羽の勝ち。力身くんすごい。前から評判にはあがっていたけど、実際見て初めてそう思った。ピッチャーも安定しててよかった。南京都の応援は、「かっとばせ〜○○、南高ファイト〜オ〜」というのがあった。無形世界文化遺産に指定して今後も保護して欲しい。応援席にイカシした(?)兄ちゃんがいた。市長いわく。売店に行ったとき、店に人に、「ポカリ?アクエリアス?どっちでもええ。甲子園じゃっ」とシャウトしてたらしい。売店のおばちゃんは、甲子園をくれなかった。南京都の選手は、グランドで比較的正直に気持ちを表していたように思う。打たれるたびに、マウンドの土を蹴るピッチャー。三振した瞬間に思わずバットをたたきつけてしまうバッター。真の意味で高校生の本来の姿って、こんな感じじゃないのかなと思う。だって、くやしいやん。

 



2003年07月23日(水)
片隅にあった“夏の現実”


 ある日、試合中、飲み物を買いに売店行った。階段を降りると、片隅にユニフォームを着た選手とショートカットの女の子がいた。選手に背番号はない。首にタオルを下げていた。階段に腰掛けて、壁にもたれている女の子と話していた。女の子は聞き役だった。選手も女の子もダルそう表情をしていた。暑いので、ここで涼んでいるようだ。

 こんなことあるんだ…。
 私は立ち止まってしまった。わりと近距離だったが、2人は私の存在に気づいていなかった。階段の向こう側、炎天下スタンドでは彼と同じユニフォームを着た、やはり背番号のない選手たちが声を嗄らして声援を送っていた。部員がたくさんいるチームだから、1人くらい抜けたってわからない。さぼりたくなる気持ちは、わからなくもないけど…。

 終盤、そのチームはピンチを迎えた。一打逆転である。スタンドをじっと見た。あの選手はどこにいるのだろう。いてもたってもいられなくなって、さっきの階段に向かった。あそこにいたら、このチームは負ける。いなかったら、勝つ。そんな気がした。

 駆けつけると、そこには人っ子一人いなかった。チームはピンチをしのぎ、球場に校歌が流れた。



2003年07月22日(火)
あるこ@西京極球場 in July 22th


 もう何から書いていいかわかりません。明日の新聞か、『ベースボール倶楽部』さんの観戦記をごらんください。

 試合が壮絶だと、いっぱいいろんなことが書けると信じて疑わなかったのですが、今は全く書けません。

 ずっとリードはしてたんですがね。攻撃や走塁はちょっとチグハグだったかなという気もしなくはなかったです。でも、ピッチャーがすっっっごくよかったので、どこかで安心していたのかもしれません。

 9回裏、追いつかれ、なおもピンチのとき、脳裏に選手がグランドにうずくまっているシーンしかうかばなくて、一生懸命かき消そうと必死でした。なんか泣きそうになりました。

 11回表は、なぜかすっと気持ちが冷めました。負けるんだろうなと。でも、それを素直に受け入れられる。そんな気にすらなっていました。

 そう思った矢先、12回に入った決勝点。9回裏ツーアウトランナー無しから、ショートのエラー(東山ファンの心得1「エラーが出てこそ東山」(怒られんで))で、ランナーが出塁。そのショートが、12回表に先頭バッターとしてスリーベースヒットを打ち、決勝のホームを踏みました。インタビューでは、「帳消しになったので、よかったです」と話していたそうです。

 12回裏、ピッチャーとサードが変わりました。泣かせる采配です。最後のバッターはサードゴロでした。4−3。延長12回。疲れた。もうイヤ、こんなチーム。

 試合が終わるや否や、頼まれていた人に速報メールをしました。支離滅裂だったらしく、勝ったか負けたかわからないと5人中5人から言われました。

 最終試合だったこともあり、選手や父兄さんはスタンド内のごみを拾っていました。うちわの紙切れが多かったです。みんな興奮してうちわをボロボロにしてしまったのでしょう。かく言う私もそうです。

 球場を出ても、興奮冷めやらずって感じでした。まもなく選手が出てきました。みんな明るい顔をしていました。うれしそうな顔をして、彼女か友達か知らないけど、制服を着た女子高生と話す選手もいました。ちっ、ばかみたい。泣きそうになった気持ち、返してくれや(笑)。


☆試合の簡単なテーブルスコアを書いておきます。あくまで、私個人のつけたスコアですので、目安程度にごらんいただけると幸いです。(選手名は敬称を略させていただきました)

東山  100 001 100 001 4
立命館 000 010 002 000 3

<1回表>東山先攻 
那谷→右安、安田→犠打、今堀→二ゴロ、井上→中安(三塁ランナー・那谷ホームインで1点)、森永→右安、高橋→投ゴロ

<1回裏>立命館後攻 
勝田→三ゴロ、森田→遊ゴロ、清水→一ゴロ

<2回表>
深井→死球、北山→三振(スリーバント失敗)、木村→左飛(一塁ランナー戻れずスリーアウト)

<2回裏>
中川→三振、川村→二ゴロ、梅原、右飛

<3回表>
那谷→遊ゴロ、安田→中安、今堀→左安、井上→遊ゴロ併殺

<3回裏>
広瀬→三振、名知→二ゴロ、吉田→四球、勝田→左飛

<4回表>
森永→二ゴロ、高橋→三振、深井→二内安(盗塁失敗でスリーアウト)

<4回裏>
森田→四球、清水→左安、中川→三ゴロ(二塁ランナー三塁で封殺)、川村→右安、梅原→投ゴロ

<5回表>
北山→遊ゴロ、木村→右飛、那谷→中安、安田→三振

<5回裏>
広瀬→三振、名知→右安、吉田→犠打、勝田→左安(二塁ランナー名知ホームインで1点。その後、打者ランナーはタッチアウト)

<6回表>
今堀→左三、井上→右犠飛(三塁ランナー・今堀ホームインで、2点目)、森永→四球(代走・竹下)、高橋→犠打、深井→投ゴロ

<6回裏> 東山 5→3深井、5岡本
森田→遊ゴロ、清水→四球、中川→右安(代走・佐藤)、川村→右安、梅原→遊ゴロ(ファーストランナー、二塁でアウト)

<7回表> 立命館 7佐藤
北山→左三、木村→左飛、那谷→遊ゴロ(三塁ランナーホームでアウト、打者ランナー盗塁で二進)、安田→左二(二塁ランナー・那谷ホームインで3点目)、今堀→一ゴロ

<7回裏>
広瀬→三振、名知→四球、吉田→右飛(一塁ランナー戻れず、スリーアウト)

<8回表>
井上→遊ゴロ、岡本→二ゴロ、高橋→遊ゴロ

<8回裏>
勝田→四球、森田→二ゴロ、清水→三振、代打・片山→死球、川村→三振

<9回表> 立命館 7宗平
深井→遊ゴロ、北山→右飛、木村→左安、那谷→二ゴロ

<9回裏>
梅原→遊ゴロ、広瀬→三振、名知→遊失、吉田→死球(臨時代走・広瀬)、勝田→中安(二塁ランナー・名知ホームインで2点目)、森田→四球、清水→四球(押し出しで3点目)、宗平→三振

<10回表>
安田→三ゴロ、今堀→二ゴロ、井上→三内安、岡本→四球、高橋→三ゴロ

<10回裏>
川村→三振、梅原→右飛、広瀬→見逃三振

<11回表>
深井→二直、北山→三内安(バントヒット)、木村→一邪飛(一塁ランナー戻れずスリーアウト)

<11回裏>
名知→三振、吉田→四球、勝田→左安、森田→四球、清水→三振、宗平→三振

<12回表>
那谷→右三、安田→中犠飛(三塁ランナー那谷ホームインで4点目)、今堀→投ゴロ、井上→左二、代打・河原→二ゴロ

<12回裏> 東山 1野村、5田中
川村→四球、梅原→三振、広瀬→犠打、名知→三ゴロ



2003年07月21日(月)
コールドの夏


 4月初めの練習試合、グランドには監督の怒鳴り声ばかりが響いていた。「タラタラせんと、ダッシュで戻ってこいやっ」、「道具を放り投げるヤツがあるかっ、ちゃんと直しとけ」。

 このチーム、大丈夫なんだろうか。それが、私が抱いた今年の東宇治高校に対する印象である。試合後、春になってから、練習試合で一度も勝てていないんだと聞いた。

 ところが、夏の大会では、2−1の接戦で初戦を突破。次の対戦相手は、京都外大西高校だった。初回、連打でいきなり先制したときは、「ひょっとして」とも思わなくはなかった。随所に、「おっ」と前のめりになって見入ってしまういいプレーもあった。でも、現実は2−10。7回コールドだった。

 選手は飄々としていた。初回は、「よしゃ、いけるで〜」と笑顔であふれていたが、回が進むにつれ表情がなくなってきた。でも、三者凡退に抑えた5回には、また笑顔。グラブをたたき合わせる選手もいた。髪型の規制は緩いのかもしれない。普通に丸坊主の選手もいれば、球場出て駅前のロッカーで私服に着替えれば野球部員だとはわからないだろうなという選手もいた。「選手も普通の高校生」、その言葉をすごく近く感じた。

 試合終了後、ホームベース前で、相手校と握手をし、選手がベンチに戻ってきた。ネクストバッターズサークルにはバットが残っていた。「そこ、バット持ってこい、バットや」。監督が2,3回声をかけてよくやく気づいた選手がバットを手にダグアウト前に戻ってきた。「整列して」「脱帽して」、もたつく選手に監督からの指示が飛ぶ。怒鳴り声ではなかった。不思議とほほえましく思った。

 球場を出ると、すでに選手たちは外にいた。中には、ズボンを腰ではいた私服姿の友人らしき高校生か若いOBも紛れていた。「なんや、号泣するのを見るの、期待してたのに」という私服の子に、“それは甘いで”と言いたげな笑顔で応える選手。「オレ、(アナウンスで)名前間違えられたわあ」とぼやく選手。

 数十メーター向こうには相手校の選手がバスの乗り込むところだった。そこにキャプテンがいたようだ。私服の子が冷やかして言う。「うひょ、握手してる。か〜んどうっ。さすがキャプテンや」。

 そんな中でも、泣いている選手はやっぱりいて。涙は見ていないけど、周りの子がなぐさめていたから、多分そうだろう。肩や肘にアイシングをしていたから、ピッチャーだと思う。ピッチャーは今2年生だ。

 そういえば、こんな声を聞いた。「来年は強くなるぞ、俺ら」。


<3回戦> 京都外大西 10−2 東宇治 (西京極)




2003年07月20日(日)
あるこ@西京極球場 in July 20th


 球場に着いたら2回裏だった。今日はともきちと2人で観戦。でも、ともきちは用事があるため、10時半までしかいれないという。試合はリードしていたものの、なんか煮えきれない内容で、ずっと下腹が痛かった。死球の出し合いに、スコアに記録し辛い得点経過(挟殺プレーの間にホームインとか)。何かを試されているかのようだった。

 今日のファインプレー大賞は、センター高橋選手。6−3で迎えた6回表、ツーアウト満塁で、バッターの打球が右中間に。やばっと思ったら、センター高橋選手が精一杯伸ばしたグローブの中にボールが収まっていた。スリーアウトチェンジ。一塁側拍手喝采。私とともきちも例にもれず。“高橋くん、今日はかっこいいで!”…それはともかく(汗)。あの打球が抜けていれば、最低でも2点は入ってたし、試合もどうなっていたか。ああ怖い。

 7回が始まったころ、ともきち撤収。高橋くんの打席が見たかったと名残惜しそうだった。あ〜、私を一人にしないで。新手の放置プレイや。とてもそんなこと言えないので、「気ぃつけて」と笑顔で(?)ともきちを見送った。1人で試合を見るのはしんどい。誰かと話していれば気が紛れていいのに。話す相手がいないのは辛い。しんどい試合はよく、「胃が痛くなる」と言われるけど、私の場合、循環器と下腹がきゅーっとくる。となりの家族連れが食べる焼きそばの匂いにえずいてしまった。カレーもあかんかった。血の気が抜けていくような感覚になる。意識が飛ぶんじゃないかとすら思うときがある。なんでだろ。

 6回途中から、ピッチャーは木村投手から野村投手へ。たぶん、予想より早い登板だったのではないかと思うけど、彼のストライク投球はなんか気持ちがいい。空振りで取るストライクが多いという印象がある。でも、打たれるときも気持ちいいくらい打球が飛んでしまうのだけど。最終回にタイムリーを打たれて2点を失うも、最後の打者をサードゴロに仕留めた。スコアは8−5。サードは途中から、1年生の岡本選手に替わっていた。1年やのに冷静やなあと思うも、試合出たらそんなん関係ないんやろなと思い直した。



☆世界一どうでもいい情報の追加と訂正

5番サード深井選手→サウスポー(訂正分)
7番ピッチャー野村選手→檜山の応援歌(♪この一打にかけろ〜)
9番ピッチャー木村選手→ただいま調査中(なんやったっけ?聞いたことあんねんけど〜)




2003年07月19日(土)
届き遅れたメール。携帯速報。うちわ。


 朝、布団の中でむにゃむにゃしていると、電話がかかってきた。ともきちからだった。ずいぶん慌てた声だった。何事だろう。

「ごめ〜ん。今日試合やねんなあ?昨日遅かったから、家帰って携帯持ったまま、寝てしもて。急いで行くな。でも、遅かったら先に行ってて」

 あ、そうなんや。今日が試合やと思ってたんか。でも、『試合は20日の9時西京極です』と確か夜にメールを入れたんやけど。その旨を彼女に伝えると。

「メール、今来たんや。9時って書いてあったから、慌てて…」

 よくある話だ。夜などサーバーが混乱している時間帯に送信すると、びっくりするほど時間がかかって相手方に受信されるときがある。遅いっちゅーねん!その上、彼女も慌ててたのか、時間しか視界に入ってきてなかったようだ。

 とにもかくにも、順延が分かった地点で彼女に連絡するべきで、全く自分だけでわかったまま行動していた。すまない。ともきちは、「じゃ、もう一回寝るわ」と言って電話を切った。

 その後、私は布団から出たものの、何する元気もなかったので、家でごろごろしていた。ときおり、本を読み、市長とメールのやりとりをし、その間に携帯で京都大会の速報を何度となく見た。そこまでして結果を知りたい試合があったわけでもないけど、することがなかったから。

 夏の大会、大抵の学校で見かける校名入りうちわ。最近は試合が終わったら返すのが主流らしいが、どさくさに混じれて我が家には数本ある。東山のうちわが大半をしめるのだが、山城高校のうちわがあるのはなぜだろう。(ユニフォーム、好きだけど)

 最後に山城高校の試合を見たのは、2年前。東山の対戦相手だった。だから、うちわをもらうということはまずありえない。どういういきさつで今ここにあるのだろう。不思議に思いながら、居間でパタパタしていた。

 何回目かの速報で山城高校が勝ったことを知った。なんとなくホッとした。うれしいとはちょっと違う感情。うちわは返した方がいいなと思った。



2003年07月18日(金)
ある夫婦の決戦2日前


 夕方から、高校時代の友人ん家に遊びに行った。夜に旦那さんが帰ってきて、赤ちゃんと計4人で近くの居酒屋に行った。

 旦那さんは、高校野球の監督をしている。“大事な時期やし、他人がしゃしゃり出るのはどうか”という配慮も考えなくはなかったが、“現役の指導者の話が聞きたい”という好奇心に負けてしまった。

 居酒屋は行きつけの店で、試合前にはいつも、タン塩、鶏ポン、唐揚げを頼むのだという。今日も例にもれない。

 話は、やっぱり野球になってしまう。今のチームのこと、ご自分の子供のころのこと、スコアのこと…。私にはどうあがいても見えない世界だから、いくら聞いてもあきることはない。そのうち、友人をほったらかしにしてしまうので、いつも申し訳ないなあと思っているが、今日もやっぱり同じことを繰り返してしまった。

 飲んでるとき、旦那さんがふと友人に言った。「20日は、オレら勝負やねんな」。旦那さんのチームは西京極で試合、友人は市内の女子大学で教員採用試験に挑む。

 友人は、「全然、勉強してへんねんかぁ。でも、願書出したからなあ…」と言い、旦那さんは、「“負けていい”と思ってグランドに立つヤツはいない。いつもどうしたら勝てるかを考えてる」と言った。



2003年07月17日(木)
あるこ@宮津市民球場 in July 16th


 宮津市民球場に着いたのは、8時半。行きしな、五条通で追い越したはずの東山バスに追い抜かされてた。

 球場に入ると、見覚えのある父兄さんから声をかけらえた。挨拶程度のものだけど。ま、こんな時期にここまで来る非関係者はうちらくらいもんだろう。今日もおかしな人見参。あきらめてください。

 しばらく迷ったあげく決めた観戦場所につくと、OB父兄さんから声をかけられた。そういえば、予定が狂わなかったら、宮津に行くとおしゃっていたっけ?去年、応援してもらったお礼に今年は応援しに行きたいんだという言葉が印象的だった。なんかほっとした。夏の大会で見かける現役選手の父兄さんは遠い。さよならの季節なんだと静かに感じとってしまう。でも、OB父兄さんは違う。孤独感を紛らせしてくれる人もいる。

 久しぶりに応援団の側での観戦。2年ほど前から、ダンスを取り入れていて、なかなか見がいがある。ここで、世界一どうでもいい情報。スタメン選手に使われていた曲を紹介します。後日変動の可能性はあるでしょうけど。

1番ショート那谷選手→(去年に引き続いて)タッチ
2番レフト安田選手→うる星やつら(♪あんまりそわそわしないで〜の方)
3番ライト今堀選手→どか〜ん(去年の関選手のヤツですね)
4番キャッチャー井上選手→宇宙戦艦ヤマト
5番ファースト森永選手→岡島のテーマ(京都翔英さん、ひょっとしてこれ使ってません??)
6番センター高橋選手→近鉄ローズ選手(?)の曲。タオルダンスのあるの。
7番サード深井選手→アラレちゃん?(ちょっと自信ないです)
8番セカンド北山選手→巨人の応援曲らしい。(♪打て、打て、お〜とか言ってました)

 今年は、必殺仕事人も狙い撃ちもないじゃないかぁ。シクシク。

 …気持ちを切り替えて。試合です。

 初回、いきなり2点を先制されました。夏の大会の初戦です。立ち上がりくらい堅くなるでしょ。でも、3回に深井選手の逆転タイムリースリーベースが出るまでは、心配だったなあ。結局、中盤以降は余裕の展開にはなったのですが。

 6回には代打の切り札・河原選手登場。初球をたたき、鮮やかなタイムリーツーべースヒット。スタンドはさらに盛り上がりました。それにしても、よく打ちます。すごいです。その後はいつも代走が出されます。いつもは3年生の西川選手だったのですが、今日は2年生の竹下選手でした。ピッチャー登録だと思うのですが。こんなシーンにさえ、なんか妙な切なさがこみ上げてきました。

 7回は、ピッチャーが木村投手から野村投手に代わりました。ぐいぐいいくというか。ストライクがポンポン入りました。勢いがあるというか。でもって、結果からの判断ですが、キャッチャーはそんな彼を盛り上げながらも冷静にリードしているという印象を持ちました。二者連続三振のあと、内野安打を打たれてしまいました。ピッチャー横に転がる打球だったのですが、投手も、カバーに入ったファーストもちょっと動きにぎごちなかったです。“なあなあ、ひょっとして三振ねらってたんちゃうん?”と意地悪して聞きたくなりました(笑)。結局、次打者は三振でゲームセットだったのですが。

 相手校にバントとスクイズの失敗がありました。もし、これが成功していたら、いきなり4,5点を取られていたかもしれません。そうしたら、焦ってしまって…という展開もあり得なかったわけではなく。何はともあれ。ホッです。

 試合途中、長老から電話がありました。「ここで負けたら困るわ」とおっしゃっていましたが、やっぱし気になってたんですね。

 試合後、世界一早い速報をメールで送りました。だって、最後のバッターが三振し、主審がアウトの拳をあげた瞬間に送信ボタン押したんですから、早いでしょう。

 第二試合には、市長が愛する福知山にある学校が登場。相手の学校も見たかったので、残りました。相方はドライブと試合展開の疲れからか、「寝るわ」と言って、スタンドに寝っ転がりました。いびきとかかいていました。こういう寝方してると、夢の中に野球が出てくるんやろな。

 次の対戦相手は花園高校に決まったようです。7月20日。お休みですが、教員採用試験の日です。

<おまけ「宮津市民球場」>

球場のスコアボードにちょっと珍しいものがありました。
H(ヒット)のランプの横に、2,3というランプもあり、これは長打が出たときにつきます。
2なら二塁打、3なら三塁打、みたいな感じで。
長打は、単打+送球間とホンマに長打の二つがあり、素人がスコアをつけてると判断に難しいときがあるので、とても便利な機能だなと思いました。

あと、不思議だったのが。
球場の下にグランドがあります。そこで試合前の選手がアップしているのですが、そこにはグランド整備の車が入るのに、肝心な球場は選手たちや球場運営の先生方がトンボで整備していました。
見ていた第一試合では、両校の背番号にない選手や、控えの選手、はたまた次の試合の福知山成美の選手までもがグランドであいまみれて(?)いました。車があるのなら、上でやればいいのに、なんででしょ。
 
 



2003年07月16日(水)
目線

 相手打線に5点目を許したとき、エースはマウンドから退き、ライトの守備位置についた。

 洛陽工業のエース・川勝投手は、強打線・福知山成美を相手に、健闘を見せていた。上半身だけで投げてる印象もぬぐえなかったが、それがテンポの良さを生んだのか、ど真ん中に近いボールを投げ込み、体格のいい相手バッターがボールを見送るという場面を時折見受けた。

 ところが、4回あたりから、マウンドで土を蹴る仕草が目についた。相手打線がライナー性の打球を飛ばし始める。5イニングを投げて被安打6本は、決して打ち込まれているとはいえない。でも、得点は着実に加えられていく…。

 そして、ついにマウンドを降りることになったのだ。ライトの守備位置についた彼は、まっすぐ前を見つめていた。マウンドである。代わったピッチャーの投球練習が終わっても、一度もうつむくことはなかった。

 打たれはしたけど、彼は自分の投球に納得したのではないか。そうでないと、自分がいないマウンドを、あんなまっすぐに、じっと見入ることなんてできない。そう思った。

 そういえば、一度だけ、後を向いて、何かじっと見ていた。そこにはスコアボードがあった。


<2回戦> 福知山成美 7−0 洛陽工業 (宮津)



2003年07月15日(火)
記者バッジ


 知人に記者バッジをつけて、活動している人がいる。試合後、彼と球場出入り口付近で立ち話をしていた。

 スタンドを後にする野球部員は彼に向かって会釈をした。 父兄さんがお茶を持ってきて、「○○高校です」と自らのチーム名を名乗った。その日試合に勝ったチームなので、私は「おめでとうございます」と言ったのだが、その場の空気で、素人姉ちゃんのお祝いの言葉など必要としていないことを悟った。父兄さんは、私の隣にいた知人にアピールしていたのだ。

 なんか急にいろんなことがアホらしくなってきた。

 もし、彼が記者バッジをつけていなかったら…。当たり前だけど、野球部員が会釈することも、父兄さんがわざわざお茶を持ってくることもなかっただろう。記者バッジのない彼は、一人の熱心な野球ファンである。でも、充分魅力的な人だ。

 記者バッジがあるからすごいのではなくて、彼だからすごい。件の野球部員にも父兄さんにもわからないけど、私にはわかる。だから、いいや。うふふふ。



2003年07月14日(月)
二度と戻らない夏


 どうして負けたチームに目がいくのだろう。

 試合が終わったあと、三塁側ベンチをじっと見ていた。陣取っていた網野高校は敗戦チームだ。スタンドへのお礼の挨拶を終え、ベンチに戻ってきた選手の取った行動は2つに分かれた。うなだれる選手と、そんなチームメートに肩をたたきながら何か言葉をかけている選手。後者には3年生が目立った。自分たちの3年間に満足したのか、後輩を心配してのことなのか、それともこみ上げてくる感情から気をそらしたかったのか…。答えは出ないけど。

 いつまでも立ち上がれない選手がいた。2年生の澤尚徳選手である。ベンチに戻ってきたときもうつむいてはいたが、戻ってきたあと、オレンジ色のシートに座り込み、動かなかった。顔を伏せ、手は時折かぶっていた帽子を握りしめてた。

 縦にも横にもひときわ大きい彼は、スタメンで唯一の左バッター。4番に座っていた。太股のたくましさが印象的で、チームの誰よりもユニフォームが汚れていた。残念ながら、ずっと試合を見ていたにもかかわらず、いつ彼のユニフォームが土色に染まったは気づかなかった。守備位置はファースト。

 一体彼は何を悔いているのだろう。6回、ツーアウトながらランナーがいたときに打てなかったことか、2度あった低すぎた送球がグラブの下を抜けていったことか。最終回に三振したことか。それら全部なのか。

 でも、2回にはチーム唯一となる長打を打った。あの打球はよかったよ。良く飛んだよ。むろん、そんな言葉は届かない。

 ベンチでは後かたづけが進む。彼はまだ動かない。ときおり、部長先生や先輩が声をかける。それでも、立ち上がる気配はない。やがて、ベンチの片隅に彼一人の空間ができた。

 どれくらい経っただろう。ベンチはきれいに片づき、彼以外の選手はすでに姿を消していた。部長先生が彼の脇を持ち上げ、立ち上がるように促すと、彼はようやくのそのそと立ち上がった。彼を支える部長先生の腕に重さを感じた。

 2年生だから、来年があるじゃないか。そう言って励ますのは簡単かもしれない。来年飛躍した姿を見せるかもしれない。でも、この夏をやり直すことはできない。それは、3年生も下級生も同じだ。


 <1回戦> 京都翔英 4−1 網野 (西京極)



7月14日 1回戦 (西京極第三試合)

京都翔英 001030000 4
網野   000000010 1

(翔)前澤ー渡部 (網)末次ー安積


『網野高校の小田監督は、「今日はなるだけ指示を出さないようにしようと思っています。何を求めているか、もうそろそろわかってくれる時期ではないでしょうか。」 内野の守備には相当の課題があるそうで、「内野ゴロが飛んだら、拝むだけです」、そう話してくださいました…』

試合前、右後方からラジオのアナウンサーの声が耳に入ってきた。振り向くと、小太りな男性が、背筋を正して、グランドを少しでもよく見ようと前傾姿勢をとっていた。ラジオのアナウンサーは、目に映るありとあらゆるものを言葉でもって伝えないといけない。これから戦いが始まるのは、選手だけではないんだな。そう思った。

序盤、網野・末次投手に四球が目立ちピンチも多かったものの、失点は3回に京都翔英・渡部選手に浴びたセンターオーバーのタイムリーツーベースによる1点だけだった。

5回表だった。
一死一三塁。末次投手が一塁へ牽制球を投げた。翔英のファーストランナーがつり出された形になった。
刺せるっ!
ところが、送球されたボールは、ファーストのグラブの下を抜けていった。平日で閑散とした場内だったが、このときはうわぁーっと沸いた。三塁ランナーの納谷選手が「もらった!」とばかりにスライディングでホームイン。そのあと、何かを思い出したかのように網野高校にミスが続いた。これまでも、そしてこのあとも堅実にゴロをさばいていたショートがよもやのトンネル。続いて、キャッチャーのパスボールで3点目、そして犠牲フライで4点目が入った。

このあと、どうやって気持ちを切り替えたかはわからないが、これといったピンチはなく、内野陣もしっかり打球をさばきアウトを重ねていった。そして、8回裏には8番・澤伊織選手、9番・末次選手の下位打線が連打で出塁し、2番・吉岡直紀選手のセカンドゴロの間に1点を取った。京都翔英サイドの点差を考えた守備だろうが、それでも1点は1点だ。

結局、9回は三者凡退。エラー「2」が、網野高校にとって多いのか少ないのかはわからない。

京都翔英は、新チーム結成後初の公式戦白星を手にした。先発はエースでキャプテンの納谷投手ではなく、前澤投手だった。1点を失ったものの、変化球がよく決まり、10個の三振を奪う好投を見せた。
 



2003年07月13日(日)
雨の音


 ランナー1人を置いて、平安高校の選手の打球は左中間のフェンスを越えた。あまりに唐突なことで、電光掲示板のスコアも『2x』と出すのにしばらく時間がかかった。また、三塁側海洋高校のベンチも戸惑っていた。ただ一塁側平安高校だけは、冷静にコールドゲーム成立を判断し、ベンチから小走りで整列した。

 海洋高校ベンチが事態を把握し、ホームベース前に集まった。そして、勝った平安高校の校歌が流れた。その後、両校、スタンドの前に一列に並んで、礼。すると、何事もなかったかのように、場内の人々は移動を始めた。

 静かだなと思った。空が暗いからかもしれない。いつもなら見受けるエール交換もなあなあで流れた様子。私は外野フェンスの向こう側にいたのだが、周りの観客も一人二人と球場を後にし始めた。雨の音だけがしずしずと響いていた。小雨の音がこんなに耳につくなんて。

 第三試合の中止を聞いて、私も球場を後にした。すると、側にある屋根の下のベンチに負けた海洋高校の部員たちがいた。泥だらけになったユニフォームで呆然とする選手。赤い目でインタビューに答えてる選手。柱に身をあずけ、体育座りのまま、突っ伏せて泣いている選手…。じっと見つめていたいような、目をそむけたいような…。

 周りには、側のグランドで草野球に戯れていたユニフォーム姿の男性や、制服を着た女子高生が雨宿りをしている。中は満員御礼。

 夏が終わる。高校球児にとって特別なときくらい、彼らだけに切り取られた空間をあげて欲しかった。雨がうらめしい。


<1回戦> 平安 11x−0 海洋 (太陽が丘)




2003年07月12日(土)
笑顔

 洛水高校の背番号「1」を背負う立本隼選手は、前日の夜、帽子を差し出して、兄に「何か書いて」と頼んだ。兄は、昨夏東山高校の選手として甲子園に出た立本将選手。現在も京都学園大学で野球を続けている。兄は、そこに「笑顔」の二文字を書いた。試合前、親御さんから聞いた話。

 東山高校の新OBや父兄さんも、「立本さんや立本選手を応援しよう」と球場に駆けつけていた。かく言う私も、そのクチである。駅から球場に向かうスロープで偶然会ったOB父兄さんと、「考えてること一緒なんやなあ」と笑いあった。

 立本選手は、7番レフトでの出場。先発マウンドは1年生に譲る形となった。試合は静かに展開したけど、思ったよりのめり込んで見ることができた。結局、1−2で、彼の2回目の夏が終わった。マウンドに立てず、ヒットも打てなかった。ゲームセットの瞬間は、ネクストバッターズサークルで迎えた。うつむいてた。

 兄が書いた「笑顔」は、“勝って笑顔になれよ”というより、“どんなときも笑っていろよ。そしたら結果はついてくる”そう言っているように思う。


<1回戦> 西城陽 2−1 洛水 (西京極)


7月13日 1回戦 西京極

洛水  000100000 1
西城陽 00020000X 2

(洛)瀬尾ー小松
(西)塩田ー辻

先制したのは洛水。
4回、4番・林選手がヒットで出塁し、続く5番・荒野選手にセンターオーバー(だと思います)のツーベースが出て1点を入れました。

その裏、西城陽は、3番・古川選手がヒットで出塁し、4番・橋本選手が送りバント、6番・中村選手が四球で出塁して、ツーアウト一三塁(古川選手が三盗)。
ここで、7番・塩田選手にライト線を襲うタイムリーツーベースが出て逆転。
その後、両校ピンチもチャンスもありましたが、最後の一押しができず、スコア2−1でゲームセット。

西城陽の先発・塩田投手は、終盤どんどん勢いがついていたような印象があります。最後は二者連続三振で締めました。
評判通り、安定感のある投手だなと思いました。

洛水は公式戦初登板の1年生瀬尾投手。
ボール球が多く、フラフラしていた感も否めませんが、シード校西城陽相手に崩れずに投げきりました。

チャンスをモノにしたたった1回。
ランナーの数の違いが勝敗を分けたなあ。そんな気がしました。

洛水の秋が始まります。
秋の対戦相手は、京都成章だそうです。
いい試合になるんじゃないかな。
そんな予感がします。



2003年07月11日(金)
みのるさん、スクラップはしておくものですね。


 今日、朝日新聞発行の京都大会選手名鑑を思わぬ場所で入手した。どこか。仕事場である。

 今日行ったお店、カウンターの壁に京都大会のトーナメント表が張ってありました。そういや、明日から京都大会やなと思った。この店は、以前にも何度か来ているが何か臭う。前にオーナーさんが地元高校の野球部員と話してたし。

 仕事が終わる直前、トーナメント表の側に選手名鑑が山積みになっていた。気になって仕方ない。客がいなくなるのを見計らって店に人に聞いてみよう。私はカウンター付近でそわそわしていた。

 ようやくレジが落ち着いたとき、オーナーのおじいさんに声をかけた。「これ、売ってるんですか?」。そんなわけない。売ってるならカウントだ(バーコードないからやっかいやなあ)。今まで気づかないはずがない。おじいさんがいぶかしげな顔をしながらも、「いいや。欲しいの?」とどなんまかストレートを投げ込んできた。「え、いいんですかぁ?」私は白々しい返事をした。確信犯やん。ちゅーか、それ以前に仕事中やで、自分。「どうぞ、持っていって」。おじいさんがそう言ってほほえんだ。やった♪

 すると、おじいさんが続けた。「どこのファンなの?」。なぜ答えられなかったのだろう。いらんことが頭によぎった。私が好きなチームはここの近くにある高校じゃない。それで会話が気まずくなるかもしれない。もし、この近くの高校の名前を言えば、おじいさんから何か聞けて。店に臭ってるものの正体をあばけるかもしれない。頭がいらん回転をし、結局、「いえ、どこというわけでもないんですが」となった。おじいさんは拍子が抜けた表情をして、「明日から始まるから」、そう言って、奥の部屋に消えて行った。やっぱり、インタビューは本音vs本音の元でしか成り立たないんだな。今日の反省。

 帰宅後、名鑑に目を通す。この名鑑は全部員のフルネームが載っている。例年、1人で「1年生の下の名前予想大会」をやっている(おかしな人)のだが、今年もことごとくはずれた…。そんなこんなで、東山の選手名を眺めていたら、見覚えのある名前を見つけた。もしかして!

 私はPCルームに走り、自分のスクラップカバンから1冊のノートを取り出した。ページをめくり、目的の記事を探す。う〜ん、これじゃない。これじゃない。…あ、見つけた。

 1999年7月31日付、京都新聞より。前日、東山は京都大会決勝で負けている。

『東山は先制されてから本領を発揮するーと一塁側スタンドでは、点差をつけられても野球部応援団やブラスバンドOB、保護者、少年野球チームのメンバーたちが熱い声援を送っていた。
(中略)
 10点差の9回裏、最後の踏ん張りで2点を返すと、スタンドは総立ちで逆転を期待したが及ばなかった。
 山科区の少年野球チーム鏡山クラブのエースピッチャー木村龍弥君(12)は「逆転できなくてくやしい。東山高に入って甲子園を目指したい」と決意していた。』

 私が今日、選手名鑑で見つけた名前がまさにその名前だった、びっくりした。それは一種の感動にも値する。いつかこんな日がきたらいいなあと思ってたけど、まさかホントにそうなるなんて!

 実は私、すでに木村くんは謁見済み。小柄ながら、期待の持てるサウスポーだ。



2003年07月10日(木)
第二回『球児の名言集in京都』


 今年も朝日新聞から出てる京都大会選手名鑑を入手。(私にだけ)好評の球児の名言集第二回を執り行い合いと思います。

 今、全校のチーム紹介を見終えましたが、今年はピンとくるのがちょっと少なかったです。それは彼らの文章力云々ではなく、私の精神的なものが原因なんですが。感動は受け手の感性も鋭くないと生まれません。

 さて。発表。

○2年生主体のチームで、元気があり、楽しい雰囲気で盛り上がれば勝利は確実です。(城南高校)

なんか、この文章読んだときに、突き抜けるほど澄んだ青空を思い浮かべました。「高校らしく」とか、「目標は甲子園」とか、「人間形成」とかそんな言葉が並ぶなか、あまりにもピュアだなと思った。3年生はキャプテン一人(+女子マネ一人)。いろいろ思うところはあるでしょう。初戦の対戦相手は花園高校。

○『気持ち』でいってみせます、甲子園!!(洛水高校)

俳句みたいにきれいにまとまった締めでした。ホンマ、気持ちで行けます、甲子園。初戦は開幕第二戦、相手は西城陽高校。

 文章を全部は紹介できないのですが、紹介文としてよく書けてるなと思ったのは、久御山高校。今年の傾向は、「人間形成」という言葉を使ったチームが多いこと。なんだかなあ。あと、父兄さんや指導者だけではなく。「応援してくださる方」に対する感謝の気持ちを忘れずにという言葉も目立った。一体どこまでが許される範囲なの?そう問いかけたくなった。



2003年07月09日(水)
缶ジュース。東山。ともきち。私。


 冷蔵庫には、こないだ激励会の時にいただいた缶ジュースが冷やしてある。明日あたりにでも飲まないと、おとんに手をだされてしまう。ラベルには、「愛媛いよかんみかん混合ジュース」と書いてある。いよかんとみかんって違うもんなん?私、ずっとみかんって愛媛ではいよかんと呼ばれているとばかり思ってた。オバカちゃん。

 夏の想い出と言えば、缶ジュースです。東山を見に行き始めたころ、夏の大会の試合中に父兄さんから缶ジュースをいただきました。今で言う紙コップに入ったアイスコーヒーみたいな感覚です。主たるものは、はちみつレモン、ポカリスエット。(はちみつレモンって、今の10代の子、知ってるかな?)当時体育会系の応援を強いられていた私、試合中の飲食は禁止でしたが、父兄さんからもらうこのジュースだけは例外でした。神の恵みです。でも、なぜか味を覚えていません。

 それから数年。試合中にいただく飲み物は紙コップに入ったコーヒーやお茶になりましたが、ある日、父兄さんから缶ジュースを2本もらいました。私はのどが渇いていたので、早々にその場で飲んだのですが、ともきちは家に持って帰りました。それから、しばらくしてともきちの家に遊びに行きました。ともきちの部屋のベットの一角には東山お宝グッズスペースがあります。はちまきやメガフォンや、サンバーンや、ボールがかためて置いてあります。そこに、もらったジュースも加わっていました。「はよ飲みいや」と言ったのですが、2,3年はそこにあったように思います。この次に缶ジュースにお目にかかったのは、かの甲子園応援バスに乗ったときでした。

 ジュースといえば、こないだ『今まで激励会のときに飲んでたジュースは何だっただろう』と書いていました。1つ思い出したんです。つい最近は、エネルゲンだったんです。スポーツドリンク。東山ベンチご用達。♪エネルゲンはベンチの味〜。



2003年07月08日(火)
コンチキチンの季節


 京都は今祇園祭めいています。普通は宵山前後の2,3日にスポットが当てられるのですが、それまでにもいろんな準備が儀式があるようで、ニュースでも今日は何々をしたと伝えています。

 夏の京都大会1回戦は、ちょうど祇園祭の時期とダブッています。いつだったか、ネット裏で浴衣を着た女性が優雅にうちわをあおぎながら、試合を見ていました。ああ、京都やなあと1人で風流に浸っていました。そういや、ネット裏にあったおっさんのラジオからも鉾巡行の中継が入ってたっけ?当時は、「野球場やのに、邪魔やなあ」と思っていましたが、これもまた1つのわびさびかもしれません。

 私は京都市でも外れに住んでいるので、長年なじみがなかったのですが、バイトで市の中心街に出るようになって、祭を実感するようになりました。とにかく、忙しいのです、祇園祭の日は!

 四条通からちょっと奥に入った居酒屋でバイトしてたときは、いつもは5時からだったのを急遽4時に入ってくれと言われ、準備に大あらわ。その日は、京都大会の開幕日で、友人と2試合見たあと、仕事場に向かったのですが、気が重かったです。ずっと野球で現実逃避していた〜い、みたいな。

 当日はホンマにバタバタしていました。メニューを限定していたので助かったけど、結構オロオロしてしまいました。でも、日頃仕事の愚痴をこぼすサラリーマンばかり相手にしているためか、この日の客のなごやかさにちょっと癒されました。混み合う前に一人で店ののれんをくぐった粋なおばちゃんや、私のミスに笑って「いいですよ」と言ってくれた親子連れ。普段はまずお目にかかれない手をつないだ浴衣姿の10代のカップルなんかもよかったですね。でも、そんな人間ウォッチングのできない調理スタッフの男の子たちはストレスがたまるばかり。ようやく店が終わったとき、「祇園祭ムカつく。鉾、ボッコボコにしたる〜」と今にも駆け出す勢いでキレていました。

 その翌年は、呉服問屋でバイトをしていました。展示会をかねて、お得意さまを招いて祇園祭を楽しんでいただこうという企画でした。その上、小物グッズの店を一般に開放していました(ちょっと詳しい人ならどこかわかるかも)。会社全体を展示会場にしていたため、移動やディスプレーやで、連日日付を越える忙しさ。その上、普段の仕事もあります。

 で、当日は当日で受付に立ちました。受付は神経を使って大変な仕事だと痛感しましたが、いろんな人と話せるのは楽しかったです。また、祇園祭のときはトイレを貸してくれない店が多いため、社長の方針でうちは解放していました。おじさんや子供やらをその都度トイレに案内するのも受付の仕事でした。

 時間が余れば、お店や展示会でのショーも見ていいということにはなってましたが、そんな時間あるはずありません。気づいたら、夜。でもって、普段の仕事はそれから始まるのです。夕ご飯のときは、「こんな日だから」とビールが解禁でした。仕事中のビールは、量をわきまえれば、いいカンフル剤になります。(350mlの缶1本くらいかな?)
 
 仕事は終わって、外に出ると、出店も後かたづけを始め、人通りもまばら。くたびれた浴衣姿の女の子が駅に向かっています。歩行者天国にしていた近くの大通りには、車が走っています。祭の雰囲気はどこにもありません。でも、過去行ったことのある2回の祇園祭のどれにも及ばない充実感がありました。これって、楽しいっていうのかも。興奮して寝れそうにないなあと思って最終電車に乗り込んだのを今でも思い出します。



2003年07月07日(月)
幻の千羽鶴


 人生でたった一度だけ千羽鶴を折ったことがある。高校2年のときだった。私たちに何かできることはないか。で。夏の大会前に東山ナインに渡しそうと、ともきちと2人で6月くらいから授業中(?!)を使って折り始めた。授業中の私たちの机の上には、2、3羽の鶴が置いてあるのが常だった。でも、なぜか先生に叱られた記憶はない。

 すると、不思議な現象が起こった。そんな私たちを見て、クラスメートが一人二人と、「私も折る」と名乗り出てくれたのだ。当時、私たちはクラスになじめておらず、普段彼女たちと話すこともなかったのに。でもって、「なぜ折ってるの?」と聞かれた記憶もない。鶴はハイペースで折り上がっていった。

 そんなある日。廊下を歩いているとき、「万羽鶴、折んねん」というはしゃいだ女の子の声が聞こえた。彼女のことは人から聞いて知っていた。違うクラスの子で、某選手の彼女だった。わりと有名な話だ。小柄で、明るくて、ボーイッシュな女の子。

 私たちは、箱いっぱいに入った鶴を束ねる術を知らなかった。結局、鶴たちが東山ナインの手に渡ることはなかった。協力してくれたクラスメートたちも、その後鶴がどうなったのかは聞いてこなかった。彼女たちとはまた元の口をきかない関係に戻った。あの現象は、一体何だったのだろう。



2003年07月06日(日)
つれづれともきち日記。(と、おまけ)


 今日、ともきちは、夏前最後の試合と壮行会を見に行くべく、朝早く起きた。道中、あるこに「毎日同じことばかり言われてイヤッ」と愚痴る。結婚とか、常識とか。ともきちにはいろいろうっとおしいことがあるようだ。

 試合自体は順調で、大きな当たりが出るたび、熱病にうなされた人みたいに、「はあ〜、よく打つなあ」と言っていた。いい感じに進んでいたが、中盤、ネット裏から怒鳴り声が飛び、ともきちのテンションは底まで落ちる。雰囲気も悪くなり、試合の流れも変わった。「ともきっちゃん、帰りたい」とじっとあるこを見つめる。

 試合が終わらないうちに、グランドを出る。近くの喫茶店でサンドイッチを食べながら、「はぁ〜あ」とため息をつくも、昨日かけたはずの内巻パーマが外巻になっているのが、気に入らなくてしゃあなくなり、「それどころではない」と早速行きつけの美容院に電話をし、パーマと取ってもらう手配をする。そういや、この後は新しい旅行カバンを買いたいから、伊勢丹に行くと言っていた。側にツレがいることは、彼女にとってあまり関係ないらしい。

 さすがのあるこも人様の美容院にまではつきあう気になれず、「もっぺん、山グラ行ってみるわ」とグランドへ。夏のお嬢さんといういでたちのともきちは、逆の方向へ駆けだし、駅へ向かった。

 あることは夕方再び待ち合わせ。スタバでお茶をしたあと、鍋を食べに大津へ。道中の京阪電車の中、あるこの理解不能な愚痴を聞かされ、フォローに困る。駅についたら、雨に降られた。美容院のお姉さんに、「髪の毛を濡らさないようにしてください」と言われていたにも関わらず。ついてない。

 お気に入りのちゃんこ鍋をおいしく食べながら、うふふな話に花を咲かせる。あることは会う度にこんな話ばっかりしている。下ネタではない。大事な心と体のお話だ。食事中にもかかわらず、お手洗いに立ち、「すっきりした〜」と爽快な顔で帰ってくる。彼女にとっては白菜が効果てきめんらしい。でも、あまりに速攻すぎないか。食ってる途中やで。

 その後、習い事失敗談を披露。英会話は自己紹介ばかりでイヤ、講師の外国人のヒゲが濃いからイヤだとやめ、ソムリエ教室では、「ワックスのあとの匂いがする」と言ったがために皆に引かれてやめた。他の人は、「地中海の森の香りがする」とかぬかしたらしい。地中海の森?!海ん中に森があるんかいっ!フラワーアレンジメントは、自分が一生懸命生けた花を先生がぜ〜んぶ直したのが気にくわなくてやめた。そんな彼女は最近、友人に「感謝の心を忘れないための勉強会」に誘われていて応対に困っている。落ち着いたら、自分計画をあるこを前にプレゼン。名付けて「はいはい計画」。あるこ、成功しないに、来月の給料全部。

 インターバルを経て、雑炊までたいらげたあと、店を出る。雨はあがっていた。腹ごなしに大津駅まで歩いた。「あー。会社行きたくないぃ〜」。ともきちはそう言いながら、米原行きの電車に乗って行った。そんな彼女は、日頃、「私はただ普通に生きたいだけやのに」とほざく。あきらめなさい。


〜おまけ〜

 てなわけで、私あるこは今日、東山の練習試合、および激励会にお邪魔しました。(いや、ホンマに邪魔やから)

 練習試合は、ま、勝ちました。これまでユニフォームの着こなしに疑問符のついてた選手(たぶん、体に合ってなかったのでしょう)がいたのだけど、今日見たら、不思議とユニフォーム姿がビシッと決まっていた。彼に活躍の予感がする。いかに?

 激励会は、室内練習場で行われた。校長先生やOB会の方の挨拶。監督、キャプテンの決意表明等がなされ、滞りなく進行した。母の会からは千羽鶴とお守りが贈られた。今年はなかったが、母の会代表のお母さんと受け取る側の選手が親子でばったり向かい合ってしまい、お母さんが慌ててポジションを変えるという事態を何度か見ている。年頃の男の子のお母さんは、いろいろ大変だ。

 片隅に選手の弟とおぼしき子供がいた。その子はずっと地面の土で砂遊びをしていた。彼は、「高校生らしく」とか、「人間形成がなんたら」とかいう声とはまったく違う世界を形成していた。子供心ながらに、静かにしていなければならないのが分かるらしく、ずっとおとなしくしていた。ま、1人だったというものあるんだけど。

 乾杯の前には、選手による校歌斉唱。選手は例年、前から3年、2年、1年の順で並んでいる。このときの光景がまたおもしろい。1年生は体をエビぞりにし、顔をタコのように赤くして叫ぶように歌う。2年生のそれなりに大声を張り上げる。でもって、3年生は…いたって「素」(歌ってるんだけどね)。なんだろ、このコントラストは。でも、すました顔の3年生を見ながら、「君らも2年前はタコみたいな赤い顔して歌ってたやろ?ちゃんと覚えてるで〜」と、心の中で笑ってみる。すまない。

 どさくさに紛れて、乾杯に参加。今年の乾杯は、愛媛のみかんジュース。意味深だ。これまで、何で乾杯してただろう。記憶してたら、日記が1日分助かったのに。ちょっと後悔。
 
 記念撮影のあとは、昼食を食べるために解散。選手は椅子を片付けながらの退場。すると、選手&おかあさんのツーショット写真の撮影が。他の選手がはやし立てる。彼も最初は恥ずかしがっていたが、開き直って、お母さんの肩に手を回すパフォーマンスを披露(ナイスだ。こういうアクションは好きだぞ)。すると、数人のお母さんも、息子を引き留めようと、アクションに出た。でも、選手たちは恥ずかしがって逃げる。男子高校生だ。仕方ない。


※「子供たちのあこがれ」は、2003年5月1日付日記に移動しました。




2003年07月05日(土)
自治体合併と私


 今、あちこちで市町村の合併が推し進められている。政治のことがわからない私は、「落ち着きなはれ」とつっこみたくなるような急ピッチ。当然と言えば当然だが、もめ事がつきもので、今朝の京都新聞でも「丹波市」という地名を巡って兵庫ともめていると書いてたし、グランドへ行くために車で移動中も道中で「合併反対」と書かれた看板を何度か見かけた。

 私は、自分の行ったグランドについて書いている。元々地名好きなのもあり、所在地も調べて付記している。その際に難儀やなあと思うのが、この自治体合併。

 今日は、滋賀にある野洲高校について書こうと所在地を調べることにした。頭では、滋賀県野洲郡野洲町とわかっているのだが、グランドに行った日、街角で自治体合併を示唆するポスターを見かけたため、きちんと確認しておきたかったのだ。結局、合併はまだ確定していないとわかったが、滋賀県のあちこちで合併が決まっているところがあることも知った。湖南市(カタカナで書くと、めがねをかけた少年が活躍する探偵ものの主人公の名前になるので、話題を呼びそう)とか西近江市とか…。知らんし。

 油断ならないのである。OBのプロ野球選手名は、トレードや引退で球団名が変わるので、それをフォローするためだけに選手名鑑を買った。それだけでも、はあ〜って感じなのに、その上、自治体合併の情報まで把握しておかなければならないことになる。あ〜、めんどくさい。でも、地名好きとしては、細かいつっこみに負けたくないし、合併の当日に訂正して、ちょっとした悦に浸るのも悪くない。

 余談だけど、野洲町中主町の合併では公募で新都市名を募集していた。候補にあがった都市名にはひらがな表記が少なくなかった。ひらがなの地名はもういいやんと思うんだけど。


※「最後の夏。最初の夏。」は、2003年5月2日付日記に移動しました。
 



2003年07月04日(金)
迷惑ぅ?


 部外者が練習試合を見に行ったりするのは迷惑だと思っている指導者および関係者は少なくないらしい。

 某掲示板の管理人さんが、チームの詳細情報流出自粛のために、書かれていた言葉。う〜ん、痛いなあ、その言葉。私なんてそれがメインで生きてるのに。ま、生きているのが迷惑ってことなんでしょうか?もっとも、あのチームがそんな器のちっちゃいことを言うとは思えないんですが。

 私の場合、ぶっちゃけ、見ているチームの主力ピッチャーの球種すら知りません。ひどいときは、レギュラーの子ですら右か左かわからない有様。それでも、迷惑なんですかね?

 でもね。プロと高校野球の大きく違うところが、高校野球はファンがいなくても成り立つスポーツなんですよね。学校の部活動ですし。だから、昔甲子園にジャニーズ呼んだときは、何事かと思いました。そんなんするくらいなら、もっとファンを大事にしなはれ。

 ま、そんなことを言ってたって現状は変わりません。私は今こうしてネットを使って、自分の見ているチームのこと、野球を観てて感じたことを書いています。でも、本当にそのチームを思うなら、書くべきじゃないのかもしれません。今更遅いんですが。



2003年07月03日(木)
経済効果?!


 穏やかで好き嫌いを口にしない友人に、「嫌いな人のタイプは?」と聞いたら、「野球と経済効果を絡めた話をする人だ」と答えてくれた。おもしろい答えをする人だなと思った。それ以来、「阪神が優勝すると○○億円の経済効果が」などという言葉には敏感の反応するようになってしまった。ま、この不景気だし、経済を語る人はそれでお金をもらってるんだから仕方ないんだけど、なんかそういう話きくと、いい風に使われているように思えてちょっと癪だ。

 そんな話をふと相方にしたことがある。すると、「何が経済効果やねん。ワシの財布からは金が出ていく一方やわ」という答えが返ってきた。なんだかなあと思った。

 今日すみちゃんから、Xデー予想メールをもらった。これを参考に優勝の瞬間を見に行きなさいということか。週末は人が多そうやなあとメールで送ると、もうそんなん関係ないやろとのこと。確かにな。今年はいったいどれだけの人が人生および社会性を擲(なげう)つだろう。失業率上がると思うんやけど。(かくいう私は“擲った系”なんだけど)



2003年07月02日(水)
うるちゃん+α


 今やこの日記には欠くことのできない存在になった登場人物、ともきち。今日は、そんな彼女との出会いについて話しましょう。

 中学3年のとき、私は通っていた塾の夏期講習を受けていました。すると、斜め後ろから肩をたたかれました。振り向くと、そこには色白の女の子がいました。見覚えがなかったので、何だろうとちょっと警戒態勢になりました。そんな彼女は私の心境などつゆ知らず、笑ってこう言ったのです。「これ、私の好きな人、うるちゃんっていうねん」。それが当時14歳、中学3年のともきちでした。

 なんじゃ、この女。私は顔をしかめたはずなのですが、彼女はおかまいなく、「これ写真、どう思う?」。どう思うもこう思うも…。生徒手帳にはさまれた男の子の写真を見て、どうしたものかと悩んでしまいました。はっきり言って私の好みじゃない。でも、顔立ちは整っている。モテるんだろう。こういうときは、褒めておくのが無難です。「別に。かっこいいとは思うけど」。髪型がウルトラマンに似てるから、うるちゃんか。アホらしい。あまり関わりたくないたぐいの人かも。

 彼女とは、同じ塾に通っていたが、クラスが違うため、会ったことはありませんでした。月水金のクラスに通う私と、火木土のクラスに通うともきち。どちらかの英語の成績が悪くなければ、まず出会うことはなかったんです。

 その講習中はたぶん話をしていたはずです。で、模擬試験の会場でも顔を合わせると、話をしていたはずです。でも、何を話したかよく覚えていません。ずいぶん自分のことを話すのが好きな人やなあ。それくらいの印象しか残っていませんでした。

 高校入学前、制服をもらいに、学校に行きました。制服やらカバンやらを抱えて、帰ろうをしていたとき、「いや〜、自分もここなん?」という聞き覚えのある声がするじゃないですか!ともきっちゃんです。大きな目に化粧をしているかのような白い肌。一度見れば忘れられない顔。なんでやの?彼女の志望校は地元の公立高校だと言っていた(実際は違ってたようだ)し、私は私で前の日記に書いてた京都西でした。お互いがお互いに、ギョッってなもんです。知ってる人の誰もいない新しい環境で面識のある人と一緒なのは心強い反面、この人からは逃れられへんのやなという小さなあきらめが芽生えていました。 

 そんなわけで、私とともきちは選択の余地のない“お友達”となり、高校生活をスタートさせました(実はもう一人いたのだけど、彼女の話は機会があればまた)。でもって、野球が好きという共通点に気づき、東山と出会いました。

 ある日、東山とうるちゃんの通っていた高校が練習試合をしました。うるちゃんが野球部員ではなかったのですが、彼女は「うるちゃんいるかも」と言っていました。当時はともきちの第六感のすごさを知らなかったので、「まっさか」と心の中で彼女をあしらっていました。ところが、ところがいたんです。どこにだと思います?なんと、自校の選手のいるダグアウトの上に寝っ転がっていたんですよ!度肝抜かれました。それ以来、ともきちの口からうるちゃんの話は一切出てこなくなりました。


「追記〜類は友を呼ぶ。“とも”はバカを呼ぶ〜」

 とまあ、ともきちは文面のイメージ以上にぶっとんだ変なヤツではありますが、ほかにも“初対面でそれ?”という言葉で出会った友人はいます。学生時代の友人Mさんは、英語の講義に遅れてきた私にいきなり、「何遅刻してんねん。近いねんからもっとはよきたら?」。なんで、いきなり説教されなあかんねん。Mくんという男友達には、「八重歯がかわいいですね」と言われました。うちのこと好きなんかいっ!と心の中でつっこみを入れましたが、結局そんなんじゃなかったです。(苦笑)

 そういえば、こないだ学生時代の友人Iさんにこんなことを言われた。私はIさんに、いきなり「今日、みんなで鍋すんねんけど来おへん?」と言ったそうです。その上、私はバイトがあるからと、彼女一人で友人宅に行かせたというのです。キオクニゴザイマセン…。

 ともきちは、かのことわざをパロッて、「ともはバカを呼ぶ」と言われたことがあるそうです。私はバカなのでしょうか?そうだよね。



2003年07月01日(火)
教育実習


 6月は教育実習シーズン。実習生は2週間ほど寝る間のないほどハードな日々を強いられる。かくいう私も教育実習経験者なので、そのハードさは多少ながら心得ているつもりだ。

 先日、東山の試合を見にいった際、試合終了後、ユニフォームを着た男性から声をかけられた。見覚えのある顔。野球部のOBだ。コーチになったのかな?と思っていたら、本人が、「教育実習で来てるんですよ」と答えてくれた。久しぶりに袖を通す母校のユニフォームにちょっと照れくさそうだった。

 彼は、現役時代、がんばっていたが、とうとうベンチ入りできずに終わり、大会ではスタンドからチームメイトに声援を送っていた。大学を出て、仕事を始めてから、「野球部の指導者になりたい」と教員免許を取るために、仕事と両立して、通信課程をとっている。

 彼は急いでいたのか、すぐにその場をあとにした。ひょっとして、私たちに声をかけるためだけに来てくれたのかな?次はどこで会えるのだろう。