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あるこのつれづれ野球日記
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2002年10月31日(木)
酒は命の聖水です。by.ともきち


 このところ、なんでこんなにもやもやしているんだろうと思ったら、やっぱり酒が入っていないからなんですね。確かに酒は一時の気を紛らわす程度に過ぎず、悩みや問題が解決するわけではないのですが、少なくともその場では流れてしまうので、ストレスをため込まずにすみます。それ故に、今は二日酔いですら愛おしくて。だって二日酔いの時って、頭の中、「気持ち悪い、吐くぅ〜」っていうだけで、抱えてる悩みや不安が出る幕なしなわけですから。

 禁酒を始めて2ヶ月が経ちました。20歳で酒が解禁されて以来、こんなに長い間酒を入れていないのは初めてです。季節柄それほど酒が恋しいと思ったことはなかったのですが、ここに来て酒の威力を思い知らされています。

 別にいいんです、飲んだって。体重も一向に減らないし、何たって、私は生まれてこの方、設定した目標を達成したことのない有言不実行のどうしようもない人間なんですから。でも、こんな私にも五分の魂といいますか、やはり一度くらいは有言実行をやってみたいわけなんですよ。だから、もう少しがんばります。

 でも、やばいなあ。今、外出たら、間違いなく酒買ってしまうなあ。ごく近所に酒を豊富にそろえてる元酒屋というコンビニがあるんだな。絶対呼ばれるな。吸い込まれるようにふらふら〜っと店内に入って、おもむろに奥のドリンクコーナーに行って、手にするのは…。ああ、ダメだ、ダメだ〜。でも、今日中にTSUTAYAにCD返しに行かんとあかんのや。どないしよ〜(T_T)。



2002年10月30日(水)
ナマズが話しかけること


 我が相方はナマズが好きで、将来家庭を持ったらナマズを飼いたいという。ナマズは主人が帰ってきたら、喜ぶのだとか。それがかわいいくてしゃーないらしい。出会って一番初めに訊いた彼の夢だが、世話するのは絶対イヤだと思う。そんな相方なので、ドライブに出かけて一号線を走り始めたら、気付いたら琵琶湖博物館だった…ということがしばしば。ここにはナマズがいるのだ。

 集中力がなく人混みの苦手な私は、こういう博物館で物を見るのは決して得意ではない。後から来ている人に変な圧力を感じて“はよどかなあかんな”と思ったり、微動だにしない小動物に飽きて、さっさと店内のグッズ売り場にでも行きたくなるタチだ。

 一方の相方は至ってマイペース。なんか嬉しそうに水槽を眺めている。(相方的には)メインのナマズには「おう、久しぶりやのう。元気しとったか」などと声をかけ、なかなか離れようとしない。よう言うわ、さっき1階のレストランでナマズの天ぷら食べてた人が。などと思うのだが、ま、酒やパチンコに走られることを思えばかわいいものである。

 そんなわけで、その日もご満悦で博物館を後にしたのだが、帰りの車の中でポツリと言った。「ナマズ見てるとな、“のんびり生きろよ”と言われてるような気がしてならんのや」

 ひょっとしたら、私がずっと凹んでいるのを分かっていたのかもしれない。



2002年10月29日(火)
対話するエース


 印象に残るピッチャーがいます。試合中、チームがピンチに立つと、ベンチにいる選手がピッチャーに声をかけるじゃないですか。「落ち着いて」とか「打たせていこう」とか。でも、ああいう声に対してピッチャーが反応するところを見かけること、あまりないんですよ。もちろん、試合中だから自分がするべきプレーに集中しなければなりませんし、またイチイチ返事をしないからって、無視しているわけではないのでしょう。そして、それが当たり前だと思う自分もいました。

 ところが、そのピッチャーはイチイチ反応していたんです。「みんなが守ってくれてんねんからなぁ〜」とベンチにいる選手が叫ぶと、プレートから足を外し、ベンチの方に顔を向け、叫んだ選手をしっかり見据えて、「はいっ」。「打たせていこうや」と言われれば、また同じ動作で「はいっ」。そんな彼は、再三投げる牽制球を野手が逸らしても逸らしても投げ続けて、アウトを取り、一死満塁のピンチでもしっかり相手バッターに打たせていました。名実共に対話しているエースやなあと思いました。

 試合が終わった後、マネージャーに訊いたのですが、やはり彼は下級生でした。それで、律儀に返事をしていたのもあるんだ。ちょっと興ざめでしたが、上級生になっても、実際行動には表れなくとも、その心意気はなくさないで欲しいなと思いました。



2002年10月28日(月)
ファンも宝?!


 友人が今、落ち込んだり、腹を立てたりしています。注目していたアマチュア選手のプロ入りに暗雲がたちこめそうだからです。そんな友人のやりきれない声を受話器越しに、私は、「ファンって、なんてありがたい存在なんだろう」などと考えていました。

 その友人と渦中の野球選手とは特別な関係ではありません。今、友人は就職活動中ですが、もしその選手が多額の契約金と破格の年俸をもらってプロから迎えられたとしても、彼の就職が決まる保証など何ひとつありません。にもかかららず、彼は自分のことのように落ち込み、自分でどうすることもできない事態にやるせなさと怒りを覚えています。

 ありがたいじゃないですか、貴重じゃないですか。この世知辛い世の中、見知らぬ人が自分のことを思っているなんて。普通に生きている私たちなら、そこまで思ってくれる人は、せいぜい家族かごく親しい友人程度でしょう。

 確かに、ファンだからという言葉を盾に取り、好き放題やる人もいます。そういう人とは明確に区別されなければなりませんが、私は最近、そこまで思わせる選手がすごいと思うと同時に、そこまで思えるファンもすごいと思うようになりました。



2002年10月27日(日)
リハビリ中


 このところ私を支配しているのは、強迫概念に似たものではないかと思うんですよ。取材しなきゃいけない、何か話を訊かなきゃいけない、情報を得なきゃいけない、感動しなきゃいけない、きれいな文章をかかなきゃいけない…。何故、自分でそこまで追いつめてしまったのかはわからないのですが、そんな感じでした。

 今は、自分はそういう強迫概念を持つ必要はないんだと気付きました。今までの自分のスタイルでいこう。そう思っているのですが、書いては消しの繰り返しで、まったく書けない状態に陥っています。そうですね、新しい変化球を覚えようとして、元々あったボールを投げれなくなったピッチャーのような感じ。

 自分の日記を過去からずっと読み返しているのですが、なんか自分が書いたのが嘘みたいなんですね。え、この日記、私が書いたん?!、みたいな。ようこんな文章書けたなあって。いい意味でも、悪い意味でも。

 今はね、正直、書くことがしんどいかな。特に野球については。だから、この週末、寝過ごして試合を見ていないのすが、潜在意識のどこかで観戦できないことを望んでいたのかもしれませんね。だって、試合を見たら、また書かなきゃいけないって思ってしまうから。別に仕事でも義務でもないのに、何故そんな風に思ってしまうのでしょうね。野球が好きなら、何気なく野球見て、何気なく生きてればいいのにね。



2002年10月26日(土)
それでも、プレーボール

 せっかく、試合を見に行こうと思っていたのに、寝過ごしてしまいました(バカ者っ!)。いや、私が悪いんじゃないんです、目覚ましが悪いんです(苦笑)。

 私の目覚ましは携帯のアラーム機能です。今の仕事は毎日出勤時間が違うので、かけ忘れのないように一週間単位で曜日ごとにアラーム時間が設定しているのですが、それが凶と出ました。今日、目覚めてから見てみると、昨日の設定になってたんですね。やっぱし…。もうすでに試合開始30分前。今更起きあがる気力などなく。

 でもね、そんな私などいなくても試合は始まるんですね。なんかそういうときに、「野球って、所詮“ひとごとやなあ”」って思ったりします。(寝坊を差し置いてよう言うわ、んなこと(^^;)



2002年10月25日(金)
だって、私、間違ってないもん。

 先日、久しぶりに『プロでやるのか、趣味でいいのか』みたいなことを問われ、答えを求められているわけではないのに、2〜3日考えていました。思考が停止しているのはそのためです。ですが、今ようやく結論に近いものが出ました。

 私は大阪に行きたいんですよ。スポーツを書いている人が目指すスポーツライターが東京だとしたら、私は大阪なんですよ。だからね、「東京に行くにはのぞみが便利だよ」って言われても、私には関係ぷぅ〜なわけですよ。私が乗るべき電車はのぞみではなく、JRの新快速神戸方面姫路行きなんですから。

 結局、私にとってスポーツライターは“違う”んですよ。いや、もう言い切ってしまいましょう。ライターと呼ばれる仕事自体がダメかもしれない。私がダメだなと思った最大の理由は、ライターではどんなにがんばっても自分が主役にはなれないからなんですね。たとえば、スポーツライターなら、書いている試合やチームや選手、そして競技が主役なんですよね。それは間違いないです。

 でもね、だからと言って、私はそのために自分の存在を消したり、自分を偽ったり、自分を抑えたりすることは出来ないし、したくないんですよ。それなら、もう止めるしかないですよ。人はどう思うかわかりませんが、悔しいわけでも、悲しいわけでもないんです。ただなんか拍子抜けています。ずっと追いかけてきたものが幻だったんですから。

 今までなら、自分の文章を見てもらった人の指摘には素直に納得できたし、だいたいここがダメなんだろうなというのがわかったりしたんですよ。でも、今回だけはどうしても納得いかなくて。

 この日記は2001年の3月の終わりから始め、試行錯誤を経て、今のスタイルに至っています。ありふれたことを書いている拙文かもしれませんが、私なりに精一杯取り組んで作り上げたスタイルです。おいそれと変えたいとは思わないですよ。

 自分は間違ってないって思うんですよ。何故か。もちろん、それは自分が正しいという意味でも、相手が間違っているという意味でもありません。ただ、このスタイルは直すべきものではないと思ったんですよ。少なくとも、今は。

 この根拠のない自信はどこからわき起こってきたのだろうと思いますが、今はそんな自分の直感に従いたいと思います。



2002年10月24日(木)
伊藤智仁さん


 ヤクルトの伊藤智仁投手の引退が濃厚だと聞いた。熱心なファンだったわけではないが、私にとって伊藤投手は特別な存在です。今の私は書く気力に欠けるし、自信がないので、こまかいエピソードとかは省かせていただきますが、彼は私が生まれて初めて「うわっ、すっげー」と思えたプロ野球選手です。

 野球なんて所詮ひとごと。私の中にはそういう思いがあります。特にプロ野球においては、その傾向が顕著です。でも、伊藤投手はそんな私をブラウン管に釘付けにしました。夢中でテレビにしがみついていました。まるで野球少年になったかのような不思議な興奮で一杯でした。きっとすごい投手になる。高度経済成長期に生きた人々のような確信めいた希望がありました。

 登板過多だったとか、起用方が悪かったとか、言えばキリがありません。ただこうなってしまった以上、彼が野球選手として息づいていた時代に、自分も野球を見ていて良かったと思うしかありません。

 球界を見渡せば、彼よりすごい選手は少なくはないでしょう。でも、私のひとごと感を突き破って心の中に侵入してきたのは、彼以外にはいません。



2002年10月23日(水)
“ぷぅ”や。

 感情を持つのがイヤだった。“死にたい”とかそんなたいそうなことまで考えは及ばなかったが、なんかふとした瞬間に消えてしまいたいとか、脳みそを機械式にして、喜びも悲しみもなく、ただ生きていれたらどんなにか楽だと思った。ところが、いざ仕事に出たら、コンビニの商品棚の端に止まっていた蛾が怖かったし、生クリームのたっぷりかかったプリンを食べたいと思った。私の悩みなんて所詮そんなものか。ますます凹んでしまった。これが、今朝までの私の心境である。

 昼休みのこと。一緒の現場で働いている女性2人が会話をしていた。そのとき、1人の女性からこんな言葉が出てきた。

「うち、(自分の)命に関わること以外では凹まへんなあ。え?怒られたって、ぷぅやん。人間はミスをするもんなんやから」

 真理やわ〜。何故かすごく頷けてしまった。そうやん、そうやん。文章が下手やからって、死ぬわけやない。夢がないからって、定職につけていないからって、どんくさいからって、太ってるからって、死ぬわけじゃない。悩んだって、お金にはならない(笑)。悩んで成長する類の人間ならいいけど、どう考えても、私はそういうタイプとちゃうやん。1回2回のミスで反省し、学習出来るんだったら、もっとマシな生き方してるって。

 悩むのはやめよう。ちゅーか、なんでこの私(と書いて、わたくしと読む)が悩まなあかんねん。それこそ、ぷぅや。私が生きている、それだけで充分すばらしいやん。ミスして叱られたからって何?取材できないからって何?鼻づまりやからって何?誰が悪いって決めた?何故、ダメだと思わなきゃいけない?

 元気が出てきた。足取りが軽く、帰りは45分も歩いて、帰路についた。とりあえず、死ぬまでは生きていようと思った。でも、脳みその機械化はまだ捨てがたいなあ。



2002年10月22日(火)
+α


 野球を書くにおいて、その書き手の独自性を決定づけるのはきっと野球以外の要素だと思う。もちろん、これは人からの受け売り。でも、すごく頷ける。

 同じ試合を見ていても、恋愛小説を読んでいる人と推理小説を読んでいる人とではとらえ方も文体も、アプローチの仕方も違ってくるだろう。旅行が好きな人、車が好きな人、ギャンブルが好きな人、食べ歩き大好きな人、写真が趣味な人、ほんまに野球しか見えてない人。

 私が読者の立場に立つと、やっぱりその作者の野球以外の何が好きか、何を思って、何を感じてきたのか、そしてそれが野球を書くにおいてどう活かされているのかを見たいなあと思う。

 話は変って。

 自分の彼氏を“芸能人で言えば誰々に似ている”と言われるみたいに、ときたま私の文章は“作家で言うと、誰々みたいな文章やね”と言われることがある。こちらが思わず恐縮してしまうような人名が出てくることもあり、人それぞれの幅広さを改めて痛感するわけなのだが、実は本当に自分が影響を受けたと思っている作家の名前は1回も挙げられたことはない。

 なりたい職業となれる職業が違うように、書きたい文章と書ける文章は違うのかもしれない。また自分が思う自分の文章のイメージと他人から見たイメージも違う。

 ある一人の小説家の作風に憧れている。その作家は恋愛を主に扱っているし、今の自分が書きたい内容とはかけ離れている。でも、ああいう文体で野球を書ければ最高だなと思う。それが出来れば、間違いなく野球日記に革命が起こせると信じている。でも、いかせん、当人にその能力がないのが辛いところ(シクシク)。



2002年10月21日(月)
甘い罠


 今の日本は、“1億人総スポーツ評論家”時代らしい。巷には評論めいた文章があふれ、周りのファンも、やれ「選手起用がどうたら」「球界の危機がなんたら」と論議に花を咲かせる。

 人の趣味嗜好をどうこう言う気はないが、私は新聞や本に書いてあったことをあたかも自分の考えのようにもっともらしく言う類の人が嫌いだ。話しかけられたらうっおしくて、どうやって逃げようかとそればかり考えてしまう。

 ところが、それはその文章を書いた作者がうまいからということにもなりうるという考え方があるのを知った。作者にしてみたら、自分が書いたことを読者が読者当人の考えのように口にする。それほど爽快なことはないのかもしれない。

 でも、それってこわいなあって本当に思う。ネット上でいろんな書き手の文章を読んでいるけど、その大半が評論めいた内容だし、実際私も無意識のうちにそういう文章を書いているかもしれない。



2002年10月19日(土)
松井秀喜選手のメジャー行きを祝うシリーズ◆屮曄璽爛薀鵐ード」(11月1日分追記)


 私は自分が思っている以上に松井選手のファンだったようで、90年代初頭につけていた日記を読み返すと、彼に関する記述をときどき見かける。「松井くん初打席」とか「松井くんがHRを打った」とか。そんな私は、松井選手がHRを打つたびに発行されるホームランカードを集めていた。

 カードは、表はホームランを打ったときの写真、裏はそのHRにまつわるデータ(打った相手や飛距離、本人のコメント等)で構成されていた。我ながら熱心に集めていた。手続きをするために郵便局に足を運んでいたのだが、たまたま隣にいたおばあちゃんも同じことをしていたのにはびっくりした。

 ところが、ふとした拍子にホームランカードコレクションを止めてしまった。手続きがややこしくなったのもあるのだが、「そういや、うち、阪神ファンなんや」という自我に目覚めたからだ。でも、それまで集めていたカードは捨てられずにいた。いやらしい話、後々プレミアがついて…などともくろんでいた節もある。

 それから、数年が経った。カードなど机の奥で忘れ去られていたある日、某野球雑誌の読者コーナーに掲載されていた『松井選手のホームランカードを譲ってください』の文字が目に入った。

 詳しく読んでみると、投稿者は、九州在住の巨人ファンのおじいさん。孫のために松井選手のホームランカードを集めているのだが、31号以前のカードが手に入らないとのこと。このカードは店頭には置いていない限定品なので、すでに発行済みのカードは持っている人から譲ってもらうことでしか手に入らないのだ。

 この投稿に私は運命めいたものを感じた。私が持っているカードは、31号までだったのだ。なんいう偶然。きっと私は、このおじいちゃんと孫のためにカードを集めていたのではないかとすら思った。私は即座に机の奥からホームランカードを引っ張り出し、すぐに郵送した。

 数日後、1通の封書が送られてきた。件の投稿者からだった。年輩の男性らしい毛筆で、恐縮するほどの堅苦しい言葉で喜びが綴られていた。松井選手がバットを置くその日までカードをそろえ続け、大切に保存していくとのこと。私は金銭トラブルを避けたかったので、お金はいらないと書いたのだが、封書の中には、福沢諭吉さんが入っていた。これには本当に参ったが、給料日前の行き詰まった財布事情のため、遠慮なく頂戴することにした(おい、こら)。

 松井選手の大リーグ行きを聞いたとき、ふとこのおじいさんと孫のことを思った。おじいさんはご在命だろうか、当時野球を始めたばかりという孫はまだ続けているのだろうか。メジャーリーグでも彼のホームランカードが発行されればいいのになと思う。



2002年10月18日(金)
松井秀喜選手のメジャー行きを祝うシリーズ 屬覆鵑任な」(11月1日分追記)


 巨人の松井選手がメジャー入りを決めた。当日の朝は、おかんに「松井くん、メジャー行くねんて」と言われたのが目覚まし代わりだった。おデーから帰ってきて、姉も私の顔を見るなり、「松井、メジャーに行くねんなあ。」と言った。どうやら、我が家の人は、私には野球の話をしなければならないと思っているみたいだ。別にいいのに。

 とかく、結論が出た。私のように、「長年阪神のサードが定着しないのは、松井がFAで来てくれるからや」などという戯言を信じていたバカ者はともかく、多くのファン、いやファンならずとも各々思うところがあるだろう。

 松井という選手にはなぜか悲壮感がつきまとう。高校時代に五敬遠されたときの打席での表情、ドラフトで意中の阪神ではなく巨人に指名されたときの表情の冴えない会見、そして、今回のメジャー行きを報告する会見の重苦しさ。

 「ファンに申し訳ない」とか「裏切り者と思われるかもしれないけれど」。彼からそんな言葉が出るのが辛いなあと思った。あなたは全然悪くない、裏切りものと思う人もいるかもしれないけど、そんな人とあなたの人生とは関係ないから。つい感情的になってしまう。

 笑顔で、「メジャーでがんばってきます!応援してください」で、いいと思うのに。でも、それが出来ないから、彼の心はメジャーに向いたんだろうな。とも思う。



2002年10月17日(木)
見ているから言えないこと、見ていないから言えること


 秋季大会準決勝、平安高校が敗れた。決勝点はエラーが絡んで入った。エラーが出た瞬間、平安高校ナインの動きが止まった。思わず歯をかみしめてしまった。これで試合が決まったんじゃないかという勝負のあやに対してではなく、「この子ら、試合後、どうなるんだろう」ということが予想ついたからだ。私は、そっちの方がずっと怖い。

 春先に、センバツ帰りの平安高校の練習試合を見に行ったことがある。府外の学校との対戦だったのだが、結果は逆転負け。京都では無敵の強さを誇っていた平安が、こんな形で負けるんだあとちょっと驚いたのだが、それ以上にびっくりした光景が試合後にあった。

 グランドを出るときのルートの関係で、平安高校の選手達がいるベンチのすぐ側を通りかかった。負けたというだけあって、監督の声が荒い。「もっとやる気が出えへんのか」とか「下級生がまるで人事のような態度でいる」とかそう言った言葉が耳に入ってきた。試合後のミーティングって、案外技術的なことは言わないのかもしれない。

 よく見るミーティングの光景は、選手たちが半円の輪になり、監督と向き合って立っているか、体育座りをしているというものだが、この日は、選手たちと監督の間で、正座をしている選手が2人いた。2人は黙ってうつむいていた。

 うわ、この子らさらしもんかいな、かわいそう。見てはいけないような気がした。でも、足が止まってしまった。以前に平安高校のグランドへ行ったときもそうだったのだが、背筋がぞっとした。

 一般の高校生が遊んでいるような休日。彼らは叱られてすごしている。叱られるって、悔しいし、辛いし、恥ずかしい。それに、私のようなファンの好奇の目にもさらされてしまう。ま、彼らはそれどころではないのだろうけど。

 その後すぐ行われた春の近畿大会で、平安はよもやの初戦敗退を喫した。巷では、厳しい評価がくだる。たいして試合を見ていない若い子が、「高塚は春になって、下手になっている」と言った類のことをネットで書き込んでいるのを見た。以前なら、頭に来てたかもしれない。でも、今回は違った。あんな叱られ方しても、がんばっても、結果が出なかったらそれが全てなんだな。それがちょっと悲しかった。

 でも、どうだろう。私もあの光景を見ていなければ、きっとその子と同じことを思ってたかもしれない。だから、その子を責める気は一向にないし、下手な同情は返って選手を苦しめる。でも、正座をしてじっと耐えている少年を見てしまったら、誰がそんなこと言える?それでも言わなきゃいけない人もいるけど、少なくとも私はそんな立場じゃない。

 それ以降、平安高校を見ると、どうしてもグランドに立っている選手の正座姿やじっと耐えているときの顔を思ってしまう。



2002年10月16日(水)
でも、やっぱりイヤだ。

 6日ぶりの仕事に、悪くないメンバー。別に気を抜いたわけでのないけれど、ミスが目立った。それも今までしたことにないミス。数え忘れだ。1回目は、いつものドジかなと思い、きちんと謝った。優しい人たちだったから、「ええよ、別に」とさらっと流してくれた。

 2回目(1日で2つの現場を回る日でした)はきちんとやろうと思ってたのに、また同じミス。しかも二つ。ほんま、やる気あんのか?!自分で自分にびっくりした。こんなヤツはダメ人間コンテストにでも出て、入賞してくればええねん。こういうときは、さらに丁重に謝るのが筋かもしれない。でも、出来なかった。謝るより、次のミスをしないことが大事だし、何よりなまじっか1回許されているだけに、相手の反応が怖かったのだ。

 あきらかに同じミスを繰り返しているのに、メンバーは一切それに触れない。私にはそれがすごく気持ちが悪く、怒るなら怒るではっきり怒って欲しいと思った。私があなたたちだったら、間違いなく腹立つけど。きっと心のどこかで思ってるんやろ?帰りの車中は、居心地が悪かった。帰宅ラッシュで渋滞気味の道路を憎んだ。


 野球の試合をグランドとかで見ていると、ベンチから選手の声が聞こえてくる。たいていが練習試合でのことだが、エラーやボーンヘッドをした選手に、味方ベンチから容赦ないヤジが飛ぶ。イヤ、ヤジというより注意。“きちんと取ってやれよ”“やる気、あんのか?!”等々。

 夏の高校野球から野球を見始めた私にとって、エラーは責められるべきものではないという固定概念がある。だから、エラーを責めるのは悪いことだと思っていた。

 でも、今回の仕事を始めてから、それはチョット違うなと思い初めている。ミスをしたときに、注意されないことの辛さ、気休めが帰って重いときもある。叱られて初めて、ミスは精算に近いところに持っていけるように思う。試合中の味方からのヤジ、あれは端から見た以上にかわいそうではないのかもしれない。

 そういえば、仕事場に苦手な人がいる。ミスする私も悪いのだが、とにかくよく叱れられる。私はそれがイヤで、怖くて、その人と仕事をするのがすごくイヤだ。顔を見るのもしんどいのだが、実はその人、怒るだけ怒ったら、あとはいたって普通。ま、特別優しくなるわけでもないのだけど。忙しい時期に入社した私は、仕事をろくに教わっていないまま今に至っているので、その人に叱られて初めて仕事を覚えていっているように思う。俗に言う“体で覚える”ってヤツだ。私みたいな人間には打ってつけの社員教育だ。ずっとイヤだった人だったが、初めて彼の良さがわかった。

 …と、ここで終われたらかっこよかったのだけれど、後日、また彼と一緒に仕事をする機会がありました。自分のミスなのに、まるで私が悪いかのような口調。それはあんまりだ。でも、「すみません」と体を小さくしてしまう自分の情けなさよ。ちくしょ〜、今度生まれ変わるときは、ヤツの上司になってやる。覚えとけよ。



2002年10月15日(火)
10月15日、龍谷大学ー京都産業大学戦


 <関西六大学秋季リーグ第七節第1戦・10月15日・西京極>

 龍谷 000 000 000 000 000  0
 京産 000 000 000 000 001x 1

(龍)杉山、斉藤ー古里
(京)光原ー千草
(二塁打)久米(龍=14回)

(試合)龍谷・杉山、京産・光原の先発で始まった試合は、戦前の予想通り、1点を争う好ゲーム。序盤に龍谷がピンチを迎えるも、それ以降は両校とも守備も手伝って、大半のイニングを三者凡退に抑える。延長戦に入り、14回あたりから、疲れが見られ、初めての長打やエラーが出るようになった。延長15回裏、無死一塁で、バッター・平山の当たりはサードゴロ、バッターはアウトになったが、二塁ランナー・福原が思いきった走塁を見せ、龍谷野手陣のエラーを誘い、サヨナラのホームを踏んだ。

 



2002年10月14日(月)
んな演出アリか?!


 昼からNHKドラマスペシャル『焼け跡のホームランボール』(再)を見ていた。題名から検討がつくと思うが、野球の絡んだドラマである。

 舞台は戦後間もない日本。当時はドリームボールと呼ばれた軟球を手に入れるために、米を担いで上京する少年たちのアドベンチャー的物語。上京早々騙され、売ろうとしていた米を取られるも、少年たちはめげずに持てる頭を回転させて、資金を作っていく。この過程が痛快で、また楽しかった。

 ところが、最後がいただけなかった。

 物語の終盤、旅の途中、アクシデントで大けがを負った仲間に一人・正(ただし)を、残りの少年たちが、手に入れたボールとともに見舞った。ベットには頭に包帯がグルグル巻きの正が眠っている。「正、ボール、手に入ったぞ」、少年の一人はそう言って少年の掌にボールを乗せたが、ボールはするりと床に転がり落ちた。少年たちは、彼のベットの前ですすり声を挙げている。そっか、正は死んでしまったのか。私は単純にそう思ったのだが、その次のシーンでは、正は外野の守備位置にいて、大ファインプレーをしていた。残りの仲間曰く、「正、ナイスキャッチだ!」。おそらく制作者の意図としては、感動のハッピーエンドなんだろが、私は「生きとるんかい、正っ!」とブラウン管に向かって突っ込んでしまった。

 だって、どう考えても生きているのがおかしい。あれほど欲しがっていてボールを手にしたら、もし生きているなら目覚めといてもらわんと。だって、それだけ思いがあるから、子供だてらに今よりももっと距離感のある東京に出向いたのだろうから。そりゃさ、子供を主人公にしたさわかやなドラマで人一人殺すのはどうかと思うけど、元気なら元気で、「ボール、手に入ったからな、早く良くなれよ」「ありがとう」くらいのやりとりしなはれ。次の番組が始まっても尚、気になって仕様がなかった。やっぱり分からない。あの病室で、正にボールを握らせなかった制作者の意図が。私の頭が固いだけなんだろうか。



2002年10月13日(日)
親子の絆

 
 今日は、応援校・東山の練習を見に、グランドへ足を運びました。朝11時から休み挟んで夕方6時まで。我ながらよくそんな長い時間見てられたなあと思うのですが、とても充実した1日になりました。

 さて、グランドでは熱心な父兄さんたちが選手を見守っていました。そんな父兄さんとお話をする機会がありました。少年野球の監督をしているというその方と話をしたきっかけは、“高校野球において勝ち進むチームはバントがうまい”ということからだったと思いますが、そのときちょうど北嵯峨の優勝を知りました。そういえば、あそこもバントは確実でした。
 
 印象に残った言葉があります。「ファインプレーとは、ボールを正面で捕ること」。逆シングルや派手なプレーはパッと見、ファインプレーのように見えるけど、それは最初の一歩を出すのが遅いということであり、状況を把握出来ていないということでも、またバッターを分析しどういう打球が飛ぶかの予測は立てられていないということでもあるといいます。

 この言葉や持論自体は、それほど画期的でも珍しいものでもないかもしれません。ただ、そのときふと、ある内野手が今夏甲子園出場の際に寄せたコメントを思い出しました。

 「派手なプレーはいらないから、捕れるボールを確実に捕ってアウトにしたいです」

 これも親子の絆というものでしょうね。




2002年10月12日(土)
成章・柏木投手に10年前を見た!


 秋季京都大会準決勝第二試合は、3−1と京都成章がリードした状態で9回裏、平安の最後の攻撃を迎えた。表の攻撃で、好投していた村上投手に代打を出していた成章は、9回にピッチャーが交代した。左腕の柏木投手である。村上投手同様1年生で、2枚看板という感じになっているようだ。今日、初めて見るピッチャーである。

 ところが、彼を見ているうちに、ものすごく懐かしい気持ちなった。不思議だなと思い、理由を探ってみると、彼の投球フォームにあることに気付いた。左腕から投げ下ろすボール。上半身もお辞儀するような形でキャッチャー方向に向かう。いわゆる“下を向いて投げる”というヤツだ。あの投手にそっくりだった。

 今、巨人に在籍している岡島投手は、東山のOBだが、その当時もあんな投球フォームだった。当時は何とも思わず見ていたのだが、今思うととても珍しいフォーム。まさか、こんなところで再会出来るなんて!一遍に過去の記憶がよみがえった。初めて岡島投手を見た皇子山球場でのナイター試合、石畳のスタンドにカバンを放り出し、フェンスにしがみついて夢中になっていた制服姿の自分、風は冷たく、手がかじかんだっけ?3年生になって春にセンバツに出て、制球難に苦しんでいた彼の姿はアルプスの一角からではあまりに遠かった。

 ただ、柏木投手は同じ左腕だけど、彼より小柄だし、肘あたりに円滑油が入っているような柔軟さがあった。(当時の岡島投手はもう少しぎこちない動きをしていたように思う。荒削りという言葉で表現出来る感じの)それに、最後の最後では顔を上げて、ちゃんとボールの行方を見送っているような仕草も見られたし。似ているけど、同じじゃない。だから、懐かしいと思ってから10年前にタイムスリップするまでに時間がかかったんだろう。

 最後のバッターを打ち取った柏木投手は、キャッチャーと抱き合っていた。そういや、あのとき、岡島投手のこういう仕草見たことなかったなあ。ふとそう思った。



2002年10月11日(金)
♪おべんと持ってどこ行くの〜?


 6連休第2日目。このところ休日(特に平日)は、極力外出しないうにしているが、今日もまたしかり。理由は、お金がない、いや厳密に言えばお金に余裕がないから。今の会社は登録制のため、仕事は不定期。入った当初は忙しい時期だったので、わりと仕事があったが、それでも給料は9万円。今月に入って更にひまになり、仕事が減っているため、来月のことを考えると恐ろしい。

 というわけで、マイブームはいかにお金をつかわないかをあれこれ計画すること。消耗品は基本的にダイソー(100円ショップ)にお世話になる、基礎化粧品は3桁のものにする。メールの返信はPCで。電車代もチケット屋に行けば、10円程度は安くなる。侮ることなかれ。人と会うときは、ご飯を食べてからにする。服は買わない(=もう太れない)。幸い仕事場は制服があるので、特に買う必要ナシ。…とこんな感じなのだが、野球観戦だけはどうしても譲れない。しかし。

 今までは『思い立ったが吉日』で足を運んでいた球場やグランドにも、必然的に制限がかかる。自分の目で見ることが何より大切だという時期に、正直これは痛い。でも、これも自業自得。見たい試合を厳選して、2試合分3試合分楽しんで、しっかり勉強していこうと思う…しかない(^^;)。

 とりあえず、明日は高校野球京都大会を見に西京極へ行く予定。そう頻繁に観戦出来ない以上、見れる試合は全部見てやる。朝から球場へ行ってしまおう。でも、それやったら昼ご飯代が…。一瞬、頭を抱え込むもすぐに解決。お弁当作っていけばええねん。明日はちょっと早起きして、おにぎりと卵焼きのお弁当を作ろう。



2002年10月10日(木)
自分が悔しい


 大事な試合で痛恨のエラー、失投、見逃しの三振、走塁ミス…。活字上の選手たちは、自分のせいで試合を落としたことを申し訳なく思うコメントをしている。高校野球あたりになると、それに涙がプラスされる。でも、ほんまにそれだけ?、と私は思うのだ。

 
 私は学生時代約2年間、ラーメン屋でアルバイトをしていた。あれは忘れもしないバイト最後の1月のある日。調理スタッフから手渡されたチャーハンとスープのセットをテーブルに運んだ。なんてことない動作。ところが、テーブルにたどりついたとき、何かの拍子でスープがカップから飛び出した。あちゃ。顔を覆いたくなったが、そんなことよりすることがある。

 スープは若い男性会社員のスーツを濡らした。男性は一瞬「熱っ」と声を挙げた。私は慌てて厨房に戻りタオルを取ってきた。濡れていた場所は男性の足と足の間。つまり大事なところ付近。でも、パニクッている私にそこまで考える余裕はない。タオルを濡れている場所に持っていこうとした。すると、同席していた年輩のおじさんが「姉ちゃん、がんべんしたってぇや。そこはヤバいやろ〜」と笑った。そのとき、初めて自分が何をしようとしていたのか気付き、慌ててタオルごと男性から離れた。彼は、小さく微笑みながら「大丈夫だから」と私を気遣ってくれた。私は「申し訳ございません」と何度もお辞儀をした。

 汚れたタオルを蛇口で洗っているとき、私の脳裏によぎったのは、「よりによって、最後の最後でこんなミスするなんて…」という自分に対する悔しさだった。

 元来、おっちょこちょいのため、ミスが多かった。注文の取り違い、レジの打ち間違い…。あまりにひどいため、女だてらに店長にしばかれたことすらあった。でも、料理をこぼしたことだけは一度もなかった。他の女の子はバイトを始めたころに、重さに耐えかねて、こぼしてしまうという洗礼を浴びていたのだが、何故か私は経験がなかった。おっちょこちょいなりに神経を使っていたのだろう。それが最後の最後で、この始末。お客さんの前でこぼすなんて、他にやった人見たことない。やっぱり、私はあかんのや。

 落ち込んだ。正直、こぼしてしまった男性に申し訳ないという気持ちよりも、最後の最後でしたことないミスをしてしまった自分に対する悔しさの方が先にたった。自分はなんてエゴイストなのだろうと思ったのは、それから少し経ってからである。

 
 そんな経験があるが故に、ミスをした選手に対する思いはちょっと複雑だ。特に普段守備がいいとか好投手とか言われていた選手は、「普段は出来ているのに、なんでこんなときに!」とか思っていないのかな?という疑問が湧く。もっとも、たとえそうだとしても、マスコミ相手にそんなエゴイスト発言は出来ないんだろけど。



2002年10月09日(水)
パドラーでいこう!


 学生時代、友人数人と一緒に京都競馬場に足を運んだ。メインはわりと荒れたので、みな、その場で馬券を破り捨てる羽目になったのだが、そんななか1人だけ見事に当てていた。彼女は、競馬の初心者。渋るのを私たちが無理矢理引っ張り出し来た。よくあるビギナーズラック?と思ったら、次の最終レースも見事に当てた。

 彼女は、レース前のパドックを見ていた。その日は、京都開催だったため、パドックへ行けば、レースに出る馬を生で見ることが出来るのだ。彼女に言わせてみれば、単純に「馬が好きだから」となるのだが、さすがだなと思った。その後、彼女は私たちが持参していた新聞や競馬雑誌などに目もくれず、マークシートを塗りつぶした。それ以来、彼女のことを“パドラー”と呼んでいる。

 何故、今になってこのことを思い出したのかはわからない。でも、野球もそれでいけるのではないかと思う。可能な限り自分の目で。自分にとっての実感は、記事にもネットにもない。評論家が×印をつけた選手でも、自分がすばらしいと思えばそれが全て。

 そういえば、あのとき、私はすぐ側にパドックがあるというのに、人ごみに負けて、新聞やオッズとにらめっこしていたっけ?走るは馬なのにね(苦笑)。そら、当たらんわ。



2002年10月08日(火)
鎮静剤


 少し前のことだが、友人に「自分にとって、甲子園って何?」と訊かれ、驚いた。それは、私に関係ない類の質問だと思ったからだ。おそらく彼女は、今夏の意識して訊いてきたんだと思うが、それをちょっと考えてみた。そして、たどりついた結論は、タイトルにもした鎮静剤。

 私はお世辞でも気が長いとは言えず、端から見ると取るに足らないことでもすごく腹が立って、一日中そのことが離れなかったりする。(冷静に考えれば、自分が腹を立てる必要のあることなど、ほとんどないのだが)

 ところが、今夏、甲子園で応援校の勇姿が見れたこと、いやそれだけではないそれに至るまでの試合をも含む出来事で、私はいろいろなことが許せるようになった。

 許せると言っても、腹が立たなくなったわけではない。ひと夏の経験で、そこまで大人にはなれやしない。ただ、ふと今夏のことを思うと、怒りがすっと引いていくようになったのだ。イライラしたときに飲むコーヒーのように余計な力が抜ける。

 ある人が言った。「腹を立てるなというのは無理だが、その腹を立てている状態をより短くすることならできる」と。いい処方箋を手に入れたと思う。



2002年10月07日(月)
とどのつまり、私は山下清になりたいんだ。


 今日、母は叔母と一緒に京都大丸の山下清展を見に行った。いたく感激したようで、普段は聞き役に回る母が饒舌に話し、我が家の食卓は終始山下清談義が続いた。母は作品のきめ細やかさに感動し、父は山下清の才能が陽の目を見たことに重きを置き、そして、私は山下清になりたいと思った。

 山下清と言えば、『ドラマ・裸の大将』。安直なイメージだが、そんな私をどうか責めないで欲しい。あのドラマは、それほど強烈な印象を人に植え付ける。ブラウン管の向こうから、♪野に咲く花のように〜の音楽が流れてくると、血がたぎり躍り出す。ちょうど、球場に向かう途中、場内で響く金属バットの音に興奮し、思わず駆けだしてしまう。そんな感じ。ようこそ、非日常の世界へってな具合だ。

 ああ、私も放浪した〜い。
 日本中を歩き回って、見知らぬ土地の小さな高校のグランドで、野球部の練習とかを眺めていたい。横にいる熱心なおっちゃんと野球談義とかしたい。で、家に帰ったら、そのとき見た景色、聞いたこと、感じたことやを書くんだ。ネット社会だから、そのとき出会った人たちも見てくれるかもしれない。「こないだ会ったあの変な姉ちゃん、文章書くんや。ふ〜ん」なんて言ってくれていたら、至福。

 ライターとかそういう肩書きを持ったら、話は聞きやすいと思う。でも、今の私は素直にそれに従えない。取材される人の立場に立ってみたら、「ライターさんと話をする」ということで、妙に自分を繕ってしまうように思う。なんて答えたらいいかな。いい印象持たれたいとなあ。そしてまた、色気も出るだろう。少なくとも、私はそうだった。

 私は、ライターとしてではなく、1人の人間として話をしたいし、話を聞きたい。わかってる、肩書きナシの人間に人が簡単に話をしてくれないことくらい。でも、だからこそ、ふと口にしてくれることがささいな話が、大切だとわかる。そういうものを温めていきたいなあ。

 ということは、やっぱり山下清しかない。あんな裸同然の格好は世間が許さないと思うので、ユニクロで買った1980円のストレッチズボンに、土日限定1250円のシャツを着て、今となってはどこで買ったかすら記憶にない愛用のリュックを背負って、出かけよう。



2002年10月06日(日)
♪あなたはセックシィ〜


 異性の体について書くことは、性描写と同じくらいいやらしいことだと思っていた。もちろん、性描写自体をいやらしいとは思わないが、周辺にはいやらしく思えるものが氾濫しているように思う。ところが、年を重ねてみて、それなりのつきあいと経験を重ねてみるとなんてことないんだと思えた。

 男性の体のどこが好きかというと、実はお尻。ぱっと目に行くには目なんだけど、気になるのはやっぱりお尻だ。下がってないのが基本だけど、あんまり鍛えているのがまるわかりなのは、イマイチ愛着が持てない。たとえば、私は相方のお尻の形が好きだけど、特に運動しているわけでもない。鍛え途上か、鍛えているかいないかわからないけど、不思議と引き締まっているのがいい。何にしろそうだけど、必要以上に「がんばっています」とアピールされると、素直に認めてあげたくなくなる。お尻もしかり。

 というわけで、鍛え途上の高校球児のお尻なんていうのもいいわけで。ファーストの選手が、ゴロを捕球するときに、ベースに片足をつけて、なるだけ近い位置で捕球出来るように、グローブを前に差し出すが、そのときのお尻の張り具合とかが好き。そこそこボリュームのあるお尻は、かわいく自己主張している。「ちょっとだけでええから、触らせて〜」などと思ってしまう。

 そんな私が新たに魅了される体の部位があることが発覚。ある日、球場で観戦中に、次の試合に出る選手がおもむろに生着替えを始めた。それ自体なんてことないが、(今更男の子のトランクス姿を見てもビビッたりしないが(あっちはビビるかも))、その選手はユニフォームの下だけを残して、上半身裸になった。そのとき、私の目に真っ先に入ったのは、腰のくぼみ。コンパスで引いたようなきれいな曲線。よく食べ、よく動く彼の肌はとてもきれい。きっと肌色といわれる色よりもきれい。アトピーということもあり、掻き破り、かさぶたの痕が目立つ私の肌。自分が女性であることを申し訳なく思った。

 体って、美しいと思う。芸術家が裸体を描いた気持ち、わかる気がする。

 ただお尻はユニフォームの上からでも見れるが、腰のくぼみはやっぱり脱いでもらわないと見れない。それがちょっと残念。



2002年10月05日(土)
寿時くん


 私は、人物名フェチである。10代の頃、小説を書いていたのだが、登場人物の名前を考えるために、いろんな人の名前を意識的に見ていたことに起因すると思う。当然、高校野球の選手名鑑でも真っ先に注目するのが選手の名前だ。好きな字、嫌いな字、組合せ等いろんなこだわりがあるのだが、そんなこだわりにフィットした名前を見つけると、それだけでその選手を応援したくなる。顔のかっこ良さを語ることがあるならば、名前のかっこよさを語るのもOK…ですよね?というわけで、かっこいい名前の選手のお話です。

 秋季京都大会を見に、西京極球場へ出向いた。ベスト8とだけあって、さすがにレベルが高い。特に内野の守備にそれを感じた。バウンドをつけて飛んでくるボールをそっと抱きしめるようにグローブに包みこむ。いいねえ、愛だねえ。

 …と、脱線はここらへんにして。
 今日観戦した北嵯峨ー洛星戦は1点を争う好ゲームとなった。細かいミスはやはりあるが、それもチーム結成から日の浅い秋故のことで、それより試合の流れを綱引きのように懸命にたぐり寄せようとする両校の戦いぶりが強く印象に残った。

 試合が終盤にさしかかろうとしている7回表、場内アナウンスが響いた。北嵯峨は、6回裏の攻撃で代打を出したため、守備位置交代を余儀なくされる。なんとも思わず聞いていたが。

 「ファーストの平山くんに代りまして、新たに“ジュウジ”くんが入ります…」

 ジュウジ?!
 私の頭の中では、すぐに“十字”と漢字変換され、つけていたスコアにもそう記入した。へえ〜、世の中珍しい名前もあったもんだ。

 ところが、そんな私ののどかな驚きは見事にあざ笑われることになる。再び見た電光掲示板には“寿時”の文字。ことぶき?とき?…やられた!これで、“ジュウジ”って読むんだあ。私なんて、まだまだ固定概念から抜け出せない甘ちゃんだ。使うはずないと思っていた消しゴムをリュックの奥深くから取り出した。

 それにしても、かっこいい名前!きっと顔もいいと思う。
 2回の驚きでそのときめきはさらに輝きを増す。グランド内、背番号『3』をつけた背の高い彼はそんなミーハーな観客の存在を知る由もない。

 7回裏、そんな寿時くんは、打席に立った。一死から4番バッターの内野安打に始まり3連打、3−3の同点に追いついたき、更に四球を挟んで、一死満塁。逆転のチャンス。8番ファースト・寿時くん、今日、初めての打席。

 北嵯峨スタンドからは、「バッター、強気で行け〜!」の声。ここで逆転しておけば、後が楽だ。満塁ともあって、スクイズも考えられるか。いや、中盤以降、相手投手は四球が多い。ちょっと難しいかも。それに、彼のバッティングがどんなものか知らないし、監督からの信頼度も分からない。あれこれ、思いを巡らせた。

 初球だった。待ってましたとばかりに寿時くんのバットは、ボールを捕らえた。打球は、鮮やかに一二塁間を抜ける。三塁ランナー、ホームイン。やっぱいいね。かっこいいのは、名前だけとちゃうんや。なんか妙に嬉しかった。

追伸:アナウンスを元に“ジュウジ”くんとしていますが、ホントは“ジュジ”かも?ちょっと自信がない。間違ってたらごめんなさい。
 



2002年10月04日(金)
右?左?


 以前勤めていた呉服問屋で、こんな電話を受けたことがある。
 「今、○○ビルの前にいるんやけど、おたく(会社)に行くには右に進めばいいの?」
 お客さんからである。エラそうなおばはんのダミ声。こいつ、絶対デブやでなどと自分のことを棚にあげて思った。印象は良くない。呉服問屋の客なんてたいていこんなもんだ。
 この人には、東西南北という概念がないらしい。「右」と言われたって困る。その○○ビルは大きくて、出口がいくつもあるような建物だし、また本人はビルを背にして前にいるのか、ビルと向い合う形で前にいるのかわからない。私は、なんとかそれを教えてもらおうと、必死に聞き込みをしたのだが、「もういいっ!」と言ってガチャンと電話を切られてしまった。すっごく後味が悪い。これなら適当に「ハイ」と言っておいたら良かった。その人が迷おうが私の知ったこっちゃない。たくさん歩いたら、ちょっとは痩せるだろうよ。

 実は、こういう釈然としないことが野球観戦においてもあった。

 恥ずかしいことなのかもしれないが、私は長年バッターボックスの左右がわからなかった。だから、右バッター、左バッターと言われても何のこっちゃって感じで。それって、そんなに大事なこと?とすら思っていた。野球を選手の顔やドラマ性で見ている私にとっては、どうしてもわからなきゃ困るというものでもないし、ずっとほったらかしでいた。

 スコアをつけるようになったここ2,3年でよくやく意識し始めたのだが、大体、バッターの右左って、どこから見た右左なのかよくわからなかった。バッターと言うから、バッターを中心に見てたら、左バッターは右方向にいるし、右バッターは左にいる。おかしいと思って、ピッチャーの立場で見てみたら、合点がいった。そっか、野球はピッチャー中心のスポーツやったんや。改めて、そう痛感した。


 …と書いたところで、メールを頂戴しました(ありがとうございます)。左右は、バッターの利き腕によって決まるものだと思いますといった旨のもので、なるほどなと思いました。確かにそうなんですよね。右で投げる子は右投げ、左で投げる子は左投げ。エンピツでも右で持つから右利き、左で持つから左利き、当たり前なんですが、そうなんですよね。

 じゃあ、どうして私はバッターの腕ではなく、バッターボックスという空間で左右を判断しようとしていたのでしょう?それは、バッターがバットの両手で持っているからです。ボールでもエンピツでも片手で持ってるじゃないですか。だから、わかりやすいんですよ。もし、これらが両手で持つモノだったら、やっぱり同じように悩んでいたかもしれません。となると、目安はもっと大きくてわかりやすいものとなります。そこで出てくたのがバッターボックス。大きいし、左右に1つずつあるし、わかりやすいと思ったんでしょうが、それがかえって混乱を招いていたようです。

 今回、アドバイスを頂戴したことで、バッターの腕に注目してみました。目の前のバッターと同じ場所に自分の姿を重ねて…。わかる、わかる!右バッターはバットと腕が右に寄っており、左はその逆。な〜んだ、そんなことかと思う。でも、元大洋の近藤和彦さん(故人)のようなフォームのバッターが出てきたら、たちどころにこんがらがるかも(苦笑)。


 余談ですが、これと似た現象が京都市にあります。頂戴したメールに書いたあったのですが、京都市の地図を見ると、右にあるのは左京区、左にあるのが右京区になんです。この地点で、私がパニクるのは必然と思いきや、実は全く悩んだ形跡がないんですよ。
 その原因は。記憶の仕方にあります。私の中では、右の京、左の京というより、右京、左京を一つの単語をして覚えていました。例えば、美左子さんという人がいるとします。すると、それは左が方向を示すものではなく、彼女を名前に組み込まれた文字にかわり、方向性を意識しないはずで、それと同じことが私の中でも起こっていました。

 なんや訳のわからん話になってすみません。あと、今日の夕方メールをくださったKさん、返信したのですが、何回やっても届きませんでしたので、今日の日記を持って返信に代えさせていただきたいと思います。よろしくご了承ください。



2002年10月03日(木)
アイモ解剖あるこver.

 
 選手のフォームを連続写真におさめ、その一つ一つを解説していく。高校野球専門誌『報知高校野球』にはそんなコーナーがある。(今でもあると思う)

 昔、まだ巨人の松井選手が星稜高校の野球部員だった頃、こんな内容の読者投稿があった。『無名の選手より、松井とか有名な選手を取り上げて欲しい』。一読者として、わからないでもなかった。ところが、編集部の返信はこうだった。『有名な選手を取り上げることもいいのですが、選手の参考になるという点で考えれば、「こうすればいい」より「こうするのはいけない」の方がわかりやすいと思います。』

 なるほど、と思った。確かにそうだ。日本全国の高校球児の中に、一体どれだけ松井選手並の能力を持っている選手がいるだろう。「スイングを速くすればいい」だけでは、あまりに漠然としすぎて何をしていいかわからない。素振りをすればいい。打ち込めばいい。答えとしては間違っていないかもしれない。でも、多くの高校球児はそれをした上で、課題を持っているんだと思う。だから、「ここはこうだから、ボールを芯でとらえられない」とか「足をもう一歩踏み込むと、スイングがしやすい」とか。そういう具体的な指摘が必要となる。完璧なファームだとその説明が出来ない。だから、無名選手の未熟なフォームでアイモ解剖する必要がある。私はそう考える。

 昨日の話を引きずるが、このところ自分の書く文章を何度かことこまかに指摘されている。え〜ん、そこまで言わないでよ〜(T_T)。と思うときもあるのだが、これもアイモ解剖なんだなと思うとちょっと癒される。ようするに、私の文章は未熟であるが故に、文章を書く人のためのアドバイスに役立っているというわけ。みなさん、人の振りみて我が振りを直してくださいね。喜んで、さらし者になりましょうとも(自暴自棄)!



2002年10月02日(水)
野球逃避シリーズ◆〔

 
 
 夢を追いかける、夢に向かってがんばる。
 耳あたりのいいすばらしい言葉です。

 でも、現実、夢に向かってがんばるというより、諦めたら後悔するからしゃあないからやるとか、見切りがつくまでやりきるという人も少なくないと思います。「アメをもらえるかもしれない」とより、「ムチでやられるのはイヤだ」の方がせっぱ詰まっているのは明確ですから。少なくとも、私はそうかも…いや、そうですと断言しておきます。
 
 東山の追っかけだって、辞めた翌年に甲子園に出たら絶対後悔するから、それが、最後の最後では私の応援生活を支えています。そして、文章もそうです。人の書いた記事を読んで、自分もしたかったのにと思ってしまうのがイヤで、踏みとどまっています。




2002年10月01日(火)
野球逃避シリーズ 「ウ」に“゛”の存在


 10月に入ったので(?)、ちょっと野球から離れたことを書いてみようと思います。

 私は洋物が苦手です。強い嫌悪感はないのですが、積極的に手にとることはありません。洋画もTVのロードショーで数えるほどしか見ていないし、洋楽も聴かないし、洋書なんて手にしたことありません。

 なんか、ミュージシャンとか作家とかいう人のエピソードを聞いていると、洋楽に夢中だったとか、洋書を読みあさったとかいうのが必ずと言っていいほど出ています。アメリカがヨーロッパがなんぼのもんじゃい!と強がっては見るものの、宮崎駿映画やスポーツノンフィクションやモーニング娘。では、作家にはなれないのかとちょっと凹むときもあったりします。

 で、私が何故洋物が苦手かを考えてみました。それは、「ウ」に点々、「ヴ」の存在です。その文字を目にしたとき、物言えぬ理不尽を感じました。ちゅーか、ありえへんしって感じです。小学校のとき、ア行は濁点がつかないと習ったはずなのに、今頃になって当たり前のようにのうのうと出てくんなや。もうちょっと謙虚な姿勢を持ちなさい。ヴァレンタインデー、ヴォーカル、レヴォリューション…、どいつもこいつもエラそーやなあ。くぅ〜、気にいらねえ。放課後、女子便所に呼び出したい。

 大体、どうやって発音すんねん、「う」に点々。だって、ヴォーカルかて、よくよく聞いてみると、ブォーカルちゃいます?でも、「ブォ」って書くより、「ヴォ」のほうが格好いいもんね。わかるけどさあ。ちなみにこの「ヴ」、ネットを初めて、2ヶ月くらい、打ち方を知らずに苦戦しました。なんで苦戦しなあかんなん。未だに癪でしょうがありません。

 そんな私です。
 ニューヨークのマンハッタンより、近所の公園。そんな文章を書くんだ。そう決意する今日このごろです。