天使のながばなし
maki



 とりあえず

バンドキャンプから帰ってきましたが、
疲れ過ぎてるのでもう寝ま〜す。

いろいろ楽しかったんだよ。
とにかくいろいろと。
考えたこともたくさんあって、
イイ感情にもマズイ感情にも遭遇した。

また明日にでも書きます。
おやすみなさい。

2004年10月31日(日)



 イチ抜けた!

ギリギリのところから、一歩降りた気がしています。
理想ばかりを見つめずに、
もう少しだけ自分を許容してあげられる感覚。
クッと堪えているところからイチ抜けた!かな。

今まで踏ん張ってきた分、軽くなってしまって、
何だかそれじゃいけないような気がしちゃったりして。
しばらく続いてた「つかみどころのない」良くも悪くもない日々は、
ここから来ていたのかもしれないな。

これでもいいか〜っそれでもいいか〜って思えるようになってきて、
また新たなナチュラル感を感じています。


2004年10月27日(水)



 風邪ひいた〜

どうやら風邪をひいてしまったらしい。
昨日栄に仕事に行った時、ノドが痛いなぁとは思っていたけど。
ロフトの古着市でカゼ菌を拾ったか。

ここのところずっと、少〜しずつ痩せていっている。
病気になってから食事を変えたのもあるのか、
2回ジーンズを買い替えた。
最近また合わなくなってきたので、3回目の買い替えを検討していた。
古着市で丈も色も形もちょうどいい感じのを見つけた。
さすがに小さいかなぁと思いつつはいてみたら、
ストレッチだったのもあってピッタリ。
即購入決定。¥3000でラッキー。

そんな感じでご機嫌だったけど、カゼまで拾っていたとは。
今週末はバンドキャンプも控えてるし何としても治さねば!


2004年10月26日(火)



 映画談義

最近よくビデオやDVDを借りてみています。
こないだ観た『ビューティフル マインド』はちょっと衝撃。
実話とゆうのがまたショックで。
とても感動したけれど、統合失調症とゆう病気の怖さに震えました。

『ONE TRUE THING』も良かった。
(「母の眠り」ってゆう邦題はセンス悪い)
とてもリアルな迫力があった。役者の演技力がすごいし。

そうそう、まもなく公開の「2046」に興味を持った。
とくダネ!で特集をやってて、
ウォン・カーワァイ監督の前作「花様年華」を観ると、
つながりなどが合ってわかりやすいなんて言っていたので、
さっそく借りて観てみた。
ストーリーとゆうよりは、物凄く細かい心理描写が核になっていて、
そのための映像作りとゆう感覚がした。
それ感じるとゆう意味ではおもしろかった。
音楽も映像もちょっと変わってたなぁ。アート感覚。

『8人の女たち』は、なんじゃこりゃ〜とゆう感じだったけど、
私は好き。
舞台でもやるらしいけど、映画ってゆうよりまんま舞台だもん、これ。
ストーリー的には、詰め込めるだけ事情を詰め込んでめちゃくちゃだし、
突然わざとらし〜く歌い出すし、吹き出したくなるんだけど、
その滑稽さの先に何か見たくなるんだよね。

まだまだ観たいものがたくさん出てきて、
しばらくブームが終わりそうにありません。

2004年10月25日(月)



 しなやかな思い

久しぶりに昔のバイトのお友達と会った。
1人都合が悪くなって、4人で会うはずが3人になってしまったけど、
楽しい時間が過ごせました。
1人は結婚していてネイルサロンで働いてる。
もう1人は子供がいて今は専業主婦。
それぞれの人生は違うのだけど、
それはそれで話をしてて興味深いことがたくさんあった。
どんな人生を選ぼうと、自分が納得出来ているなら、
それが幸せと言えるんじゃないかと思うのだけど。

こうして久しぶりに会った友達には、
もれなく「私の今」を聞かれるわけだけど、
人に説明することで自分の確認が出来ていいなぁ。
前も書いたけど、また思った。
そして時間が経つにつれて、
より「しなやかな思い」になってゆく気がした。
話している自分が落ち着いてゆく。

以前は分かってもらおうと必死になっていたり、
逆にわからないだろうと決めつけて、
きちんと説明しなかったりした。
わかろうとわからなかろうと、
納得してもらおうと反対されようと、
とにかく相手の反応がなんだろうと、
私のすることはきちんと話すことだけだった。

しなやかさが増してゆくたびに、
私はきちんと話すことが出来て、
聞いてもらえることも分かってもらえることも、
確実に増えてきたように思うのです。



2004年10月24日(日)



 初体験ハーモニー

午前中自宅レッスンをひとつやって、
午後からユニットの練習に行きました。

9月のゴスペルライブでデビューした3人ユニットの名前は、
「シュール・マーメード」
次に挑戦する曲はちょっと前に決めていたけれど、
これが難しい!
無謀な私がボサノバをやりたいっなんて言っちゃったりして。
音もリズムも言葉も難しくて、混乱しつつも、
何度も何度も確認して歌ってみて、半分くらい進みました。
でも、これ出来たら絶対素敵!
独特のコード感が、
初体験の何とも気持ちいいハモリを経験させてくれる。

さてリズム問題ですが、
今日ボサノバをやっていても、
自分のリズム感覚がズレてた部分を発見。
オリジナルのリズム問題といい、
ユニットでこの曲を選んだことといい、
これは重大な気づきと修正の時期なんだと思いました。
集中して乗り越えられそうな気がする。
ん〜たぶん。




2004年10月23日(土)



 引き続き

リズムがわからないのが気になるし、くやしいし、
昨夜はふとんに入ってまで練習していたけど、
結局わからなくて、泣きながら寝た。あぁ暗闇に不気味。
そしたら叱られてる夢見ちゃった。
うなされた。

ちなみにまだわかりません。
正確には、わからないわけではないけど、
ある状況では出来て、ある状況では出来ない。
ってことは基本的にちゃんと感じられてない。
違いが感覚としてわかってないってことだ。


でも今日はリズムを頭の片隅に追いやって、
長浜のほうに行ってきました。
(本当はぜんぜん追いやれてませんが)

お昼はマキノ高原へ寄って、じっくり散歩。
まっすぐ伸びた光がこぼれる並木道を通ってから、長浜へ。
うどんを食べて、いしがまパン工房のパンを買って、
お気に入りのロマン亭のアインシュペンナーを飲んで帰りました。
久しぶりに飲んだけど、相変わらず感激のおいしさ。
深入りコーヒーの上にやわらか〜い生クリームがのせてあるんだけど、
バランスも触感?も絶妙。ワイングラスのような器も良い良い。

夕暮れの琵琶湖沿いを走ると、ホントに綺麗で、
ずっと見ていたくなります。
太陽が沈むまでのほんの少しの間だから、なおさらまぶしいのかな。


・・・なんて思えるのも束の間。
頭はリズムのことでいっぱい。
やってもやっても1つのことが出来ないと、
こんなに自分がつまらなく思えてくるものですかね。
自分にむかついて、コンポのリモコン投げそうな勢い。危ない。
何をあせっているんでしょうか。
こんなんじゃ余計に感覚が鈍るであろうに。

最近、始めは無理だと思っても、
ひたすら頑張ったらできるんだ〜なんて感動してたもんだから、
先の見えなさ過ぎる今の自分の感覚に落胆が激しいのでしょう。
何でもすぐ出来るとか思ってたのかもしれないな。
深呼吸して、落ち着いて、
明日から謙虚にもう一度取り組んでみよう。。。




2004年10月22日(金)



 立ちはだかるリズム

オリジナルの練習をした。
今まで毎回のように課題がドカンと目の前に立ちはだかって、
泣きながら必死で超えてきたのだけれど。
また、きたか。

まいった。
まいった、まいった。
リズムがわからないとゆうことは、こんなにパニクるのか。

今まで歌っていて、
リズムが取れなくて困ったことはなかった。
・・・とゆうか、
重要に感じて注意深く表現しようとしたことがなかったのかもしれない。

感覚ってことに働きかける努力はなんて大変。
しみついた記憶が邪魔してるようです。
かなりイラついてます。自分に。あ〜

2004年10月21日(木)



 そうゆう幸せ

今日を書く前に、間違って去年の今日の日付を入力しました。
そしたら、一年前の私の言葉が目に入ってきました。
やっぱり少し違う、ね。


今日、泣いた。
久しぶりに、うわっと溢れてくる瞬間が、ものがあって。
とはいえ、ここ数日の心のつながりではあります。

理由は今に始まったことでもなく、どうなることでもなく、
泣いてしまえば、ひと段落することです。
今度はいつ溢れ出すかわからないけれど。

私は別にオロオロもしないし、驚きもしない。
背負っていたものの重さを感じて、ひと休みするくらいのことです。
誰かにどうこうしてもらおうとも思っていません。

悲しく思いますか?
違います。そんなんじゃないんです。
こんな今日でも、私は幸せだと言い切れるし、
変えられない何かを恨んだりもしない。
自分の一部を傷つけている現実をより良く祈ることもある。
傷つけているのは自分の思考だけどね。

望むことと拒むことが一体であるかのような時、
やはり望むほうが勝る。
少なくとも私の場合は。




2004年10月20日(水)



 そのまま、とは

つかみどころのない私から少し抜け出して数日。
幸福に包まれた感じとはまた違う感覚。
その先とも、その後とも言える。

自分の中で渦巻くいろんなものを、あえて受け止めてみた。
とてもマイナスな部分も含めるどころか、
プラスに明るく捉えていた部分も、そういった理想を省いて。

私の及ばないところのものばかりだ。
当たり前だけれど、変えられないものが存在しているだけで。

何かをごまかそうと、思い込もうと、
理想にはめ込もうとすることもやめた。
ズレは自分の中に湧き上がってくるばかりだ。

違和感とゆうものを覚える。
自分にも、人にも。

そのまま。
本当に本当に、そのまま、とは。



2004年10月19日(火)



 傷つけたこと

少しツライ気持ちになって、じっくり感じ続けていた。
何が辛く何に引っ張られるのか。
自分の、今に繋げてしまう過去の痛みだと思っていた。
それもあるけれど、それだけじゃなかった。
むしろそれ以外のところが大きいように思う。

傷つけたことへの痛みは、後になって知る。
その痛みを感じる。
もちろん想像でしかない。私の思考の中だけ。
だからこそ余計に辛い。
自分の記憶から周りのすべての人の痛みを追体験してしまうよう。

あの時傷つけたことが痛い。
今も、今はどうなんだろう。
これは自分を責めていることになるのかな。
こうゆう痛みは自分に罰を科しているようだから。
そうして私は自分を何らかの形で束縛しようとする。

これはあくまで私の一部であり一瞬。



2004年10月18日(月)



 何に生きるか

何に生きるかとゆうことをチラホラ考えていた。
いろんな映画を観たり、人と話す中で感じたこと。
何に生きるかで、正しいことは変わってくる。
その人にとってとゆう意味で、真実は複雑に絡み合ってしまう。

何を一番にして、何を優先するかとゆうことになるんだけど、
それがもともと違う場合、違うと知らなくて理解できない場合、
分かりあうのって難しい。

違っていても理解することは出来る。
相手に自分の一番を求めていては無理だけど。

私が何に生きてるかとゆうと、
詩や音楽や声に関すること表現することだったりするのだけど、
それに気づく前は違った。
歌は歌っていたけれど、恋愛が最優先だったと思う。
執着だったとも言える。
一生懸命歌に生きてるふりはしていたけれど、
思い返すと違うし、その時の私も分かっていた。

ずっとそうだったから、恋愛以外のものが一番になることは、
人生の革命だったと言ってもいい。
両極に大きく振れたあと、
生きてゆく望みを託して全く別の場所へと降り立った。
選択の余地はなく、戻る道を失くして、
後ろ向きにたどり着いた場所だったけど、
それが恋愛を超えた本当の大きな愛へのアプローチになった。

恋愛は相手に求めるけれど、
今の私は私自身の内側が、外側に繋がることを見つけたし、
私自身の人生を生きているのだと思う。





2004年10月17日(日)



 愛してるとゆう言葉

愛してるって何だか言いたい。
そうゆう気持ちになる時ってある。
ただそれだけのことかなぁ。

ぼ〜っと考えながらお風呂につかった。
沸かし足りなかったな、ちょっとぬるい。
追焚きしながらあたたまるまで時間があったので、また考える。

遠ざかろうとしていたのはなぜだろう。
愛してると言い合ったり、恋にはしゃいだり、
そういったゆるい平和さを避けて避けて、
ひとところに集中しようとしていたのは。

そうしなければ越えられないものがあったのは確かだ。
だから戻らないように戻らないように、
かたくなにそうしてきたのだ。
そうするしかなかったし、そうすべきだった。
ここに来るには。

私が今日「愛してる」と言いたくなったのは、
そうゆう時ってあるよねってことではないんだ。
ずっと前の感覚に戻るのとは違う。
「愛してる」と言っても、やっと、
引き戻されないところに来たのかもしれない。
多分そう。そうそう。
そうゆう確認だ。

もうその言葉があてはまらないような関係に変化していても、
私は私のために、
あなたに「愛してる」と言わせてください。








2004年10月15日(金)



 私の人生満喫な一日

午前と午後に1人ずつ自宅ボイトレをして、
夜は「サランサラム 詩のあるくちびる」とゆうイベントに
参加してきました。
オープンマイクとゆう自由参加の詩の朗読イベントです。
詩の朗読じゃなくても、表現方法は何でもいいとゆうことだったので、
私はアカペラでオリジナルを1曲歌いました。

こうゆう詩のイベントが各地で行われてるなんて全く知らなかった私。
インターネットで検索してみると案外たくさんあってビックリ。
朗読がブームだとか、詩のボクシングなんてゆう大会が開催されてたり、
別ジャンルなんかとのコラボレーションも流行ってるみたい。

昨日いろんな人の朗読を聞いていて思ったのは、
自分が「何」として表現するかで違うんじゃないかと思った。
その詩なり、言葉の世界観を伝えるにしても、
自分が「何」かで全く違う。
演劇風な人、普段の話し方のままな人、声優さんの声みたいな人、
いろんな読み方があった。
そのどれも私とは違った。
私の創りたい空間とは違った。当たり前だけど。

私はやっぱり音楽をするし、ボイストレーナーで、
朗読する時もそれを含んでいる気がする。
私が「何」かとゆうと、詩人でボイストレーナーで歌う人なんだ。

そういった意味で気づいたことがあったし、
朗読へ向かう気持ちへのスパイスになった。
まだまだ表現の可能性は尽きないんだな。



今日一日を振り返ってみたら、
ボイトレをして、自分の書いた詩を歌った。
私の人生満喫な一日だ。
以前書いたように、自分の人生に気づいてから、
すごい勢いでその生活が現実となっていくようだ。
不思議だけれど、ラッキーだけれど、自然のようにも感じる。
もちろん感謝の気持ちでいっぱいです。

2004年10月14日(木)



 キンモクセイの香り

昼下がりの少しだけ湿った風。
涼しい緑。
雨上がりの夜と、たった一瞬の静寂。
澄んだ空気。
キンモクセイの香り。
広がり香り立つキンモクセイ。
見上げると夜空に浮かぶ鮮やかなオレンジの花。


今日はオリジナルの練習をして、
自然と季節をすうっと感じた日。
心がゆっくりとした気持ち良い日でした。


あなたもどこかでキンモクセイの香りを感じましたか?

2004年10月12日(火)



 罪悪感

お昼、ナディアパークのアートピアホールにダンスの公演を観に行った。
私がボイトレの仕事に行ってるダンススタジオの公演でした。
6日間連続公演の最終日。

少しだけダンスをやったことはあって、
ダンスのステージやパフォーマンス、
ミュージカルなどなどもたくさん観たことがあった。
最近はあまり観てなくて、久しぶりに観たのだけど。

私の感じていたことといったら、それはやっぱり内側だった。
ダンスの技術やキレや全体の雰囲気といったものより、
内にある静かな強さや芯が、
表情やダンスに現れてくる人に見入っていた。
確かに同じ動きをしていても、
表面でしか出来ていないのか、
内側から来ているものなのかをよく感じた。

最後のカーテンコールで赤い紙吹雪が降ってきたのだけど、
その時のみんなの表情や感情に、
何だかもらい泣きしそうになっちゃったけど。
最近はとにかくすぐに何でもかんでも琴線に触れて困る。。。



そんな感動しやすい反面、
いまいちな自分と闘い中なこのごろ。
どうやら自分に厳しいらしい。
いちいちチェックが厳しくて、自分を責めてる。
あらゆることに罪悪感を持ちやすくなってしまっていて。
そうすると、他人にまで厳しくなってしまう。
言ってしまった言葉、イヤと思った気持ちなどを、
「良くない」とまたジャッジする。
そんなことに頭が忙しい。そのままで置いておけない。
これを成長だと捉えよう。
必然だと思えばいい。
全部、それはそれとして置いておけるように。


2004年10月11日(月)



 未だ開発中

大型台風が来るとゆうことで、家から出たくなかったのですが、
たまたま月1の病院の日。
高速もすでに40キロ規制でいつ通行止になるかわからないなぁと思い、
下道で1時間かけて行きました。
特に変わったこともなくいつもの流れで診察は終わり、
薬をもらって帰るだけ。
大変な日に出てきたのに何だかなぁ。
何かあっても困るけど。
今の薬を飲んでる間は妊娠してはいけないのだけど、
また今日も確認された。
「まだない?絶対ないね?結婚の予定も妊娠の予定もない?
 その時はちゃんと言ってくれないとダメだよ。
 ちゃんと別の治療が出来ますからね。」
って。
毎回のように言うのだけど、もうわかってますから〜。


帰ってからは走り書きの詩をノートに書き写して、
めぐりあう時間たちをもう一回途中まで観たりして、
あとはほとんどパソコンに向かってました。
詩のページを作ったり、ライブのチラシを作ったり。
やっと出来ました、ライブのチラシ。
今回は4回くらい作り直した。
これでいいかな、と思い何枚かプリントアウトしたけど、
やっぱり気に入らなくて、また直す。
まだ納得できなくて、また直す。
って最後はサイズまで大幅に変更して、やっと納得。

ここにパッとたどり着けないんだよね。
どうしても時間がかかってしまう。
初めのイメージが細部まで明確じゃないからだろうか。
くねくねと長いトンネルを掘っていかないとたどり着けない。
パッと直結していればいいのに。
未だ開発中か。
近づいてゆく楽しみはあるな。
距離が縮まっていない気はしないから。

2004年10月09日(土)



 めぐりあう時間たち

最近はちょこちょこビデオやDVDを借りて観ています。
今日は「めぐりあう時間たち」を観ました。


2年前に書いた「非日常のカケラ」の歌詞の、

重なり合うように 立ち止まり 振り返り 出逢って 続くよ

とゆう言葉は「めぐりあう時間たち」のようなイメージでした。


こんなに私の心の奥深くに関わってきた映画は久しぶりだと思う。
もしかして初めてのような気もする。
一言一言が、ひとつひとつの場面が、表情が、
あまりにも心に迫ってきてしまって、
あるところではその人の感情と同化してしまったような気分で、
どうしてこんなふうに悲しくて泣けてくるのかわからないところもあった。

人生から逃げずに向かい合うとゆうこと。
その時、苦しみを伴おうと、例え死までがくっついてきてしまおうと、
「それ以外の選択」はなくなる。
それは同時に本当の「生」を選択することに他ならない。
より生きることに他ならない。

私の中に言葉にならない思いが渦巻いています。
限りなくつらいような、限りなく幸福のような。
たくさんの言葉が渦巻いています。
そのすべてがひとつのことを言い表しているような。

何度も観てみようと思います。

2004年10月07日(木)



 内に秘めた思い 外へ出た思い

あまりにも久しぶりに詩をUPしました。
日付をみて自分でびっくり。
また少しずつ届けていきます。


書くとゆうことは、
「思い」とゆうものを内に置いたままにしてしまうか、
外へ出すかの違いかと思う。
内に秘めたままの「思い」は、
積み重なって重い重い「思い」になってしまう。

詩を書く時、頭の中(心の中)でその言葉はほぼ完成しているから、
紙の上に落とした文字となんら変わりはないのだけど、
それに対する自分の感情とゆうものはあまりに違う。
頭の中に置いてある時、それは重く深刻であったりするけれど、
紙の上に落とす過程で、
その重さや深刻さを手放してゆく感覚なのかもしれない。





2004年10月06日(水)



 苦しむ権利

昨日聞いた「苦しむ権利」とゆう言葉。
苦しみを受け身と捉えず、自分の意思として捉える。
悪いことや避けたいことではなく、
自ら進んで苦しむことの出来る「権利」とゆうこと。

私は喜んで苦しむ。
喜んで傷ついて、喜んで悲しむ。
全力で苦しめば、そこから生み出されるものは必ず美しい。

詩人として言葉を生み出すため。
歌い手として声を響かせるため。
どこまでも愛するため。
人生を真剣に探求したいがため。

受け入れるとゆうことは、
苦しまないことじゃなかったんだ。

2004年10月04日(月)



 気づいてしまった

ゴスペルメンバーの披露宴で歌ってきました。
何度歌っても結婚式関係は変な緊張しちゃう。
今日も「JOYFUL JOYFUL」のソロの始めの部分は手が震え気味。。。
その後は気持ちよく歌えました。

これで怒濤のイベントラッシュがひと段落。
さすがに疲れたかも。
ここのところ土日ほとんど朝早くから出て、
一日仕事が多かったからなぁ。


昨日の悲しい気持ちについて考えていました。
もうすでにやり過ごすことは出来ないところで生きてるみたい。
考えると辛くて苦しくなるけど、
そこから離れると逃げてるみたいで、それが嫌で戻ってしまう。
じゃあどうするかって、何度も何度も繰り返す。
さんざんそうして苦しんで、そしたら生まれてくるものがあったりする。
これって健全じゃないかもって思うけど、
でもこのほうが私にとっては健全ような気もする。


出かける前に岩崎宏美の「波乱万丈」を見ていた。
歌うことを制限しても結婚生活をエンジョイしていたはずなのに、
夫が海外へ転勤になって、あとから追っていくはずが、
そこで歌とゆうものが大切で、歌ってなければいけなくて、
そうすべきなんだとゆうことに気づく。
そしたらどうしても夫のところへはいけなくて、
子供とも離れることになってしまったけど、歌を選択した。

歌手活動を再開したものの、大きな悲しみを引きずり続けていたみたい。
そんな時に何年も前に演じた、
「レ・ミゼラブル」のファンティーヌとゆう役を、一度は断るのだけど、
(この役は子供のために娼婦にまでなるのだけど、
 最後は病気になって主役のジャンバルジャンに
 子供たちのことを頼んで死んでしまう役)
結局演じる決意をして、
演じきった時に「本当の感覚」とゆうものを味わえた。

妹の岩崎良美が、歌うこと制限して結婚生活をしている姉を見て、
「歌うために生まれてきた人なのに・・・」って思ったらしい。
それと岩崎宏美の「私は気づいてしまったんですね」とゆう言葉が、
とても印象的で納得した。


気づいてしまったらね、
それに伴って捨てなければいけないものがあっても、
背負う悲しみがあっても、
とにかく気づいてしまったら、もう目をそらせないんだよ。
それ相当の覚悟を否応なしに迫られる。迫られ続ける。

でも同時にあまりにも大きな喜びや感動や確信や納得を知ることになる。
深い悲しみと深い喜び。
かけ離れた両極のはずなのに、背中合わせにあって行き来し続ける。

まぎれもなくそうするしかない人生。
だって気づいてしまったからね。


2004年10月03日(日)



 悲しみは誰にも向かわない

今日は殺人的なイベントに参加してきました。
ゴスペルをひたすら40曲歌うとゆうもの。
「ゴスペルZanmai!」なんて名前のイベントです。
なんとざっと100人くらいの参加で、
疲れるどころかボルテージは上がり続けたまま完走。
私は途中少しだけ休憩したけど、
なんだかとても楽しくて有意義な一日だった。
打ち上げでこっそり歌ったアカペラも最高でした。

しかし祭りのあと。
駐車場に向かう道を1人で歩いていると疲れがどっと出てきて、
解消できない感情に思いを馳せて泣きたくなったりしました。
そんな時あれこれ考えたって、
回りまわってたどり着くところはいつも同じ。
解決を誰かに求めることでもないし、
何より自分で選んでることだから。
全部を含めて、私がいるところだから。

不意打ちをくらって悲しくなるといつも思う。
わかっていたことなのに、また忘れていた。
悲しみは誰かに向かわない。私の中のものだ。
怒りは悲しみなどのすり替えで、ちょこっと掘り起こせば、
それは結局私の中に現れた悲しみに過ぎない。

私はそんな時いつも向かい合う。
そんな時は自分を責めないように。
ほかの誰も責めないように。
悲しみがくるりと向きを変えて去っていくまで。

2004年10月02日(土)



 つかみどころがないんです

もう10月ですね。今年ってあと3ヶ月。
でもって、予定とかほとんど決まってるから、
もう終わった感じもするなぁ。

今日はお休みだったので、車を1時間半くらい走らせて、
近くの観光地を散策。
遠足らしき無数の高校生の間をぬって、
そばを食べて、お抹茶を飲んで、栗きんとん食べて満喫してきました。
日差しは強いけれど、風は気持ちいい。
ふとオリジナルの「非日常のカケラ」が流れてきた。
あの曲の歌詞はもともと、母のことを考えて書いたんだった。



なんとゆうか、最近はちょっとボケッとしてるみたい。
頭が冴えないような。
悪くないけど、良くもない。
こうゆう時って一番わかりにくい。
わかりにくくて、自分を認めにくくて、
どうしたらいいのかもつかめない。
どうにかする必要はないんだろうけど、
ジタバタしたくなるのはなぜだろうか。

あ、オリジナルを歌おう。
詩は書いてるけど、ぜんぜんUPしてないな。
何か作ってプレゼントしたりもしてないし。
「太陽と雨」ライブが終了して、9月はしばし休憩していたからかな。
また動き出します。



2004年10月01日(金)
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