天使のながばなし
maki



 綱渡りな幸せの毎日

キーボードを貸す約束をしていて、
久しぶりにパスタ屋バイト時代の友達がうちに来た。

少しだけ立ち話。近況報告。
じっくり話したわけでもなんでもないけど、
自分の思いとゆうものは口にすることで、
自分自身の確認になる感じだった。
あぁ私、そうだった。そうだった。なんて思いながら。

見失ってしまった時は、そうするとちゃんと帰ってくるんだ。
言うことやること、あれあれ?と感じてて、
首をひねってたところでした。

相変わらず綱渡りな幸せの毎日です。

2004年09月27日(月)



 母のこと 死ぬとゆうこと

午前中にイベント出演が終わり、みんなでランチしてから帰宅。
日曜・祝日・日曜と3連続イベントを乗り切って少しほっとしてます。
とはいえ、来週の土日もイベントと結婚式で歌うのですが。


タイトルが重い感じになっちゃったけど、そうゆうんじゃないですよ。
夕方犬の散歩していたら、
幼なじみの男の子のお母さんに会った。少し立ち話。
「お母さん亡くなって何年経ったっけ?」なんて話。

7時前から美空ひばりの特集をやっていた。
母が亡くなってもうすぐ4年だけど、美空ひばりが好きだった。
美空ひばり全集(CD)があって、今は私がたまに聴いてる。
上手いから勉強になるんだよね。
母は歌も好きで小さい頃はNHKの合唱団とかやってたらしい。
実際上手だった。

夢に出てきたり、たま〜に思い出すくらいで、
普段はあまり考えたりしない。
だけど、特に母が亡くなるまでの10年くらいは、
私の心なりに多大な影響を及ぼしてたのかもなぁとは思う。

母はアルコール依存症で肝臓などを悪くして、入退院を繰り返していた。
私はその間に高校生になり、卒業し、歌を始めた。
そしてずっと「どうしたら止められるものか」と闘ってきた。
あれこれ調べていろんな方法で母の心に働きかけてみたけれど、
結局ダメで、疲れてしまっていた。
亡くなったのは私が闘いを少し休んでいた頃だったんじゃなかったかな。
また頑張ろうと思っていたから、ずいぶん後悔した部分もあったけど。

私はお葬式の日の夜、ゴスペルのライブに出演した。
自分で企画したものだった。
その日のソロは「OH HAPPY DAY」で、それは私の本心だった。
確かに憔悴していたけれど、悲しいとゆう感覚はあまりなかった。
わかったことや感じられることや感謝する気持ちがたくさんあったので。
打ち上げでみんなに伝えたら、みんなも一緒に泣いてくれて、
やっぱり「OH HAPPY DAY」だなぁと思ったのを覚えてる。


何年か前に友達が言った言葉があった。
彼女が彼(今はダンナさん)とのことについて言った言葉。
「彼が死んだら私も死ぬと思う」って。
これは後を追って自殺するとゆう後ろ向きな意味じゃなくて、
それが自然で、当たり前なことのような気がするとゆう意味で。
私は彼女のことがとても好き。
インパクトの強い言葉だった。
そうゆうふうに思ったことはなかったから。

こないだ金スマの特集を見ていたこともあって、
自分の愛する人が死んでしまったらと考えてた。
私は死なないけど愛し続けてゆくのが自然で当たり前のことかな。
愛する人は特別で必要な人、それは変わらなくて、
その先もきっと私は私の人生を生きてゆくだけなんじゃないかなぁ。





2004年09月26日(日)



 かけがえのない出逢い

誰かに対して、嫌いとかそうゆうわかりやすい感情ではなく、
受け入れられないとゆう感覚になるのは初めてだ。
もういったい何がそんなに受け入れられないのかわからない。
それでも関わる必要性が出てくるとゆうことは、
何か意味があるからなんだろうか。
これについては模索中。


夜はゴスペルのお友達と食事に行った。
あれこれと音楽や何やらについて語り合うのは楽しい。
最近見たキルビルの話や低反発の話や昔のテレビ番組の話なんかで、
盛り上がったりもするのだけど、それもまた楽しい。
こんな仲間に出会えたことは本当に貴重で感謝すべきことだと思う。
オマケに一緒に歌まで歌ってるんだもん。
かけがえのない出会いに恵まれてるなぁ。
みんな1人だけどね、1人じゃないなぁって思う。
そうゆう出会いで繋がれていくことってたくさんある。
もちろん出会いに頼らずにその後が大切。
自分が向上していけるとか作らずに自然体でいられるとか、
投げ出さずに関わることが出来る。
関係を固定せずに柔軟に成長し続けていけたらいいなぁ。





2004年09月25日(土)



 100のアドバイスをくれたら 私は200気づこう そして300実行しよう

残暑厳しいですね。
おかげで今日のイベントも大変でした。
歌っているときは、ぜんぜん平気なんだけど、
待ち時間ってものがツライね。
暑かったけど、人はたくさん集まるものですね。
夕方帰ってからは、衣装のまましばらくソファーに倒れこみ。
暑さは想像以上に体力を奪う。
自分の状態考えて、もう少し工夫しなきゃとは思うんだけど。反省。


ボイストレーナーの仕事を始めて、もうすぐ3年。
偶然のように始まったけど、
今はこの仕事が私にとって、とっても大切なものになってる。
ずっと自分が歌っていただけだったし、
誰かに教えようとも教えたいとも思ってなかったし、
それより何より「ボイトレ」について真剣に考えたことすらなかったかも。
こんなこと言うのもなんだけど、重要性を感じていなかったんだよね。
そんなことより感性だ!感覚だ!みたいな。
努力や探求が出来ない、ただの言い訳だったのだけど。
だから音楽に対しての自分が嫌いだったんだろう。
そんなんだから、自分に自信もなかった。

今は自信があるかと言われると、そうゆうことではないけど、
自分のことを認めてはいる。
努力も探求もしてると思うし、逃げてないとゆう部分で。
課題が目の前に現れた時、クリア出来るか出来ないかとゆうより、
私はちゃんと頑張るだろうと信じられる。

最近、新しい出会いやアドバイスなどに恵まれて、
また新しく仕事が出来ることになった。
今月のカバーポエムのように、

100のアドバイスをくれたら 私は200気づこう そして300実行しよう

と、私は精一杯頑張るだけ。

2004年09月23日(木)



 「これ」は人生

今日はスッキリしていた。
考えてみれば、一点の曇りなく穏やかだったのは、
ついこないだのことで、
そこに留まる必要もなく、色々気づき続けていけばいいんだった。

山と谷のくり返しで、
谷の時は頂上の景色を忘れてしまうのようなもので。
谷は谷で見付けるものがあるんだった。



幸いにして私は「これ」とゆうものを見付けられた。
「これ」とは人生そのもので、「人生」を見付けたことになる。
その時点でそれまでのすべてを肯定出来ることになった。
この先のすべても。

後悔しないとゆうか、決意とゆうか、
それより何より確信があるので、
どんな状況に置かれたところで、
あきらめるとゆうことはすでに排除されている。
つまり、あきらめるとゆうことは人生をやめることになるから。
それはあり得ない。

私がとても楽観的なのは「先」を見たからじゃないかな。
いわゆる未来とは全く違うことで、
物事がハッキリ見える、とゆうようなところ。
言葉では正確に表せないけれど、
きっとライブではそれを感じてもらえると思う。
「聴く」よりも「感じる」空間なんだろう。





2004年09月20日(月)



 1人で生きる

やあ〜、今日は疲れた。
朝6時起きで用意して、9時前に野外イベントのリハーサル。
でもって本番は2時前。
行きは雨がパラついてたくらいなのに、
本番にはカンカン照り。
暑いし、座れるところは影ないし、影あるところは座れないし、
ステージ脇で待機してる時が一番つらかった。
そこでそうとう体力奪われてしまった。
でもステージには屋根もあるし、歌っちゃったら平気だったけど。



別に悩んでるとかないのだけど、
いまいちスッキリしない気分。
スッキリしないのが何なのかわからないのが問題なのかもしれないけど。
考えも心もすっと定まらなくて、
自分の中で押し黙ってしまうこともしばしば。

言ったことを後で不安に思ったりもする。
明確に話せなくて、相手に伝わらないのは、
自分の中でそれが明確でないのと、
気持ちを推し量って無意識にねじ曲げてしまうからだと分かる。
時に感情的になって、必要のない怒りにすり替えてしまったり。
瞬間的な怒りは余裕のなさ。
話し過ぎて伝えたいことを自分で埋もれさせてしまうことも。
今は仕方がないので、焦らずそのままにして過ごしています。



1人で生きるとゆうことを考えた。
物理的に、とゆうことではなくて、心とゆう意味で。
これはなんて難しいんだろう。厳しいんだろう。
毎日闘い続けている。
すぐに決めつけてしまう「関係」とゆうものを排除し続けている。
何も期待せず、思い込まず、求めず。
これを寂しいことだと言う人もいるかもしれないが、
全く逆のことです。
私はそうしなければいけないし、そうしたい。
そこから生まれるものを信じたい。





2004年09月19日(日)



 きょとんとしている

昨日も今日もパソコンに向かったけれど、日記を書けなかった。
時間がなかったわけじゃなくて、手首が痛いわけじゃなくて、
何を書いたらいいのかわからない。

お風呂につかりながら、いろんなことに対して、
どうしたらいいのかなぁ、どうしていこうかなぁと考えていたけれど、
そんなふうに混乱してる時に出てくるものってイイことない。
頭モードになっちゃってて、正しいことを探そうとしたりして、
これまた混乱に拍車をかける。いらん想像力もたくましいしね。

あれ?どこだっけ?やっと見つけた場所は・・・
ありもしないところを探す。戻ろうとしてるの?私は、どこに。
守ろうとしてるの?それじゃあ何も新しくないし、柔軟じゃない。



そう感じながらも、毎日作業は進むし物事は動いてゆく。
この2、3日中にも。
こうゆう時もどうゆう時もボケッと考えていたって始まらない。
やることはいっぱい。しかもやりたいことばかり。とにかくやっていこう。

今の私を言葉にするなら「きょとんとしている」かな。
こう書いてみたら何だかおかしくなってきた。
言葉の中にはいつも、客観的に見る私がいて、
それがまた何かを気づかせてくれる。
そうして私は救われてきたんだろう。







2004年09月18日(土)



 ゆらぎ

この前、ふらふらしませんように。。。なんて言っておきながら、
その揺らぐ場所に、私の源のようなものがあった。

私はふらふらし続けている。
微妙なバランスを保ちながら、核を持ちながらも、
私は揺らぎ続けている。

そしてその揺らぎの中でしか見えないものを言葉にしている。
または声となって歌となって空気に放出される。

つらいようで望むもの。
確実に私は幸せに満たされてゆく。

私がいつもそこを見てきて、伝え続けるからね。

2004年09月15日(水)



 通過点

土曜日のゴスペルライブが終わりました。
昨日は森林公園に散歩に出たりしたものの、
夕方過ぎあたりから体がどす〜んとしてきて、
今日はほとんど死んでました。

7月からイベントやライブ続きだったけど、
今日の体のしんどさは久しぶりだったかも。
そしたらやっぱり気持ちもスッキリしないね。
休まなければ。
な〜んて、まだ9月はイベント3つも残ってるもんね。
頑張っちゃうよ。

今回のゴスペルライブは、また新しい感覚だった。
去年は「楽しめなかった」とゆう感想だったけど、
(この言葉にはいろんな意味があるので、詳しくは去年の日記なぞ見てね)
今年は「通過点」とゆう感覚だった気がする。
何も終わらなかった。
始まったことがいっぱいあった。
今までライブをゴールのようにしていたところがあったのかもしれないな。
ライブはその場で創って創って、創り続けてゆくことしかないのに。

もう今は、今やりたいことを考えている。
それはこの先に自然に繋がっていくんだと思う。







2004年09月13日(月)



 ジェリコの戦い

とくダネで、9.11のテロで家族を亡くされた方の特集をやっていた。
明日。そしてゴスペルライブ。

私はソロを歌う曲について考えていた。
歌うのは「Joshua Fits The Battle Of Jerico」(ジェリコの戦い)
9.11の明日、この曲をどんなふうに歌ったらいいんだろう。

このジェリコの戦いとは「聖戦」?
神の意に添った戦いや勝利とはなんだろう?
ある解釈にはジェリコは遊廓だったらしく、
その風紀の乱れが神に狙われたんだろうなんて書いてあった。
モーゼの十戒に背くことだから。
何だかものすごく一方向からの解釈。

殺戮にどんな理由が許されるんだろう?
武力や戦いは無意味に拡大してゆくだけだと思う。
たったひとつの水滴のような爆弾が、
ぽちゃんと落ちるだけで、波紋は限りなく広がってゆく。
悲しみや絶望を連れて広がってゆく。

やっぱり私は、
この「ジェリコの戦い」を平和を込めて歌いたい。
崩れ落ちるジェリコの要塞が、
世界の戦いでありますように。
ヨシュアの手にする勝利が平和でありますように。

2004年09月10日(金)



 存在場所

今日も少し悲しみを引きずってしまった。
午前中に高校教師の再放送なんて見てたら、
余計に切なくなってしまった。
こうゆうところには近づかないようにしてたのに。

自分がどこにいるかってゆうことは、とても大事だと思ってる。
自分のマイナス部分と向き合うことは大切だけど、
マイナスな環境に身を置くか否かは自分の責任だから。

ただ、より存在し得る場所に存在するだけだ。
どこかへ行くとゆうわけではない。
ここにきちんと存在すること。
もうふらふらしないように。
ふらふらしませんように。。。

2004年09月09日(木)



 謙虚と傲慢

ここのところ、とても心の調子が良かったけれど、
少しの違和感を感じていた部分もあるにはあった。
謙虚であることと自信を持つ状態のバランス。
バランスを取るなんてものじゃないことは分かっているのだけど、
自分がどちらかに傾いてしまうことをうっすら感じていた。

本来、謙虚であることと自信がなく弱気であることは違うし、
自分を信じていることと傲慢であることは違う。
わかっているはずなのに、
心が落ち着いて自分を信じられる状態になったことを、
守ろうとしていたところがあったのかもしれない。
そうすると傲慢になってゆくのかもしれない。
そんなことしなくても、きっと大丈夫なのに。

不自然な部分の反動がくると、
また悲しみを連れてきたりする。
いろんな色合いの悲しみが混ざり合って、
何が悲しいんだかわからなくなる。
磁石みたいにくっつくから、
引き剥がして捨てるのにちょっとだけ時間がかかる。

今日の私もまだ私です。



2004年09月08日(水)



 私は知った

日曜日はゴスペルの練習漬けで、
きのうはユニット練習とお仕事。
ほとんど歌ってました。

ユニットはゴスペルの友達と3人で結成したのだけど、
私と低い声が魅力のもう1人は、なんと同じ誕生日。今日。
そして高い声が魅力のもう1人は、一週間後。
そんなわけで3人で3人の誕生日を祝ったのでした。
なんともめでたい私達です。
呼吸も少しづつ合ってきて、本番が楽しみだなぁ。

今日は別のゴスペルのお友達の家でちょっと練習。
といってもほんとど楽しくおしゃべりしてました。
話している中でたくさんの確認や発見や勉強が出来て、
そんな時間が過ごせる人が近くにたくさんいることに、
とても感謝しています。
さらにまたまたケーキをいただいて、
こんなに何度も祝ってもらっていいのかしらん。
夜は台風の中、お仕事でした。




最近の音楽活動で何度も感じたことがありました。


私は自分が何も知らないことを知った。
何も出来ないけれど本当にやろうと思ってそれに向かって実行すれば、
ちゃんと出来ることも知った。
また、たとえ出来なくても、
悲しんだり自分を責めたり蔑む必要などないことを知った。

あ、また思い出した。「GREATEST LOVE OF ALL」
私の尊厳だけは誰にも奪えない。
自分の中に大きな愛を見つけた。
だから本当の意味で私が傷つけられてしまうことはないと知った。
私は今、何もこわくない。

地震や台風にはビビってしまうけどね〜。






2004年09月07日(火)



 早々と秋仕様

9月なので、もう秋仕様のトップページ。
そして冬のライブのお知らせ。
まだ残暑厳しいし、気が早いけどね。
あと、bbsを復活させることにしました。
みなさんのいろんな思いが巡り巡っていきますように。


私、7日が誕生日なのだけど、
いつも土日に来るお父さんの彼女と子供達がお祝いをしてくれました。
子供達はそれぞれ、プラスチックビーズで作ったものをくれました。
自分でデザインを考えたらしいのですが、これがなかなかの発想。
こないだの「太陽と雨」ライブに来ていたのだけど、
下の子は「太陽と雨」をイメージしたコースター。
ちなみに私がよくコーヒーを飲んでるのを見ていて。
上の子はイニシャルのネームプレートと、
音符の形をしたフォトスタンド。
立体的。こんな技もあるのね。

その後は「太陽と雨」ライブで歌った、
あの歌はどんなだった?攻撃に合い、
ランダムに、ずうっと歌っていました。
どんなふうに届いているのかなぁ。。。

2004年09月04日(土)



 幸せと湿った風

朝起きたらすごく寒くて、頭も痛く熱っぽかった。
朝ごはん食べて、洗濯して、また寝た。
少し眠って1時くらいまた起きたら、
だいぶ良くなっていたので、活動開始することに。


アルティに買い物へ。
長久手の図書館通りが工事でものすごく混んでて、ずいぶん時間がかかってしまった。
ほんの少しイライラがやってきたけど、すぐにポイッしました。
お店に入ったら「いいとこに来たわね〜」と言われ、
絶妙なタイミングで、今日発売の生ラーメンを試食させていただけることに。
おいしくて買っちゃった。
食後のコーヒーまでいただいて、
私ったら買い物に行ったのか、ランチに行ったのか。。。


お店に行くといつも短くも長くもいろんな話をします。
私は、自分でも自覚しているけど、以前とは変わったそうです。
何が変わったかとゆうと、幸せだとゆうことです。
幸せだとゆうことに気づいて、感謝できるようになった。
それと怖れなくなったとゆうこと。
すべてが完全にではなくても。
それに、多分完全なことなんてないだろうし。

でもね、心を開け放っているつもりでも、
まだまだ湿った風は雨を連れてきて、私の中に降らす時がある。
過ぎていけばなんのことない、また晴れ渡っている。
雲は私の中にあるわけじゃないと思うと、過ぎるのをじっと待つのも苦じゃなくなってきた。

たまにそんな風に湿った風も吹きぬけるけど、
とにかく私は幸せを感じ続けています。







2004年09月03日(金)



 声に出してわかるもの

声に出して届くとゆうことは知ったけど、
今度は声に出してわかることがありました。

出しても出さなくても同じ言葉だと思っていたけど、
気づくものは違った。感じるものは違った。
私はいつも、言葉に対して沈黙の中にいたから。

でも声に出してみるとそれは、
リズムを持っていて、響きを持っていて、波を持っていた。
強さや、柔らかさや、すがすがしさも。

本当は黙って黙って書きながら、心の中で歌っていたのかもしれない。
それに気づかなかったなんてね。
相変わらず気づくのに時間がかかります。




2004年09月02日(木)



 今とゆう瞬発力

お昼に気功へ行って、テーブルの上のカレンダーが9月になっているのに気づく。
あ、もう今日から9月かぁ。
そして私はまたひとつ年をとろうとしています。


最近、話す瞬発力がよくなりました。
数は減ったし、考え込んで結局何も出ないこともあるけど、
だらりと余計な言葉を垂れ流さないようになってきました。

話だけじゃなく、行動もそうかもしれない。
自分で腰が重いなぁとゆう自覚はあったから、
行動しなきゃ!とゆう感じに頑張ってはいた。
頑張ってはいたけど、頑張らなくちゃ出来ないってのは、何か邪魔するものを抱えてるってことだ。

それ自体が減ってきたらしく、それに、今を生きるってことが少し身についてきたらしく、
「あ、今やろう」「それ、やってみよう」ってのが、心にひっかかりなく出てくる。
言葉にも行動にも結びついていく。

だから今は「悩みを抱える」って状態もなくて、どっかからやってきてもすぐに手放せる。
「悩みを抱える」とはよく言ったもんだ。
必死に抱えてるのは自分なのにね。



2004年09月01日(水)
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