天使のながばなし
maki



 禍い転じて福となった

午前中は洗濯とか掃除とか家のことをちょこちょこして、
午後はオーラ測定に出かけた。
うちから車で15分くらいのところ。
大通りからちょっと入っただけなのに、
すごく静かな場所でびっくり。
車を止めて建物の中へ入ると、受付に女の人がいたので、
「オーラ測定をやってみたいんですけど」と言ったら、
「今日、たまたま担当の者が出ていまして・・・」
・・・だって。
いつもはだいたいいるし、すぐ出来るらしい。
あ〜タイミング悪い。
でも、しょうがないからまた今度。

オーラ測定終わったら買い物に行こうと思ってたので、
そのまま近くのアピタへ。
昨日、マテリアルワールドでクラクラきちゃったし、
あきらめ半分で衣装さがし。黒いパンツ。
結婚式とかに着ていけそうな服が置いてある店へ入ったら、
生地もいいし、デザインも良さそうなパンツがあったので、
試着してみることに。
でもやっぱりちょっと高い。。。
2本はいてみたけど、どっちも大きくて断念。
さて気を取り直して、お姉系の店へ。
私とこの店って合わない〜と思いつつ、
気になるパンツを発見。
また2本試着してみた。
見た目は細そうじゃなかったのに、
実際はいてみるとかなりピッタリ!
しかもさっきの店より安いし、やっと見つけた〜ってな感じ。
普段使い出来そうなシンプルな方も欲しくなったけど、
涙を飲んでステージ用だけを購入。
その後、靴も買ったんだけど、
手持ちのお金は小銭だけになってしまった(汗)

帰りの車の中で考えたけど、
オーラ測定やってたら靴買えなかったなぁ。
おぉ、よかった〜!
禍い転じて福となった。だわ。

あ、今日買い物しかしてないや。。。




2004年04月30日(金)



 マテリアルワールド

世間様はゴールデンウィークなるものに突入してるらしい。
5/15のライブの衣装をさがして、
栄の街をフラフラしてみたけど、これが大失敗。
三越とか丸栄とか松坂屋とかデパートって、
普段あまり足を踏み入れない私。
まして祝日なんて。
時間があったからついでにって感じだったけど、
やっぱりやめたらよかった〜。

久しぶりに歩いたマテリアルワールドにクラクラ。
音も人も物もうるさくて、ムダにまぶしくて、
老人のようによろけそうになりながら歩いた。
お目当ての黒パンツをさがす気力はすでに失せ、
ただ通り過ぎるのみ。
ああ、もうこんなとこで買い物出来ん・・・私。
とゆうかしたくない・・・来たくない・・・
確かに可愛い服いっぱい。でもいらない。
外へ出て、道を歩けばキャッチに声をかけられ、
松坂屋1Fで「美の巨人たち」ギャラリーが出来上がってて、
少しでも癒されようと入って観てたら、
知らないおじさんに話し掛けられ、おじさん止まらない。はぁ。
疲れきった私の結論。
マテリアルワールドには以後近づかない。です。

2004年04月29日(木)



 幸せとゆう結論

遅ればせながら「ロード・オブ・ザ・リング」観てきました。
やっとです。滑り込みって感じで。
3時間半近くだけど、飽きなくておもしろかった。
でもやっぱりトイレ行きたくなっちゃうけど。
家のちっちゃいテレビで見るのとは、迫力が違うね。
音もぜんぜん違うし。
映像がすごかった。スケールが。月並みな感想ですが。
で、結局、指輪は自ら捨てたわけじゃないんだね。
人間(ってかホビットだけど)って感じだ。


昨日の昼間は、
お友達の家で練習とおしゃべりをしていたんだけど、
いつも違うようでいて、同じことも話してる気がする。
でもそれで楽しい。てゆうかそれが楽しい。
そしてまた「私たちってば幸せ」とゆう結論。
この結論を口にすると、社会では、
受け入れられない冷たい視線が突き刺さったりする。
ウソでしょ?ありえない!とゆう。
だからそれを察して、黙ってることもある。
石みたいになっちゃったりして。
時と場合による、今はまだ。
私を不幸な目で見る人達には、
私が本当は幸せだとゆう事実が届かないのがわかる。


人って、他人に厳しく自分に甘いねって話とか。
すぐ人のせいにしちゃうってこと。
問題を解消するために、
それをきちんと口に出したり、
行動したりするのは自分の責任で、自分次第のはずなのに、
悩みや愚痴だけを口にして、
問題は相手の責任のみとゆうことになってしまう。
相手に委ねたって何も変わらない。
むしろ悪い方向に向かうこと多し。
自分で決めましょう。
どうしたいか、何がしたいか、どこに行きたいか。


それがわかったら、いつだって退屈な時はなく、
いつだって幸せでいられる。
幸せとゆう結論に辿り着き続けるのだ。







2004年04月28日(水)



 スピリチュアル

マクロビオティックのMLが毎日のように届くんだけど、
その中の1人の女性のHPに遊びに行った。
イラストを書いてるんだ〜と思って見に行ったんだけど、
メインはマクロでもイラストでもなく、
スピリチュアルなものだった。
それ系のHPを久しぶりにじっくり読んだ。
彼女の実際のスピリチュアルストーリーが、
自然で、力が抜けて、ストレートに書かれていたので、
とてもおもしろかった。
うなずけるところもたくさんあったし。
その中に出てきたオーラ療法、面白そう。
近くにオ−ラ測定してくれるとこがあるから、今度行こう。
それと最近、ヒーラーの方を紹介してもらったから、
そこへも行こう。
そんなわけで、久しぶりにスピリチュアルなことへの関心高まり中。


数年前にその世界に興味を持って、
色々読んだり聞いたり、体験したけれど、
ここのところ、接触も心もそこにはあまりなかったし、
重要性は感じなかった。
その分、今現在の現実とグッと向き合って頑張った時期だったと思う。
どちらも必要なことだったと思う。
ここにきてやっと、2つが重なってきた。
例えば大きな「愛」とゆうものに、
違う方向からアプローチした感じ。
どれも大切な作業だったように思う。
もちろん今も途中なのです。


2004年04月26日(月)



 イラク人質事件で思うこと

書こう、書こうと思ってて、書いてなかったけど・・・
イラクの人質事件のこと。

初めて拘束された映像を見たのは、
よく行く洋食屋さんで、だった。
見た瞬間、体が凍りついてすごい恐怖に襲われたのを覚えてる。
それから何かしなきゃ、何かしなきゃって気持ちになって、
メールを送ることくらいしか出来なかったけど。
政府の対応をマスコミを通して感じるたびに、
憤りが抑え切れないくらいだった。
人質解放を願うことは、人として当然と言えば当然だけど、
私の気持ちは自分でも不思議なくらい、
沸き上がるのを抑えられないものだった。

無事解放されてよかったものの、
日本では「自己責任」論が飛び交っている。
総理をはじめ政府側の人間は口をそろえて被害者を責める。
私はそれを聞きながら、
これってレイプされた人に対して、
「あなたがミニスカートをはいてたから悪いんでしょ」
などと言ってしまうのと似ている気がした。
そんなこと絶対に許せない、私は。
これはあきらかに、
人の痛みを度外視した氷のような発言。
何か欠落してないか?一番大事なところが。

そんな格好してると危ないと、再三言ったじゃないか。
それで危なくなって、助けてとゆうのはおかしい。
自己責任が無さ過ぎる。

これと人質事件のことって、何か違う?
違う話だけど、私はひとつも違わないと思う。

自己責任だと政府側がどこかで言うたびに、
波紋が広がって、本当に恐ろしい。
家族にまで謝らせて、押し黙らせてしまって、
そのうえ税金のことまで言い出したり、
こんなに苦労して助けてやったのに、なんて。


正直言って、自己責任かそうでないかなんてどうでもいい。
本当は最初から問題はそんなところにないから。
何を摺り替えようとしてるのか。


私は詩人として思った。
ジャーナリストやボランティアの方達が、
命を危険にさらしてまでやらずにはいられないこと。
それ自体が彼等の生き方。
生きることそのものなんだと思う。
どんなに世間との間に摩擦が起きようと、
つらい思いをして諦めかけようと、
どうしてもやめることなんて出来ないと思う。
やめてしまったら、それこそ彼等は死んでしまうんじゃないか。
だから私はやっぱり彼等を誇りに思うし、
すごいと思うし、決してやめないで続けて欲しいと祈る。
そして1人でも多くの人が、
自分の使命であり、
本当に生きてゆく道を見つけられたらと、切に願う。
その時が間違いなく誰もが幸福で平和に満たされる時だと思う。




2004年04月25日(日)



 立ち尽くして

納得出来ないことを押し込めたり、
表面的な楽しさだけを求めて妥協したり、
責任転嫁して自分を守ったところで本当は傷つけたり、
違和感を感じても理由をこじつけてやり過ごしたり、
その場を取り繕うことでその時だけ安心したり、
あまりにも本当じゃないところが多すぎる。
何を怒っているわけでもないけど、悲しくはなる。
否定したりもしないし、同調したりもしない。
とにかくあらゆる場面で、驚くのです。

裸になった自分で、風にさらされる。
とても気持ちいいけれど、
この社会では、いたたまれない気持ちになることもあって、
グッと押し黙って立ち尽くしてしまうこともある。
だからって私はもう服を着ないし、サングラスもかけないけれど。
いったいどうしてそれを伝えたらいいのか、
私にはわからない時がある。

今日は真冬のように寒かった。
暑い日の後の寒さはそれくらいに感じる。
ちょっと立ち止まった一日。



2004年04月24日(土)



 闘い

昨日と打って変わって今日は寒かった。
犬の散歩をしながら、冷たい風に負けそうになった。
明日はもっと寒いらしい。
この変化にも何とか身体は無事。今のところ。

夕方近くのユニーに買い物に行ったら、
以前バイトしてたパスタ屋で一緒だったパートさんに会った。
めちゃめちゃ久しぶりで、しばし主婦気分で立ち話。
普段はこんな光景見ると、邪魔だよもう〜、なんて思うけど、
自分のこととなると、そんな記憶は隅に追いやったりして。
とても明るくておもしろい人で、
でも気分の浮き沈みが激しいって言ってた。
何だか分かる気がする。
私自身、そうだったような。。。

私の場合は、原因ってこうかな。
自分でも分かるくらい無理してた時があった。
それにまた苦しめられたり。
今はそうじゃないけど。
だから見る人によっては、私は明るくなくなったかもしれない。
でも今の私の方が本当の私。
少なくとも、ウソの自分とホントの自分にジレンマを感じて
苦しんだりはしないから。


今日はよく寝過ぎて、夢をいっぱい見た。
ちょっとエッチな夢も見つつ、子供を2人産んだ夢とか。
1人は女の子で名前に「あ」か「ゆ」か「み」が付いたような。
話していた気もするけど、首を持って寝かしていた気も。
いくつなんだいったい。
夢の記憶は曖昧だし、つじつまが会わない。
すごくかわいくて愛おしかった感じがする。
それから、それを友達に話していた。

あと、今日は少し歌って、上手くいかなくて、
まだまだ辿っていない道は溢れ返っているのだと再確認。
人生は闘い、だね。



  ◇武力を用いて争う場合やスポーツなど、
   広く一般には「戦」を用い、
   障害や困難に打ち勝とうと努めたりする場合は、
   多く「闘」を用いる。


・・・んだって。








2004年04月23日(金)



 その瞬間その場で

今月、すでに2回「蚊」に睡眠を邪魔されました。
早すぎます。
今日は異常に異常に暑くて、クラクラきたぞ。


さて、
すぐ怒るのも、すぐ泣くのも、感情的なんだな。
私はすぐ怒りはしないけど、すぐ泣く。
感動しても、悔しくても、悲しくても、つらくても、
それ以外に自分で「何で?」って思う場面でも。
こらえようとすると、抑えられなくて余計泣く。
そこに行ってしまうと、切り離せなくなっちゃうんだ。
どうしてだろうか・・・。


人の優しさを小さく大きくたくさん感じる今日この頃。
きちんと気づいて、感謝する自分でいたい。
その瞬間その場で気づかないことって、案外あったりして、
気づいた時に心で感謝するのだけど、
時間が経過したことって、
ありがとうのタイミングが掴めないこともあって。
ありがとうも嬉しいも何でもだけど、
その瞬間その場でちゃんと向かい合って響きたい。
後回しはダメだね。

2004年04月22日(木)



 芥川賞作品読みました

ゴスペルレッスンの部屋とは、
どうやら相性が悪いらしい。
空気が滞ってるのか、今日も動悸、息切れ。
残念ながらまたしてもほとんど歌えず。
かなしぃ〜のだ。

そうそう、ちょっと遅いけど、
芥川賞で話題の「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」をやっと読んだ。
どちら派か、とゆうような会話を先週友達がしていて。
結論から言うと、私はどっちも派。
どちらも全く違うものとして好き。
だって違い過ぎるんだもん。

「蹴りたい背中」は登場人物1人1人の人間性とゆうか、
深いところのような、愛すべきところを感じさせる。
偏った人物でなく、両面がちりばめてあるように感じるので、
その曖昧さが真実の日常を感じさせるんだろう。
描写が細かく詩的で、表現にいちいちひっかかって、噛み砕いて、
読み終わるのに時間がかかった。
読み進むにしたがって、その文章が好きになっていった。

「蛇にピアス」はすごい勢いで読んだ。
アングラなグロい話だけど、私は惹かれる。
現実的にはアングラなものに嫌悪感さえ感じるのだけど、
文章やマンガだと、なぜか惹かれる。
理由はいまいちわからない。
悲しく、強く、弱く、清々しく、暗い、複雑な感情になった。

小説って今までほとんど読んでこなかったことに気づいた。
なぜだろう。
フィクションを買おうとしなかった。
でもエッセイでも小説でも、
結局のところ、その人自身から滲み出たものだから、
作品として違いはないのかもしれない。
手にした側の要求は違っても。


2004年04月21日(水)



 声帯系

きのう気功の後に、久しぶりに耳鼻咽喉科へ行った。
10代の頃から行ってたところで、
そこの先生がボイス博士とか何とか呼ばれてる名古屋では有名なとこ。
調子が悪かったからじゃなく、目的は「声帯」。
自分の声帯がどんな感じで、どんな状態なのか。
鼻からカメラを入れて、
びみょ〜な感じでビデオに映る自分の声帯を見た。
真っ白くて異常なし。
ピンクの中に白いのが2本閉じたり、開いたりしてた。
実際に見ると、何だか安心。
そして歌う時にも具体的にイメージ出来る感じ。

その後のレッスンの合間は、気持ち良く声が出た。
声ってホントに気持ちと直結だ。
練習すればするほど、意識する場所がどんどん変わってゆく。
声が響いているポイントや幅なんかが全然違う。
日によっても、調子によっても、克明にわかる。
もちろんまだまだ思い通りにならないから、
ずっと練習するんだろうけど、
変わってゆくのが手に取るようにわかる。
前に歌った曲とかを久しぶりに歌ってみると、
感覚の違いに驚く。
そしてまた歌いたくなるんだなぁ。

集中して、積極的に、やり続けることが、
こんなにも何かをもたらすんだとゆうことを、
最近感じています。
歌も音楽も然り、書くこと然り。






2004年04月20日(火)



 共感と安心と諦め

昨日の疲れを取るために、お昼まで寝てました。
と言っても、いつもとさほど変わらないか。
カフェ風サンドイッチが昨日からブームで、
お昼もパストラミのサンドとエビとアスパラのサンドを食べた。
近くのベーカリーカフェのパンがおいしくて、
しばらくはまりそう。近いってのがいい。
そういえば最近ドト−ル行ってないなぁ。

100均へ行って、カードファイルを買ってきた。
少しづつ作品らしきものを増やしていこうかな。
しかし、さっき情熱大陸の蜷川美花見てたら、
自分の写真のクオリティの低さがちこっと気になってしまった。
もちろん詩がメインなんだけど、
プリントするといまいち綺麗さは薄れちゃうから。
もともとが高画質ってわけでもないデジカメだから仕方ないかぁ。
考えることは日々増える。

人の相談など聞いていて思ったのだけど、
何を求めているって、やっぱり共感だったりするんだな。
もしくはただ話したいとゆうシンプルなもの。
誰かがそれに共感するように意見するけれど、
私にはもうそれは出来ない。
違うものは違う。
「そうゆうものじゃない?」とゆうあらゆることは、
本当はみんなそうじゃないんじゃないか。
でも「そうゆうものだよ」とゆう、
共感と安心と諦めをみんなが求めているみたいだ。



2004年04月18日(日)



 パッとわかること

今日はうちでロングゴスペル練習大会開催。
LOVE-Jのライブまで1ヶ月をきって、
みんなやっとエンジンかかってきたかな。
昼間は窓から入るいい風に吹かれながら、
気持ちよく歌った。
休み休みしながらも、結構遅くまで練習した。
さすがに疲れて、私は途中からほとんど歌ってなかったけど。
何と言ってもリズムの問題が大きいけれど、
頭で考えても、口で説明しても仕方ない。
結局、体で感じられなきゃなぁ。
でもみんな一生懸命頑張っていました。

昨夜バンド時代の友達からメールがきていた。
ぜんぜん会ってなかったし、連絡も。年賀状くらいで。
HPを見ててくれること、ライブのお知らせ、
最近の生活など色々書いてくれてた。
返事を書きながら、
あの頃の私と今では180度違うなぁと思った。
思い出しても思い出しても違う。
たった2,3年ほどの時間しか経っていない。
見た目はさほど変わっていないけれど、
あの頃の友達の瞳に、私はどう映るのだろう。
その頃の仲間で、久しぶりにライブをやるらしく、
時間があったら見に行こうと思ってるのだけど。

私の中の変化とゆうものは、
外側にはさほどわからない場合も多いのかもしれない。
色々と話をしたら感じるかもしれないけど、
パッとわかるようなことではないだろうから。
でもパッとわかるような人には、パッとわかるだろう。
パッとわかるようなことを持っている人とか。
向かってる人とか、通り過ぎた人とか。



2004年04月17日(土)



 どこにもいない日

ここ数日、ちょっと風邪ぎみでノドも痛かったので、
今日はおとなしく家で過ごしてました。
少し良くなったみたい。
暑いような寒いような気候が早く落ち着いてくれないかな。
あまりにボ〜ッと過ごしていたので、
ドアの角でおでこをぶつけた。
タンコブをつくってしまった。
こんなもの作るのいつ以来か。

イトコと栄のもつ鍋屋さんに久しぶりに行った。
鍋のしめはうどんと雑炊なのだけど、
「ラーメン始めましたよ」なんて言われて、
ラーメン→うどん→雑炊のフルコースでおなかいっぱい。
おまけに帰りにミニストップに寄って、
パイナップルソフトのミックスを食べる。
これおいしかった。
しかし当然のごとく食べ過ぎました。

イトコ(2つ下♀)は週末になると、
いつも私に色々と細かく話しに来る。
家は斜め向かいだし。
会社のこと、恋愛のこと、その他諸々。
彼女の今までのことは逐一全部知っている状態。
今日聞いた話で偶然の出来事があって、ちょっとビックリ。
何だかおかしくなってしまった。

本日はあまり頭を使っていません。
心は少々。
そうそう、詩と絵や写真を組み合わせたカード。
最近友達に送ったりしているやつ。
これをいっぱい創って、
作品集のようにファイルしておこうかと考えたらちょっと楽しみ。
今はまだ何に使うでもないけどね。

2004年04月16日(金)



 もう何もかも変わったのかもしれない

楽しく嬉しいことがあった。
とゆうより、楽しく嬉しいことに感じた。感じられた。
何も変わらないけど、何もかも確認出来たような。
そうゆう意味では何もかも変わった瞬間でもある。
少しの時間が必要で、それが永遠に感じたりもするけれど、
実際は目まぐるしい速度で変化してきた。
私が。私にまつわることが。
未来のことはわからない。
これは本当にそうだ。
わかっていることは、今いるところ。それだけ。
納得して、今いる特別であってそうでない場所。
ここにいる私で、
今とこれまで辿ってきた、道なり気持ちなりを歌い書く。
ずぅっと、歌い書く。

2004年04月15日(木)



 春は。。。

ちょっと前、ゴスペル練習中に、
動悸と息切れのやばい状態になってから、
呼吸の乱れが続いてる。
大丈夫な時もあるけれど、突然息苦しくなったりする。
いまいち原因もわからないし、
(いくつも考えられるけど。。。)
その症状がいつくるかわからない。
仕事でもレッスンでも練習でも、
歌えなくなってしまうのが困る。
こうゆう日々を過ごせば過ごすほど、
無理は出来ないと思う。
本当に真剣に注意深く選択していかないと、
身体を守れないようだ。


春は気持ちよくて好きだけど、
気候の変化に身体がついていかないなぁ。





2004年04月13日(火)



 書くことの意味

それこそ意味なんて考える必要もないのかもしれないけど、
最近は書くことの意味を感じることが多々あります。
書いたことが意味あることになった、とゆうか。

私の愛は詩であって言葉で、
それは誰かにどこかに飛んでいっては、
気づかないところで響いていたりする。
その響きは時間をかけて(もしくはすぐに)
私のところに戻ってきては、私を感動させてくれる。
私の言葉がいろんなところで響いていくことが、
一番うれしく感じる。
書いていくべきななんだと思う。


さっき、あいのり見ていて思ったけど、
美紀ってコを見ていて、辛いなぁと。
ツライくらい不自然さを感じた。
でも、20才くらいの頃の私って近かったかも。
強さに近づいてると思ってた。違ったけど。
ポジティブ、ポジティブって不自然。
物事の本当のところが見えなくなってしまう。
それに弱さを感じる。
肩の力を抜くって難しいし、大切。
ありのままを受け入れるって、大切。



2004年04月12日(月)



 今日も暑かったね

そういえば昨日、また出版社から薄っぺらい封書が来ていて、
今度こそ落選かぁ〜?と思いきや、
2次審査通過のお知らせでした。
う〜ん、素直に嬉しいし、ちょっとドキドキしてます。
しかし何次審査まであるかは不明。
わかってることは最終結果が6月中旬までに出るってこと。
またあれこれ創り、歌いながら過ごすと、
あっとゆう間なんだろうなぁ。

練習や仕事でロフトの近くへ行くと、
いつも何やら買う私。
作品に使う紙とか、なんやかんやと、
行くたびに買っている。
でも衝動買いじゃないのよ。
全部必要で、しっかり使ってます。
今日も買いました。
最近マイブームのマットボード。
写真でも絵でも文字だけでも貼付けて、
気軽に誰かに送って、飾れるものになるのでうれしい。

ここのところ、素直な私。
引っ掛かりなく素直でいられること。
これって健康的な感じする。
心にも身体にもね。






2004年04月11日(日)



 あなたは何者?

琵琶湖沿いの道を車で走りました。
暑いくらいの一日で、風が気持ちよく、
桜も菜の花もすごく綺麗で。
夕方の湖面は薄い光が筋になって、
肌触りの良さそうな布が揺れてるみたいでした。
しかし、土曜日って混んでるねぇ。
普段は平日にばっかりあちこち出かけてるから、
考えが甘かったなぁ。

毎日いつだって、新しくいられることは至難の技。
積み重ねでなく、今しかない。
その都度、今がすべてで新しい。
それが、ありのままってことかな。
今の自分の思いに辿り着けたことが、
本当に素晴らしいと思っている。
まだこの先も続くけれど、今が素晴らしい。
そのくり返し。
怖れを抱えていたけれど、
何を怖れていたのかわからない。
今となってはわからないけど、それはそれでいい。
自分が何者かってことがわかることが、
こんなに重要だったなんて。
私の名称はこうでした。
女、娘、恋人、先生、友達・・・など。
今でもそうですが、それは役柄で、名称で、
何者かってことではない。
自分が何者かわかったうえでやっと、
自分として、自分の愛を思い出して、実行していくことが出来る。
誰に対しても、何に対しても、すべてに対して。

2年近く前「I'm In Love」とゆう詞を書いたけれど、
やっとその意味がわかりかけてきたところです。







2004年04月10日(土)



 それぞれの人生

今日も天気が良くて、
いつものように犬の散歩は桜道。
毎日いっぱい降ってきて、とてもきれいです。
自然の色は、数限りなくあって、
無造作にちりばめられているのに、
どうしてあんなに綺麗で、調和がとれているんだろう。
ひとつも不自然さがなくて。
・・・って、だから自然ってゆうのか。
あぁ、そっか。日本語っていいなぁ、何か。

東京から友達が帰って来てるってことで、
数人で集まることに。
10代の頃通ってた、ボイストレーニングスタジオの友達。
結局、そのまた友達とかも来たりして、
6人+子供3人+犬2匹って感じに。
家の中は保育園化していて、
ゆっくり話したのは東京から帰ってきてたコだけだったなぁ。
(その他の友達は子供たちと犬と一緒に公園へ)
東京でユニット組んで、
インディーズでCD出したりして頑張ってるようだ。
やっぱり何か頑張ってる人は気持ちいい。
しょっちゅう連絡したりしないから、
普段どんな感じなのかって全然わかんないけど、
チラッと聞くだけでも、それぞれの人生があるなぁ。




2004年04月09日(金)



 まだ途中

昨日の気持ちはチラチラと、
今日も少しだけ顔をのぞかせていた。
今日も桜の道を散歩しながら、
花見している人達を見た。
オリジナルの「28日のあと」のひとつのイメージは桜だ。
風がすごく強くて、天気がよかった。

いろいろ考えて、この気持ちは本能の部分だから、
避けられないんだろうとゆうところまできた。
理由とか理屈ではなくて。
それでもなお、この先のいつかの私は、
そこさえも越えて、全部愛せるんじゃないかと思っている。
誰かを責める気持ちなんてひとつもない。
自分を責めはしないけれど、
まだ途中だと思うだけ。
辿り着きたいところの途中。

2004年04月08日(木)



 桜の時

昼間は心が少し辛いところにあって、
犬の散歩をしながら、桜を見た。
たくさん咲いていて、たくさん降っていた。
桜って白いなぁ。スローモーションみたいだった。
もし一年中咲いてたら、桜はきれいだと思ってもらえるのかな。
その下に集まって、時を過ごしたりするのかな。
人はすぐに慣れてしまう生き物だから、
何とも思わなくなってしまうかも・・・などと、
物寂しく考えながら歩いた。
家に戻ってから、この気持ちがどこからきたのか辿ってみた。
そしたら、色々わかったこともあって、少し落ち着いた。

アルティに久しぶりに買い物に。
知らないパワーグッズがたくさんあって、
これまた久しぶりに座ってゆっくり話をした。
地球の意識レベルが上がってきていて、
近々全体がレベルアップして、世界がガラリと変わるらしい。
それならば今ここに生きていることは、
ずいぶんラッキーで楽しみなことだ。
こうゆう話も久しぶりにしたなぁ。
グッズのこととか他にもたくさん話したけど、
とにかく自分は今幸せなんだとゆうことを確認出来たのでよかった。
少し辛いところにいた心はもうそこにはいなくて。

ゴスペルのレッスンでは、また呼吸が苦しくて、
ほとんど歌えなくて残念だった。
でも無理は出来ない。
一生懸命はしたいけど、無理はダメ。
あとで、歪みが生じる。
歌えない時は辛いけど、
そのぶん、他のことを考えて、感じる時間にすることにする。



2004年04月07日(水)



 響く

詩集を送った出版社から封書が届いた。
うすっぺらい封筒。
6月中旬くらいまでに連絡がくるはずだけど、
やけに早いなぁ。
落選通知かしら〜とおそるおそる開けてみる。
紙が一枚。
ゆっくり開くと、

「一次審査通過のお知らせ」

おぉ〜っっ。
何かに受かるとか、そんなこと久しぶりで、
やたら嬉しくなっちゃった。
誰かに読んでもらって、いいと感じてもらえることは、
やっぱり嬉しい。
どこで何に響いてくれるかわからないけど、
響いてることを知ると嬉しい。

とゆうのも、オリジナルについて、
感動してもらえたり、覚えててもらえたりして、
あぁ、自分の知らない色んなところに響いていくんだなと。
この響きって、時間差で、距離とかも越えて、
いつまでも続くようなもので、
いわゆる「永遠」とゆう気もする。
また、そうゆうものが創れたら、いいなとゆう思いも。


2004年04月06日(火)



 夢の途中

今日は久しぶりの仕事。
声を出し始めると、不思議とノドも動いてくるようで、
調子が戻ってきた。
ただ呼吸はちょっと苦しくなってしまったが。
レッスン前に買い物でウロウロしてて疲れちゃったのかなぁ。
ああ、悲し。
んでもまぁ、ゆっくりやるしかない。
生徒がじんわりと増えてて嬉しい。
みんな一生懸命やってるし。


音楽や詩について、それと繋がるすべてについて、
あれこれと考え出してから、しばらく経つけど、
考えきることってない。やりきることってない。
思い通りになるもんじゃない。
そしてそれが嬉しい。
ずっと途中だからいい。夢の途中。
すぐに完璧に出来ちゃったら、
何にも面白くないもんね。



2004年04月05日(月)



 すべては自分の中にある

詩集(茎のつづき)を何冊か作って、
貸したり、プレゼントしたりしようと思って、
とりあえず手作りキットを注文したら、
何日かして、もう入荷しないからキャンセルして下さいと連絡が入った。
あら、一から手作りしかなくなった。
ぼちぼち作っていこうと思います。

その他にもお友達へのプレゼント用に、
詩や写真を組み合わせた簡単なものを作ったりしている。
次から次へとは出来ないけれど、
ちょっとずつ増えていったらいいな。
増えていくとゆうか手放すものだから、
積み重なっていくといいなとゆう感じかな。
何にしても作品にする場合は、
誰に何を伝えたくて作るかを明確にすると、
イメージが決まりやすい。
ただ何となく何か作ろうとゆうんじゃ進まないみたい。


夜、取りにくるものがあって、友達がきた。
あれこれと内緒の話を聞いた。
昨日の友達もそうだけど、
みんななんだかんだ色々あって、必死に生きてるのだな。
それでも、あれこれと人のことも話したりするのだけど、
結局は1人1人が自分のことを頑張るしかないんだ。
自分を取り巻く外側の文句とか言ってても仕方ない。
自分が一生懸命してれば納得できると思うんだよね。

ウルルン滞在記のスペシャルで、
森で暮らしてた人が「どこにいたって楽しむことは出来る。
楽しさは自分の中にあると思うんだ」と言ってたけど、
ホントにそうだ。
何だって自分の中にある。
楽しさも喜びも悲しみも怒りも。
どこにいたって、どんな状況だとしても、
すべては自分の中にあると思う。
それでもって、そこから出てくる優しさも。
だから決して、人はどうでも良くて、
自分さえ良ければいい、とゆうこととはニュアンスが違う。

つべこべ言わずに自分に素直に、
毎日一生懸命がんばるしかないのだ。






2004年04月04日(日)



 川沿いの桜道

実家がとっても近所の友達の家に行って、
ランチを食べに行ったあと、
近くの川沿いの桜道を散歩した。
あれこれと人生語りながら、立ち止まらずゆっくり歩いた。
土曜日とゆうこともあって、
お花見に来た人達がたくさんいた。
誰もいない時にボーッと見つめるのが好きだけど、
休みの日は仕方ないか。

散ってる桜も、つぼみの桜も、いろいろ。
つぼみは希望を称えた濃いピンクで、
散るころに近づき白く儚くなっていくように見える。
この時期ってこんなに寒かったかなぁ。
何年も前に、桜の木ノ下で写真を撮った時、
キャミソールにカーディガンを羽織っていただけだった気がする。
今日は陽が陰ると長そで3枚着てても寒いくらい。

川沿いの桜は毎年咲いて、私は毎年歩いて、
そのたびに去年のこと、おととしのこと、
もっと前のことを思い出す。
1年のどの時期よりもずっと時間を越える。

1年と少し前、細道の入口の特別大きな木に、
力をもらったことがある。
その時は冬の真っただ中で、桜のかけらもなかったけれど、
ずっしりと強く立っていた。
月の出ていた夜、その木を両手で抱きしめていた時、
後ろに気配を感じて振り向くと、一匹のネコがいた。
ちょこんと、でもすっと座って、
私をじっと見ていた。
私もじっと見た。
しばらく時間が流れた。
そんなことがあった。
その木は冬を越えて、春にはまた桜をいっぱい咲かせていた。


2004年04月03日(土)



 相互作用

今日は予定が何もなかったので、
あれこれ家でやろうと思っていたが、
案外何も出来なかったなぁ。
洗濯機を何回もまわして、干して、
本屋に行って、詩をひとつアップして、
それと歌って。
夕方頭が痛くて、首周辺もも痛くなったので、
少し・・・ではなく2、3時間も寝てしまった。
連日出かけたから、ちょっと身体が休みたがったのかも。

そういえば、何かと誰かと歌う場合、
相手に影響される。
楽器でも人でも。いい意味で。
相互作用って働くよね。
これってコラボレーションか、やっぱり。
何より楽しい。大変でも楽しい。
心地よく作用しあって、影響しあって、
いろんなものを高めていけたら良いと思います。

2004年04月02日(金)



 妻籠と馬籠

いつもより早起きして(といっても世間一般よりは遅い)
本日は妻籠と馬籠へ行ってきました。
話は聞いていたけど、行くのは初めて。
中津川ICで降りて、馬籠の方(上入口)から行くことに。
歩くには急な坂で多少不安だったけど、
これ以上ないくらいの快晴で、
調子も良くて、ぜんぜん平気だった。
いい感じのお店がたくさんあって、景観も最高で、
とても気に入ってしまった。
ここも行きつけになりそうな予感。
そばをを食べて、抹茶&コーヒー&栗きんとんで一息ついてから、
妻籠へ移動。(もちろん車)
こちらは静かな古い町並みといった感じで、
雰囲気は良かった。
でも断然馬籠のがお気に入り。
もう一度、馬籠の下入口へ移動。
ここからの眺めが、もう、すごく良くて、
気持ちいいったらなかった。
また少し歩いて、
五平餅といもやきもちなるものを食べてから帰りました。
さすがに疲れたけれど、ホントに楽しかった。

ちょっとだけ遠出をした2日だったけど、
特別何をするってことでなくて、
そこの空気に触れたり、
目や耳に入ってくるものをあれこれ考えたり感じたり、
そうゆうのが気持ちを磨いてくれる。
ずっと前に書いた、私の大切な3つのことは、
どれもつながっていて、1つで、
今日みたいにどこを歩いていても、
心はそこにあって、
大切な3つのことへと向かう感性の行動をとっている。
今日、詩を書かなくても、歌わなくても、
今日とゆう日は、しっかりそこへとつながってる1日なのだ。



2004年04月01日(木)
初日 最新 目次 HOME


My追加