天使のながばなし
maki



 今だけになるまで

まもなく訪れる梅雨に向けて、
トップを涼しくしてみました。
すっきりとした水と緑。
雨音がこっそり音楽を奏で始めるイメージ。
・・・とゆうほど凝ってはいませんけどね。
あくまでも私の中に広がる絵であり映像なんです。

お昼前に気功へ行ってから、帰りに栄で買い物とお茶。
お目当ては詩集の紙やマットボード。
それから、ずっと好きなアラニス・モリセットの新しいアルバム。
そしてふと、ある手作りキットを見ていたら、
新しく作ってみたいものが浮かんできたので2冊購入。
ドト−ルで「禅的生活」を読みながらコーヒーを飲む。乙。

昨日のジメジメ&急に極暑にはマイッタけど、
今日の温度差もなかなか身体に挑戦的だわ。
家に帰ってからは部屋にこもって、
アラニス聴きながら、あれこれ製作し続けていました。



私が大切に持っていたある過去の形があって、
それを昨夜からひとつひとつ消してゆきました。
今日も少しづつ消した。
やっぱり勇気がいることだった。
でも今夜も明日も少しづつ消してゆくつもり。
最後の未練と闘いながら、
泣いたり笑ったりして、
もう完全に今だけになるまで続けていくつもり。
そんなことわざわざしなくても・・・とも思うけど、
それは未練の言い訳。
だからこそ、わざわざそうするんだ。
そうしながら、今ではない「その私」について
理解出来ることや気づくことがたくさんある。
私の中にきちんと消化していって流れて出ていく。

今だけにしなければ、
バランスが取れない自分も抱えていることを知った。
知っていた。
その環境や心境や状況をも望んで、
自分で向かっていることなんだとわかる。





2004年05月31日(月)



 ライブ

今日はゴスペルのお友達のライブに行ってきました。
Bay City Rollersのコピーバンドで、
その名も『Nonbay☆City Rollers』(のんべえと読みます)
初めて見に行ったのだけど、まずはその人気にビックリ!
東京などからも来てるそうで、前のほうにズラ〜ッとファンが並んで、
蛍光の光るやつ持って、ホイッスルまでいてスゴイ。
ステージも衣装もチェックだらけで、
衣装は全部ファンの手作りだそうだ。
パフォーマンスもすごくて、顔は常にニコニコ明るく、
その「やりきり」具合がツボにハマりそうなほどだった。
お友達曰く「コミックバンド」らしいが、
私にはある種の「アイドル」に見えたぞ。
あややに通ずる「やりきり」感が私は好きでした。
ぴょんぴょんしながらキーボード弾いてるお友達も可愛くて、
とっても楽しませてもらいました。

トップバッターのバンドも結構好きだった。
中学の同級生で50代くらいの男女6人(+サポート1人)のバンド。
リードボーカルをギターの二人、ドラム、
マラカスやタンバリンなどの女性、と代わる代わる4人も!
コーラスにはベースも参加してた曲もあった。
それぞれ味のある声で、なかなか上手。
お年のなせるワザか!?
私はリアルタイムで知らないけれど、
グループサウンズの曲などもよかったなぁ。
ドラムの方がずっと横向きでマイクに向かって、
 ♪グッナ〜イ グッナ〜イ ベイビー 涙こらえて〜
と裏声出しながら叩くのは大変そうでした。

しかしボトムラインは全体的に音量が大きい印象。
前に行った時もそうだったし。
大きすぎるうえに、うわ〜っと声を出すから、
まず歌詞がぜんぜん聞こえないし、
それぞれの楽器と声がベターッと混ざっちゃって、
うるさいだけになっちゃう。
本番って、どうしても普段より力入れて
大きい声出そうとしちゃうんだよね。
あ、これ自分のことね。
肩の力を抜いて自然な等身大の自分で歌えたら、
それが一番カッコいいんだよね。
人が歌ってるのを見ると、いつもそう思います。



そいえば、出版社からまた封書が届いてて、
審査コメントと共同出版での出版化のことが書かれてた。
何だか「茎のつづき」への特別な想いがあって、
出版出来たらいいなぁと思ってしまった。
・・・とはいえ先立つものが、ね。
今度こそ宝くじでも買うか〜


2004年05月29日(土)



 くるくる巡る

ちょっと前は女子バレーに熱中していましたが、
男子はあまり見てなくて、
今日たまたま見たけれど、また負けてしまってた。
山本選手っていつも泣きそうな顔に見える。


出版社から封書がきた。
出版賞の結果や総評が書かれた冊子などが入っていた。
残念ながら、どの賞にも私の作品名はなかった。
「第22回新風舎出版賞」とゆうのに送ったのだけど、
今回は過去最多で、8265点も応募があったらしい。
部門は4つで、私はポエトリー部門に。
そのポエトリー部門だけでも、2106作品もあったらしい。
途中まで残れただけでも嬉しかったなぁ。
賞がとれなくて、出版出来ないのはちょっと残念だけどね。

賞をとった作品のタイトルだけ見てても、
なかなかおもしろい。
世の中にはいろんな感性が溢れているなぁと思う。
こうして日常や非日常を過ごして感じたことを書いて、
社会に人に還元することになって、
またどこかで自分に戻ってくる。くるくる巡る。
私が今日思ったのは、また書こうとゆうことだけ。
そしてまた、くるくるくるくる。
惜しみなく。

2004年05月28日(金)



 大収穫祭

今日はいい天気で気持ち良かった。
お昼車を走らせながら、久しぶりにBecky taylorのCDを聴いた。
この前のライブ後からの、私の課題の1つは「発音」なので、
とっても発音の綺麗な彼女の歌でお勉強。
ライブの録音を聴いて、
自分の発音の弱さやダラダラ具合がとっても気になった。
歌ってる時はしっかり言ってるつもりなんだけど、
全然ダメ。
そこで練習しながら気づいたのは、発音の「遅さ」。
弱いってゆうか、遅い。
それが分かっただけでも大収穫。
また練習のしがいがあるってもんです。

気分も体調も良くて、
久しぶりにスパイシーなカレーを食べた後、
夕方ちょっと森をお散歩。
そんな時間でもまだ暑いくらい。

気分がいいのにまかせて、
夜ごはんを食べながらちょびっと白ワインを飲んだ。
その後、イトコにあげる詩集が出来たので持って行ったら、
(ちなみに家は斜め向かい。徒歩10秒)
コーヒーを飲もうと言うので、
うちに場所を変えて、飲みながら1時間ほど話をした。
イトコが帰ってから、すぐに気持ち悪くなってもどしてしまった。
ワインが悪いのか、コーヒーか、何か分からないけど。

最近は好きとか嫌いとか、あれはイヤでこれはイイとか、
価値判断を離れて、なるべく論理的に考えないようにしている。
まぁ無理なんだけど、実際そうしてみると、
逆に毎日どんな瞬間も価値判断を下していることに気づく。
それが分かっただけでも大収穫。
秋でもないのに大収穫ばかり。
・・・とゆう毎日はイイね。

ほら、また「イイ」とか言ってるし。



2004年05月27日(木)



 瞑想で歌う

相変わらず、ちまちまと本を読んでいます。
瞑想と考えることの違いについての一節。


  瞑想とは、結果として見れば、
  ふだん意識から独立している無意識の脳機能を
  意識によってコントロールする方法であり、
  基本的には意識が拡散した状態を保持することから始まる。
  たとえば意識が右の掌一カ所に集中すると
  我々はすぐに何かを考えはじめることもできるが、
  意識を両手の掌に分散してみていただきたい。
  その状態では理性的な思考が
  ストップしていることに気づくだろう。


これで思ったのは、歌っている時のこと。
鼻の方向への響きと体の方向への響き、
ノドやアゴの脱力や、腰でのリズムや呼吸、
重心や何やらかんやら、意識を持っていくところは数限りなくある。
ボイトレでは1つずつを意識して声を出したりするけれど、
最終的に歌う時はと言えば、
1つ1つを意識していることなんて出来ないし、
余計なことが頭をよぎればよぎるほど、
へんてこりんな歌になってしまう。
雑念に支配されてるといった感じ。

瞑想のように意識を拡散した状態を保持出来れば、
本来の声が出て、その時点でのイイ歌になるんじゃないだろうか。
過去に意識が拡大して、自分もそこにすっといて、
歌声が宇宙にあがっていくように感じた時があった。
数えるほどしかないけれど、
これっていわゆる「そうゆう状態」だったのかと思う。
すべてが見えて、すべてが聞こえて、
音楽にも限りなく集中していて。
確かにすべてに意識が拡散した時間だった。

悟らない限りこれをいつも保持するのは難しいのだろうけど、
まずは音楽や芸術では成し得るとゆうことなんだろう。



2004年05月25日(火)



 言葉で表すもの

昨日の夜中、性同一性障害(GID)についての番組をやっていた。
体の性と心の性が一致しない人のこと。
ある人は結婚していて、妻に20年間黙っていて、
3年前に打ち明けたらしい。
女だけど、妻も子供もいる。
人生のパートナーとゆう意味で、
彼女(彼?)には妻が必要だと聞くと、
それもありだし、何も特別なことじゃないと思うのだけど、
実際に自分だったら受け入れることが出来るかと考えると、
簡単にはいかないと思った。
性別だろうと何だろうと越えたところで、
1人の人間として見つめたいと思っても。
よく考えるとこうゆうのも「常識」なるものに、
がんじがらめにされてる心から来る抵抗や苦しみなんだろう。
そんなものいらないとは思うのだけど。
思うのだけど。と複雑になったりして。



さて最近は「禅的生活」をゆっくり読んでいるので、
それについて心も頭もいっぱいです。
今日読んでいた一節。
 

  言語はどうしても総体から部分を分けようというふうにはたらく。
  「私は寂しい」とゆう表現だって
  「そうでもない自分」は除外することで成立する。
  それはつまり、どんなに精密な言い方でも言葉で表現してしまったら
  総体ではないとゆうことだろう。


私は、私の書く言葉や詩について質問を受けたり、
疑問を持たれたり、意見を投げかけられたりした時、
よく説明してきたことがある。
まさにこの一節に書かれている通り、総体ではないとゆうこと。
1つの詩を見ても、もうそれが私とゆう人間ではないし、
しかし、全体を含んでいる。
その瞬間のみに切り取られた、その思い全体の写し絵のようなもの。
その瞬間、そこに私がいたら私全体ともなり得るのか。
ちょっとわけわからなくなってきたが、
とにかく今の私は違うし、
書いたすぐ後の私だって違うだろう。

だから年末に初めて詩集を作った時の作業は、
奇妙といえば奇妙かもしれない。
あの詩集の塊の思いがすべてではない。
その瞬間ずつのその思いだけのすべてではあったけど。

そんなに分断してまで、なぜ書くんだろう。
何を表そうとしているんだろう。
しかも、言葉(五感や第六感ですら)では表せない種類のものを
書こうとしている気さえする。
う〜ん。
それ自体ではなく、そこへ通ずる道・・・かなぁ。
言葉で道筋をつけているのかなぁ。
人へも自分へも。






2004年05月24日(月)



 アリの歩みで

こうして毎日毎日、自分の心と向き合ってると、
過敏になってゆくのかもしれない。
過敏とゆうのは少し違うか。
マイナスなわけじゃないから(時にはそうでも)
敏感といったほうがいい。

気持ちの少し上り下がりを感じたり、
沸き上がる小さな妬みをしっかり見つけたり、
言ってしまった言葉、やってしまったことに、
逐一反省したりする。
自分の感情について何だかよくわからないよりは、
ずっといいじゃないか。
常に分析をしてしまって、
感情を置いてけぼりにしているのとは違うから。

雨は断続的に続くけれど、
悲しみやつらさに、はまり込んでしまう感覚とは違う。
確かに悲しくつらかったりもするけれど、
この感情のくるところを知ったり、
その先の抜けたところを信じたり出来るものだ。

同じことを繰り返してるようだけど、
そうだとしても、それはまだクリアなんて出来ていないってこと。
だからってやめることなんて出来ない。
一生クリア出来ないかもしれない。
でも出来るかもしれない。
牛の歩みならぬアリの歩みのように、
どこまでもどこまでも続くアスファルトだけど、
たまには草の道や川の道に出て花を見つけたりして、
あぁ進んでたんだなってわかる。

私は頑張る。ただ頑張る。
無理せず追い込まず、ひたすら頑張る。


2004年05月23日(日)



 断続的な雨のように

昼間、再放送のめちゃイケで、
杉田かおるを見ながらイトコとバカ笑い。

でも私、最近笑っている時に別の自分を感じる時がある。
「自然になろう」とどこかで意識して、
「自然じゃない」自分に気がつく別の自分。
また何か、こうしなければ、頑張らなければと、
追い詰めていたりするんだろう。

何かや誰かに嫉妬したりする時って、
とにかく心があせって空回り。
自分を見直すのに時間がかかる。

とても穏やかで優しい気持ちで、
何の引っ掛かりもなく、
心も言葉も行動もすらすらとしている時もあるのだけど。

梅雨の始まりを漂わせる断続的な雨みたい。
ハッキリしない心模様。
いつだって自分の太陽を感じていたいのに。




2004年05月22日(土)



 禅的生活

一歩あるくと、もう記憶に支配されてる始末。
話に聞いていた「禅的生活」とゆう本を読み出したけど、
やはり実行は至難の技みたい。
あれこれ悩んで、
気持ちの抜け出す糸口を見つけようとするのだけど、
はまり込んでいる時ほど、
過去の思いや状況や人の気持ちなどを推測している。
しばらくして、あぁまたかと気づく。

まっさらな心でいつも臨めないものだろうかね、まったく。
記憶を引っ張り出して、時には捏造してまで、
繰り返し繰り返し悲しんだりするのはなぜだろうか。
そんなツライことを、なぜわざわざしたがるのか。
そこに隠されているのは、
何らかの自分の欲求や不満なんだろうけど、
それを解消するものは、結局自分の心のみ。
わかっているけど、下手なんだね。
自分の心以外に理由を擦り付ける方が、
わかりやすくて簡単ゆえ、そちらに流されてしまう。

努力の積み重ねが大事、なんてよく聞く言葉だけど、
今となっては、この考え方は危険な香り。
いわゆるプライドの塊となって、そびえ立つ巨大な塔となって、
常に新しいはずのものを拒み続ける。
ぶち壊す勇気は追いやられ、守りのみに徹することとなる。

蓄積は必要ない。脂肪もね。おまけに宿便とかも。
あ、食べることってそうなんだ。
常に消化してまた食べて、代謝が良ければ良いほどいいもんね。
そうだ。
やっぱり肉とか消化しにくいから、食べないようにしたいね。
ちょっと話ズレた。

でもまあ、無理矢理それに例えて言ってみれば、
記憶脂肪を蓄積しないように、
心の代謝を上げることだな。
留まることなく、すうっと流れ落ちてくように。
いつもすっきり。心もすっきりね。





2004年05月21日(金)



 雨の森

雨の中、森林公園に散歩に行ってきました。
少し寒かったけれど、雨の森は心地良かった。
草木や花のにおいは、いっそう際立って、
静かに押し迫ってくるようにも感じました。
雨に濡れた緑は、色を増して、
晴れた日とはまた違う表情で艶っぽい。
香り立つ森は、何だかエロティックでございます。



何に心がひっかかるかって、本当に人それぞれで、
同じ人であっても、その時によって違う。
感動したり、嫌だと思うことも、
コレって決められるものじゃない。
人は誰がどこに反応するかなんて、わからない。
作る側としては、これがまたおもしろい。
自分の感性外の、その人の独特なところで触れてくれるから。

ゴスペルのお友達のお友達に、
版画作家と時代小説家の人がいるらしく、
座談会(とゆうか芥川賞品評会だったらしいが)
で話したことを教えてくれました。
表現することは自己満足なのか何なのか、
売れるものか否か、ウケるものか否かとかゆうことを
考えて作るべきなのか。

先に書いた私の考えからいくと、
やっぱり反応を考えて作るってのは違う。
自分の感性に忠実に、いいと思ったものを作るべき。
結局それが本物だろうし、魅力的なんだと思う。
それが難しい状況ってのも訪れるかもしれないけど、
なるべくいつもそこにいたいなぁ。




2004年05月20日(木)



 嫌いな自分

いじわるな自分や嫌いな自分が、
たまに目の前に現れる。
それは突然で、すごくイヤで逃げたくなる。
でもそんな時は、目を背けずに逃げずに、
必死で立ち向かう。もう、とにかく必死。
本当は逃げ出したい気持ちでいっぱいだけど、
好きな自分で立ち向かう。

私って、まだこんなこと考えちゃうんだ。。。
こんなふうに感じるなんて。。。
そう思い落ち込みつつも、
そんなの越えたいし、捨てたいって知ってる。

毎日闘ってるみたい。
自分と自分が闘って、嫌いな方を少しずつ消してゆく。
最近はギリギリのところで勝ち星が増えてきた。
これからも闘いは続くでしょう。


2004年05月19日(水)



 前へ向かって

土曜日のライブの録音を聞いたけど、
とっても良かった。
ノリがあって、うねってるとゆうか波があって、
ピタッときてる感じで。
ちくさ座って場所が、
生の声の響きもしっかり聞かせてくれるのもいいんだろうな。
チェロもすごく効いてるし、
パーカッションが真ん中にいたのも影響したんだろうか。
音のバランスもいいし。
先生のギターと歌のノリを、
みんながちゃんと感じられたのかな。

でもきっと一番今までと違うのは、心だと感じる。
一言一言がしっかりと伝わってくるようで、
1人1人が気持ちが前へ向かって歌ってたんだと思う。
引くことなく、自分の精一杯に向き合って歌うと、
こんなにグルーヴしてくるんだな。
ちょっと感動してしまった。。。
こんなふうにみんなで歌えたんだなぁと感無量。
そして、この先へもきっと行けるんだと思う。
音楽はいいな、やっぱり。


2004年05月18日(火)



 教えること、伝えること

今日は仕事だったけど、
ある生徒さんに、ちょっと厳しいことを言ってしまった。
怒鳴ったとかそうゆうんじゃないけど。
真剣に伝えようとあれこれ言葉にしても、
なかなか上手く言えないし、へこませてしまった感じ。
ついヒートアップしちゃうからなぁ・・・。

基本的に私は厳しい怖いタイプの先生ではない。
厳しくし過ぎると萎縮してしまって、
それぞれが持っている本来のいい声が出ない。
リラックスが肝心だから。リラックスは集中力も呼ぶ。
もちろん実際は本人の音楽に対する心持ち次第だけど。

教えるのって難しい。
伝えるのって簡単じゃない。
それはテクニックじゃないとは思うけど、
直感やタイミングや判断力や臨機応変さも大事かな。
声を出す方のテクニックはもちろん必要。
だから自分自身もずっと向上していかなきゃ。
試行錯誤はずっと続くだろう。
少しだけれど、今の仕事に就けていることを幸せに思う。





2004年05月17日(月)



 特別な人

自分にとって特別な人とは。
深く愛されて、自分もその人を心から深く愛する。
ここまでの認識だった。
でも本当にそうかな。その先は?
自分と相手で完結すべきもの?

本当に自分に特別な人を深く愛することで、
「愛する」こと自体の大きさを知る。
また、そうゆう気持ちで誰にでも接することが出来ると知り、
それを実行することの大切さに気づくキッカケとなる。
自分自身の中に眠るものを、
呼び起こしてくれるキッカケを与えてくれる人。
その人だけを愛するとゆうことではなく、
お互いにそんな大切なことに気づいてゆく作業が出来る人。
それが特別な人なんだと思う。

一生を通して、逃げることなく、
ずっとしっかり向き合って、
そうゆう作業を続けていける人なんじゃないかな。


2004年05月16日(日)



 廻る音楽

ちょこっとお久しぶりです。
LOVE-Jのライブが終了しました。
自己反省は多々ありますが、
楽しく、思いきり歌えてホッとしてます。

ひどい息切れと動悸に見舞われてから、
ずっとまともに歌えない状態が続いていて、
やっと通してまともに歌えたのは、本番2日前の練習。
何とか本番もその調子で歌えてホントによかった。

さすがに本番は緊張してるせいか、
発音がレロレロになったり、声がバッチリ上ずったりで、
自分で笑えたけど。
やっぱりカッコつけちゃうし。
でも、ただその時間を一生懸命過ごしたと思う。
だから、良しとする。

去年も歌ったオリジナルの「I'm In Love」を今年もやりました。
やる予定ではなかったのだけど、
この曲についてのいろんな感想とリクエストをもらって、
急遽歌うことになりました。
どこかできちんと響いてくれてるんだなぁと、すごく嬉しかった。
音楽が廻っていくことが、とても幸せ。
目に見えないけれど、確かに存在している。
自分を信じて、みんなも信じて、これからも書いていきたいと思う。








2004年05月15日(土)



 エミール・ガレ

昨日ですが、エミール・ガレ展に行きました。
松坂屋美術館で最終日、滑り込みセーフ。
何年か前に、飛騨の美術館で見たことがありました。
いわゆるガラスものってそんなに惹かれないのだけど、
ガレは特殊な感じ。
たとえば、その質感を間違って認識していても、
遠くから見るとすごく綺麗。
近づくと、作品の持つ宇宙のようなものに、
巻き込まれそうになる。
その他の空間との不思議な違和感を覚えた。
生命力なのか何なのか、力がすごい。
その中に何かがいる。何かがある。
生きて動いている、何か。
光によって姿を現わし、変えてゆく。
一点の光が当たれば余計に暗闇を感じる。
日光の下で見たことがないので、その場合はどうなのかな。
ガレは自然の持つ精神性を表現しようともしてたようだから、
例えば森にいればそれは1つの自然ともなり得るのかな。
それは無理か。
作品の中に詩を刻んだものもあって、興味深かった。
語る陶器だったか何かって言われたらしい。


「時間と記憶」について知ってから、今日一日、
驚くほどあらゆる場面で、それにとらわれていることに気づく。
自分もみんなもだ。


2004年05月12日(水)



 時間と記憶

前に、いつも新しくいることは難しいと書いたけど、
今日またこんなことを聞いた。

まず時間の概念と過去の記憶を捨てること。
私達は知らず知らずのうちに、
過去の記憶と照らし合わせ、未来を推し量って、
物事を判断してしまう。
それを捨てることが、
いつも新しくいることに繋がるとゆう話が、
私にはとてもわかりやすかった。

まず・・・とはいえ、それが難しいのだけど、
特定の状況では、実行出来ているように感じる。
過去の執着から解放され、先に不安を巡らすことなく、
常に新しく、楽しく、真剣に、幸せに、
その瞬間を連続的に生きている。
いつもとゆうわけにはいかないけどなぁ。

これは「禅」的考えとして聞いたのだけど、
座禅を手段として悟りを得る代わりに、
私は「詩」や「音楽」を選んだんじゃないだろうか。
書いたり、歌ったり、それに伴う学びは、
私にとっての座禅じゃないのかな。


・・・とここまで書いて、さっき誤って全部消してしまった。
うわ〜っと一瞬取り乱して、
もう書くのをやめようとしたのだけど、
気を取り直してもう一度書き始めた。

そこで、気づく。
今がまさに、自分の書いていることだったと。
消してしまったものに執着せず、また新たに書けばいい。
さっきの文の方がよかった、
何書いたか忘れちゃった、
また書くの面倒臭い、
なんてのが、記憶からくる感情なんだろう。
それを捨てたら、いつだって初めから、白い紙だっただけ。
小さなことだけど、身をもって経験して、私は知る。








2004年05月11日(火)



 精神的に向かう

子供は無邪気で天使だと言うけれど、
いい意味だけじゃなくて、本能的とゆう感じがする。
時に残酷だし、わがままで、周りを思いやれない。
でも変に理性的じゃないから、ストレートでいいと思う。

大人になるにつれて、理性的で社会的になってゆく。
常識が立ちはだかる。
本音と立前が離れてゆくと、心のバランスも取れなくなるだろう。
物質的世界で、肉体的関係に傾くと、心を見失うだろう。

ここを越えて、その次に行くべきところはどこだろう。
子供の頃の素直さを取り戻すのと、ちょっと違うと思う。
次は、やっぱり精神的じゃないかな。
本能的でも常識的でもなく、精神的。

思いやりや優しさに溢れていて、
強さとやわらかさを持ち合わせている。
それは、自分を知ること。思い出すこと。
すべて自分の中にあって、自分は何かを知ること。
すでに幸せだったし、
全部持っていたんだと思い出すことなんじゃないかな。



2004年05月10日(月)



 寂しさと悲しみ

日々試行錯誤しながら、
いろんな結論に辿り着いているのだけど、
昨日と今日で思ったことは、病気に対する思いに似ていた。

寂しさと悲しみとゆうこと。
私は寂しく悲しいのではなく、
それを手放したくないのだ。
その狭間によって生まれるものがあって、
わかることがある。
だから私はまたそこに戻って、何かを知りたがる。
私は幸せだけれど、まだそこに何かを求める。

寂しさや悲しみを感じないとゆうことではなく、
もうそろそろ手放してもいい気がしている。
病気を手放したくないと言っていたのと同じだ。
経験したことは本当に感謝していて、私に必要なことだった。
でも、それをいつまでもいつまでも必要とするのは、
執着なんじゃないだろうか。
それはもう形を変えて、
経験した私の中に溶け込んでいるはず。
だからこそ、私はそれを手放すべき時が、
近づいているような気がする。

勇気を持って手放してみよう。
そしたらまた新しい何かが私の中からやってくると思う。


今日は色々しました。
一日中家にいて、詩を書いたり、歌を歌ったり、
作詞したり、歌詞などをUPしたり。
それを手放そうとすることに通じる一日でした。

2004年05月09日(日)



 言霊

心に余裕がない時は、なかなか人に優しく出来ない。
1人になりたくなるし、なったところでイイわけでもない。
自分を奮い立たせて、早くそこから抜け出すことだ。
そして本当に自分がいたいところに、いつもいなきゃ。
世の中のいろんなマイナスなものって、
どうして惹きつけられるように出来てるんだろう。
数多の誘惑に打ち勝って、魂は成長するものなんだろう。

気持ちを口に出すと、スッキリすることもあるけど、
自分自身がそっちに傾いてしまう時もある。
言霊パワーかな、これ。
ちょっとした寂しい気持ちを口にすると、
すごく寂しくなったりして。
自分の気持ちに見て見ぬ振りはしないけれど、
いつも誰かに伝えてスッキリしようとするのは、
相手に頼ることでもある。
もう少し頑張ってみよう。
無理はしないけれど、自分を広げていけるように。

夕方から頭痛がひどくて寝ていたけれど、
寝てたって治らないんだよね。
これは心の摩擦から来てるんだろうから。
それを私は知ってる気がする。
だから治すには、心をスムーズに。
私が私を本当にいたい場所へ連れていくこと。



2004年05月08日(土)



 朝型生活

本日から朝型に移行してみようと、
いつもより1時間ほど早く目覚ましをかけてみた。
早く起きる必要もない生活だけど、
遅くまで起きてる必要もない。
太陽の光を感じる時間に、
なるべく長く過ごしたほうがいい気がして。
しかし、起きるには起きたけど、あまりに眠くて再び爆睡。
起きたのは約3時間後。昨日疲れたからかなぁ。
朝型生活はほど遠いか。。。


夜はゴスペルの友達が3人来てゴハン&練習。
本番はもう来週の土曜日。
集中して一通り歌いました。
通してやるとすごいボリュームでへとへと。
ノドが少し固い感じがしたけど、
息切れや動悸は起こらなくて、ひと安心。
本番頑張らなきゃ!


寂しく感じたり、悲しく感じたりする気持ちは、
大切にするべきかなぁ。
それも乗り越えられる時が来るのかなぁ。
飲み込まれてしまわないところへは来たけれど、
その先には何があるのか。
それが知りたい。
だから、前には戻らない。




2004年05月07日(金)



 新緑の日

ゴールデンウィークの終わりを見計らって、
ちょっと出かけてきました。
Uターンラッシュも過ぎて、さすがに高速はガラガラ。
もうすっかり普通の平日。
お天気も良くて気候もちょうど良くて、
熊川宿や琵琶湖、長浜などを満喫してきました。

長浜はいつものパン屋さんとロマン亭コーヒー。
その後、熊川宿へ向かう道を間違えて、
マキノ高原辺りに出てしまったのだけど、
ここの道がすっごい良かった。
ズドーンとまっすぐ続く道の両側に、
薄黄緑色の三角の大きな木が整然と並んでいた。
山の深緑とのコントラストと光がとても綺麗。
思わぬ大収穫。

ちょっと遠回りしたけど、熊川宿に到着。
前にも一度行ったお店で、くずもちとくずまんじゅうを食べた。
鯖寿司も食べたかったけど、
もう夕方だったのですでに売切れだった。
上ノ町(かみんちょう)中ノ町(なかんちょう)
下ノ町(しもんちょう)に分かれているのだけど、
下ノ町はグッと静かで、
山からの冷たい空気が降りてきてるようだった。

夕暮れは琵琶湖沿いの道を通ってから、
奥琵琶湖パークウェイへ。
右手にも左手にもグラデーションの山々と、
水に浮かんでるミニチュアみたいな町。
ちょうど山の間に太陽が沈んでゆくのが見れた。
ここの眺めはホントにすごい。
もっとすごいのは、頂上辺りで見つけた自転車の2人組だけど。
しかもママチャリ。大丈夫だったんだろうか・・・

午前中から活動したのでさすがに疲れた。
でも緑をいっぱい浴びて気持ちよかったし、楽しかった。
次回は鯖寿司リベンジなり。


さて、頭と心の方はこんな感じ。
自分を好きってこと。これは大事だな、と。
ナルシストじゃなく、勘違いじゃなく。
楽しんでる自分も、悲しんでる自分も、
情けなくても、はしゃいでても、全部、
「そんな私が好き」って思えること。
これはある意味、
自分を冷静に見ていることにもなるんじゃないか。
そこから自信も解決法も始まるのかもしれない。

そして今日は楽しくて疲れて腰と膝がちょっと痛い。
そんな私が好き。





2004年05月06日(木)



 基のところ

昨日は、ちくさ座へ5/15(土)ライブの打ち合わせと
お仕事ちょっとがあったので、あれこれ忙しくしてました。
今日は何もなく、
お父さんの彼女の子供達とフェルトでバラを作って鉢に刺して飾りました。子供の日って感じか。
ちなみに子供らは連休中ずっといます。毎週末も。


おとといだったか、その前だったか、
友達から電話があって、悩みを聞いたりしていた。
以前の私は、相談してきた相手を言い負かそうとしていたことに気づいた。
もちろん相手のことを考えて話しているつもりだったけど、
結果的にそうなっていた気がする。
相手に「そうか、そうか。」と言わせて満足していたかもしれない。
今は少し、相手の言うことを聞けるようになったと思う。
聞いて、ちゃんと飲み込んで、
そこからまた自分の言葉はゆっくりと発する。
撥ね除けたりしないで。
表面じゃなく、もっと基のところを見られるように。
これは結局、何に対しても言えることなのだけど。
だから私自身に対しても、
一番大事なことは、基のところ。
私の基のところ。
充実させて、成長させれば、すべてのことに影響する。
いつも忘れないでいたい。



2004年05月05日(水)



 冴えない1日

みなさんお休みはいかがお過ごし?
私の今日は冴えない1日でした。

気功治療を終えてから、
お茶をいただきながら気功の先生と少しおしゃべり。
ゴスペルのお友達が来るよ〜とゆうので、顔を見てから出ることに。
4時半頃来て、あいさつをして出ました。
スタジオ近くのコインパーキングに入れ、
ゆっくりコーヒー飲む時間はないから、
スタバで買っていくことに決定。
肌寒いので温かいソイ・ラテにしよう〜
時間ギリギリだなぁと思いつつ、タンブラーを手に歩き出す。
・・・と、カラカラン・・・
あれ?これってアイスじゃん・・・
(自分のタンブラーなので中身は見えない)
でも作り直してもらう時間ない〜。
ホットが飲みたいんだよ〜、ホットが飲みたいんだよ〜、
とつぶやきながら悲しい気持ちでレッスンへ入った。

祝日のせいか、生徒さんはいつもよりお休みが多い。
自分の練習や作詞などしながら、
アイスソイラテも悪くないと、気を取り直した。
レッスン終わって、ここからが冴えない本番。

コインパーキングの精算ボタンを押すと、
いつもよりちょっと高めの金額。
番号も合ってる。
少し考えて、祝日料金だと思い出す。ちぇっ。
今日はホントにギリギリのお金しか持ってなかったから、
一瞬焦ったけど、足りるわ〜よかったと思い、精算開始。
あと500円ってとこで、500円玉を入れると、
・・・通過。
また入れても、
・・・通過。
とりあえず手元の100玉など入れて、残り350円。
仕方ないので、
となりにあった自販機(大)で欲しくもないジュースを買うことに。
500ー120=380だから足りるな。
自販機(大)に500円を入れる。
・・・通過。
良く見ると、100円釣り銭切れの赤いランプ。ちぇっ。
仕方ないので、そのまたとなりの自販機(小)で買おうとしたら、
カップルがふらふらときて、あれこれ話ながらジュースを買う。
早くしてよ〜ん。
カップルが去っていったので、ジュースを買って、
再び精算ボタンを押すと、
・・・450円。
足りないじゃ〜ん!

近くのコンビニのキャッシュコーナーへ行くと、
「祝日は午後9:00まで」なんて書いてあって、
その時点で9:30でした。
さて、どうやって帰ったらいいのか。。。
たった70円ほど足りないだけなのに。。。

そして私はスタジオに戻りました。
受付の方に「あれ、maki先生どうされたんですか?」なんて言われ、
どうもこうもないですよ・・・と思いながら、
恥を忍んでお願いしました。
「300円貸してもらえませんか?」
事情を話すと笑いながら貸していただけました(汗)

そんなこんなで無事に家に帰ることが出来ました。
帰りに事故ったりしないか心配だったけど、無事でした。


今日の曇り空と一緒で、晴れない私の気分が、
一連の冴えない事件を呼び寄せたんだろうなぁとゆうことで、
自分を納得させてました。
ってゆうか単に、余裕持ってお金持って出たらいいんだけど。


2004年05月03日(月)



 オーラ測定

おととい出来なかったオーラ測定に行ってきました。
イトコもお休みだったので、一緒に。
(しかし彼女はそこの空気か波動か何か合わなかったらしく、
 その後、具合が悪くなってしまった・・・)
特に何の説明もないまま測定は始まって、
左手の5本の指を入れる形になってる金属があって、
それに触れると、パソコン画面にオーラや緊張状態のグラフや、
本能と計算と心だったかな、そんなグラフなどが映し出された。
それぞれについて、次々話してもらってる間に撮影が終わってて、
プリンターからオーラ写真とレポートが何枚か出てきた。

私のオーラの色は「黄色」でした。
写真の見た目には「緑」のが多いのだけど。
家に帰ってゆっくりレポートを読むと、結構当たってる。
ちなみにこれは指からの電流を読み込んで、
コンピューターで出すものだから、統計学なんだって。

まず「黄色」は太陽光線の色で、太陽そのものの気質をあらわす。
これってちょっと前に読み返した雑誌の占いと一緒。
結局「太陽」ってことか。
それからハート部分の「黄色」と右側の「緑」の部分には、
免疫系が内面のストレスの影響で冒されていて、
肉体的ヒ−リングが必要だと書いてあった。
これって思いきりリウマチのことだな。
リウマチは免疫異常の病気だから。
でも何処かのスイッチが間違って入って、
突然病気になるのだから、突然治りますよって言ってた。

あらゆるところに出てくる言葉が「楽しむ」ってこと。
私の目的であり、それを目指して、そう感じるタイプらしい。
この「楽しむ」ことについては、
数年前に過去世などを見てもらったヒーラーの人にも言われたことがある。
「あなたの現世の一番の目的は『楽しむ』ことです。
 楽しいか楽しくないかを1つの判断基準に置くといい」と。

書ききれないほど、色々なことが書いてあったけど、
今の私に一番しっくりきたのは、この部分。

 成功・・・歓びとクリエイティブなレベル、
      自分のゴールを達成する

私にとっての人生の成功って、ホントにこれじゃないかな。
でも自分のゴールってものは、あるようでなくて、
どんどん先へ先へ行くと思うけれど。
その都度歓びを持って、
達成出来たと感じられれば成長出来るのかな。
その他、クリエイティブとゆう言葉も随所に出てきました。

ちなみにイトコはほとんど「藍色」で、
外側の影響を受けやすいスピリチュアルな人だそうです。
だから、具合悪くなっちゃったのかな。
私はそんな感じはしなかったけど、
また行きたくなる感じでもなかったなぁ。

今度はコンピューターでなく、教えてもらったヒ−ラ−の方に、
病気のことも含めて、オーラも見てもらおう。



2004年05月02日(日)



 思い出しただけ

朝まで生テレビをつけたまま寝てしまって、
ホントに朝まで(あ、昼近くまで)テレビつけっぱなしでした。
天気が良くて風も気持ち良さそうだけど、
出かける予定は特になし。
窓を開けて、風にあたりながら、
パソコン&作詞してました。
書いてた曲は、晴れた午後にもピッタリな感じで、
聴いてるだけで気持ち良くなった。
とはいえ、完成してませんが。
夕方、また眠くなって少し寝た。


去年のゴールデンウィークを思い出していました。
ある決意をしてからの休みだったけど、
崩れそうな自分を保つのに必死だった気がする。
なるべく出かけず家にいて、
自分を保つためにか、答えを見つけるためにか、
ただ溢れる感情を抑え切れずか、ずっと詩を書いてたと思う。
歌は歌えなかったなぁ。
声を発するパワーは湧いてこなかった。
病気も進行していて、治療の方向性も決められずにいて、
体も心もギリギリだった。
長い休みだった。

今年は違うけど。
仕事も休みじゃないし、気持ちも違うから、
普段とあまり変わりなく、ゆっくり過ごしてる。
ただちょっと、思い出しただけ。
去年のことを思い出しただけ。


2004年05月01日(土)
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