天使のながばなし
maki



 ノリノリ

明日から4月だとゆうのに、
風が強くて寒かった〜。
そんな中、横風にガンガン押されつつ、
高速でびょよよ〜んと長浜までブラつきに行きました。
おいしい天丼を食べ、お寺の桜を見て、
ロマン亭(行きつけ)でアインシュペンナー(超ウマイ)を飲み、
いしがまパン工房(行きつけ)でおいしいパンを買い、
帰り道は車の中で歌いまくり、
名古屋に戻り、練習でまた歌う。
先週に引き続き、
動悸と息苦しさからなかなか解放されないので、
おっきな声は出さないけどね。
でもそれでいいんです。
今日は練習でリズムについて色々やったけど、
難しいなぁ。
難しいけど、リズム感じるとガラッと歌が変わる。
ノリにのってくると、ちょ〜楽しいのだ。
もう止まらな〜いって感じ〜。
・・・ってね、そこまでいっぱい頑張るのだ。



2004年03月31日(水)



 コラボレーション

今日は午後から友達の家へ行って、
歌ったり話したり、とりとめのない時間を過ごして、
幸せな空間を確認しあった。
今しかない幸せとゆう友達の言葉通り、
それを楽しんだ。

誰かとコラボレイトして、何かを創ることの楽しさを、
最近感じている。
私1人では生み出せない、
私の中の別の引き出しを開けてもらえる感覚。
相手からも自分からも何が出てくるかわからない。

少しずつ何かしら創っていけたら楽しいなぁ。

2004年03月30日(火)



 わかりにくいことの意味

自分で詩を書きながら、
他の人のものはあまり読んだことがなく、
読んだとしたら銀色夏生くらい。
それ以外は見かけた程度。
どんなものかと、別の詩集を買おうとするけれど、
どうもレジに辿り着けなくなって久しい。

それが最近「詩の雑誌」とゆう本を見つけて買ってみた。
いろんな人の詩が載っているし、
現代詩についての対談や言葉が載っていて、
まるで別世界のようだ。
まだ少ししか読んでいないけれど、
知らない言葉や読めない感じは出てくるし、
何のことを書いているのか、
わかるような、わからないような、そんな詩がいっぱい。
表現の可能性とゆうものを感じると同時に、
わかりにくいことの意味はなんだろうと思う。
本人の中で明確な形を成していれば、やはり完結なのかな。
私の場合はそうだけど、
それでもわかりにくいものは少ないように思うけど。
自分のものだから当たり前か。
人が読めば、わかりにくいものも多々あるかもしれない。

普段から使わない言葉を知れば知るほど、
使いたくはなる。
例えば、ひとつ気に入った言葉があった。

「掬う」(すくう)

 右側の字は、手をまるめて米や水をつつむようにすくうこと。
 のちに、手をそえた掬の字でその原義をあらわす。
 また、まるく包んだ意を含む。

とゆうイメージを知ると、それを含んだ表現で使いたくなる。
誰に明確に伝わらないにしても、
その漢字を置いたことで、詩の姿は変わるから、
感じることは出来るんだろう。

何でもそうだけど「技」にのまれてしまわないようにしたい。
勉強をして、知り始めた時からしばらくまでが一番陥りやすく、
その後もたびたび。続くとも言える。
結局は何をおいても「心」なのだから。


2004年03月29日(月)



 手を繋ぎませんか

こないだオリジナルを歌っていたら、
グゥッときて、泣けてきてしまった。
自分の書いた言葉のひとつひとつが意味していることを、
感じとり過ぎてしまったみたい。
感情が高ぶっていたからだと思うけど。
思い入れが強すぎるのも困りもんですな。
何にしろ、最近以前にも増して涙もろくて困る。
困らんけど。


何かで人と繋がってると思えることは、大切なんだろうな。
何か大切なもので繋がっていると思えることは、幸せだと思う。
ロープで縛られて、つながれてるんじゃなくて、
自分が手を伸ばしてる。
伸ばしたくて伸ばした手が、繋ぎたい別の手を握る。
周りに溢れる透明な無数の手があって、
本当にそれが見える時って、
自分が手を伸ばした時だけなのかもしれない。
あらゆる方向に。


2004年03月28日(日)



 

桜は咲き始めて天気はよかったけど、
今日はまだ寒い。

心が穏やかで幸せな時、
苦しんでいた時のことを思い出すと、
いったい心のどこが違うのだろうと思う。
どちらも私の心なのに。不思議だ。

「美の巨人たちSP」を見た。
プルシャンブルーとゆう『青』について、
北斎、ゴッホ、ピカソなどを取り上げてやっていた。
漆黒の青とゆう感じの色だった。
濃紺のベルベットのようであり、
すうっとのばして光を帯びると姿を変える。
ピカソのエピソードで、親友が自殺したのをキッカケに、
独自の青の時代が始まったとあった。
芸術は、しばしば悲しみを含んでいる。
それも悲しみを肯定する方向で。
幸福や光であっても、
闇を越えた部分での表現のような。

私は『青』が好きだと思った。
それも濃い深いプルシャンブルーのような青が。
それは力強い悲しみの色のようだ。


2004年03月27日(土)



 ひとり遊びだけじゃなく

まだ呼吸が本調子じゃないので、
今日は小さい声で少し練習した。
心なしか、ちょっと苦しい。
無理出来ないから、張り切って歌わないのでちょうどいいか。

今日また久しぶりに詩を1つアップしたのだけど、
これは最近のものです。
最近書いたいくつかは、私にしては長めで、
タイトルがついている。
ホームページにアップしたものは、後でつけたものがほとんどで、
もともとはほとんどついてない。
私の中でも詩の傾向とか流行りの型があるようで。
外部の影響と内部(心)の状態とで変わるのだろうけど。
どちらにしろ、その時その時の私を映し出してるのだから、
後で読むと日記のようで、
なんのことを書いたのかほとんどはわかるけど、
たまに自分で書いたのに意味がわからない言い回しもある。。。
うわっ寒っ!てのとか、上手いこと言うなぁとかも。

音楽にしろ、詩にしろ、かなりひとり遊びで楽しめる(笑)
これだけでもう、自分を掘り下げて、
一番核みたいなところへ向かって、相当ボリュームあるのに、
誰かと共同作業も出来るし、
(ゴスペルもそうだし、曲作りも、詩に絵を描いてもらったりetc)
そのうえ聞いたり読んだりしてもらえて、
大勢と共感まで出来るなんて。
・・・と、またひとりで盛り上がってます。ふぉっ。






2004年03月26日(金)



 すこ〜しずつ、だわ。

朝起きたら、体調は戻ってて、
呼吸も良さそうだったけど、
なんとなく不安は拭えない感じ。
昨日の感覚が残ってて、歌うのがこわい。
少し歌ったけど、のどの調子がいまひとつなのもあって、
声が出せない。
息もやっぱり浅くなってきてしまって、
苦しくて悔しくてちょっぴり泣いた。

調子が悪い時は、自分の出来ないところが露出して、
それはいいことなのかもしれない。
だったら、これからどこをどうしていったらいいのか、
それをわかりやすく頑張っていくキッカケになる。

少しずつは必ず進むってことがわかったから、
(とゆうか少しずつしか進めない〜)
頑張らないで、頑張って、
少しずつ進んでいきます。


ところで、クラウディアの手紙の最後の言葉が、
とても気に入っています。
とゆうことで、、、

最後に強い抱擁と口付けをお許し下さい。





2004年03月25日(木)



 自分の歌。自然に。

今日はゴスペル中、具合が悪くなってしまった。
以前にも1回あったのだけど、ひどく呼吸が浅くなって息苦しく、
心臓がドクドクしてきて、あっ、やばいって感じに。
すぐにはおさまらないので、ほとんど歌うことが出来なかった。
声出しと歌は最初の1回だけ。
よく声が出たのに、突然呼吸がなんとも。。。
一言でも歌ったら倒れてしまいそうで。

だから、歌いたいのに悔しくて。
悔しかったけど、すぐにその気持ちはおさまって、
それほど悲しくはならなかった。
必死に呼吸を整えて、心臓を落ち着かせながら考えていた。
これが今の私なのだから、それはそれで、
自分にとって自然な歌を歌わなければ。
病気であっても、健康であっても、どんな状態でも、
そのままの無理しない歌を歌うことが大切だと思った。
健康であっても、自分以上を歌おうとしているなら、
病気の私が無理してるのと同じ。
そうゆう意味では、歌う私は、今のほうが健康かもしれない。
思いきり歌いたい気持ちと、折り合いをつけていったほうが、
本当の自分の歌になっていくと思う。

今は、もう一度自分の歌を、声を、作っていく入り口。
だからまだ無理しちゃって(今までのクセとか)
今日みたいなことになっちゃうけど。
ゴスペルは大変だけど、
だからこそ、私のゴスペルってやつを見つけよう。



2004年03月24日(水)



 限りなくシンプルに

分裂しそうで、危機感を感じていた私の心は、
今はひとつになって、依然として穏やかです。
自分のことを気にしてくれる人がたくさんいることも感じました。
なので、いろんな感謝の気持ちでいっぱいです。

昨夜、日記を書いた後、
「クラウディア 奇蹟の愛」を読み終えました。
もちろんホロホロ泣きながら。
前にアンビリーバボーで見た印象と違ったことがひとつあった。
テレビではクラウディアの「強さ」と「深い愛」が印象的で、
それをクラウディアのすべてのように感じていたけど、
悲しみや辛さや孤独をたくさん含んだものなんだと知った。
そのすべてを真直ぐに表現していることが、
結局「強さ」につながっているのだろうけど。
それを感じて辛くもなったけど、
クラウディアの行動に間違いはないのだと、納得出来る。

自分の思うことだけ行動して、言葉を発して、
偽らずに生きてゆく。
自分に対しても、人との関係も限りなくシンプルでわかりやすい。

夜になるとまだ寒い。
みなさん、身体に気をつけて。

2004年03月23日(火)



 毎日歌うこと

今日は気功の先生の電話で起きた。
考えてみれば、前の日からすっかり忘れていた。
ここのところは毎週月曜に必ず予約して行っていたのに、
何で忘れたんだろう。
昨日は、やたら気分がよかったからだろうか。
夜に向かってウナギのぼりだったからな。

運良く午後の空いてた時間に入れてもらえた。
雨の高速はちょっとこわいね。
ひざがかなり曲がるようになってきて、嬉しかった。

栄について、仕事まで1時間以上あったので、
おきまりのようだが、スタバへ。
友達に借りている「クラウディア 奇蹟の愛」って本を読んでいた。
もう最後のほうだったんだけど、
堪えても堪えても涙が抑えられそうになくなってきて、
ギリギリで読むのをやめた。
残りは1人の時に読んで、思いっきり泣くぞぉ。

レッスンは何人か生徒が休んだので、
オリジナルやお気に入りのジョニ・ミッチェルを、
一通り練習した。
集中するので、どぉ〜っと疲れてしまった。
これ、毎日のこと。
疲れるけど、練習しながら色々と1人盛り上がって楽しいのです。

毎日毎日一生懸命、同じ歌を何度も歌って、
少しずつ少しずつ馴染んできて、変化していくのが、
とても嬉しく、その曲その曲が愛おしくなってくる。
自分の声もだんだん変わってくる。
大変だし、上手くいかないところもたくさんで、
ぐわ〜っと疲れても、出来なくても出来なくても、
ふと新しい発見をして、心が小躍りする瞬間も迎えられる。
のども歌も愛情もどんどん深くなってゆくようだ。


2004年03月22日(月)



 正直に。素直に。

正直に、素直に、自分の気持ちを表現すること。
出来にくい世の中。

今日はいろんな人と話して、いろんなことを考えて、
いろんなキッカケや空気をもらいました。
一生懸命歌ったし、それについて一緒に歌う人達にも、
少しだけ伝えられたことがあったようで嬉しい1日でした。

誰かとの関係は相手のせいではなく、
自分の鏡なのだと知ってはいたのに、
相手のせいにして、あきらめてしまうことが多々あったように思う。
もう一度自分を見直して、
もう一度自分が、あらゆるものに対して一生懸命に、
頑張ってみようと思った。

嬉しいことも楽しいことも素直に表現して、
辛いことも悲しいこともしっかり受け止めて、
不満や違和感や疑問を感じたら、
ムダな憶測は捨てて、伝えてみることに間違いはないんだろう。

ずっと確認しながら、感じながら、過ごした今日。
やっぱりそれに間違いはなかったように思う。

天気も気分もイイ1日でした。

2004年03月21日(日)



 GREATEST LOVE OF ALL

「GREATEST LOVE OF ALL」とゆうWhitney Houstonの曲。
私が知ったのは遅くて、2年前くらいかな。
2枚組のベストを持ってたのに、あんまり聞いてなかったし。
実際歌ってみて、歌詞の意味を知って、
恋愛の歌じゃないってことを知った。
「LOVE」が付くと男女の恋愛にしか結びつかない思考回路だったし。
歌詞の内容のような環境に置かれたこともなければ、
感じた事もなかったようなこと。

幼い頃育った場所には、尊敬できる人はなく、
その中で頼れる人は自分だけだと学んだ。
これから先どんなことがあろうと、
自分の尊厳だけは誰にも奪う事は出来ない。
私は自分の中に最高の愛を見つけた。
それは自分自身を愛すること。
たとえ孤独でも自分の愛の中に強さを見つけよう。
・・・とゆうような曲。

自分の尊厳についてなんて考えたことなかった。
この曲のような決意をしなくても、
のほほんと平和に生きてこれたんだろう。
もちろんそれなりに悩んだりはしてきたけれど、
そこに関わるようなことはなく、
でもだからこそ、自分を大切にすることなんて忘れてしまう。
そんなふうだったと思う。

私は昨日、その自分の尊厳とゆうものを、
自分の力で初めて守ったんだと思う。
私は、自分の心は自分で守るべきなんだと知った。
誰かの言葉が助けになったり、
教えられることはたくさんあっても、
最後の最後は自分で決めなければならない。
わかっていても出来ないことがほとんどだからこそ、
昨日私がそれを出来たことは、
私の中でとても大きな大切なことだったんだと思う。

歌詞の最後、
「もし、君がずっと夢見ていた特別な場所が、
 孤独なものだったとしても、
 君が持つ愛の中に強さを見つけよう」
この言葉が始めてわかった気がする。

この出来事が、終わりだとも始まりだとも思っていない。
こうゆうことはくり返し続くのだと思う。
続くべきなんじゃないか。
その中で、より本当に強くしなやかなところへ
少しずつ少しずつ近づいてゆくのだろうから。
ずっと辿り着かないだろうけど、
向かっていること、そのものが一番大事なことなんだろう。



2004年03月20日(土)



 久しぶりに

昼間はそれほどでもなかったけど、
夜、久しぶりに、これだけ沈んだ。
自分に危機感を感じるのはあの頃以来かもしれない。
それでもこうしてパソコンに向かってるだけ大丈夫なんだろうけど。
私の海の底は深いようだ。
わかってはいたけど、わかっていなかったような。
小さなキッカケでも、良くないように上手く重なってしまえば、
いつだってこんなふうに沈んでしまうんだ。

まったく逆のような思いが存在して、
こう思うのも本当だけど、じゃあこの思いはどうしたらいいのか。
処理しきれないくらい少しずつ膨らんでるのかもしれない。
それに他のいろんなことも絡んで、
どうしようもなく広がって、自虐的な気持ちになってくる。
そいでまた、こうゆう方向ってやばいよなぁとか察して、
もとに戻ってきたりするんだけど。

あぁ〜、でもこうして書いていると、落ち着いてくる。
別に何がどう変わるとゆうわけじゃないけれど、
私には必要なことなのかもしれない。
詩も書くし、書くと、正面から見えてくるものもあるから。

むかし、私は身を削って詩を書くんだよ〜なんて言ってたけど、
本当にそうなのかもしれないな。
傷ついて、悩んで、落ち込んで、感じて、
心にへばりついたいろんなものを、削ぎ落とすように書く。
そしてまたすっきりとした心を取り戻すのかもしれない。

2004年03月18日(木)



 どこへ行くでもなく

いつものようにゆっくり起きて、朝ゴハンを食べる。
洗濯して干して、着替えて、
天気がいいので久しぶりにHP用の写真を撮りにふらっと家を出る。
犬の散歩コース辺りをウロウロ歩いてパチリパチリ。
これいい!と思った写真は使わずに、
なにげなく撮ったものを使う場合が多くて、
実際何をどう撮ったらいいのか難しい。
やり続けてればちょっとずつわかるのかなぁ。

家に戻って、覚えたい曲の歌詞を書いてプリントアウト。
切れ端に書きなぐってそのままになっていた詩をノートに書き直す。

借りたボサノバのビデオを見てひと息。
カエターノ・ヴェローゾのライブビデオ。
なんてセクシーなんだろう。
表現は古いかもいれないが、色男って言葉がピッタリ。
アップになった時の伏し目がちにチラッとこちらを見る感じなんて、
どんな映画俳優よりもセクシーだ。
身のこなしすべてがスマートな感じで。
もちろん歌も。
額にしわが波打つくらい、グッとまゆげを上げて、
深く響く抑えた高音はホントにすごい。
近頃まで、ガ−ッとしか歌えなかった私。
今はそんなふうに歌えたらと思うので、
限りなく魅力的に感じる。

お昼ゴハンを食べてから、少しゆっくりして、声を出した。
発声練習で「ホ」とやっていると、うちの犬が反応する。
前からそうだったけど、今日はいつもより顕著な反応。
「ウォ〜」か「ウ〜」か口はあまり開けずに、
鼻に響かせて優しく吠えていた。
何の合図なんだろう。何て言ってるんだろう。
私の「ホ」は何に聞こえてるんだろうか。

少し歌の練習。
なかなか思ったようには歌えないなぁ。
今やってる歌い方は私にとっては新しい挑戦。
難しいけど、発見も多い。

買い物へ行って、晩ゴハンを作る。
こんな1日。

どこへ行くでもないけれど、
案外たくさんやることってある。
まだ足りないくらい。


2004年03月17日(水)



 大切なこととか、人

火曜日の夜はあまり家にいないんだけど、
今日はいたので、僕と彼女と彼女の生きる道を見てた。
「大切だってことになんでもっと早く気づかなかったんだろう」
「でも大切だって気づいた」
みたいなセリフ聞いてて、遅いとかってないよなあと思った。

何かを大切だって気づくのに遅いとかない。
大切だと思えるものがあるのが幸せだし、
気づいた時にそれを手放してしまった後だとしても、
やっぱり気づいたほうがいいんだろう。
手放したからこそ気づくことも少なくない。
私には大切な人達がいて、大切なもの達があるから、
それこそが大切なことだったんだと再確認した。
大切なこととか、人って「ある」「ない」とゆうより、
やっぱり「気づく」「気づかない」ってことだろうな。

病気になった時に苦しさと共に、
強く、幸せも感じたのはこうゆうことかな。
出来ることが制限された時に、
今まで出来てたことと、今出来ることに対して、
初めて幸せを感じたから。
大切な人がいるとゆうことも強く感じた。

便利な日常にのまれて、
そうゆうことって感じにくくなっちゃう。
つまらない、つまらない、楽しいことが何もないって、
言ってる人に出逢うと、悲しくなるんだよなあ。
何も大切なことがなくて、大切な人がいないとしたら、
とてもさみしく不幸に思える。
早く気づいたらいいのにと思う。



2004年03月16日(火)



 2年前の私

車に乗ってると暑いくらいの日。
それでも夜は風が出ると肌寒い。
昼間は天気も良くて、風は気持ちよくて、
気分も晴れやかになっていくようです。

午前中は気功へ行って、午後から東急ハンズに工具を見に行った。
もちろん、手作り詩集の穴開け用。
何作るんだ〜って感じだけど、お買得な電動ドライバー発見。
こりゃ、手の力がいらなくて今からワクワクです。
夕方から仕事。
レッスンのスケジュールは隙間なく埋まってるんだけど、
たまには生徒さんが休むので、そんな時は自分の練習。
よく響くスタジオでひとり歌ってると、とても集中出来る。
家だとイマイチ集中出来ない時もあるし、
この時間は私には貴重だったりして。

昨日の夜、2年近く前の自分のライブのビデオを見た。
ずっと見てなかったから、驚いた。自分の歌い方の違いに。
それから、なんとゆうか、キャラの違いに。
変わってないようでいて、変わるんだなあ。
その頃から、自分の声とか歌い方にだんだん集中してきたし、
何が自分に合ってるとか、身体の状態とも付き合いながら、
試行錯誤してきて、やっぱり、より今の方が自然になってると思う。
ビデオの中の私は脳天気だし(これは別にいいか。。。)
カッコ良く歌おうとしていたようだ。
それにちょっぴりうるさい(笑)きつい声出し過ぎで。
こんなふうに、こんなとこが変わったんだなあ、とわかると、
これからまた練習したいところや目指す方向が見えてくるなあ。







2004年03月15日(月)



 独り言

夜ベッドに入って、眠るまでの時間。
考えが集中していって、逃げる場所はない。
楽しいことでもつらいことでもギュッと凝縮してきて、
昼間よりずっと浮き彫りになったりするものだ。
そうすると堰を切ったように泣き出したり、
すっと幸せに満たされたり。
いったい自分の中に何がどれくらい詰まっているのだろう。

変わり得ないことには、なるべくなるべく時間を費やしませんように。
考えたって考えたって仕方のないことに集中してしまわないように。
もう、ほんの少しだとしても。
私は前に進みたい。
目の前にあるものに気持ちを傾け続けたい。
後ろについてまわるものや通り過ぎた道に今を引きずられたくない。
視界に入り続けても、はたと見つめたりしないで。
弱いけれど強いのです。
強いけれど弱いのですから。






2004年03月14日(日)



 関係・・・

人との関係を考える時、
肩書きとゆうか、名称のようなものがいつだって使われる。
親とか恋人とか友達とか、いろいろ。
それはわかりやすいものだけど、
くくってしまうと本当のところがわかりにくくなる。
共通の概念のようでいて、全然違うだろうし、
本当はそれ以外の関係がすべてなんじゃないかと。
その人とその人との最良の関係を見い出した時に、思うのだけど、
(肩書き的なものではないところで)
代わりとゆうものは存在しないことに気づく。
別の関係で別の人はいたとしても。
ん〜、何だか上手く言えないけれど。。。


ちょっと気持ち悪くなってきたので、寝ま〜す。
おやすみなさい。




2004年03月13日(土)



 先の先の無限の先

昨日のキラキラとは逆だけど、
誰かの暗いところに触れると、自分のそこと反応したりする。
完全に持っていかれたりはしないけど、いい感じはしない。
悲しみであっても、そこに美しさを見い出したものならば、
それはキラキラに近いものなのだけど。


さて今日は、用事で市役所へ行ってから、
ロフトに和紙を買いに行った。
手作りキットを買って、同じ詩集を何冊か作ろうかと思ったけど、
品切れで取り寄せらしい。
それなら、と気が変わり、完全手作り用に和紙を何十枚か買った。
穴開けが大変で、手首や腕がもたないので、
ちょうど良さそうな工具を探してから、取りかかろうと思う。
まだまだ工夫が必要。


バカの壁って本、まだ読んでないけど、内容は少し人から聞いて、
そうゆうことってホントにあるなあと思う。
歌ってて、これ以上どうしたらいいんだろうとか思うこともあるけど、
いろんなアプローチで、考えて、感じて、練習してると、
ほんのすこ〜しずづ見えてくるものがあって、
ああ、この先にも壁ってないんだろうなと感じたから。
そこで終わりにしたら終わりだし、
それは自分で決めちゃうもんだっての、すごくそうだと思う。
毎日少しでも目に見えなくても、感じられなくても、
多分ムダじゃあないと思うから、
先の先のそのまた無限の先をなんとなく信じながら、
また明日も歌おう。書こう。

2004年03月12日(金)



 キラキラ

おとといの夜から昨日の朝方にかけて大変でした。
うちのおとぼけ犬のおかげで、
朝4時過ぎに敷き毛布を洗う羽目になって(ついでに犬も)
7時くらいまでゴソゴソやって疲れた。
また寝てお昼前に起きたけど、あんまり寝た気もしなくなる。
多少あったかくなってきて嬉しいけど、まだ油断出来ない。
ノドが少し痛くて、調子がイマイチ。
季節の変わり目は特に体調に気をつけなければ。
今日は「マグダレンの祈り」を観に行って、
とっても重くて、何とも言えず帰ってきました。


ここのところ、頑張っている話を聞くとパワーもらえるとか、
刺激を受けるとか耳にすることが何度かあった。
そうゆう感覚ってあるなあ。
自分がすごく変わるってわけではないのだけど、
気持ちいい感じがする。
音楽でも絵でも仕事でも他の何でも、
その人のキラキラしたところに触れた感じがする。
もっと触れたいし、すると、私のキラキラもどんどん出てきて、
その空間にはキラキラ充満していくんだよね。
これはやっぱりもたれかかったり、遠慮したところには、
出てこないんだろう。

その人、1人1人がすくっと立っていることはとても素敵。
こうゆう感覚は最近になってやっと感じるようになってきたと思う。
私自身それが、どうゆうことなのかすらわかっていなかっただろうから。
頭で想像して、言葉で語っても、
実際心と身体で感じることとは、いかに懸け離れているかとゆうことも。
ひとつひとつ実感してゆくには時間がかかるし、とても大変なことだ。
頑張りながらも、待つことも重要だから、
もうとにかくいろんな忍耐が必要。ガマンです。
その先にあるキラキラと、
また実はそれ以上に、その中にキラキラがいっぱいあることを、
今、私は知ってる。

2004年03月11日(木)



 さてこれから

近頃ずいぶん病気の症状が落ち着いてきたので、
これまで出来なかったことにも、取り組む計画が立てられそう。
春もすぐだしね。


ここのところ覚えてる曲は、難しくてなかなか歌えない。
何回聞いても歌えない。
でも歌えたらとっても楽しそう。
こうゆうタイプの曲は歌ったことがなかったと思う。
歌い上げようとするところから、少しずつ脱却出来てきたかな。


そういえば、「ピアノレッスン」と「アンナ・カレーニナ」と
「明日を夢見て」を借りてきて観た。
どれもおもしろかった。明るい話ではないけれど。
「ピアノレッスン」は独特の空気を持っていて、その世界に引き込まれた。
詩的な感じ(とゆうか匂い?)がして、好きだった。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」はつらかったけど。
「明日を夢見て」はジュゼッペ・トルナトーレ監督の。
ほんわかさわやかに詐欺がすすめられてゆくかと思いきや、
急にツライことになって、ちょっとやりきれない気持ちにさせられた。
不意をつかれてしまいました。
最近はよく映画やビデオみています。


2004年03月08日(月)



 春早く来い。

今日はまた格別寒い。
雪が散らついた。
もう3月なのにな。早く暖かくなって春が来ないかな。
なぜだか春をこんなにも待ち望む。。。


何もしない1日。
何もしてないなんてことないのだろうけど、
歌ってなかったり、書いてなかったり、
そういったものに触れたり、話したりしていないとそう思うのかな。


しかし今日は食べ過ぎた。食べ過ぎた。
お昼はイトコとパスタランチを食べたけど、
すごいボリュームで倒れそうになった。
夜はやっと初めて作った豆乳鍋。
これ、ホントに美味しくてまた食べ過ぎた。
ジーンズのボタン外したのってどれくらいぶりだろか。
野菜がおいしくて、お肉いらないくらい。
手作り鶏団子はおいしかったけど。
桜の季節にも豆乳鍋は似合うなあ。




2004年03月07日(日)



 映し出される

昨日、考えたことがあって、
今日の分の日記にと思って、下書きしといたけど、
読んでみたら、もう今日の気分の言葉じゃなかった。
やっぱり私の日記はその日にちゃんと書くものね。


今日は午前中病院。
右腕を伸ばすと筋が痛いと言ったら、
リウマチの人がよくなる腱鞘炎だと言われ、
ハサミで何か切ったり、ぐっと何か握ったりすることはある?と聞かれた。
詩集を作るのに、かなりそのような作業をやったので、
図星すぎて笑えてしまった。
まさにその通りですって感じ。
炎症などの数値のわりには、握力があるらしく、
普通の人と同じように使っちゃうんだよって。
リウマチだと自覚してゆっくりやったり、両手を使ったり、
気をつけないとダメだよと叱られた。ははっ。
以後気をつけます。。。


午後から友達と歌の練習。(&おしゃべり)
あれこれ言い工夫しながら、出来ないなりにも歌い合わせるのは楽しい。
でも難しい。突き詰めれば突き詰めるほど難しい。
でも楽しい。難しいから楽しい。


音楽にしても何にしても、今までの環境って映し出される。
ゴスペルを始める前までは、人とハモるどころか、
人と音楽をまともにやったことがなかった。
ソロで歌っていたし、伴奏はいつもカラオケ。
私はひとりで歌っていたし、そうしか出来ないと思っていたし、
音楽なんてしていなかったんだろうな。。
今はハモることも、人と音楽することも少しわかってきたけど、
まだまだそれは自然とはほど遠い。
とゆうのも今日一緒に練習した友達が、それを自然にやる人だから。
小さい頃から、お母さんやお姉ちゃんとふとハモったり連弾したり、
それはとても自然な遊びで、今もそうゆう感覚なんだとか。
正直羨ましいなあと思ったし、
だからこの人はこんなふうに歌うんだなとわかった。
音楽にいつもまっすぐ向き合ってて、いつも楽しんでて。
でも私は私のいた環境が映し出された歌を歌うのだろうし、
それが嫌いなわけじゃない。
だから、そうじゃない部分は努力したいなあと思う。
そしたら、それはまた映し出される日がくるんだろうと思うから。





2004年03月06日(土)



 すばしっこい悲しみ

昨夜は迂闊だった。
つらくなるようなドラマを見てしまった。
夜思い出すのわかってて、こわいやつ見ちゃうのと似てるのかも。
想像以上に私の感情をぶわっと蒸し返すもので、眠れなくなってしまった。
ひとしきり嵐のような思いと戦ってから、カラッと素に戻り、
眠気も吹っ飛んでしまったので(正確に言うと最初から眠くなかったけど)
ゴソゴソと何かしらやり出した。
もちろんパソコンも開いたし、音楽も聞いて、歌詞の意味を調べたり、
ライブチラシの続きをやったり、本読んだり、カフェラテ飲んだり。
どうしたことか、ちっとも眠くならない。
こうゆう時間ってたいてい4時くらいに終わりを迎えるのだけど、
今日はなぜか違った。


結局寝たのは7時過ぎ。お昼に起きた。
夕方までちょろちょろ曲を覚えながらずっと歌っていた。
そうしながらもふっと考え続けた。
まるで悲しみが自分から切り離されているようだ。
あっとゆう間に悲しくなくなるのに、あっとゆう間に悲しくなる。
これはほんの一瞬のことだけど、悲しみをどこに置いたんだろう、私。
悲しみはどこかにしまってしまった。
どこにしまったのかもう思い出せない。
しまったんじゃなくて、そこらにポイと落としてしまっただけ?
ものすごいスピードで目の前に出てきて、すぐに隠れてしまう。
私にはまだ捕まえられない。
これはいつの日かいなくなるんだろうかと考えたりするけれど、
やっぱり私の別の一部として形を変えて存在し続けるものなんだろう。



2004年03月05日(金)



 私が私のままでいる感覚

出来上がった詩集を誰かに読んでもらう時、
少し照れくさいような気もするけど、
そこには一点の曇りも無い本当しか書かれていないから、
私は私のままでいる感覚。
日常から比べれば特別な感じもするのだけど、
どこにも振れていないような感覚。
私が私のままなのだから、当然と言えば当然なのだけど。
感動されたら素直にうれしい。
人や社会との関わりの中で、本当の自分でいることはおろか、
本当の自分さえ何なのかわからないような人はたくさんいると思う。
とゆうか、それが人生の共通課題でもあるんだろう。
斯く言う私もそうだった。
「そのままで素晴らしいんだよ」とゆう言葉を、
生まれてからずっと求めていたことにも気づいていなかったし、
私が私でいる感覚をいつのまにか無くして、
理想だけを追い求めて自分を苦しめた。
自分には何が大切なのかもわかっていなかった。
詩を書くことが欠かせないことだと気づいてから、
そうだと知らなかった頃と比べると人生の満足度が格段に違う。
芯を見つけたとゆうこと。かなめのとこ。

とはいえ今日も寒くてとってもイヤです。
早くあったかくならないかな。





2004年03月04日(木)



 イメージ映像

今日は一段と寒い。冬に逆戻りしたみたい。
詩集を出版社に送りました。

音や声を感じる時、私の中にイメージや映像が浮かぶ。
そういえば作詞する時も。
はっきりした絵ではないのだけど、
それが見えてくると自分の中でわかりやすい。とらえやすい。
歌う時などは特にそうかも。
ドラマティックなメロディじゃないほど、それは浮かびやすいかも。
自分の詩の世界に近い感覚がする。
音楽と詩はそんなふうに繋がってる。
音楽を詩的にとらえることが私に欠かせないことだとわかってから、
歌う意識もずいぶん変わった。
イメージがそこを繋げてくれて、
私らしいとゆう歌が出来てくるんじゃないかな。

2004年03月02日(火)



 日本語おそるべし

あっとゆう間に3月ですが、まだまだ寒い。
花粉症の人を見るとツラそうです。
お風呂に入っていた時、お風呂のイスに座って顔を洗っていたところ、
ちょっとおしりがズレていたらしく、
片方のおしりがズルッっと真ん中の穴にハマった。
骨がゴリッと痛かったです。油断大敵。世の中何が起こるかわからない。
最近、関節を動かす体操をやったりしてるのだけど、
膝を動かすとギシッとゆう鈍い音がすることに気づいた。
ちっとも痛くないので、ちょっとおもしろがってもいますが、
これ大丈夫なのでしょうか。
今日気功の先生に話したら、大丈夫と言われたけど。
多少痛くてもやっぱり動かそう。
そのほうがいいみたい。
コキコキといい出した後に、動きが滑らかになったりする。
なぜだか今日は擬音語が多い。
日本語の擬音語は尽きなくておもしろい。
ちょっと前に50音全部さがしてみました。
ほとんどあります。それだけで話せるかと思うくらいだ。
また平仮名かカタカナかでも印象が違う。
おおっ、漢字も使っちゃって。
日本語おそるべし。

2004年03月01日(月)
初日 最新 目次 HOME


My追加