天使のながばなし
maki



 問題の芽

3月なので表紙を明るくしてみました。
今までに比べてちょっと違って軽い感じだけど、こんなのもいいかなと。
最近食べ過ぎで胃が重いので、こちらも軽くしなきゃ。
やっと「ロード・・・」のDVDが見れて、準備万端です。
でもまだ混んでるだろうな。
他にもみたい映画がいくつかあるので、その後になりそうだけど。


何かをしてもらうことに慣れてしまって、
お礼も言わなくなって、当たり前になってしまう話ってよく聞く。
今日も聞いた。よくある、こうゆうことって。
何かをしてもらってる方は当たり前の錯覚に陥って、
何かをしてる方は言い出しにくくなるし、
蓄積されていく不満は爆発するまで、行き場を失っちゃったりして。
これってやっぱり言うべきなんだろうな。
やんわりとは解決していかないと思う。
日常になってしまうまでに作り上げてしまったものを壊すには、
ちょっとした大きな音が立つのは仕方ない。
それを見逃したら、自然爆発を待つのみなんだろう。
問題は小さいうちにちゃんと見つけて、解決したいものだな。





2004年02月29日(日)



 甘王と章姫

やっとやっと「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」のDVDがあって、
借りられました。
ここ一週間毎日のようにレンタル行ってたんだけど、一本もなくて。
考えることはみんな同じって感じ。
DVDプレーヤーは持ってなくて、パソコンでしか見れないからちょっと悲しいのだけど、
それでもとりあえず見なきゃ「3」観にいけないんだもん。

最近いちごをよく食べるのだけど、
色々な種類を次々食べてたらやたら詳しくなってしまった。
「とよのか」とか「さちのか」は前から食べてたけど、
流行りの「あまおう」とかスッとしたスタイルの「あきひめ」がお気に入り。
あ、王と姫だな。今気づいた。
他にも「紅ほっぺ」とか「レッドパール」とか。
何気なく食べてた時って、あんまり味の違いとか感じなかったけど、
気持ちをそっち向けて食べると、すっごい違いを感じるもんだ。
何でも深いな。

何か平和だな、私。


2004年02月28日(土)



 完成しました。タイトルは「茎のつづき」です。

今日は寒い。
最近蒸しタオルにちょっとハマってる。
濡らしたタオルを軽く絞ってレンジでチン。
顔や首にあてると気持ちいい。
鼻から吸う蒸気もいい感じ。
肌しっとり。でもすぐ乾くけど。

ちょっとだけ出かけたけど、
ほとんど応募する詩集の最終作業をして過ごしてました。
2つ作ってどちらにするかまだ迷っているけれど、
来週早々には送らなきゃ。
作ってる途中は作業が少しづつしか進まなくて大変だけど、
完成した喜びを味わうと、絶対また作ろうと思う。
この詩集がどんな評価を受けるのか興味はあるし、
何かしら感動してもらえたら嬉しいけれど、
それが私にどんな影響を及ぼすとゆうんだろう。
私にとゆうか私の作品に。
返事のことはあまり考えなさそうな気がする。
昔受けてたオーディションの結果のようには。
それに囚われてる日々を過ごしていたかもしれないな。
何をしようとするでもなく、心配だけの時間。もったいない。
完成した作品に手を加えることは出来ないし、
私の手を離れてどうやって変化してゆくのかに興味がある。
それと次に何を創ろうか、とか歌うこと。

2004年02月27日(金)



 私+病気+α

毎日どこかしら痛くて、行動も制限されることに慣れてくるとはいえ、
しばしば痛みについて話している自分に気づく。
膝が痛いからあれこれは出来ないんです。とか、
こんなことしてたらすぐに手が痛くなっちゃって。とか。
必要以上に口にしている自分に気づく。
聞いてくれた人に何を求めるでもないのだけど。
言い終わった後に、ふと気づいて考える。
本当は自分にとって必要だから言ってるのかもしれない。
無意識だけれど、バランスを取ってる部分があるのかもしれない。
小さなことだけど、出来ないこと、あきらめることに直面する毎日だから、
その瞬間瞬間、ふと気持ちが暗くもなる。一瞬だけど。
でも前のように辛くて悲しくて救われないような気持ちにはならない。
私からいろんなことがマイナスされて、
もう戻ってこられないような闇に突き落とされた時間をたくさん過ごしたけれど、
その中で見つけた今まで見たことのない光をたくさん知ってる。
病気がもたらしてくれたものって限りなく大きい。
私+病気+αみたいな感じ。
もうすでに持ち物で、
おかしいかもしれないけど手放し難いような気持ちにもなってくる。
どうしても治したいとゆう理由も見つからない気がして。
治って欲しい気持ちがないのとも違うけれど、
私が本当に大切だと感じるものは、もうそこには無いんだろう。


2004年02月26日(木)



 ミューズ

少し前に「ミューズ」とゆう言葉を聞いた。
女神とゆう意味とは聞いていたけど、
今日なぜだか思い出して、電子手帳で調べてみた。
Museはギリシャ神話で人間のあらゆる知的活動をつかさどる9人の女神たち。
「現在は詩や音楽の神とされる」おおっ。

これが気にいったので、日記のタイトルに使ってみた。
museと書けば「静かに思いを巡らす」「物思いにふける」
「瞑想」なんて意味もあってますます気にいった。
おおげさに「詩人」とゆう意味もあるらしくて。
タイトルだけ見るとわけわからんけど、いいや〜。



さて今日は「クジラの島の少女」を観てきました。
ニュージーランドのマオリ族のお話。
すっごく良かった。少女の歌声とおばあちゃんの歌声がたまらない。
考えの及ばない領域に届いてきて、
そこがどこかなんて表現出来ないけど「そこ」が震えるんだよね。
映画みて、たくさん歩いて、仕事もして、疲れたけど、
気分は良いので、身体はそんなにどよんとしてないなあ。



2004年02月24日(火)



 グラヴィトン

一時、私がとても興味を抱いたもの。
説明はしづらいけれど、簡単に言うと宇宙エネルギーです。
そのエネルギーを封入したセラミックを身につけたりして使う。
何年か前に買って、その後ほぼ毎日ブラジャーの中に忍ばせてたのだけど、
さっきお風呂入る時にタイルの上に落としたら割れてしまった・・・
2枚持ってるのだけど、強力なほうの高いほうのM31ってやつが割れてしまった。
もう1つはブラックセラミックとゆうのだけど、
それだけで身につけちゃいけないものなので、どうしようか。
割れるべくして割れたのだろうか。
それならいいような気もする。
グラヴィトインを知った頃は、
いつも持ってないと不安で少し執着していたようにも思う。
その力もよく感じていたし。
スピリチュアルなことにも夢中な頃で、
グラヴィトンは科学的なものだけれど、
そこをつなぎ合わせるようなものでもあった。
実際自分が物質的であればあるほど、
まだ見ぬスピリチュアルなことに思いを馳せるのかとも思う。
それによって私は実際いろんなものを見たのだけど、
(瞑想してヴィジョンを見たり、とても敏感に悪い気などを感じとっていた)
今はそれもほとんどない。
鈍感になったのとも違う気がする。
それほど欲しないし必要ないのかもしれない。
グラヴィトンが私の中に封入されてればそれでいいのだけど。
それに近いことって不可能なことかな?


2004年02月23日(月)



 危うく自虐的なもの

ふと気づいたらもう20日。
出版社のコンテスト締切まであまり時間がなくなってきた。
HPの詩はかれこれ1ヶ月もアップしてないけど、しばしお待ちを。
original songも。
今日は歌の練習をしていたけど、詩集も少し進んだ。
何とか来週くらいまでに仕上げてどちらを送るか決めることにしよう。


いつだったか書いた詩に「危うく自虐的なものにひかれる」
と始まるものがある。
音楽だったりその他芸術とか、ある場所だけでしか弱さをさらけ出せなくて
それが、そうすることでしかバランスの取れない危うさのように感じてた。
感情が表に溢れ吹き出すことがなかった気がする私は、
そうゆうコントロールの出来なさのようなものに憧れたのかもしれない。
またそのような歌はさっぱり歌えなかったから余計に。
今思えばそれって自虐的なわけじゃなかった。
全部が全部そうとは言えないが、
少なくとも私は真実を覆う浅はかな幻みたいなのを見てた気がする。
真実は、目を背けたくなる部分をあえて見つめて描写する強さと、
その先にしかない解放だったんじゃないかな。自分へと帰る。
正しくしようとしていた(するクセがついていた)私は、
良くも悪くも飛び越えられないものの中にいた。
その時の私にも目を背けていたとゆうことは容易にわかっていたけれど、
自分で作ったそれは自分で壊さないと飛び越えられなかったのだ。

・・・などと考えながら、ジョニミッチェル聴きながら、
家路に着いたのでした。




2004年02月20日(金)



 透明なもの

ちょろっと仕事の後、
たまに行く自然食品と鍼灸手技治療のお店に買い物に行った。
そのお店にちっちゃい頃から出入りしている子供達4人が作ったCDを聞かせてもらった。
みんな男の子で中学生2人と小学生2人。それぞれ兄弟らしい。
家で一発録音で、もちろん上手とかじゃないけど、
いい感じがしたので買ってみた。
CHACHUCHO(チャチュチョ)とゆう名前。
10曲以上入って600円。400円は彼等に200円はインドに寄付。
メインで歌ってる子の声がちょっと不思議。最初女の子かと思った。
何十年か前の雰囲気もあって、
歌詞はストレートなようでいて、おもしろい。
こうゆう勢いとゆうか無邪気で純粋なのって、子供の特権だろうか。
それだけと言えばそれだけなのかもしれないが。
持って生まれた透明なものを少しずつ失くしていって、
それの大切さに気づいて、また取り戻していくのかな、人生って。
早く気づいたら(または失くさずにいたら)きっと、
その時期と自分とはズレが生じてツライ世の中なんだろうけど、
それでもそれを捨てちゃうようなことは絶対出来ない。
そこにある意味がはっきり見えるだろうから。
摩擦に逆らいながらも必死に守っていくべきなんだと思う。
透明ってことは真っ白なのとは比べ物にならない。
向こう側が見えるのは透明だけ。




2004年02月19日(木)



 人生に必要な潤いと渇き

太田朋とゆう作家さんのポストカードをたくさん持っているのだけど、
その中の一枚に「人生に必要な潤いと渇き」と書いてあるものがある。
前に、霧は光りと水があるからこそ出て、案外好きだと書いたけど、
そうゆうことなのかな。
晴れたり曇ったり雨が降ったり。
そうして花や草や野菜やいろいろ育ってゆく。
だからどっちも必要。
これからのすべての日に太陽や雨が代わる代わる姿を現わしてゆく。
私は私が太陽だと忘れず楽しくやっていくことにしますね。


今テレビで、木更津キャッツアイやってて、
ぶっさんが死んじゃうところです。
あんなふうに心の中でふふっと笑いながらブツブツ言ってんのっていいね。
・・・ってゆうか死んでないじゃん。
私ちゃんと見てなかったから展開知らなかったわ〜
もういい加減寝よっと。

2004年02月18日(水)



 そろりそろり

昨日に引き続き優しく穏やかな気持ちで過ごせた今日。
ずっとこんな感じではいけないけれど、
だんだんそちらに近づいて行けたらいいと思う。


同じことをするにしても、
急がずゆっくりすると、とてもよく感じられる。
感覚が鋭く働いて心に染みてくるようだ。
あまりせかせかとしないで、いつもそろりそろりと。心をじっと。
そうすれば見えてくるものがいつもあるだろう。
そろりそろり。
この言葉、最近のお気に入り。

2004年02月17日(火)



 思い出して

そういえば土曜日はバレンタインデーでした。
今年は1つもチョコを買いませんでした。
こんなの小学校入学前以来のような気がする。
逆に3つももらってしまいました。
巷では友チョコとか流行ってるらしいし、
恋人同志や愛の告白だけじゃなくてもいいよね。


風が強くてちょっと寒かったけど、
イイお天気で、洗濯物干してても気持ちいい。
それだけでもちょこっと幸せ感じたりします。
昨日の占い本によると私の天性は、
「樹・花・陽・灯・山・地・鉄・宝・海・雨」のうち「陽」だそう。
人生を楽しんで、おおらかに光り輝くらしい。
やっぱり太陽が好きなのかな。
おっとまだ頭が占いモードらしい。楽しむのはいいか。


今日は少し前のことを思い出しながら運転していました。
その時の言葉とか人との関わりとか細かく思い出して、
改めて今納得することもあったりする。
なぜだかとても優しい気持ちになれたのでよかった。
思い出して泣くことばかりでは決してない。
心を強く持てたような気がしました。





2004年02月16日(月)



 久しぶりに

ずいぶん前(多分6年くらい前)に買ってなぜか捨ててなかった、
占いの雑誌が2冊あって、
イトコとそれを見ていたらやたら夢中になってしまった。
昨日友達の家で細木数子の本見てたからかな。
0学占いと鬼谷算命学ってゆうやつ。
0学占いで言えば私は今年はおとなしくしてたほうがいいようだ。
来年からは結構いいらしい。今年はまだ始まったばかりですがね。
鬼谷算命学は持って生まれ持った宿命から見た、
性格や恋愛・結婚、仕事や才能などが細かく書いてある。
音楽や芸術に携わるようなことも書いてあったけど、
それ以外もあるし、まあよくわからない。
全体的に堅実な感じではなく好きなことをして自由に生きてゆくみたいだけど。
そいえば2、3年前にインド占星術でみてもらった時は、
金銭的にイマイチな時期だけど、音楽を教えるとまだマシと言われた。
その時私はまだボイストレーナーをやっていなかったし、
やろうとも思っていなかったのだけど、
その3ヶ月後にふわっと舞い込んできたように
本当にやることになったのには驚いた。
今後、そのインド人が言ったことが当たったりなんかしたら驚くけど。
ほ〜すりゃすごいとゆうようなことを言われたから。
だからって待ってるだけじゃ、そうなるわけもない。
ヒ−ラ−の人に過去生などを教えてもらったこともあるけど、
あの時と今ではそれの捉え方も違う。
その意味は自分で見つけ出すものなんだろう。
占いやスピリチュアルなことは好きだけど、
今はそうゆうことよりも、
実際自分がどう頑張って生きていくかってことに興味がある。
まあ結局それがすべてにつながっていくのだろうから。


あ、そういえば作詞をいくつもしたのに歌詞をまだのせてないですね。
少しずつ小出しにアップしていきます。


                                        

2004年02月15日(日)



 ひとまとまりとなって

ゆっくり充実した1日。
なぜかいつもより少し早く目が覚めて、
最近マイブームのソイラテを飲んだ。
今日もあたたかくて気持ちいい日。
買い物したり、洗濯したり、なぜかどて煮を作ったり。
久しぶりにタルト生地を作ってみた。
きのうどっちの料理ショー見てて衝動的に。
冬場のバターは室温で柔らかくはならず予想外に疲れてしまったが。
冷凍保存して今度焼こう。
それから、詩集作成。2パターン作ってみる予定。
とりあえず1つ目ほぼ完成です。
形になるとやっぱり嬉しいなあ。
出来たらどちらかを出版社のコンテストに送ってみるつもり。
どう感じてもらえるんだろう。
限りなく個人的で1つの想いに焦点をあてて作ったもの。
漠然とは選べないし、伝わらない感じがして。
ひとつひとつの詩が連なって流れを感じられて、
1冊で物語となっているような感覚かな。
読む人にはそれぞれの詩でその人なりに細かくも感じられて、
ひとまとまりとなって心に残るように。

今までの出来事はひとまとまりとなって私の中にあるんだと思います。
そこから出てくる必然的な思いたちがたくさんの詩に姿を変えて、
美しいものを形作ることに感動出来る。
だから書ける毎日が幸せ。


2004年02月13日(金)



 圧倒的な愛でした。

少しあったかくて、春をにおわせるような風。
まだ寒いけど、身体がきゅっと固まるほどでもなくほどよい。
しかし朝からちょっとボケッとした気分で、どうしようもなく張りがない。
なぜにこうなるのでしょうか。はあ〜と思いつつ1日過ごしました。
が、お仕事から帰ってゴハンを食べながら見たアンビリバボー。
もう感動して号泣。やられた、まいったとゆう感じ。
1人の日本人男性とロシアと日本の2人の女性の愛の実話だったんだけど、
自分の愛情なんて小指の爪くらいちっちゃく感じる。
自分のことしか考えられなくて愛情なんて呼んでいいのだろうかと。
比べるもんじゃないんだろうけど、
あんなにも相手のことだけをただただ考えるって出来るもんじゃない。
でも実際出来るんだ。凄すぎる。
ボケッとして、はあ〜っとしてる場合じゃないなあと思いました。
どう考えたって、そこには物凄い強さがある。
どんなにツラく悲しく傷ついたとしても、
深いところの信念のようなものは揺るがない。
私がクラウディア(ロシアの女性)の立場なら同じように出来ただろうか。
私が久子(日本の女性)の立場ならどうしただろう。
私にはあまりに圧倒的な愛過ぎてただ言葉を失う。
感謝したいような気分です。
何の手助け出来なかったり、
自分のことで精一杯になってしまうことに
モヤモヤしていたところだったから。
また明日から頑張れそう。
いつか自分もそんなふうになれたらなあ。





2004年02月12日(木)



 胸に張りつめるもの

幻冬舎文庫から出ている銀色夏生の本を久しぶりに買った。
特に新刊とゆうわけでもないが、
ちょっと時間があってちょっと読む本が欲しかったので。
「葉っぱ」とゆう写真詩集。私の好きな感じの。
読んだ。やっぱり銀色夏生の詩とゆう感じ。
この人の詩を読んでいると、詩が色々と浮かんでくる。
次々と出てくる詩を書き留めながら読んだ。
あとがきのようなところにこんなことが書いてあった。

  私は、強い気持ちが胸に張りつめて、
  何があっても大丈夫とゆう気持ちで生きていることに気づいてから、
  ずいぶん長い時がたちました。
  その気持ちは変わらず、今ではもう、どちらかというと、
  強い気持ちのみなもとの方へより近く近づいているように思います。 

何となくそうそう、そんな感じかもと。
私の感じは、強い気持ちが胸に張りつめるとゆうのとは少し違う気がしますが、
それに気づいて間もないです。
あ〜、気づいて間もないと言うよりも、
それまではそのようには生きてこなかったのかもしれない。
強い気持ちのみなもとの方へは近づいていても、
毎日は色々で、さみしくもなるし、悲しくもなるし、
相変わらず泣いたりもするし、また同じことを考えてたりする。
それはそれで仕方なく受け止めるしかないです。
また過ぎていっていつのまにか笑っていたりするけれど。
どうやらセンチメンタルになるのが好きなよう。
ふと考えると胸に張りつめていることの強さってある。
銀色夏生のそれとはちょっと違うけど。



2004年02月11日(水)



 生きる道

火曜日の夜は家にいることが少ないのだけど、
今日はたまたまいたので、「僕と彼女と彼女の生きる道」を見た。
小日向文世がああゆうシリアスで厳しい感じの役って珍しいな。
小雪の「どの道を選んだかよりも選んだ道でどう生きるかの方が重要なんじゃないか」とゆうようなセリフが印象的でした。
最近イトコと話している時にそんなこと自分で言っていたのを思い出した。
どんなことが起こったにしろ、何を選択したにしろ、
結局のところよかったと言えたなら勝ちだよね、と。
どんな状況でも納得出来もするし、出来ない人もいるし、
幸せも不幸せも状況の問題じゃなく本人の気持ちだから。
どの道かよりもその道を積極的に生きられるかどうかが重要なんだろう。
否定していたら留まったまま。
肯定出来たら勝ち。
勝ち負けじゃないけど、幸せってことだ。

2004年02月10日(火)



 思い出すと

まだ二十歳前のころ、友達があることを話しながら泣いていた。
それは過ぎた出来事を話していたのだけど、その子は泣いていた。
その時私には思い出すと、話すと、泣いてしまうようなことってなかった。
だからその子を見ていて少し不思議に感じていた気がする。
今の私には3つある。
引きずっているのとは違うのだけど心の奥のほうに静かに息をひそめてる。
いつもそこにある。
だからその3つの話をしていると、
知らずに涙が込み上げてきてしまうこともある。
一緒に生きてゆく大切なもの。
すべてがツライことだけど、私に何かを教えてくれた貴重なもの。
とても感謝しているものばかりです。





2004年02月08日(日)



 ロングロング「ロードオブザリング」

小学校からの女友達の家に遊びに行ったのだけど、
近所の同級生の男の子の家に出産祝いに行くとゆうので、
一緒に行くことに。
その男の子とは多分中学校卒業以来会っていなかったのだけど、
3人からいろんな同級生の名前が出てきてなかなかおもしろかった。
名前に聞き覚えはあっても顔が出てこない人もいたり。
私は小中高の友達に会ったりすることってほとんどなくて、
今日会った友達はHPがキッカケで最近はたまに会うけど、
以前は何年かに一回とゆうペース。
もうひとりたま〜に家に行く友達がいるくらい。
高校の友達は卒業してしばらくはよく会ったりしてたけど、今は全然。
20歳過ぎまでやってたボイトレスタジオの友達も今は全然。
バイトなんかで仲良くなった友達もしばらくして会わなくなるパターン。
人の話を聞くと案外続いていて驚く。
私があまり積極的に連絡取る人間じゃないからかな。
今はもっぱらゴスペル仲間と練習で会う日々。
家でひとりでする作業も多いし、歌と詩に時間を使っていると、
いわゆる普通に友達と買い物とかなんだかんだあまりしなくなるなあ。
時間がたって生活が変わって考え方や感じ方が少し変わったりして、
そうすると昔仲が良かったとしても、
なんとなく話が合わなくなったりすることもある。
そしたら自然と離れてゆくのだろうし、やっぱりそれでいいと思うなあ。
今日会った友達は小学校からの付き合いでずっと仲良くしてるけど、
最近の彼女が今までで一番好きな気がする。
もちろん今まで嫌いだったわけじゃないですよ。
色々あって、何だか強くなって自分で立ってるような感じがするからかな。
それとも私が昔はその部分を見れなかっただけかも。


ところでロード・オブ・ザ・リング見ようと頑張りましたが、
家の台所の小さいテレビで人があれこれ行き交う中、集中して見るのは至難の技。
見たような見なかったような微妙な感じに終わりました。
おすぎがTVであまりに絶賛するので、
どうしても「王の帰還」見に行きたくなっちゃんだよね。
1と2見ないとわからないって言うし。
ああ、ホントに行けるのだろうか・・・




2004年02月07日(土)



 詩人であること

別の人が書くホームページの日記を読んで考えたこと。
私が今日記を書いてる理由ってなんだろう。
その日その日の出来事を綴るものとはちょっと違う。
その日にしたこととかまったく書かない日もあるし。
多分、自分の考えや湧き出してくる感情に集中出来るように、
そしてそれを誤魔化したりしないように、
それと向き合う強さを持っていられるようにとゆうことかな。
詩を書いているのがそうゆうことかもしれない。
以前紹介した評論家の小林秀雄の言葉を読んで、
そうゆうことなのだと思ったことがある。


  例えば諸君は悲しければ泣くでしょう。
  でもあんまりおかしい時でも涙が出るでしょう。
  涙は歌ではないし、泣いていては歌は出来ない。
  悲しみの歌を作る詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。
  悲しいといってただ泣く人ではない。
  自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、
  これをはっきりと感じ、これを言葉の姿に整えて見せる人です。

  詩人は、自分の悲しみを、言葉で誇張して見せるのでもなければ、
  飾り立てて見せるのでもない。
  一輪の花に美しい姿がある様に放って置けば消えて了う、
  取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、これを粗末に扱わず、
  はっきり見定めれば、美しい姿のあることを知っている人です。
  悲しみの歌は、詩人が、心の眼で見た悲しみの姿なのです。
  これを読んで感動する人は、まるで、
  自分の悲しみを歌って貰ったような気持ちになるでしょう。
  悲しい気持ちに誘われるでしょうが、もうその悲しみは、
  不断の生活のなかで悲しみ、心が乱れ、涙を流し、苦しい思いをする。
  その悲しみとは違うでしょう。
  悲しみの安らかな、静かな姿を感じるでしょう。
  そして、詩人は、どうゆう風に、悲しみに打ち勝つかを合点するでしょう。



そうであれば、やはり私は詩人なのだと思いました。
ずっとそうしてきたことだから。
ツライ時ほどたくさん書く。
それが私にとって自然なことだから。
そうであれば、やはり私は詩人なのだと思いました。
よりしっかり生きてゆくうえでの手段であって、
それがなければ生きられないのとは違う。
確かに悲しみの美しさとゆうものを感じる。
悲しみはただ悲しいものではないと知り続けたいのだと思います。
そしてまた知らせ続けたいのかもしれません。
  



2004年02月06日(金)



 すべては受け止めるだけ

フランス映画を見ました。「ぼくの好きな先生」。
どんな内容かまったく知らなかったのけど、
だんだんドキュメンタリーってことに気づいてビックリ。
フランス中部のオーベルニュ地方のたったひとクラスしかない小学校。
13人の生徒とロペス先生の記録。
淡々と静かなフランス語で進んでゆく。
子供達の表情とか先生の語り口とかとても印象的でした。
本当でしか描けないものってあるなあ。
見ながらいろんなことを考えて、いろんなところへ行った気がする。
私は子供達のまっすぐで透明なところに触れるとツラくなる。
あったかい気持ちよりも泣きたくなったりする。
傷つけてはいけないとゆうことを思い知らされているような気持ちになる。
他にもいろんな複雑な思いが押し寄せてきて、受け止め切れない時もある。
でもそれでいいと思う。別に逃げようとは思わない。
私の内側を映し出してるだけだから、納得して受け止めるしかない。
それから「病気はある日突然やってきて共に生きていくもの」とゆう
ロペス先生の言葉はシンプルで肩の力が抜けるものだった。
そんなもんだよなあ、それでいいんじゃないって感じで。

それはそうと、オリジナル曲は日々変化しています。
嬉しい、楽しいのだ。




2004年02月05日(木)



 共感

今日笑っていいともにジミ−ちゃんが出ていた。
7年前に結婚していたのだけど、
お客さんはそれを聞いてものすごく驚いていた。
最近共感することについて考えていたのだけど、
芸術家のようなある種変わってるといわれる人達にとって、
共感してくれる人ってとても少ないように思う。
ひとりもいなかったりするかもしれない。
そんな人にとって例えば妻とか、
じゃなくても親とか友達とかでもいいけど、
理解し難いくらいの深い不思議な関係、つながりを持てる人とゆうのが
必要不可決なのかも。
その存在は強く大きく自分を受け止めてくれる。
確信を持ってゆだねられるし、また突き放すようなことも出来る。
とてつもない信頼関係が築かれているから。
他の誰とも共感出来なくとも、
その存在とは何千人何万人以上の共感が得られるんだろう。
周りを取り巻く常識に似た共感は必要なくなるのもよくわかる。
芸術家や文豪やそんな人達の妻や恋人の話って結構おもしろい。
とても言葉じゃ言い表せない、言い表わす必要もない、
それぞれの空気に包まれてるんだろうな。




2004年02月04日(水)



 バランス良く怠ける

調子が良くないのは仕方ないのですが、
ふとまた病気を言い訳に怠けている自分に気づいたりします。
無理するのもよくないのですが、怠けるのも良くない。
良くないとゆうか、好きな自分じゃない部分でのことなので嫌だと感じるんでしょう。
実際、調子が良くないと出来ることや時間やあれこれ制限が出てきてしまうのは仕方ない。
でも怠けたくない。
だからといって自分を責めたりしたらなお良くない。
このバランスが難しい。
あれこれやりたいことはあるのに、驚くほど少ししか出来なくてもどかしい。
大丈夫かなと思って、ちょっと頑張ってしまうと、後でドスンと身体にきてしまう。
1日中たいして何も出来ない日もある。
そんなこんなでなかなかホームページに詩をアップ出来ません。
今は他に優先してやりたいことがあるので、そちらをやる。
作詞だったり作品作りだったり。もちろん歌も。
一生は限られた時間なので急ぎたくもなってしまいますがねえ。
バランス良くゆっくり。あせらず。


2004年02月03日(火)



 調子悪いんで。

昨日の夜から調子悪い。
気持ち悪くてもどしたりなんかして、今日もしんどかったです。
休みだからよかった。ゆっくりするしかないです。
明日は仕事だから何とか元気になってるといいけど。
とゆうことでこのへんで。

2004年02月01日(日)
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