天使のながばなし
maki



 自力

ただいま本日の日記を書き終わり、行け〜と思ったところで、
我が家のフューズが飛びました。
だから保存しとけよ〜と自分に言ったところで、ね。
挫けずにもっかい書きます。。。

もう30日。今年もあと1日。
みなさんはどんな年でしたか?
私の2003年をひとことで言えば「自力」。
いろんなことがあって大変だったけど、自力で乗り越えてきた。
自力でしか生まれないことが多いし、自力がついた。
「地力」ともゆうかな。
生まれて初めて、自分を誉めてあげたいくらい頑張った年だった気がする。

自分を責めず、認めて好きになることは大切。
でも、出来ないことや弱点はきちんと受け止める。
責めずに認めるからこそ、それがしっかり出来る。
ここから本当の人生が始まる。
見つめる先が定まって、静かな強さが生まれる。
人生がひっくり返ったようで、
本当はひっくり返ってたのが戻ったのかもしれない一年。
「覆水盆に返る」か。





2003年12月30日(火)



 Calm

無理をせず心配をかけずにいることは出来るのだろうか?
答えは1つ。自分の中の問題。
私が強くなること。
強い・・・とゆうのは少し違うけれど。
静かで穏やかであることの強さ。
StrongじゃなくCalmな感じ。
私がすべてについて目指すところは、これ。
忘れちゃいけないのも、これ。
ここに近づいてくると、
以前の自分が苦しんだことや悩んだことが何だったのかと思う。
何に怯えて、何を嘆いていたのか。
ただ逃げ道をさがしていただけなんだろう。
これからは一生懸命積み重ねてゆくだけ。
削ぎ落としてゆくだけ。
今年残り3日もそうしてゆくだけです。



2003年12月28日(日)



 寒くてもエスプレ飲んでお散歩よ

ちょっとおでかけ。お買い物などなど。
風が強く寒いと散歩とか出来なくて悲しい。
でも風のない日は、あっため係着て少し散歩したいなあ。
そしてエスプレッソマシーンが我が家に登場。
ミルクもしゅわ〜っと出来る。
さっそくやってみる。要領がわからず、大騒ぎ。
何とかカプチーノ完成。で、出来は上々。
年末年始は飲みまくりそうです。


夕食にアジアンレストランへ行ったのだけど、
帰りがけ隣のカップルの会話が気になった。
なぜってはずんでなさ過ぎだったから。
う〜むと思いつつ、料理はおいしく大満足。
満足度が高い店ってのは決まってきちゃう。
たまに違うとこ行こうかと思っても、結果は容易に予想されるから、
やっぱり行けない。・・・やっぱり行けない。


目標とゆうのも大切だけど、それを達成するよりも、
とにかくやり続ける、やること自体に、
価値や意味を見い出して感じることが大切だなあと思う。











2003年12月27日(土)



 年忘れ鍋大会

ゴスペルJ年忘れ鍋大会開催。inうちのはなれ。
10人以上次々とやってきて、鍋は追加しても追加してもすぐなくなる。
こうゆう時って量が難しい。
なくなるといけないから多めに、と思うと必ずかなり余る。
余るともったいないからこれくらいで、と思うと足りない。
何回やってもわからん。
でも海鮮チゲおいしかったなあ。またやろう。
どて煮も好評だったのでまた作ろう。
例のごとく歌い出すと止まらない。
日付け変わってもみんなの元気は留まるところ知らず、
2時過ぎに牛丼食べる始末。私も食べたけど。
バラバラの個性がひしめきあうような空間はホントに元気になる。
遅いが、ヌーブラに感動する。
みなさま来年もよろしく。たくさん歌いましょう。





2003年12月26日(金)



 切実さ

今日は少しだけ仕事。仕事納め。
とゆうほどたくさん働いてはいませんが、
とりあえず自分にお疲れさまでした。

感動出来るとゆうことは嬉しいことです。
自分がそうゆう状態だとゆうことが幸せなこと。
心が平穏とゆうのもいいけれど、
ギリギリの切なさを求め続けているのかもしれないと自分では思う。
感情が湧き出て、言葉が湧き出てくる。
何かとても大切に思うものがあって、それは平穏なものではないから、
そこから生まれる切実さがあるように思う。
そんな気持ちをじっと噛み締めて今日も寝ます。

2003年12月25日(木)



 ☆Merry Christmas☆

Merry Christmas!ですね。
恋人達のイヴですか。
月曜に栄を歩いていた時、たくさん見ました。
ブランドのお買い上げバック持った人達。
私はライブ用のアクセサリーさがしにデパートウロウロしてたのですが。
そんなの見てたら何となくあきれるとゆうか、悲しいとゆうか。
いつからこうゆうのが主流になったのかと思う。
私自身ブランドものとか興味なしだし、
プレゼントといえば「それ」って頭足りない感じで切ない。
ロフトのポスターには、

  クリスマス

 「愛してる」より

  プレゼント

なんて書いてあって、ますます悲し。
まあ、いいや。
あれこれ言っても、クリスマスの雰囲気はとても好きなのです。
街の空気が好きです。



昨日は、新ユニットの初ライブ。
レストランでのクリスマスライブ。
満員御礼で、遠くから来て下さったみなさまに感謝です。
少人数で歌うのは大変だけど、いい経験。
1人より、2人より、難しいような気もする。
メンバー、お疲れさまでした。
みなさまありがとうございました。




2003年12月24日(水)



 ふらふら・・・

疲れ過ぎて何も言うことありません。。。
想像以上にぐったりきてしまい、明日明後日が非常に不安です。
風呂入って寝るしかない。それしかないです。

2003年12月21日(日)



 寒いですね

寒いですね。とにかく寒い。
朝起きて、車の上にこんもりとのっかった雪を見てビックリ。
今日は明日のリハーサルに出かけなきゃいけなかったので、
ギリギリまで車で行くか電車で行くか迷った。
結局道路はほとんど乾いていて車で出かけた。
雪は好きだけど、身動きに困るね。


明日のNSDの発表会、何人くらい出るんだろう。
私は歌の部分しか把握していないけど、ダンスの人数がものすごい。
厚生年金会館の客席埋まっちゃうんじゃないかってくらい。
リハも昼から夜まで延々と続いて、想像しただけで倒れそう。
あれだけ大きなステージで出し物もたくさんで出演者もいっぱいで、
それでもってかなり細かいところまでつめてやるから、本当に大変。
明日は私自身も一日仕事なので、気合いを入れなければ。
体力持ちますように・・・


ここのところ歌モードだったけど、少しずつ詩も浮かんできた。
運転しながらぼんやり考えて気づいたこと。
私にとって3つのこと(音楽・詩・もうひとつ)は一体のはずなのに、
モードの切り替えって何か違う。
本当は何に集中するかではなく、感情の門扉を開くことが大切じゃないか。
歌も詩も表現するとゆう共通のものなのだから、
私の中では区別すべきではない。
私が惑わされていたのは、歌うこと自体ではなく、
結局別のことだったのでしょう。
3つのことは別々であり1つだと言ったのに、私は頭で区別していた。
心では1つと感じながら。
決して心をないがしろにしないように。

2003年12月20日(土)



 選択

久しぶりに知り合いのライブとゆうものへ行ってきた。
ソロライブは初めてとゆうことだったけど、
力の抜けた歌い方でいい雰囲気だった。
MCも含めて自然体な感じだったなあ。


病気になって、また最近の自分の状態から、
自分にとって何が必要で何が必要でないかよくわかるようになった。
制限があるとゆうことは、ある意味感謝すべきことだ。
昔は答えを行動に移すことに時間を割いたことが良くあったように思う。
答えは分かっているのに、小さなプラスを捨て切れなくてダラダラ続ける。
別れられない恋人のように。
迷うことはあっても答えが見えたらスッパリとね。
あ、・・・気が変わることはあるけど。あるべきだと思うし。

2003年12月19日(金)



 デブラ・ウィンガーを探して

・・・を観てきた。
ハリウッド女優34人へのインタビュー形式の映画。
監督はグラン・ブルーのロザンナ・アークェット。
切り貼り切り貼りでパラパラとそれぞれに語ることを聞いていると、
その人、とゆうものをすごく感じる。
シャロン・ストーンの真面目でしっかりした語り口、
ウ−ピー・ゴールドバーグのユーモアとカッコ良さ、
デボラ・ウィンガーの落ちついた余裕のある綺麗さ。


最後のジェーン・フォンダの話は印象的だった。
スポットライトの輪の中へと向かう緊張感と不安、
そして訪れる解放感と融合。
この感覚がいつも訪れるわけではなく、49作品のうち8回?10回?
私が歌う時に求めているものと同じ。
同じとゆうのは烏滸がましいが、そのような感覚が過去に1、2回あった。
自己は完全に確立され解放され、意識は限りなく広がり穏やかで、
周りのすべてがハッキリ見える。
光も音も融合して、何とも言えず宇宙へのぼってゆくような感覚。


女優などは「アブノーマル」だと言い切っていた。
そうであると認識すべきだと。


それを生きてゆく道とすることで、
否応なしに自分と向き合い精神性について考えることになる。
そうでなければ本当の意味では出来ないのだから。








2003年12月18日(木)



 「無」

昨夜は疲れぎみとゆうよりも、
ただ単に腹が立って自分の精神が穏やかじゃなかった。
今日もかなりの時間そうだったのだけど、
これこそ一番の課題だなと考えていた。
イライラする気持ちによって、私のバランスは崩れて、
歌にも詩にも悪い影響を及ぼしていた。
原因は何であれ、それを被ってしまった私が悪い。
久しぶりに抑え切れないほどの感じだった。
こんな時はすべてが良くない考えへと向かったりする。
こんな状態では歌えないし、書けない。
それだけに集中出来ず、心を支配するのはイライラのほう。


いつも穏やか、仏のようにとゆうことではなく、
悲しむのも喜ぶのも怒るのもいいのだけど、
コントロール出来てない時は、それを受け止め切れてない時だ。
向き合えてない時のような気がする。
感情がわっと湧いて、その後自分をから取り出して、その感情と向き合う。
そうして言葉になってゆく。
向き合えなければ、書けない。歌う時もそうかな。


インド思想や老子の言うところの「無」ですね。
これは大きな課題。
やっぱり技術なんかよりも、
大切なものは精神なのだと痛感する一日でした。




2003年12月17日(水)



 少し疲れぎみ?

日曜日は愛知芸術劇場大ホールでゴスペルのイベントだった。
あのステージで歌えることなんて、もう二度とないかもな。
ステージ上から見たホールと客席の感じが何ともいえない。
お昼からリハやって本番終了まで長くて大変だったけど。
さすがに身体疲れちゃったけど、気持ちよく歌えた。


きのうは日曜の疲れがあまり出なかったけど、今日は身体痛めだったな。
最近は定期的に気功に行ってるので、なかなかいい感じ。
それとも新しい薬が効いてきたのか?よくわからんが。


イライラしたりするのって、自分の中の状態による気がする最近。
心穏やかに静かにいたいと思うが、急に荒れる。海みたいに。




2003年12月16日(火)



 集中→疲れ→充実感

今日は比較的調子も良く、ゴスペルのお友達の家に遊びに行った。
ほとんどおしゃべりしてたけど、ちょっとだけ歌った。
アカペラで二人で歌うってのは、わかりやすい。わかりやす過ぎるぐらい。
ちょっとした響きの違いや呼吸や声の場所とゆうか形とゆうか、
そうゆうものがぐわ〜っとクローズアップして感じる。
集中せざるをえない状況になるのだけど、
そうじゃない時、いかにボケ〜っと歌っているかとわかる。
もちろんその時は一生懸命なつもりでも。
それでも声を合わせて集中して歌うのは楽しいことだ。


何にしても集中して一生懸命やるとどっと疲れるけど、
気持ちはとても満足する。
昨日の夜は詩に関する作業を3時間ほどしていたのだけど、
やっぱり集中して疲れた。でも充実感はいっぱい。
あまりやり過ぎるのもダメだけどね。身体に来ちゃうから。


そう出来るものが私のやりたいことなんだなあ。


2003年12月12日(金)



 体調最悪

今日は調子が悪くて最悪だった。
起きて朝食にパンを食べてから、だんだん寒くなって、
震えが止まらなくなる。
痛いんだか何だかとにかくツライ。
ふとんに入ってひたすら震える。止まらない。
表面はあったまってきても、身体の芯が冷えきってる感じで痛いくらい。
ガマン出来ないので、ガチガチしながらお風呂をつけた。
昼食に身体をあたためる大根など入れたうどんを作って食べたら、
逆に熱がぶわ〜っと上がって38度。
仕方なくまた寝る。自分の身体がちょっと怖い。
しばらく寝て微熱に下がったはいいけど、
今日やりたいと思ってたことが何も出来ず、少しブルー。
夜はアカペラ歌って、それほど調子悪くなかったのに、
ファミレスのパスタを食べて気持ち悪くなってしまった。
病気が残念ながら上がり調子で暴れてるので、
薬がまた増えたから胃が弱ってるのもあるだろう。
こんな時はちょこっと弱い私が顔を覗かせたりするけど、
すぐ直るでしょう。

2003年12月10日(水)



 後になってわかること

後になってわかることは多い。
いい事でも悪い事でも、後になると「その時」とは違う印象になる。
冷静かそうでないかとゆうことより、
想いがどこに向かっているかで、それは変わるんだろう。
また、前に書いた詩などを読んで、
まさに「その時」の自分を表しているものに出逢うとドキリとする。
その時の感情のまま書いているのだから当たり前なのだが、
そうゆう意識なく書いたものほど、
まさに「その時」の自分を象徴していたりするものだ。



話すよりも言葉のほうが、その人自身が伝わりやすい。
いい意味でも悪い意味でも、個性がグッと浮き出る。
1人きりでする作業なのだから、邪魔されたり、影響受けることなく、
その人自身が表れてしまうのだろう。
としたら、詩も日記も、私の書くすべては私自身だ。
私自身を表現すること。これをやめたら死んだも同然。
中学から書こう書こうと思ってやってきた訳ではないけれど、
今となっては不可欠で自然なことだったんだとわかる。



不思議なもので書こう書こうと、考えれば考えるほど言葉は出て来ない。
必死に絞り出しても何だか無理矢理で浅はかであざとい。
それが自分でハッキリわかってしまう。
そんな時どうするか。当然やぶり捨てる。
どんなに時間がかかっていても、ダメなものはダメ。
「最悪!」「つまらん!」と叫びながら。
邪念を捨てて、心がゼロに向かうよう待つ。
待たなければならないのはツライ。
乱れる心、考える頭が消えるのを待つ。
書き続けるとゆうことは、
いつもそうゆう精神状態でいなければならないとゆうことなんだろう。





2003年12月09日(火)



 いるべき場所へ

私のいるべき場所。
私のやるべきこと。やりたいこと。
やりたいことを思いきり出来ること。
最上級の一生懸命でがんばること。
それは必要なもので、それだけが必要なこと。
それはそうであるべきもの。
こうなってくると、あれもこれもとゆうことが、
いかに無理なことかとわかってくる。
必要無いことだとわかってくる。
逆に今まではわかっていなかったとわかる。
そして病気である身体がますますわかりやすくさせてくれる。
今となってはそれも望んだこと。
すべてがここに繋がるために望んだこと。
私はいつも、今はハッキリとわかった、
私のいるべき場所にいなければいけない。
そこが私の生きる場所で生きる理由で、
より生きられるところなのだ。

2003年12月08日(月)



 自分の身は

長時間の練習で、疲れた。
まったく身体が資本だなと思う。
この先健康はなかなか望めないが、今の身体と心にあった、
自分なりの調節の仕方でやっていくしかないだろう。
明日はちょっと長めのお仕事なので、ゆっくり休まなければ。
自分の身は自分で守る、しかないのだ。


2003年12月07日(日)



 書く時と歌う時

最近詩も日記も書く事が次から次へと浮かんで来ない。
音楽に集中してる状態と何が違うんだろうって考えた。
ひとつわかったのは、詩や日記など書く事に集中してる日は、
いつどんな時も意識は、自分を通して湧き起こる感情へと向けられている。
それに対する意識の集中はすごいので、自分の世界にいることが多い。
どんな小さなことでも自分の中で考えて、噛み砕いて、言葉になってゆく。
これが書く時のモード。
あとは何か揺さぶられるようなことが起こった時にも、
当然のことながら、言葉は湧いてくる。
でもこの場合はこのことに気持ちが集中するので、
別のことは浮かばないけど。
音楽に集中してる時は、いつもそれを考えているので、
書く時、日常の何でもない小さなことにひっかかってる心も、
全部音楽に使われている感じ。


こう考えると、詩人であり同時に歌う人間であることは難しい。
今はまだ切り替えが必要。
両方を意識して全力で向き合って、まだ日が浅いから、
今後どんなふうに自分の中でバランスをとっていくか考えなければ。



2003年12月06日(土)



 日常は芸術

マッサージを受けながらいろいろ考えていた。
評論家、小林秀雄の言葉。ちょっと抜粋。



  見るとか聴くとかいう事を、簡単に考えてはいけない。

  ぼんやりしていても耳には音が聞こえて来るし、
  特に見ようとしなくても、眼の前にあるものは眼に見える。
  耳の遠い人もあり、近眼の人もあるが、そうゆうのは病気で、
  健康な眼や耳を持ってさえいれば、見たり聞いたりすることは、
  誰にでも出来る易しい事だ。
  頭で考える事は難しいかも知れないし、考えるのには努力が要るが、
  見たり聴いたりする事に、何の努力が要ろうか。

  そんなふうに考えがちなものですが、それは間違いです。
  見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、
  努力を要する仕事なのです。

  例えば、諸君が野原を歩いていて
  一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
  見るとそれは菫の花だとわかる。
  何だ、菫の花か、と思った瞬間に、
  諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
  諸君は心の中でお喋りをしたのです。
  菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、
  諸君は、もう眼を閉じるのです。
  それほど黙って物を見るという事は難しいことです。


ホントは全部書きたいくらいだけど、長いので。
日常起こるすべてのことは、こうゆうことなんじゃないかと思った。
そのものの美しさや真実を先入観なく見たり感じたりすることは難しい。
今まで感じられなかった美しさは、努力しなければ感じられない。
むかしから、たまには絵を見に行ったし、音楽も聴きに行ったけれど、
今みたいに感じることはなかったように思う。
努力すべきことなのだと本当にわかったのは最近かもしれない。
歌を始めたころ、感じるとゆうことは、
変化しない生まれつきの物のような気がしていた。
そうだと信じていたし、その考えに頼ってきた。
でも今思えば努力しないことへの言い訳にしかなってなかった。
だから私は向上しずらかったんだと思う。
あの絵の美しさも感じなかったんだと思う。
じっと見つめてわからなくてもわからなくても、努力すべきだと思う。
その先には必ずはじめての場所が待っている。



2003年12月05日(金)



 ポカポカ

今日も手の平から出てます。あったか〜い。


森林公園へ行って終わりがけの紅葉を見ながらたくさん歩いた。
いつもなら膝が腫れてきて、痛くて曲げにくくなるんだけど、
昨日の気功のせいか、たくさん歩いても案外大丈夫だった。
おいしいものとおいしいコーヒーと練習と満足の一日。
頭の中は相変わらず音楽モード全開だけど。


ギリギリの細い線のところで、ふらふらしながら迷ってること。
今の自分なら大丈夫かもしれない。。。けどやっぱりわかんないや。
やっぱり必要ないかもしれない。
でも嬉しいんだ。これだけはハッキリしてること。
ちょっとだけ切ないような。つらくはなくてやっぱり幸せ。
今はとても幸せ。これから多分もっと幸せ。
結局これは自分次第なことなんだな。
まだまだわからないことは多いけど、
前よりも物事がくっきりしてきたから、見失ってしまうことってない気がする。


2003年12月04日(木)



 気功

今日はお友達に紹介してもらった気功の先生のところへ行ってきた。
こういった、いわゆる西洋医学系じゃない、
民間療法とかヒ−リング的なところへは色々行っていたのだけど、
気功は初めて。そういえばそうだったなと、自分で驚いたりした。
どんな感じかは自分で体験しないとわからないし、遠かったけど、
病気の症状も少しでも良くなったらなと思って。


中国人の先生でよくしゃべる明るい女の人。
わはははと話しながら、マッサージ。
マッサージで柔らかくほぐして気を入りやすくするんだそう。
そしてたまに両手の平を優しくあてて気を送る。
じんわりあたたかい。痛くないし気持ちいい。
あまりに話しまくるので、
もうちょっと黙ってもいいよ〜と思いつつも治療?は進む。
今日は右膝と左手首が特に痛かったので、そこを中心にやってもらった。
マッサージされたり、動かしたりすると始めは痛かったが、
ふと痛みが消えて、骨がゴリゴリいってる感じに変わる。
手首も膝も同じ感じだった。ゴリゴリするけど痛くない。
そんでもって軽い。いいじゃん。


一時間半もたっぷりやってもらって、
その後お茶を出してもらい30分も話し込む。
太極拳も教えているそうで、少しやってみせてくれた。
これがメチャメチャいい感じ。
なんとゆうか、気をすごく感じたし、やわらかく強い。しなやか。
あ〜、やっぱり昨日書いた両極を持ち合わせている。
いいんだよね、ホントに。
とゆうわけで、とりあえず通ってみることにした。


今も気の入った私の手の平から、じんわりあたたかいものが出ています。




2003年12月03日(水)



 相反するもの

最近よく思うことがある。

気づくたび気づくたび、さらに確認することがある。

それは相反するものの共存が魅力だとゆうこと。

両極にある2つのものが同時に大きくなればなるほど、魅力も増してゆく。

その過程で、まとわりついていた他のものは削ぎ落とされ、

その大きな両極の2つだけとなる。

そしてそれは表面的には限りなく静かで目に見えないことが多い。

このことは私の中で何を感じる時も、とても重要で明らかとなってきた。

2003年12月02日(火)



 歌モード

今はすっかり頭も心も歌モード。
歌うことに集中してて、そのことについてばかり考えてる。
今年最後のライブが終わるまでは、ずっとそうなりそう。
こうゆう時は詩への感性が休憩中。
その分全部音楽で私の中はいっぱい。


教会での初めてのライブ。
すごくすごく疲れたけど、有意義だった。
出来がよかったとか悪かったよりも、意味あるライブだったと思う。
真剣に臨んで、精一杯歌って、
またひとつ本番を経験することの大きな意味。
その日に辿り着くまでの努力と、
その日のその瞬間だけの必死さ、それと逃げないこと。
負けるとしたらいつも自分。それ以外にない。
私はもう逃げないし、負けない。
努力も惜しみたくないし、いつも真剣で全力だ。
そうやって生きていくことが最高だと感じている。





2003年12月01日(月)
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