天使のながばなし
maki



 中庸

久しぶりにすこぶる調子の悪い一日。
家の買い物で外に出た以外は、ずっと家の中。
こんな日はおとなしくしてるに限る、
と思いながらもごそごそパソコンに向かったりする。

小林秀雄の「美を求める心」を開く。
エドガ−・ドガのパステル画がいつも気になる私。
「踊り子たち、ピンクと緑」とゆう作品。
しかもそれについて小林秀雄が書いてることといったら、
 
 私は、ドガの晩年のパステルの傑作の前を立ち去り難かった。
 デッサンからの奇蹟的な様式が生まれている
 その美しさの為ばかりではなかった。
 この絵の中にドガの絶望の凡てが隠れているという
 不思議な想念の為でもあった。

絶望の凡てが隠れている・・・う〜ん、この美しいパステル画に。
そう感じるのか・・・
でも美しさと絶望など、相反するものは極めれば極めるほど、
強烈に共存しあっていくようにも思えるなあ。
昨日のクリムトの絵にも感じた。生と死とか愛と悲しみのような。



中庸ってこと、考えた。
何事も偏るのは良くないってことをよく聞く。
何かを極めたり、その世界を追求するって、
外側から見たら偏ることではなかろうか。
どこかから見たら、すべてがどこかへ偏っているものじゃないのかな。
中庸っていったいどこだろう。
むしろ偏りたい気がするが。




2003年10月31日(金)



 イメージ

お昼は「クリムト 1900年ウィーンの美神展」に行ってきた。
クリムトの絵に関してはピンときたことなかったのだけど、
実際にホンモノを見てビックリした。
何とゆうか質感が圧倒的に違う。もちろん印象も。
センス・・・ああ、なんかこの言葉が安っぽく感じる。。。
でもだってセンスがいいんだもん。
デザイン性と質感の違ういくつかが一枚の絵の中に見事な調和を・・・
ってこうゆうのも安っぽいなあ。
とにかくストレートにとてもよかった。
私の中のいろんなものに反応した。


以前、滋賀県のMIHO MUSEUM に、
「生誕百年記念展 小林秀雄 美を求める心」を見にいったのだけど、
あれ以来、いろんな芸術を見て自分の努力と経験のなさを感じる。
だからこそ、まだまだたくさん見たいのだけど。
見ることをきちんと意識して。
小林秀雄の芸術的な評論・・・とゆうか私にとっては詩。
あれはいつ読んでもすごい。また読もっと。


夕方からちょっと仕事。
またしても行き違いや連絡ミスなどなどで、ちょっとイライラ。
とゆうか呆れる。は〜っ。


帰ってからアンビリ〜バボ〜を見た。
なかなか興味深い、今回。
悲しみで人は突然死するとゆうのから始まったのだけど、
次は脳のイメージだけで傷もなしに死んでしまった死刑囚。
最後はイメージで脳腫瘍を消してしまった少年。
スターウォーズ好きの少年は、一年間毎日頭の中で、
脳腫瘍と自分との戦いを宇宙戦争に見立てて具体的にイメージし続けたらしい。戦いが終わった時に「病気がなくなった」ってわかったのもすごい。
イメージだけで、ホントになくなっちゃうなんて。ん〜、すごっ。
私の場合のイメージはなかなか難しいなあ。
イメージの方向性が固まったらやってみたい、イメージ治療。






2003年10月30日(木)



 ひみちゅユニット

午前中起きて、ゴハンを食べて薬を飲んだら、また寝てしまった。
予約していたオイルマッサージへ。治療の一環なんだけど。
そんなことしてたら、もうゴスペルレッスンの時間。
あ〜あれもこれも、時間ギリギリになると
やらなきゃいけないことが出てくる出てくる・・・


レッスン後、秘密ユニットの初会議。別に秘密でもないけど。
ゴスペルメンバーで少人数ユニットを立ち上げることに。
旗揚げ公演(劇団みたいだな・・・)は、
12/23(火・祝)のクリスマスライブ。
詳しく決定したら、informationでお知らせするのでチェックしてね。
大変だとは思うけど、とても楽しみ。


毎日のように何らかの形で歌ったりするのだけど、
やってもやっても気づくことは後を絶たない。
出来ないことも出来るようになることも。
一生やっても満足ってことはないと思うけど、
だからこそやり続けられるだなあ。
そして今日も明日も歌うのだ。
(あ、書くのもね)

2003年10月29日(水)



 キパワーソルト

最近起きるのがビックリするほど遅い。
夜寝るものどんどん遅くなっていっちゃうなあ。
これでリズムが出来てしまう。
別に悪くないんだけど、たまに世間の行動時間に起きなきゃいけない時は、
気合い入れなきゃいけなくなる。


きのう、キパワーソルトの試供品が届いた。
塩田焼塩でミネラルが自然のバランスのまま含まれていて
還元力があるものらしい。
洗顔、歯磨き、ウガイ、もちろん料理にもいろんなことに使えるらしい。
試しに水に溶かして飲んでみたり、お風呂に入れてみた。
なかなかイイ感じ。
リウマチのせいで血行が悪く、ものすご〜く身体が冷えるのだけど、
今日の夜はポカポカしてる。キパワーソルトのせいか、気のせいか。
何か新しい健康系のもの試すの久しぶりなんだけど、
買ってきてしばらく使ってみようかとゆう気になってる。
確かたまに行くお店にあったような。
これで冬を乗り切れたらラッキー。

2003年10月28日(火)



 初めての場所に来ています。

私のやることはたくさんあって、
それは単純作業じゃないこと。
開拓してゆくようなこと。
ひとつひとつ、大変な労力と時間がかかるのだろうけど、
頑張って取り組んでいきたいな。


ずーっと越えられないと思っていたものは、
私の越えられないと思う心だった。越えて分かった。
越えてゆくには、厳しさと勇気と決意が必要だった。
私は近頃、初めての場所に来ました。
前に私がいた辺りにいる人を見つけると、
脱出は不可能じゃないことを伝えたくなる。
でも結局は自分で来るところなのかな。
もがいてもがいて見つけるところ。
まだまだ先は続いているのだけれど。


こうして独り言を書くことで整理出来るものがたくさん。
深く考えることもたくさん。新しい発見も。



2003年10月27日(月)



 お生きなさい

また今日も外出続きだった。
お昼は近くのカフェでランチ。
夕方は友達に誘われた映画の試写会へ。「スカイハイ」ってやつ。
アニメのような、2時間ドラマのような感覚で、何とゆうか・・・
主役の釈由美子の「お生きなさい」のセリフは好き。
でも釈ちゃん、ちょっぴり受け口で深刻さに欠けていた気が。。。
余計なお世話か。
知らない人ばかりだけど、なかなか雰囲気のある女の人がたくさん出てた。
ごはんを食べてちょっとお茶して帰る。



しかし今日も喋り過ぎた。
長い時間とかじゃなくて、私は思っていたことなどを言い過ぎてしまう気がして。
ある時はとゆうことなんだけど。
何でもう少し沈黙とゆうか静かな感じで、心に留めることが出来ないんだろう。
感情をずっと隠していることが苦手。
これは恋愛がわかりやすい。
恥ずかしくて告白出来ないとゆう話を聞いたりするのだけど、
私は逆で、抑え切れない。
伝えなきゃ死んじゃう、みたいな。
伝えられないとゆうことは、私にとってはかなり拷問だ。
それ以外でも、ついついぐわ〜っと話してしまうことが多々あり。



そういえば芸術とゆうか何かを表現する人ほど、
真実を見つめようとすることになると思った。特に自分を。
はたからは、少しおかしく見えて、
現実とは違うところにいるように見えても、
ホントはそちらのほうが現実過ぎるほど現実なんじゃないかな。
そんでもって私はそこにいたい。


2003年10月26日(日)



 それぞれ特別

お昼はお友達のおうちで、歌っておしゃべり。
やっぱりまだチカラ入っちゃうなあ。
一人で歌ってるといいんだけど。カッコつけちゃうのかな〜・・・
オリジナル曲もちょっと歌ってみたりして。楽しく過ごす。

夜はこれまた久しぶりのお友達との約束。
アジアン料理を満喫して、お話も満喫。

いろんな人生があるよなあ、と昨日犬の散歩しながら思ったのを思い出す。
私も友達も誰の人生でもドラマティックに描こうとしたらそう出来るし、
別にこんなもんかと思えばそうも思える。
みんなそれぞれ色々あるし、私だけが特別じゃないし、
でも私の経験、感じることは私にしか出来ないので特別。それぞれが特別。



2003年10月25日(土)



 ライブでした

今日は休息日。
お天気が良いので洗濯をした。
お昼は外で食べて、家に帰ってなんだかんだしていたら、
イトコから電話で夜も外へ食べに。
おいしい洋食やさん。すでに常連のようだ。


さあ、昨日はライブでした。
とにかく初めてだらけで不安も期待もごちゃごちゃで大変だったけど、
満足度はいっぱいだった。
以前自分のライブで自分の詩を歌うことはたくさんあったけど、
歌わないのは初めて。ミキサーも初めて。
こんなに色々考えたのも初めて。
自分が歌う場合は歌うことについて考えるけど、
全体的なことや音のバランスや、もういろんなこと、いろんなこと。
まず何に驚いたって、自分が歌わないで歌う人見てる時って、
絶対歌いたくなるんだけど、今回は思わなかった。
音を作ることに必死で。それだけに集中しなきゃ出来なくて。
集中し過ぎて戻れなくなったり、混乱したり。
でも楽しかったな、音響。

自分から紡ぎ出された言葉が、いろんな音になってふわふわ飛んでいって、
届いていって、また形を変えていくのを見ていて、
何だかとても感慨深いものがあった。
自分がそれを書いた意味やその時のことなんかが、ぶわ〜っと駆け抜けた。
ふと何処かへ飛ばされては、またミキサーに戻る。

チェロが風の呼吸のように押し寄せてきて、
柔らかい空気の歌声をすり抜けて、
パーカッションが大地のように響く。
マイナスイオンが溢れるような自然空間を共有出来たのかな。

ここまで辿り着けて本当によかったと思った。
そして、ここからがまた始まりだと思ってあの場所に座っていました。





2003年10月24日(金)



 向かうところ

先週の少し疲れた日から、ずっとイマイチだ。
ちょっと悲しい→泣く→落ちつく→あきれる→立ち直るのくり返しな感じ。
気分的に少し戻ると、なぜと思うのだけど、
急にひっぱりこまれるのでどうしようもない。
そんな時私と接触して、少し迷惑かけたかもしれない人々ごめんなさい、
とゆう気持ち。


前に自分の意見を抑えてみようとゆうことを書いたのだけど、
何だか違う気がしてきた。
意図的に止めるとゆうことは、当たり前だけど、止めることに意図がある。
意図してすることだろうか。そうならなかった時は後悔以外ないのに。
やっぱり止めるべきじゃないような。
感情をぶつけるってエネルギーいるよね。
そんなことしても仕方ない・・・とか思っちゃうと
しゅんとして言えなくなっちゃう。
変な優しさ持ち出しちゃっても、そう。
私の中の判断での優しさであって、実際そうでもない場合が多かったり。
感情を出すことはとてつもなくエネルギーがいる。
少なくとも私にとってはそう。
攻撃するような気がしてやっぱり苦手。
まだまだか。ちょっとパワーが落ちるとすぐこうだ。
気を引き締めよう。向かうところを見定めなければ。
今はただ、歌うこと周辺と書くこと周辺に
ぐぁ〜っと意識がいっていれば大丈夫。
ずっとそうならば大丈夫だとわかった。なら、そこを向くだけだ。
そしたら、その他も落ちついて広く見渡せるんだろう。
引っ掛かってるものも振り払えるのかもしれない。
また新しいところへ向かいたい。





2003年10月21日(火)



 私なりに頑張ります。。。

足の重さが日に日に増すような気がするが、気持ちはそうでもないので、
あ〜あ、と思う程度です。

毎日ふといろんなことを考えては忘れてしまう。
日記に書こうと昼間思っても、夜になるとさっぱりだったり、違うこと考えたりしてる。


昨日情熱大陸を久しぶりにみた。
上原ひろみとゆうジャズピアニストだった。
一番印象に残った言葉は、
「自分のやれることはわかってるし、自分のやってることに自信がある」だった。
死ぬまでにどこまで突き詰められるかと言っていた。
自分としっかり向き合っているひとだなと思った。
逃げ道や言い訳はいくらでも作れる。
逃げ道や言い訳だとわかってもそちらに流されてしまったりする。
それが人間、それも仕方ないよね、とゆう一般的優しさは
その人の中には存在しない。
スランプだなんだって落ち込んだり、そんなことは自分の責任なんだから、
どうこう言う前にやれって感じだそうだ。お〜強っ。
私ももっとまっすぐそんなふうになれたらなあと思った。


四日市の教会で歌う曲の練習を少しした。
声も良く出て調子がよかった。
そしたらたまらなく嬉しくなって一人ニヤニヤする。止まらない。
だからといって、ただ気持ちよく歌ってちゃダメだと気を引き締め、
ニヤニヤしながらも細かい所に集中して歌ったりする。
言葉が心から出てくる日は、口も滑らか余計な力が入らない。
私なりにがんばろう。






2003年10月20日(月)



 プラスマイナスの波及

一日ノーメークで過ごしました。
よくあることですが。
最近はいい天気が続いていてうれしい。
きのういただいた栗きんとんは、なぜだかコーヒーと合う。


マイナスな気持ちもプラスな気持ちも波及するなと思った。
マイナスの気持ちを持ってしまった時、
抱え込んだら込んだで、良くないのだろうし、
誰かにさらけ出せたで出せたで、その人はいいけど、
それを受けた人が影響されてしまったりすることもある。
どうしたらいいかとゆうことじゃなくて、なぜそうなるか考えた。
それはきっと、マイナスもプラスも元々持っているものに
反応するとゆうことなんだろう。
ないものが飛び込んでくるわけじゃなく、
その人の中で反応するものが元々あって、
その時表面化するんじゃないかな。
まあ、あとはその時の心境とか状態。
投げかけてくる人側への思いとか。





2003年10月19日(日)



 青空

ゴスペルのお友達の結婚式で歌ってきました。
ここ何年かは、今日みたいに結婚式で歌うことが多いな。
ゴスペルだったり、ソロだったり色々だけれど。
独特の緊張感や雰囲気を醸し出す「式」とゆうもの。
ライブなんかより100倍緊張したりする時もあるなあ。
今日は和気あいあいムードで、リラックスして歌えたけど。


さて私の青空は、確かにあります。
だから、分厚い雲がいっぱい広がっても青空のことを忘れない。
そこがポイント。
青空があると知っている自分。
そこが違う。それが大事。
雲は空に溶けて消えていく。
なんて、自分で歌詞書いてたりして。


あ、雲消しゲームやって遊んでたことがある。
これ、と思った雲を見つめて念じるような感じだったかな。
なくなったのをイメージするの。
ホントに消えるんだ、これが。
でもこれ、あんまりやっちゃいけないってなんかの本に書いてあったな〜。








2003年10月18日(土)



 悲しみの雲

昨日「恋文」見て、何かよくわからなくなってきたなあ。
まあ、間違ってるとも正しいともそんな問題じゃないってことかな。
みんな必死だとゆうことで、事実があって、
それがそれぞれにどうしようもない部分があるってことかな。


出かけた帰り道のこと。
交差点で止まった。信号まで10台以上車が連なってた。
それなのに、1台の原付が横に止まってエンジンを切った。
なんでこんな中途半端は所で止まるんだろう・・・と思いながら前を向いてた。
そしたら、横からピカッ!
なんだ?!
そっちを向いたらまたピカッ!
その女はカメラで何かを撮ってた。
何だか気持ち悪くて、何だかむかついて、助手席の窓を開けて怒鳴ったら、
「おたく撮ったんじゃないですよ」といい、
「○○(宗教団体の名前)の方ですか?」と聞かれ、
「違いますけど」と言って窓を閉めた。
何だったんだろう。
さらに何となく気分が沈み、家に着く。


まだ完全にあの場所に戻れないでいる。
悲しみと晴れやかさの紙一重よ。
そこに青空はいつもあるのに、雲はやってきてそれを覆いつくす。
悲しみは分厚い分厚い雲のようだ。
秋の雲の移り変わりのはやさ。


2003年10月16日(木)



 恋文

ぼ〜っと過ごしました。
家のことなどをやって。
洗濯3回もして、風呂そうじして、買い物行って、犬の散歩。
チャイを飲んで、何度も犬に抱きつく。

買い物から帰ったら、不意の胸痛。しばらく動けず。
小学生の頃からあるので、あまりビックリはしないが、
「痛っ・・・なんだよ、もう〜」と一人つぶやく。
治ったので買ったものを片付ける。
パソコンも何度も開いてなんだかんだとやる。
静かな一日。


夜は「恋文」を見よう。
先週見て、何とも言えず切なく、むずがゆいようなどうにも出来なさと、
楽天さを感じた。
どうにも出来なさの勝ちだったけど。
苦しくなったので見なければよかったとも思った。
でも見よう。
なんか人生から逃げられない感じ。(大げさか・・・)

先週、水野美紀がお昼のワイドショーに番組宣伝で出てて言ってたこと。
「みんな間違ってるんですけどっ、間違ってるんですけどっ、、、」
渡部あつろーも和久井エミも水野美紀も、
みんなのすることが間違ってるけど、と言っていた。
でもみんな間違ってないのが本当じゃないかと思った。
常識的に「え?」とゆう展開なのかもしれないけど、
むしろそのほうが人間的に間違ってない気がして。

とにかく今日も見よう。


2003年10月15日(水)



 雨の一日

朝起きたら、今日も雨。
まだ晴れない、私のこころ。

そんなカンジで「雨の一日」とゆう詩をUPしてみました。
今日の心境とその時とは違うけど、ある日も今日も「雨の一日」

ここのところ割と心晴れやかに過ごしてきたのだけど、
不意の雨にこころ沈んだ。
早くあそこへ帰りたい。さがして求めて、やっと出られたあの場所。
でも一度見つけたから、すぐに帰れると思う。

こんな気分の時って、すぐ人のせいにしたがるなあと思った。
自分以外のものを責めたがる。
他人やくだらないものや、行きつく所は人生のどうしようもなさとか。
とにかく被害者意識満タンになる。
あそこにいるとそうじゃないな。自分の責任だと心から思える。
とにかく早く帰ろう。




・・・とゆうわけで、もうほとんど帰宅した。あの場所に。

私は小さい頃からずっと正しく生きようとしてきた気がする。
口から出るのも正しいことや理想。それと本当の自分とのギャップ。
でもここ1、2年で自然体とゆうことを少しずつ実践してきた。
とゆうか取り戻したとゆうか。
まずは心を吐き出すリハビリの日々だった。
そしてこれからの課題を思いついた。
吐き出すことが出来るようになったから、今度はそれをあえて選別して止めよう。
これは前に戻ることとは違う。前はただ言えなかっただけ。
言いたくても言えなかったりして、後でしわ寄せ。
ちょっと前に日記に書いたけど、違和感を感じても言い出せず、
どんどん膨らんで、どか〜んってことを何回もやっちゃってた。
まあ、違和感を横目に逃げてたんだね。
だからこれからはそうじゃなく、
言いたいことを自分で認識して、その上で言うべきか言わないべきか、
きちんと決めていこうとゆう向きあい方。
とゆうのも、今日感情的な時間の中、
言いたくなったことをグッと我慢して、
結果的にはよかったと思ったことがあったから。
グッと我慢したことが、最終的に喜びにつながったから。
見極めるのは難しいのだけど。







2003年10月14日(火)



 雨の夕暮れ〜

きのうの疲れが残ってか、身体にくるもんで、
いまいち乗りきれない今日。

考えても仕方のないことを考えてしまう時って、
ひょこっとやってきたりする。
もう自分の中で折り合いつけたにもかかわらず。ひょっこりと。
それでもまあ、大きい山みたいなものを越えたら、
とりあえずは大丈夫なんだけど。
少しだけ、雨の夕暮れ気分。
明日になったら晴れるでしょう。

ではおやすみ。

2003年10月13日(月)



 想像と現実

今日は予想していなかった、ある出来事があって、少し精神的に疲れた。
自分って(人って)自分以外の人に対して無力だと思ったし、
どうにかしてあげなきゃ、と思っても大したことは出来ない。
だからって何しても意味ないから、やらないってわけじゃないけれど、
もし何かやったとして、それが良かったのか悪かったのかは
結果が出てからだけの判断になってしまうんだろう。
だから、そんな時ってたまらなくこわい。
もう結局のところ、相手を信じるしかなくなる。

今日の出来事とは少し違うのだけど、今日経験した自分の心情から、
もう過ぎた日の別のことを考えてた。
そして、初めて今日わかった。
あの時の私は感じることは出来なかった。
想像力を駆使しても、経験とは雲泥の差。
でもそれがわかってよかった。
やっぱり想像では現実には及びもつかないとゆうこと。

そんなでこんなで今日も人生勉強の日々。



2003年10月12日(日)



 渋滞

以前、詩の原稿をある出版社に送ったのだけど、
(原稿といっても、今までの詩の中から抜粋して、
 ただパソコンで打ち出しただけの、今思えば漫然としたもの)
その出版社から、出版相談会&セミナーのお知らせが来ていた。
とゆうわけで、今日それに行ってきた。

行く途中の道が渋滞。
あ〜あ、と思いながら考える。
ずーっと連なった車の先に、その原因を確認することは出来ない。
だいたいは工事とかだろうけど、ハッキリするまで安心出来ない。
わかったからといって、渋滞は解消しないのだけど。
これって心の状態と原因に似ている気がした。
いつ抜け出せるのかわからない不安感。
根本的な原因を明確にするとゆうことは、意味があるな、と。
それでどうするのか、抜け道はあるのか、
どうしようもないならどう過ごすか、受け止めるかなど見えてきたりするから。
ただイライラしたり、目を閉じてしまうと、
ずっとその気持ちから抜けだせずに過ごすことになりそう。
交差点とゆう見極めもやってくる。
何も考えず突っ込んじゃって、信号赤になって、道ふさいじゃったり。
あんな時は穴に入りたいって感じになる。
少し先への瞬間的な判断力と心の余裕を失わないようにしたい。


イトコが京都の鈴虫寺に行って、幸福御守を買ってきてくれた。
ひとつだけお願いごとをして、お寺へ返すらしい。
「ありがとう」といい、何にしようかと考えていたら、
「病気が治りますように、でしょ?そう思って買ってきたよ」と。
それを聞いてハッとして笑った。
私の頭の中と言えば、詩のことか音楽のことしかなく、
(今日は出版のことばかり考えてたから、それかな〜と)
病気のびの字も浮かんでなかったから。
そして嬉しくなった。
私の中ではもうそれはそれほど重要なことではないのだ。
あの時、あんなに私を苦しめたのに。
もう私は違う所に立っている。


ところで本を出すために、とりあえず宝くじを買おうと決めたのだった。



2003年10月11日(土)



 立った、絶った!

起きるのが遅くて、薬切れなのか、
昨夜フロントページ変えるのを長時間やっていたせいか、
膝がおも〜い、おも〜い。
薬飲んで、またベッドへ。
気分はいいので、強引にすぐ起きた。

そして、今日は多治見の「あるぱし〜の」とゆうレストランでのライブ。
約40分。出来るだけ、立って歌ってみることを決意。
なんとなく見た目的にも、ノリ的にも、歌う感じも、やっぱり立ちたいから。
スペースの関係などで、何人かはハンドマイクになり、
ちょうどいい、マイクの高さ調節することなく、いつでも座れる。
やってみましょう、とにかく。

とゆうことで、やってみました。
結果は最後まで立ってられました。
もしかして歌えば歌うほど、気にならなくなったかもしれない。
もしかして座れば座るほど、気になるのかもしれない。
痛いは痛いけど、大丈夫。所詮は気合いか・・・
少なくとも30分くらいのイベントなら、これからは立ってみよう。
後ろにイスは保険でおいとくけど。弱気の表れか!?
違う、違う。これは自分の身体への責任ってことで。

歌も、自然体に近く歌えた気がするなあ。
ハプニングやミスはあったんだけど、何だかよかったなとゆう感想。




2003年10月10日(金)



 女心と秋の空

タイトルに特に意味はないのだけど。
秋空を携帯でカシャと撮ってふと思い出した言葉。
これ、男の人が作った言葉だよね?
実際どうかわかんないけど、
男の人から見たら女の人ってそうゆうところあるのかなあ。

しかし、秋空ってホントに芸術的!(昨日散歩してて思った)
もわもわとした大小たくさんのうろこ雲。
夕日が下から照らして、下半分がオレンジに浮かびあがる。
その間を、まるで筆を撫でつけたようなすじ状の雲が繋いでる。
また反対の空には四方八方にやわらかに伸びてゆく細い雲たち。
規則性を感じない、自由なキャンバスみたいな空。
あっとゆう間に夕日は沈み、照らされていた雲たちは、
薄青いグレーに姿を変えて沈黙してしまう。

秋よ、そのままそこにいておくれ。
秋はその記憶だけ残して、何も言わずにすうっと過ぎてゆくのね。

これ、女心だったらやっぱり切ないな。男の人にとって。

なんて。




2003年10月09日(木)



 物想う秋かな

さっき思ったのは、
同じことを同じように言っていても、
気持ちは色々だなとゆうこと。
これは私自身のことでそう思ったのだけど。
前に同じことを言っていたけど、前と今では自分の中が違ったから。
自分の中だけでも違ったりするんだから、
言葉から人の気持ちを推測(とゆうか感じる?)って至難の技。

昨日の真剣に、とゆうことだけど、
真剣になるのはいいけど、深刻になってしまうと困る。
冷静さを欠くとそうなる場合が多い気がする。
限りなく主観的になる感じ。深刻は視野がグンと狭くなる。
気をつけなければ。

あ、ところで今日は、この前お友達の家で食べた一品を何となく再現してみた。
きのこと三つ葉の胡麻ダレあえとネギとニンニクとごま油のソース。
ごま油は、チンゲンサイじゃなくキュウリにかけてみた。
なかなかおいしい。
最近は料理意欲が失せていたので、少し取り戻せそう。
お菓子も久しぶりに作ろうかと思ったりもする。

そうそう、もひとつ、さっきテレビを見てて思ったこと。
長生きしたおばあさんの話で、
「大往生ですね〜」「それだけ生きたら良い人生だったでしょうね」
とゆうようなことを言っていたのだけど、
別に長く生きたから良い人生とゆうことではないとゆうことくらい、
みんなわかっているのに、
あいさつ的にそうゆうことを言ってしまうって世間にあふれてるな、と。






2003年10月08日(水)



 1つ1つ真剣に

昨日の出来事から、その他細々したことから、また考えた。
私が彼女(昔からの友達)に辛辣になっていたのは、
まぎれもなく彼女に対して真剣だったとゆうことから。
私は物の見方も人との接し方も、以前より真剣になった気がする。
正面から向き合ってこたえようとする。なるべく。
ゆえに、昔のように愛想良くニコニコ答えることも、
波風たたぬように本当の意見を隠したりも出来なくなってきた。

彼女は私のことをとても冷たい人のように感じていただろう。
それはわかっていたんだけど。
人のことには首を突っ込もうと思わない、その人がどうにかすべきことだ、
とゆうようなことをいつも言ってきたから。
そのたび彼女は「どうして!?」と私に抗議していた。
彼女は人のことでも本人以上に考えてしまう、ある意味優しい人だから。
それでも私が人に対して一番優しく誠実だと思うのが、
そうゆう向き合い方だから、時に表面的には冷たくなってもそうしたいと思う。
わかりやすい優しさや同感は安心感を与えるかもしれないけど、
解決に結びつかないことが多いし、
その相手の力みたいなものを信用してない気がして。
自分よりも弱いものと見ているような。
だから私がどうにかしてあげるとゆうような。
本当は関係のない人が(ほとんどのことは当人以外は関係ない)
首を突っ込めば突っ込むほど、問題は混乱する。

ただ、今回誤解が生じたとゆうことは肝に銘じ。
辛辣にし過ぎるのもなあ。
お互いに、わ〜〜〜っと言い合うような関係だったから、
ヒートアップしちゃって、単に辛辣な方向へと走ってしまったかも、と。
そこに必要なクールさみたいなものを見失う方向。
彼女とはすぐに誤解がとけて、仲直りした。
おお〜ごめんよ〜真剣になり過ぎただけなのだよ〜。

物事を適当に流したり、ほんの小さな違和感を放っておくと、
後でとんでもないことになる。
まさにしわ寄せ。寄りまくって、押し寄せる。
恋愛でもね。友達でも、何でも。
だからこそ、1つ1つ真剣に。
とてつもなく大変だけど、向き合っていくことが大切と思う。




2003年10月07日(火)



 人と人との関係2

伝えることはとても難しい。
言葉にしなければ伝わらないこともあるけど、
言葉にして変わってしまうこともある。
その人との関係によって、
口調や伝え方が無意識に違ってしまっていたりして、
真剣なつもりが、気づかないうちに傷つけてしまっていたり。
それは不注意とゆうもの。
近づけば近づくほど不注意になってしまう場合がある。
気持ちと言葉がダイレクトに繋がってしまったりして。
ある距離を保っている関係なら、もめることもないだろう。


そんなことを考えさせられる出来事が今日あって、反省した。
親しき仲にも礼儀あり、だ。


2003年10月06日(月)



 人と人との関係

昼は調子悪く、しばらく寝て過ごす。
薬が効いて、落ちついてきたので起きて着替えた。

晩ゴハンはお友達のおうちにおよばれに。
おいしいキムチ鍋。
その前につまんだ一品たちやサラダもおいしかった。
今度作ってみよう。
デザート&コーヒー付きで大満足だった。

人と人との関係って、とっても流動的。
二人だけの時、何人かの時、
(これもそのメンバー一人一人の組み合わせによって違う)
大勢の時などなど。
この人といる時は自分を作ってて、この人だとこう演出する、
みたいな、計算とは違う話なんだけど。
それはそれで自然とゆうか。悪気はないとゆうか。
私自身そうだなと思うし、みんなもそれぞれそうなんだろう。
相互的な作用がはたらく。
気を遣われると、こちらも遣う必要を感じて自然にそうなるし、
テキトーで〜と言われると、そうなる。
私が好きなのは、私は私だから、あなたもあなたでどうぞとゆう感じかな。
でもそれは、興味がなく、離れている雰囲気じゃなく、
中のほうにとても惹かれているような。
こう書いてて思ったが、やはり歌う時と一緒かも。

・・・とここまで書いて気づいた。
やっぱり内側の核みたいなところは、いつも揺るぎない同じ私でいなければ。
流れてしまったら、カッコつける歌と同じだ。
歌う時と同じと書いて、そう思った。







2003年10月05日(日)



 あの感じ

病院へ行って、友達の家へ行って、稲沢までゴスペルを見に行く。
ちょっとハードな一日。
ゴスペルライブの会場で偶然知り合いに会った。
去年クラブイベントでソウル歌った時、ドラム叩いてた人。
そういえば、その時に「たまにゴスペルでも叩くよ」
と言ってたのを思い出す。

今日一番好きだったのは、鍵盤を弾いてる女のコだった。
私が、こんな雰囲気で音楽出来たらいいなと思う感じ。
見た目にノリノリじゃなく、クールにノッてる感じかな。
何か違うな。
クールに見えるけど、見えない本当のところはぎゅーっとしてグッと深い。

私が歌ってる時、こうなったらいいなと思う雰囲気は、
入り込むでもなく、アピールするでもなく、
自分の世界は透明に確立されていて、でも周りが良く見える状態。
周りが見えて、出入りも自由で、いろんなことを認識出来るのに、
音楽の集中力は決して切れない。
今までにほんの数回だけあった。
あの、何とも言えない穏やかで声が昇っていく時。
あれをいつもさがす。求めてやまない。


2003年10月04日(土)



 温泉。

久しぶりに温泉なんぞに行ってきた。
遠出の予定だったが、考えてみたら往復で一日終わるので、
変更して稲武のどんぐりの湯へ。
道の駅で、まあ周りには田舎風景広がるとゆう感じ。
紅葉も好きなのだけど、
晴れた日の山の緑がグラデーションになって広がってるのも大好き。
今日も今日も気持ちいい日。
薬湯や桧風呂、露天も満喫して、お友達の塩マッサージ付。
おお、お得感満点。さんきゅう。しかし髪色目立つ。
湯からあがるとサッと身体の表面は冷える感じがするけど、
中からじんわりあったまってるようで、じわじわとくる。
晩ゴハンは名古屋方面に戻って、アジアな料理満喫。
ちょっと食べ過ぎ&お茶飲み過ぎだけど、満足。
こういった息抜きはたまに必要と思うけど、
何かの解決にはならないと改めて思う。


さて、もう一歩踏み込むとゆうこと。
まだ見ぬ、その暗闇におびえる。あらぬ想像をして。
不安感に苛まれ、面倒くさくて、まあいいやと。
もうその入り口を見つけてしまったのに。
その入り口の存在すら知らずにいたら、それはそれでいいのだろうけど。
見つけてしまったのなら、いつか踏み込むべきなのも、
本当は踏み込みたいのもわかってしまう。
だから、えいっと早く踏み込んだもの勝ち。
そこにあるものは多分、自分自身。自分自身との向き合い。
キツイなかに必ず喜びみたいなものを感じられる。
魂の鍛練とか人生修行とか結局はこれかも。自分にかえる作業。
その喜びを知ってしまったらやめられない。
もう投げだせない。向き合ったら、視線を外せない。
自分との睨み合い。その先をあきらめないこと。




2003年10月03日(金)



 イモヅル

栄を昼間ひとりで歩いた。
今日も気持ちいい日。
ドトールのミラノサンドCのアボガドとチキンと7種の野菜が終了してて
ちょっと悲し。

何を思ったか「陰陽師」見ちゃった。テレビで。
昨日日記に書いた夏川結衣と伊藤英明が二人とも出ててビックリ。
でも野村萬斎のがカッコ良かった。何とゆうか姿が。
夏川結衣の好きな感じも、姿。映画はちょっと違ったけど。
静かで消え入りそうなスッとした感じが好き。

今、私は髪の毛が派手なわけだけど、
いつも自分で見てるわけじゃないから、すぐ忘れる。
ふと鏡に映ったりした時や、人の視線などで思い出す。
持っているけど、忘れていることって多いのかも。
普段自分では見えないけど、何かの拍子にふとってゆう感じ。
自分で好きなところだとウキウキッてなって、
嫌いなとこだと、ウオッてなる。


HPで日記を書き始めたからか、
以前より考えを巡らす時間が増えたように思う。
ほんの小さな1つをたどっていくと
必ず何かに繋がっていることに気づいた。
それは1つだったり、たくさんのことだったり、
大きかったり、小さかったり、
別のこととも繋がっていたりするのだけど、
必ず何かにはたどり着く。
たとえそこに何もなくても、なかった、とゆうところにたどり着く。
面倒くさくても掘り下げていくとそうなる。
なんにしろ面倒くさがらず、もう一歩いくことだ。
自分に言ってます。
面倒くさがりだからなあ、私。





2003年10月01日(水)
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