天使のながばなし
maki



 気持ちいい秋の日

今日はおやすみ。何の予定もなし。
洗濯したり、ゆっくりゴハン食べたり、
パソコンしたり、詩を書いたり。
ゆっくりと時間が流れてゆく。
やわらかい白と黄色の光と、たまにちょうどいい温度の秋風。
身体が少し重たいのも、気にならない。

そういえば昨日テレビでいいとも!特別号みたいなの見てて思った。
夏川結衣って好き。ずいぶん昔から雰囲気が好きだった気がする。
なんだっけ?トヨエツとのドラマ。。。
「青い鳥」だったっけな?
2人で花火を見ながら、視線は花火に向けたまま、
静かに手をつなぐシーンが印象的だった。
それから、伊藤英明の顔って結構好き。


2003年09月30日(火)



 明日を迎えられる気持ち

こんな感じの心の晴れやかさはどれくらいぶりだろう。
これからへの希望の力がうっすら湧いてくる。
静かにだけれど、道のようなものが確認出来る。
対処しきれない思いや行き場のない衝動に
押しつぶされそうになっていたけれど、
もうそれらは私の目の前に在って、微笑んでいる。
確かに私をここへ、この先へと導いてくれるものだった。
霧が晴れるように、たくさんのものが一気にハッキリしつつある。
もしくは霧が晴れなくとも、前に進めるような心とこの足。
私はもう大丈夫。

あなたに感謝。



2003年09月29日(月)



 等身大で。

昨日のライブでもう疲れちゃって、
今日お仕事から帰ったら、身体にドスーンときてます。
ぜんぜん無理出来なくてとても悲しい。

全体の出来は別として、私個人の感想は、
今までのゴスJの4回のライブの中で一番楽しめなかった、だ。
これは別に悪いことでも何でもなく。
歌うことに集中していたとゆう感じ。
自分以上で歌わずに比較的等身大で歌うように。
昨日のライブから得たものがあるし、またこれから頑張ろうと思う。
私が楽しめなかったとゆうことと、お客さんの反応は一致しない。
また、もし楽しくてもお客さんはそうじゃないこともあって、それと同じ。
今まで私はわかりやすく楽しいことに甘え過ぎてきた気がする。
私は私に出来る精一杯のところで歌うだけ。
私の求める本当の楽しさとはそこにあると思う。

今日のお仕事はオーディション。
講師をしてるスタジオの発表会が12月にあるので、その予選会。
とても緊張しているのはみんな一緒なのだけど、
そのまあ、ある種の異常な状態が良く出るか悪く出るかは
どこで違うんだろうな。
それから人の評価について。
あるところ以上は(それでもこれはとても低いところ)
とてもあてにならない部分が大きいと思った。
こういった審査じゃなくても、
趣味、好き嫌い、上手い下手みたいなもの全部。
だから人の評価なんて気にすることなく、
自分の思ったように何でもやるべき。
そしてこれは案外努力がいることだったりもするけど。
私もそうしようと思う。





2003年09月28日(日)



 赤毛にした。

ちょこちょこ色々と今日も考えたのだけど、すべて忘れてしまった。

結局鏡をみて髪のことを思い出す。
今日、髪を赤くしてみた。スモーキーストロベリーレッドなる色。
そうすると言った手前やるしかないな、と思いながら美容院へ。
なんで決めてから実行するまでが長いと
どうでもよくなってしまったりするのかなあ。
決めたことを実行する時は勢いが必要だ。
しまったと思うことも多そうだけど。
まずはブリーチ。みるみる金髪になっていく。
液を流したら、こりゃなんだ。
ヤンキーか宝塚か、
はたまたセーラームーンばりのコスプレ似合いそうな感じ。
ちょっぴり不安&後悔。
なぜにこんなお金かけてこんな頭になってんだ。
そして、色を入れる。
液が染みる。。。あ〜なんでこんなことしてんだ。
私の頭皮よ、無事なのか〜?
さて、仕上がり。
なかなかキレイ。
真っ赤なビジュアル系と違って、チラッとおしゃれ。
でも目立つわな、これ。
「お仕事とか大丈夫なんですか?」と聞かれる。
あ、そうね。普通そうよね。
美容師さんはやたら嬉しそうに仕上がりを見てる。
「思い通りの色になったな〜と思って」だって。
なるほど。だから美容師やってんだね。
そういえば、「例えばいちごの色って結構はっきりした赤だけど、
自然の中にあると馴染んでるじゃないですか?」とゆうようなことを
言ってたけど、だから何だっけ?
あまりに人工的な色だとおかしいみたいなことだったかな。
忘れた。
美容師さんとの会話ってその場つなぎみたいな雰囲気がほとんどだから
あんまり覚えてないな。
自分から積極的に踏み込まないと、とってもおっくうになる。
踏み込む気持ちの時はそうでもないのだけど。

ちなみに明日のライブ用にこの髪にしてみたんだけど、
いつまでこの髪でいるか、思案中。
すぐ落ちちゃうらしいが。

2003年09月26日(金)



 

そういえば、おととい「愛・地球博」の
カウントダウンイベントに出演した。
場所は栄のオアシス21。
出来たころから、ここで歌ったら気持ちよさそうって言ってたけど
本当に歌うことになった。

むかしのあたしのジンクスは「何はなくとも本番はうまくいく」だった。
どんなに緊張してたり、調子が悪くても本番はなぜか、
わ〜っと気持ちよく歌えたりした。
今考えると本当にそうだったかは定かじゃないな。

おとといもそうだったけど、本番となると気合いが入ってしまう。
いつもの自分と違ってしまって、
それ以上の私になって歌おうとしてしまって。
そうすると絶対上手くいかないんだよね。
わかってるのにやっちゃうんだよね。
そこらへん捨てられると自然な私の歌が歌えるようになるんだろうな。
歌以外にも言えることだと思う。
歌なんてその人の全部を映しだすようなもんだから、
神経質なひとは神経質な歌だし、怠け者は怠け者の歌。
その人の本当の姿を映してしまう、鏡みたいなもの。
こわいからきっとカッコつけちゃうんだろう。
弱いところをさらけだせないから。出し切れないから。

以前、私の中では、
詩を書くこと・作詞をすること・歌うことが懸け離れていた。
最近やっと近づきつつある気がしてる。
詩にも、歌にも肩の力の抜けたナチュラルな私が映しだせるように。
一生かけて出来るかなあ。







2003年09月25日(木)



 状況と気持ち

ちょいと不調が続き、パソコンに向かえなかった。
心も身体もズーンと重たくなってしまって。
そんな時は余裕のない自分に嫌気がさしながらも止められないイライラ。
笑ってかわせることも、普段は楽しいことも、まあ何でも、
どっからかズドーンと落ちてきた壁に阻まれて入ってきやしない。
あとになって「ゴメンネ」を心の中でつぶやくのだけど。
何かひとつのズドーンが別のズドーンまで連れてきたりして。


とまあ、そんな感じだったけど何とか自力で脱出。
キッカケは例によってとてもくだらないこと。


人の状況と気持ちってものはぜんぜん比例しないなと思った。
だから状況によってその人が幸せなのか不幸せなのかは、
全く決められないことで。
逆の場合だってあり得る。
自分のことだけ考えても、別に状況がなにも変わらない時だって、
幸せに感じていたり不幸せに感じていたり。
とゆうことは気持ち次第ってことだな。
・・・まあ前から分かってたけど。
人のこともそう。
結局わかりやすくは状況だけしか聞くことが出来ないから
判断材料みたいなものがそれ中心になってしまう。
気持ちを中心に人の話を聞くのって案外難しいかもしれない。
気持ちを言葉で伝えるのも難しいし。
その人にしかわからないことが多すぎるから。

自分だけが、と思ったりしないことと、
人のことを分かった気にならないこと。
自分と人とは違うけど、実際はそんなに違わない。
矛盾しているようだけど、それを忘れないようにしたい。

ちょっと話がズレたけど。

2003年09月24日(水)



 不調なり。

今日から急激に寒くなって超不調。
相変わらず、心と身体の切り離し出来ず。
いろんことまで考えて深い深い海の底へ沈んでしまったりして。
そうしたいだけそうしたら、また少し落ちつくのはなぜだろう。
ずっとずっと泣き続けたりは出来ないもんだ。
落ちつくとまぶたが少し軽くなって視界が何度か広がる。
あの深い深い海の底はなんだろう。
そして浮上させるものはなんだろう。
ただ生きているとゆう事実なのかもしれない。

2003年09月21日(日)



 自分の色

もう寝ようと思ったのだけど、
ちょっと考えたことを書きたくなったので。

過去の恋愛について。
きのうは好きになるってことを書いたのだけど、
今振り返るとそれぞれにテーマがあったように思う。
それは別に自分で決めたわけじゃないけど、
今考えるとそうかな〜ってゆうもの。
例えば「感情の振幅を広げる」とか「ポジティブな物の考え方」とか
「叶わず叶わずただ切なさを感じる」とか、とか、色々。
今はそのどれでもないけど、その時その時で片寄って、
それを通ってここに来たとゆう感じがする。
いろんな色を1つずつ知ってパレットに足していって、
自分の色を出してゆくような人生の作業。
要所要所で突然現れる大事な人たち。
まあ、恋愛だけに限らずすべてにおいて。

さて、もう寝よう。
明日は案外朝早い。

2003年09月19日(金)



 芸術は爆発だ!

岡本太郎展を見に行った。
爆発とはそうゆうことだった。
太陽の塔はああゆうことで、
芸術とは結局こうゆうことで。
は〜っと納得して帰ってきた。

この前友達のキウミーが自分の状況について、
人に言われて一番むかついた言葉について話していた。
それはこんなような言葉。
「それであんた幸せなの?そんなにイイ人か?」

イイ人とかよく言うけど、
イイ人だから好きになったりしない。
誰かに恋心を抱く時ってだいたいみんなそうなんじゃないのかな?
だからそんな基準はくだらない。
人の恋愛ってなぜそうゆうふうに判断したりするのだろう?
日常にあふれた物事の判断も
イイかワルイで決めてしまうことってあるのかも。

私が誰かを好きになる時って、存在を好きになる気がする。
わかりやすく説明できない、何か。何かとゆうかすべて。
好きになるとゆうより、存在すべてと向き合いたくなるとゆう感じか。
私にとってそれが誰かを愛すること。
私の中ではとてもハッキリしたこと。
当然見た目やそれに附随するようなことは関係ないし、
何かイヤなところ、カッコ悪いところを見て幻滅したりすることもない。
好きな人と自分とその気持ちすべてを誇りに思う。
いつも後悔は微塵もない。
人に恋愛相談をして答えを求めたりしないし、
(ただ話すのは好きだけど)
自分にしかわからないから、自分に聞いて、自分の答えを待つ。
それはそれは大変なこともあるのだけど。
スッキリとジタバタをくり返すのも仕方ないけど。
それでも自分の中でハッキリと選択した存在と
向き合わずにはいられない。



2003年09月18日(木)



 性格と性質

自分についてふと考えていたハタチの頃。

私はずいぶんと物事を明るく考えたり
人にものをハッキリ言ったりするようになったなと思った。
昔はそんなこと出来なかったし、ずっとおとなしかったような気がすると。
そして中学の友達に会ったとき、その話をしてみた。
そしたら「昔からそうじゃん」と言われた。
これにはおどろいた。そうか昔からそうだったのか。
知らんぞ私は。
そんなカンタンに変わったりしないのか。
もしくは元々持っていて見える方向が違うのか。

性格とゆうと形作られていく気がするが、
性質とゆうと生まれつきな感じ。
本当のそれはどこから見たらわかるのかわからないけど。

そして最近私はこんなにネガティブだったかと思っている。
こんなに暗かったり落ち込んだりしたことがあったかと。

よくよく考えるとあった。
あった、あった。いっぱいあった。
外側へ取り繕えないほどの時もあった。
ありゃ、今よりヒドイな。
なんだやっぱり一緒じゃん。
これは確かに私の一部なとこか。

安心する私であった。

2003年09月16日(火)



 ノド。大事なノド。

かれこれ1ヶ月くらいノドの調子がおかしい。
掠れ掠れ、裏声がぜんぜん出なくなって。
極め付けは、おとといからのわかりやすいカゼの症状。
これで、スッキリ治ってくれるといいんだけど。
大事な商売道具なのに。
・・・ってそれほど商売には使われてないけど。

20歳前後の頃は、カゼひいたり、なんだかんだでノド痛くても
騒いだり歌ったり無理して、さらに悪化させてたな。
1年間のうち11ヶ月は調子悪いくらいな。
今考えるとなんと乱暴な扱いをしていたことか。
歌を歌っていくつもりでいたわりには、
その辺の大切さには微塵も気づいてなかったなあ。
若い勢いは止められなかった。楽しさに負けた。
今はすごく考える。
毎日、鼻呼吸で寝るように口にテープを貼る。
これはなかなかいい。
例えばどっちかの鼻がつまってたりしても、朝起きると通ってる。
つまってるからって口呼吸してると余計鼻が通らなくなりそう。

ノド調子悪いとストレスたまるんだよおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜

もう寝ます。
しかし寝れん。




2003年09月15日(月)



 海のような心

いとこと晩ゴハンにとってもおいしい洋食を食べて、
帰りに車の助手席でふと考えた。

「海のような心」について。

そうゆうと、何だか穏やかで広々していて懐深い感じがしていた。
でもちょっと違ったな。

確かに穏やかで広々した時あり、
荒々しくすべてを巻き込むような時あり、
満ちてゆく時、サーッと引いてゆく時あり。
風に吹かれ波立ち、空の色を映す。
しょっぱくて、触れると気持ちいい。
とても流動的で人間的だなあ。
ただその流れを受け止めて、そこにある。
ジタバタしてるようでいさぎよい気もする。

山のようにどっしり生きようとしていたかもしれないけど、
海のように生きるのもいいかも。




2003年09月12日(金)



 ぜんぶ

最終回のコト−見て例のごとく泣いた。
またしても口呼吸時間。
でも泣くのって好き。
なんか気持ちいい。


おととい紹介した詩、本を読みすすめてたら一部だったのが判明。
全文はこんなだった。



 あの頃の気持ちが思い出せない
 あの頃の気持ちの私なら なんでものりこえられるのに
 時間が 二人の間からうばっていったものは何だろう

 時間が二人の間からうばっていったものにたちうちできるのは
 時間が二人の間にのこしていったものだけだ

 私たちはお互いの大事なものになれるだろうか
 本当はいつでも条件は同じのはず

 楽しかったのは いつ
 楽しいのはいつ



詩の一部だけをくり抜いて、また詩になってるのがすごい。
金太郎飴みたい。
切る所によって、微妙に顔が違うところが。





2003年09月11日(木)



 そして僕は途方にくれる

bbsで盛り上がってた銀色夏生の「そして僕は途方にくれる」
この詞が載ってた本を久しぶりに手に取った。
表紙(とゆうか帯)の詩が目に止まったので、1つ紹介。



 時間が二人の間からうばっていったものにたちうちできるのは

 時間が二人の間にのこしていったものだけだ

 私たちはお互いの大事なものになれるだろうか



誰かとの関係や何かとのつながりは、常に変化して、
なくしてゆくものと残ってゆくものがある。
何も残らない関係もあるけど。
何も残らないとゆうより、
残ったものはあっても、それに意味を感じないとゆうか。
だから、何を残してゆくかによって、
その関係の重要性を認識できるのかも。
お互いの大事なものになるとゆうことは、
残したものの重要性を深く感じられるとゆうことなんだろう。
いつまでも新鮮さに目を奪われていては、そこへは行けない。
それは必ず時間にうばわれてゆくものだから。


2003年09月09日(火)



 ひとりでお茶を〜Tea For One

最近、なぜだかやめられないことがある。
それは、ひとりカフェ。
ボイトレの仕事前に、これをしないと気がすまない。
もちろん今日も。
だからといって、どうしてもコーヒーが飲みたいとかってわけでもない。
近頃はスタバでチョコレートチャンクスコーンを食べるのが常だが、
どうしても食べたいかって言われると、それも微妙な時も。
普段、1人の時間がなくて、束の間のひとときを楽しんでるわけでもない。
それについては、1人でいすぎるくらい有り余ってる。
それなのに、なぜだかやめられない。
30分でもいいから。15分でもいいからさ〜。
なぜに。なぜに。

何となくやめられないこと、クセになること。
恋愛も似てるかも。
私とチョコレートチャンクスコーン(以下チョコちゃん)との出逢い。
ある日、大して興味もなかったチョコちゃんを指さす私。
食して感動。そしてまた会いたくて通うのさ。
チョコちゃん目当てなのに、そこにいない時の悲しさ。
(おっと何だかキャバクラに指名しにいくオヤジに近いか・・・)
でも最近シナモンちゃんも試してみようかな、なんて。
チョコちゃん、嫌いになったわけじゃないのよ。
今ではチョコちゃんを指ささず横目で過ぎ去る日もあり。
それなのに、それなのに、なぜだか通ってしまうのさ。
いつの日かフェイドアウトしてゆくのか・・・



2003年09月08日(月)



 心と体のテンション

今日は誕生日だった。
そろそろ忘れそうな勢い。
でも「おめでとう」と言ってくれる人がいるから
まだまだ私も幸せ者だ。
・・・と、あっとゆう間にヘビーな練習漬けの一日は終わった。

最近思うことは「心と体のテンション」について。
これは少なからず比例していた。今頃気づいた。
薄々は気づいてたんだけど、最近よ〜くわかった。

今まで、ふざけて踊ったり、変な格好したり、
飛び跳ねて騒いだり、そんなことをよくしてたけど、
その時ってすごく気分が盛り上がってて、
フラフラになるまでやっても爽快な感じだった。
また、そうすることで盛り上がるキッカケになったり。

今はそれは出来ないし、すぐ疲れるし、痛い。
そうすると、心までテンション下がる。
あ〜、こんなにわかりやすくつながってたか、と。
だからと言ってずっと下がってるわけにはいかない。
よいしょと、動き出そうとするが、
心と体の切り離し、何しろ不慣れなんだろう、
これがなかなか上手くいかない毎日。
リハビリ必須といった感じ。

ちょっとずつ、ちょっとずつ慣れていけば、
いつかは仏像のようにジッと動かずとも、
意識は果てしなく満ち、拡大していけるのかしら。
不動の肉体と解き放たれる魂、みたいな。

日々、コレ実験。





2003年09月07日(日)



 うちの虫たち

先日、居間でテレビを見ていると、
上の方で「ジ〜ッ・・・」とゆう音がした。
電気かと思い、見ても何もない。
額のウラから聞こえてくる気もして、見たが何もなし。
耳を澄まして方向を見定めて、そちらを向くと、
スズムシが・・・。ジ〜ッ・・・。ま、いいか。

またある日、そのスズムシは私の部屋に。ジ〜ッ・・・。ま、いいか。

そして今日は部屋にカマキリが。ま、いいか。

なんだ、ここは。屋外なのか。
うちってなんかスゴイな。


さっきお風呂に入ろうとしてパンツを脱いだところに、
蚊が向かってきた。
とっさにパンツを持った手で叩いてしまった。
蚊はパンツの上でちょろっと
誰かしらの血を放出して、成仏してました。
なんで私はパンツを持ったまま叩いちゃうんだろうか・・・。


2003年09月05日(金)



 泣くと・・・

さっき「Dr.コト−診療所」をみて泣いた。
私はテレビや映画や何かですぐ泣く。
泣いてて気づいたことは、
鼻が詰まって、口呼吸になること。
口呼吸は万病のもとらしい。
泣き過ぎると軽く呼吸困難だ。
これからは、あまり無駄に泣かないようにしよう。

しかし、どうしようもないことってある。
逆にどうにでもなることなのかもしれないけど。
出来事はものすごく多面的で、どちら側からも真実だと思う。
だからよく考えると、簡単に人を責めたり出来ない。
出来ないけど、とても悲しくつらいことは、どうしても存在する。
それでも生きていかなきゃいけないのよ。
(今日の大塚寧々のセリフより)
・・・か。


2003年09月04日(木)



 ダメな日

ダメな日。
ダメな日は、何をしてもダメ。
それは突然やってくる。
何の前ぶれもなく、キッカケもないことがほとんど。
理由がわかっていれば、むしろ晴れやか。
そんな日はいつも、それを待っていたかのように、
イラつくし、ムカつくし、落ち込むし、泣く。
何もやる気にならないし、自分を責めたりする。
しばらく身をまかせて、ゆらゆらぐったりしていると、
去っていったりもするのだけど。

それとは逆にやる気や幸せな晴れやかさも突然やってきたりする。
そんな日は、満ちあふれていて、活動的で、カンも冴え渡る。
そしてまた去ってゆく。
多かれ少なかれ、こんな繰り返しの毎日。


そしてそんなことを考え、どよ〜んと本を読んでいたら、
ある文章をキッカケに、急にスッキリした私。
きたきた。去り際。
なんて単純なんだ。

2003年09月02日(火)



 大切なこと

例えば何かとても大切なことがあって、
それは私の人生を左右するとてもとても大きなこと。
でも人から見れば大したことじゃなかったりする。
自分自身でも、昔、今とは違う大切なことや人があった気がする。
これは特別、とその時は思うけれど、
過ぎてしまうと、今はそうでもなかったり。
あの時はこだわっていたんだな、と思う。

だけど本当に特別なことは、それとは別にあるような気がする。
これもまた人から見てもわからないこと。
多分絶対にわからなくて(何となく感じられることは出来ても)
自分自身でしか決してわからないこと。

ただし、それは姿を変えてゆく。
といっても違うものになるわけじゃなくて、
はじめ見つけた時は、本当のところが見えていないけど、
大切なこととゆうことはハッキリわかって、
時が経つにつれて、輪郭が見えてくる。
はじめと姿は違うけれど、
大切だとゆう確信は日に日に増してゆくようなもの。
険しかったり、美しかったりする、
正しい道のようなものと思う。


2003年09月01日(月)
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