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| 2025年12月05日(金) ■ |
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| 馬に掛けるのではなく、人に掛ける |
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書籍「ザ・ロイヤルファミリー」 (早見和真著・新潮社刊・619頁)より。 主人公が秘書を務める社長が常々、公言している考え方である。 「馬に掛けるのではなく、人に掛ける」 競走馬を買う時、どんなところを見て買うのか。 「だからいつも言ってるだろう。 馬を見る力のない俺は、人間に賭けるしかないんだよ」と。 血統を大切にする競走馬、もちろん、それも大切だけれど、 どんな人とたちがこの馬に関わっているのか、 を判断基準にして馬を買っているのが、 もう一人の主人公とも言える、山王耕造社長である。 この考え方は、とても参考になる。 どんなものでも、どんな人が関わっているのか、を 判断基準にするのは悪くない。 この視点で、もう一度いろいろなことを見直してみようかな。 新しい発見があるに違いない。
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| 2025年12月03日(水) ■ |
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| 子供は、大人が思っている以上に大人で |
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書籍「しずく」(西加奈子著・光文社刊・210頁)から。 文中に、こんな文章があって、私のアンテナに引っかかった。 「『子供にはわからない』なんてこと、大人しか思っていない。 子供は、大人が思っている以上に大人で、 そして、大人が思っている以上に幼く、弱いのだ」 子供を幾つまで、子供扱いして接するか・・が問われている。 「子供にはわからない」なんてこと、大人しか思っていない。 子供は、大人が思っている以上に大人で・・」 確かにそうだ、と思う。 実は、大人にならなければわからないことなんてことは少ない。 我が家は、幾つまで「子供を子供扱い」しただろうか? はっきりとは思い出せない。(汗) 「そして、大人が思っている以上に幼く、弱いのだ」 逆に、子供を子供扱いするのではなく、大人と変わらず接すると、 それはまた、ケースバイケースであり、 子供は「幼く、弱いもの」だと言う視点が必要だと思う。 子供の接し方って難しいと思うのは、私だけだろうか。
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| 2025年12月01日(月) ■ |
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| 「である調」ではなく「ですます調」 |
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書籍「ザ・ロイヤルファミリー」 (早見和真著・新潮社刊・619頁)より。 日曜日夜のドラマ化された原作でありますが、 619頁の長編作品をたった2日で読み終えました。 その理由が、私を主人公にした作品で、文章が、 「である調」ではなく「ですます調」であったからです。 小説のほとんどが「である調」であるのに対して、 この作品は「ですます調」でした。 だからスッと入ってきたのかもしれません。 文章が丁寧になると思うのは私だけでしょうか。 「記憶に残っている」が「記憶に残っています」 「学生時代のままだった」が「学生時代のままでした」 「食べている」が「食べています」・・・ 全編、こんな調子でした。 この「気になる一言」も「である調」で書いてきた 私にとっては、とても新鮮な文体であったことを 記録に残しておきたいと思いました。 この作品、一度、読んでみたいと思いませんか? 是非、ご一読をお勧めします。
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