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しもさんの「気になる一言」
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2015年06月30日(火)
恐怖とは、心が生む異常な状態だ

映画「アフター・アース」(M・ナイト・シャマラン監督)から。
「ウィル・スミス親子が共演のSFサバイバルサスペンス」
そんな情報に、期待し過ぎたのか、やや消化不良であった。
そんな中、特筆するとすれば「恐怖」に関する定義だろうか。
多くの人間にとって「恐怖」を感じた瞬間、どうなるか。
それは物語前半に、こう説明するシーンがある。
「多くは体が固まる。存在しない答えを脳が出すからだ。
脳が『ヤバい』と判断する」と。
さらに、物語が進み、父親が息子に伝えるシーン。
「恐怖は、現実には存在しない。
恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。
恐怖は、想像の産物だ。
想像が恐怖を感じさせるだけで、何も起きないかもしれない。
恐怖とは、心が生む異常な状態だ。
誤解するな『危険』は、現実に存在する。だが、恐怖は自分次第だ」
この「恐怖」を消すことができれば、敵から存在感をなくし、
攻撃されずにすむ、それが唯一の倒せる手段、という設定は、
SFの世界でなくても、この私たちが生きている世界でも、
通用することではなかったのか、と再認識した。
原案を考えたウィル・スミスは、これを伝えたかったんだなぁ。



2015年06月29日(月)
一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした

昨日「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)を話題にしたら、
さっそく「一言で言うと、どんな料理でした?」というメールが届いた。
美食家でもない私が、料理の味を表現するのは難しく、
直感的に思い浮かんだのは「一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした」。
そしたら「え〜、あんまり美味しくなかったのですか?」との返信。(汗)
あっ、そうか、ちゃんと説明しないとそう勘違いされちゃうよなぁ・・と、
自分のボキャブラリー(語彙)の少なさが、情けなくなった。
実は、料理に合わせた飲み物も含め、一皿ずつが、とても新鮮な味がして、
このまま、一つ前に口に含んだ料理の味を、次の料理へ繋げたくなかった、
だから「一皿ずつ、口を漱(すす)ぎたくなる料理でした」という、
言葉足らずの表現になってしまった。
チェイサー(和らぎ水)を、こんなに頻繁に飲んだ料理は初めてかも・・。
自分の前に運ばれてから、目で楽しみ、匂いで楽しみ、口に含むまでに、
どんな味だろう・・と想像力を膨らませ、イメージどおりだと嬉しく、
予想外の味だと驚く瞬間を楽しんだ、というのが今回の私の感想である。
(ほとんど私の想像を超えて「美味し〜い」しか浮かばなかったが・・)
しかし、食後にコース全体を振り返ると「『夏至』って感じがした」。
梅雨の合間の快晴の中、いつもの見慣れた富士山とは違う山形と、
目の前の畑から摘んだばかりの季節感たっぷりの食材、
そして、数匹の山羊を眺めながらの長閑な食事タイムは、まさしく
このレストランののコンセプトである「見る・味る・観る」、
「里山の豊かな景色を見る。生まれたての野菜やその土地の食材を味る。
人や会話が生み出すドラマを観る」に相応しい空間だった。
美味しいものを「美味しい」以外に表現できるようにしなくちゃなぁ。



2015年06月28日(日)
今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう

1ヶ月ほど遅れてしまったが、今年の結婚記念の宴は、富士宮市の
「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)に決めていた。
数年前、オーナーの「松木一浩さん」の講演を聴き、
彼の生き方に魅力を感じていたので、いつかは、
活動の原点であるレストランへ、家族を連れて訪れてみたい、
その想いがやっと実現した、というところだろうか。
レストランのコンセプト「見る・味る・観る」を楽しみ、
「大地からのたくさんの贈り物を届けたい・・」という
レストラン側の熱い想いを、受け手の私たちがしっかりと受け取り、
「今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう」ことが、
作る側と食べる側双方の、大切なコミュニケーションとなっている。
彼らは自分たちが提供する料理に誇りを感じながらも、謙虚に、
運ばれてくる食材を丁寧に説明してくれ、私たちはそれを味わった。
料理の味わい方は、当然、舌(味覚)だけではない。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚も加えた、人間の五感で感じることが、
料理を楽しむコツ・・と、何かの本で読んだが、まさしく
ここの料理は、五感で味わうことが出来るよ、とお薦めしたい。
そして、さらに美味しくいただく最後の隠し味は、
サービスをしてくれた、松木さんを始めスタッフさんとの会話や
テーブルを囲む家族の何気ない笑顔なんだろうな、きっと。
「訪れるたびに違う表情に出会えるレストラン」
今度は、どんな季節、どんな時間を味わってみようかな。



2015年06月27日(土)
あれから1000日も経ったのか・・

久しぶりに、私の呟きである。
この「気になる一言」は「WEB日記・エンピツ」で書きはじめ、
すでに15年を超えて、私のライフスタイルの基礎となっている。
さらに読者からの要望に応えて「メルマガ」という形で配信を始めたのが
5000日前の「2001年11月06日」。
それから毎日コツコツと、メルマガの配信を続け、今日5000号を迎えた。
1日1話だから、毎日1号しか増えないけれど、逆に考えれば、
確実に、毎日1号増えるから、楽しいとも言える。(笑)
こうして、5000号を迎えることが出来たのも、何度も書いているが、
読者あってのことと、あらためて、感謝したい。
今では、これまた「Facebook」の友達からのリクエストで、
同文をコピペしているので、メルマガで読んでくれている人は数少ないが、
それでも140人ほどの方が「読者登録」を残し、私の拙い日記を、
毎日、読んでくれている。(はず)
「メルマガ」というツールは、1世代前の情報発信ツールと感じていたし、
4000号達成(2012年09月30日(日))の時に「メルマガ」というシステムが
残っていれば・・を前提に「5,000号は「2015年6月27日」(予定)」と、
書いている自分がいた。
だから、あえて「あれから1000日も経ったのか・・」を残そうと思う。
以前の私なら「5000号」をケジメにして、メルマガ停止をするところだが、
今の私は、まぁ、のんびり続けてみようかな、という感覚である。
メルマガ読者の皆さん、もうしばらく、おつきあいのほどを・・。

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20120930



2015年06月26日(金)
才能は一つあれば十分だ

映画「タイピスト!」(レジス・ロワンサル監督)から。
故郷の田舎町を飛び出した主人公、ローズは、
お店で販売していたタイプライターを、指1本で打ち、
驚くような速さで打つことが、特技だった。
その才能を見つけさらに磨きをかけたのが、
「ローズは、臆病な小娘。誰かが手をかければ、
才能が開花する」と言い切った、保険会社の若社長だった。
「私は無能だし・・」と尻込みする彼女に対して、
「タイプの才能がある。才能は一つあれば十分だ」と励ます。
その一言は、私の心に強く残った。
他人よりも少し知ってるくらいの中途半端な知識や、
少し上手くらいの才能がいくつもあるより、
これならだれにも負けない、というものが1つある方が、
魅力的だ・・と言いたげなフレーズだったから。
もちろん、世の中には皆が羨む飛び抜けた才能を、
いくつも持っている人もいるが、よく考えてみれば、
それさえも、初めは何か一つの才能が開花して、
それに呼応するように、どんどん他の才能が増えていった、
そう考える方が妥当だろう。
私たち小市民にとっては、まずは「一つの才能」を、
根気よく見つけることだな、きっと。



2015年06月25日(木)
充電機器の完備は、宿の選択条件のひとつ

先日の、石川県能登一泊ゴルフ2プレイパックを振り返って、
感じた宿泊施設のサービス。(参考になるか判りませんが・・)
参加者のほとんどがスマホを持参し、寝る前に充電をするが、
部屋のコンセントの数は、そんなに多くない。
すると、コンセントの確保が難しくなり、誰かに迷惑をかける。
特に愛用の「Apple Watch」の場合、毎日の充電が必要となるので、
どうしてもコンセントの数が気になるのだが・・。
解決策は2つ、宿泊施設側で用意するか、利用者が持参するか。
現状では、複数のコンセントがとれるタップがあれば、
なんとか対応できるのだが、利用者(観光客)からすれば、
いろいろな電源コードを持参しての旅行は、
荷物がかさばるから、出来る限り避けたい。
施設側もすべてに対応できないかもしれないが、
フロントにいくつかの充電器を用意してくれてあれば、
宿を選ぶ基準になるかも、と単純に思った。
これからも、ますます充電を必要となる電子機器が増えるだろう。
将来を予感して「充電機器の完備は、宿の選択条件のひとつ」を
フレーズとして残しておこうと思う。
それが、外国人を迎える「おもてなし」になるかもしれないなぁ。



2015年06月24日(水)
限りある命であればこそ、死によって輝き放つ

映画「憑神」(降旗康男監督)から。
主人公の下級武士・妻夫木聡さん扮する、別所彦四郎に、
貧乏神、疫病神、死神の3人の神が憑く。
それぞれの神が、面白いフレーズを残している。
貧乏神は「神は死にません、いや、神は死ねません」
疫病神は「そんな気まぐれ、神に許されるわけありません」
そして死神は「死ぬお膳立てを作るのが、あたいらの仕事で、
自分で手をくだしちゃいけないの」・・
そういえば、映画「死神の精度」((筧昌也監督)で、
「死神は『死に値する生き方をしたか』を判断するだけ」という
フレーズを取り上げたことを思い出した。
今回の「気になる一言」は、
可愛い子役の死神と、主人公・別所彦四郎との会話の一部から。
「死神のお前に出会って、初めてわしは自分が何をすべきか、
生きる意味を捜し求めるようになった。
神にできぬこと、人は出来るということ・・
それは『志のために死ぬこと』だ。死ぬことがあればこそ、
命を懸けて何事かを成し遂げようという意思を持つことが出来る。
限りある命がはかないのではない。
限りある命であればこそ、死によって輝き放つこともできるんだ」
そんな悟ったような台詞の後、子役の死神が呟く。
「ふ〜ん、そうなったら凄いね」
私も同じことを思った。「そうなったら凄いよなぁ」



2015年06月23日(火)
本人は「失態」と言っていたが、私たちには「ご愛嬌」

また訃報が届いた。今度は、職場の後輩。(涙)
こうたて続けに訃報が届くと、実は心が折れそうになる。
一緒に笑ったこと、一緒に飲んだこと、一緒に愚痴ったこと。
全てが、走馬灯のように甦り、それも鮮明に浮かび上がるのは、
どうしてなのか、私にも判らない。
ただ今までは、職員の「父親・母親」の訃報に触れていたのが、
いつしか、本人の訃報に変わってきたことに、
淋しさと切なさが入り乱れて、心が落ち着かないのは確かである。
こんな時、私は亡くなった彼らを思い出す場所に足を運ぶ。
それは職場の一角であったり、町内の公共施設であったりするが、
そこでしばらく、独り言のように、じっくり会話することにしている。
今回も、ふたりだけの想い出の場所があり、先日、昼休みに訪れた。
あの時は楽しかったなぁ、ということもあったし、
あの時は本当に頭にきたよな、ということもあった。
苦しかったことも、悩んだことも、彼は持ち前の明るさで、
「ひょうひょう」という表現が相応しいかどうか判らないが、
黙って、コツコツと仕事をこなしてくれた印象が強い。
今や職場の伝説となっている、ある結婚式での出来事も、
本人は「失態」と言っていたが、私たちには「ご愛嬌」。
町のイベントにも、子どもと一緒になって毎回顔を見せてくれたし、
子育ての分野では、彼の右に出る人はいないな、と思えるほど、
知識も豊富だったし、現場も知っていたので、残念でしょうがない。
そう言えば、あるパソコンのバスワード、彼の誕生日にしてある。(汗)
それだけ、みんなに慕われた証拠かもなぁ。
まだそのままだったら、ちょっと辛いな、近々確認してみようっと。
彼もまた、ご冥福をお祈りします。合掌。



2015年06月22日(月)
しも。ちょっと、ここに座れ

先日、職場でお世話になった先輩が他界したという訃報が届いた。
個性の強い方であったが、私に対しては、厳しい口調の中にも、
時には優しく、時には本気で叱ってくれた1人であった。
飲み会では「しも。ちょっと、ここに座れ」・・が口癖のように、
手招きされたかと思えば「お前がやらないで誰がやるんだよ」と
「叱咤・叱咤・叱咤・激励」の連続だったことが思い出される。(汗)
遠視独特の凹レンズから覗く大きな目も、酔っぱらうと座ってきて、
なおかつ、歳を重ねても私の腕をぐっと思いきり掴んだら離さない、
まさしく、強い握力が印象に残っている人だった。
晩年、私が課長で先輩が参事という、逆の立場でありながら、
課の運営や、町の目指す方向性について、よく相談にのってくれた。
実は体調が思わしくないんだ、と弱気の部分を見せたかと思えば、
飲み会では、一番最初に到着し、ひとりでチビリチビリ飲んでたりする、
本当に、無茶苦茶なことをしても、後輩から慕われる不思議な存在。
それでも、だんだん痩せていく先輩の姿に驚き、見るに見かねて
「仕事は何とかするから病院へ行ってください、これ課長命令です」
とお願いしたら「ば〜か、大丈夫だよ、お前は町のことを心配しろ」と、
怒鳴られたことが忘れられない。(涙)
ああ、また1人私を叱ってくれる先輩がいなくなってしまったな。
明日、告別式に参列し祭壇に向かって、こういってやろうと思う。
「先輩、ちょっと、ここに座ってください」って。
ご冥福をお祈りします。合掌。



2015年06月21日(日)
50歳を過ぎたら、自分の体調は自分で把握しましょう

静岡がんセンター公開講座2015「知って役立つ、がん医療」
第1回「がんと向き合う心構え」(山口建・総長)
「がん検診-必ず受けましょう-」(宮木裕司・検診センター医長)
「これまでの国のがん対策」(秋月玲子・医監)から。
三島市文化会館大ホールが、ほぼ埋まってしまうほど、
聴講者が多く、市民の「がん」に対する関心の高さに驚きながら、
三者三様の視点で説明される「がん医療」をメモした。
特に「こんな症状はありませんか」とスライドで示された図は、
部位別に明記され、改めてじっくり眺めてみると、
「おやっ?」とか「へえ〜」などの独り言を呟いている私がいた。
総長が、この図を冷蔵庫などに貼っておいて、時々眺めるといい、
なんて提案したとき、私たち小市民の目線で考えていてくれる、と
無性に嬉しくなった。
そんな総長が、その図の説明の後、こう話した。
「50歳を過ぎたら、自分の体調は自分で把握しましょう」
私は、このメッセージが今回の講座で強く印象に残った。
年に一度の健康診断や人間ドックの結果だけで、
高血圧だ、コレステロールが高いんだ、と右往左往するのではなく、
常に自分の体調に関心を持ち、体が発する「S.O.S」を聞き逃さず、
早期発見できれば、がんは怖い病気ではありませんよ、
そんな意味のメッセージと解釈して、帰路についた。
今は、血圧なども簡単に測定が出来る機器が増えているのだから、
もう少し、自分の体の特徴を知るところから始めてみようと思う。
そして、医者に指摘される前に、自分で異変に気付けたらいいな。



2015年06月20日(土)
初めての「通信機器・機内モード」

私の場合、飛行機で移動することがほとんどないので、
先日の「羽田空港」と「能登里山空港」の空路で、
生まれてはじめて「機内モード」を活用した。
「iPhone」と「apple Watch」両方を通信モードにしたら、
当然のように、二つの機器は「接続」ができなくなった。
電波が弱くなるということか・・と思いながらも、
逆に考えると、普段は飛行機の電子機器に影響が出るほどの
「電磁波」が出ていることだろうか。(汗)
今の時代、どんどん電子化が進み、私の体の周りは、
(たぶん)ありとあらゆる電波が取り巻いているに違いない。
一つひとつは、微弱なんだろうけれど、まとまれば・・・、
そう考えたら、ちょっぴり怖くなった。
ただし、今更、電子機器を使わない生活には戻れない。
片や健康を意識して、運動、食事などに気を付けていても、
いろいろな薬を飲んだり、電子機器を常に身につけている私。
言ってることとやってることとが、中途半端だなぁ。(汗)
ガラケーには「機内モード」なんてなかったから、
スマホのほうが、電波を出しているってことなんだろうなぁ。
これも「機内モード」体験が、私に教えてくれたこと。



2015年06月19日(金)
地元の人にこそ・・

仕事として「柿田川」に関わって、約一年。
以前から、柿田川公園内を通勤経路に選び、何年も何年も、
その魅力に触れていたつもりだが、まだまだ足りなかった。
柿田川の自然は奥が深く、その魅力も無限に広がり、
私に残された人生を捧げるに相応しい、と思えるほど、
その豊かな自然を堪能させていただいている。
そんな折、地元新聞に「見慣れた風景の新たな一面」と題し、
自然体感イベントから感じた、若い記者の記事が目に留まった。
そのイベントを企画した担当者のコメントをまとめ、
「地元の人にこそ、戸田の豊かな自然を堪能してほしい」という
フレーズを掲載してあった。
観光客をターゲットにイベントを開催するのもいいが、
まずは、地元に住む人たちにこそ味わって欲しい、と。
この「地元の人にこそ・・」というフレーズは、これからも、
私が何度となく使う予感がしたので、メモをした。
まずは、自分が「柿田川」に関して「詳しく」なり、
その魅力に触れ「好き」なり、最後は「楽しむ」ことができれば、
自分の言葉として、その魅力を存分に語ることができる。
逆に、その経験がなければ、いくら知識があっても、
その魅力は相手に伝わらない、と感じている。
まずは「地元の人こそ・・」、そうなんだよなぁ。



2015年06月18日(木)
「いつまで待たせるのよ」と「まだでしょうか」

話し方講演「コミュニケーションを通じて人生を豊かにする」
(〜今、この時代だからこそ考えたい
コミュニケーションのあり方〜について)
講師「遠山法子」氏(話し方教育センター常務取締役)から。
57年間という年齢を重ねていることもあって、
コミュニケーションの大切さは、身に染みて感じているし、
何度となく、同じような講演を耳にしていたので、
余裕をもって聴くことができた気がする。
同じ「コミュニケーション」をテーマに講演しても、
こんな視点もあるんだな、と感じながらメモをした。
その中でも、言葉の使い方次第で、こんなにイメージが違う、と
例を出していただいたフレーズが、
大きな声で怒鳴りながら「ちょっと、いつまで待たせるのよ」と、
静かな声で謙虚に「すみません、まだでしょうか」だった。
どちらも要求していることは同じことなのに、
言い方だけで、こんなにも違うと教えられた。
本当にそうだよなぁ、と苦笑いしながら、メモをした。
「クレーム」とは「応対に困ったケース」を言い、
「クレーマー」とは「自分を困らせる人」という定義も、
新しい視点として、記録に留めたい。



2015年06月17日(水)
できるだけ避ける/できるだけ話さない

書籍「他人を攻撃せずにはいられない人」
(片田珠美著・PHP新書刊・205頁)から。
地元の書店で、まずタイトルに惹かれて手を伸ばし、
そのあとパラパラと捲り、見出しを読んだだけで買っていた。
気になったフレーズが多すぎて、ひとつに選べないほど、
頷いたり、驚いたり、の連続で一気に読み終えた。
仕事でも、手ごわいクレーマーを相手に、どうしてこの人は
こんな発言、態度をとるのだろうか、と理解に苦しんだが、
この本のお蔭で、なんとなく(汗)その理由が判った気がする。
第1章「『攻撃欲』の強い人とは」の定義からはじまり、
「どんなふうに壊していくのか」「なぜ抵抗できなくなるのか」
「どうしてこんなことをするのか」「どんな人が影響を受けるのか」
さすが、精神科医の冷静な分析に、何度も唸った。
そして最後に、その対応策とも言うべき、
第6章「処方箋――かわし方、逃げ方、自分の守り方」が、
なんとも言えなく面白かった。
「自分の考え方を変えるしかない/できるだけ避ける/
できるだけ話さない」と主張する前提に、
「根性曲がりにつける薬はない/
理解してくれるかもしれないなんて甘い幻想」という考え方がある。
まさしく、これだなぁ・・とメモをして本を閉じた。



2015年06月16日(火)
石川県より5,000円助成をいただいて実現しました

日・月曜日「スーパーゴルフパック」を利用して、
1泊2日(2プレイ)のゴルフに出かけた。
最初、この企画に誘われた時、日程を確認して、
自分の予定が空いていたので、あまり考えずOKしたが、
今考えると、驚くことばかり。行き先は、石川県能登。
移動は「羽田空港」から「能登里山空港」の空路(往復)
ホテルは、日本海を一望する、能登半島随一広さを誇る
露天風呂を有する輪島温泉の「ホテル高州園」。(2食付)
ゴルフ場は、空港から10分ほどの距離にあり、
能登半島の穴水湾を望む国内屈指のロングコース、
「ザ・カントリークラブ・能登」。(2日間2プレイ)
これほど贅沢な時間を過ごして、料金は31,000円。
どうしたら、こんな企画が実現するのかわからないが、
パンフレットに書かれていたワンフレーズが目に付いた。
「石川県より5,000円助成をいただいて実現しました」
県を挙げて観光客を誘致している政策が浮き彫りにされた。
それにしても「安すぎる」(笑)。(サービス満点)
北陸新幹線も開通したし、NHK朝ドラの舞台でもある輪島、
それでも、必死さが伝わってきた。
お土産をいっぱい買ってあげなきゃいけなかったかな?



2015年06月15日(月)
チャンスをありがとう。

映画「天使の分け前」(ケン・ローチ監督)から。
鑑賞後、久しぶりにタイトルに、お見事・・と拍手した。
原題「The Angels' Share」(天使の分け前)
作品の中で、このフレーズが出てくるのは、2カ所。
1カ所は「ウィスキー蒸留所で、樽を前に説明を受けるシーン」
「毎年2%、中身は減っていく。空中に蒸発してしまうのね、
これを『天使の分け前』と呼ぶの」という何気ない設定。
そしてもう一つは、ラストシーン。
彼があるきっかけで出会った、犯罪者の奉仕活動指導者で、
ウイスキー愛好家だったハリーの自宅におかれたメモ。
「モルト・ミル 天使の分け前。チャンスをありがとう。ロビー」
世界のベスト・ウィスキーと言われた「モルト ミル」、
手に入れ方は感心しないけれど、その利益を自分たちだけで分けず、
奉仕活動を命じられた犯罪者たちに対して、真剣に相談にのり、
社会復帰できるようアドバイスを送り続けた指導者に、
自分たちが立ち直れたのは、あなたのおかげです、という意味で、
飲んだことがない、いや貴重なウィスキーで飲むことなどありえない、
と言っていた世界の名酒「モルト・ミル」を盗んできて、
その1本を、そっとテーブルの上に置くなんて、素敵だな、
「天使の分け前」というメッセージを添えて。
こういう終わり方は、私好みの作品である。

P.S.
「私たちの鼻は、とても鋭敏よ。百万倍に薄めた香りでも分かる。
嗅覚は原始的で、下等の動物だった大昔からあるの」
この説明もなんとなく気になった。鼻って、老化現象がないから。



2015年06月14日(日)
ゆうすいくんの住民票が欲しかったら、清水町へおいで

先月、愛知県刈谷市美術館で開催されていた
「宮西達也ワンダーランド展」のメモを整理していたら、
期間中のイベントであった、絵本作家・真珠まりこさんとの対談で、
わが町出身の宮西達也さんは、自分が心を込めて作った
ゆるキャラ「ゆうすいくん」の誕生秘話から、そのまま絵本になった
「ドロドロドロンキーとゆうすいくん」の読み聞かせまで、
このキャラクターの魅力を思う存分に語ってくれたことが思い出された。
「今日は、わざわざ静岡県清水町から来てくれた人がいるので、
予定を変更して、この作品を紹介しました」と言いながらも、
とても嬉しそうに、わが町の紹介を熱く語ってくれた。
さらに「この、ゆうすいくんは清水町の住民票にも載ってます」
とPRをしたかと思ったら、最後に一言、こう言った。
「ゆうすいくんの住民票が欲しかったら、清水町へおいで」
私は、このフレーズに思わず反応してしまった。(笑)
この「住民票」という「住民限定の商品」は、観光商品とは違い、
どこでも手に入るものでもない。
その町に住所がない限り、手に入れることはできないのだから、
「ゆうすいくん入りの住民票」が欲しいから、清水町に住む、
そんな人がいるかどうかわからないが、全国的に人口減少が叫ばれ、
どの町も、定住促進が課題となっている中、ひとつの可能性として、
面白いなと感じたのは、間違いだろうか。
その町に住むことの「誇り」が、これからのキーワードとなる、
そんな予感がして、メモを閉じた。



2015年06月13日(土)
相手の目を見なきゃ、乾杯じゃない

映画「ラストベガス」(ジョン・タートルトーブ監督)から。
主役級俳優4人の勢揃いの作品に、彼らも歳を重ねたなぁ、と
私自身の老後も意識せざるを得ない感覚で観終った。(笑)
60歳という年齢は、私たち男性にとって、
精神的にも体力的にも節目なのかもしれない。
「まだまだ若い年齢」なのか「もう老いた年齢」なのか、
もうひと頑張りできる年代なのか、安定を求めるべきなのか、
いろいろな角度から考えさせられることには違いない。
人生の後半に、ラスベガスで弾ける彼ら4人組は、
ギャンブルをしたり、恋をしたり、そして友情を深めたり、
「心が体の衰えを受け付けないんだ」という台詞など、
心に響くシーンも盛りだくさんだった。
特に、この感覚は忘れかけていたなぁ、と感じたフレーズ
「相手の目を見なきゃ、乾杯じゃない」
「目を見ないと愛は伝わらないわ」・・・
歳を重ねてくると、照れくさいのか、目線が怖いのか、
意外と相手の目を見ることが減るなぁ、と反省。
これからも「目を合わす」こと、意識しようっと。

P.S.
薬中毒の若い女性が近づいてきて、こう尋ねるシーン。
「クスリある?」「血圧の?」
この切り替えし、思わずメモしてしまった。(笑)



2015年06月12日(金)
自由な発想で作っていいよ

私の中で恒例となりつつある「ごはん食堂 桐家」の居酒屋企画、
講師「岩谷澄人」氏(ヒトミワイナリー醸造長)
「醸造家さんの楽しいトーク」から。
独特な世界観を持つ「ヒトミワイナリー」(滋賀県)の真髄を、
醸造長の口から聴けるとあって、楽しみにしていたイベントである。
周りからは、飲みながら良くメモれますね、と感心されるが、
私の場合、トーク・講演は、メモしないと落ち着かないので、
最初にいただいた「本日のワインリスト」はメモで真っ黒になった、
ウェルカムワインから続けて8種類(合計9種類)の誕生秘話は、
飲むたびに「あっ、うめぇ」を口癖のように言いながら語った
彼の分身のような存在であった。
ワインについても「ちょっと変態なワイン」と訳のわからない紹介を
メモしながら、確かにあまり口にしない「にごりワイン」を楽しんだ。
この根底に流れているものを知りたくて、翌日メモを整理したら、
やはり、創立当初、彼がオーナーから言われた言葉が浮かび上がる。
「自由な発想で作っていいよ」
これは「ワインとはこうだという既成概念を覆すのではなく、
まったく自由な発想」ということらしい。
作り方の改良・改善ではなく、えっ、これがワイン?という発想、
言い換えれば、ワインづくりの常識など考えないで、
「ワインは『食』」という考えを貫きながら、
「ワインが一番元気な時に、ビンに詰めちゃう」発想であったり、
「消費者の気持ちより、造っている人たちの気持ちを優先」し、
「自分たちが、美味しいと感じるタイミング」で詰める作業をするなど、
本当に自由な発想で、ワインづくりを楽しんでいるのが伝わってきた。
私たちのワインは「ナチュラルワイン(自然)ではなく、フリーワイン」
そう言いきった彼は、25年前にオーナーから誘われたとき、
「会社の中でおかしな奴とやりたい」と言われただけの魅力があった。

P.S.
面白いワインの話は、また少しずつ提供していきますので、お楽しみに。



2015年06月11日(木)
医者と坊主と弁護士は、お金儲けに走るなということ

映画「13階段」(長澤雅彦監督)から。
原作を読んだ後なので、どうしても不完全燃焼になる。
いろいろな部分で省略があり、ストーリーが単純になってしまう。
えっ、ここへ話が飛んでしまうの?という驚きも多く、
それは仕方ないことだと思うが、江戸川乱歩賞受賞作の映画化は、
やめたほうがいいな、とつくづく感じた。
しかし、原作にない台詞や場面を見つける楽しみもある。
読書後のメモと、映画鑑賞後のメモを比較すると、一目瞭然で、
新たな楽しみが増えた気もしている。
その中の1つを紹介。(原作にあったか確認していないが・・)
「医者と坊主と弁護士は、お金がのうても人を助けろと、よう言いますわ。
3つとも、人の不幸をメシのタネにする職業でしてな、
お金儲けに走るな、ということでしょう」というような会話が登場する。
この視点で、3つの職業をくくるのは大変面白いな、と思う。
以前「弁護士は関わった人の半分は必ず『敵』」という話を耳にして、
なるほどなぁ、と思ったけれど、今回のはもっと好奇心がくすぐられた。
この3つの職業だけでなく、最近では、もっと多くの職業が
「人の不幸をメシのタネ」にしている気がしているからだ。
ちょっとイジワルな趣味だが、これを機にそんな職業を探してみて、
「お金儲けに走ってはいけない職業なんだよ」と言いたいな。(汗)



2015年06月10日(水)
(コレステロールの)薬、中断してみますか・・

数年前、体重が70キロを裕に超えていた頃、
健康診断でも、人間ドックでも、コレステロール値が高く、
仕方なく投薬を始めたが、とうとう、数年かかって
コレステロールを下げるための投薬が中断となった。
医者へ行くたびに、もう少し痩せた方が・・と言われ続け、
中途半端なダイエットをしてはリバウンドした頃が懐かしい。
このまま、血圧とコレステロールの薬を一生飲み続けるのか、
そんな不安が頭をよぎったが、まだ間に合うかなと始めたのが、
自分自身の頑張りが全ての「ランニング」と
どうしても家族の協力を必要となる「食事療法」を重ね、
一年間続けた成果が「投薬の中断」となった。
実は、今回痩せたのも、ダイエットしようと思ってとか
「伊豆ハーフマラソン」を走りきりたいと思ってなど、
そんなカッコいい理由ではない。
できるだけ「薬」を体に入れたくない、と思ったからだ。
そして、何度目かの血液検査結果を診ながら、先生が
「(コレステロールの)薬、中断してみますか・・」と呟いた。
痩せるということが、こんなにいい影響を与えるのか、と
今さらながら、驚いている私がいる。
たかが「ダイエット」、されど「ダイエット」、
次は、高血圧の薬がターゲット、実体実験の成果として、
降下剤の薬がやめられたら、自信をもって勧められるのになぁ、
私流の健康法を・・。(笑)



2015年06月09日(火)
「シュチエーション」ではなく「シチュエーション」

私の拙い「気になる一言」を読んでくれた読者から、メールをいただいた。
それも話題にした、映画「超高速!参勤交代」の内容についてではなく
「各々のシチュエーション」と書いた「situation」は、
日本語にすると「シュチエーション」ではないですか?というもの。
私もあまり深く考えず「場面設定」程度の認識で使ったので、
そう言えば「シュチエーション」という言い方をするなあ、と気になり、
ネットで調べたら、どうやら「シチュエーション」で良かったらしい。
ただし、スペルから考えると正しいが、普段耳にする「音」としては
私は「シュチエーション」を使っているような気がする。(汗)
次回からは、気をつけて使いたいと思う。
では、ついでに「simulation」は、どうだろう?
「模擬実験」のような意味で使われる「シミュレーシュン」も、
私はたぶん「シュミレーション」という「音」を使っている。
滑舌の悪い私としては「シュミレーション」の方が言いやすいし、
パイロットが何度も何度も繰り返して行なっているとされる、
「フライト・シュミレーション」も、
本当は「フライト・シミュレーシュン」なんだよなぁ。
私の場合、口がうまく開かないから、言いにくいな・・とほほ。



2015年06月08日(月)
この赤い実は、命の実。しあわせの実

映画「あなたをずっとあいしてる」(野中和実総監督)から。
最近、日本列島の各地で、火山の噴火が話題になっているこの時、
「この頃の地面の揺れは尋常じゃない」そんな台詞まで飛びたして、
この作品に「火山の噴火」シーンが続いたことに驚いた。(汗)
ところで、宮西作品のキーワードと言うか、幸せのアイテムとして、
「赤い実」が登場する事が多い。
視点を変えると、宮西さんの代表する絵本で登場する、
「おとうさんはウルトラマン」「パパはウルトラセブン」なども、
胸に輝くのは「赤のランプ」(タイマー)だし、きっと何かある。(汗)
それは「イチゴ」なのか「リンゴ」なのか、とにかく、
それを食べると、心が温かくなって幸せになるもののようだ。
作品の中でも「この赤い実は、命の実。しあわせの実」という台詞が
繰り返し使われている。
「本当の強さってなんだろう?」「本当に大切なものはなんだろう?」
その答えを導き出すヒントが「赤い実」である気がしている。
色から想像すれば、サンタクロースだな、幸せを届けてくれるから。

P.S.
アニメとはいえ、池や川の水が透明で驚いた。
原作・脚本の宮西達也さんの出身地・静岡県清水町の「柿田川」を、
イメージしていることが、よくわかってメモをしてしまった。



2015年06月07日(日)
まだやることが残っています。

昨日、柿田川で溺れて死にそうになった話を取り上げたが、
そんな日記に「無事でよかったね」の気持ちと一緒に、
「まだやることが残っています」とコメントをしてくれた方がいる。
神様が「まだまだ、この人を死なせるわけにはいかない」と判断し、
「生きて、やってもらいたいことが残っています」と言っているのよ、
そんな意味に、メッセージを解釈してみた。
その何かは、今の私には分からないが、自分の気持ちの赴くまま、
行動してみよう、と昨日から感じている。
例えば、今日は朝から「柿田川公園」の清掃作業だったが、
なぜか、与えられた作業だけでなく、目につく汚れたところを
時間の許す限り、きれいに磨きたくなった。
よく自己啓発で行なわれる「トイレの便器磨き」と同じように、
方向を示すサイン看板を始め、園内の石碑などを夢中で磨くことにより、
自分の気持ちが、どんどん落ち着いてくるのがわかった。
どうせまた、梅雨に入り雨風で汚れるものであるが、
作業中に観光客から「きれいになりますね」と声を掛けられたり、
公園内の案内でお礼を言われたり、予想外に嬉しいことが続いた。
2時間半ほどかけて汚れを落とした看板たちを、ベンチに腰掛け、
じっくり眺めていたら、その看板を目印に行く先を決めている
多くの観光客が目に入り、ますます心が弾んでいるのがわかる。
これからも「まだやることが残っている」ことを私なりに模索しながら、
まずは「柿田川公園を磨く」ことに、時間をかけてみようと思う。
そのうちに、私がこの世に残されている意味がわかるだろうから・・。



2015年06月06日(土)
やばい、やばい、やばい・・(汗)

柿田川の深みにはまって、溺れそうになった私の心の叫び。
「やばい、やばい、やばい・・(汗)」
最近、柿田川を観光資源に・・という人たちが多くあらわれて、
やれ、遊歩道だ、吊り橋だ、と提案してくれるのはありがたいが、
現実問題として、どの場所にどんな施設が欲しいのか、については、
誰からも具体的な意見は出てこない。
では休日を利用して「現場第一主義」の私が調べようと思い立ち、
「明日、柿田川に入るからウェダー(胴長)借りるよ」と、
前日、担当係に声を掛けて、朝早くから「1人」で、川に入った。
「どんな遊歩道をイメージしているのだろうか?」
「どこからどこまでを想定しているんだろうか?」など、
ポイント、ポイントで写真を撮りながら、慎重に歩いていたが、
突然、ずぼっと湧き間にハマったかと思ったら、バランスを崩した。
その後は水がウェダーの中に入り込み、思うように身動きが出来ない、
私の体力は無視され、もの凄い勢いで下流の深いところへ流されていく。
柿田川の水圧を強く感じ、首まで水面が到達して、体は冷えた。
本当に冗談ではなく「このままでは死ぬ」と思った瞬間があり、
心の中で「やばい、やばい、やばい・・(汗)」と叫んでいた。
幸いにして流れに沿っていたからか対岸に辿り着き、事なきを得たが、
それでも必死に岸に這い上がり、ウェダーを脱ぎひっくり返したら、
大量の透明な、私の大好きな柿田川の水がこぼれ落ちた。
いくら柿田川が、天然記念物になったり、名水100選に選ばれて、
全国に誇れる透明さとはいえ、川は川、やはり「危険」だと感じた。
これは、私の五感がフル活動して記憶に留めたことでもある。
「護る場所は護る、学ぶ場所は学ぶ、見せる場所は見せる」
「自然・教育・観光(ツーリズム)」を一括りにすることなく、
この棲み分けをしっかりしないと、事故が起きてからでは遅い。
「柿田川をまちづくりに活かす」ことに異論はないが、
その方法は、もっともっと検討する必要があるんだろうなぁ。



2015年06月05日(金)
泣いてても、笑ってても、時間は同じだけ過ぎていくねん。

映画「オカンの嫁入り」(呉美保監督)から。
気になるフレーズはいっぱいメモしたのに、選んだのは
主人公の2人が住む家の大家さんの台詞だった。(笑)
あることが原因で出社拒否となった、宮崎あおいさん扮する
「森井月子」に向かって、諭すように話しかける。
「月子ももう一年ちゃうか? そろそろ働かな、どんどんしんどなるで。
泣いてても、笑ってても、時間は同じだけ過ぎていくねん。
面倒くさいことは、全部、流してしまえ、楽やでぇ」
その場の雰囲気が伝わるかな?と考え、関西弁をあえて文字にしてみた。
登校拒否も出社拒否にも通じる台詞かな、とメモをしたが、
学校へ行きなさい、会社へ行きなさい、という説得ではなく、
限りある時間、楽しいことに使おうよ、と語りかけている気がした。
物語後半「月ちゃん、あんた、ずっとこのままでええのん?」と母、
「わかってる」と娘、
「わかってるだけやったら、何も変わらへんやろ?」と母。
そして、少し間を置いて、もう一度、母がこう呟く。
「優しいだけじゃなくて、いろんな人と外の世界で混じり合って、
そん中でもシャンと生きていける強い人になって欲しいねん」
このあたりでちょっと涙腺が緩んだ。
大切な娘を残して死んでいく母親の想いが、表現されている。
私には入る隙間がない、母と娘にしかわからない関係だな。
大竹しのぶさんと宮崎あおいさんの母子役、ピッタリでした。



2015年06月04日(木)
おかげさまで「57歳」になりました

誕生日の今朝、起きて一番最初に「母」に発した言葉である。
「おかげさまで『57歳』になりました」
自分でも、なぜか不思議な感覚に包まれた朝を迎えた。
昨年までは周りから「誕生日おめでとう」と言われてから、
「ありがとう」とお礼の言葉を返すパターンであったが、
今回は、自分から「母」に対して「おかげさまで・・」の
フレーズが口から出たので、正直、驚いた。(汗)
悟ったわけではないが、誕生日は「祝ってもらう日」ではなく、
周りの人に「感謝する日」だと実感したシーンとも言える。
今の自分があるのは、家族をはじめ知人・友人がいたから、と、
心から思えたからこそ、このフレーズにつながったのだと思う。
小さい頃から、私と一緒の時を過ごしてきた人から、
最近、SNSなどのネットで知り合った人まで、
朝から今まで多くの方から「お祝いメッセージ」をいただいたが、
今日の気分では、自分から、みなさんに対して、
感謝のメッセージを発することが、誕生日の過ごし方だな、
そんなことを感じた57回目の誕生日であった。
どうしてそんな気分になったのかは、自分でもわからない。
ただ「皆さんと知り合ったおかげで、今の私がある」という
感覚だけは、明日からも大切に持ち続けたいと思う。
そんなわけで改めて、お祝いメールをいただいた方にも。
メールではなく、直接、声を掛けてくれたて方にも、
「おかげさまで『57歳』になりました」を伝えたい。



2015年06月03日(水)
「恩」は施したら忘れるもの

公私ともにお世話になっている方の母親が他界したとの報を受け、
予定していた「市民公開講座」をキャンセルして、お通夜に参列した。
菩提寺の住職(お上人)は、戒名に「恩」という文字を入れたので、
たぶん、故人はこんな女性でした・・と思い出しながら、
今晩は「恩」についての話を・・・と口を開いた。
細かい内容について、ここで「説法」みたいに説明するつもりはないが、
「恩」というものは、施すものであり、恩に報いてもらいたいとか
恩を感じて何かを期待するものではないだろうし、誰に対しても、
慈悲の心を施していくことの大切さを気付かせていただいた気がする。
「親切にしてあげたのに、助けてあげたのに・・」と考えるのは
相田みつをさんの名言(我が家では「日めくりカレンダー」)
「あんなにしてやったのに 『のに』がつくとぐちがでる。」と同様、
恩着せがましい部分がまとわりつく感じがしていたし、
「恩」に対して、何かを求めている感じがするから、
「恩」を与えた側の心構えとしては、ちょっと違う気がしていた。
そんな私の違和感を払拭するように、お上人は、呟くように
「『恩』は施したら忘れるもの」と、諭してくれた。
誰かに親切にしたことも、社会に対してボランティア活動したことも、
高齢者に席を譲ることも、落とし物を届けたことも、すべてその場で忘れる。
「与えた側・受けた側」などという上下関係を持たないためにも、
施す側が、その行為すらまったく忘れる。
それこそが「『恩』は施したら忘れるもの」の意味だと理解した。
今晩は「経済」ではなく「仏教」や「哲学」を学んだと思いたい。
まさしく「我以外皆我師」だなぁ。



2015年06月02日(火)
犬のフン持ってけ!

久しぶりに静岡市へ出張だったため、寄り道をした。(汗)
「川瀬巴水展 生誕130年〜郷愁の日本風景〜」(駿府博物館)
静岡駅南口から静岡新聞社本社まで、どれくらい歩いただろうか。
駅近くにあった都市公園をつっきり、高校を横目に、テクテクと・・。
道すがら「歩行」「自転車」と書かれた歩道と、
一方通行の自動車道の間に設置されている花壇に目がいった。
たぶん、地域の人たちが管理している花壇だろうと想像がついたが、
そこに書かれていた注意看板に驚き、思わずメモをした。
白地の板に黒と赤の文字で「犬のフン持ってけ!」
よほど怒っていることが、このフレーズだけでもわかった。
その横には「静岡市動物指導センター」の設置した看板もある。
「ふんの放置は禁止です!!」
「ふんを持ち帰ることは、最低限のマナーです」
「ふんは必ず持ち帰ってください。
自宅の前や裏に毎日ふんが放置されていたら、あなたはどう思いますか?」
「マナーは守りましょう。犬や猫のフンで迷惑しています」
何種類かの注意看板のメッセージが、とても優しく感じられた。
こんなことを書かれても、ペットの散歩をする人たちは、
何も感じずに、ふんを放置したまま、歩き続けるのだろうか。
そんなルールやマナーも守れない心を待ったご主人に、
飼われているペットたちがかわいそうだな、と悲しくなった。
初めて歩いた歩道であったが、あまりにこの看板が多くて目立ち、
心が痛くなったので、帰りは別の道を選択して駅に向かった。
「道徳」が子どもたちの教科になる時代だけど、
まずは手本を示す「大人たちの道徳」をなんとかしなくちゃな。



2015年06月01日(月)
夢を諦めるのって、こんなに難しいの?

映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」(吉田恵輔監督)から。
学生時代の夢を追い続けるのが悪いわけではない。
けれど、現実と向き合い、諦めた人は数多いはず。
だから、コンクールに応募して落選し続けても書き続け、
「ばしゃ馬」と言われながらも脚本家を目指している、
主人公、馬淵みち代さん(34歳)がなぜか眩しかった。
彼女が、元彼に泣きながら訴える台詞が気になった。
「抱いちゃった夢って、どうやって終わりにしていいのか、
わかんないんだもの・・(涙)」
さらにこう言う。「夢をさ、叶えるのってすごい難しいのは、
最初から判ってたけどさ、夢を諦めるのってこんなに難しいの?」
「でも、まだ諦められないから、頑張るの・・」と続く台詞は、
言葉では「夢はきっと叶う」と言いながら、意外と簡単に
夢を諦めてしまった私たちの心に響いた。
頭では「叶わない夢はあきらめた方がいい」と判っていても、
「やっぱり、諦められない」という彼女の生き方に、
ちょっぴり羨ましくもあり、応援したくなった。
どんな生き方が正しいなんて、誰にもわからない。
自分が納得するまで、追い続けるのもいいんじゃないかな。