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しもさんの「気になる一言」
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2012年08月31日(金)
納得できないものを拒む『強さ』がね

今日は、ある会議で納得できないことがあったので。(汗)
映画「アリス・イン・ワンダーランド」(ティム・バートン監督)から。
久しぶりのディズニー映画で、楽しく観終えた。
但し、最後まで引っかかっていた
「カラスと書き物机はなぜ似てる?」の答えは
見つからなかったし、不完全燃焼の状態である。
童話の「不思議の国のアリス」と対比すると
面白いのかもしれないな、と途中で気がついたが。(汗)
主人公のアリス(不思議の国の「アリス」ではない)は、
戦うことなど考えもしなかった、怪獣・ジャバウォッキーと
戦い、最後には倒すこととなる。そこで、彼女は気付き、呟く。
「童話のアリスには『強さ』があるわ。
納得できないものを拒む『強さ』がね。
これは『強さ』を取り戻す物語なの」と。
なんとか現代に戻った彼女が、一番にしたことは、
「納得できないものを拒む」ことだった。
確かに、『強さ』を取り戻す物語だったな、と
妙に納得して、メモを眺めた。
あぁ、私もアリスを見習わなくちゃな。



2012年08月30日(木)
無形文化財は「形がないから、壊れもしない」

10月には下半期の講座が始まっちゃうので、
上半期分の講座、公開しなくちゃなぁ、という訳で
日大市民公開講座(平成24年度上期)
講師「日本大学国際関係学部教授・高山茂氏」
演題「伊豆の民俗芸能」から。
「無形文化財に詳しい人は少ないんです。
なかなか有形文化財を研究している専門家の理解が
得られませんが・・」と前置きをしながら、
「有形文化財」と「無形文化財」の違いを説明してくれた。
「有形(文化財)は、保存すれば長く伝わる。
「無形(文化財)は、保存するわけにはいかない。
形がないから、壊れもしない。」
「民俗芸能」は「祭り」と同義語であるのだろう。
「暮らしの中で伝えてきたことが大切」と言い切った。
無形文化財の特徴も7つほど教えてもらったが、
印象に残っているのは「季節性(決まった日)」
「非専業性(素人・別の仕事を持っている人)」。
毎年○月第○曜日のように開催日が変わったり、
それを伝えることが仕事として成り立っていては、
無形文化財の特徴から、外れるようだ。
こういった判断で、近隣のお祭りを見渡すと、
フェスティバルなのか、民族芸能なのか、判りやすい。
これから、そんな視点で、お祭りをみてみようっと。



2012年08月29日(水)
「まん」とは、古い言葉で「運」(うん)

水曜日、恋愛・エッチネタは久しぶりですが・・・(笑)
映画「あげまん」(伊丹十三監督)から。
作品中「あんたは、あげまんなんだから」と諭され、
「あんたと連れ添った男は、必ず運が開けるんだからね、
いい男をつかまえなさいよ」という会話に、
「あげまん」は、女性に使う単語だとばかり思っていた。
もちろん「まん」の解釈を勝手に間違えたのであるが、
「あげまん」とは「上昇運」のことらしい。
だから「あげまんの女」(上昇運の女)という使い方をする。
逆に考えれば「あげまんの男」というのも存在することとなる。
ちょっと下品になるが、この映画が流行った頃、
男同士で「あげちん」「さげちん」なんて会話をしたけれど、
それは間違いだったことを、当時の仲間に教えようっと。
主人公を演ずる宮本信子さんとエッチした男が出世するから、
ややこしくなっちゃうんだよなぁ。
伊丹十三監督の奥さんは「あげまん」なんですね。(笑)
でも今更「『まん』とは、古い言葉で『運』(うん)」と言われてもなぁ。



2012年08月28日(火)
政治家に接する機会を増やす

講師「ジャーナリスト(元静岡新聞社)原田誠治」氏
講演「幸せになるための民主主義考-第1弾」から。
内容が過激なところもあり、ヒヤヒヤさせられたが(笑)
私たち国民が出来ること、いや、しなければならないことは
「政治家に接する機会を増やす」だと言う。
「この間の選挙で、あなたにこういうこと期待して、
投票したんですよ」という言葉を投げかけることこそ、
選挙後にも私たちが出来ることだ、と彼は言う。
私も同感である。
選挙したら4年間はもう知らない、のではなく、
機会あるごとに(街で会うたびに)、議員に声を掛けて、
選挙当時の公約(マニュフェスト)を訊ねてみる。
政治家を刺激続ける、ということは、とても大切なこと。
私は、あなたに期待していますよ、というメッセージ。
どしどし発して欲しい。議員も期待してたりしてね。



2012年08月27日(月)
バッター勝負だ、全員一度大きく深呼吸させてこい

インターネットで見つけたトピックス、
「熱闘甲子園で新喜劇ばりズッコケ あかんの?」が引っ掛かった。
「亡き父に誓った全力パフォーマンス」との説明に、胸が熱くなる。
実は、先日紹介したばかりの映画「ひゃくはち」(森義隆監督)でも、
同じようなシーンがある。(2008年制作)
決勝戦の9回ツーアウト、1点リードしているが、流れは完全に相手側、
このままでは、逆転濃厚の場面、マウンドには焦る選手たちが集る。
そこで監督は、ベンチ入りの補欠選手に「伝令役」を任せる。
「青野、バッター勝負だ、全員一度大きく深呼吸させてこい」
この伝令を受けた補欠選手は、以前から練習していたズッコケを披露し、
守っている選手の緊張を解きほぐして勝利へ導いた。
確かに、悪ふざけと紙一重の「プレー」ではあるが、私は評価したい。
物事、全てに役割があり、補欠は補欠なりに考えたチームへの貢献、
そんなパフォーマンスを、誰も責める権利はないと思う。
甲子園という大きな舞台「伝令係」が一所懸命にマウンドへ向かう姿、
拍手喝采で迎えてあげたい。
彼ら高校球児は、私たちが考えている以上に真剣であるから・・。



2012年08月26日(日)
そのためには、生身の日本人が必要なんです

「横田めぐみさんの娘 正恩氏妹が身辺管理」の見出しを
インターネットで見つけたので。
映画「めぐみ 引き裂かれた家族の30年」
(クリス・シェリダン、パティ・キム監督)から。
どうして「拉致」(ABDUCTION)ということが起こるのか、
あまり理解もしないまま、この事件を眺めていた気がする。
そしてその答えは、作品の中でみつかった。
北朝鮮が、自国のスパイに教えていたのは、
「日本語教育ではなく、日本人化教育」だったということ。
言い換えれば「日本人そのものになること」を要求していた。
各国の情報を集める諜報部員にとっては、
不自然な仕草、行動、判断が命取りになるからだろうか。
顔の洗い方1つにとっても、各国民の動きが違うことを知り、
そこまで習得するのか、と驚きを隠せなかった。
「そのためには、生身の日本人が必要なんです」
この言葉に「拉致」の必要性をはっきり認識できた。
「真似るのではなく、そのものになる」
その為には、ホンモノの精密な観察が必要になるから、
悲しいかな、こういうことが起きるということだと知った。
では、なぜ、そこまで我が国の「情報」が必要なのか、
う〜ん・・・難しい問題だなぁ。



2012年08月25日(土)
お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの?

先日紹介した書籍「感動の条件」
(永松茂久著・KKロングセラーズ刊・230頁)から。
なかなか説明が難しい、今と昔の家庭教育の違いについて、
わかりやすい例えを探していたら、この本の中で発見した。
今も昔も、子どもたちの素朴な疑問は同じ。
「お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの?」
それに対するお母さんの答えで、今と昔の家庭教育の違いを
説明することが出来る気がする。
昔のお母さんは、
「立派な人になって世の中の役に立つ人間になるため。
だから、あなたは勉強するんだよ」と教えてくれた。
今のお母さんは
「あなたが勉強していい大学に行くと、いい会社に就職できて、
いいところの人と結婚できて幸せになるの。
だから自分のために勉強するんだよ」と説明する。
いつ頃が昔と今の境目かは、物議を醸し出すかもしれないが、
戦後、個性の尊重が叫ばれた頃から、
「人のために」から「自分のために」にシフトしていったと思われる。
教育の基本は少なくとも「世の中の役に立つ人間を育てる」
これこそ、静岡県が進める「有徳の人」づくりであろう。
家庭だけでなく、社会全体でこの考えを取り戻したい。



2012年08月24日(金)
西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった

今晩、三島で飲んできたから、という訳ではありませんが・・
以前、聴講した日大国際関係学部主催、
市民公開講座「伊豆再発見」の講座から。
交通網が発達した現代では考えられないことでも、
昔は常識だったことが歴史を勉強すると見えてくる。
例えば「三島」という地。
今では、東海道新幹線の駅があり、
伊豆の玄関口というイメージをもっているが、
参勤交代などがあった江戸時代には、
「天下の険」と言われた箱根越えを控えて、
西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった、という話。
この「必ず」というところが、まちづくりのポイントと
いえる気がして、メモをした。
「必ず泊まる」ということは、三島にはそれを受け入れる
「おもてなし」の文化が生まれたことを意味する。
少し離れた伊豆市の「修善寺」には、
関西(京都)と関東の文化が、屋根に残っている、
そんな話も耳にした。
「三島女郎衆」も、そんな三島の文化の1つだろうか。(汗)
「おもてなし」に磨きをかけるまちづくりは、
「三島らしい素敵な事業」だな、と思うがいかがだろうか。
現代、新規参入者が、三島にお店を出しやすい、と言うのも、
誰でも受け入れる「三島のおもてなし文化」の影響かもしれないな。



2012年08月23日(木)
補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ

夏の高校野球、大阪桐蔭の春夏連覇でしたね。
映画「ひゃくはち」(森義隆監督)から。
本来なら、高校野球補欠選手をテーマにした映画だから、
「グラウンドは生き残りをかけた戦場です」なんて台詞が
ピツタリになんだけれど、ちょっとつまらない。
また、映画タイトルの「ひゃくはち」にちなんで
「ボールの縫い目も108つなんだよなぁ」を選ぼうと思ったが、
「この縫い目が煩悩」という発想に、もうひとつピンとこない。
そこでメモしたフレーズを読み直したら、この台詞が光った。
高校野球を取材する立ち場の新聞記者、
先輩から新米への厳しいけれど、的確なアドバイス。
「補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ」
「気分でシャッター切りやがって・・」と吐き捨てる台詞も、
私には、なかなか気に入ってメモの対象となった。
ついつい、女性の新米記者に対して、優しくなりがちであるが、
まずは基本中の基本を教えるその姿勢が、心に響いた。
物語とはあまり関係ないが、この作品を思い出すなら、
この先輩のフレーズだな、と感じて気になる一言。
どんな世界も、まずは基本でみっちり鍛えること。
レギュラーと補欠の違いも、このあたりにありそうだな。



2012年08月22日(水)
沼津のヌ

無線局運用規則を知っているだろうか、
第14条、別表第五号に和文通話表が掲載されている。
アマチュア無線などをしている人は知っていると思うが、
「朝日のア 」「いろはのイ」「桜のサ」「平和のヘ」など、
相手にわかりやすい定義をすることが目的のようだ。
その中に、驚く地名を発見した。それが「沼津のヌ」。
地名に類するものは「上野のウ」「大阪のオ」「世界のセ」
「東京のト」「名古屋のナ」「日本のニ」「富士山のフ」
「吉野のヨ」「尾張のヲ」「ローマのロ」くらいなものだから、
日本全国で「沼津のヌ」と言えば、誰にでもわかる地名だった。
今「沼津ナンバーの車」に乗っているが、実はこの地名、
静岡県では知られていても、全国では知られてないだろう、
そんな認識だったけれど、大間違いだった。(汗)
たぶん、今でもこの規則が残っている限り、
少なくなったとはいえ電報などでは「沼津のヌ」は使われている(はず)。
もちろん、アマチュア無線でも使われているだろう。
沼津のまちづくり、市民でない私が提案することではないけど、
キャッチコピーは「沼津のヌ」を使って欲しい。
だって、東京・大阪・名古屋に匹敵する存在感なんだから。



2012年08月21日(火)
暑くて、だけど涼しい里山の夏

映画「里山」(菊池哲理監督)から。
単なる自然保護ではなく、里山として自然を残していく。
これは、日本の各地で受け継がれてきた日本人の知恵というべき、
自然との関わり方である。
「人が手を入れてきた雑木林は、太陽の光が行き届き、
多くの生き物たちの住処になっています」
このナレーションの意味は大きな気がしてメモをした。
それをもっと短いフレーズで表現したのが
「暑くて、だけど涼しい里山の夏」ではないかと思う。
NHKスペシャルらしい(笑)、驚くような視点からの
徹底取材された映像に大満足しながらも
「昆虫採取こそ、日本人独自の子どもの遊びの文化」
「木を切るのは先祖から受け継いできた森を守るため」
「必ず株を残して木を切るようにしたのじゃ」
「村人は鳥のためといって、柿を少しだけ残しておく」
「裏庭に現れる昔話の登場人物たち。(狐や狸)
人家のすぐ裏にこれほど多くの野生動物が
ともに暮らしているのは、日本ぐらいではないだろうか」
等、ハッとさせられる里山に暮らす人々の知恵に、
ただただ頷くばかりであった。
「日本独自の四季を、そこに住む人も生き物も味わっている」
この光景、特別な場所ではないはず。
自分の身の回りの自然、もう一度、見つめ直したい。



2012年08月20日(月)
相談するのは、それが正しいってことを確認したいからだ

書籍「ナミヤ雑貨店の奇跡」(東野圭吾著・角川書店刊・385頁)から。
あらゆる悩みの相談に(手紙で)答える、不思議な雑貨店、ナミヤ。
回答者のおじいさんが店主で、名を「浪矢雄治」と言う。
「ナミヤ」を「ナヤミ」と引っ掛けたあたり、
ついつい本屋で手にしてしまう、巧妙な策にハマってしまう。(笑)
さて、悩みはほとんど究極の選択であることが多い。
本の帯(裏)にも、その選択が書かれている。
「夢をとるか、愛をとるか」「現実をとるか、理想をとるか」
「人情をとるか、道理をとるか」「家族をとるか、将来をとるか」
「野望をとるか、幸せをとるか」・・
そして、この「浪矢雄治」さんが息子さんに呟く台詞が面白い。
「長年悩みの相談を読んでいるうちにわかったことがある。
多くの場合、相談者は答えを決めている。
相談するのは、それが正しいってことを確認したいからだ」と。
だから、自分の決めた答えと違うと、再度相談の手紙が届くらしい。
人間の心理を良く理解している、重みのある言葉である。
そんな面倒臭いことやめればいいのに・・と説得する息子に、
「これも人助けだ。面倒臭いからこそ、やり甲斐がある」と言う父。
そして、死んでからも気になるのは、回答後のその行方。
本の帯(表)に「あの時の回答は、あなたを救いましたか?」とある。
へぇ、そういうことか・・気になる方は、是非、読んでみて。(笑)



2012年08月19日(日)
NHKが視聴率を気にする必要があるのか

日曜日になると気になる「視聴率」がある。
そう、NHK大河ドラマ「平清盛」であるが、
マスコミ報道される「視聴率」の仕組みも説明せず、
ただ「大河ドラマ史上最低」などと国民をあおっていることに、
私は心を痛めている。
確かに、内容評価は主観的な意見もあるので難しいだろうが、
「視聴率」が、その作品の評価に繋がるものではない、と断言したい。
一歩譲っても「視聴率は、単なる指標の1つにすぎない」
歴史がねじ曲げられていたり、時代考証が不十分な大河ドラマは、
今までにも多くあった。
視聴率狙いでアイドル起用のファミリードラマ的なキャスティングこそ、
批判されるべきであると思うし、登場する人物の人間関係や
多くの歴史的事実を間違って国民に伝えてしまう脚本は許されるのか、
そんな想いが私にはある。
国民の娯楽や、テレビ番組自体が少なかった頃と比較したり、
最近地デジ対応になり、テレビを買い替えたことにより、
録画して観る人たちが増えたけれど、それは視聴率にカウントされない。
そんなことも考慮せず、ただ「低視聴率」と騒ぎ立てるマスコミの対応、
これこそ、情報操作のなにものでもないと感じている。
そもそもNHKが視聴率を気にする必要があるのだろうか。(汗)



2012年08月18日(土)
4日連続、同じ情報源は珍しいですね

私の「気になる一言」には、マニアックな読者がいるらしく
「4日連続、同じ情報源は珍しいですね」と前置きしながら
「この暑さにビールの飲み過ぎで、倒れていないか、心配しています」
というメールが届いた。(涙)
なるほど・・確かに、読んでいただいている読者のことも考えて、
書籍・講演・コンサート・美術館等から普段の会話まで、
出来るだけ情報源を分散し、幅広く書いてきた「気になる一言」。
4日連続、同じ情報源は、長期の旅行ネタ以外、なかったかも。(笑)
ただただ溜まっていく「映画でメモしたフレーズ」を、
時勢に合わせながら、紹介できたら・・という想いは以前からあった。
終戦記念日(高齢者は「敗戦記念日」というらしい)の前後に合わせて、
戦争映画ネタを紹介しようと決めていたから、
私としては、今回の4日連続は、なにも違和感がなかった。
しかし、心配の仕方が、私の読者らしい、と吹き出してしまった。
飲み過ぎて、いい気分になって、日記を書くのが億劫になり、
「映画からの気になる一言」をアップし続けたのでは?という想像力、
まんざらハズレでもないところが、可笑しかった。
ただ微妙に違うところは、気持ちよく酔ったら、そのまま寝てしまう。
アップは、翌日になることが多いから(汗)。
これからも、世の中の流れに合った「映画ネタ」を探していこうと思う。
なぜこのネタを選んだのかも、ちょっと紹介しながら。



2012年08月17日(金)
「どういう知り合いですか?」「戦友です」

映画「一枚のハガキ」(新藤兼人監督)から。
戦争を経験した人たちにとっては、たぶん・・
思い出したくないシーンの連続だったかもしれない。
「撮影当時98歳という日本最高齢監督の新藤兼人が、
自らの実体験をもとに引退作として製作した戦争ドラマ」
そんな説明にもあまり実感がなかった私だが、
隣で観ていた老夫婦が、涙を流しながら観ていたので、
これはフィクションではなく、現実に近い描写なんだと、
驚きながら、メモをすることになった。
いくら戦争とはいえ、自分より歳が離れた若造に、
「貴様らは・・」と呼ばれることに、抵抗はなかったのか。
「スルメをかじって、鬼畜米兵をやっつけろ」
そんな滑稽なシーンが、なぜか笑い話にならず、
し〜んと静まる雰囲気に、当時の悲惨さが伝わってきた。
この気になる一言に残そうと思ったフレーズは、
「どういう知り合いですか?」「戦友です」という会話。
もうすぐ、こういう会話が交わされなくなると思うと、
まだ67年しか経っていないこの悲劇を、どんな形でも
この世に残そうとした新藤監督の気持ちが伝わってきた。
「戦友」って、私たちが簡単に使える単語じゃないなぁ。



2012年08月16日(木)
「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」

映画「男たちの大和 YAMATO」(佐藤純彌監督)から。
「戦艦大和」「第二次世界大戦」を題材にした映画は
数あれど、悲しいだけではなく、男気みたいなものを
感じることが出来た作品であった。
「大和」が、最終決戦の場となる沖縄に向かう戦場、
兵士が、上官に尋ねるシーン。
「『武士道』と『士道』の違いは何ですか?」
長島一茂氏演じる上官が、落ち着いた声で
なんと答えるのか、興味津々でメモを片手に待った。
「武士道とは、見返りを期待せずに死ぬ覚悟。
「士道とは、死ぬ覚悟を内に秘めて、
人に恥じない生き方をすることだ」と定義し、
その答えに部下は「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」ですね、と
悟るように言い放った。
今まで、なかなか理解できなかった「武士道と士道の違い」。
難しいことを簡潔に説明する士官は、最後にこう付け加えた。
「覚悟を決めるということは、誰にも生易しいことではない」
辞書によると「覚悟」とは、ある事態を予期して心を決めること。
心を決めるって、生易しいことじゃないよなぁ。



2012年08月15日(水)
死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ

映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)から。
「太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを
日米双方の視点から描く映画史上初の2部作」である。
監督の意図からすれば、第1部、第2部の順に鑑賞すべきなのだろうが、
日本人側の視点で描かれた作品「硫黄島からの手紙」を、
先行して観てしまったため、同じ場所、同じ時間で戦っているのに、
こんなに違うのか、と驚くほかなかった。
しかし、最前線で戦う男たちにとっては、どこから相手の攻撃を受け、
いつ死ぬかわからない恐怖が常に充満していて、
個人レベルでは、日本兵も米兵も変わらないことは作品は教えてくれた。
作品のラストで、こんな台詞が流れる。
「英雄とは、人間が必要にかられてつくるものだ。
そうでもしないと、命を犠牲にする行為は理解し難いからだ。
だが、父と戦友たちが危険を冒し、傷を負ったのは仲間のためだ。
国のための戦いでも、死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ」
日米の戦争映画の違いが、この2部作で理解できた気がする。
自国の戦争を正当化し、美化しがちな「ハリウッド映画」の体質に、
横穴を開けたような作品の仕上がりに、敬意を表したい。
誰も幸せにならないのに、どうして世界の国々は戦争をするのだろうか、
そんな疑問が、また私の脳裏を横切ってしまった。



2012年08月14日(火)
家族のために死ぬと決めたのに・・

映画「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)から。
「太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを
日米双方の視点から描く映画史上初の2部作」との紹介に、
期待を込めて2作品を観始めた。
(「父親たちの星条旗」が第1部、本作が第2部だったらしい)
観終わった感想は、間違って第2部の作品から観てしまったが、
日本人の私にとっては、この順番が正しい気がする。(笑)
さて「気になる一言」も、出来れば「対」として選びたいと思い、
メモをとった。その結果選んだのは「戦う男たちの死生観」である。
日本人側の視点で描かれた、戦争に対する戦い方(死に方)は、
「国のため、天皇のため」と言いつつ、本音は「家族のため」。
「家族のために死ぬと決めたのに、家族のために死ぬのをためらう」
この台詞が、私の心に突き刺さった。
「靖国で会おう」「来世で会おう」の台詞を残して死んでいく兵士、
手榴弾で自爆していく光景は、涙が止まらなくなった。
日本の男たちが、戦争に突き進んでいく理由は「家族愛」
そして、アメリカの男たちが、死を掛けて戦うのは「男同士の友情」。
死に対する意識の違いをもった人種が戦っていたんだな。



2012年08月13日(月)
「撮影ボランティア」から「想い出サポーター」へ

週末に限らず、柿田川公園に行くと、多くの観光客が
デジカメ、携帯電話、スマホを駆使して、記念写真を撮影している。
そんな時「よければ撮りましょうか?」と声を掛けると、
ほとんどの人たちが嬉しそうに「はい、お願いします」となる。
私たちがその気になれば、簡単にできるボランティアとして、
以前「撮影ボランティア」という言い方をしながら、
観光地に広めようと思ったことがあったが、
「ボランティア」という単語には「積極的に」という意味があり、
誰彼となく声を掛けてしまいそうで、迷っていた。
旅行に行って、お互い撮影し合うのも楽しみの1つだし、
全く知らない人に撮影してもらうことで緊張し、
いつもの素敵な笑顔が出来なかったら、本末転倒となるからだ。
そこで、名称を「想い出サポーター」にしたらどうか、と思う。
することは同じ「写真撮影」を手伝って上げること。
しかし、意識の中で「積極的に」ではなく「必要ならば」という
受け身の体制にすることで、接し方が違ってくる。
最近の人たちは、協力して欲しければ遠慮せずに、声を掛けてくる。
「すみませ〜ん、シャッター押してもらえませんか?」
その一言を待ってから「あっ、私で良ければ・・・」となる。
コツは、お願いされやすい位置で、お願いされるような服装、
さらには、お願いされやすいように、ニコニコしながら眺めること。
これって、自分も嬉しくなるんだよ、不思議と。



2012年08月12日(日)
感動は、必ず非効率の中にある。

書籍「感動の条件」(永松茂久著・KKロングセラーズ刊・230頁)から。
ふっと立ち寄った書店で見つけて、衝動買いしてしまった。
自分の心の中に、大切な人の喜ぶ姿をイメージすることなど、
基本的には、今まで聴講してきた多くの方の話と共通点は多い。
そんな中で、私がメモしたフレーズは、
「感動は、必ず非効率の中にある。」という定義。
何かと言えばすぐ「費用対効果」が求められる現代、
「心と手をかけたものを大切にする」という非効率の追求こそ、
人間に感動を与えることを、再認識した。
その中に書かれていた「非効率、やった人だけが得する3つの理由」
その1「お金があまりかからないということ」
(笑顔でいる。お見送り、お出迎えをする。お客さんの誕生日を覚える。
温かい声を掛ける。人の仕事を手伝う。人が脱いだ靴を揃える等)
その2「口コミが起きやすいということ」
(感動すると、人は伝えてくれる)
その3「非効率なことは、馬鹿にされやすいから、競争相手が少ない」
つまりやったもの勝ちということ。
一人で「かけっこ」すれば誰でも一等賞になれる。
「バカバカしくて人がやらないようなことに、いかに真剣に取り組めるか、
ここが肝心です」と筆者は言っている。
「非効率なことをとことん誠実に追いかけるから、人が感動してくれる」
逆に解釈すると「効率で感動は生まれない」。
そう理解して、自分の仕事に生かしていきたいと思う。
行政の中で、生涯学習の分野こそ、この定義を実践するべきだから。



2012年08月11日(土)
俺たち、一頭だけ、弱い、何頭も集ると強い。

映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」
(ルパート・ワイアット監督)から。
見応えのある作品であったが、台詞は少なかったため、
私のメモは、思ったほど増えなかった。(笑)
今回採り上げたのは、ちょっと驚いた「猿同士の手話」。
(オラウータンとチンパンジーだったかな?)
新人に「用心しろ、人間。利口な俺たちが嫌い」と忠告したり、
「俺たち、一頭だけ、弱い、何頭も集ると強い。」という
まさに、毛利元就の「三本の矢」の逸話が盛り込まれている。
1本の木を簡単に折ってみせた上で、束になると折れない事も示し、
その逸話を思い出した私は、思わず「ニヤっ」となった。
また、作品中「破壊された脳細胞を脳自らが再成する」新薬として
紹介されたALZ-112は「アルツハイマー治療薬」などへの期待が膨らみ、
浅学ではあるが、本当にこんな薬が欲しいなぁ、と思ってしまった私。
さて、気になるフレーズとしては、
「感情を切り離せ、大事なのは『夢』ではなく『結果』だ」
「脳に詳しくても、脳の使い方を知らん男だ」
「チンパンジーは好きよ、でも怖いわ、用心が必要よ」
「自然のあり方を壊してはいけないわ」等など。
人間と動物のあり方、これからの大きな課題として、残される。
世界共通の言語を通じて、動物と自由に話せる体制こそ、
これから必要になってくる分野かもしれない。
この作品、もし現実になったらどうしよう、と本気で考えてしまい、
落ち着いて鑑賞できなかった作品の1つでもある。(汗)

P.S.
偶然にもロンドン五輪で感じたこと。
「日本人、1人だけ、弱い、何人も集ると強い」



2012年08月10日(金)
あんたの顔をみると元気が出るよ

昼休みは、出来るだけ「ウォーキング」(雨でなければ)。
毎日、ほぼ同じ時間、同じ場所ですれ違う高齢者がいる。
はじめは照れながら「こんにちわ」と挨拶していたが、
そのうちに、大きな声で挨拶を交わすようになった。
相手は(たぶん)、充分に年齢を重ねたご婦人。
そんな彼女が、すれ違いざまに、私にくださったフレーズ。
「あんたの顔をみると元気が出るよ」
言われた方が嬉しくなって、元気が出た。
ひとりの高齢者が増え、孤独死なんて単語も耳にする時代、
すれ違うだけだが、挨拶を交わすことの大切さを感じる。
そのためには、車ばかり乗っていないで、歩くこと。
遠距離からの通勤は仕方ないとしても、
昼食後に、運動も兼ねて、ウォーキングをしてみてはいかが?
狭い町内だけど、けっこう面白いお店もあるし、
目標の1日1万歩も達成しやすくなるし、いい事ばかりだから。

P.S.
今日も隣町の飲み会会場から、歩いて帰ってきました。
習慣になれば30分歩くのは苦になりませんよ。



2012年08月09日(木)
「被災者のために」というモチベーション

今回のロンドン五輪、私の興味関心は、メダルの色や数ではなく、
チーム・○○組・メドレーといった団体戦で獲得していることが多いこと。
「史上初」とか「何十年振り」といった見出しが新聞紙上を飾り、
そのチームの結束力の強さに、驚かされることもしばしばであった。
では、その「結束力」はどうして生まれたか?を考えてみると、
3.11の東日本大震災が影響しているのではないかと私は考えた。
あの時から、アスリートたちの心に植え付けられた
「被災者のために」というモチベーションこそ、彼らを奮起させ、
「個人勝利」より「団体(チーム)勝利」に喜びを感じている、
そんな気がしてならない。
自分たちの活躍が、震災を受けた人たちの励みになれば、という想いと、
ずっと頑張ってきた他のメンバーと一緒に獲得できた喜びが、
テレビから流れるインタビューからも伝わってくる。
眠たい目をこすりながら、早朝・深夜問わず応援する日本にいる私たちと、
ロンドンで競技している選手との一体感も、味わえている。
私たちの応援も、もうひと踏ん張りだな、頑張ろうっと。



2012年08月08日(水)
熱海の花火大会「ローソン」VS「ジョナサン」

恒例となりつつある、熱海の花火大会の観覧。
見上げる場所は、職場先輩の知人宅6F。
面白いことに、花火開始時間の20:20が近づくと、
街中が停電したかのように、電気を消し始め、
花火が夜空にくっきり浮かぶための協力をしている。
私が気になったのは、海岸近くに店舗を構えている、
全国展開をしているチェーン店の対応の違い。
片や、ブルーの看板でお馴染み、コンビニの「ローソン」、
花火大会に協力して、打ち上げ中は看板を消灯していた。
もう一方は、レッドの看板であるファミレスの「ジョナサン」、
こちらは、花火大会などお構いなしに、点灯しっぱなしで、
多くの人たちが集る花火大会に、水を差す形になってしまう。
勿論、店舗の規模や、チェーン店ならではのルールがあるだろうが、
ほんの数十分の消灯が協力(配慮)できないようでは、
その街に住む人たちに可愛がられないのではないか、と心配した。
街に馴染むということは、地道な協力の積み重ねだ、と私は思う。
自分の店の売り上げだけを考えるのではなく、
「熱海」という街全体の活性化を視野に入れた対応こそ、
他市町から訪れた人たちの感動を呼ぶことになることを知って欲しい。
これは熱海に限らず、全国の地方都市に言えることである。



2012年08月07日(火)
「だが『W』でつっかえたな」「わざとさ、私だとわかるように」

映画「英国王のスピーチ」(トム・フーパー監督)から。
現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世の伝記という。
吃音障害を克服して、最後は見事なスピーチを披露するのだが、
その努力にスポットをあてた台詞ではなく、
克服後に、言語療法士と交わした自信に満ちた台詞を選んでみた。
以前の彼の経験から、英国民は息を殺して耳を傾けていたが、
予想に反して、彼から勇気づけられ、拍手喝采の渦。
そんな中、障害克服に共に歩んできた言語療法士が、賛辞とともに
「だが『W』でつっかえたな」と皮肉を言ってみせる。
それに答えて「わざとさ、私だとわかるように」と返すシーン。
私は、2人にだけしかわからない、素敵な会話だと思った。
英国王(ジョージ6世)を演じた、主役のコリン・ファースの顔つきが、
不安に満ちた覇気のないものから、自身に満ちあふれたものへと
変わる瞬間がわかるほど、声にも張りがあった。
「彼は怯えてるんだ、自分自身の『影』に・・」と原因を突きとめ、
「運動や療法も必要だが、心の治療こそ、大切だ」と主張する療法士、
こんなプレーンが傍にいて、英国王は心強かったに違いない。
スピーチ・挨拶が仕事の一部である私も、実はあまり得意ではない。
しかし、彼が演説前に呪文のように唱えた「聞いてもらう権利がある」を
参考にして、私ももう少し自信がつくまで、努力してみようと思う。
今更であるが、さすがに、第83回米アカデミー賞で作品、監督、
主演男優、脚本賞を受賞した作品である。

P.S.
ロンドン五輪に関連して、英国に関する映画を採り上げてみました。



2012年08月06日(月)
飲む時は飲んでよ

週末、夏祭り等イベントラッシュだったが、
夕方から青少年健全育成の補導や啓発物の配布があったため、
「ビール、御馳走するよ」の声に「いや、まだ仕事があるから」と
断ったら、なんと真剣な顔をして叱られた。
「飲む時は飲んでよ」
それは「お祭りなんだから」を前提にした言葉であるが、
逆に、なるほどなぁ、と私たちの事業を振り返るチャンスとなった。
多くの人たちが集る場所だから、啓発運動をしようと考えた私たち、
みんなが楽しんでいる時に、そんな真面目なことされちゃシラケちゃうよ、
と言いたげだった、ちょっとホロ酔い気分の人たち。
どちらも言い分があるが、今回ばかりは、しっかり検証しようと思う。
お祭りの場所で、人が多く集るから意識啓発運動をしようという発想自体、
その雰囲気を壊すことにならないか。
騒ぐ時は騒ぐ、楽しむ時は楽しむ、そして飲む時は飲む。
そんなことを住民と一緒になってすることで、和が生まれることを、
私は多くの経験で知ってきたはずなのに・・と反省した。
でも、まちづくりの基本はシンプル。「楽しむ時は楽しむ」だな。



2012年08月05日(日)
日の丸を背負って走れたことを誇りに思います

わが町出身のオリンピック選手と言えば、
男子10000メートルの佐藤悠基選手。
昨晩から、寝坊しないように、早めに床につき、
早朝5時15分からのテレビ観戦であった。
結果はさておき、レース後の彼のコメントにハッとした。
「自分の実力のなさ」を素直に認めながらも、
「日の丸を背負って走れたことを誇りに思います」と
胸を張って答えた彼が眩しかった。
「誇り」は、私が仕事を進める上での判断基準としても
大切にしているキーワード。
以前、流行のように全国の自治体で実施された「事業仕分け」、
「費用対効果」がクローズアップされたが、本来は、
その事業が全国・近隣市町に「誇れる取組み」かどうか、で
仕分けをするべきだった、と今でも思っている。
これをまちづくりの観点で言い換えれば
「この街に住んでいることが誇り」となるような取組みこそ、
住民が望んでいることであろう。
ジャンルは問わず、何か1つ「誇れる取組み」が、
住民を元気にするに違いない。
「コウノトリ、野生復活」を実現させた兵庫県豊岡市のように。



2012年08月04日(土)
世の中の誰も本当には同情してくれない病気

映画「酔いがさめたらうちへ帰ろう」(東陽一監督)から。
重度アルコール依存症の男が主人公の話だから、
病院で先生が口にした、この病気の定義が面白かった。
「アルコール依存症が他の病気と違うのは」と前置きをして、
「世の中の誰も本当には同情してくれないということです」
これには、納得してメモが役に立った。
他の病気は、多くの人が容態を心配して様子を窺うが、
アルコール依存症は、意志の弱さが原因とみられるからか、
「大丈夫?」と口では心配するが、同情もしていない、
そんな周りの反応を覚悟してください、と言われたようだ。
ところで、主人公が物語の途中で、こんな台詞を呟く。
「母音だけで言うと、さみしいは『あいいい』、
かなしいは『ああいい』」
これは、後になってキーワードになるに違いない、
きっと何かの伏線だなぁ、とメモしたのだが、
結局、謎が解けぬまま、あっけなく終わってしまった。
「戦場カメラマン・鴨志田穣さんの自伝的小説」の映画化と
解説にあったから、図書館で見つけて確かめたい。
意味があるのかなぁ、このもったいぶった言い方。(汗)



2012年08月03日(金)
一番上が、御飯のトロですよ

先日、わが町の地域交流センターで開催された
静岡県主催「ふじのくに子ども芸術大学」の特別講座。
講師「山本益博」氏(料理評論家)の
テーマ「そんな食べ方ではもったいない」は、
調理室の後ろで見学していた大人の私でも、
ハッとさせられることが多くて、楽しかった。
炊きたての御飯と塩のみのおむすび体験は、
「じぶんで作っておいしく食べよう」という先生の考え方と
子どもたちの気持ちがピッタリで、みんな喜んでいた。
「食事の作法や食べ方」も、しっかり学べたと思う。
多くの食材を調理する料理教室は数あれど、
美味しい御飯の食べ方を教えてくれる人はなかなか少ない。
炊きあがった御飯の一番美味しいところは一番上です、と言いながら、
「一番上が、御飯のトロですよ」と言い直した。
講座修了後、挨拶をしながら、この話題を投げかけたら
「だから仏さんには、炊きあがりの一番上をすくってあげるでしょ」
そんな答えが返ってきて、ますます「なるほど」とメモをした。
「美味しいものを食べるより、美味しく食べる方が大切」
「ピカピカの白いものだけを御飯と呼ぶ」
「お米を研ぐ時は、一番最初と一番最後の水が大事」・・
御飯と塩だけなのに、今までとは違う「食育」を受けた気がする。
何度も講義を受けるより、体験に勝る教育はないのかもなぁ。
老若男女が楽しめる「塩むすび」で食育。これって、いいかも。(笑)



2012年08月02日(木)
私もあと13年でそうなるのでしょうか、心配です。

ロンドン五輪、敗者の弁ばかり追っていると、
気が滅入るので、ちょっと気分転換に・・(笑)。
うちなー芸能花あしび「三島公演」
「ちゅら舞紀行」(舞踊集団花やから&創作太鼓衆ニライ)から。
「花やから」という、子どもたちだけによる沖縄舞踊集団、
「花のような笑顔」という表現が正しいのかわからないが、
私には、その彼女たちの笑顔が、たまらなく眩しかった。
「少女たちの元気さ、明るさ、可愛らしさ」って、
こんなに疲れを癒し、元気を注入してくれるのかと驚いた。
実は公演当日、夕方ギリギリまで仕事の懸案を抱え、
精神的に疲れ、会場へ足を運ぶのさえ迷っていた私であったが、
帰りには、足取り軽く三島の街を元気よく歩いている自分がいた。
文化と平和を愛する沖縄らしいリズムと舞踊とはいえ、
少女たちの踊りやお喋りに、そんな力があるものか、と思ったが、
実際に、一番前という特等席で観たこともあって、
彼女たちの息遣い、細かい表情まで、伝わってきた。
さて、この公演を忘れないためには、どのフレーズを残そうか、と
思案していたが、思いついたのは、民謡メドレーの一場面。
お馴染みの「十九の春」を聴いた後、舞台に登場してきた
6歳のみゆちゃん(間違っていたらごめんなさい)が、満面の笑顔で呟く。
「私もあと13年でそうなるのでしょうか、心配です」
おひねりを可愛く集める姿に、会場から満場の拍手が飛んだ。
たまにはいいもんだな、少女たちの笑顔って。(笑)



2012年08月01日(水)
WANTED GOLD MEDAL (求む金メダル)

ロンドン五輪、競技によっては観覧席がガラガラ、
そんな記事を裏付けるように、開催地の英国が焦っている。
敗者とは言わないが、英国大衆紙SUNが金メダルの大きな写真と
「WANTED GOLD MEDAL」の見出しを掲示したようだ。
開催国としては、史上最大規模の選手団を送り込み、
金メダル獲得数4位を目指しているが、悲鳴に変わっている。
「どの競技でもいいから」・・の気持ちが伝わる見出し。
選手にとって、地元英国民の応援がプレッシャーに感じたのか、
それとも、プレッシャーに感じるほど、応援が少ないのか、
原因は私にも判らないけれど、面白い記事だとメモをした。
メダルの色は、ほんのタッチの差、僅かな違いだけで、
メダリストになるだけでも、凄いことだと思っているのだが。
今こそ、民主党の事業仕分けで流行語になった
「世界2位ではいけないのですか?」の言葉を英国に伝えたい。
開催国が常に金メダル獲得の上位にいる必要はないし、
あんなに感動的な開会式をした国なのだから、
これからも、堂々と戦って、その結果を受け止めて欲しい。
金メダル獲得数でなく、メダル獲得数で評価を期待したい。
金メダルだけが、メダルではないのだから。