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しもさんの「気になる一言」
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2010年02月28日(日)
「2」の文字が溢れた、日本の2010年2月

カナダ・バンクーバーで行われている冬季オリンピックは、
金メダルがなく「2」位の銀メダルが最高。
メダルの数は、銀(3)、銅(2)。
これが銀(2)だったら、もう神様の仕業としか言いようがない。
国内に目をやれは、平成22年2月22日の「2」づくしで騒ぎ、
2月末のスポーツニュースで
「宮里藍、開幕「2」週連続V」の見出しを見た。
優勝なのに、目立ったのは「2」。(笑)
行政刷新会議の事業仕分けは第「2」弾へ一般意見募集するし、
エレベーター事故で、駅のEV停止、「2」時間閉じこめ・・
確かに、こじつけかもしれないけれど、
私の脳裏には「2」という文字が焼き付いた。
ネットで調べていたら、面白い記事にぶつかった。
「2個1組で成立する概念」というもの。
有無・開閉(門扉)・白黒・善悪・生死・表裏(方位)・
陽と陰(陰陽思想)・正負・男女(性別)・大小・勝敗・前後・
左右・上下・内外・静動・与党野党(政治界の与野党)
天地・偶数奇数(丁半、数的概念)など。
やっぱり、日本の今年のキーワードは「2」かもなぁ。



2010年02月27日(土)
読書して疲れるようではまだ本当でない。

今回の気になる一言は、私の愛読しているメルマガ
「安岡正篤一日一言 〜心に響く366の寸言〜」から。
2月8日の一言【本当の読書】
「読書して疲れるようではまだ本当でない。
疲れた時、読書して、救われるようにならねばならぬ。」
う〜ん、奥が深いなぁ。
小市民の私たちは、疲れた時に「読書」なんてしないもの。
読んでも、新聞か、漫画。(汗)
でも疲れた時、本を読んで、心が救われるような感覚を持てたら、
どんなにいいだろうか、と思う。
勿論、体力的な疲れではなく、脳が疲れている時であるが、
そんな本をいつも持ち歩いていれば、素晴らしい。
愛読書というより「座右の本」って感じかな。
読書は、時間つぶしや知識習得のためではなく、
疲れを取るためにするなんて言えたら、格好いいなぁ。
この境地になるまで、読書を続けてみようっと。



2010年02月26日(金)
「人生」という文字から、4つの言葉を連想する

書籍「野村ノート」(野村克也著・小学館刊・218頁)から。
さすが、野村ノート、と唸るばかりだった。
メモは、当然のごとく溢れ、仕事にもプライベートでも
役に立つことばかり。
これからも何度か「気になる一言」に登場するだろう。
今回、選んだのは、冒頭に書かれている。
「人生」という文字から、私は4つの言葉を連想する。
「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事・チーム力)
「人を生む」(繁栄・育成・継続)
読む人の「立場」や「環境」などで、意味が違う「人生」、
彼らしい定義だと思ってメモをした。
改めて、辞書を引くと【人生/人世】
1 人がこの世で生きていくこと。また、その生活。
「第二の―を送る」「―を左右する出来事」「―経験」
2 人の、この世に生きている間。人の一生。生涯。
「芸術は長く―は短い」
[類語] (1)生(せい)・生活・日常・現世・生き方/
(2)生涯・一生・一代・終生・畢生(ひっせい)・ライフ
さて、あなたは「人生」をどう連想するだろうか。



2010年02月25日(木)
自分の心を乱さずに対応する力

平成22年2月22日「踏んだり蹴ったりだな」そう思った。
けれど、今は違う。これは「贈り物」だと思えてきた。
私に足りない「自分の心を乱さずに対応する力」を。
自分の日記で「試練」を検索してみると、2件がヒットした。
http://www4.diary.ne.jp/user/446618/
1997/12/30 神様は越えられない試練は与えない
2004/10/20 神様が日本に試練を与えているみたいだね
どちらも、同じようなことを言っている。
言葉として、なるほどなと感じ、一般論としてメモしたのだが、
それを一度、自分の心に入れ、咀嚼し、さらに体験により実感し、
自分の言葉として語るには、時間がかかったということだろう。
今後、どんな辛いことが重なっても、乗り越えられる気がするし、
他人に、自分の言葉として語れる気がしている。
我が家の床の間に飾られている「不動心」と書かれた掛け軸。
約25年前から、そこに掛けられているはずなのに、無関心だった。
しかし、今朝は妙に輝いて見える。
たぶん、表向きはなんら変わらないのだろうけれど、
何かわからないものが、51歳の私の心にストンと、落ちた気がする。
「神に、仏に、義母に、加害者に、そして仕事に」感謝したい。



2010年02月24日(水)
過失割合ゼロの事故こそ、保険屋さんが必要

義母が亡くなる12時間前、平成22年2月22日午前6時半頃。
容態が安定したと判断して、3日前に急遽駆けつけていた娘を
東京での仕事に戻すため、三島駅まで送る途中、
信号待ちで停車していたところを、猛スピードで追突された。
その衝撃は、ここでは表現できないくらいである。
ただし事故の詳細を書くつもりはない。
気になっているのは、加入している保険屋さんの役割である。
私の認識では、保険屋さんの仕事は、
「事故を起こした場合(巻き込まれた場合)の一切の交渉」。
しかし、現実は違う。
完全な被害者(停車中の場合など)、こちらの過失割合がゼロは、
交渉する必要がないため、仕事の範囲ではないようだ。
確かに、理屈はわかる。自分の支払いを少なくする交渉は
何度かお世話になってきたから。
だが、敢えて言うならば、過失割合ゼロのようなケースでも
保険屋さんは交渉をして欲しいと願う。
こちらは一方的に被害を受け、忙しい合間をぬって病院に通い、
心身ともにボロボロの状態なのだから。
逆に、過失割合ゼロの事故こそ、加入者の手間を一切煩わせない
完全な手続きや交渉が望まれる。
今回は、私の誤った認識を記録に残し、今後の糧としたい。
「過失割合ゼロの事故こそ、保険屋さんが必要」



2010年02月23日(火)
娘婿の私は、とてもお気に入りでしたよ

昨年11月から入院し、1度も退院する事なく、
忘れることのない、平成22年2月22日の夜、他界してしまった義母。
最後まで、意識はしっかりしていて、私が手を握ると
力を入れ返して、元気なところをみせようとした姿が懐かしい。
平日のほとんど毎日、私の昼休みの日課となっていた「病院通い」も
もうできなくなってしまったのか、と思うと、ちょっと淋しい。
寒い気温の中を自転車で通いながらも、もう少し温かくなってきたら、
ジョギングでもしながら、病院通いをしよう、と決めていたのに。
この日がいつかは来ることを恐れながらも、
妻と娘、そして実母の献身的な態度に、皆が社会人になり、
どうしても離れ離れになりやすい家族というものを
「義母の看病」を通して、気持ちが繋がったような気がする。
そう言う意味では、命をかけて「家族の大切さ」を気付かせてくれた。
口の中に酸素吸入の管が入りっぱなしで、さぞ辛かったに違いない。
しかし、私が「調子はどう?」と顔を覗くと、何事もなかったように
手を握り、満面の笑顔で迎えてくれた。(涙)
やはり、最後は「ありがとうございました」しか浮かばない。
大好きだった「ジャイアンツと大相撲とマラソン」を肴に、
ほとんど義母の分も私が食べてしまう「うな重」を出前してもらい、
「アイスクリーム」と「三ツ矢サイダー」でお口直しをし、
帰宅する時に、必ず頂くおみやげの「ヤクルト2本」のパターンを、
娘婿の私は、とてもお気に入りでしたよ、おかあさん。



2010年02月22日(月)
平成22年2月22日

朝から、ラジオやテレビで耳にした「2」が並ぶ珍しい日。
明日になれば、みんな忘れるんだろうけれど、
私にとっては、忘れることのできない日となった。
朝から深夜まで、いろいろなことがあり過ぎで
何から書けばいいのか、まとまりそうもない。
「平成22年2月22日」これも、私にとっては「気になる一言」。
ごめんなさい、今日は「ヤクルト」飲んで寝ます。



2010年02月21日(日)
それ(フリース)、どこで買ったんですか?

地元の大型ショッピングセンター内を歩いていたら
突然、若い男性に声を掛けられた。
「それ(フリース)、どこで買ったんですか?」
「えっ?」と振り返ると、
私が冬愛用のお気に入りフリースを指差している。
胸には「WHISTLER CANADA」と刺繍があり、
今回の冬季オリンピック限定グッズと勘違いしたようだ。
確かに、2007年夏、カナダへ行った時に、
英語を一所懸命、勉強した自分へのご褒美として、
今、オリンピック真っ最中の「WHISTLER(ウィスラー)」で、
ゴンドラに乗る前に、現地のショップで購入した。
寒い国の製品だからだろうか、軽いわりに予想外に暖かく、
翌年から、しつこいくらいに着ている一着である。
(日本とカナダでは、体のサイズが違うのだろう、
[Lサイズ」が、ちょっと大きいのが気になるが・・)
「すみません、現地で買ったものなので」と言いつつ、
ちょっぴり自慢の私がいた。ごめんなさい。(汗)
旬が過ぎたら、そろそろ春だし、部屋着に格下げかな。



2010年02月20日(土)
イギリスはコンシードですね

バンクーバー冬季五輪カーリング女子、日本代表が、英国と対戦し、
第9エンドに勝負を決めた瞬間、握手する両チームを見て
解説者が「イギリスはコンシードですね」と専門用語(笑)を口にした。
あまり耳にしない単語だったので、さっそく調べてみたが、
「concede」の意味は
〜を(真実・正当であると)認める, (〜であると)容認[是認]する
〈相手の勝利・自分の負けなどを〉(公式に確認される前に)認める。
なんと、ゴルフ用語として紹介されていた。
相手の次のストロークを免除すること。俗にいうOKボールのこと。
マッチプレーでは、ホールごとの勝敗を決めるだけだから、
相手のボールが明らかに次のストロークでホールインすると考えた場合、
「コンシード」することが認められている、とルールブックにある。
日本ではコンシードするときに「OK」と声をかけるので
「OKパット」などと呼ばれることが多い。
逆に明らかにストロークで相手を上回れないと分かった時点で
そのホールはギブアップとすることも出来る。
そういう意味では「イギリスはギブアップですね」の方が近い気がする。
ただ、コンシードは、相手に敬意を表す意味もあるらしい。
そういう意味では「イギリスはコンシードですね」なのかな。



2010年02月19日(金)
「雨水(うすい)」の前日は「大雪」だった

今日は、二十四節気の1つ「雨水(うすい)」。(冬至から60日?)
この日から「啓蟄」までの期間をさすという考えもあるらしい。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。
それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると言われ、
昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。
そんな「雨水」の前日は「雪」だった。それも原因は「暖冬」だとか。
三寒四温を繰り返し、ひと雨ごとに温かくなるはずなのに、
朝起きたら、久しぶりの「積雪」、
テレビでは雪景色の「バンクーバー・オリンピック」。(笑)
何年経っても思い出せるように、気になる一言。
「『雨水(うすい)』の前日は『大雪』だった」としてみた。
でも、七十二候では「土脉潤起」(つちのしょううるおいおこる)
「土が潤い起る」(雨が降って土が湿り気を含む)という意味がある。
文字を見るだけで、暖かくなってくるのは私だけだろうか。
七十二候は、2/24霞始めてたなびく(かすみはじめてたなびく)
3/01草木萌え動く(そうもく もえうごく)と続く。
なんだか春めいてきて、とても楽しみである。



2010年02月18日(木)
青年の身体が信念でよくならずに、どうするんだ

俳優・藤田まことさんが他界したニュースを受けた。
思い出したのは、2008.03.16に鑑賞した映画「明日への遺言」。
当時の気になる一言には
「『報復』ではありません。『処罰』であります」という
フレーズを紹介した。
今回は、当時のメモを引っ張りだし、彼の演技を思い出しながら、
「青年の身体が信念でよくならずに、どうするんだ」を選んだ。
どんな場面だったか、誰が口にした台詞だったか、
残念ながら思い出せないが、言葉としてインパクトがあった。
今で言えば、青年の身体は、
安全な食品をバランスよく30品食べることで良くなるのではない。
若者だからこそ「信念」で身体を良くしてみろ、というような台詞、
なるほどなぁ・・と思いながら、このフレーズを読み返した。
この言葉が使われた物語の舞台は、規律の厳しい終戦の頃だけど、
「現代」の私たちにも使えそうな台詞だし、
青年に限らず、壮年の私たちにも使える、とも感じていた。
いつの世でも「信念」をもって生きる事の大切さを教えていただいた。

PS.
「愛する人へ遺したいものがある」とサブタイトルのついた
藤田さん主演の映画「 明日への遺言」、是非、観て欲しい。
藤田まことさんのご冥福を祈ります。合掌。



2010年02月17日(水)
介護の3K(感動・きらめき・感謝)

読売新聞を読んでいてメモしたフレーズだったが、
誰の発言だったか、すみません、忘れてしまった。
ただ、印象に残っていたので、ご紹介。
今まで「介護の3K」と言えば、
「臭い・汚い・暗い」とか「きつい・汚い・危険」、
「キツイ・給与が安い・結婚できない」など、
マイナスイメージばかりが話題になるけれど、
本当は「感動・きらめき・感謝」の場になりえる。
これに「高給与」が加われば、文句なしだろう。
これからは、介護の職場だけでなく、どんな職場でも
「3K」(感動・きらめき・感謝)を目指していこう。
働くとは「他人から『ありがとう』を集めること」
やっぱり、これだな、働くということは・・・。
しかし、職業としての「介護」だけでなく、
身内の「介護」も、介護する人が介護される人に
「感謝」の気持ちが湧いてくる。
これが、人間の本能であろう、私としてはとても嬉しい。
できる限り、応援したいと思う。



2010年02月16日(火)
「私」ではなく「私たち」を大切にする

映画「シッコ」(マイケル・ムーア監督)から。
国民健康保険がないアメリカの実態を、
ドキュメンタリーで表現している作品。
国民は民間の保険会社で保険に加入するしかないが、
痩せ過ぎ、太り過ぎで、保険に入れない。
日本とまったく違って、いろいろな理由をつけては
「加入はお断りいたします」と言われるようだ。
また、運よく加入できたとしても、
保険金を支払う段になると、既往症の申告がなかった等、
必ず逃げ道(支払わなくてもすむ理由)を探すという。
これが本当の話なら、住みたいとは思わない。
ある人が、このアメリカについて語ったシーンがある。
皆保険のキューバと比べてのコメントだった。
「大事なことが1つあります。
国が生産性を高め、裕福になれば、その分、
もっとよく国民をケアするべきです。
『私』ではなく『私たち』を大切にする。
その基本ができなきゃ、ボクらは何も直せない」。
世界に向けてリーダーシップを発揮するアメリカだが、
その前に、国民を大切にして欲しい、と心から思った。
いくら「個人」を基本とした国民性だとしても。



2010年02月15日(月)
心を騒がせるな

同級生の実父が亡くなった、という訃報を受け、
仏教の「通夜」に当たる「前夜式」に参列してきた。
(初めての経験なので、言葉の使い方が違ったら、ごめんなさい)
教会での結婚式は、何度か参列したので次第もわかっていたが、
葬式となると、まったく知識がなく、逆に発見が多かった。
賛美歌は何曲か歌うんだろうな、と想像できたが、
何番なのかはわからなかったわりには、歌えたりして驚いた。
(484「主われを愛す」と504「主よ、み手もて」)
そして、今日の「気になる一言」に選んだのは、
「奨励」と次第に書かれた、聖書の一節である。
牧師は「ヨハネによる福音書14章1節〜4節」を紹介し、
教会内に響く、穏やかな声で、その第1節を読み上げた。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」
亡くなった本人や、残された遺族や私たちに向けた言葉なのだろう。
死んだという事に動揺する事なく、心を落ちつかせなさい、
そんな意味なのだろうか。
宗教は違えど「心静かに、この事実を受け入れなさい」という意味では
「仏」も「神」も同じ事を言っているんだと気付き、メモをした。
(これまた、解釈が違っていたら、ごめんなさい)



2010年02月14日(日)
オセロ相手も、誰でもできるボランティア

今年の初め、成人式を終えた成人による読み聞かせで、
2010年01月10日(日)  読み聞かせは、誰でも出来るボランティア
という「気になる一言」を書いた。
今日は私が、その「読み聞かせ」に挑戦。
読んだ話は、地元絵本作家・宮西達也さんの「うんこ」、
お馴染み「北風と太陽」、調子に乗って「ねずみの嫁入り」の3冊。
絵本に集中する、子どもたちの眼差し、眩しかったな。
その後、こども交流館のイベント「オセロ大会」にも参加した。
しかし、集中せずにやったら、幼稚園年長さんの女の子に負けた。(汗)
それからは、手抜きなしで何人かと真剣勝負、大人の凄さを見せつけた。
(大人げない・・と思いながらも、ちょっと油断すると負けるから・・)
先ほどの読み聞かせの時に感じた、子どもたちの真剣なまなざしを、
オセロ対戦でも感じて、メモをした。
真剣に勝負すればするほど、相手も夢中になってくる。
久しぶりに、子どもたちと真剣に関わったけれど、面白かった。
「読み聞かせ」なんて、恥ずかしくてできないよ、という方、
「オセロの相手」は、どうだろう。
これも立派なボランティアである。こちらが夢中になるけど・・。



2010年02月13日(土)
あっ、ここ行った、ここも・・(嬉)

久しぶりに、私の独り言である。
カナダで22年ぶりとなる雪と氷の祭典、
第21回冬季五輪バンクーバー大会が開催されているが、
今までのオリンピックより、関心が高い。
理由は、行ったことのある海外都市のひとつだったから。
私が訪れたのは、2007年の夏。
国際交流(姉妹都市)の仕事で、中学生とともにカナダへ。
姉妹都市は「スコーミッシュ」だけど、
位置は「バンクーバー」と「ウィスラー」の中間点だから、
今回競技が行われている両都市とも、訪れている。
テレビに映し出されるカナダの景色に一喜一憂しながら、
「あっ、ここ行った、ここも・・(嬉)」と独り言。
楽しみ方がちょっと違うのかもしけないけれど、
2年半の経過が、どんなにこの国・この都市を発展させたのか、
自分の目で確かめに行くつもりで貯金してたのになぁ、本気で。(悔)



2010年02月12日(金)
大事なのは、立ち上がれるかどうかなんだ。

書籍「イチローに学ぶ勝利する人の習慣術」
(児玉光雄著・河出書房新社刊・95頁)から。
これは、イチローの言葉ではないが、気になったので。
「負けることを恐れない」の項目で
アメリカンフットボールの名手、ビンス・ロンバルディとして
紹介されていた。前後の文は、
「ノックダウンされるかどうかは問題じゃない。
大事なのは、立ち上がれるかどうかなんだ。
挑戦することをやめない限り、
完全に負けることなんて絶対にない」である。
イチローからは、こうした「負けることを恐れない」姿勢が、
伝わってくる、ということのようだ。
「ノックダウンされる」と当然のように意気消沈する。
それでも、立ち上がってくる気持ちがあるか、ないか。
これが、成功するには欠かせない要素となる。
「立て、立つんだ、ジョー」をリングサイドで叫ぶ
丹下段平の台詞が、思い出された。



2010年02月11日(木)
やってない!! (準備中) やってるよ!! (営業中)

映画「純喫茶磯辺」(吉田恵輔監督)から。
突っ込みどころ満載の人情コメディだけど、
今回のキーワードは「やる」(笑)
多額の遺産を受け継いだ主人公は、
何もしないでぼ〜っとしているのも気がひけるのか、
「女性にモテそう」を動機に、純喫茶・磯辺を開店する。
普通、お店の「OPEN/CLOSE」を表示する意味で、
「準備中/営業中」と両面に書かれた板をひっくり返すのだが、
今回は「やってない!!/やってるよ!!」だったから、メモ。
これだけだったら、取り上げなかったけれど、
主人公が恋したアルバイトの店員は、
ある事情でワザと彼に嫌われようとするシーンがある。
その時の彼女の台詞が「まぁ、私、やりまんなんで」(汗)
当然、彼はこの台詞に驚き、動揺し、嘘も見抜けず、
その後、その台詞に端を発し、店内で事件を起こす。
そんな時、ふっと思い出したメモが
「やってない!!/やってるよ!!」と書かれた看板文字。
偶然だろうか、監督の遊びだろうか、
こんな台詞が気になった私である。



2010年02月10日(水)
雨の日は、雨を聴くこと

書籍「日日是好日」(森下典子著・新潮文庫刊・252頁)から。
サブタイトルは「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」
読みやすく、そのうえ心に残る一冊となった。
15章からなるエッセイだが、章ごとのタイトルがすべて
その章を端的に捉え、インパクトのある一言になっている。
特に選んだのは「雨の日は、雨を聴くこと」
毎日が快晴とは限らない、それは天気でも人生でも同じ。
雨の日は雨の日の、苦しいときは苦しいときの
過ごし方を知ることは、とても大切なこと、
これこそ「日日是好日」なんだということだろう。
雨の日は雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、
冬には、身の切れるような寒さを味わう。
どんな日も、その日を思う存分味わう。
それが「どんな日もいい日」(毎日が良い日)の考え方。
著者は、このことを「お茶の先生」のお宅で見つけた掛け軸に
「聴雨」と書かれていたことで気付く。
とてもいい話である、と思った。
こういったことは、たぶん文字を読んだだけではわからない。
またまた「禅語」「お茶」に関心が湧いてきた。



2010年02月09日(火)
(松蔭先生に)会わせてつか〜さい、桂さん

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。
どうも、土佐弁が耳について離れなくなってしまった。
即刻、レッドカードを出されそうな、シモネタから、
少し進歩したが、それでも、いつもの大河ドラマらしくない
「気になる一言」が続く。
もっと、胸にグッとくるような台詞もメモしてあるのに、
いざ、書こうと思うと、インパクトの強いフレーズが残る。
今回は、龍馬が桂小五郎に、師匠の吉田松陰さんに会わせて欲しい、と
懇願するシーン。
それがなぜか、桂三枝さんの名司会で長寿番組となっている
「新婚さん、いらっしゃい」とダブった。
新婚さんをお招きする時の、桂三枝さんの独特なリズム、
「新婚さん、いら〜っしゃい」と「会わせてつか〜さい」が似ていた。
それも、片方は桂三枝さんの台詞、もう一方は、桂小五郎さんへの台詞。
「桂つながりだぁ」と喜んでしまった。(汗)
こんな視点で、NHK大河ドラマを観ているなんて、失礼かな。(笑)
そのうち元に戻りますから「まっちょって、つかあ〜さい」
えっ、土佐弁でふざけるなって。「わかっちょります」(汗)



2010年02月08日(月)
星たちの背景となる暗闇にこそなりたい

週刊・西洋絵画の巨匠シリーズ
「デューラー」の号(49冊目)で見つけたフレーズ。
誰の言葉だったか忘れてしまったけれど、
「夜空に輝く星よりも、
その星たちの背景となる暗闇にこそなりたい」が
気に入ってメモをした。
夜空を見上げると、空気が澄んでいるためか、
どうしても「輝く星」たちに目がいってしまうけれど、
本当に星たちが輝くためには、背景となる暗闇が必要。
(証拠に、暗闇のない昼間では、星は見ることさえ難しい)
仕事でも、部下たち(星たち)を輝かして、
管理職は、その背景となっている暗闇に徹する。
そんな視点で仕事ができれば、いいな、と思う。
暗ければ暗いほど、星は輝く。
こんなことに気がついただけでも、最近は嬉しい。
黒子の役割がしたくてしょうがない、51歳である。



2010年02月07日(日)
生きるってことは、死なないってことだ

映画「風のダドゥ」(中田新一監督)から。
「ホース・セラピー」を題材にした作品だが、
リストカットを繰り返す少女に、
犬塚弘さん演じる、じい(?)が
「生きる」とは何かを淡々と伝える場面がある。
生きているということが、辛い、苦しいと呟く彼女に
「生きるってことを難しく感じるんじゃない。
生きるってことは、死なないってことだ。
ただそれだけでも大変なことなんだよ」と諭すシーン。
これって、本当に単純だけど、わかりやすいな、と思う。
「生きる」ことを真剣に考えてしまうと、
どうして、生きていなければならないの?と
答えがない問答にハマってしまう。
死なないで生き続けることは、簡単そうであるが、
実はとても大変であることに気付く人は少ない。
そんな意味を含めて、
「生きるってことは、死なないってことだ」のフレーズは、
私の記憶に残った。
舞台は、広大な緑が広がる熊本の阿蘇山近く。
馬に乗って駆け回ってみたい、そう思わせるロケーションに、
自然のふところの大きさを感じた作品であった。



2010年02月06日(土)
あんな化け物に、刀は通用しません

NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。
黒船を間近に目にした、桂小五郎と坂本龍馬は、
カルチャーショックを受ける。
(人の意識を変えるのは、これしか方法がない)
それを伝える龍馬の表現が、
「あんな化け物に、刀は通用しません」
自分は、剣の道を究めたいと江戸に修業に来たが、
剣で勝てる相手ではないことを知り、愕然とする。
「もし異国との戦になったら、剣は役に立たん」と
千葉道場の道場主にモノ申すシーンは、笑えたが。
「時代遅れだというのか!」と大きな声で突き放す
息子・千葉重太郎を横目で見ながら、
道場主・千葉千葉定吉こそ、本当は一番納得し、
この時がきたか・・と悟っていた気がする。
しかし、自分の立場、社会での役割を考えた時、
それを認めたくないことも理解できる。
私としては、黒船の凄さを黙って認め、
武器としては、役に立たずとも、
黒船と戦う人たちの心を強くする手段として、
剣術の修行は、役に立つと考えているのだが・・。
(今風でいえば、メンタル・トレーニングとして)
今後、千葉道場がどうなるのか、違った意味で興味がわいた。



2010年02月05日(金)
誉められたら「ありがとうございます」

書籍「仕事で疲れたら1分間だけ読む本」
(成美文庫・松本幸夫著・189頁)から。
生活するためのヒントが溢れていた本であるが、
特に、なるほどなぁ・・と思ったことがこれ。
誉められたら「ありがとうございます」と口にする。
けっして「たいしたことありませんよ」とか
「いや、私なんてまだまだです」は言わないこと。
誉められると、こそばゆいというか、照れてしまって
ついつい、謙遜してしまうのが、今までの私。
なにもこんな場面で、誉めてくれなくてもいいのに、と
感じることもしばしばであったし、
それが、日本人の文化だと勘違いしていた。
しかし、それは誉めてくれた人に失礼になると思い直した。
素直に「(誉めていただいて)ありがとうございます」
と受け入れれば、それでいい。
嘘か真実か判断できない潜在能力には、
謙遜していることさえわからないから、
やはり、誉められたら「ありがとうございます」。
これは、今日から直したい習慣である。



2010年02月04日(木)
「無事」

書籍「心が晴れる禅の言葉」
(赤根祥道著・中径の文庫刊・222頁)から。
私たちは、何事もなかったことを「無事」という。
禅は、さらに一歩踏み込んで、
何ものにも振り回されない自分であることができた時、
「無事」だという。
人は、我欲や名利に振り回されて、
自分をどこかへ吹き飛ばしてしまっているが、
何ものにも振り回されない「無事」を目指して生きたい、
そんな解釈で紹介されていた。
う〜ん、奥が深い。
「今日も無事に一日を過ごすことができた」は、
「今日は何物にも振り回されず自分で判断できた」と
同じ意味なんだと知り、これから毎晩寝る前に自問したい。
「今日は『無事』に過ごせましたか」
「はい」と答えられる日を増やしていくことが、
禅の言葉を理解するうえで、一番の早道かもしれない。
読むだけではダメ、実践して覚えたい「禅語」である。



2010年02月03日(水)
じゃぁ、のちほど〜

映画「R246 STORY-弁当夫婦」(ユースケ・サンタマリア監督)から。
原宿・渋谷といった繁華街を沿道に持つ「国道246号線」を題材に、
6人の著名人がメガホンを取ったオムニバス・ムービーのひとつ。
始まって5分くらい台詞なしで黙々と料理を作る、女優・永作博美さんは、
料理が上手なんだな・・と惹き付けられる。
その彼女の口から、何度となく発せられた「じゃぁ、のちほど〜」は、
文字にすると「じゃ、後ほど」であるが、
なぜか気だるそうな、いや事務的な会話のリズムまで耳に残っている。
ひとつの物語が20分ほどの長さなので「弁当夫婦」のタイトルに
てっきり、倦怠期を迎えた夫婦だと思っていたら、まだ同棲中だった。(笑)
場面や登場人物の設定が、理解できないまま、物語後半を迎えて、
やっと、そうか、そういうことだったのか、と全体像がわかってくる。
そんな時、彼女の口癖が、再び思い浮かんだ。
「じゃぁ、のちほど〜」
まさか、わからない部分は、後ほどわかるようにしてあります・・という
キーワードではあるはずがないのに、妙にハマった気がする。
今度は、ユースケ・サンタマリア監督のもう少し長い映画を観てみたい。



2010年02月02日(火)
自分の生きた証、残しませんか

今、ある年配女性の「自分史」制作を手伝っている。
と、言うよりも、私が勧めたのであるが。(笑)
私は「てにをは」や「文体」などのチェックをし、
本格的な出版物としての「自分史」ではなく、
近所の印刷屋さんに頼んでつくる「冊子」みたいなものでも
残してあげたい、と心から思っている。
思い出しながら書いているときが楽しくて、
既に何人かに「自分史のすすめ」をしているらしい。
以前、私が是非、名刺の肩書きにしたい、と夢みた
「思い出プランナー」が現実のものになった気がする。
その人が生まれ、この世に生きた証はどんなものでもいいが、
子どもだけは違う気がしている。
もちろん、その人が育てた「生きた証」には違いないが、
それでは、ちょっと淋しい。
禅の世界では「何も残さない」生き方が尊ばれているが、
私は小市民のため、何でもいいから、残すことを勧めている。
未完成をいっぱい持っているより、完成品を1つ持って欲しい。
彼女に勧めた時のフレーズが気になる一言。
「自分の生きた証、残しませんか」

しもさんの「気になる一言」
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/40832/diary.html

約束通り、2009.10.25から書き始めた日記
しもさんの「五行歌・あいうえお作文」。
http://shimo357.blog87.fc2.com/

ホームページは「ようこそ Shimo's Cafe へ」
(知らない間に、引っ越しました)
http://shimo357.web.fc2.com/



2010年02月01日(月)
「子ども手当」は、社会保障?経済援助?

話題の「子ども手当」、児童手当のシステムと絡めてから
なんだか、ややこしくなってきた。
児童手当は「社会保障」として考えているが、
子ども手当は「次世代の社会を担う
子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する」観点から、
制度が創設されるはず。
言い換えれば「経済援助」のシステムのイメージが強い。
「子育て支援」を御旗に「社会保障」と「経済援助」を、
一緒に考えようとしているところに、
この問題が複雑化している気がしてならない。
「社会保障」とは、辞書によると
「国民の生存権の確保を目的とする国家的保障。」
うん、それなら、仕方がない。
税金の滞納があっても「全額」扶助することに異論はない。
しかし、子育てにはお金がかかるから・・を理由に
「経済援助」するならば、
税金、給食費等の滞納額は、そこから差し引かれるべきだろう。
その点が「社会保障」と「経済援助」と違う。
所得制限の問題も、この違いがわかっていないから生じる。
さて・・どこで決着がつくのやら。
大所高所からの判断を期待したい。