| 2003年03月15日(土) |
◆安全面に関する問題への異議・5(まとめ2) |
【まとめ・2】
■<安全面に関する問題への異議>
少林寺が安全対策に目を向けだしたのは、1973年/昭和48年の東海学生新人大会以後である。
この事故は順蹴りを試みた一方に、もう一方が放った上段突き(順突きか逆突きは失念)が顔面に当たり、倒れた際、後頭部を打ちつけて死亡したものだ。
鈴木義孝先生(現代表)がその時現場に居合わせ、「バターン!という凄い音が体育館中に響いた」と言われていたのが記憶に残る。
私は事故発生後ただちに現地に赴き、対戦校の両主将、関係者等から事情を聞いた。対戦相手であった当事者本人は柔道経験者の立派な体格の拳士であった。審判に問題があったにせよ、こと事故に関しては、試合中に起こった不幸な出来事と言わざるを得ない…。
■これ以後、安全対策は後頭部対策という流れになり、大会での乱捕りは畳で行うとか、暫くした後、ヘッドガードが開発されたりもした。しかし結局、関西学生大会1981年/昭和56年に起きた死亡事故により、顔面を強打されれば脳障害=死亡は避けられないことが、いみじくも証明された。
1982年/昭和57年、第1次乱捕り検討委員会が出した結論は(色々な特色があるが、安全面では)上段は寸止めであった。
歴史として乱捕り問題を振り返る時、その4年後の1986年/昭和61年、運用法として旧来の乱捕り(グローブで上段を当てる方式)を昇段試験に復活させたことは信じられない失政であった。
当時、私は神奈川県連の理事長であったが、神奈川での昇段試験は上段寸止めを徹底した。他県ではこの時、グローブ乱捕りによる事故が少なからず発生したと聞いている。
曰く、「始め!」の号令でいきなり飛び二連蹴りをした者がいて、その蹴りがアゴに当たり怪我をした。曰く、上段突きが顔面に当たり、脳震盪を起こして試験を中止した、等など…。
旧来の乱捕りを昇段試験で行うということは、つまりグローブ乱捕りが解禁されたに等しかった。(危ない!)と直感した。
■1987年/昭和62年頃だったと思う。本山の武専講師会議であった。
私は昇段試験乱捕りの安全対策として、面の装着、あるいは上段は当て止めにするようにと提言したのだが、一人の賛同者も得られず一笑に付された。安全面に対しては、まだまだそんな雰囲気であったのだ。悲しかった…。
どうしても耳を貸さない組織…。半分心配、半分苛立ちの気持ちになって、翌年の指導者講習会で、宗由貴会長(現総裁)宛てに、手紙仕立てで感想文に死亡事故再発の警告文を書いた。
なんとしたことか…数ヵ月後、心配が現実になってしまった。
…今回、乱捕りの一連のことを「書きたい放題」で綴っていて、忘れていたこと、懐かしかったこと、嬉しかったこと、怒ったことなどが次々と思い出される。まさに感情がジェットコースターのように上下動させられる。しかし、学生拳士が死亡した件に書き及ぶと、悲しい感情が甦って来て…とても、とてもやるせない…。
■事故の学生は神奈川県の人であった。私は立場的に関係なかったが、葬儀に参列した。
おそらくクラブの仲間であろう、学生達の誰れもが泣いていた。私もその人の遺影に頭を垂れると、涙が止まらなくなった…。今こうして書いていても、当時と同じ感情になってしまう。申し訳ないと思うのである…。
第3次乱捕り検討委員に任命されて、旧乱捕り形式の撤廃を訴えた。また、上段はいかなる場合も寸止めが再確認された。昇段試験において面を着ける姿が見られるようになったのは、これ以後である。
前にも書いたが、これ以後の乱捕りに関わる推移については詳しく調べなかった。他日に譲る…。
■さて昨年、衝撃を緩和する面が関係者の努力により完成した。胴と金的カバーを合わせて本部公認防具となった。乱捕り問題も含め新しい局面を迎えた。
しかし確認したい。少林寺では安全問題が生じる以前、本質論において乱捕りの扱いには結論が出ているのである。これは後述する試合の問題にも関連する。したがって、本質論を歪める安全論であってはならないのである。
ところで、果たして本防具は安全であろうか…。
元々旧乱捕り様式にしても、安全を考慮した防具だったのである。グローブを着ける意味も、乱げいこを行う上でもし当身が上段に当たっても安全にという配慮からであった。このことは「私の主張/活人拳の考察」で述べた通りである。
*「元々、少林寺で乱取りにグロ−ブを着けたのは、相手に対するいたわりの心からであり、三日月を当てる最中に、多少拳が当たっても大丈夫な配慮からであった。ところが、大会が盛んになるにつれ、グロ−ブを着けたことが、逆に相手の顔面を思い切り叩いても良いという風潮に変わってしまった…」と言わる。また、「少林寺の乱取りで、面を着けてまで顔面を蹴らない訳は、グロ−ブで守った胴を蹴ることは大変難しい。その一番難しいところを蹴ることが出来れば良いと考えたからなのである」(先生のお話の前提は、旧乱取り稽古の様式、すなわち、12オンスのグロ−ブとファイバ−制の胴を着用した乱取り)。」
文中の先生とは中野益臣先生を指す。
■運用法については、本部を含み指導する側が意識を変え(少林寺の本質を踏まえ)、対戦形式を放棄しない限り解決することは望めない。頭部外傷の危険はいつまでも付きまとうであろう。たとえ攻撃と防御を限定しても、後述するが試合となれば、対戦という意識が生まれてしまう。
特に頸部損傷が多発する予感がする…。
法形の練習、例えば目打ち、手刀切り、熊手打ち等を含む法形の習得。あるいは限定、自由な攻撃を受ける練習に活用すれば有効であろう。その際は手加減するであろう。しかし、当て止めという非常に中途半端な内容を“立会い評価法/対戦形式”に残せば危険である。
体重100kgの人と50kgの人の力加減は物理的に違うのである。また、心理的に(俺はこれくらい)の“これくらい”が、人によりずいぶんと開きがある。この辺にも、カッとなる下地があるのである。
もうひとつ、劣悪な条件/指導者不在の拳法部が多過ぎる。新型防具の開発によって、かえって毎日、毎日面を叩かれるようになって、首は大丈夫であろうか。
せっかく長い時間をかけたのに…心配である。
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