| 2003年03月17日(月) |
◆試合に関する見解への異議・6(まとめ3) |
【まとめ・3】
■<試合に関する見解への異議>
「試合」という字は、「はたし合い」の上の字が切れて“仕合”となったのでは、という考え方がある。だから昔の武芸者のシアイとは、殺したり、片輪(差別用語だがあえて記す)になったりする殺伐としたものだったのだろう。
もっとも、江戸中期頃は技を試し合うという考え方が芽生えていたようで、まさしく仕合から試合に変じていったのである。
ではあるが…現在に至るも、最高のスポーツマンシップが求められるオリンピックのボクシング“試合”において判定を不服とし、同じマット上で双方の関係者が入り乱れ、殴り合いのケンカが演じられている。
試合に勝つこと…。そこに名誉欲や出世欲や金銭欲がからむと、人間の業とは悲しいものである。
■少林寺でも、過去、母校の名誉を背負った一歩も引けぬ大会が行われていた。それは演武種目より乱捕り種目において激烈であった。
「君等のは試合ではない。“殺し合い”だ」と、学生当時、本山合宿において田村道明先生に揶揄されたものである。
開祖はカッパブックスで「少林寺には試合がない」と記述されている。開祖のいわれる試合とは対戦形式を意味する。あるいは、昔の武芸者と同様、仕合であったかもしれない…。
会報二月号で試合・競技に関して気になる個所が二箇所ある。ひとつは、「度を越した競争の弊害を指摘していた開祖/28〜29ページ」という一連の論調。
■「度を越した競争の弊害を知っていた開祖…」は変である。
競争であろうがなかろうが、どんなことでも度を越すのを良くないことは誰でも了解している。「競うことは決して悪いことではありません(以下略)…」という個所も同様である。
開祖は対戦形式、ないしその精神状態から生じる“乱捕りを主にする弊害”を警鐘されているのである。種類によっていけない競争があり…それが稽古でない乱捕りなのである。度を越すという問題ではない。
また、「少林寺の大会における演武は体操やアイススケートの様にペアで採点される(要旨)」と自慢されたことからも分かる通り、一律に競技を否定された痕跡もない。
開祖の個々の言動もつなぎ合わせ方によって、ニュアンスが異なってしまう場合がある。会報の論調では裏を返せば――度を越さなければ乱捕りの競争も良い――と聞こえてしまう…。
■それというのも、もうひとつの個所である。
*「…死亡事故をきっかけに、1982(昭和57)年から大会における運用法(←乱捕りが正しいであろう)は中止になっています。正確には運用法自体が禁じられたわけではないのですが、トーナメント方式のそれが禁じられたのです。」
これは…どうしたことであろう。未確認であるが、この部分は第2次乱捕り検討委員会の答申にあったものではなかろうか。
死亡直後に発足した第1次乱捕り検討委員会の答申書にはこうある。
*「乱捕りは試合や競技ではなく、法形を修得するするための一修練方法であり、相手との間合いや虚実、技の連絡変化などを習得するために行う応用法形であることを十分認識させた上で行わせる。」(乱捕り指導の要諦の第一項)
第3次乱捕り検討委員会でも、そう(トーナメント方式のそれが禁じられたのです)とは言っていない筈だ…。
■安全が確保されて、もし“トーナメント方式以外の試合なら良い”と考えるのは落とし穴である。ここが踏ん張りどころである。
拳士の精神を正しく法形・演武の方向に向かわせる為、過去の失敗を踏まえ、試合と競技に関し正しい見解をもって頂きたいものである。
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