道院長の書きたい放題

2002年07月08日(月) ◆(続)鬼(技)!を考える

 考えてみれば、鬼のような酷い仕打ちに対して「人でなし!」と言うところに、問題の本質があります。人であって人ではない…。しかし、「佛」も「ひとにあらず」と書きます。同じ人間でも片や仏に、片や鬼となるのです。その境はどこにあるのでしょう…。

■ 山口県で起きた「母子殺人事件」の被害者の夫。善良な市民である彼は、「…司法が裁かないのなら、私がこの手で“殺す”!」と言い切りました。もし、法律が整備されていない時代であったなら、彼は一夜にして本当の鬼となって、地の果てまで犯人を追い続けたでしょうね…。

おりしも、間もなく「スターウォーズ・エピソード2」が上映されます。以前、掲示板でもこの問答を行いましたが、今回、アナキン・スカイウォーカーが何故、暗黒面に落ちたのかが明らかになるといいます。どうなるのでしょう…。

■ 最近、久しぶりに?武道・格闘技関係の本を読みましたら…驚きました。『船木誠勝・リアル護身術』には随所に“噛む”という言葉/反撃技が書かれてあるのです。「そうかなー?」と以前の護身術関係の書を調べましたら…中には金的や目に対する攻撃の記載はありました。けれども、噛むという行為はありませんでした。

また、船木氏の金的や目に対する攻撃内容は、噛むことに劣らず大変厳しいものです。あれでは潰れてしまいます! どちらも…。しかし、これだけ防御の立場である護身術の反撃技が厳しいということは、攻撃技、攻撃者が予想を上回るほどの暴力的な進歩?を遂げたということなのでしょう。

■ 子供の頃、プロレスがありました。元々ボクシングの国から来た格闘ショーなのに、ボクシングを売り物にするレスラーはいなかったと記憶しています。ですから、打撃技である空手(チョップ)の出現は新鮮でした。また、噛み技専門?のブラッシーと力道山の闘いは流血につぐ流血で、お年寄りが心臓麻痺を起こして死亡したとかしないとか…。しかし、プロレスはまだショーと分かって観ていました。

高校生の頃、キックボクシングがテレビに登場しました。極真館がフルコンタクト空手を提唱し、これもマスコミで取り上げられ始めました。いずれも、ボクシングに代わる真剣勝負の打撃試合でした。

過去のない現在はありません。マスメデアの発達に伴い、競技スポーツ、武術、格闘技、アマ、プロ、様々な立場、あるいは国が「強さ」を追求して入り乱れ、それがだんだんと積み重なって、ついには90年代アメリカで行われたアルティメット大会(金的、目、噛む以外なんでもあり)で先祖返りを果たしたのでした。

もっとも、ブラジルではそれ以前から“ヴァーリートゥードゥ”という試合が行われていて、『木村政彦/わが柔道』の文中には、「…グローブをはめず、素手で殴り合うから、眼に二、三発もろに食らったら最後だ。肘打ちで直撃されて眼球が半分とび出し、救急車で病院に運び込まれた例は数え切れないほどあるそうだ。だから、会場の入り口にはいつも救急車が二台、待機していた」(昭和34年頃?)と自身の死闘の話と共に、その実態が語られています。

■ ボクシングが素手の拳闘から安全なグローブファイトになったというのに、ヨーロッパではボクシング自体を禁止にしている国があります。また、フランスでは暴力的であるという理由で、今回、K1パリ大会で“膝蹴り有り”なら公共施設を貸さないという話になったといいます。K1はすでに肘打ちは禁止です。

鬼の世界に通じる道…。

開祖はご法話で、こんなことを言われたことがあります。「私は君達に教えていないことが、まだまだ沢山あるのだよ」(要旨)。それを聞いていた聴講生一同、古い先生方も含め「へー!」と驚いたものです。多分、鬼技があったのでしょう。あの当時での修行ですから、素手、及び武器で人間をどうこうできる技を先生は沢山知っており、その上で人間完成の行に相応しい技とそうでない技を取捨選択されたのです。 

今、武技・武道の価値観の多様さで、少林寺拳法の修行が難しくなっていると考えられます。いっそうの警戒が必要です。我々の在り方に誇りを持って、先生が捨て去った(鬼の)世界がよみがえらない様にしたいものです。


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あつみ [MAIL]