| 2002年06月10日(月) |
◇マイク・タイソン考 |
マイク・タイソンを語ることは、人生における“師の存在の大切さ”を知ることになると思います。
■ 本日の新聞でマイク・タイソンが世界タイトルマッチに失敗したことを知りました。タイソンは今年で35歳、まもなく36歳になるといいます。報知新聞の記事が印象深いですので紹介します。
『時代の移り変わり、厳しい現実をタイソンも迎える時が来た。…反則を封印、クリーンファイトで王者に立ち向かった。ゴングと同時に攻撃をしかけ初回は上々の立ち上がり。しかし、2回に早くもスタミナ切れの兆候が見え始めた。その後は王者のパンチを浴び続ける展開に完敗を認めた。「ルイスは本当に強かった。誰も私に(王座挑戦の)チャンスを与えようとしなかった。チャンスを与えてくれたルイスに本当に感謝したい」罵(ば)声を飛ばし、乱闘まで引き起こしたライバルとリング上で抱き合った。そして相手の実力を認め、主役の座を譲り渡した。…「あんたは素晴らしいボクサーだ。チャンスを与えてくれてありがとう」。試合後のタイソンは潔く敗戦を認め、1月の会見でルイスの足にかみついた非礼をわび、敬意を表した。勝利者インタビューを受けるルイスを穏やかな表情で見つめる姿は、衰えさえ感じさせた。』
■ アメリカでとてつもなく強いヘビー級のボクサーがいる!という情報は確か16〜7年前頃…写真誌「フォーカス」で目にしたのが始まりです。その後、映像でも見かける様になり、これは凄い!と驚いたものです。
「俺のボクシング人生で、あの若造が鼻っ柱に見舞ったパンチほど強烈なやつはない」というような事をある対戦者が言っていました。パンチをフォーメーション化しているとか、ウォーターサンドバッグを打っているとか、数々の話が漏れ伝わって来ました。
タイソンは彼の恩師であるカス・ダマトに見出されてボクシングの才能を開花させました。
ダマト氏の実力は今朝の読売新聞によれば、「2人(タイソンとルイス)の初めての出会いは1983年。アマチュアの少年ボクサーは3日間スパーリングを繰り返した。別れ際に当時タイソンのトレーナーだった名伯楽、故カス・ダマト氏は『いつの日か2人はタイトルをかけて戦うだろう』と言い残した。」という逸話があるくらい凄いそうです。
タイソンは彼を深く敬愛していたのでしょう。当時の彼のグローブの親指の辺りは破れていたと言いますが、「お前は(180cmでも)小さいので、ディフェンスをしっかり覚えなければやって行けないよ」というアドバイスをしっかり守り、グローブをチンから放さないように噛んでいた為だといわれています。
■ タイソンの人生が狂って行くのは彼/ダマト氏を失って以後で、元々のタイソンはハト好きな少年であったという一面の持ち主でもありました。
90年、日本武道館でのジェームス・ダグラス戦に10R・KO負けをきしてタイトル失い、転落の軌跡が始まります。それでもまだ、復帰戦では開始ゴングと共に十字架を切るタイソンの姿があったのです…。
一試合のファイトマネーが、今回でも20億円を越えるお金が手に入る世界。ボクシングしか知らない二十才そこそこの若者に、金の亡者共が群がりました。彼の転落を全く彼自身のせいにするのは、ちょっと酷なような気もします。
ダマト氏が逝った時、タイソンはどんなに悲しみ、絶望したことでしょう。もし、伝記映画が出来るとすれば…あの復帰戦で十字架を切るシーンに、「オヤジさん!俺に力をくれ!」と言わせます。私が監督なら…!
もう一度観たいですね、タイソンの試合は…。
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