道院長の書きたい放題

2002年06月04日(火) ◆道院長研修会での質問!

6月1〜2日の(最終)道院長研修会に出席して来ました。今回、出発前から、「中野益臣先生の件を質問をする!」と腹に決めていました。そして前夜、質問内容を盟友である作山吉永先生と充分に検討しました。

■ 当道院は紹介欄にある通り、毎年5月、湘南誠志、板橋菩提樹、茨城高萩道院と共に合同で中野先生の有段者講習会を開催して来ました。発案者は私。ですから横浜からスタートして、多くの拳士が楽しみにしていた行事です。

この合宿は89年、宮田先生主催のニューヨーク合宿が行われた際、中野先生ご夫妻にお供する形で、岩田、鈴木、作山、渥美と共に、門下生四名を含む八名で参加したのが始まりの元です。東海岸と西海岸の両方に行きましたが…非常に楽しく、思い出に残る合宿でした。

帰国後、「海外拳士がこの様な合宿を行っているのに、国内にいる我々が出来ないのは恥ずかしい!」とばかりに先生のご理解を得て、翌々年91年から始まりました。その後、持ち回りで98年まで途切れることなく続きましたが、ご子息の急逝に伴い、またこの頃から名称問題がこじれ始め、残念ながらその後は休止して現在に到っています。

■ したがって私達としましては、一刻も早く講習会の再開が出来る様、謹慎処分の解除を待ち望んでいたのです。しかし今回、期待を打ち砕く如きの処分が出ましたので、万止む終えず、以下の質問を決行しました。

「今回の先生の出来事は、先生の教えを受けた者の一人として大変残念に思っています。今回の措置の一項に『(中野先生と)接触してはならない』とありますが、これは“先生の技法を継承したいという気持ち”を妨げるものではありませんね」。

本山からの解答の詳細に立ち入ってしまうのは、はばかられますので…かいつまんで述べます。副代表・牧野先生は「立場上なんとも言えません。心情的には理解できます」(要旨)。代表・鈴木先生は「(質問を誤解されたようで、講義終了直後の話し合いで)中野先生への気持ちをどうこうするとは言えません。本件は(先生の指導再開の)余地は残しています」(要旨)との解答がありました。

■ 二日目、講義の合間?に書いた私の感想文を載せます。

「…私の中野先生の質問の件を補足しておきます。先生への措置は残念ですが、一項に『接触(?)してはならない』とあります。しかし、先生の足跡をかんがみるとやはり、これ(先生の技法)は、少林寺拳法の財産であると言わざるを得ません。今回、森道基先生が他武道の雑誌に武道理論を発表されていますが、これも拳士にとってうれしいことであり、益することになります。しかし、上述の措置がいつまでも続くと、もし先生に何かあったりするとその損失は計り知れないものとなりましょう。

法縁あって、中野先生に御指導を賜った者の一人として、出来るだけ長く先生から技法を受け継いで行かなければならないと、ただでさえジュクジたる思いでいたのに…です。ですから私は、出来る範囲で先生の技の研究をし、HPで発表して行きたいと思っています。そんな気持ちからの発言でした。

(差し障りがありますので、一部削除)。…中野先生の技法の価値については、先生の技法は少林寺拳法は“宗門の行”であり、したがって不殺不害を特徴としていますが、まさしくそれを具現している所にあると考えます。そして、先生は一つの技について、何が基本であるのかを上述の事と整合性を持たせた素晴らしい“指導法”をお持ちです。私はその指導法がすでに、上手く言えませんが“技術”であり、指導法研究の材料となると考えます。以上 乱筆乱文失礼します」(原文ママ)。

取ったコピーを眺めますと、本当に…乱筆乱文ですね。事前に書いておけば良かったです…。

少林寺部内に隠れキリシタン?を発生させない為にも、是非ともこのような立場を尊重して頂きたいものです。

■ とにかく、今回の件は少林寺史に残る重大な出来事でしょう。開祖のご令嬢が“破門”になったのですから…。処分される方も地獄なら、処分する方も地獄ですか…。

辛い浮世の努めを終えて…あの世とやらに行ったなら…また開祖にお会いして(また叱られる?かもしれないけれども…)、皆で楽しく少林寺拳法をやりたいな―。

涙が出て来た…。と打ち込んだら…涙が止まらなくなった…。


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あつみ [MAIL]