道院長の書きたい放題

2002年04月19日(金) ◆運用法(乱捕り)に関する資料を読んで!

久しぶりにアップしました。かなり重大な問題です。

■ 先月、本山合宿に行って来た学生が乱捕りの指導要領のコピーを持って来てくれました。全部で16ページ、かな? 表紙がありません…?

中身を拝見しました。言葉になりません…というより、私の考えと大きな隔たりを感じてしまいました。これを論じる前に素朴な疑問として、何故この文章が先に学生に渡ってしまうのでしょう。監督、指導者へ事前に配布されてしかるべきと考えます。そうしたら、ここの表現、あそこの疑問と、より良い意見が吸収されたでしょうに…。

■ さて、本文の始めのページに、演武についてこう記されています。「少林寺拳法のすべての要素を取り入れ、相手と共に上達を楽しむ『自他共楽』の精神を学ぶプロセス」と…。

そうでしょうか? 私は「(演武は)少林寺拳法の精神を具現したもの」と考えます。演武を、乱捕りの指導要領の冊子中でこんなに簡単に規定してもらいたくありません。なにより、演武の指導要領/研究をこそ、先に作成すべきでしょう。

ご承知の通り、『自己確立』『自他共楽』『理想郷建設』は少林寺拳法の掲げる三大スローガンです。この目標を、少林寺型の人格を通じて達成しようとするのが開祖の目指されたもの/金剛禅であり、つまり、個人格の理想像と組織の目指す理想は不可分の関係なのです。もし、それに乱捕りが大きく貢献するなら、開祖は教範中に4ページにもわたっての警鐘は書かれなかったでしょう…。

本文からは、法形・演武が主行という位置付けが感じられません。もっとも、現在では「基本→法形→乱捕り→演武」という位置付けですから…こうなるのでしょう。

■ 対ロシア外交における基本政策/四島返還論に、いつのまにか二島先行返還論が浮上し、それがロシア側から二島返還で決着になりかねない事態を引き起こしています。S代議士は論外として、国家を思うもうひとつの政策であったせよ、二元外交はしてはならないのです。それでも基本を変えるなら、全国民の意志を反映させることに、どなたも異論はないでしょう。

法形・演武を主行とする修行形態/人格完成の行はどの武道にも見られないもので、乱捕りに偏重しかねない「基本、法形、乱捕り、演武」という修練論は、我々拳士に大きく関わる重要な政策変更であると強調しておきます。(続く)


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あつみ [MAIL]