道院長の書きたい放題

2002年03月26日(火) ◇七転八起の負け方

 昨今の政治スキャンダルから、負けることを考えてみました

■ 私は五冊プラス復刻版一冊の教範を持っています。その中に、「九転十起」という開祖の直筆を頂けた一冊があります。これは、私が増徳道院で修行していた頃、多分、皆勤賞を出すほどの拳法バカぶりに、二代目道院長となった広木一隆先生が呆れて、ついつい(?)「渥美君これ上げるよ!」と下さったものです。その教範に、当時、道院に通われていた元東大少林寺拳法部監督/OBの滝田清臣先生が「管長のサインを貰ってきて上げる!」という事になって、今、手元にあります。

さて、先生のこの「九転十起」という言葉はご法話でも話されています。「…九という数字は一番最後という意味であり、十はそれが元に戻ることを表している。私は七転八起どころではない、もっと多くの失敗をしたが、不屈の精神で戻る/克服して来たのだよ!」(要旨)。確か…このお言葉は、黒板に書きながらご法話されたと思います…。

■ 「死なない(生きてる)限り負けではない!」「負けたと思わない限り負けではない!」と、開祖は勝つことよりも負けない精神を強調されました。ですから、この「書きたい放題」の中で石田三成のことを、

『石田三成は、非常に生/生き延びるのことに執着しました。これも史書を読んで、古今の英雄たりといえども何度も死地に追いやられ、でも、危機一髪ギリギリのところ、生を諦めないで生き抜いて勝ちを得た故事を学んでいたからでしょう。三成は結果こそ得られませんでしたが、死ぬまで負けを認めなかった態度は、少林寺の拳士魂と通じるものがありますか…。』と書いたのです。2001.11.15

■ しかし、昨今の政治スキャンダルを見ていますと「(案外)負けっぷりも大事かな…」などと思ってしまいます。

日本歴史の英雄の中で、負けっぷりが良いのは誰でしょう? 私は信長を推します。「是非に及ばず!」と言い放ち(叫んだのか、静かに言い放ったのか興味があります)、奮戦後、自害しますが、骨一片も残さずに歴史の舞台から消え去ったのは見事です。光秀の緻密さを良く知っていた信長は、敵を知った瞬間、「これは…逃れる術がない!」と死を悟ったのでしょう。

将棋で面白い話があります。「これまで!」と投了し、ではと検討の段になったら自分の方に勝ちがあり、それはそれは悔しがったという実話です。

■ どうも…負けについての諸説を紹介し過ぎて(?)混乱している帰来があります。勝敗はあざなえる縄の如しと表現できますか…。時間という尺度で勝敗を論じたら、訳が判らなくなります。武家社会では、平氏と源氏の政権が入れ替わるのだという説が信じられていたと言いますから…。

掲示板にも書きましたが、起き上がり小法師としてのダルマは、倒れる形が良いから起き上がれるのです。「殺される!」などという例は例外として、人生一般的な負けでは、次に通じる負け方を心得ておいた方が良いようです。

これなら開祖の教えと相反しませんね!


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あつみ [MAIL]