道院長の書きたい放題

2002年03月16日(土) ◆(続)拳の握り方!

 前回の続きですが補足します。

■ 空手の拳の握り方には「1」と「2」があり、少林寺の拳は根元から曲げる意味で、「2」と同種の握り方と述べました。あるいは別の握り方があるかもしれませんが、今は触れません…。

私にとって、改訂版で「2」を掲載しなかったことが非常に興味深いので、著書から全文を紹介して論をつなげます。

「小指・薬指・中指の三指を折り曲げ、示指で中指を斜めに押さえ、その上を拇指でしっかりしめつけて握りこむ。この握り方は30年前普通に使われた方法であったが、示指と中指はよくしまるが小指がゆるみがちになるのと、少し握りにくいという理由で、いつの間にかこの方法をとる者が少なくなってしまった。しかし、慣れれば別に握りにくいということはない。握り方としては1.2のどちらでもよい」―『新空手道教程(普及版)/中山正敏著』

■ 30年前とは、これは戦前を指すのでしょう。空手というと一般に、試合場での組み手、あるいは瓦の試割りをイメージしますが、思うに本来の空手には、逆技や細かい手技がはるかに在ったのではと想像されます。体系としては少林寺拳法に近かった(剛柔一体という意味で)と考えます。その証拠が「2」なのであり、それが消えていったということは、空手の技が、良く言えば剛法が先鋭化した。悪く言えば、柔法の退化であったと述べたかったのです。

この原因は、空手の競技化にあると考えます。試合に重点を置けば、勝つ事を目標にして試合用の技を研究、練習するようになります。例えば、掴みが反則になれば…拳の用法だって変わってしまうでしょう。

同じことは柔道でも起こりました。試合が盛んに行われるようになると、立ち技が全盛となり、寝技は汚いということでおざなりになった時期があったと、何かの本に書いてありました。

■ 昔/29年前以前、少林寺拳法でも胴とグローブを付けて顔面直接打撃制の試合を行っていた当時。例えば両グローブを相手の顔の前に出して視野を塞ぎ、蹴りを決める。胴を高い位置に付け、両手をそれに合わせて守る構えを取る。甚だしきは、引き分け要員?の存在で、団体戦でポイントをリードした時はこれが得意な選手を出す。つまり、打たれ強い者が攻撃を徹底的にガードして、引き分けに持ち込んで勝つ。などなどの戦法・作戦が考案?されました。構えにしても、演武用と、乱捕り用の胴を守る二種類がありました…。

私も大学拳法部3年生時、全日本学生大会の(最後となった)団体乱捕り戦に大将で出場した経験があります。試合では負けませんでしたが…結果はベスト8まででした。しかし、試合用の技は、確かに研究していました。当時の様子は、また改めて述べたいと思います。

■ 学生時代の拳の握り方がどうであったかは不明ですが、多分、グローブ着用に合わせていたのでしょう。むしろ、述べたいことは、拳の握り方に象徴される様に、競技試合がその武道の技の形態や修練の形態、さらには在り方さえ変えてしまう事実/危険性を述べたいのです。

今回、本部が開発した防具で試合を行うと、この問題が懸念されます。面が平面状であれば、会報3月号、40ページの右隅の写真にあるように、将来、少林寺の拳は横拳?となり、骨折、損傷を厭わない拳に変質してしまうでしょう。もし縦拳で(三日月ではなく)面部を突こうとすれば、不自然に尺骨側に曲げなければなりません…。

■ 蹴りでは、硬い胴と柔らかい人体とでは相当の違いがあります。硬い物を蹴れば足首を最初から立てて蹴り始めます。蹴る寸前まで力を抜き、素早い股上げと引き足という身体操作が出来なくなります。例えば小手投げ時、蹴り足と投げにつなげる足捌きは、胴を着けてしまうと、感覚が異なってしまいましょう。まあ、当時のグラスファイバー胴と比較して現在の材質は柔らかいですが、それでも人間であれだけ硬い筋肉の人はそういません…。

中国拳法では、人体を水の塊とイメージすると何かの本に書いてありました。いみじくも、マイク・タイソンはウォーター・サンドバッグを突いていると、これまた何かの本で読んだことがあります。

金的にしても、あれだけ前に?出ていると、安易にそこを蹴ることになります。金的蹴りは生殖傷害を起こす非常に危険な技であり、兵器に喩えれば、核兵器に相当しましょう…。拳士は無闇に蹴るものではありません。

以上、拳の握り方という本題から少しズレた感がありますが、私の述べたかったことが伝わりましたでしょうか…?


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あつみ [MAIL]