| 2002年03月08日(金) |
◆法衣を脱ぐの !? |
気が向くままに書いてみました…。
■ 1972年に行われました日本武道際。私は学生連盟として連日協力、出席していました。教範のグラビア中に「場内を圧する少林寺拳法選手団」とあり、機関紙では確か…、「館内圧する少林寺」の見出しだったと思います。あの開会式の写真にまつわるエピソードは、非常に印象に残っています。
初日開会式があり、各武道の出場者が整列したのです。開始時刻より若干早く着席した開祖が、直後に厳しい顔をして叫びました。
「先頭の列の者(に?)、急いで法衣を着ろ!(着させろ?)」…と。皆、先生の指示の本意が判らず、首を捻りながら、でも、大慌てで法衣を着て整列し直し、写ったのが件の写真です。後日、「…大勢の少林寺の拳士が連日協力して今回の武道祭は成功した。それなのに、開催式で同じような道着を着た人間と一緒では、それが伝わらないではないか!」(要旨)と述べられて納得しました。
■ 先生は他武道(特に同様な徒手空拳の武道である空手)との違いを強烈に主張されました。片手合掌礼を親指を曲げて行うと、「空手と間違えられる!」。「これからは、団体演武は相対形を主に行いなさい。空手と間違われる!」。「少林寺の手刀は拇指を張った、在来の武道/空手とは異なる手刀である!」。「(襟に付けている大きな拳法部バッジを指して)お前達はなぜ、横拳をつけるんだ。(好ましくはないが)どうせなら縦拳にせい!」などなど。注:違いであり、優劣ではありません。
先生は創始された少林寺拳法に、当然ですが強烈な誇りを持たれていましたし、私達にもそれを持たそうとされたのです。当時の少林寺拳法はまだまだ新興勢力でしたし…。
■ さて、昨今の一連の「振興普及部」の主張を聞いていると、私には、“法衣を脱ごうとしている”と感じられてなりません。他武道との違い/境がはっきりしなくなるのではないでしょうか…?
「基本、法形、乱捕り、演武」として…なんか、『月刊・秘伝』(バックナンバーを取り寄せ中)では英会話に例えているそうですが、とすると、スッテップアップ方式ですか? では、乱捕りは…この体系によると必修科目になってしまいます。
81年の科目表で、乱捕りは昇段試験において必修ではありませんでした。私は現在、昇段試験において、乱捕りを年齢制限以外の拳士に必修科目としていることが問題であると思います。
柔法系の阿羅漢系統、剛法系の那羅延系統の「組演武」を行わせる方式に戻し、その上で、「剛法組演武の補助手段としてのみ行うべきである。」とする乱捕り修練法を提示すべきと考えます。
技法たる少林寺拳法の修練体系。思想たる少林寺拳法の習得体系の一致を願ってやみません。
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