| 2001年12月05日(水) |
◆蹴り上げと蹴り込みの話! |
■ 前回、人体を傷害させない少林寺拳法の突き方に言及したので、今回は蹴りについて述べてみたいと思います。
□1.少林寺拳法の蹴りは、“蹴り上げ”が基本であると考えます。しかも、その範囲は肋骨弓より下、臍・ヘソより上、おおよそ富士山に似た形をイメージする場所。ここを蹴り上げられる事が理想です。
なにかの武道関係の書籍に「生理的な攻撃」と書いてありましたが、同感です。少林寺拳法の剛法攻撃/反撃は、太陽神経叢や横隔膜を打撃して、一瞬、人体の生理機能を麻痺させる攻撃です。決して、人体を破壊・骨折や出血や内臓破裂を目的にするものではありません。
蹴りはコントロールし辛く、手よりも強力ですから、特に注意しなければ、例え正義の拳であっても、人体を傷害する事故を発生させかねません。
□2.膝を抱え込むように上げて、直線に押し出すような方法で“蹴り込み”する拳士をたまに見ます。衝撃がもろに内臓を直撃して危険です。その意味では足刀蹴りも同様です。ましてや、上段の蹴りは顔面突きに匹敵する禁じ手(?)で、金的蹴りにしても、思い切り蹴り上げるのではなく、甲部で当てるように(表現が難しい)蹴るのです。
最近は格闘技ブームで、派手な上段蹴りでのノックアウト劇に喝采が送られます。あれは興行であり、ヒトを「蹴飛ばしてなんぼ!」の世界の話です。実際に、武道の有段者が試合で無い状況で頭部を蹴れば、重大な事故に直結します。
□3.「私の主張・プロローグ」中に、技術は無意識に影響を与えると述べました。追加すれば、(無意識は)無意識に技を使用します。これは恐ろしいことですが、スリの常習者が「“手”が勝手にスッてしまった」などと供述することがあると聞いたことがあります…。
少年を指導していると、教えた蹴りをふざけっこで無意識に使うことに驚かされます。私は、ある時期から少年指導に金的蹴りを行わなくなりました。
少林寺拳法は人造りの道/宗門の行法であり、したがって不殺活人拳なのです。反撃技に、技術的、用法的、攻防用器など、色々制約があるのは致し方無いのです。
□4.そんな訳で、私は現在、本部で開発/進行している乱捕り方法には疑問があります。上段を思い切り突けるような面の開発は良いですが、これは攻者というよりは暴漢役の人が襲いかかってくる場合に必要であり、皮肉にも守者側はその外側の反撃をもって“良し!”とするものなのです。
金的カバーも同様で、対暴漢役に必要でも、反撃者が思い切り蹴れば、私なら「×・バツ!」にします。胴にも印を付けて(どのような印かは未定ですが)、その場所への反撃を評価するなら判ります。
現在の方法では無差別、無制限に近い反撃法で、少林寺拳法の精神を傷付ける乱捕りであると考えます。
最後の項目は、元第三次乱捕り検討委員としても発言しておきます。
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