+心ノ戯言+
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| 2002年02月20日(水) |
私が弱い理由(暗い内容です) |
なんとなく、落ち込みモード。 父親の入院が長引きそう。 大したことは無いのだけど。 やっぱり心配。
我家は親戚というか、身近な人が極端に少ない。 父親の両親(私にしたら祖父母)兄(私にしたら伯父)みんな天国に居るし。 母親の父は天国で、母親の母は少し遠くに住んでいるし。 身近な人。。。側に居ない。 とてもとても寂しい。 前にも書いたように、私は父親の両親と兄、その3人が近くに住んでいたので、本当にとてもお世話になっていた。 おじいちゃんは私が保育園の時に亡くなった。 伯父。。。おじちゃんは、私が10代の終わり頃まで生きていた。 亡くなった。。。悪性リンパ腫。。。という病気と何年も戦って。 無菌室に居たから、大勢の人が病室に居ることは禁じられていたので、私が一人で看取った。。。 おばあちゃんの口癖は、「あき(おじちゃんの名前)が死ぬまで死ねない」だった。 おじちゃんが亡くなって、おばあちゃんは肩の荷が下りたようだった。 私達家族と一緒に住もうね。。。とか、犬を飼って「あき」って名前を付けて散歩しようね。。。とか、温泉に行こうねとか言っていた。 温泉に行く為の準備をしていた矢先。 おじちゃんが亡くなった約1ヶ月後、あばあちゃんも後を追うようにして原因不明の心臓病で突然倒れて、植物人間のまま亡くなった。 たった2ヶ月の間に、私と父親と母親は、大切な人を2人も失った。 おじちゃんの四十九日も終わってなかったのにね。 私は、おばあちゃんが植物人間の状態の時、病室で一人になるのがとっても恐かった。 また亡くなるんじゃないか。 私が看ていたら、おばあちゃんまで天国に逝っちゃうんじゃないか。 そんな恐怖が襲って来て、絶対一人では居られなかった。 夜の病室も恐かった。 シーンと静まった真っ暗な病室の中で、沢山の機械の音だけが聞こえてきて、それがとてつもなく恐かった。 今も病院の匂いで思い出す。 あの時のこと。 あの時の機械の音。 あの時の恐怖。 とてもとてもとても哀しい出来事を。 「足を抓れば反応がある」 「くすぐれば反応がある」 「瞳孔に反応がある」 ほんの僅かな望みに、ほんの少しの期待もしていた。 でも、心の何処かで助からないかもしれない。。。とも思っていた。
神様は居ない。 祈りは通じない。 奇跡は起きない。 それを体験した。 だから私は、今もそれらのものは信じられないでいる。
私達家族は今、父親の両親と伯父が住んでいた家で、犬を2匹飼って暮らしている。 1匹はおじちゃんによく似た顔をした、ゴールデンで。 その子の生まれて来た日は、おじちゃんの亡くなった次の日だった。 名前は、おじちゃんとおばあちゃんの名前の1文字ずつを取った。 もう1匹は、おじいちゃんの名前の一部を取った。 2匹の散歩コースは、3人が眠っているお墓の前を通る。 お墓を見て、いつも3人に話しかける。 「元気だよ。忘れてないよ。見守っててね」
とてつもなく深い哀しみでも、時間が経てば薄れていくことも経験した。 完全に薄れることは無いけれど。 ほんの少しだけ薄れることを経験した。 でも、いつまでもいつまでも。。今も私は自分を責めている。 おじちゃんを看取った時、もっと早く異変に気付いていれば、おじちゃんは死ななかったかもしれない。 そう思うと、何とも言えない苦しい気持ちになる。 だから私は、おじちゃんが亡くなった時に決意した。 「どんなに苦しくても、生きる」と。 おじちゃんの分まで後悔のないように生きたいと。 普通は逆なのかもしれない。 死を選ぶのが普通なのかもしれない。 でも私は、死ぬことは楽なことなんだと考えた。 自分みたいなヤツは、生きて苦しめ。。。思った。 ただ死ねないヤツの、弱虫なヤツの、言い訳なのかもしれないけれど。 こんな生き方、こんな考え方、絶対におじちゃんは望んでいないんだろうけど。 こう思わなきゃ、やりきれない気持ちになるから。 弱い自分。最悪な自分。 もっと強くなって。もっと素敵な人間になって。 そして、ちゃんと死というものを理解して。。。 そしたら私は、おじちゃんに頼らなくてもいいようになれるはず。。。 今はまだ。。。自分を苦しめていたい。
ずっとずっと、言えなかった。
おじちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん。 ごめんね。 ありがとう。 私は、ちゃんと強くなるから。 だからもう少し。。。弱い私を見守っていてね。。。
PM10:40記。
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