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■ 人は"孤島"である---新しい形の構築
先日借りていたDVD(珍しいことなんですが)をすっかり延滞してました。 見たいと思っていたもののなかなか見る機会のなかった「アバウト・ア・ボーイ」なんですが。 しょうがない(?)ので、必死で見ました。翌日がスデにバイトがあるというのに午前3時まで。
感想としては「餓鬼が可愛くない」とか「主役が、静止画(ジャケット)と映像ではあまりにギャップがなくない?」とかいろいろあったりするのですが端的に。
おぎそんの個人的なテーマとして常に家族という関係を置いているのですが(置かざるを得ないともいう)、それに少しだけ問題を投げかけているとてもこじんまりとしている(地味とも言う)佳作だったのではないかな、と思うのです。 なにが言いたいかというと結局は凄く単純なことなんですよ、おぎそん的に。
家族になりたい人(つくりたい人でも可)は家族を作ればいいし、家族より個人を優先したい人はそうすればいい
なんか、ばかにしてるのか?!って言われそうなんですが、そう思うんだもの。
結局、家族というのは社会的に有益であったためにそうなされることが求められ、それを継続してきた面があるといえるでしょう。 介護の問題とかを解決する面も有していたのは事実です。
しかし。
現在の場合は家族が作りたくない人に対して全くの余地がない社会だと思いませんか? よくこういう論議の際にでてくるのは「それは個人の自由だから選択でしょ」。 選択できるような社会的土壌が整っていますか? 家族形成を求める人に関して現在の社会はとりあえずなんとかなかっていますが、そうでない人に対する仕打ちが不公平のように感じるのです。 選択の自由といいながら、それは本当に自由なのか。 (横田力なら毒入り饅頭しかないのにそれを選べますか?の論議)
確かに、この映画でもエンディングでは結婚を示唆しているのかもしれません。しかし、それをもってもこの関係が回りの人に支えられることによって成り立っていることを示唆する内容でもあったといえるでしょう。
自分だけを大事にする行き方は「自己愛ばかりが発達した未熟者」かもしれません。家族という存在が人にとってこれから必要なものなのか。 おぎそんはまだこれから考えていきたいと思います。
って真面目過ぎました。
2003年11月04日(火)
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