おぎそんの日記
おぎそん



 目的意識

深夜にNHK「学校は変われるか」(再放送)をやってました。
おぎそんはとりあえず教育についてはチェックしているので(って、専攻はなんだよ)ついつい見てしまいました。

今回のお話は「エンカレッジスクール」を軸に学びなおしについて。
取り上げられていたのは東京都のあきる台高校(あきる野市)。
ここは、いわゆる底辺高であり3年間の中退者も半端でなく入学した半数が3年のうちに高校を辞めてしまう現状です。
第8学区で多摩高校よりは上位校でありますが外部流入も殆どなく活性化が余り望めない現状でした。
ところが、近年実験校として「エンカレッジスクール」が持て囃されたためいわゆる底辺校はこれを軸に生徒数を確保しようとしています。
確かに今年の1年生からこの制度を取り入れたところ、募集人員はの3倍が希望したくらいです。

見ていると、高校ということで生徒は「好きなことができるはず」(親が高校に入ったら、と言った)なのに学校は「高校生らしい行動を」(いわゆる都立なのに校則が厳しい)を主張する。
だから、親にも学校側にも(もちろん、受験指導した塾にもですよ)憤怒の念を抱いて中退することもしばしばです。

じゃあなんで高校に進学したの?ってところになるはずなのですがその根本的解決は意外に成されていません。
だって面倒だもの。
中学校では「高校ぐらいは行っておきなさい」
高校では「大学行かないなら自分で何がしたいのかを考えなさい」
親は「高校(大学)行って、フリーターじゃ何のために行かせたのかわからないじゃないの」

だれも教えてくれないんです。自分の進路について。
友人とつるんでいてテストをやり過ごして進級だけはして(でも赤点ギリギリ)。
こんな状態で何を考えればいいのでしょう。
「やりたいこと」なんて簡単に見つからないし、自分になんらかの天賦の才能があるなんてこれっぽっちも思ってないし。(でも、スカウトとかされるかもしれない)
いわゆる、巻きこまれ型でなら自分の人生が劇的に変わるかもしれないと思っているし。

確かに、生徒自身は所々素直ですが「考える」ということをしないだけかもしれません。
でも、そのきっかけは本当に学校側がする必要があるのでしょうか?

教育の衰退なんて言われているけれどそうじゃなくて教育に対する比重が低くなっているかもしれません。
教育ってほら端的に成果が出るものじゃないし、その成果も「東大合格○○人」で測れるものじゃないし。


おぎそんが思うに
「何に勉強が役立つの」って問いかけって物凄く馬鹿げたものだと思うのです。
じゃあ、あなたは役立つものしかやりたくないのね?
じゃあ、なんでお歌を歌うの?カラオケに行くの?
それがなくたってなんら生活に困ることはないでしょ。

生活に役立たないことのほうが楽しいってことは誰でも知ってます。役に立たないことだから楽しい。
これまでの研究者や社会研究学者(いわゆる冒険者と言ってもよい)はまさしく純粋な好奇心から始まったからこそ今まで腐れるほどのあまたの事がわかったり、おぼえることが多くなる結果になったといえるでしょう。
その背景に目を配ることなく、ただただ太字を憶えるということになったのは何故なのでしょう。

それなのに勉強だけが違う扱いをされるのは勉強評価が後々に影響を及ぼすから。このギャップこそが研究者と学ぶものの差であるといえる。
だから教師という職業は難しい。
目指す意図と学ばせるものが激しく乖離しているからである。しかし、不毛の土地だからと種を捲かないのはそれこそあるまじき行為である。
可能性を信じるのが教育とも言えるからである。
それゆえに、わずかに「この教科が面白いと思った」「先生になりたい」の発言こそが教師の励ましになる。

他人の批判をするのは大変簡単なことだ。
しかし、本当にその事業や行為のことを考えるならば「褒める」ということも同時にするべきだと考える。

現状を嘆くのはそれも安易といえる。
我々は想像する事ができる。
いかに、楽観的だと非難されようとその想像を信じて歩みを進めていくことをお勧めしたい。

2003年10月27日(月)
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