おぎそんの日記
おぎそん



 ボランティア活動について

いつ書こうかと思いながら今週末にお世話になった(なっている)子どもまつりがあるということなので思いきって。(てか、この機会を逃すといつ書けるかわかりませんし)
とはいえ、今年は残念ながらバイトやら試験があるので前日・当日のお手伝いもできないので(親玉氏ごめんね☆叫部は参加したかったんだけど)適切かどうかわからないけど現時点でのおぎそんの考えを単に書くだけです。


おぎそんは予備校時代からボランティアに関してかなり斜に構えていました。
まぁ、おぎそん自身がその頃は(今もですが)かなりの自意識過剰だったため、人に席を譲るときも電車内に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てるといったささいな事に関しても「おぎそんっていい人ぶってない?」と思っていたのです。
実際、募金とかしたいと思いませんし(それはケチなだけ)「ちょっと偽善ぽくない?」とか「好きでやってるなら、他人の評価とか考えなくてもいいんじゃない?」とかの思いを抱いていました。

でも、少しだけ関わって考えが変わりました(現金)。
口先だけでも「楽しかった」「ありがとう」と言われれば「やってよかった」と思いますし、「なんかイマイチ」なんて言われた日にゃ「貴様、東京湾に沈めるぞ」と思いますし。
こう考えると、関わっている人に対する感謝の念が全体的に(風潮的に?)軽視されているのかもしれません。

また、「他人に感謝をするどころか驚くほど要求をする人が多い」の事実があることを認識する必要があると思います。
「この部分が足りない」、「あのやり方はまずい」だの「ササビーはもう要らない」文句・注文の多いこと。
なんでもかんでもやってもらえるなんて思わないで下さい
大部分の人は仕事・家事・学生をやりながらボランティア活動をしているはずです。(なにせボランティアだけで食べて行けるほどの状況でないのは皆さん、ご存知のはず)
つまり手弁当で(むしろ出費)どこまでできるか。
文句を言うのならばまず手本を見せやがれ、となるのが本来のありかたのはずです。

が、不思議なことにそのことに誰も目につく形で意見を言っていない気がするのです。(日本的だから?)

いずれにしろ、30回以上続いているとはいえ特定の人に負担がかかる状態(ボランティアと言いながら義務にならざるを得ない状況)はどう考えても無理があるので(人数確保も怪しい)規模を縮小するなり、なんらかの対策が必要な気がします。

ただ。
結局は一人一人の意識問題のような気がしないでもないのです。(誤解のないように。地域の一人一人ということですよ)
この「子どもまつり」というイベント(もしくはそれを巡るコミュニティと言ってもよい)が○留にとって大事ならばそれぞれが労力なり金(うゎ)なり「他人への思いやり(というか想像力?)」なりを持ちよるべきではないか、とも思うのです。
それができないでイベント(ここでなら「子どもまつり」)が消滅してしまうのならそれも仕方ないのではないでしょうか?



2003年05月12日(月)
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