おぎそんの日記
おぎそん



 宮部みゆき時代劇 第8話「かどかわし」

さて、世間では夏休みも終わりNHKの番組表も通常に戻ったようです。
そんなこんなで宮部みゆき時代劇もすでに第8話。
だいたいNHKの場合民放と異なり、13話まで話を伸ばしませんからもうそろそろ締める段階です。
そんなことを考えながら見ていると伏線が出てきた今回のお話です。

中学生の国語の教科書に俵万智(たわら・まち)の短歌が載りはじめたのはつい最近のことです。とはいえ、もう10年ほど前からでしょうか。
彼女の短歌集「サラダ記念日」が異例のミリオンセラーになったのが1988年ですからそのすぐ後ということになります。
勿論、毎年同じ歌を載せているわけではなくむしろ狙いとして短歌の導入ですからサクッと変わってくれます。まぁ、口語体がメインで解釈もしやすいからなんですけど。
その中で昨年は「親は子を 育ててきたと いうけれど 勝手に赤い 畑のトマト」が取り上げられていました。(他の教科書では「万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らがいて 神奈川県立 橋本高校」でした)ちなみに、おぎそんの時は「「寒いね」と 話しかければ 「寒いね」と 答える人の いるあたたかさ」でした。
なぜ、こんなことを取り上げたといいますと、母親と乳母の話が軸になっているからです。
とはいえ、結局は子どもの心。
なんともまぁ、無邪気に溢れているものです。
子どもとは時に無邪気で、それゆえ残酷
話の筋としては、たいしたことはない平凡だったとおもうのですが、原作を読んでかなり経つため思い違いがあるかもしれません。

ラストってこんなのだっけ?

おぎそんが正しいと思っていたラストと大きく異なっていました。
どっちが正解かわかりませんが(現在、手元にありません)おぎそんの記憶が正しいとするとかなりの問題が生じると思います。

ネタバレになりますが、どうせ再放送はまだまだでしょうし、その再放送をわざわざ見る物好きな方もいないと思いますので書かせていただきます。

えっと、最後で乳母が母親と対面して、許そうとする場面があります。
さて、子どもがかどかわされた(誘拐された)時点で、「坊ちゃんが?」と心配するのはいいと思うのです。自分が見ていた子どもですから当然でしょう。演じているのが相田翔子というのが微妙ですけど。
しかし、その心情的なものを最後に再び持ってくる必要性があったのでしょうか。逆にそんなことをしたらなんのために母親が乳母と子どもを引き離したのかわかりません。
しかも、その、母親の考えを乳母は理解していた筈です。だからこそ黙って身を退いたのですから。
ところが、その家が没落してから待ってましたとばかりに乗りこむ訪ねるのは如何なものかと。
かどかわしのときに見せた姿と統一が取れていません。
敢えて、訪ねていかないという結末をとらなかった理由はなんのでしょうか。

とゆーか、ほのぼのさせたいという(なにせ年配者の視聴のほうが多いでしょう)視点はわかりますが、宮部みゆきの作品はほのぼのしているだけでは終わらないある種の強さを持っています。
それは、読者にとっても問いかけを余儀なくされる種類のものです。それが今回なかったことでちょっと残念だと思う点が一点。
そして、家族についての物語り(母親・乳母・子ども)でしたので、茂吉と娘の関係にも触れられていました。
茂吉のおっかさんである、かつ曰く「あんた(茂吉)、女房代わりに使ってないかい、あの娘を」と。
この話だけでも、今回の山場かなと思いました。

おぎそんは原作の世界が絶対とは思いません。
しかし、その意図しているものを見落として(若しくは無視して)の製作は喜んでいません。
おぎそんはとりあえずNHK金曜時代劇を応援しています。

2002年09月06日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加