おぎそんの日記
おぎそん



 相談学級を訪問

「相談学級」というものが存在しているのをご存知でしょうか?
これは、文部(科学)省が1990年にバブルの遺産としての価値を持つ、現在では本来の意味では使われていない不登校児のための学校といえばいいでしょうか。

本日は塾が休みであるにもかかわらず、この用事のために早く起きねばならず激しく鬱です。
とはいえ、昨年は爆睡したため参加できなかったといういわく付きですので今年こそは、と気合が入ります。

今回訪問したのは、立川市にある「立川第八中学校」に設置されている相談学級です。

教職科目に「教育相談」というものが存在し、その補講という形なのです。希望者だけですけど。
おぎそんは、この「教育相談」という科目が大好きです。昨年はレポートを出せずに落としてしまいましたが、担当講師の言っていること・その授業方針(話し合いを重視)は大好きです。今年は単位を取得すべく、この授業だけは5(成績評価の最高段階)を取るべく参考文献などを漁っておりました。

しかし。
この補講に参加すると評価が上がるのではないかと考える1年生が登場しました。

もう、バカかと。アホかと。

なんか大学というものが誤解されてるような。
大学っていい意味で自分の好きなものに打ちこめる環境のはずなのにまだ高校生の感覚で「これをしておけばいいんだ」「こうすれば評価が上がるだろう」なんてものは必要ないと思うんですよ。
もちろん、飛び級制度がありますから(履修科目の評価9割が5であることが条件)それを狙う人もいるでしょう。
でも、そんなことがそんなに大事ですか?
少なくともおぎそんはそうは思いません。

それよりも、なによりもそのなぜこの補講に参加しているのか(この講義を受講しているのか)の問題意識が欠けていると思うんです。
例えば、相談学級ってどんなところか調べてくる/来校する生徒はなぜこの環境を求めるのか/不登校問題について自分の体験と照らし合わせて考える(社会的背景など)/それについた本を読んでみる とかの下準備はマナーだと思うんです。話を伺ううえで。

でも、ただ「参加しているだけ」なんて勿体無いってことをわかっているんでしょうか。
滅多に機会がないこの訪問の意義を。

この施設の方のお話は大変為になり(陳腐な表現・・・)、塾にとって耳が痛い話もあったのですがいろいろ考える必要性が出てきました。

なにより印象的だったものは教室での生徒個人の「今年の目標」でした。


学校になるべく行くようにする

もとの学校に戻ることが筋だとわかっていてもできないもどかしさ。
でも、もうちょっとだけ。
「なるべく」というちょっと後ろムキだけど正直な気持ち。





枡野 浩一の「セミくらい大きな声で鳴けたならモラトリアムが長かったなら」という短歌を思い出しました。

2002年08月01日(木)
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