doo-bop days
ブーツィラの音楽雑記



 安東ウメ子さんが天に召されて一年

安東ウメ子さんの遺作『ウポポ サンケ』(2003年12月発表)ライヴの第一部が終わり、休憩となった。
少し時間が経ってから席を離れ、狭い通路に出たものの、どういうわけか前方がつかえている。
案の定、後ろの人達から強く押された私は、前の人にガツンとぶつかるすんでの所で辛うじて踏み堪えた。我ながらよく踏ん張ったと思ったが、私の手は、前の人の背中にかすかに当たってしまっていた。触れてしまった方は、控え室に戻る途中の安東ウメ子さんだった。

2004年1月31日(土)に東京・浅草のアサヒスーパードライホール4Fで観た、安東ウメ子さんの『ウポポ サンケ』発売記念コンサート。ウメ子さんは、ファンか知り合いに声をかけられ、まだ通路にいたのだろう。客席前方の中央でライヴを観ていた私は、第一部のステージを降りたウメ子さんが、客席を貫く通路後方のそんな所にいるとは、思いも寄らなかった。

ウメ子さんは、程なくスタッフの女性に体を支えられるようにエスコートされながら歩き始める。ステージ上では見せなかった、ゆっくりと、あまりにもゆっくりとしたペースで歩くウメ子さん。大腸がんの手術をされてから約9ヶ月経つウメ子さんは、この浅草でのライヴ以前から、移動の際は車椅子を使っていたらしい。
ライヴ会場後方のエレベーターホールまでの数十メートル間、ウメ子さんの真後ろをウメ子さんと同じペースで歩いた私は、闘病中であるウメ子さんの体の悪さを身を以って実感するとともに、ウメ子さんがこの浅草でのライヴでユーモアに包みながらサラッと告白された、ご自身の極めて悪い健康状態を案じたものだ。

安東ウメ子 - 「追悼抄」 / 2004年8月29日(日)読売新聞朝刊アイヌ文化の伝承者で、ウポポ(アイヌ語で歌)とムックリ(口琴)の第一人者として知られる安東ウメ子さんが、2004年7月15日に大腸がんのため71歳で逝去されてから、早くも一年が経った。

「気力で生きてもらうしかない」。ウメ子さんは、2003年4月に大腸がんの手術を受けたものの、医師からそう言われた。がんは、すでに腸内のあちこちに転移していたという。
アルバム『ウポポ サンケ』の録音(2003年8月)や、浅草での『ウポポ サンケ』発売記念コンサートなどにおいて、ウメ子さんはご自身の近い将来を見据え、覚悟の上で臨まれたに違いない。

「アイヌの歌とムックリを一人でも多くの人に聴いてもらうのが、今の私の使命」と、ウメ子さんは仰っていた。ウメ子さんがこの世に遺して下さった音楽が、一人でも多くの人の心に響き、これからも安東ウメ子さんの思いが叶い続けるよう願って止まない。

安東ウメ子【アイヌ文化の伝道者】(『art random』 - 「人生のセイムスケール」 - age 71 -)
安東ウメ子さん死去 アイヌ楽器ムックリ演奏第一人者(『十勝毎日新聞』2004年7月16日付)
安東ウメ子 & OKIインタビュー アイヌの魂を未来へ継ぐ(『Hotwired Japan』 - Music)

2005年07月15日(金)
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