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ブーツィラの音楽雑記



 『最後の瞽女 小林ハル 96歳の絶唱』

三味線を伴奏に唄を披露し、村々をまわった盲目の女旅芸人・瞽女(ごぜ)に関する調べものをネットでしていたところ、以前から探していたCD『最後の瞽女 小林ハル 96歳の絶唱』(1997年)が、『邦楽ジャーナル』のオンライン・ショップで取り扱われているのを偶然見つけた。即注文し、数日後の先日、念願かなってようやく入手した。

このCDは、小林ハル78歳の昭和53年に瞽女としては杉本キクイ、伊平タケに続き3人目となる「記録作成等の措置を構ずべき無形文化財の選択」、いわゆる人間国宝の認定を受けた小林ハルの瞽女唄を「保存し広く後世に伝えるため」制作されたとのこと。
「企画、制作、解説」と「語り」は元NHKチーフディレクターの川野楠己で、曲の前後に簡単な解説となる「語り」と、小林ハルによる昔の回想などの「話」が挿入されている。トラック4の「端唄春雨」のみ小林ハル85歳の昭和60年5月の録音(妙音講にて)で、他の曲は平成8年4月4日、小林ハル96歳の時の録音である。



30年間愛用の三味線を弾きながらの、唄と語りと唸り声が一緒になったような唄声は衝撃的。地の底から湧き上がってくるかのような響きを帯びている。96歳の肉体から発せられるのは驚きとしか言いようがない。
小林ハルは、7歳から21歳までの真冬の30日間(朝は5時から7時、夜は6時から11時まで)、薄着姿で信濃川の土手に立ち、杖をしっかり握り、寒声(かんごえ)という発声訓練をやったという。喉から血が出るほどの苦行となったそうで、いつしか唄声は信濃川の向こう岸まで届いたらしい。

小林ハルは、明治33年(1900年)1月24日 現・新潟県三条市の農家に生まれ、生後約百日で白内障により失明する。5歳の時、21年の年季で瞽女に弟子入りすることが決まり、9歳から親方たちと瞽女としての旅に出た。
小林ハルの「想像を絶する凄絶な人生」(by 鉛筆画の木下 晋)は、小林ハル口伝の『最後の瞽女 小林ハルの人生』(桐生清次 著, 文芸社, 2000年, 『次の世は虫になっても』の新装版)や、『鋼の女(はがねのひと) 最後の瞽女・小林ハル』(下重暁子 著, 集英社文庫, 2003年)などに詳しい。

「100年の瞑想」モデル 小林ハル(木下 晋『生の深い淵から』の表紙)ネットでは、瞽女および小林ハルについての参考になるHPはいくつかあるが、一つ挙げると、『悠山隊』(リンクフリー)の「Essay - 瞽女さん」がわかりやすくかつ詳しい。
小林ハルを中心に書かれた長文の「瞽女さん」は、小林ハルの人生において外せない事柄だと私が思うことには、ほとんど触れていると言っていいくらいだし、19歳で子供を産めない体になってしまった悲惨な体験を始めとして、曖昧なぼかした表現もしていない。その歩んで来た過酷な人生を評し、同じ瞽女仲間ですら口を揃えて「特別」だという“鋼の女(はがねのひと)”小林ハルに関心のある方なら必読だ。

・「盲目の旅人・・・最後の瞽女 小林ハルエンディングの言葉」日本テレビ『知ってるつもり?!』2001/1/28放送
「鋼の女(はがねのひと)」小林ハルさんのことば / 下重暁子
[2004/7/16追記] 小林ハルさんは今でもご存命である。ただ、2003年6月に入院し、104歳の現在も闘病生活が続いている模様。一日も早いご快癒を心からお祈りしています。
[2005/4/26追記] 小林ハルさんは2005年4月25日午前2時10分、新潟県北蒲原郡黒川村の養護盲老人ホーム「胎内やすらぎの家」で老衰のため逝去された。105歳だった。心からご冥福をお祈り申し上げます。

2004年06月23日(水)
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