TOM's Diary
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2004年12月15日(水) 爆笑問題

 昨夜のことだが、爆笑問題の二人がラジオで語っているのを聞いた。
以下は爆笑問題の話の中から私が聞き取ったことである。
(爆笑問題が話したことそのままではない。彼らは2時間に渡り話を
していたので、とてもすべて書ききれない。私が聞き取った内容であ
って私の受け取り方で彼らが話した内容と弱冠違うかもしれないので
ご了承願いたい)

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 9・11は確かに衝撃的であった。
目の前で飛行機がビルにぶつかり、そしてその中にいる人たちはどう
なっているのだろう?と想像しているところに、そのビルが突然崩れ
始めた。衝撃的でないはずがない。テレビのこちら側にいても背筋が
凍りつく思いをした。
こんなことをした人に対して報復を行いたくなる気持ちも良く判る。

 10数年前、湾岸戦争をやはりテレビで見ていた我々は、遠くの方
で、ロケット弾や対空砲火の曳航弾の光をまるで花火のように綺麗な
光景として眺めていた。ミサイルに搭載されたカメラからの画像など
はまるでビデオゲームのように目に映った。
その下でなにが起こっていたのかなど、とても想像できなかった。

 しかし、当時あの花火のような光景の下にいた人たちは、9・11
に匹敵する、あるいはそれ以上の悲惨な光景を目の当たりにし、大き
な衝撃を受けていた。

 当時米軍は劣化ウラン弾を大量に使用した。
劣化ウラン弾と言うと、あたかも原子爆弾を作った廃材を利用した爆
弾のように聞こえるが、放射能を大量に含んだ、原子爆弾に変わりな
い。確かに爆発力は広島・長崎に投下されたものとは比べ物にならな
いが、放射性物質をそこら中にぶちまけることには変わりない。これ
は、まさに原子爆弾の一種と考えてもよいのではないか?
(事実私が子供のころに読んだ本では核兵器の一種として劣化ウラン
弾が紹介されていた。当時は違う名前だったと思うが、効果としては
劣化ウラン弾と同じであり、明らかに通常兵器とは別の扱いだった)
放射能の恐さは、その場ではなんともなくても後から白血病などの被
害が出てくることだ。湾岸戦争も終わり、平和な日々が戻って来たと
思った矢先に、子供や親がバタバタと倒れていくのだ。

 こうした被害を受けた衝撃的な光景を目の当たりに人たちの立場に
なって見よう。あれから、10数年後、9・11に衝撃を受けた人々
がまたもや攻撃を仕掛けてくる。最初はビンラディンを、そこまでは
良かったかもしれない。勢いづいた軍隊は矛先をイラクに向けてきた
のだ。自分たちはもっとひどい惨状を目にしてきた。そして、いまだ
に劣化ウラン弾の後遺症に悩まされつづけている。そんな我々から、
またもや、平和な生活を奪おうというのか・・・

 イラクで拉致された香田さんがクビを切られて死亡した。
国内では「自己責任」「自業自得」と言う声が多数あった。「自業自
得」と言えばそうかもしれない。政府が渡航を自粛するよう勧告を出
していたのみ関わらず、渡航したのだ。
だが、クビを切られなければならないほどのことを彼はしたのだろう
か?国内を見たときに、もっと重大な犯罪を犯した人たちでさえ、多
くは死刑になんてならない。政府の勧告を無視したことは重大な過ち
かもしれないが、その程度で死刑にはならないだろう。
まして、リンチや見せしめのために殺されるようなことは一切してい
ないと思われるが、どうだろうか?
爆笑問題の二人や、私だけがそのように感じるのだろうか?

 もし、これがアメリカなら「同胞が殺された!報復だ!」となるの
かもしれないが、日本ではそうならず「自己責任」「自業自得」とな
るのは、悪いことではないと思われる。日本は50年前に戦争は終わ
らせたのだ。

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 戦争回避のためにはなんでも相手のせいにせず、まずは自分たちに
非がないか省みると言う事が大事なのかもしれない。これはなにも戦
争に限ったことではない。日常の生活の中でも言えることだ。無用な
トラブルを避けるためにも必要なことだと思う。


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