井口健二のOn the Production
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2019年11月06日(水) 第32回東京国際映画祭<コンペティション部門>

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※今回は、10月28日から11月5日まで行われていた第32回※
※東京国際映画祭で鑑賞した作品の中から紹介します。な※
※お、紙面の都合で紹介はコンパクトにし、物語の紹介は※
※最少限に留めたつもりですが、多少は書いている場合も※
※ありますので、読まれる方はご注意下さい。     ※
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<コンペティション部門>
『ネヴィア』“Nevia”
イタリア・ナポリを舞台に、恵まれない環境に暮らす少女が
上を向いて生き抜いて行く姿を描く。イタリア映画では毎年
定番のような話と言われればそれまでだが、やはりこの手の
成長物語は見ていて気持ちが良い。サーカスが背景というの
もノスタルジーが感じられてよかった。Q&Aでピエロの化
粧を聞かれた21歳の女優が「1954年『道』のジェルソミーナ
へのトリビュート」とさらりと言ってのけたのも感動した。
無冠に終わったが、僕は気に入った作品だ。

『喜劇・愛妻物語』
売れない脚本家といわゆる鬼嫁との日々を描いた家族愛(?)
の物語。審査員は脚本賞に選んだ作品だが、見ていて面白み
には欠ける作品だった。なお青春18きっぷで香川県に行くと
いう展開だが、自分の経験で夜行列車以外では富士山が見え
る界隈でボックス席の普通列車は見たことがなく、この辺は
しっかりと考証をしたのか疑問にもなった。物語全体も夫婦
を長くやっていればあり得る話で、多少の誇張はあっても、
それが映画的に面白くなっているようにも見えなかった。

『動物だけが知っている』“Seules Les Bêtes”
開幕はアフリカの大地、そこから北部フランスの雪に閉ざさ
れた高地に飛び、そこでの1人の女性の失踪から物語が始ま
る。その行方を追って様々な謎が提示され、個々の謎が解決
されて行く。何とも手の込んだ展開の物語で、その展開ごと
に時間を遡って行く構成も見事だった。僕が審査員ならこの
作品に脚本賞を贈りたいと思ったものだ。そして現代を象徴
するような事件の発端が…、これも気に入るところだった。
最優秀女優賞と観客賞を受賞した。

『アトランティス』“Atlantis”
2025年以降の近未来が背景の作品。地雷の除去など戦後処理
が続く中で、戦時中に処刑されて埋められた遺体の発掘も行
われている。発端が処刑のシーン、結末が発掘のシーンとな
るが、そこをサーモグラフィの映像で描いているのはいろい
ろ意味があるようにも感じられた。本作には審査員特別賞が
贈られたが、僕にはそれほどの意義は感じられなかった。ま
あ地雷処理に20年は掛かるなど、反戦的な意味ではかなりの
メッセージ性は感じたが…。

『ディスコ』“Disco”
始りはディスコダンスのコンテストで、そんな話かと思って
いたら本筋はキリスト教系の宗教映画だった。しかも結末は
宗教の強さみたいな描き方で、僕はQ&Aを見なかったが、
見た人によると監督は宗教に反論していたそうだ。でも映画
はそのようには見えなかったし、僕はこの手の映画は性に合
わない。ハリウッドでは毎年1本ぐらいあるし、そういう需
要もあるのだろうけど…。実際の宗教関係者はどう見るのだ
ろうか。

『ラ・ヨローナ伝説』“La Llorona”
2019年4月紹介のホラー映画と同じ伝説に基くポリティカル
・フィクション。本作では伝説は自明としてあまり語られな
いが、先の作品を見ているとその辺りは明確で、しかもその
復讐の相手が独裁権力者という、政治映画として巧みに作ら
れているのも感心した。ホラーと政治の見事なマッシュアッ
プ。僕ならこの作品にグランプリも考えるところだ。なお本
作はGAGAによる日本配給が決まったようなので、その際に機
会があったらまた紹介したい。

『わたしの叔父さん』“Onkel”
主人公はデンマークの酪農地帯に暮らす女性。獣医を目指し
ていたが、両親の他界と同時期に叔父が倒れ、道半ばで介護
と飼牛の世話に追われる日々となった。しかし近所の獣医は
何かにつけて彼女を獣医の道に戻らせようとしていたが…。
今回のグランプリ作品だが、開幕と結末の状況が変わらない
ことが僕には納得できず、不満の残る作品だった。これが現
実と言われればそれまでだが、最近の映画に未来を展望でき
ない作品が多いのは社会情勢のせいなのだろうか。

『列車旅行のすすめ』“Ventajas de viajar en tren”
精神病患者の言動を記したというファイルに踊らされる人々
を描いた作品。3章立てだが、各章の題名と内容が一致しな
いなど全体が病んだ感じの作品だった。しかも内容がグロテ
スクで見ていた辟易した。ただ以前あった同様の作品では上
映中に立つ観客が目立ったが、今回は数人の馬鹿笑いしてい
る人もいて、こういう作品が受け入れられるのかと時代の変
化も感じてしまったところだ。とは言っても僕の趣味には全
く合わない作品だった。

『戦場を探す旅』“Vers La Bataille”
1863年、フランス干渉戦争を背景にした初期の戦場カメラマ
ンを描いた作品。主人公はフランスで報道写真家だったが、
メキシコでの戦闘を撮るべくやってくる。しかし将軍の命は
受けたものの軍隊とはぐれ、そこで現地人との交流や脱走兵
に翻弄されるなど、様々な苦難を味わうことになる。一方で
当時の撮影技術の紹介や、さらにはアメリカ人カメラマンが
捏造写真を撮っているなど、現実は知らないが在りそうな話
が続く作品だった。

『ジャスト6.5』“تری شیش و نیم”
麻薬患者が100万人から650万人に急増したというイランで、
麻薬組織と対決する警察の姿を描いた作品。と言っても正義
の警察という感じではなく、さらに組織側のトップに関して
も相応の情状が語られるなど、かなりエンターテインメント
性豊かな作品になっている。しかも虚々実々の捜査の展開や
ホームレスの一斉検挙など多人数のモブシーンも繰り返し描
かれ、正に大作という感じの作品だ。映画祭では最優秀監督
賞と最優秀男優賞にも輝いた。

『マニャニータ』“Mañanita”
イランに続いてはフィリピンの警察で、こちらは麻薬組織の
検挙の現場で哀愁を込めた歌によって投降を促すという実際
に行われている作戦を背景とした作品。主人公は軍隊の女性
スナイパー。実績では勲章も貰った女性が素行の問題で任を
解かれる。そこから彼女はある男を追い始める。そんな彼女
の行動が明るい南国の景色の中でに描かれる。昨年上映『悪
魔の季節』のラヴ・ディアス監督が脚本を手掛けたもので、
フィリピンの歌謡曲もふんだんに聞ける作品だ。

『湖上のリンゴ』“Aşık”
凍結した湖の氷の上に置かれた齧り掛けのリンゴを巡って、
その来歴が描かれる作品。主人公の少年はアシュクと呼ばれ
る吟遊詩人の卵。サズという弦楽器を演奏しながら即興で事
物を歌い上げる。そんな少年が年上の女性に恋をするが、彼
が呼ばれたのは彼女の婚礼の席だった。そんな切ない初恋の
物語と、歌合戦など吟遊詩人の伝統が描かれる。それは旱魃
の続いた1960年代の夏の出来事。少年はリンゴに願いを託す
が…。雨乞いの犠牲などトルコの伝統も描かれる。

『ばるぼら』
手塚真監督が父・手塚治虫の作品に挑戦した作品。人気実力
を兼ね備えた作家が場末の地下道で酔いつぶれた女を拾う。
しかしその女は魔性だった。そんな女に作家は翻弄される。
手塚漫画の中では異質とされる原作のようだが、こんな手塚
も面白い。そんな作品を息子が巧みに描き切った。これは今
までの手塚真作品とは一線を画した何かが吹っ切れたような
作品だ。映画祭での評価には添い難いかもしれないが、僕は
この作品を支持したいと思う。

『チャクトウとサルラ』“白雲之下”
内モンゴルの草原を舞台にした若い夫婦の物語。同地出身の
作家・漠月による原作の映画化。結婚5年、心から愛し合う
2人だったが、その価値観には大きな隔たりがあった。草原
を愛する妻はその地を離れようとせず、夫は都会に出てさら
に遠くの土地にも行きたかったのだ。そんな価値観の違いが
悲劇を引き起こす。妻役の女優の歌声も美しいが、結末に伏
線がなく観客への裏切りが僕には少し解せなかった。審査員
は芸術貢献賞を贈っている。
        *         *
 以上で今回はコンペティション部門の14作品は全て会期中
に鑑賞した。今回も事前試写は実施されなかったが、他の部
門を割愛して、何とかコンペ作品だけは制覇したものだ。
 そこで僕が選ぶ各賞は、
東京グランプリ:ラ・ヨローナ伝説
審査員特別賞:ばるぼら
最優秀監督賞:ヌンツィア・デ・ステファノ(ネヴィア)
最優秀女優賞:タナ(チャクトウとサルラ)
最優秀男優賞:マリック・ジディ(戦場を探す旅)
最優秀芸術貢献賞:湖上のリンゴ
最優秀脚本賞:動物だけが知っている
観客賞:ジャスト6.5

 これに対して実際の受賞は
東京グランプリ:わたしの叔父さん
審査員特別賞:アトランティス
最優秀監督賞:サイード・ルスタイ(ジャスト6.5)
最優秀女優賞:ナディア・テレスツィエンキーヴィッツ
               (動物だけが知っている)
最優秀男優賞:ナヴィド・モハマドザデー(ジャスト6.5)
最優秀芸術貢献賞:チャクトゥとサルラ
最優秀脚本賞:喜劇 愛妻物語
観客賞:動物だけが知っている

 今回は全部門で受賞作とは異なる選択となった。まあ例年
一致することは少ないが。
 グランプリに関しては、このマッシュアップはなかなか成
功するとは思えないもので、これを実現したことは今後の映
画にも良い影響を与えそうだと思えたからだ。
 審査員特別賞に関しては、上記の作品紹介の通りなので、
僕の個人的なものとしておきたい。
 監督賞は、映画としては一番好きな作品だったので、ここ
に置いた。
 女優賞は、ひょっとして審査委員長への忖度が発生したか
なとも思えたものであえて選んだ。男優賞は実際の受賞者と
同じでもよかったが、全体的に男優は低調な年に思えた。
 芸術貢献賞は、実際の受賞作が審査委員長への忖度に思え
たもので、似た雰囲気だが僕はこちらの方が好きだ。
 脚本賞は、よくこの複雑な展開を考えたものだと思えたと
ころで、実際の受賞作は僕には思いつかなかった。
 観客賞は、昨年に続いて稲垣吾郎主演作でもよかった気が
するが、今年はR15+指定なのでファンが見られなかったのか
な。僕は単純に面白かった作品を選んだものだが。


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井口健二