井口健二のOn the Production
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2016年11月04日(金) 第29回東京国際映画祭<コンペティション部門>

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※今回は、10月23日から11月3日まで行われていた第29回※
※東京国際映画祭で鑑賞した作品の中から紹介します。な※
※お、紙面の都合で紹介はコンパクトにし、物語の紹介は※
※最少限に留めたつもりですが、多少は書いている場合も※
※ありますので、読まれる方はご注意下さい。     ※
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『アズミ・ハルコは行方不明』
(2016年8月21日付の題名紹介を参照してください。)

『サーミ・ブラッド』“Sameblod”
僕が子供の頃には「ラップ人」と教えられたヨーロッパ北部
に住む民族に纏わるスウェーデンでは黒歴史とも言える出来
事を背景としたドラマ作品。
1930年代のスウェーデンではサーミ族と呼ばれる人々が差別
と同化政策によってその民族の歴史を失おうとしていた。そ
んな中で自らの出自を消してスウェーデン人になり切ろうと
した少女の物語。
自らサーミの血を引くアマンダ・ケンネル監督が、サーミ族
の少女を主演に起用してその悲劇を描き上げる。主人公が辿
る、ある意味、民族の思いとは正反対の出来事を描くことに
より、その悲劇が際立たされる。巧みに描かれた作品だ。

『ダイ・ビューティフル』“Die Beautiful”
2013年の『ある理髪師の物語』で主演女優に受賞をもたらし
たジュン・ロブレス・ラナ監督の新作。
前作とは打って変わった現代劇で、トランスジェンダーの美
人コンテストで優勝した主人公が急死し、その生前の様子と
遺言に沿った葬儀を行おうとする残された人々の姿が、時間
を交錯させてコミカルに描かれる。
正直に言って僕はこの文化にはなかなか馴染めないのだが、
そんな中で本作に関しては、最初は引き気味に観ていたもの
の、最後にはある種の共感が得られるほどに描かれていた。
これも監督の手腕であることは確かだろう。

『ビッグ・ビッグ・ワールド』“Koca Dünya”
2013年に『歌う女たち』などが出品されたレハ・エルデム監
督の新作。孤児院で育ち、互いの絆だけを生きがい兄妹が、
彼らを分けようとする社会に抵抗し苦闘する姿を描く。2人
は罪を犯してまで逃亡を図り、森の中に隠れるが…。
兄が岸辺にバイクを隠して川を渡って隠れ家と行き来する。
その様子には2014年の『ゼロ地帯の子どもたち』を思い出し
た。本作はよりシビアな内容だが、森の中の様子はメルヘン
でもある。
その暗示するものにはいろいろと考えてしまうところもある
が、テーマとしての社会性と、その一方での描かれる映像美
などがバランスよく纏まっている作品とも言える。

『空の沈黙』“Era el Cielo”
女性が自宅でレイプされる衝撃的な場面から始まるブラジル
の作品。しかし彼女は帰宅した夫にそれを伝えず、夫も何か
秘密を抱えているようだ。そんな夫婦の微妙なバランスが、
やがてとんでもない事態へと進んで行く。実に見事な作劇の
作品。次から次へ変化して行く物語の展開が面白い。
2009年の審査員特別賞『激情』の原作者セルジオ・ピージオ
の小説に基づく作品で、原作者自身が脚色も手掛けている。
監督のマルコ・ドゥトラは、2011年のデビュー作がカンヌ映
画祭「ある視点」部門でプレミア上映されたとのことで、本
作は監督の第3作となる。

『フィクサー』“Fixeur”
未成年者売春組織を追ってフランスから来た撮影隊に地元の
若者が通訳兼助手として参加。彼はいろいろな手蔓を使って
取材に協力して行くが…。その取材を妨害する地元の黒社会
が徐々にその実体を現し始める。
ルーマニアの作品で原語表記のものはよく判らないが、エン
ドクレジットには実話からインスパイアされたと書かれてい
る気がした。正に実話に基づくものなのだろうが、そこから
何が言いたいのかがよく判らなかった。
監督のアドリアン・シタルは同時期にもう1本撮っていて、
そちらはベルリン映画祭に出品されたそうだ。監督は被害者
の人権も考えない報道の過熱を描きたかったようだが、それ
がちゃんと描けたかどうかは疑問だ。

『雪女』
デビュー作の『R-18文学賞vol.3 マンガ肉と僕』が2014年の
「アジアの未来部門」に出品された杉野希妃監督の第3作は
コンペティション部門で上映されることになった。
小泉八雲の原作は、1964年の小林正樹監督『怪談』の中でも
映像化されているが、今回は新解釈も含めて杉野の脚色・主
演で映画化されている。ただまあその新解釈が物語に生きて
いるかというとそれほどでもなく、全体的には物足りなさの
残る作品だった。
今回のコンペティションの日本映画は2作品だが、いずれも
少し軽めな感じの作品で、海外からの骨太の作品にどこまで
対抗できるのだろうか。

『7分間』“7 MINUTI”
フランスでの実話をイタリアに舞台を移してドラマ化した作
品。海外企業による買収が進む伝統ある工場で、買収の条件
とされる労働問題を女性の労組幹部11人が検討する。その条
件は、休憩時間を7分短縮するという些細なものだったが、
それを受け入れることに疑問が呈される。
目先の状況のために未来に残すべきものを差し出すのか…?
極めて大きな問題提起だが、作品中では海外からの移住者な
ど現在のヨーロッパが抱える問題がてんこ盛りで、本質が少
し見え難くなってしまった感じもした。
『12人の怒れる男』の女性版といった感じでもあるが、そこ
に出産までは、いくら何でもやり過ぎだ。

『シェッド・スキン・パパ』“脫皮爸爸”
2006年岸田戯曲賞を受賞した佃典彦作の舞台劇を、香港で映
画化した作品。要介護の老人だった父親がある日突然脱皮し
て若返る。その現象は繰り返され、どんどん若返って行く中
で、父親の生涯や主人公である息子の過去などが問い直され
て行く。
単純に若返りかと思っていると、途中でかなり幻想的な展開
になる。全体的なトーンが統一されているから観ている間は
判らないのだが、観終えてちょっと飛躍ぶりが気になった。
舞台だとそれはそれで押し通してしまえるのだろうが、映画
でこの展開は違和感になる。
監督が舞台演出家でもあるそうで、ちょっと感覚が違った。

『ブルーム・オヴ・イエスタディ』
              “Die Blumen von Gestern”
ドイツのホロコースト研究所を舞台に、ナチスの将校を祖父
に持つ研究員の許に、アウシュヴィッツで殺害された女性を
祖母に持つ研修者がやってくる。
かなり強烈な設定だが、やってきた研修者の女性がかなりエ
キセントリックで観ていて辟易する。しかも途中でその女性
が感情を爆発させるシーでは、その表現の仕方もあって観客
の複数人が席を立ってしまった。
最後まで観れば主張したいことは理解できるが、途中で観客
を帰らせては、その目的は果たせない。展開の中には謎解き
もあったり、いろいろ工夫はされているのだが。特に前半の
やり過ぎは、何の意図があるのだろうか? 

『誕生のゆくえ』“Be Donya Amadann”
登場するのは、過去には評価されたこともあったようだが現
在はスランプ状態の映画監督が家長の一家。その暮らしぶり
も芳しくない家庭で、第2子の誕生を巡って諍いが始まる。
最初は中絶に合意していた妻が疑問を抱き始めたのだ。
切実な問題を描いており、本作がそれを巧みにドラマ化した
作品であることは確かだが、背景となる中東社会が男尊女卑
の蔓延るという認識の許でこのような作品は、後半の展開も
含めて過去に何本も観てきている感じがする。
それ自体が中東社会に対する偏見かも知れないが、ようやく
ここまで来たのなら、さらにその次に進んで行って欲しいも
のだ。この作品はその手前に留まっている感じがする。

『パリ、ピガール広場』“Les Derniers Parisiens”
フランスの首都でも犯罪多発地区とされる場所を舞台にした
ドラマ作品。犯罪者からの立ち直りを模索する弟と、そんな
場所でも真っ当に生きてきた兄との確執が描かれる。
周囲には正当なビザを求めて苦闘する違法入国者なども配さ
れ、恐らくパリの現状が描かれているのだろう。ただしその
パスポートを巡る話が中途半端だったり、物語の全ては描き
切れていない。
主人公の問題にしても、其れなりの決着はあるがそれでよし
とは到底言えない状況。そんな中途半端な話ばかりが羅列さ
れている感じだ。全てが中途半端なままそれで終ってしまう
のは最近の映画の潮流ではあるのかもしれないが。

『天才バレエダンサーの皮肉な運命』
               “После тебя”
天才と謳われて国際的に活躍したが、自らの傲慢さとそれに
よって生じたとされる怪我で現役を引退したダンサーが、思
いの外に短い余命を告げられ最後の勝負に出る。そこに実の
娘とされる少女などが登場して物語が開幕する。
最初にDAYと表示されて1日で彼の性格などが紹介され、
次にWEEKと表示されて主人公の来歴や現状が描かれる。
そしてMONTHと表示されて…。この構成が極めて巧みで
物語自体も面白い。
また、主演の俳優が見事なソロダンスを見せたり、彼の娘を
演じる子役もちゃんと踊ってみせる。その準備の周到さも伺
える作品だ。完成度は今回のコンペ作品の中では頭抜けてい
ると思えた。

『私に構わないで』“Ne gledaj mi u pijat”
クロアチアの観光地を舞台に、華やかな街とは裏腹に底辺の
生活を余儀なくされる若い女性を描く。主人公は病院の検査
課に勤めているが安泰ではない。家には障害を抱える兄と口
煩いだけの母親、それに厳格な父親がいる。
その父親が突然倒れ、一家の生計が彼女の上にのし掛ってく
る。そして今までは誠実だった彼女の生活態度が徐々に崩れ
始める。
全世界的な不況は止まる所を知らず、今映画祭の上映作品の
中でもそのような背景の作品が多く見られる。それは行方も
定まらぬ暗中模索といった感じのものばかりだ。
その中で本作は最後に微かに何かが見えているようで、それ
が希望とは限らなくても、少しほっとする作品だった。

『浮き草たち』“Tramps”
過って留置所に入ってしまった兄に代って多少は真面目な弟
がアタッシュケースの運び屋を頼まれる。ところがケースを
交換する相手を間違えてそれを取り戻さなければならなくな
る…、といういたって有り勝ちなストーリーお話。
展開にはそれなりに工夫もあって観ている間はまあ面白かっ
たのだが、この物語では本来交換するはずだったアタッシュ
ケースがそのままになっており、話の辻褄が全く合わない。
物語上の多少の齟齬は目を瞑れる場合もあるが、本作程度の
話ではそれは出来ないだろう。
シナリオはもう少し慎重に書いて欲しいものだ。

『ミスター・ノー・プロブレム』“不成问题的问题”
1943年に発表されたという抗日戦争当時の富豪が経営する農
園とその使用人の姿を描いた小説の映画化。どんな問題も手
際よく解決する雇われ番頭を主人公に、生産性は高いが収益
の上がらない農園の状況が描かれる。
元の小説は新聞に連載されたものとかで、次から次に登場人
物が現れて、様々な問題が主人公の番頭に襲い掛かる。ただ
当時の国情を反映してか、それぞれの政治思想などはあまり
深く描かれず、また人間性に対する描き込みも中途半端で、
全体的には物足りない作品だった。
モノクロ、固定カメラという当時を髣髴とさせる映像は見事
ではあったが。
        *         *
 以上16本が今年のコンペティション作品。事前の試写会を
含めて今年は全作品を鑑賞することができた。
 そこでまず映画祭の各賞は、
グランプリ:ブルーム・オヴ・イエスタディ
審査委員特別賞:サーミ・ブラッド
最優秀監督賞:ハナ・ユシッチ(私に構わないで)
最優秀女優賞:
   レーネ=セシリア・スパルロク(サーミ・ブラッド)
最優秀男優賞:
   パオロ・バレステロス(ダイ・ビューティフル)
最優秀芸術貢献賞:ミスター・ノー・プロブレム
観客賞:ダイ・ビューティフル
WOWOW賞:ブルーム・オヴ・イエスタディ
に贈られた。
 これに対して僕の個人的な感想は、『サーミ・ブラッド』
の2冠は喜ばしい。監督賞と芸術貢献賞も納得かな。
 しかしグランプリに関しては、上記のように途中で観客が
席を立つような作品にはどうかと思う。審査員は最後まで観
ての判断だろうが。
 それに男優賞は、元々この演技は彼自身がこれを持ちネタ
にする芸人という情報もあって不満だった。
 それよりグランプリと男優賞には、『天才バレエダンサー
の皮肉な運命』の作品の完成度と俳優(セルゲイ・ベズルコ
フ)の演技力に感心したのだが。
 それと観客賞は、実は僕が観た会場にはロシア人が大量動
員されていてこれは獲れたと思ったが、それより動員力のあ
る集団があったようだ。


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井口健二