| 2011年10月30日(日) |
第24回東京国際映画祭(1) |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※今回は、10月22日から30日まで行われていた第24回東京※ ※国際映画祭で鑑賞した作品の中から紹介します。なお、※ ※紙面の都合で紹介はコンパクトにし、物語の紹介は最少※ ※限に留めているつもりですが、多少は書いている場合も※ ※ありますので、読まれる方はご注意下さい。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 《コンペティション部門》 『ヘッドショット』“ฝนตกขึ้นฟ้า” 2007年4月紹介『インビジブル・ウェーブ』などのタイ人監 督ペンエーグ・ラッタナルアーンによるかなり捻りの利いた ノアール・サスペンス。 主人公は元警察官の暗殺者。その暗殺者が、仕事中の頭部に 受けた銃弾によって視野の天地が逆様になってしまう。つま り、テレビも逆様に置かなければ観ることが出来なくなって しまう。それでも仕事は続けなければならない主人公は、や がてある達観を得る。 という主人公の、正義感の強い刑事から一種の仕置人のよう な正義に基づくと思われる暗殺者になるまで経緯や、暗殺者 としての仕事振り、さらにその仕事に隠された真の目的など が、時系列をばらばらにして描かれて行く。 監督は元々ノアール調の作品が得意なので、それは雰囲気の ある作品になっていた。ただし肝心の天地が逆様に見えると いう設定が物語として活し切れていない。描きたかったのは 先に書いた「それで達観を得る」ことの方なのかもしれない が、その達観自体の内容も不明確で、観客に充分に伝わって こないのでは、作品としては意味不明だ。 テーマ的には僕のテリトリーのものだし、期待も大きかった のだが、その期待は見事に外されたという感じの作品になっ てしまった。
『キツツキと雨』 2009年『南極料理人』が話題になった沖田修一監督のオリジ ナル脚本による作品。今回のコンペティションに日本映画で は唯一の参加となり、審査員特別賞を受賞した。 山間の林業で成り立っているらしい村にゾンビ映画の撮影隊 がやってくるというシチュエーションの、かなりコメディ調 の作品だが、物語では若い監督の成長やそれに巻き込まれる 周囲の人々の人情のようなものも巧みに描かれていて、映画 としてはすっきりと鑑賞できた。 しかし作品としては可もなし不可もなしというか優等生過ぎ る感じで、果たしてこれが審査員特別賞に値するかというと 多少疑問には感じられた。僕としては、この賞にはもっと尖 った作品を期待してしまうところだ。 ただし、僕は役所広司の最優秀男優賞ならありかなと思って いたものだが、役所は1997年の『CURE』で主演男優賞を 受賞しているから、2度目は難しかったかも知れない。その 代わりの受賞のような感じもしてしまった。 映画の中では、「ゾンビは走りません」という監督の台詞が あってそこはニヤリとしたが、沖田監督自身はゾンビには興 味はなくて、その種の映画も観たことはなかったそうだ。で もこういう台詞は書けたということで、それには感心した。
『最強のふたり』“Intouchables” 事故で頸から下が完全に麻痺してしまった富豪と、その介護 人に選ばれた黒人青年との実話に基づくフランス作品。映画 祭では、最高賞のサクラグランプリと、主演の2人が最優秀 男優賞を受賞した。 刑務所から出てきたばかりの黒人青年が、失業保険の手続き に必要な面接を受けにやってくる。従って本人には受かるつ もりもないから面接もいい加減な態度なのだが、それが多少 へそ曲がりの富豪に気に入られてしまう。 そこからは趣味も生活も正反対の2人がすったもんだを繰り 広げるが、徐々に互いを理解し合いやがて「最強のふたり」 を作り上げて行く。まあどちらから見ても夢みたいな話で、 正直にはこんなに巧く行くはずないとも思ってしまうが、こ れは実話に基づくものなのだ。 コメディとしてナチュラルで、その点に感心した。実はこの 前に上記の日本映画を観て、「コメディは映画祭には難しい けどこれなら行けるかな」と思っていた矢先の本作で、これ には負けたと思わされた。オープニングがかなり強烈で、そ こから一気に物語に引き込む構成も巧みに感じられた。個人 的には観客賞かなとも考えていたが、グランプリも妥当なと ころだろう。 ただエンドロールに実際の2人の写真が登場して、黒人青年 が実はアラブ系だったことが解かり、フランスの話だしそれ は当然だなとは思いつつも、映画化で敢えてアフリカ系に変 更したのは…?とは考えてしまった。
『羅針盤は死者の手に』“La brújula la lleva el muerto” アメリカとの国境地帯を舞台に、違法越境者たちの姿を描い たかなりシュールなメキシコ映画。 主人公はシカゴに暮らす兄の許を目指している少年。少年は 国境に向かう道で老人が御すラバの牽く荷馬車に乗せて貰う が、間もなく老人は羅針盤を握ったまま死んでしまう。それ でも死体を隣りに座らせたまま旅を続ける少年だったが、や がてその荷馬車に様々な人が乗り込んでくる。 画面には同じ背景が何度も登場して、荷馬車が堂々巡りをし ていることを伺わせる。それは老人から少年に渡った羅針盤 のせいのようにも思われ、もしかしたら登場人物全員がすで に死んでいる物語かとも考えさせられた。が、結末を観ると そうでもないようだ。 乗り込んでくる様々な人の姿がメキシコの現状を象徴してい るのかも知れないが、その辺は知識がないから判断もできな かった。また途中で登場する鉄道駅や、開校したばかりの小 学校のエピソードなど、それぞれに何かが象徴されているの かもしれないが、その寓意も解からない。 物語の全体はシュールという感じで、それは面白く観られた 作品ではあったが、何か理解し切れないもどかしさが残る作 品だった。
『夢遊/スリープウォーカー』“夢遊” 2007年5月紹介『ゴースト・ハウス』などのオキサイド・パ ン監督による香港=中国製作の3Dホラー作品。ただしプレ ス向けの上映は2Dで行われた。 主人公は未解決幼児誘拐事件の当事者の女性。その女性が、 寝ている間の自分の行動に疑問を持ち始め、自身が殺人者で あるかも知れない状況に追い込まれる。一方、彼女が観る夢 の中では、誘拐事件の犯人像も示唆されるが… 映画では、巻頭のタイトルから3Dを伺わせる映像が登場し て、本編中も3D効果はいろいろ発揮されたと思わせたが、 それは観られていないので評価のしようがない。ただそれを 除くと、お話自体はまあ有り勝ちという感じで、ホラーとし ての魅力も余り感じられず、パン兄弟としたものがこれでは どうかという作品だった。 特に、映画の中で語られる夢の設定というか定義が曖昧で、 さらにそのシンクロニティみたいなものがもっとちゃんと描 ければそれなりに面白くなったとも考えられたが、その辺の 描き込みも充分ではない感じがした。 それにホラー映画自体が映画祭のコンペ部門で上映するのに 似合っていない感じだが、1997年に受賞した『CURE』は ジャパニーズホラーの先駆的な作品だったから、東京国際映 画祭にはそういうイメージもあるのかな。でもあの頃はファ ンタスティック映画祭も併催されていたものだが。 いずれにしても、映画としてのまとまりも余り感じられない 作品で、3Dで観ればそれなりのものはあったのかも知れな いが、僕にはその判断もできなかった。
『ホーム』“Yurt” 雄大な自然とそこに忍び寄る開発の影、そんな世界中が直面 している問題を扱ったトルコ映画。 主人公は欝病になり、医師の勧めで休暇を取って故郷の町に やってくる。しかしそこにはダム建設の計画が進んでおり、 自然が失われようとしていた。そしてトルコ国内では1500の 河川で開発が進められ、今後10年間に400のダムが建設され るなどの状況が紹介される。 と言っても、主人公は欝病の静養に来ている訳で、別段声高 に自然破壊反対を唱えるようなものではない。その辺は映画 を観ていれば解かるように描かれているのだが、その割りに は主張が生で、何というか生硬な感じがしてしまった。これ ならもっと直截に描いた方がすっきりしたのではないか、と も思わせたものだ。 トルコ辺りでもこのような開発問題に直面しているのか…と いうのは失礼な認識だとは思うが、正直なところはその違和 感も少なからずあった。その辺から僕はこの映画に乗り切れ なかったものだが、その描き方も余り巧みではなかったよう に感じる。 それは妙にローカルな感じで、映画としての普遍性に欠ける 思いがしたものだ。これではたぶんトルコ国内の状況を解っ ている人の共感は得られるが、それが国際的な共感には繋が らない。そんな感じの作品だった。 結局、制作者は自然破壊反対を唱えたいのだろうが、自らの 主張を嫌みでなく描くのにはかなりのテクニックを要するも のだ。東京国際映画祭でならナチュラルTIFF部門の方で上映 するのが良かったのではないかとも思った。
『ガザを飛ぶブタ』“Le Cochon de Gaza” 中東パレスチナの現状を背景にしたフランス・ベルギー合作 のコメディ映画。映画祭では観客賞を受賞した。 物語の発端は、パレスチナ人の漁師が豚を釣り上げてしまう というもの。しかしイスラム教徒にとって豚は不浄の生き物 であり、さらにはパレスチナを支配するユダヤ教徒にとって も豚は不浄で、つまりパレスチナでは豚は行き場所のない存 在なのだ。 そこで困惑した漁師は、取り敢えず豚を自分の船の中に隠し てしまうのだが、やがてその豚に思わぬ利用法が見つかった り、さらにいろいろな混乱と笑いを生み出して行く。 豚がイスラム教とユダヤ教の両方で不浄の存在だと言うのは 知っていたが、このように描かれるとパレスチナの状況が一 層不思議に思えてくる。それもこの映画の制作者たちの意図 なのだろう。そして豚の周囲で展開されるエピソードも秀逸 で、パレスチナの現状の異常さが見事に描かれている感じが した。 因に主演のカッソン・ガーベイは、2007年のサクラグランプ リを受賞した『迷子の警察音楽隊』(2007年9月紹介)にも 主演していた人。その時も見事な演技を見せていたが、本作 でもそれは変わらない。困難な状況の中で何とかそれを打開 しようとする姿が印象的に演じられていた。 個人的には、この作品が審査員特別賞で、観客賞は『最強の ふたり』かなとも予想していたが、これは投票の結果だから この通りなのだろう。お陰で審査員特別賞の席が空いたよう な感じもした。
『プレイ』“Play” 移民社会との軋轢に揺れるスウェーデンの現状を描いた同国 及びデンマーク・フランス合作映画。映画祭では最優秀監督 賞を受賞した。 東京国際映画祭のコンペティションでは何年かに1本極めて 不愉快な作品がある。また今回は後で書くように次の上映開 始まで時間が無いときには、前の上映を途中で退出しなけれ ばならない状況もあって、この作品は途中で観るのを止めて しまったものだ。 題名は子供の「遊び」の意味だと思うが、内容は、黒人少年 のグループがアジア人と白人の少年グループをネチネチと苛 めまくる展開を、生理的な不快感を催す描写も含めてリアル に描いたもので、僕にはどうにも耐えられなかった。 しかしこの作品は受賞しているのだが、審査委員長の報告に よると、この受賞は1人の審査員の強力な推薦によったらし い。そしてその審査員というのが、実は僕は彼の作品を何本 か観ているが、サイトには1本しか掲載していない監督で、 この結果はそれで納得したものだ。 作品に対する不快感というのは、思想的なものなどいろいろ あるが、生理的なものはそれを超越すると思う。その点で本 作はヨーロッパやアメリカの上映でも物議を醸したとされて おり、この時点では東京のみで受賞となっていたもの。まあ そんな作品が選ばれてしまったと言うことだ。 因に、後で最後まで観た人(複数)に話を聞いたら、結末は さらに不快だったのだそうで、不快に感じていたのは僕だけ ではなかったようだ。
『デタッチメント』“Detachment” 背景は現代のニューヨーク。その街で荒れ切った公立高校に 赴任する代理教師を主人公に、アメリカの教育現場が直面し ている様々な問題を描いたアメリカ作品。映画祭では最優秀 芸術貢献賞を受賞した。 主演はエイドリアン・ブロディ。共演者には2010年5月紹介 『ブレイキング・バッド』のブライアン・クランストン、同 12月紹介『かぞくはじめました』のクリシュティーナ・ヘン ドリック。さらにルーシー・リュー、ジェームズ・カーン、 ブライス・ダナーら錚々たる顔触れが並んでいる。 巻頭にはアニメーションが飾られる一方で、途中には教師の インタヴュー映像がモノクロで挿入されるなど、かなり凝っ た演出も施されている。この辺が芸術貢献賞の所以でもあり そうだ。 そして主人公が直面する様々な問題が提示されるが、それら が綺麗事ではなく、さらに主人公自身も完璧ではないなど、 正にリアルな教育問題が描かれている。そこには当然のごと くHIVやレイプなども描かれるが、それらが生理的な嫌悪 感を越えた現実として描き切られていることが、この作品の 崇高さにも繋がっている感じがした。 そしてそれら物語を、上記の俳優たちが見事なアンサンブル で演じ切っている。正に社会派の問題作と言えるもので、個 人的にはグランプリでも良かったと思える作品だった。
『トリシュナ』“Trishna” トマス・ハーディの古典小説「ダーバヴィル家のテス」を、 2011年2月紹介『キラー・インサイド・ミー』などのマイク ル・ウィンターボトム監督がインドに舞台を移して映画化し たイギリス作品。実は、スケジュールの都合で日本語字幕の 付かない上映で観ることになったが、ヒンドゥー語の台詞に は英語字幕が付くし、インド人の英語は聞き取りやすいので 鑑賞に支障はなかった。 物語の背景は現代。インドの宮殿のようなホテルを舞台に、 ホテルの経営者の息子と、そのホテルにメイドとして就職し た農村出身の女性との恋が、急激に変化する社会情勢や農村 と都会の生活の違いなどによって翻弄されて行く。 原作は19世紀末のイングランドを舞台にしていたものだが、 その当時の状況と現代のインドの状況が似ているということ なのかな。物語自体は余り違和感もなく受け入れられるもの になっていた。 ただまあ元々のお話がああいうものなので、その点は変えら れないし、結局はそういう物語が展開されてしまう。それは 原作物だから仕方がないが、現代ならもう少し変わってくる のではないか…という感じはしてしまった。 主演は、『スラムドッグ$ミリオネア』などのフリーダ・ピ ント。悲劇のヒロインを見事に演じていた。 なお背景にはインドの古い宮殿や寺院なども登場して、観光 映画的に楽しむこともできたが…。
『別世界からの民族たち』“Cose Dell'Altro Mondo” 移民問題が21世紀最大の社会問題とも言われるヨーロッパの 現状を背景にしたイタリア作品。その社会問題をファンタス ティックな偶意に満ちた風刺コメディに仕立てている。 舞台は、イタリア北東部のそれなりに富裕層の暮らす街。そ の街では移民労働者の割合も比較的高かったが、彼らはみな 合法的な居住者だ。そして彼らの雇主でもある元からの住人 たちは、そんな移民労働者たちを差別的な目で見詰め、嫌み で皮肉なお笑いのネタにもしていた。 ところがある日、そんな街から移民労働者の姿が消え始め、 それまで彼らに頼り切っていた人々の生活が混乱し始める。 それは彼らを皮肉の目で観てきた人々にも彼らの存在を再確 認させることになって行くが… 今まで差別してきたものがいざ居なくなると…。そんなドタ バタのコメディは有り勝ちのものだろう。それに対して本作 が何か新規な見識を持っているかというと、それは余り感じ られなかった。 結局、この映画の制作者は何を言いたかったのか。移民労働 者の存在に反対なのか、それとも彼らを正当に受け入れるべ きと言いたいのか。その辺の態度の曖昧さというか、その態 度を明確にできない優柔不断さが、作品そのものの価値を下 げてしまっている感じもした。 実際には、映画の前半の移民労働者に対する差別的な発言の 部分がかなり生き生きと描かれており、そういう思想の制作 者なのかも知れないが…
『転山』“转山” 台湾在住の青年が兄の遺志を継いで自転車でチベットのラサ を目指す行程を描いた中国映画。映画祭では、最優秀芸術貢 献賞を受賞した。 大学を卒業した主人公は、敬愛していた兄が自転車でラサに 向かう途中死亡したことを知らされ、その遺志を継ぐことを 決心する。それは今まで甘えて過ごしてきた自分自身への挑 戦でもあった。 しかしラサへの行程は厳しい山岳路や事故の起き易い悪路、 さらにチベッタン・マスティフの群れとの遭遇や食中毒など 様々な試練の連続となる。そんな行程でのいろいろな人々と の出会いや別れ、それが主人公を成長させて行く。 この作品はプレス向け上映ではなく、一般上映で鑑賞した。 そのため上映後のQ&Aにも出席したが、撮影中の苦労話は 尽きなかったようだ。そしてそんな厳しい撮影で得られた素 晴らしい自然の景観が、見事に映画に表現されたと言うこと もできる作品だった。 ただ、その撮影の厳しさが伺える一方で取って付けたような 事故のエピソードが必要だったかなど、ドラマ作りには疑問 を感じるところもあったもので、それはドキュメンタリーで はないから作り物はあっても良いが、それが浮いてしまった り違和感を持たせてはいけないようにも感じられた。 つまりは策を弄しすぎて却って誠実さが失われているような 感じで、勿体無い感じもしたものだ。
『アルバート・ノッブス』“Albert Nobbs” 19世紀のダブリンを舞台に、生きて行くために性別を偽らな くてはならなかった女性の物語。2008年12月紹介『パッセン ジャーズ』などのロドリゴ・ガルシア監督の作品で、映画祭 では主演のグレン・クローズが最優秀女優賞を受賞した。 主人公のアルバートは、内気だが真面目で気の利くベテラン 執事。ホテルに務めるアルバートには目当ての客も多く訪れ ていたが、その執事には人には言えない秘密があった。それ はその実体が女性であったということ。その時代に結婚を欲 しない女性が1人で生きて行くためには、「男性」になるし かなかったのだ。 この主人公アルバートをクローズが演じて、それは正に圧巻 の演技を見せる。その演技は勿論女優賞に値するものだが、 でもそこは、何をいまさらクローズに授賞かと言う気分にも なってしまうもので、僕はむしろ共演した女優の方に演技賞 を贈りたい気持ちにもなった。 なお本作もプレス向け上映ではなく、一般上映で鑑賞したも のだが、実はこちらの上映ではその後のQ&Aはなし。つま りこの上映に際して監督、出演者など関係者の来日はなかっ たようで、これにはかなり寂しい思いがした。 今回の東京国際映画祭では、福島原発災害の影響で開催直前 まで審査員も決定しないなど、運営面での問題も多くあった が、その中で敢えて受賞者の登壇しない受賞式が演出された のも、今回を象徴していたと言えるのかも知れない。
(今回の掲載は各部門ごとの映画祭での鑑賞順で、以下は翌 日に続きます)
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