井口健二のOn the Production
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2008年09月07日(日) 釣りバカ日誌19、ザ・フー:アメイジング・ジャーニー、中華学校の子どもたち、秋深き、DISCO、懺悔、パリ

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『釣りバカ日誌19』
1988年にスタートした西田敏行、三国連太郎共演シリーズの
最新作。やまさき十三原作、北見けんいち画による連載コミ
ックスの映画化。
通し番号は『19』と振られているが、作品リストを見ると
番外編が2本あって、シリーズは21作目となるようだ。これ
は全48作を数える『男はつらいよ』には遠く及ばないが、現
在もレギュラーで製作されているということでは、それぞれ
28作の『ゴジラ』『座頭市』(『ICHI』を含む)を抜く可能
性はありそうだ。
という作品だが、実はスクリーンで見るのは今回が初めて、
以前に社員旅行のバスの中でヴィデオを観た記憶はあるが、
今までに試写状を貰ったこともなく、自分には無縁の作品と
思っていた。しかし今回は、折角初めて試写状を貰ったこと
でもあり、松竹の試写室に足を運んでみたものだ。
で、感想はというと、見事にプログラムピクチャーという感
じの作品で、勤務先のセキュリティー強化など、ごく在来り
の現代描写を除いては、恐らく半世紀以上前からあるであろ
う身分の違う恋物語が展開される。
とは言うものの、この恋物語は極めてあっさりと片づけられ
てしまうのは現代的で、後の物語の本筋は、今回のロケ地で
ある大分県での海釣りの様子や、結婚式のスピーチを頼まれ
た主人公のすったもんだなどが描かれる。
基本の設定が、主人公は大の愛妻家で他の女には目もくれな
いということになっているらしく、女関係を本筋に持ち込め
ないのはドラマ作りをかなり制約しているとも感じるが、そ
の分、釣りや観光の旅行気分を満喫させてくれるのが、本作
の目的なのだろう。
共演は、浅田美代子。他に、常盤貴子、山本太郎、竹内力の
3人が今回のゲストだと思うが、実は初めて観る僕には、ゲ
ストかレギュラーか判らないのは気になった。
なおエピローグでは、次回作にちょっと波乱の起きそうな展
開があって、それが実現したらそれはそれでまた面白くなり
そうだ。ただし、1年後にまた試写状を貰えるかどうかは判
らないところだが。

『ザ・フー:アメイジング・ジャーニー』
       “Amazing Journey: The Story of The Who”
ケン・ラッセルが1975年に監督したロックミュージカル映画
『トミー』の原作アルバムなどで知られるロックバンドThe
Whoの歴史を追ったドキュメンタリー。
映画版の『トミー』は好きな作品の1本だが、僕にとっての
The Whoのイメージは、それ以外にはあまりない。イギリス
のロックバンドで、最近、元メムバーの1人だったキース・
ムーンを題材にした映画の製作が進められているといった情
報を持っている程度だ。
だからこのドキュメンタリーを観て、その歴史というか、バ
ンドを作っていく上での苦悩のようなものを見せられると、
物凄いことを成し遂げた彼らに対する尊敬のようなものも感
じさせてもらえた。多分ファンの人にも、そんなことを再確
認させてくれる作品だ。
リードヴォーカルのロジャー・ダルトリーは、元々は町の不
良だったそうだが、ある日、音楽に目覚めたロジャーはバン
ドを結成。そこに参加したのがベース奏者のジョン・エント
ウィッスルで、さらにその友達でリードギターのピート・タ
ウンゼントも加入する。
こうして基礎の作られたThe Whoには、さらにキース・ムー
ン(ドラムス)が加入することでその姿が完成する。そして
最初は別のバンド名でデビューするが、すぐにThe Whoに戻
して、人気を得て行くことになる。
その曲は、ほとんどがピートの創作で、他にはジョン、キー
スの作品もあるが、リーダーのロジャーはほぼ歌唱に専念し
て曲作りはしていないそうだ。またジョンのベースとキース
のドラムスの独自性は、The Whoの特徴とも言われる。
従ってThe Whoは、3人の天才と1人の歌手で成立したとも
言われるようだが、このためリーダーでもあるロジャーと他
の3人、特にピートとの間にはいろいろな確執が生まれるこ
とになる。それは、特にロジャーだけがドラッグを拒否した
ことにも拠るようだ。
それでも、『トミー』の大ヒットなどでシンガーとしての地
位も確立して行くロジャーだっが、そんな中で1978年にキー
スがドラッグの過剰摂取と思われる状態で死去。1982年には
The Who解散へと事態は進展して行く。
ところが、The Who時代からの浪費癖が収まらないジョンが
破産などを繰り返し、見兼ねたロジャーとピートがその救済
目的で復活コンサートなどを開く。しかしジョンは立ち直ら
ず、2002年にラスヴェガスのホテルで死亡。
その後は、確執も消えたロジャーとジョンを中心にThe Who
は復活し、今年は世界ツアーの中、日本公演も予定されてい
るようだ。
と、まあ何とも壮絶なバンドの歴史が、かなり初期から記録
されているライヴ映像や、その時々のマネージャー、さらに
スティングら、The Whoに影響を受けたと公言するミュージ
シャンたちの証言も交えて、2時間たっぷりと魅せてくれる
作品だ。
監督は、『毛沢東からモーツァルトへ』で1980年のオスカー
を受賞したマーレイ・ラーナーと、2005年11月紹介した『ロ
ード・オブ・ドッグタウン』の基になったドキュメンタリー
“Dogtown & Z-BOYS”のポール・クロウダー。2人の共同で
強力な作品が作られている。

『中華学校の子どもたち』
横浜中華街に在る台湾系の横濱中華學院と、その山手の丘に
在る大陸系の横浜山手中華学校。この内の山手中華学校を中
心に、現代華僑の子供たちを描いたドキュメンタリー。
中華学校は、孫文の思想に基づいて世界中に進出した華僑の
子供たちが中国文化を継承することを目的に設立されたもの
で、日本の学校でも春節の獅子舞など中国独特の文化を伝え
る場となっている。
そんな文化継承の場として設立された学校だが、1949年の中
華人民共和国成立の際には台湾系と大陸系が対立し、1952年
に台湾系による横濱中華學院の封鎖、臨時教室による山手学
校の開校などが起きている。
その対立も今では両陣営の歩み寄りなども在るようだが、依
然として横浜には2つの中華学校が存在しているものだ。
というような内容を描いた作品だが、監督したのは岡山県出
身の日本人だが北京電影学院導演系に学んだという人で、そ
の視点はどちらかというと大陸系に寄っているようにも感じ
られた。
まあ、この種の題材で完全に公平というのはなかなか難しい
とは思うが、特に学校封鎖時の日本官憲の介入を繰り返し述
べる辺りは、多少奇異にも感じられたものだ。
因に撮影は、山手学校の全面協力の下で行われているが、エ
ンドクレジットでは「感謝」として横濱中華學院の名前も挙
がっており、取材は両校に行われているようだ。後は監督の
考えということだろう。
そしてその歴史以外では、主に子供たちの郊外学習などが描
かれているものだが、これが何というか通り一遍な感じで、
その辺の落差も気になった。実際この子供たちを写した映像
は、学校のPR映画を観ているような感じで、作品の全体的
な印象もそれに近い。
学校のPRが目的ならこれでも良いかも知れないが、華僑で
ない日本人を観客とするなら、もっと違う部分も見せて欲し
かった。特に監督自身が北京在学中に感じたと言う反日の部
分も見たかったし、それがなかったのなら、その無いという
事実も踏まえたものを描いて欲しかったところだ。

『秋深き』
「夫婦善哉」などの織田作之助による1942年作品「秋深き」
と1946年作品「競馬」を原作とする映画化。純朴な高校教師
がホステスに恋をし、ホステスも彼の純朴さに曳かれて結婚
するが…
原作は読んでいないが、何時の世にもこういう物語はあると
言うことだろう。物語に織り込まれる霊感商法や怪しげな民
間療法が原作にあるのかどうかも知らないが、この種の物語
なら何か別のものであれ、あってもおかしくはないものだ。
だから物語は予想通りというか、他にもいろいろな作品があ
ったように進む。ただしそこに、霊感商法や民間療法のよう
なものが現代を反映しているようにも思えるし、古来から不
変の純愛物語が現代に蘇っている…そんな感じの作品だ。
実際、ハリウッドでは今でもこんな風な純愛物語が連綿と作
られているが、最近の日本映画は何か今に振り回されている
ような作品も多い中で、この作品は現代性を適度に取り入れ
て、丁寧に純愛物語を撮っていると言えるかも知れない。
ただそれが現代の観客に受け入れられるか否かだが、本作は
そこに八嶋智人、佐藤江梨子という多分人気者の主演を置く
ことでアピール度が上がればいいというところだろう。他に
赤井秀和、佐藤浩市らが共演。
監督は、最近では東宝テレビ特撮なども撮っているという池
田敏春。日活ロマンポルノの出身で、本作でも佐藤の撮り方
にその片鱗は見せるが、全体的にはストレートな人間ドラマ
に仕上げている。
主演の2人は、正直に言って八嶋は普段のテレビのイメージ
のままだが、佐藤は『キューティーハニー』のようなコケテ
ィッシュさに加えて、大人っぽい美しさもあり、特に上背の
大きさが小柄な八嶋と対照的にうまく表現されていた。
ただまあ、霊感商法や民間療法、それにギャンブルなどが全
く否定されずに描かれているのは気になったところで、原作
の時代は知らず現代では、小説では許されても、一般大衆を
相手にする映画の表現として良いかどうか。
自殺の表現も含めて、藁をも掴もうという人たちが何をして
しまうかは、ちょっと考えて欲しいところだ。


『DISCO』“Disco”
フランスで大人気のコメディアン=フランク・ディボスク脚
本、主演による作品。巻頭では「Sunny〜」という歌声が流
れ始めて、正しくディスコ映画が始まるという感じにさせて
くれる。
物語の舞台はフランスの湊町。主人公のディディエは、昔は
地元のディスコで人気のダンスグループ=ビー・キングとし
て鳴らしたアマチュアダンサーだった。
しかしその想い出を忘れられないのか、いまだに浮き草のよ
うな生活で、イギリス人だった妻は1人息子を連れて母国に
帰国してしまっている。そしてその妻から送られてきた息子
との面会を断る英語の手紙も、母親に通訳して貰わなくては
ならないような為体だ。
そんな彼に夢が生まれる。それはジェラール・ドパルデュー
扮するディスコのオーナーが企画したダンス大会で、それに
優勝するとペアのオーストラリア旅行が副賞として与えられ
るというもの。それがあれば、ヴァカンスを息子と過ごすこ
とができるのだ。
そこで昔の仲間を掻き集め、ダンス大会への挑戦を考える主
人公だったが、総勢3人の仲間の1人は妻子持ちの上に勤務
先の昇進試験を控えて、とてもそれどころではない。そして
もう1人は、港湾労働者の争議リーダーでこれもなかなか時
間が取れなかった。
それでも何とか息子のためにと約束を取り付けた主人公だっ
たが…。これにエマニュエル・べアール扮するアメリカ帰り
のバレーのインストラクタらが絡んで、トーナメント形式の
ディスコダンス大会が開幕する。
主人公は、プリントの剥げ掛かったビージーズのTシャツを
着て、自らトラヴォルタと名告るなど、正に『サタデー・ナ
イト・フィーバー』なのだが、正直に言ってそのダンスは、
ノスタルジーを除けばあまり冴えたものではない。
そこにバレーダンスの表現を取り入れるなど、いろいろ考え
るという展開はあるが、それが映像で功を奏しているとも思
えない。だから、元々が主人公にペア旅行を与えるための出
来レースとでも考えれば辻褄は合うが…多少その辺は厳しい
展開だった。

でもまあ、中年男性に夢を与える点がフランスでは受けたの
かな? そんな感じで中年過ぎには、流れるディスコ音楽へ
の懐かしさもあり、それなりに楽しめる作品と言えそうだ。

『懺悔』“მონანიება”
1987年のカンヌ映画祭に出品され、審査員特別賞を受賞した
グルジア(ソ連)映画。ソ連崩壊の直前にその歴史の暗部を
描き出したとして、当時の絶賛を浴びた作品。物語は1937年
のスターリンの粛清に準えているもので、そのスターリンは
グルジア出身者なのだそうだ。
映画は、とある町の市長が亡くなったところから始まる。そ
して軍服姿の参列者や中央からの弔問者などに囲まれて盛大
な葬儀が行われるが、埋葬も終った日の深夜、市長の息子は
父親の遺体が庭に立っているのを発見する。
その遺体は何度埋葬しても庭に戻され、ついには警察の警備
のもと犯人が捕えられるが…その裁判の席で、犯人は亡くな
った市長に対する告発を始める。それは人々に理不尽な仕打
ちをした市長に対する復讐だった。そしてその恐怖の実態が
描かれる。
映画にはかなり戯画化された部分とシリアスな部分とが綯い
交ぜになっているが、この作品が製作から数年後とはいえ国
内で公開できたことがソ連終焉の象徴ともなったし、その歴
史的な価値は疑いのないものだ。
しかしそれを20年も経って観せられると、何か違和感を感じ
てしまう。確かに20年前にはソ連の終焉がこの作品によって
象徴されたが、この作品が観られたことで人々が感じたであ
ろう希望の未来が、果たして実現したものか否か。
それを含めて、何をいまさらと言う感じもしてくるものだ。
実際この作品がなぜ20年間も我々の目に届かなかったのかと
言うことにも疑問を感じるし、それがなぜ今年公開されるの
かと言う点にも何かの意図を感じさせる。
特に、ロシア軍のグルジア侵攻が報道された今の時期の公開
には、皮肉という以上のものを感じさせる。なお20年前に日
本公開できなかったのは、アメリカの配給会社が全世界の権
利を独占したためとされているが、それが20年間も失効しな
かったのだろうか。
因に映画は、アメリカンヴィスタでもない純粋3:4のスタ
ンダードで撮影されている。実はIMaxもこの比率だが、テレ
ビも9:16になっている時代に普通のスクリーンで観ると妙
に縦長に感じるものだ。映画ファンにはそんな歴史的価値も
感じられた。

『パリ』“Paris”
『スパニッシュ・アパートメント』『ロシアン・ドールズ』
などのセドリック・クラピッシュ監督が、故郷のパリに戻っ
て撮影した作品。監督は本作の中で、登場人物の1人に「誰
もが不満だらけの街」と言わせているが、そんなパリを愛情
を込めて描いた作品だ。
主人公のピエールは、ムーラン・ルージュのダンサーだった
が、心臓病で余命わずかと診断される。そんな彼が、心臓移
植のドナーを待つ間の楽しみは自宅のベランダからパリの街
を眺めること。そこにはいろいろな人生が行き交っている。
そんなピエールの生活を案じて、3人の子持ちでシングルマ
ザーの姉のエリーズが、一家を連れて彼と同居を始めること
にする。そして、近くの市場(マルシェ)に買い物に行った
エリーズは、そこに店を構えるジャンに心を引かれる。
そのジャンは、別れた元妻のカロリーヌに未練があったが、
カロリーヌは同じマルシェに店を構えるジャンの同僚と良い
仲になっている。
一方、ソルボンヌの歴史学の教授ロランは、テレビでパリの
歴史シリーズを持つほどの人気者だったが、ある日、教室で
彼の授業を受ける女子学生レティシアに恋心を抱く。そして
年甲斐もなく彼女の携帯にメールを打ってしまった彼は…
そのレティシアは、ピエールのベランダから見えるアパルト
マンに住んでいたが…
その他、カメルーンにバカンスに来たマルジョレーヌと、そ
のカメルーンからパリに住む兄を頼ってフランスへの危険な
密入国を試みる少年ブノアなど、一見接点のなさそうな人々
の人生が巧みに交錯して物語が綴られて行く。
監督の作品は、かなり以前の『猫が行方不明』と『ロシアン
・ドールズ』しか観ていないが、いずれも現代の若者の姿を
感性豊かに描いていた。特に『スパニッシュ…』の続編でも
ある『ロシアン…』では、少し年を取ってしまった若者たち
が見事に描かれていた。
そして本作では、若者とは呼べない人たちも含めていろいろ
な世代の人たちの姿が、素晴らしい愛情を込めて描かれてい
る。それは、パリという街への愛情と重なって見事なハーモ
ニーを見せるものだ。
2006年12月に紹介した『パリ、ジュテーム』も素敵なパリを
見せてくれたが、本作でも、パレ・ロワイアル公園、ソルボ
ンヌ大学、カタコンベ、ペールラシェーズ墓地、ロザン邸な
どなど、パリ観光も楽しめる作品になっている。


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井口健二