井口健二のOn the Production
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2008年03月30日(日) 春よこい、カスピアン王子(特)、ラスベガスをぶっつぶせ、闇の子供たち、長い長い殺人、リボルバー、ブルー・ブルー・ブルー

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『春よこい』
殺人を犯して逃亡した夫であり父親である男性を待つ家族を
描いた作品。
主人公の一家は代々釣船屋を営んでいたが、夫はもっと実入
りの良い漁師を目指して高速船を購入する。しかし、漁師は
一朝一夕にできるものではなく、嵩んだ借金は悪質な取り立
て屋の手に渡って、しつこく男がやってくるようになる。
そして、その取り立てが暴力的になったとき、夫は行き掛か
りでその取り立て屋を殺害、そのまま高速船で逃亡。やがて
船は見つかるが、夫の姿はなく行方不明となる。そして交番
には、指名手配の写真入りポスターが張り出される。
やがて4年が経ち、9歳になった息子は父親の顔を忘れまい
と、交番の前でポスターに見入るようになる。しかしその姿
が新聞に報道され、事件を忘れかけていた町の人々は再びそ
のことを口にするようになってしまう。このため家族への嫌
がらせも始まる。
その息子の担任教師は、実は記事を書いた記者の妹で、状況
に苦慮することになるが、その記者の側にも報道を行うある
事情があった…
出演は、工藤夕貴、西島俊秀、時任三郎、宇崎竜童、吹石一
恵、高橋ひとみ、それに子役の小清水一揮。因に、工藤の日
本映画での主演は久しぶりのことだったようだ。
監督は、『オリオン座からの招待状』などの三枝健起。また
主題歌を『涙そうそう』の夏川りみが歌っている。
報道のあり方を問うという観点では、かなり微妙なところを
描いている作品だろう。記者側の言い分にも一理はあるのだ
が、犯罪者ではない息子の姿を無断で掲載するのは、やはり
プライヴァシーの侵害に当ると思われるものだ。
ただしこの物語では、その記者の側の事情にも微妙なところ
があって、その点からは報道の是非というより別の面が描か
れる。そこらの人間ドラマは確かに面白いし、これによって
家族のあり方のようなものが際立たされることは確かなのだ
が…
なお、映画の後半にはちょっとしたサスペンスの展開があっ
たりもして、その構成はなかなか面白かった。でもまあ、こ
れをしてしまうのも、多少問題であろうとは思えるところだ
が。

『カスピアン王子の角笛』(特別映像)
5月21日に日本公開される『ナルニア国物語/第2章カスピ
アン王子の角笛』の特別映像の上映と、カスピアン王子役の
ベン・バーンズ、それにプロデューサーのミニ記者会見が行
われた。
作品の予告編はウェブなどでも観ることができるが、今回は
VFXなどが未完成のシーンも含まれているとのことで、実
際にタムナスさんの末裔と思われる人々の中に、青タイツ姿
の俳優がいたり、吊り用のワイアーハーネスが消されていな
かったりもしていたものだ。
それに、内容的にはいろいろな戦闘シーンの羅列が多く、そ
れぞれ目新しさはあったが、物語や製作状況などに新たな情
報が公開されたというほどのものではなかった。
ただ導入部分で予告編には出てこない、子供たちのロンドン
での生活ぶりなどがあって、そこは物語の展開として納得で
きたものだ。また、ナルニアの民たちとの交流シーンは、予
告編には未公開で、ここに未処理の青タイツも出てきたが、
VFXにはかなりの苦労がありそうだった。
それとは別に日本版の予告編が物語重視でアメリカ版より良
いとのことで、その上映も行われた。確かにその予告編は、
ウェブで観ていたアクション中心のアメリカ版より物語への
誘いとしては良い感じのものだった。
ただしこれは、原作の認知度の点でアメリカの観客との差が
あるためとも思われるし、それぞれのお国柄もありそうだ。
なお、ミニ記者会見では、プロデューサーから次回作“The
Voyage of the Dawn Treader”への言及があったり、バーン
ズのサーヴィス精神旺盛な応対もあって、いろいろな意味で
期待を抱かせる特別映像の上映と会見だった。
映画は、完成された本編を観なければあまり語ることはでき
ないが、取り敢えず予告編にも出てくるロンドンの地下鉄駅
での導入部分の展開は、心魅かれるものにもなっているし、
今回観られた特別映像も併せて、5月の公開が一層楽しみに
なってきたところだ。

『ラスベガスをぶっつぶせ』“21”
マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授が計算能力に長
けた学生を使ってカード賭博に挑み、ラスヴェガスのカジノ
で数100万ドルを荒稼ぎした実話に基づくとされる2002年発
表の書籍“Bringing Down the House: The Inside Story of
Six M.I.T. Students Who Took Vegas for Millions”を映
画化した作品。
その手口はブラックジャックを標的としたもので、その手法
は場に晒されたカードを一定範囲ごとに+1、±0、−1で
カウントを続ける。そしてその数字がある値に達したら、残
りカードは予測できるので、それに従って勝負を仕掛けると
いうものだ。
この手法はカウンティングと呼ばれ、1962年に公表されてい
るもので、カジノ側も当然心得ている。従って、長時間に渡
ってテーブルに座り続け、あるときから突然勝ち続けたら、
それはカウンティングを行っていたとしてマークされてしま
う。
そこで教授が編み出した手法は、1人がカウンティングを行
い、それがある数値に達したら合図を送る。そしてやってき
た仲間には、符丁でその数値を知らせるというもの。これな
ら、その2人が仲間と見破られない限り、安全にカウンティ
ングが駆使できる。
物語の主人公は、MITで学び、ハーヴァードの医学部にも
合格した学生。しかし彼には数10万ドル掛かると言われる学
資の工面ができていなかった。一方、その学生は高い計算能
力を身に付けており、それが数学科の教授の目に留まる。そ
して教授のブラックジャック・チームに誘われるが…
実話の背景は1993年とのことで、今ではカジノ側のセキュリ
ティもさらに高くなっていると思われるが、映画には、生体
認証などを駆使した最新セキュリティと、昔ながらの警備員
との確執なども描かれて、単純に勝負に勝つだけの物語では
なくしている。
そのフィクションの部分が、どれほど真実に近いかは判らな
いが、その部分もそれなりに面白く描かれていたものだ。
出演は、製作も兼ねるケヴィン・スペイシーと、ジュリー・
テイモア監督の“Across the Universe”にも主演している
ジム・スタージェス。他に、ケイト・ボスワース、ローレン
ス・フィッシュバーンらが共演。
監督は、2001年『キューティ・ブロンド』などのロバート・
ルケティックが軽快に纏めている。

『闇の子供たち』
タイを舞台に、人身売買、幼児売春、さらに生体臓器移植に
つながる闇の世界の現実を描いた梁石日による同名の原作の
映画化。
見終っての感想は一言「恐ろしい」に尽きる。こんな人非人
のなすようなことが現実に行われているのか? 確かに今の
社会の動きを見ていると、あってもおかしくない話だろう。
そしてそれは、自分も感じる男の性として、必ずしも否定で
きない話だ。
そのことは、原作者の視点もそこにあると感じられるものだ
し、監督の感覚も同様のようだ。そんな自分自身に対する後
ろめたさのようなものが、一層、この映画を「恐ろしい」も
のにしている。
主人公は、タイに単身赴任している新聞社の特派員。その彼
にある日、本社の社会部デスクから心臓移植のためにタイに
向かう少年について、その受け入れ側の様子などを取材する
依頼が届く。
それは日本国内では認められない子供のドナーによる臓器移
植を行うもので、アメリカでは手続きが煩雑で金も多く掛か
るが、タイでは費用も安く、また医療水準はアメリカに劣ら
ないという。こんな情報を基に、主人公は闇ルートに通じた
情報屋から取材を始めるが…
そこには、信じられないような現実が存在していた。それは
人身売買された子供の生体から心臓を取り出し移植するとい
うのだ。これでは当然ドナーの子は死ぬことになる。それで
も日本人の両親は移植手術を希望するのか。
この主人公に、タイで子供の人権擁護を行うNGOに参加し
ている日本人女性や、フリーの日本人カメラマンなどが加わ
って、人の心の闇に潜む物語が繰り広げられて行く。
こんな難しい題材を映画化したのは、阪本順治監督。僕が観
ているのは、1996年の『ビリケン』と昨年の『魂萌え!』だ
けだが、その2本とは全く違う、途轍もなく社会的な作品が
作り出された。
出演は、江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡。それにタイのブ
ランドン・スワバーン、プライマー・ラッチャタ。さらに佐
藤浩市、豊原功補、鈴木砂羽らが共演している。
幼児ポルノが日本でも社会問題になり、法律で取り締まる動
きが出ているが、現実はそんなに甘いものではない。この社
会の根底に巣くう事実こそ、日本人はもっと知らなくてはい
けないことだろう。
本作では主演の3人に誘われて観に来る人も多いかも知れな
い。そして現実を突きつけられる。それも良いと思われる。
今年一番の問題作に出会えたと感じた作品だ。

『長い長い殺人』
宮部みゆき原作ミステリー小説の映画化。
登場人物の財布を語り部にして、連続殺人事件が語られて行
くという、ユニークな構成の物語。それは刑事の財布であっ
たり、探偵の財布であったり、被害者、目撃者、犯人の財布
であったりもする。
しかも、物語の展開には一見関係ないようで、実際に事件の
解決にも直接的な関係のない登場人物が、読者(観客)には
重要な意味を持っていたりもする。その辺の描き方は、宮部
作品の面白さがそのまま映画に出ていると言えるだろう。
実は原作を読んでいないので、ここでその比較をすることは
できないが、以前に読んだ宮部作品のイメージからは、それ
がそのまま伝わってくるような作品。その意味では、多分原
作の読者も満足できるのではないかと思わせる映画化になっ
ているものだ。
物語は、1人の男性の殺人事件から始まる。その男性には多
額の生命保険が掛けられ、被害者の妻の態度にも不審なとこ
ろがある。しかしその妻には明白なアリバイがあった。
やがて第2の殺人事件が起きる。それは一見関係なさそうな
事件だったが、その被害者にも多額の保険金が掛けられてい
た。そしてそれらの事件が、遠大な計画に基づく連続殺人で
あったことが解き明かされて行く。
基本的には殺人事件に絡むアリバイ崩しがテーマとなるが、
最初は単純な交換殺人と思われていたものが、さらに複雑な
背景を持ち、しかも犯人と目された人物たちがマスコミを利
用する劇場形の事件へと発展して行く。
元祖劇場形とも言われたロサンゼルスの三浦事件は新たな展
開を見せているところだが、本編ではさらに複雑な物語が展
開される。そしてその物語では、心理学的な真犯人へのアプ
ローチなど、事件のいろいろな側面が多彩な登場人物によっ
て描かれて行くものだ。
そんな物語が、長塚京三扮する刑事と仲村トオル扮する探偵
を中心に、40人を越える主要なキャストによって描かれる。
そのキャスティングは、谷原章介、平山あや、大森南朋、酒
井美紀、窪塚俊介から、伊藤裕子、西田尚美、佐藤藍子、小
清水一揮、さらに長谷川初範、小野寺昭、森次晃嗣まで、恐
らくオールスターと言ってもいくらいのものだろう。
そんな華やかな雰囲気の中で、劇場形の連続殺人事件が展開
されて行くもので、これは原作者も読者も満足の行く映画化
と言えそうだ。
ただし、映画としてどうかというと多少疑問も生じるところ
で、特に上映時間の135分というのは、このテーマではちょ
っと長すぎる感じがする。もちろん、原作を忠実に映画化し
たらこれは仕方のないことではあるのだが、劇場興行でこの
長さは上映回数も減るし、いろいろ問題になるものだ。
実は本作の製作はwowowで、テレビ放映でならこの上映時間
も問題はないと思われるが、映画館での興行を考えるなら、
上映時間は2時間以内の方が良い。その時間の中で物語を描
き切る、実はそんな映画的な工夫がこの作品には不足してい
るように感じられた。

原作者や、恐らく原作の読者には満足の行く作品であること
は確かと思うが…

『リボルバー』“Revolver”
イギリスの異才ガイ・リッチー監督による2005年作品だが、
アメリカ公開も昨年12月に漸く行われたようだ。それくらい
の問題作と呼べる作品。
物語は、ジェイソン・ステイサム演じる主人公が刑務所から
釈放され、レイ・リオッタが扮する昔の貸しのあるカジノの
オーナーと対決して行くというものだが、主人公は医者から
余命を宣告されてもおり、そこからいろいろなストーリーが
展開して行くことになる。
物語は多分に哲学的であり、また実は…という展開もある。
しかもその展開は複雑に入り組んでいて、1回観ただけでは
ストーリーを把握することも難しい。実際、僕はまだ1回し
か観ていないから、その把握もちゃんとはできていないと思
われる。
でもまあ、映画の全体はリッチー監督お得意のイギリスの裏
社会もので、ファンにはその雰囲気だけでも充分に楽しめる
ところではある。これで物語がちゃんと把握できたら言うこ
となしだが、ヒントには気付いてもそれを確認できなかった
ところも多々あったものだ。
それ以外にも、細かい仕掛けもいろいろ仕組まれた作品で、
それらを全部確認するのにも、あと数回は観る必要がありそ
うだ。
まさしく「いやはや」と言いたくなるような作品だが、この
映画の場合は、それだけの深い部分も備えて作られており、
決して監督の名前に騙されて観ていると言うようなものでは
ない。その監督が構築した迷宮を存分に楽しめる作品とも言
えそうだ。
なお、映画にはエンドクレジットが無く、エンディングでは
数分に渡ってピアノ曲の演奏と黒い画面だけが上映される。
これには、監督が哲学的な意味を持たせたという解釈もある
ようだが、その意図も明らかにされているものではない。
僕は、昔の映画館のように、この間は客席の灯を点けてカー
テンも下げてしまって良いようにも感じたが、監督からの具
体的な指示はされてはいないようだ。また、映画は最初にも
短い黒画面があって、映画の全体がその画面に括られている
ようにも観える。それをどう解釈するか…
因に、本編の上映時間は115分だが、昨年スカンジナヴィア
で発売になったDVDでは、ディレクターズ・カットと称し
て101分のものがリリースされたそうだ。

『ブルー・ブルー・ブルー』“Newcastle”
オーストラリア東部の港湾都市ニューカッスルを舞台に、プ
ロサーファーを目指す若者たちの姿を描いた青春ドラマ。
主人公は、プロサーファーを目指す若者。港湾労働者の父と
母親、そしてゲイの弟と共に暮らしているが、実は彼には地
域のチャンピオンに輝き将来を属望されながら挫折した腹違
いの兄がいた。
そんな主人公だったが、地区の予選大会では気負いから発し
た強引なライディングが禍して代表の座から落ちてしまう。
その彼を励まそうと、仲間達は少し離れたビーチへの旅行を
計画するが、そこには弟も付いてきてしまった。
そしてビーチでは、憧れの彼女との一夜も過ごした主人公だ
ったが、翌日、絶好の波の立つ中でサーフィンを始めた彼ら
の前に、兄たちのグループが現れる。こうして高い目標を目
指す主人公と、地域、親子、そして兄弟との絆を描く物語が
展開する。
同様の作品では、2002年の『ブルー・クラッシュ』が記憶さ
れるが、女性サーファーの闘いだった2002年作に対して今回
は男性。スポーツもので女性の後を男性が追うというのも珍
しいが、そこにはいろいろ技術的な問題もありそうだ。
実際、本作の出演者たちにはそこそこサーフィンもできるメ
ムバーが選ばれているようだが、それでも劇中描かれる華麗
なサーフィンテクニックは、プロのサーファーたちによって
演じられている。
そのプロサーファーの演技に、CGIの合成が施されるのは
『ブルー・クラッシュ』と同じだが、今回の主人公たちの体
型まで含めて合成するのは、女性の場合より難しかったのか
も知れないと思ってしまうところだ。
ということで、実際の高度なサーフィンテクニックはプロサ
ーファーによって演じられているが、その華麗さは今までの
サーフィン映画では観たこともないようなもので、その映像
は大いに堪能できた。
また撮影には、サーフィン専門のカメラマンが参加している
とのことで、特に海中からの波の映像や、ライディング中を
クロースアップで捉えたサーファーの姿などは、過去に観た
サーフィン映画とは一線を画したものと言えそうだ。
なお、出演者は日本では無名の顔ぶれがほとんどだが、中で
ゲイの弟を演じるハビエル・サミュエルは、一昨年の東京国
際映画祭でも上映された『明日、君がいない』に出ていたよ
うだ。また、仲間の1人スコッティ役のイスラエル・カナン
は本業はミュージシャンで、映画のエンディングロールに流
れる曲も歌っているものだ。


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井口健二