| 2008年03月16日(日) |
光州5・18、僕の彼女はサイボーグ、パリ恋人たちの2日間、●REC、ミラクル7号、おいしいコーヒーの真実、歩いても歩いても |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『光州5・18』“화려한 휴가” 1980年5月、韓国全羅道光州で発生した軍による民間人弾圧 事件を描いた作品。 先に紹介した『なつかしの庭』では、事件の渦中にあった運 動家のその後の悲劇を描いていたが、本作では事件そのもの が再現されている。その中で市民軍は、一旦は戒厳軍の撤退 を勝ち取るが、最後は戒厳軍の総攻撃によって壊滅する。 その犠牲者の数は公式発表で186人とされているが、巷では 2000人以上とも言われ、公的な追跡調査は現在も行われてい ないそうだ。 事件は、もちろん軍政下の言論統制など不自由な政策に対す る不満などが直接の原因とされるが、その背景はいろいろあ るようだ。その辺の状況は韓国民であれば直ちに判るのかも 知れないが、それが判らない自分には、その点が心苦しくも 感じるところであった。 実際、この映画を観ていると、最初に空挺部隊が南方に飛ん で行く状況から理解できないもので、何故に軍政権がここま で全羅道を弾圧しようとしたのか、その状況も判らない。さ らに、それに従順に従うだけの兵士たちの思考も判らないも のだ。 状況としては、4月の新学期から全国規模で始まった学生運 動が5月に入って沈静化したが、その中で全羅道だけが運動 が継続していたなどの問題があったようだ。しかし、韓国人 なら当然知っているはずのその状況が僕には不明だった。 しかもそうなるまでの全羅道の地域性など、多くのことがこ の映画には描かれているようで、それらのことをもっと詳細 に知りたくなるのも、この映画の副次効果のように思えた。 それらの点の一部は、韓国の観客にとっても同じなのではな いかとも思える作品だ。 韓国民にも知らされていない多くのことが、この事件の背景 には隠されているようにも見えた。それらは、今後に製作さ れる映画の中でいろいろ明らかにされるのかも知れない。も ちろんそれは、このような映画を製作する傾向が続いて行け ばのことだが… 監督は、前作はコメディ映画というキム・ジフンの第2作。 出演は、『殺人の追憶』のキム・サンギョン、宮崎あおい共 演『初雪の恋』のイ・ジュンギ、『小猫をお願い』のイ・ヨ ウォン、『酔画仙』のアン・ソンギなど。主な配役は、全員 が市民側の登場人物という作品だ。
『僕の彼女はサイボーグ』 『猟奇的な彼女』などのクァク・ジェヨン脚本・監督による 新作。ただし主演は綾瀬はるか、小出恵介、舞台は東京で、 製作費も日本側が調達した日本映画ということになる。 主人公は、誕生日を祝ってくれる友もいない孤独な大学生。 彼は、誕生日には自分自身に宛てたプレゼントを買い、レス トランで1人スパゲッティを食べる。それが例年の行事だっ た。ところがその年の誕生日はちょっと違っていた。 2007年11月22日の誕生日。彼は街で出会った1人の女性との 時間を過ごす。それは正に夢のような時間だった。しかし、 その夢の時間が過ぎたとき、女性は彼の前を去ってしまう。 そして、そんな彼女を思い続ける彼の前に2008年11月22日、 彼女は再び現れる。 実は、彼女の実体は未来から来たサイボーグで、その出現は 彼の生活にいろいろな変化をもたらすが… そのサイボーグは、彼を危機から救うために未来の自分が送 り出したものだという。しかし1つの危機を脱すると、歴史 はそれを修復するため別の危機を生じさせる。だから、最後 の日まで彼と一緒にいて彼を守り続けると言うのだが… 未来の自分が過去にサイボーグを送り込むということでは、 『ターミネーター』か『ドラえもん』の流れとなりそうだ。 さらに彼の危機を救うということでは、『T2』以降の『タ ーミネーター』が基本と言えそうだ。 しかも、1つの危機を回避すると、別の危機が招来されると いうアイデアは、『ファイナル・デスティネーション』のよ うでもあり、それをタイムトラヴェルを絡めた点はなかなか のものに思える。 しかし、タイムトラヴェルものは常にパラドックスの危険を 孕むもので、この映画では、描かれたエピソードの1つが、 かなり問題なタイムパラドックスを起こしているように見え た。実は、送り込まれたサイボーグが、その記憶にはないは ずの行動をしてしまっているのだ。 これは、物語上では些細なことではあるが、それがその後も 繰り返されると、多少気にもなってしまうところだった。さ らに監督(脚本家)は、そのパラドックスに気付いているの かいないのか、それも気になったものだ。 そこでパラドックスに気付いているとして、この展開でも辻 褄の合うように話を再構築するとどうなるか考えてみた。 この映画では、最後に1人の女性が彼のそばに居続けたこと になっている。であるなら、その女性が記憶をサイボーグに 植え付けたことにはできる。ただしそのためには、この物語 の中で時間の流れが何度か循環していることが必要になる。 しかも映画では、その繰り返された時間流のいくつかを横断 して物語が描かれていることにもなりそうだ。このことは、 サイボーグが自己の破壊を記憶していないことと、最後に完 全体のサイボーグが再登場することでも示唆されているよう にも見える。 でもそこまで考えると、この物語の本質は、主人公を救う度 に歴史を修復するための危機がどんどん拡大し、それでも主 人公が勝ち続けられるか…、という解釈にもなってしまうも ので、監督(脚本家)にそこまでの考えがあったかどうかは 疑問に感じられた。 素晴らしいアイデアが根底にあるのは確かな作品だし、一般 の観客はそれだけでOKなのかも知れないが、ここにはもう 一歩、SFの専門家の意見も取り入れて欲しかったという感 じのする作品だ。これではせっかくのアイデアが勿体無くも 感じられた。でも、どうすればこのパラドックスは解消でき るのか、それはまだ僕も思い付いていない。 なお、映画の主題歌をリズメディア所属歌手のMISIAが 歌っており、個人的にはこの春先にこの歌を聴く機会が増え そうだ。
『パリ、恋人たちの2日間』“2 Days in Paris” フランス=ドイツの合作映画だが、原題は英語表記が正式の ようだ。 フランス出身で、アメリカ映画の『ビフォア・サンセット』 や、テレビの『ER』などにも出演している女優のジュリー ・デルピーが、製作、脚本、監督、主演、編集、音楽を手掛 けた2006年作品。因にデルピーの監督は4作目で、現在5作 目を撮影中。また、歌手としてはCDも出し、ヨーロッパツ アーも行っている。 物語は、イタリア旅行からアメリカに帰国途中のカップルが 主人公。男性はアメリカ人だが、女性はパリに実家があり、 両親が住み彼女の部屋も残されているその家に1泊すること になっている。そしてフランス語が全く判らない男性がそこ で遭遇する事態は… 映画は、デルピーによる英語のナレーションから始まる。や がてパリに着いた2人は、早速フランスの醜い側面に遭遇す るが、アメリカ人の男性も、同胞に対してあまり良いとは言 えない行動にでる。 それ以降も、フランスとアメリカのカルチャーのぶつかり合 いのような話の連続で、それがかなりシニカルなユーモアで 綴られて行く。多くの日本人はアメリカもフランスも西欧と いうことでは一緒と思っているが、この映画を観るとそうで ないことがよく判る。 それにしてもデルピーの視線は、自分がフランスを祖国とす る女性なのに、フランス人や女性に対してかなり辛辣なよう にも感じられる。しかし、その姿勢が爽快と言えるくらいに 潔くて、観ていて気持ちの良い作品になっている。 さらに、その返す刀でアメリカ人や男性にも手厳しいところ がバランスも良く、映画全体を素敵なものにしている。ちょ っと特殊な状況の2人ではあるし、人間的にあまり共感した くないキャラクターではあるが、それなりに愛らしいという か許せるところも魅力だろう。 国のそれぞれには事情があって、それは外国人からは見えな い部分も多い。そんなフランス人の隠れた姿を、フランスと アメリカの両方で暮らすデルピーが、見事に描き出した作品 でもありそうだ。 なお、台詞は英語とフランス語がチャンポンに出てくるが、 字幕ではあまり明確に区別されていない。物語の雰囲気で容 易に理解はできるが、観客もその辺は注意して観てもらいた い作品だ。
『●REC』“[Rec]” 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などと同様、事件を取 材するヴィデオカメラの視点だけで描かれた作品。救急要請 で出動した消防隊員と、それを取材するテレビクルーが異常 な事態に遭遇する。 主人公は、深夜に働いている人々を取材するテレビ番組のレ ポーター。その日は消防署を取材対象にして、カメラマンと 2人で取材を続けていた。しかし大きな事件もなく、時間は 淡々と過ぎていった。 そこに、アパートで女性が叫んでいるという通報が届き、消 防隊員が出動することになる。現場に到着すると、住人たち は1階のホールに集まって様子を伺っており、隊員たちは階 上の叫び声が聞こえたという部屋に向かうが… 部屋に入った隊員の1人が叫んでいた老婆に噛みつかれ、慌 てて病院に搬送しようとした彼らは、そのアパートが外側か ら封鎖されていることに気付く。しかも、再三怪我人の搬出 を要請しても、返ってくるのは待機しろという指示のみ。 その内、中にいた住人の一部に異常な行動が始まり、主人公 たちはアパートの中を逃げ惑うことになるが… ゾンビ物のようでもあるが、設定自体は病原菌による感染症 と説明もされている。なお外国映画に日本語字幕が付くと、 マスコミ向けに完成披露試写というのが行われるが、今回の それは「感染披露試写」と銘打たれていたようだ。 ただ、感染症であるなら、感染から発症までの潜伏期間の問 題があるるが、この映画では最初に感染していていたはずの 人物の発症が後であるなど、多少あやふやな感じもした。そ れに映画の後半に出てくる因縁話も何のことなのか、今一判 断に窮するところだった。 でも、ホラー映画としての水準はクリアしているように思え るし、P.O.V.(Point of View=主観撮影)と称される撮影 方式も、それなりに上手く使われている感じはした。実際、 久しぶりにぞくぞくする感覚は味わえた。 それから住人の中に東洋人の一家がいて、映画では「日本語 か中国語か判らない」というような台詞も出ていたが、その 台詞は日本語で、少なくとも母親役を演じている女優は日本 人だったようだ。
『ミラクル7号』“長江7號” 『少林サッカー』などのチャウ・シンチー監督が、『ET』 からのインスパイアで作ったというSFファンタシー。 主人公の家は、今時珍しいくらいに貧乏な生活の父子家庭。 でも、子供に教育は必要という考えから息子は私立学校に通 学している。しかし、学校での成績は芳しくなく、金持ちの 子供からのいじめにも遭っている。 そんな息子は、金持ちの子供が持っている犬型ロボットが欲 しくて仕方がない。そしてある日、父親がごみ捨て場から不 思議な物体を拾ってくる。その物体は、緊急発進したUFO に乗り遅れたETらしいのだが…そんなETを巡って、親子 と子供たちの物語が展開する。 チャウの監督、出演作ではあるが、華麗なアクションがある 訳でなく、主人公も父親と言うよりは息子の方という作品。 しかも、その息子を演じているのが実は女子なのだそうで、 その子が空を飛ぶシーンなどはあるが、元々がアクションを 見せようというものではないようだ。 むしろ、作品は子供たちとETの交流を正面から描こうとし ているようで、映画ではこのETを通じた主人公の成長や、 互いに理解しあって行く子供たちの姿が描かれる。そしてそ こにいろいろなVFXシーンなどが挿入されているものだ。 ただし、スピルバーグ監督の『ET』では、公開時にはピー ターパン・シンドロームなどとも呼ばれて、映画全体の幼児 性が指摘されたが、本作は比較的大人の目線が保持されてい て、子供を主人公にしていても幼児性は感じなかった。 その辺がスピルバーグとチャウの資質の違いとも思えるが、 そのどちらが良いかは難しいところだ。従って『ET』のよ うに、大の大人が涙を流すようなお話にはなっていないが、 逆に大人も安心して楽しめる作品にはなっている。 なお映画のエンディングには、『未知との遭遇』を思い出さ せるようなシーンがあって、これは同じスピルバーグの作品 に対するオマージュかなとも思わせた。 主人公を取り巻く子供たちにはかなり個性的なキャラクター が揃っているが、実は、じめっ子役を演じているのも女子、 さらにその用心棒役も女性。一方、主人公を助ける巨漢の女 子の役は男性とのことで、かなり興味深い配役になっている ようだ。 その他の大人の配役は、ほぼシンチー映画の常連たちが顔を 揃えている。
『おいしいコーヒーの真実』“Black Gold” 世界を巡るコーヒートレードに関するドキュメンタリー。 以前に、世界一美味しいとされるジャマイカ産のバナナが、 最大消費国のアメリカ合衆国に輸出できないという話を聞い たことがある。それは、世界の食品貿易が一部商社によって 牛耳られており、そこを通さない流通が行えないためだと言 うことだった。 それと同じことがコーヒーにも起きているようだ。 そのコーヒー貿易を牛耳っているのは、クラフトフーズ、ネ スレ、P&G、サラ・リーの4社。因に、サラ・リー(Sara Lee)はアメリカの食料品商社で、1999年にMJBなどを買 収したが、2006年に手放しているようだ。本作は2006年製作 の作品になっている。 そして4社は、1989年にWTOの勧告によって国際コーヒー 協定が破棄されて以降、ニューヨーク先物市場においてコー ヒー豆の価格を暴落させ、コーヒー原作国エチオピアを始め とするアフリカ諸国のコーヒー農家を困窮に陥れている。 そのコーヒー豆価格の実態は、例えば市価で330円のレギュ ラーコーヒー1杯に対して農家に渡る金額が3〜9円(1〜 3%)だということだ。またこの価格は、先物市場における 投機筋の思惑のみで決まるため、農家の実情を反映しないと いう説明もされていた。 そこで、エチオピアでは協同組合を作って、商社を通さず適 正な価格でコーヒーを輸出することが試みられており、その 活動を続ける男性への取材も織り込まれている。 映画の中では、その男性が食料品店のコーヒー売り場でエチ オピア豆を探すがなかなか見つからず、逆にインスタントコ ーヒーの原材料の中に含まれているという事実を発見すると いうエピソードも挿入されていた。 つまり、最高品質とされるキリマンジャロなどのエチオピア のコーヒー豆が、適正な価格では市場に出回らず、買い叩か れてインスタントの原料にされているという実態も明らかに されているものだ。 世界の貿易高で、コーヒーは石油に次ぐ規模とも紹介されて いたが、石油価格が産油国によってコントロールされている のに対してコーヒー豆はそうではない。価格協定が公正な貿 易の姿でないことはもちろんだが、コーヒー貿易の歪んだ実 態も良く判るドキュメンタリーだった。
『歩いても 歩いても』 『誰も知らない』などの是枝裕和監督の新作。京浜三浦海岸 の坂上にある元内科医院の家を舞台に、そこに住む両親と、 亡くなった長男の15回目の命日に集まった弟妹の家族たちの 姿を描く。 その家には開業医だった老人の父親と母親が暮らしており、 その家に、家業を継がず外で暮らしている次男の一家と、妹 の一家が訪れる。ただし、主人公である次男は医師ではない 別の専門的な職業に就いているが、その事業はうまく行って いないようだ。 僕も妹のいる次男で、現在の境遇も主人公に似ている自分と してはいろいろ考えさせられる作品だった。 ただし次男本人の家族形態は、僕とは異なるのでその点は気 が楽だったが、全体的には、成功者の父親と不況に喘ぐ子供 世代という、現代の日本の其処比処にある家族の標本ような 一家の姿が描かれている。 そして、そのような家族の物語の中で、悪気はないのかも知 れないがふと口を突いて出る辛辣な言葉や、漏らされる本音 が家族の辿った歴史をも明らかにして行く。 なお試写会では舞台挨拶が行われて、主演の阿部寛は、「自 分の中で物語の解釈の整理が着いていない」と語っていた。 確かに、観る人によって如何様にも取れる作品ではありそう だ。しかし僕には、家族を見つめる監督の視線は明確であっ たように思えた。 一方、父親役の原田芳雄は、撮影中は和気藹藹でしたと語る 他の出演者の中で、ただ1人「針の筵のようでした」と語っ ていたのが、映画を観ると実にその通りで、これは納得もで きて面白いところだった。 この他の出演者は、母親役に樹木希林、次男の妻役に夏川結 衣、妹役にYOU、その夫役に高橋和也など。 なお題名は、映画に出てくるある事柄に由来するが、その由 来を解釈すると、この物語はどんなことに晒されても家庭を 守り抜く決意のようなものを感じさせる。それは、『誰も知 らない』にも共通するテーマのようにも思えた。 僕が是枝作品を観るのは、多分本作で4本目だと思うが、フ ァンタシーの『ワンダフルライフ』は別格として、その他の 作品の中では1番好きな作品と言える。『誰も…』が名作で あることは間違いないが、僕には本作の方が好ましい作品の ように感じられた。
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