井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2006年05月31日(水) 深海、タイヨウのうた、日本沈没

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『深海』“深海”
昨年の東京国際映画祭・アジアの風部門(台湾‥電影ルネッ
サンス)で上映された作品。
監督チェン・ウェタンの前作は、一昨年の映画祭ではコンペ
ティションで上映され、実はその時はあまり評価しなかった
のだが、今回はそれなりに物語も理解できるものだった。
主人公の女性は、刑務所から出所したばかり。その罪が何だ
ったかは映画の後半で明らかにされるが、取り敢えずは「頭
の中でスイッチが入ると、それを自分では切れなくなるから
薬を飲み続けている」という台詞が紹介される。
つまり、直情的というか、感情の抑制の利かない心の病を抱
えた女性ということだ。その主人公が出所しても行き場が無
く、刑務所で声を掛けてくれた年上の女性の許を訪ね、台湾
南部の港町高雄にやってくる。そして彼女の経営するクラブ
で働き始めるが…
そこで容姿の優れた主人公は、男性たちに言い寄られる。そ
して最初は、彼らの期待通りにことは進むのだが、やがて彼
女の感情は男を独占しなくては済まなくなり、男はそれが煩
わしくなる。
物語では、心の病として顕著化されているが、このような感
情は男女を問わず多くの人が持っていると思うし、それが愛
しく思えるか煩わしくなるかは紙一重のことだろう。このこ
とがこの映画では、心の病ということで強調されているだけ
のようにも感じた。
だからこの映画では、実は普遍的な男女の関係を描いている
のでもあり、逆に心の病とすることで一歩距離を置いて見ら
れる分、その状況がより明白になっているようにも思える。
特に僕は男性として、この物語の女性の立場には同情した。
そして物語は、最後にある種の救いを描き出す。それ自体が
救いであるかどうかは判らないが、それによって周囲の人の
目が開かれて行くことには、きっとその後に救いがあると思
える結末だ。

「深情似海」というのが、監督がこの物語を作り出す切っ掛
けになった言葉だそうが、海のように深い愛情というのは、
当事者にとっては負担であったり捉え方は様々だろう。でも
そんな深い海の中を男女は泳いでいるということだ。

『タイヨウのうた』
XP(色素乾皮症)という紫外線に当たると皮膚癌を発症す
る難病の少女と、サーファー少年の恋を描いた鎌倉七里が浜
が舞台の作品。
音楽の好きな少女は昼間は出歩けないため、夕方まで寝て、
深夜ギターを抱えて駅前でストリートライヴを行っている。
しかし、日の出までには帰宅し、帰宅した少女は寝るまでの
間、紫外線遮断のスクリーンを下ろした窓から早朝のバス停
を眺める。そのバス停にサーフボードを抱えて現れる少年を
見るために。
そしてある夜、ライヴを始めようとした少女の目の前を、そ
の少年が通り過ぎる。咄嗟に少女は少年の後を追い、捕えて
自己紹介をするが…
この手の難病ものは、ここに来て何本も紹介しているように
思えるが、お手軽に感動を呼べるということでは作り手も気
楽なのだろうし、製作資金も出してもらいやすいのかも知れ
ない。それにしても、世の中には実にいろいろな病気がある
ものだ。
この映画のプレス資料には、XPの説明コラムもあり、現在
は国の難病指定も受けられていないという、この病気の現状
も紹介されている。コラムにあるように、この映画でその方
面への働き掛けが進めば、それも良いことと言えるだろう。
しかし、それがプレス資料を読まなければ判らないのは多少
問題だ。その現状は、やはり映画の中でもっと語られるべき
だと考える。その意味では、僕は映画そのものには納得でき
なかったが、紹介はしなければならないと感じるものだ。
また映画は、主演に歌手のYUIを起用して、音楽を前面に
出した作りになっている。このYUIの歌自体は悪いとは思
わないし、ライヴの捉え方も良い。でも、それならもっと別
のテーマの映画でも見たかったという感じもした。
元々は1993年の香港映画のリメイクということで企画された
作品ということだが、特にXPという病気を扱ったのには、
それなりにインスパイアされた実話もあったと想像される。
それならもっとその辺の事実も取り入れて、もっと現実的な
問題も描いて欲しかったようにも感じた。

ただ、映画が意外とウェットにしないで描いていることには
好感が持てた。人は涙を流すと、その涙の部分しか思い出せ
なくなってしまうという話もあるようだから、難病のことを
覚えて置いてもらうためには、これは良いと思えたものだ。

『日本沈没』
原作は1973年3月に発行されて史上最高のベストセラー。映
画の公開はその年の12月で、これも日本の興行記録を塗り替
える大ヒットを記録した作品のリメイクだが…
<以下の記事はこのページの趣旨に反します。いつもは、こ
の種の記事は年末に同人誌に掲載させてもらっていました。
でも今回は、僕自身どうしても納得ができないので公表する
ことにします。読まれる方は注意して読んでください。>
結末の変更のことは事前に知っていた。詳しい内容までは知
らなかったが、こうなるという情報は先に得ていた。それに
去年の『戦国自衛隊』辺りから、この種の改変は日本映画の
常套手段な訳だし、その時に文句を言わなかったのだから、
これはもう仕方のないことだ。
ましてや、その『戦国自衛隊』をジャンル名だと言い放った
原作者の小説の映画化をデビュー作とした監督が手掛けるの
だから、こうなることは分かり切っていたとも言える。だか
らそれに付いてとやかく言うのは止めにしたい。多分『日本
沈没』もジャンル名のつもりなのだろう。
でも本当は、この監督の「実は『さよならジュピター』のリ
メイクを目指した」という言葉を聞いて、そういう発言をす
る人ならと、淡い期待は持ったものだ。だから、結末の変更
をある程度言い訳するような記事を書くつもりでいた。
しかしこの映画は、そんな結末に至る以前から首を傾げたく
なるシーンだらけの作品だった。
ステレオタイプの政治家に、噴飯ものの男女関係。SF映画
を駄目にする2大要素が見事にそろった作品、というのがま
ず最初に見えてくるこの作品の印象だ。国民に伝えるべき事
実を隠したり、保身に走ったりというのは、現代の政治家に
対する批判のつもりかも知れないが、こう底が浅くては批判
にも何もなりはしない。
さらに、幼稚な男女関係の描き方は、「トレンディー・ドラ
マ」を踏襲したつもりなのだろうが、そんなものをべたべた
と描き続けた上に、その男女が出陣を前に抱き合うシーンで
は感傷的な主題歌がかぶさるときたものだ。
多分、作り手はここでお涙頂戴のつもりなのだろうし、実際
にここで涙している観客もいたようだが、そんなものがSF
映画の魅力か? SF映画で涙したと言われると、過去には
『E.T.』や『アルマゲドン』が話題になったが、どちらも
こういうシーンではなかった。
それに、この物語で感動すべきはこんな特攻隊のパクリのよ
うなシーンではなくて、その後に描かれる逃げ延びた人たち
が救助されるシーンのはずだ。ところが、こちらはそこまで
のサヴァイバルが真剣に描かれていないから、ここでは感動
も何もありはしない。
実際、男女がくっついたの離れたのなんて話を、いつまでも
ごちゃごちゃやっているから、肝心のパニックはほとんど描
けていないし、ミニチュアをCGIに替えれば、ビルの倒壊
などは派手にはなるが、所詮はアニメーション、そちらでは
何度も見ているものだ。
SF映画に人間関係は要らないとは言わないが、本筋をじゃ
まするようでは困る。この映画で言えば、主人公の同僚の潜
航艇パイロットが家族と故郷の話をし、艇内に写真を飾る。
その程度で充分なものだ。この映画では、彼だけが俳優の役
作りも含め真剣なように見えた。
結末をぶっちゃけると、日本は沈没しないのだが、そのやり
方にしてからが、潜航艇で海に潜って行く辺りまでは『ジュ
ピター』へのオマージュを感じさせたが、やっていること自
体は『アルマゲドン』と『ザ・コア』のパクリとしか言いよ
うがない。
それに、このやり方自体が、常識的に見て容認できるものか
どうか。第1にあんな程度のことでプレートを断裂出来るも
のとも思えないし、仮に出来たとしても、ほんのちょっとの
歪みの解消でも大地震を引き起こすプレートの変動を、あん
なに大規模にやられて、そのマグニチュードは…? それこ
そ日本沈没級のものだろう。
小説も含めた前作の中では、エネルギーが日本海側に抜ける
トンネル効果の表現が科学的考証では一番の弱点と言われた
ようだ。でも、僕はそこがSF的外挿法として一番好きな部
分でもあった。でも今回のこれはその範疇を超える。これで
は、さぞや竹内均先生も草葉の陰でお怒りのことだろう。
田所が新聞紙を破ったり、国宝の仏像を運び出すシーンがあ
ったり、前作へのオマージュと思われるシーンはいろいろあ
るが、特に後者は前作を見ていないと殆ど意味不明のシーン
になってしまっている。これでは新たな観客に失礼だ。
さらに監督は、脚本の弱さをいろいろなオマージュで糊塗す
ることを製作方針としたようだ。それは、木造家屋の下町風
景やエピローグの政治家の演説などに端的に現れる。これら
は昔の東宝特撮映画のパターンだったものだ。
でもこれは当時から批判の対象でもあったもの。これで特撮
マニアを喜ばせたつもりだろうが、いまさらやられても恥の
上塗りの感じだ。
一方、どうせここまでやるなら、最後に主人公が救出される
エピローグでも付けたらいいという意見もあるようだ。浜松
辺りの海岸に潜航艇の残骸が打ち上げられ、そこから主人公
が出てきてヒロインと抱き合うとか…
実は、『さよならジュピター』の映画化の後で、僕は小松氏
から、「『ジュピター2』は主人公がジュピターゴーストに
救出されるシーンから始まる」と聞かされたことがある。も
ちろん冗談だが、どうせやるならゴジラが潜航艇の残骸を抱
えて浜松に上陸してくるのも良かったように思えた。
結局のところ、この作品の問題点は、監督がオマージュに拘
わりすぎたことと、それで満足してしまったことにあるよう
に思える。最初に用意された脚本がどのようなものかは判ら
ないが、それを読んだ監督がそれでは駄目だと感じたところ
はあったのだろう。
でも、やるべきことはこのような誤魔化しではなかった。努
力の跡は見られるが、その努力を傾注する方向性が間違って
いる。そんな風に感じられる作品だった。

(6月3日更新)


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二