井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2006年05月30日(火) ポセイドン、ハイジ、僕の世界の中心は君だ、バタリアン4、ウルトラヴァイオレット、王と鳥、サイレントヒル

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『ポセイドン』“Poseidon”
ポール・ギャリコの原作で1972年に映画化された『ポセイド
ン・アドベンチャー』のリメイク。大晦日の夜、突然の高波
で転覆し、上下逆さまになった大型客船の中を、船底にある
はずの脱出口を求めて登って行く人たちのサヴァイバルが描
かれる。
前々回、巻頭約20分の特別映像を紹介したが、今回はその完
成披露試写が行われ、全編を大画面で見ることができた。
それで、まず驚いたのは上映時間が99分しかなかったこと。
ペーターゼン監督作品は、前作『トロイ』は2時間42分あっ
たし、それ以外の作品もどれも2時間を超えている。また、
1972年のオリジナルは117分だったから、それに比べてもず
いぶんと短い。
しかし短くなった分、登場人物には迷っている暇もないし、
何しろ物語が一気に進んでしまう。そのテンポにはもの凄い
ものがあった。
オリジナルは、オスカーを受賞したThe Morning Afterとい
う主題歌の題名から判るように、真夜中から翌朝まで掛かる
話で、しかもその後も船は浮いているという展開だったが、
今回の主人公たちは、転覆した船がそんなに長く浮いている
はずはないという認識で、何しろ時間との競争で脱出劇を演
じて行く。そして彼らの背後からは、水や炎が刻一刻と迫っ
てくるのだ。
ジェットコースター・ムーヴィと言えばその通りだろう。細
かなことは言わずに、映像の迫力で、力づくで押し切ってし
まう感じの作品だ。これは言い換えるとゲーム感覚となるか
も知れない。このゲーム感覚は、日本の観客には案外受けそ
うな感じもするものだ。
ただし、上映時間が短い分、人間ドラマはほとんど描かれな
い。人間関係の描写は、父親と娘とその恋人の話などが僅か
にはあるが、その経緯などはほとんど語られない。特に、リ
チャード・ドレイファスが演じる人物の背景などはほとんど
判らないままだ。
事前の情報でドレイファスの役柄は、世間から見捨てられた
ゲイの男となっていたが、実際の作品でもほとんどそれだけ
だった。これだけの人物設定で役者が演じてみたいと思える
ものかどうか、ちょっと疑問にも感じてしまうところだが…
一方、この作品が原作ものである以上、物語の改変や人物設
定の変更がどこまで許されるものか。すでに原作が映画化さ
れて、その続編を原作から離れて映画化するときや、コミッ
クスの映画化のようにキャラクターだけを活かすのなら、そ
れなりに自由な発想の映画化は許されると思う。だが、本作
はあくまでもギャリコの原作そのものの映画化なのだ。
そう考えたときに、敢えて人物を描かないことは、一つの原
作に対する敬意の表し方ではないかと思えてきた。
試写で見なかったり、気に入っていなかったりなので、ここ
には書かなかったが、昨年公開された某日本SFの映画化の
リメイクでは、原作小説の次空を超えた雄大な物語を、ちま
ちまとした現代兵器を戦国時代に持ち込んで大暴れするだけ
の貧しい物語にしてしまっていた。
そんな原作を蔑ろにした作品は、リメイクとは言わずに別の
題名でオリジナル作品として映画化すればいいのであって、
原作の知名度だけを利用した姑息なやりかたには不快感だけ
が残ったものだ。
その点から言えば、今回の『ポセイドン』の映画化では、敢
えて原作とは異なる人物設定の部分は省略することで、原作
の改変を最小限に押さえ、原作を現代化することに挑戦した
という解釈もできそうだ。それはそれで、理解したいとも思
えるところだ。
それと、前作でははっきりとしなかった脱出口が、今回は明
瞭に示されたことも納得できた。

『ハイジ』“Heidi”
ヨハンナ・スピリの名作を映画化したイギリス映画。撮影は
スロヴェニアで行われ、原作の雰囲気にピッタリの素朴なア
ルプスの景観と、首都リュブリアナでは当時のフランクフル
トの町並が再現撮影されている。
主人公のハイジ役は、『イン・アメリカ』などのエマ・ボル
ジャー。ペーターを『耳に残るは君の歌声』などのサミュエ
ル・フレンド、クララを2004年版“Five Children and It”
(砂の妖精)に出演のジェシカ・クラリッジなどの実績のあ
る子役たちが演じている。
また共演は、マックス・フォン・シドー、ジェラルディン・
チャップリン、ダイアナ・リグという顔ぶれ。因に、アルム
爺役のフォン・シドーは、過去に3度この役をオファーされ
たが断り続け、今回は脚本が気に入って初めて出演をOKし
たのだそうだ。
その脚本は、イギリスのテレビ界で1960年代から仕事をして
いるというブライアン・フィンチ。と言っても、原作をそつ
なくダイジェストしているという感じで、特に注目するほど
ではない。アルプスとフランクフルトを舞台に、よく知られ
たお話が展開するものだ。
それより何より、この映画の素晴らしさは、スロヴェニアの
ジュリア・アルプスと呼ばれる山岳地帯で撮影されたロケー
ションの美しさ。6週間の撮影期間に奇跡的に四季が訪れた
という、新緑から紅葉、雪山と変化する景観は見事だった。
実際、雪山のシーンは、当初は人工雪と背景はCGで処理す
る予定だったが、撮影の数日前に突然90cmもの積雪があり、
背景も本物で撮影できたとのことだ。
定番の物語だが、敢えてそれを現代化することなく、恐らく
ロケーションハンティングが一番大変だったのではないかと
思われる捜し抜かれたロケ地と、さらに自然の助けもあって
見事な映像が展開する。
日本では、テレビアニメのお陰で、最も著名な児童文学の一
つと言えると思うが、ハイジ役ボルジャーの雰囲気はそのイ
メージを損なわないし、クララ役のクラリッジも如何にもお
嬢様らしくてよい。
上映時間1時間44分では、物語の展開はあっけないほどに早
いが、変な溜めも無い分、気持ち良く楽しむことが出来た。

『僕の、世界の中心は、君だ。』(韓国映画)
日本では、2004年の映画化、テレビ化が大ヒットした北山恭
一原作『世界の中心で、愛をさけぶ』の韓国製リメイク版。
2005年作品。それにしてもこの原作の題名は、SFファンと
しては気になるところだ。
と言っても僕は、原作は読んでいないし、日本版の映画もテ
レビも見ていない。いまさら純愛と聞いてときめく年齢でも
ないし、正直に言って今回の韓国版の映画を見ても、こんな
程度のお話で何を大騒ぎしていたのだという感じだ。
でもまあ、日本では原作も映画も大ヒットしたのだから、い
かに若い人たちが純愛に飢えているのかというところなのだ
ろう。それはそれで、そういうことなのだから認めなくては
ならないものだ。年寄りがとやかく言うことではない。
それにこの作品は、純愛映画が得意の韓国製ということで、
僕としては日本映画で見せられるよりは距離感もあって、気
楽にというか、邪心無く見られたことは確かだ。また、韓国
特有の葬儀の様子なども紹介されて、その辺は興味を引かれ
もした。
内容は、成績優秀、学園のマドンナ的存在の女子生徒の恋の
相手になってしまった平凡な男子高校生の物語。この女子生
徒役を、『秋の童話』などで各種受賞歴を持つ韓国テレビの
人気女優ソン・ヘギョが映画初主演で演じている。
一方の男子生徒役は、『猟奇的な彼女』などのチャ・テヒョ
ン。4月末に紹介した『君に捧げる初恋』でも同じような境
遇の高校生を演じていたが、『君に…』の製作は2003年で、
よく考えたら『世界の…』より前に、同じような話が韓国で
作られていたということのようだ。
日本製ヒット映画の韓国版リメイクでは、以前に映画祭で、
『リング』を見たことがあるが、韓国版『リング』は実に原
作に忠実で好感を持った。
今回は、上にも書いたように、僕は原作も日本版も見ていな
いので比較はできないが、試写の終映後には、「日本版を思
い出して泣けた」と話している女性の声も聞こえたようだ。
まあ、そういう見方がされれば、製作者は期待通りというと
ころだろう。

『バタリアン4』
       “Return of the Living Dead: Necropolis”
1985年に鬼才ダン・オバノンの監督で第1作が映画化された
ゾンビ・パロディのシリーズ第4作。と言っても前作からは
13年振りのシリーズ再開だ。
物語は、オリジナルを踏襲して死者を甦らせる化学物質トラ
イオキシン5を巡って、一度は地上から完全廃棄されたはず
の化学物質が、何故かチェルノブイリに隠匿されており、そ
れを廃棄にも協力した化学会社の研究者が密かに回収すると
ころから始まる。
そして、お決まりの実験中の手違いでそれが外部に漏れ出し
て…というもの。因にこの科学者を、『E.T.』などのピー
ター・コヨーテが演じている。
第1作の公開当時は、「オバタリアン」などという流行語も
生み出し、個人的にも、ちょうど引っ越したばかりの集合住
宅で、半地下の部屋に後から入居した一家が窓に目隠し用に
シーツを張っていたのを、子供たちが「バタリアンの家だ」
を囃していた記憶もある。それほどまでに、社会現象と言え
るほどのブームになっていたものだ。
それに第1作は、パロディも冴えており、中でも具合の悪く
なった主人公が体温を計ると10度前後、それはその時の室温
で、それを見た別の奴が、「そんな体温で生きているはずが
無い」と発言する辺りは爆笑ものだった。

それに比べると今回は、パロディはかなり薄められ、代って
主人公を若者のグループとすることで、これも最近ブームの
ティーズホラー的な描き方になっている。それに、化学会社
に戦いを挑むという辺りは『バイオハザード』も連想させる
ものだ。
という、いろいろな要素がごった交ぜの作品。後半はゾンビ
の大群相手にマシンガンを撃ちまくってバッタバッタという
辺りはゲーム感覚とも言えそうで、オリジナルを知らない若
い人にはそれも良いかも知れないというところだ。
なお映画の巻頭は、チェルノブイリに現地ロケされていると
いうことで、ロシア訛りの英語やロシア語も飛び交うなど、
それなりにグローバルな感じの作品にもなっていた。また、
本作は2本撮りで製作されており、『バタリアン5』も近日
公開予定だそうだ。
それにしても、今回のゾンビが簡単に倒れるのは、長年放射
能に曝されて化学物質の毒性が弱まったのかな?


『ウルトラヴァイオレット』“Ultraviolet”
『バイオハザード』のミラ・ジョヴォヴィッチが再び挑む近
未来アクション。
舞台は近未来の上海。その時代、人類は人工のウィルスによ
り超人類“ファージ”を生み出す。それは感染者の身体的、
頭脳的能力を最大限に引き出すというものだったが、同時に
感染後は12年しか生きられない死のウィルスでもあった。
しかも治療法の発見できないウィルスに対し、政府は感染者
の隔離と抹殺を計画。身体・頭脳共に勝る相手との壮絶な戦
いの末、その計画は成就し掛っていたが、独裁的な政府は、
さらにファージ撲滅のための最終兵器を開発していた。
そして主人公は、ファージの生き残りの一人として、その最
終兵器の奪取を試みるが…
何しろ、身体的、頭脳的能力を最大限に引き出した主人公と
いうことで、そのアクションの華麗で凄まじいこと。しかも
これを、香港映画のスタッフがバックに入って映像化してい
るから、本当に見事に描かれている。
飛んだり跳ねたり、ビルの壁面をバイクで突っ走ったり、も
ちろん「あり得ネー」という感じのアクションの連発だが、
それがこの映画の売り物だ。
脚本監督は、『リクルート』などのカート・ウィマー。物語
自体はかなり緻密に作られているし、上映時間1時間27分は
まさに凝縮しているという感じで、次から次と登場するアク
ションには息つく暇もない感じだった。
『マトリックス』『イーオン・フラックス』の先にあって、
CGゲーム感覚映画の一つの到達点とも言える作品だろう。
なお本作の撮影には、ソニーが映画用に開発した24PのHD
システム=シネアルタが採用されている。ジョヴォヴィッチ
の顔が皺もしみもないCGキャラクター的なのは、ディジタ
ル撮影の映像を後処理した結果のようだ。その他のCGIと
の繋がりも良いように感じられた。
因に、エンドロールでは、シネアルタのCAのロゴマークが
久しぶりに見られたが、確か『ヴィドック』のプロモーショ
ンでは巻頭用のアニメーションロゴも紹介されはず。そろそ
ろ4Kのシネアルタも完成されているだろうし、今後の巻き
返しもあるのだろうか。

『王と鳥』“Le Roi et I'Oiseau”
1952年のヴェネチア映画祭で特別賞を受賞したポール・グリ
モー監督の『やぶにらみの暴君』を、1979年にグリモー自身
が改作・完成させた作品。
実は、52年版は途中で製作資金が尽き、製作者が未完のフィ
ルムを別の監督に委ねて辻褄だけを合せ完成させたもので、
監督の意図とは違うものだったのだそうだ。その作品に特別
賞を贈ったり、キネマ旬報でも1955年度の洋画ベストテン第
6位に選んだのだが…
その52年版の版権及びフィルムを1967年にグリモーが執念で
買い戻し、62分の原版から意図と異なる20分をカット、新た
なフィルムを継ぎ足して87分の作品として完成させたのが本
作ということだ。
僕自身は、多分1967年以前に行われたテレビ放映と、1970年
代に16mmフィルムを借りて行われた上映会で見た記憶がある
が、70年代に見た時には「世界中で見ることが出来るのは日
本だけだ」と聞かされた記憶もある。その理由は、上記の通
りだった訳だ。
その作品を、僕は30数年振りに再見したことになる訳だが、
物語の最初の部分はかなり正確に記憶していた通りだった。
しかし、途中でちょっと自分の持っていたイメージと異なる
シーンがあるように感じた。
それは監督の意図の通りに直されたのだし、今から思い返す
と、確かに物語の流れとは沿わない感じもするシーンだった
から、削除も仕方のないところではあるが、感動的に美しい
シーンでもあったので、ちょっと残念な感じはしたものだ。
それはともかく、本作は、50年以上も前に企画されたとは思
えないほどの現代に通じるところも多い作品で、むしろ現代
の方がこの作品に描かれた世界に近いのではないか、とさえ
思えるほどだった。
特に、キャッチコピーにも使われる「気をつけたまえ。この
国は今、罠だらけだからな。」という台詞は、現代にもピッ
タリと当てはまる言葉だろう。
なお、52年版の羊飼いの娘の声は、当時新進女優だったアヌ
ーク・エーメが当てていたものだが、今回の吹き替えは全面
的に新録音されていたようだ。

『サイレントヒル』“Silent Hill”
コナミ発売で最も恐いと言われるヴィデオゲームの映画化。
映画化に際しては、コナミでゲームの製作を担当した山岡晃
が製作総指揮として参加。また、監督のクリストフ・ガンズ
は、その起用を目指して30分のプロモーションを自主製作。
それをコナミの重役室で見せて了承を得たということだ。
つまり、この映画化にはコナミの影響力がかなり発揮された
ようで、その意味ではゲームのファンにも納得できる仕上が
りになっていると言えるだろう。
物語の発端は、主人公となる女性の一人娘が夢遊病に罹り、
その中でサイレントヒルという言葉を発する。そして、その
病が薬物治療では直らないと知った母親は、その名前のゴー
ストタウンの存在を突き止め、その謎を解くべく娘と共にそ
こに向かうが…というもの。
その町は数10年前に大火災を起し、以来ゴーストタウンと化
していた。しかも町の地下にある鉱山では今も火災が続き、
その灰が絶え間なく降り続いている。そして町に着くや娘は
姿を消し、母親は娘の探索と町の謎を解かなければ、町を脱
出できなくなる。
白い灰が舞い続ける異様な風景の中で、町の過去に隠された
怨念とその復讐の物語が展開する。しかもそれを、ゲームで
成功した恐怖感一杯の映像演出で見せてくれるのだ。その点
では、ゲームと映画の融合もうまくいっている感じがした。
まあ、多少はゲームの演出に引き摺られて、映画的にはちょ
っとぼける感じの部分もあったが、逆にそれが息抜きにもな
っている辺りは、監督も心得ているようにも思えた。
『バイオハザード』など成功しているゲームの映画化の多く
は、どちらかと言うと映画人主導で、ゲームの設定だけを借
りて勝手に映画のストーリーを作っているものだが、この作
品はそれなりにゲームのムードを尊重している点でも好感が
持てるものだ。
主演は、『ネバーランド』で作家の妻を演じたラダ・ミッチ
ェル。そして物語のキーとなる娘を、『ローズ・イン・タイ
ドランド』でローズ役を好演したジョデル・フェルランドが
演じている。12歳で3役を演じ分ける演技力にも感心した。
2時間6分をたっぷりと楽しめる作品だ。


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二