| 【File126】男たちの硫黄島・・・�.ぁ璽好肇Ε奪匹猟�戦 |
|
|
2007年01月01日(月)
新年明けましておめでとうございます。昨年7月に『誰が為に鐘は鳴る』に関連した観戦記を発表してから、なんと5ケ月振りの観戦記です・・・(滝汗。前回の観戦記の冒頭で�倏_燭帽洪恵抉笋靴討い襪�が身に染みております�瓩覆匹判颪い討�きながら、全く反省していない観戦武官長なのでありました・・・(自爆。いや観戦記を書こうとは努力しておったのですよ。その為に『バルトの楽園』も観戦したし、私を含め観客2人という状況下で『出口のない海』も最終日に観戦して来ました・・・しかし人間さぼり癖が付いてしまうと遺憾ですなぁ全く・・・『バルトの楽園』は兎も角、『出口のない海』には甚く感動し、観戦記執筆の準備も着々と進んでいたのですが・・・そんな訳(?)で予定を大きく変更して『硫黄島二部作』ですよ!それでは今年最初の観戦記、早速行ってみましょう・・・それでは【開演ブザー】・・・携帯電話の電源はお切り下さい・・・【いつもの如く文中の様々な書き込みには資料的価値は全くありません・・・(^o^;A】
【2006年の戦争映画情勢を振り返って・・・】 さて戦争映画ファンにとっては、戦後50年の節目でもあった2005年は、それなりに豊作な年であったと言えると思います。大方の期待には応える事が出来ませんでしたが、それなりに邦画界を盛り上げた福井晴敏三部作『ローレライ(2005/03)』『戦国自衛隊1549(2005/06)』『亡国のイージス(2005/07)』・・・そしてドイツ映画界が自国のタブーに挑んだ『ヒトラー〜最後の12日間(2005/07)』・・・かつて角川映画シリーズで邦画界を席捲した角川春樹氏が、実姉辺見じゅん女史のノンフィクションを映画化し久しぶりの邦画戦争映画大作となった『男たちの大和/YAMATO(2005/12)』等々。 しかし2006年を思い返して見ると、戦争映画及びミリタリー関連作品の公開数的には、前年以上ながら、木々の葉が紅葉を始める頃までは戦争映画ファンの心を篤くする様な話題作は、殆んど無かったと言っても過言ではないでしょうか。凄惨な内戦を描いた社会派作品ながら、当初は日本での公開予定がなく、署名活動により公開が実現した『ホテル・ルワンダ(2006/01)』・・・湾岸戦争を舞台に戦場の兵士たちの日常の真実を描いた『ジャーヘッド(2006/02)』・・・戦時下のラップランドの大自然を背景に、言葉の通じない三人の男女の不思議な交流を叙情的に描いた『ククーシュカ/ラップランドの妖精(2006/03)』・・・第一次大戦下の西部戦線で、クリスマスの夜に起こった奇跡を描いた『戦場のアリア(2006/04)』同じく第一次大戦下を舞台にドイツ人捕虜収容所での国境を越えた人々の交流を描いた『バルトの楽園(2006/06)』・・・俳優今井雅之氏の原作・演出による特攻を題材とした舞台劇の映画化(1995)作品を再度完全英語版でリメイクした『THE WINDS OF GOD(2006/08)』・・・終戦間際、特攻基地のある町を舞台に特攻隊員と彼を慕う女性の日常を描いた『紙屋悦子の青春(2006/08)』・・・人気ミステリー作家の横山秀夫氏による人間魚雷回天特攻隊員の極限下の青春を描いた原作を映画化した『出口のない海(2006/09)』・・・韓国版「戦国自衛隊」的作品の『天軍(2006/09)』・・・これらの作品の中には内容的に素晴らしく、一般的に評価の高い作品もありますが、如何せん戦争映画ファンの篤き心を満足させる何か・・・を満たした作品はコレと言って殆んどありませんでした。しかし、そんな篤き心の戦争映画ファンの最後の希望の星となっていたのが、前年から出回っていた某監督の情報・・・それが西部劇やマカロニ・ウェスタン、刑事アクション作品等で絶大な人気を得て、最近では監督作がアカデミー賞を受賞する等ハリウッドを代表する巨匠の一人としての地位を確立した東森クリン・・・ッじゃなかった・・・クリント・イーストウッドその人なのでありました!
【その男・・・イーストウッド(敬称略)】 クリント・イーストウッドと言えば、その50年以上の俳優・監督人生の中で、幾つかの戦争映画(ミリタリー作品)に関わっています。その代表格は何と言っても『荒鷲の要塞(1968/出演)』『戦略大作戦(1970/出演)』『ファイヤーフォックス(1982/製作・監督・出演)』『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場(1986/製作・監督・出演)』の四作品であります・・・そしてそれ以外にも、太平洋戦線における上陸用舟艇母艦の活躍を描いた『全艦発進せよ(Away All Boats/1956)』や第一次大戦下の義勇戦闘機隊を描いた『壮烈!外人部隊(Lafayette Escadrille/1958)』そして『Francis in the Navy(1956/内容不明)』なんて作品にも出演しています。特に『全艦発進せよ』では、チョイ役ですが海兵隊(海軍)の衛生兵を演じています。『荒鷲の要塞』と『戦略大作戦』と言えば、戦争映画史上に残る名作戦争映画ですが監督作ではありません。『ファイヤーフォックス』はミリタリー色の強い作品ですが、どちらかと言えば冷戦下のスパイ・アクションの部類の作品です。そんな訳でイーストウッドが初めて監督した戦争映画は『ハートブレイク・リッジ』となるのですが、皆さんもご存知の通り、この作品は落ちこぼれの海兵隊員たちを、朝鮮戦争で名誉勲章を受章した歴戦のタフな古参軍曹が叩き直し、グレナダ侵攻作戦で見事に手柄を立てさせる・・・と言った作品で、後半部にグレナダ侵攻の戦闘シーンが少々ありますが、全般的に観ると本格的な戦闘映画と言うよりは、軍隊・兵営・兵隊映画の傾向が強い作品で尚且つ合衆国海兵隊賞賛映画であると言えます。 ところで、ご存知かとは思いますがイーストウッドと言えば、民主党支持者が多いハリウッドの映画人の中でも、一貫して共和党(現大統領の所属党派)支持者として有名でした。またバリバリの反共産主義者(・・・なので、以前噂に上った様に、イーストウッドが南京事件の作品を製作するなど到底考えられない・・・)で超保守派(リバータリアン)でもあり、ジャズやカントリー等古き良きアメリカの文化や伝統を愛し、自主独立の精神に富み、偽善を激しく憎む典型的で熱烈な愛国者でもあります。しかし共和党支持者にも様々な派閥があり「共和党=タカ派(好戦的)」という図式は一概には成り立ちません。イーストウッドは「合衆国が世界を管理するのはおかしい」「イラク戦争によって合衆国は極めて重大な過ちを犯した」と発言する程で、最近のリベラル派も新保守派も大嫌いという�爛▲鵐繊Ε哀蹇璽丱螢好鉢瓩箸盡世錣譴討い泙后�私ATFは、戦争映画以外の作品・・・特に社会派作品・・・は殆んど観ないので、イーストウッドが自ら製作・監督し高い評価を得た「ミスティック・リバー(2003)」や「ミリオンダラー・ベイビー(2004)」についての評価は出来ないのですが、ネットで調べた限りの受け売りでは・・・自ら愛する合衆国の社会における不条理や不義を丹念に暴いて行き、常に新しい視点から問題提起を行って来た・・・との事でした。特に「ミスティック・リバー(2003)」などは、バリバリの民主党支持者ティム・ロビンスと、自称「共和党でも民主党でも緑の党でもない無党派」ながらイラクを侵攻したブッシュ政権を激しく批判したショーン・ペンと主義主張を越えて手を結んで作り上げた前代未聞の作品なのだそうです。そんなイーストウッドが次なる監督作品として選んだ題材が太平洋戦争の中でも有数の日米の激戦が展開された�猯臆�島の戦い��・・・しかもひとつの作品ではなく日米の兵士達それぞれ別の視点から二部作として描く・・・でした。そして米海兵隊を語る上で�猯臆�島の戦い��は忘れる事の出来ない戦いであり�狎�鉢山の山頂に翻る星条旗�瓩亮命燭蓮∧導な実發�自らの血によって勝ち取った武勲と栄光の象徴としてアメリカ人の殆んどが知っていると言っても過言ではありません・・・しかし我々日本人にとって�猯臆�島の戦い��と言っても、かつて「パール・ハーバー(2001)」公開時の観客インタビューの中で�狷�本とアメリカが戦争をしていたなんて知りませんでした�瓩伴�慢気に言うネェちゃんたちが大勢いた様に、高齢の戦争経験者や戦史研究者、そして一部の軍ヲタな方々を除けば、殆んど忘れられた存在でしかありませんでした。
【古今東西・・・戦争映画で描かれた�猯臆�島の戦い�瓠� 前述の通りイーストウッドは『ハートブレイク・リッジ』において、米海兵隊とは深い関わりを持っています。その米海兵隊を語る上で�猯臆�島の戦い��は避けて通れません・・・しかし逆説的に考えると、この�猯臆�島の戦い��は米海兵隊にとっては、一番話題にされたくない戦いとも考えられるのです・・・何故かって?・・・太平洋戦争中、太平洋上の大小多くの島々において日米両軍の死闘が繰り広げられましたが、その殆んど全ての戦闘において、米軍は圧倒的物量による兵力・火力において日本軍を圧倒し、一部で日本軍守備隊の善戦は見られたものの、結果的に�犇椋姚�と言う結末を辿っています。そんな中で�猯臆�島の戦い��は、最終的に日本軍守備隊は�狒缶猫�して島は米軍の手に陥ちましたが、米軍の戦傷者数が日本軍のそれを上回った唯一の戦いだったのです。そんな訳からか、これだけ有名な戦いの割には、ハリウッド製戦争映画の題材として余り描かれてはいません。しかしそれは・・・ジョン・ウェイン主演の『硫黄島の砂(1949)』が有名過ぎるからじゃないのか・・・と言う方も多い様ですが、私ATFはその意見に素直に納得は出来ないのです。『硫黄島の砂(1949)』は、アメリカを代表する俳優ジョン・ウェインを語る上でも忘れる事の出来ない映画です。しかしこの『硫黄島の砂』の中で描かれた�猯臆�島の戦い��は、映画終盤の20分程度の尺でしかありません。資料によれば、この『硫黄島の砂(1949)』は、合衆国において第二次大戦終戦後に軍備縮小の声が昂まる中、合衆国四軍中まず槍玉に上がったのが海兵隊(・・・陸軍があるから要らんわい・・・という主張から)だった事から、米海兵隊首脳部が自らの栄誉と存在意義を国民にアピールする為の宣伝映画だったのでした。その為、撮影に当っては米海兵隊が全面協力(車両と兵器の貸与・兵士のエキストラ参加・訓練基地の使用許可等)しています・・・そのくせ海兵隊は車両の燃料経費やエキストラに参加した兵士の食費等をしっかり請求して損はしていないそうです。結果的には、部下を一人前の海兵隊員に育てて死んで逝く鬼軍曹を好演した�爛潺好拭璽▲瓮螢��瓮献腑鵝ΕΕДぅ鵑凌裕い發△辰董�興行的に大ヒットして海兵隊への志願者が増加、海兵隊首脳部の思惑は見事に成功した・・・実は公開翌年の1950年6月に朝鮮戦争が勃発したので、海兵隊首脳部の心配は余り意味が無かったんじゃないかと思えますが・・・のでした!またジョン・ウェイン演じるストライカー軍曹が戦死する直前に、摺鉢山の山頂に掲揚する為の星条旗を手渡す三人の海兵隊員役で、実際に星条旗を掲揚したジョン・ブラッドレー、アイラ・ヘイズ、レイニー・ギャクノンが出演しているのですが、ワンシーンのみで映画の宣伝の為の話題作り程度でしかありません。そんな訳で『硫黄島の砂』と言うタイトルの割には�猯臆�島の戦い��が中心の作品ではありませんでした。と言って、この『硫黄島の砂』以外にアメリカ製映画で�猯臆�島の戦い��を描いた作品は・・・と聞かれても直ぐに思い当たるのは、唯一トニー・カーティスがアイラ・ヘイズを演じた『硫黄島の英雄(1961)』くらいです。私ATFは、この作品を未観戦なので想像の域を出ないのですが、あらすじを読む限りでは�猯臆�島の戦い��そのものよりも、平凡な兵士が英雄に祭り上げられて戦時国債のPRに利用され、その後に辿る悲劇に重点が置かれて描かれているのではないかと思われます・・・実際のアイラ・ヘイズは、戦後精神的な疲労からアルコール依存症となり1955年1月に亡くなっているので、彼の死後6年程で摺鉢山に星条旗を掲揚した英雄達の虚構が脚色されながらも映画化された事は、高く評価されるに値すると思われます。余談ですが、この『硫黄島の英雄(1961)』の製作を担当したサイ・バートレットという人物は、何と戦前ロサンゼルス滞在中の西竹一男爵と親しく交流し、また戦時中は米陸軍航空隊の情報将校として本土爆撃に参加・・・占領後の硫黄島に不時着した時に西中佐の安否を尋ね周り、戦後映画プロデューサーとして成功した後の1965年に東京麻布の西未亡人宅を訪れ(この時、俳優のケーリー・グラントも同行)、靖国神社で自ら故西竹一大佐の慰霊祭を催して弔事まで読んだそうです(・・・一説に彼が西中佐に投降を呼びかけたと言う説もある)・・・因みに戦争映画ファンに馴染みの深い戦争映画に製作や脚本家として関わってもいます。 因みに邦画において�猯臆�島の戦い��を題材とした映画は、日本映画界を代表する俳優の一人だった宇野重吉氏が監督し、組織的抵抗の終った硫黄島を舞台に生き残った日本兵たちが辿った運命と生還者の苦悩をサスペンスタッチで描いた『硫黄島(1959)』と、ミッドウェー敗戦後に海軍の基幹となるべき中堅幹部の養成を目的に、予科練等の志願年齢であった16歳よりも低い14〜15歳で採用した少年兵たちが硫黄島に配属され、地獄の戦場で散って逝く悲劇を描いた『海軍特別年少兵(1972)』くらいでしょうか・・・。
【イーストウッドと硫黄島二部作】 1994年1月11日午前2時12分・・・摺鉢山の山頂に星条旗を掲げた6名の英雄の最後の生存者ジョン・ブラッドリーが亡くなった・・・享年71歳。彼の死後、息子であるジェイムズ・ブラッドリーが亡父の遺品の中から、亡父が摺鉢山の星条旗掲揚者として得た写真や書類そして手紙を発見しなければ、この硫黄島二部作を私たちが観戦する事はありませんでした。ジョン・ブラッドリーは、戦後生まれ故郷のウィスコンシンの片田舎の町に戻り、幼馴染と幸せな結婚をし、念願だった葬儀社を開業し、8人の子供を得、そして一生を終えるに当たって、自分が摺鉢山の星条旗掲揚者の一人だった事実を、墓場の中まで持って行くつもりだったからです・・・つまり息子が亡父の手紙を見つけたのが最初の幸運。そして亡父の手紙を読み、亡父が決して語らなかった摺鉢山の星条旗掲揚者について息子ジェイムズ・ブラッドリーが興味を持った・・・これが二番目の幸運。その後6年近くの歳月をかけて資料を調査し、関係者にインタビューした結果をまとめたジェイムズ・ブラッドリーが、出版の企画を27社もの出版社に持ち込みながら、その全てで相手にされなかった時、28社目の出版社の一女性編集者が企画に興味を持った・・・三番目の幸運。そして執筆活動は全くの素人だったジェイムズ・ブラッドリーがピューリッツァー賞作家ロン・パワーズに出会った・・・四番目の幸運。やがて出版されたノンフィクション作品『硫黄島の星条旗/FLAGS OF OUR FATHERS』は一躍ベストセラーとなった・・・五番目の幸運。そのベストセラーにイーストウッドが興味を持ち、是非映画化したいと思った・・・六番目の幸運。しかしイーストウッドが映画化権を取得するには資金的に問題があったのだが、スティーヴン・スピルバーグの協力があり映画化権を取得出来た・・・七番目の幸運。イーストウッドは当初監督するつもりはなかったが、スピルバーグ自身は自分が監督するのは無理と、イーストウッドに監督を薦めた・・・八番目の幸運。イーストウッドは監督を引き受け、自ら�猯臆�島の戦い��について調査する内に、日本軍の作戦や将兵(指揮官栗林忠道中将)にも興味を持ち、日米双方の兵士の視点から全く別々の映画を製作する事を思いついた・・・これが九番目の幸運。こうして幾度もの幸運が重なって、私たちは硫黄島二部作を観戦する事が出来たとも言えます。それではイーストウッドは、何故一本の作品ではなく二部作として撮影したのか? イーストウッドが自らが【父親たちの星条旗/硫黄島からの手紙】公式サイトの中で�牴甬遒寮鐐莟撚茲梁燭�は、善悪が明確に区分され描かれているが、人生も戦争もそんな単純な区別は出来ない�瓩判劼戮討い泙后3里�に戦争映画の大部分では敵方のドイツ軍や日本軍、ベトコン等は大抵悪役です。スピルバーグ監督作『プライベート・ライアン』でさえ、観方によっては、次第にドイツ軍憎しという感情が湧いてきます。反面敵味方を公平な立場で描いた作品(『トラ・トラ・トラ』等)や、敵よりは自軍内部の不条理を描いた作品(『戦争のはらわた』等)には名作や秀作と呼ばれる作品が多いのも事実です。 �猯臆�島の戦い��では、当初米海兵隊指揮官ホーランド・スミス中将が�狎衫里泙任砲�5日くらい�瓩犯�言していました。しかし実際には日本軍守備隊指揮官栗林中将の優れた作戦指導により、当初予測の7倍もの日数が掛り、更には勝った米軍が日本軍よりも大きい死傷者を出しています。しかしその結果の影には、米国側には、次第に昂まる軍の作戦指導への批判や米海兵隊指揮官の更迭論と言った世論があり、そんな世論の目を逸らすものとして意図的に作り上げられた二つの虚構・・・�狎�鉢山の山頂に掲げられる星条旗の写真��と�狎云魎�を掲げた6名の英雄��がありました。また日本軍守備隊は、総指揮官である栗林中将は駐在武官として米国力の実情を熟知しており、また家族への手紙を絶やさない良き父親であり、更に戦車第26連隊長西中佐は、ロサンゼルスオリンピックの馬術障害競技の金メダリストで、欧米各国の社交界に多くの知人を持ち、また戦場に愛馬ウラヌス号の鬣一束を持参する程に馬を愛していた・・・排他的な日本陸軍の内部にあって将に最も敵を知り、最も己を知る人物と言える指揮官に率いられていたのでした。 これ程に興味深い日米両軍将兵にまつわるエピソードがありながら、例えば、これらエピソードを『史上最大の作戦(1962)』や『パリは燃えているか(1966)』『空軍大戦略(1969)』『遠すぎた橋(1977)』の様に、時間軸のあちらこちらに散りばめて、ひとつの戦いの流れを描いて行く戦争映画(いわゆる時系列系大作戦争映画)や、『バルジ大作戦(1965)』や『レマゲン鉄橋(1969)』の様に、相対する両軍の指揮官や個々の将兵の動向を二本の軸として、戦いの流れを描いて行く戦争映画(いわゆる相対軸系大作戦争映画)として、一本にまとめるには映画の尺が長くなり過ぎるだろうし、下手をすればそれぞれのエピソードが持つ素晴らしい輝きを汚しかねません。やはりイーストウッドが�猯臆�島の戦い��を一本の作品の中で勝者と敗者を明確に線引きするのではなく、日米双方の視点で自らの意思とは異なる運命の渦に巻き込まれていく人々の姿を、それぞれ別の硫黄島二部作として描いた事は、映画的に最良の選択であったと思われる・・・のです。
2006年10月28日に『父親たちの星条旗』公開に続き、12月9日に『硫黄島からの手紙』が公開され、日本国内でも好成績を収めている様ですが、ATF的に観ると・・・次回に期待を持たせつつ観戦記は【続くのであった!】
|
|
|