ATFの戦争映画観戦記



【File110】観戦記某重大事件発覚・・・疑惑のShall We タンク!【号外】

2005年05月12日(木)

さて今回は、当初予定していた観戦記を急遽変更して【観戦記号外】を【開演ブザー】も無く、いきなり始めさせていただきます・・・あッそれから携帯電話の電源もそのままで・・・\(゚ロ\)(゚ロ゚)(/ロ゚)/

【観戦記某重大事件・・・重大疑惑発覚!】
半年振りの観戦記更新、そして10万ヒットを達成した充実感と虚脱感の余韻に浸っていたATF・・・さて次の観戦記を、また過去の没記事を応用してチョイチョイと書き上げてしまおうか・・・などとお気楽に過ごしておった訳なのですが、そんなATFのいい加減な手抜き観戦記更新によって、深い闇の奥に封印されようとしていた重大な事実を見逃さない�狄深造鮓�つめる正義の眼��があった!事は一昨日に遡る・・・10万ヒットを達成した事で、ちょっとばかし肩の荷が少し軽くなったATFは、久しぶりに我が観戦記の友邦サイト掲示板の巡回チェックを行っていた・・・そんな中、『我レ、マイヤー少尉発見セリ』等過去幾多の観戦記執筆において、常に大きな貢献していただいた友邦サイト�牋惰渊店�のHP��の管理者である安曇重工様の掲示板を訪問した時の事、掲示板に記された書き込みを拝見しながら・・・そう言えば最近ご無沙汰してるなぁ・・・などと思い、時候の挨拶も予て、久しぶりにメールを贈らせていただいた。そして昨日(正確には今日か)の深夜、受信メールの確認をしたところ、ありがたい事に安曇重工様からの返事が早速届いていた・・・そこには、いつもながら安曇重工様のお人柄が伝わってくる10万ヒットへの温かい祝辞が書かれていた!・・・ところが・・・―(゚∇゚;)→グサッ!!!・・・その後に書かれていた一文が、お気楽なATFを奈落の底に突き落とす事になる・・・とは、一体誰が予想し得たであろう・・・(ってATFしかいねぇ〜ヨ・・・大汗)

【真説・馬鹿戦車の正体!】
安曇重工様のメールに記されていた衝撃的内容とは・・・【以下原文のママ】ただ…少々誤認されたと思われる箇所が“馬鹿戦車”の件で少し…(大汗)。と申しますのも、本車輌のモトとなったのは足廻りから判断して株式会社大原鉄工所が最初に製作した“吹雪号試作車”もしくは“吹雪号2号車”と考えているからなのです。(゚0゚;)エッ?・・・余りのショックにPCの前で暫し呆然と佇むATF。そして安曇重工様からのメールには、お忙しい中、態々加工していただいた画像が添付されていた・・・一体どういう事なんだ・・・(゜。゜)ショック状態から立ち直ったATFは、すかさず安曇重工様から送られた添付画像を開こうとカーソルを当てクリック・・・しないッ!・・・(゚◇゚;)エッ!・・・突然の事に状況が認識出来ないATFであった・・・( ̄□ ̄)))))ガ−ン!・・・PCが固まってる・・・全くなんてこったい・・・こんな時に限って、いつも我がPCは固まってしまうのだ。早く安曇重工様から送られた添付画像をチェックしたいのに・・・逸る気持ちを抑えながら、PCを再起動する・・・のだが、これがまた遅い。おまけにスキャンディスクまで作動して、一層時間がかかる。早く起動しろよッ!とPC本体を小突きたくなるが、そこは精密機器・・・また旋毛を曲げられては堪らないので、じっと我慢なATFであった・・・!暫くして、やっとの事で再起動したPCのメールソフトを起動させ、安曇重工様のメールに添付された画像を確認できた・・・ヽ(≧▽≦)ノこ、これは・・・将に青天の霹靂・・・太平の眠りを醒ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず(何のこっちゃ!)だった・・・。

【真実は闇の奥へ・・・】
将にATFの寝惚けた思考回路を醒ますに充分過ぎる程の安曇重工様からのメール・・・それは�倏麓�戦車のベースとなった車体はKC40型ではなく、それ以前に製作されていた吹雪号型ではないか��と言う衝撃的な内容であった。そ、そんなはずは・・・頭の上から冷水を浴びせられた様な感覚に、暫し呆然としていたATFは、我に返ると安曇重工様からのご指摘を基に再度調査・検証作業に取り掛かった・・・この馬鹿戦車のベースとなった車体探しの発端となったのは、多くのサイトや書籍等で紹介されていた�狄軍禪�かどこかの豪雪地帯で使用されていた民間の雪上車を改造して製作された物��という記述である。それを基にして調べて行った結果、新潟県長岡市に本社を置く、現在では雪上車の国内製作シェアの大部分を占めている�狢膰凝換�所��と言う企業に辿り着いた。そして、その大原鉄工所の自社紹介サイト内に設けられた大原雪上車50周年記念と言うコンテンツに記載された内容を基に、以前書いた観戦記の中で以下の様な推察を組み立てたのだった・・・�倏麓�戦車は、この大原鉄工所が開発した民間用KC40型雪上車、或いは自衛隊用六十式3トン雪上車が民間に払い下げられて使用されていた車両をベースとして、撮影用に改造された車両だと思われる��と・・・。しかし、実はこの記事を執筆した段階では、明瞭なKC40型雪上車の写真を発見出来ていなかった・・・先に紹介した大原雪上車50周年記念のコンテンツの中で動画を確認したのみであった。そこで当時唯一発見出来ていたKC40型雪上車とほぼ同型の改良型で、陸上自衛隊に採用されていた六十式3トン雪上車の平面図を掲載した防衛庁サイトのコンテンツにリンクを貼り、観戦記には�狹称悗箏�架装置、エンジンや操縦機構の配置が良くわかり、改造された�牋υ�八十七号�瓩瞭睇�配置の様子が想像出来る。ビデオを観直して確認し直したが、足廻りの懸架装置や転輪配置も間違いない様だ��などと当てずっぽうの知ったか振りで書き込んでいたのである。しかしその後、時を経てKC40型雪上車の画像を入手出来たのだが、実はその時点で再度馬鹿戦車についての検証を行うつもりだったのだ。しかし検証作業を行う為には、より明瞭な馬鹿戦車の画像を入手する必要がある。だが悲しいかな我がPCには、画像をキャプる機能が無い(現在ではDVDの画像のみ可能となりましたが・・・)・・・その時ATFの頭の中に響いて来たのは、毎度お馴染みのあのフレーズ・・・「きっとあの方ならッ(銀英伝風〜意味不明再び)」・・・そう我が邦友であり優れた画像キャプチャー技術を有する安曇重工様(氏の技術力の高さは前述のHPで確認していただきたい)であった。早速依頼メールを送ったところ、自身がお忙しいにも関わらず快諾していただき、早速画像を加工して送って頂いた・・・それらが前回の観戦記で使用している画像である。しかしあろう事か、折角安曇重工様のお手を煩わしたにも関わらず、ATFは個人的な事情(前々回の観戦記の冒頭に記載)で、長期間観戦記の更新を放置していた為、真実の扉が開かれる事はなかった。そしてやっとの事で馬鹿戦車に再度陽の光りが当った・・・再検証する機会が訪れたのが、今回の10万ヒットに絡んだ久しぶりの観戦記更新だった訳である。

【その名は吹雪号!】
GWを前にして、ATFは焦っていた・・・この分だと大体5月半ば過ぎ頃に10万ヒットを達成するなぁ〜(結局当初の予測より早く10万ヒットは達成された!)これも日頃の観戦武官諸士のお陰なのだから、何か達成記念のイベントとかやりたいなぁ〜って言うか、その前に観戦記更新しなきゃなぁ〜・・・そこで久しぶりの観戦記更新の為のネタを探しながら、PCのハードディスクの中に保存されたままの、過去の観戦記執筆時に字数の関係でボツになった原稿やら、使用されなかった画像やらのチェックを行っていた。その時目に止まったのが、以前安曇重工様に態々加工していだだきながら放置状態だった、あの馬鹿戦車の画像たちである。でも馬鹿戦車の画像紹介だけでは、ちょっと観戦記の内容としては薄いなぁ・・・などと考えていた最中ヽ(゚∀゚ )ノふと思いついたのが、以前の観戦記中で馬鹿戦車が、旧日本軍戦車の特徴の具現化したキャラクターであるとしてイメージ的には旧陸軍の九十四式軽装甲車の様に思えるが、砲塔には小口径砲を搭載し、さらに九十七式中戦車の如くアンテナフレームの様なものが取り付けられているし、車体後部には八十九式中戦車の様な超壕装置っぽいものまで付いている。�牋υ↓瓩覆鵑凸唄峺デ室嵶召量樵阿�付けられていて、よくよく考えてみれば、日本の戦車の特徴を充分具現化・・・まるで絵に描いたような、将に戦車らしい�爛織鵐��瓩覆里�と書いていた事だった・・・そうだ!(o^-')b・・・この記事の比較検証をやっちゃえ〜ッ!思い立ったが吉日・・・早速比較検証作業に必要な旧日本軍戦車の画像をググッて探し出し、比較検証写真の作成を行った。そしてその中の一枚が、既に発見されていたKC40型雪上車の写真による�倏麓�戦車のベース=KC40型雪上車��の実証・・・足廻りの比較写真だった。しかし安曇重工様にご指摘を受けた後の今になって見直してみると、この写真ではKC40型雪上車の足廻り・・・起動輪・転輪・誘導輪・上部転輪の配置、そして懸架装置等の形状が殆んど良く解らない。(´_`;)・・・もしこの時点で、以前の観戦記の中で紹介していた、ほぼ同型の六十式3トン雪上車の平面図を確認出来ていれば、或いは明確な解答が出せていたかもしれない・・・のだが、ご存知の通りリンク先の防衛庁サイトのコンテンツは404・・・消えてしまっており、オマケに我がPCに保存していたはずの肝心な平面図の画像は行方不明(/◇\)・・・こうして明確な確認作業も行わないまま・・・あくまでも�倏麓�戦車のベース=KC40型雪上車��だろうと言う当てずっぽうな推量のままで、前回の観戦記を掲載してしまったのである・・・しかし、その大きな誤りを見逃さずスバリ指摘した人物がいた・・・そう安曇重工様である(;`O´)o・・・氏のメカに精通した目は、その足廻り・・・転輪配置と懸架装置・・・の違いを見逃さなかった!
それでは安曇重工様がこれが馬鹿戦車のベースであるとご指摘された大原鉄工所製吹雪号試作型雪上車を見ていただきたい。�狄畧禮罩�は、戦後間もなく当時の新潟県庁幹部から、豪雪に閉ざされる冬期の交通確保の為の雪上車の開発を依頼された、県下唯一の地元資本機械製作メーカーであった大原鉄工所が、当時の上村専務を中心として、進駐軍が使用していたウィーゼル水陸両用車と旧軍戦車の残骸と資料(「戦車工学」)を参考として、更に新潟県からの補助金150万円を得て、全くの零からの開発に着手・・・4ヶ月という短期間の中で、車体や履帯の強度、雪上の接地圧等の思考錯誤を繰り返しながら開発した国産雪上車の第一号で、1951年12月に完成し、当時の岡田新潟県知事によって�狄畧禮罩�と命名された。翌1952年に民間からの受注を受け、量産型の�狄畧禮罍温羲岫�20両が生産されるが、実際に使用してみると駆動装置や転輪が氷結、履帯が破損するトラブルが続出した・・・その後、改良が加えられ実用化されたのが大原鉄工所製吹雪号SM-5型雪上車である。この車体が初の民間実用型の雪上車である。しかしこの車体も耐久性等に問題が残り、その後も研究・開発は続けられた結果、最終的に実用的な車体が完成したのは、開発着手から4年後の1955年になってからであった←---今考え直してみると、この一文が今回の勘違いを引き起こしてしまった感がある。馬鹿戦車のベースとなった雪上車が、新潟県の民間で使用されていた車体であると言う事から、一般に普及した車体・・・即ちKC40型・・・であると思い込んでしまった。KC40型以前の車体・・・吹雪号型は、一般的には普及していない車体と思われるので、馬鹿戦車のベースには成り得ないだろう・・・と。
しかし、安曇重工様からのご指摘を受け再度調査し直した結果、その足廻り・・・転輪配置と懸架装置の型状比較から、間違い無く�倏麓�戦車のベース=吹雪号改良型雪上車��である、と言う結論に達した。ご覧の様に、写真から独特の型状をした懸架装置が見て取れる。そして更に探査を進めた結果、防衛庁サイトのコンテンツから、既に消去されてしまっていた六十式3トン雪上車の平面図を発見出来た事によって、明らかに同型のKC40型雪上車と馬鹿戦車との足廻り・・・転輪配置と懸架装置が異なると言う事も確認出来たのだった!
また前回の観戦記で、大原鉄工所製の雪上車について・・・それにしてもKC40型と言い、この五三式と言い、幾ら日本国内での仕様だからって、座席部分がただの幌掛けだってのはチョットなぁ・・・これじゃ流石に寒いでしょ・・・積雪の上を走れるジープ程度の乗り物で、乗員の防寒性なんて殆んど考慮されて無い乗り物って事か・・・?などと安直な疑問を記述したところ、この疑問点についても安曇重工様からご丁寧なる鮮明な写真付きの解説を頂き、これによって陸上自衛隊での雪上車の用法が理解出来、あの幌付きの座席についても充分納得する事が出来ました!\(^◇^)/

こうしてまた長い夜が明けました・・・でもATFの身体には、心地よい疲労感が漂っていました。今回は安曇重工様からのご指摘のお陰で、多くの観戦武官諸士に誤った情報を偉そうに伝えていた事をいち早く訂正する事が出来ました。ここに観戦武官諸士に深く陳謝すると共に、安曇重工様に改めて深く感謝の意を表したいと思います!<(_ _)>多謝・・・

【加筆/馬鹿戦車の消息】
2005年6月半ば、偶然から�倏麓�戦車��のその後・・・消息が判明しました!なななんと、あの戦国61式戦車と同じ方が所有されているとの事です!戦国61式戦車は、2003年9月28日(日)にTBS系のドラマスペシャルとして放送された『さとうきび畑の唄』のドラマ内において、その勇姿が公にされる以前から、神奈川県下のスクラップ置き場で目撃された・・・などと言う噂が都市伝説の如く語り継がれていたのですが、実際これは事実で、自動車の整備・解体業を営む有限会社鈴木商店の社長である鈴木氏が所有されて・・・しかも稼動状態で・・・いました。元来映画好きだった鈴木氏は、映画やドラマで使用される車両の手配や修理・整備・解体に携わる内に、それらのコレクションを始めたそうです。そんな鈴木氏が、かの�倏麓�戦車��も所有されていた・・・とは今になって思えば、なる程な話なのですが・・・ともかく�倏麓�戦車��が現存していると解ってうれしい限りであります。�倏麓�戦車�瓠�戦国61式戦車ファンとしては、是非公開していただきたいもでのすが・・・例え有料でも・・・(溜息)。この事は、先頃(2005年6月現在)発売された『戦国自衛隊大全(岩佐陽一編/双葉社刊)』の中で記載されておりました!この本には、戦国61式戦車の製作レポートや製作工程での豊富なカラースチール写真が満載で、将に戦国61式戦車ファンにとっては必携書であります!【2005/06/24加筆】


【オマケの226戦車】
さて馬鹿戦車の車体改造のベースとなった雪上車についての重大誤記訂正については、以上の通りであるが、ここでスペースをお借りして、これまた以前の観戦記にて紹介した映画『2/26』に登場したプロップ戦車・・・通称226戦車について検証した写真があるのでご紹介しよう・・・226戦車比較図・・・以前の観戦記において、226戦車ってモデルは九二式重装甲車じゃないだろうかって断定したんだけど、その根拠を検証したのが、この写真の比較部分である。でも馬鹿戦車についての誤記を訂正したばかりで、今さら偉そうにこの写真を公開しても、こりゃ余り説得力が無いなわなぁ〜と思えて来てしまうのだが、取り合えずご紹介まで・・・それと次に紹介するのは、226戦車についての観戦記執筆当時、観戦武官のお一人から情報を提供して頂いたアームズマガジン誌1989年4月号に掲載されていたと言う226戦車の売り出し広告である。映画のクランクアップ後・・・まだ公開前・・・に、既に売り出されていたのが解る。この広告のお陰かどうかは解らないが、一両は確実に売れている事は間違い無い・・・那須の戦争博物館の車両・・・しかし、この販売価格である150万円と言う値段で本当に売れたかどうかは甚だ疑問が残る・・・。だって残り二両は結局売れなくて、最終的に『2/26』の五社英雄監督が、北海道夕張市の花とシネマのドリームランドに寄贈したくらいだから、広告を出しても暫くは三両とも売れなかったのではないか、と想像される・・・そして何よりも、幾らなんでもあの那須戦争博物館の名物館長さんがアームズマガジン誌なんて読むだろうか・・・って点。えッ誰かが読んで館長さんに教えたんじゃないか・・・って?(;・_・)う〜む・・・どう考えても広告を見てって可能性は、やっぱ低そうだなぁ・・・結局広告だけでは売れずに紆余曲折して、一両だけはなんとか那須戦争博物館の名物館長さんの手に渡り、現在に至っているんじゃないだろうか・・・多分150万円より安い値段で・・・。しかしこの広告に掲載された白黒写真のお陰で、今まで良く解らなかった226戦車の車体後部の形状が明白になった・・・!にしても、車体後面に取り付けられた三個の謎のT字型の物体って何?

今回は当初の予定を変更して急遽【観戦記号外】をお贈りしました!全く持って自身の浅学さに恐縮しております。また誤りを見逃さなかった安曇重工様の鋭い視点にも脱帽であります・・・にしても、毎度観戦記の冒頭で記しております【この書き込みに資料的価値はありません】が、身にしみてひたぶるにうらがなし・・・な今日この頃であります【意味不明】・・・【続く】

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