| 【File079】遥かなるリトル・ビッグホーン・・・多勢に無勢【中編Vol.2d】 |
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2003年03月15日(土)
さあ、カスター絡みの書き込みも既に4話目。観戦武官の皆さまに置かれましては、長々とお付き合いありがとうございます。それでは前置きはさて置き、早速行って見ましょう。物語は運命の1876年6月25日を迎えます・・・その日一体何が起こったのか・・・それでは開演《開演ブザー》です。いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。【いつもの如く、この書き込みに史料的価値はありません】
1876年に至る状況 カスターのブラック・ヒルズ探査隊の報告に基づき、合衆国政府は、1875年ブラック・ヒルズ買収の為の交渉使節(アリソン委員会/交渉条件は買取ならば600万ドルで15年月賦、或いは賃貸なら年間40万ドル)を派遣しましたが、スー族側(和平派のみ/抗戦派シッティング・ブルやクレージー・ホースは参加せず)には売買の意図は無く(元来土地私有の価値観念のないインディアンにとっては、白人が土地に値段をつける事自体が理解出来なかった。結局彼らにとって神聖な数字である�爍鍬瓩魎陲法�7000万ドル以下では売らない」と吹っかけたようである)交渉は決裂。合衆国政府は、これに対する制裁としてララミー条約によって認められているはずであったスー族の冬季狩猟(居留地外)を禁止(1875年12月6日)し、既に狩猟に出発していた部族に対しては1876年1月31日までに居留地へ帰還するように通告しました。そして、もし帰還しなければ、それは「合衆国政府に対する戦争行為」と見なす・・・と(でも全部族の帰還は実質的に不可能・・・連絡手段が無く狩猟場所も解らないので・・・結局は戦争の為の口実・・・)遂に1876年2月1日合衆国陸軍最高司令官シャーマン将軍はシェリダン将軍の部隊に出動を命令(「冬の作戦」開始)し、ララミー条約による「短き平和」は終焉を迎え、再び戦乱の時代が始まりました。
パウダー川の戦い シェリダン将軍は、アリゾナでアパッチ族追討戦を実施していたジョージ・クルック准将(その髭面から「灰色の狐」と呼ばれており、インディアンの生活慣習や文化、風習を熟知)を北部ダコタ軍管区司令官を任命しました。彼は部隊の機動性を向上する為、物資輸送に幌馬車隊と共にラバ隊を利用、また元来スー族やシャイアン族と敵対していた部族(クロウ、ポウニー、ショショーニ、アリカラ族等)を部下(斥候隊や奇襲部隊)として用い効果を上げていました。その頃スー族の集団はシッティング・ブル指揮の下、さらにシャイアン族やアロパホ族なども吸収し、数千の部族連合となっていたのですが、インディアン側が小集団に分散し行動していると判断したクルック准将は、掃討作戦が簡単に遂行できるものと考え3月中に作戦を開始。しかし初夏のような陽気が数日後にはうって変わって目もくらむ雪嵐に変わるような平原の気候に振り回され立ち往生し、インディアン側の気候と地勢を利用した神出鬼没のゲリラ戦に振り回され、大きな損害を出し退却を余儀なくされ�狹澆虜鄒鎰�は失敗に終わりました。第1ラウンド・・・インディアン側勝利
ローズバット・クリークの戦い クルック准将は5月末に再び作戦行動を開始(兵力:第二・第三騎兵連隊の15個中隊及び第四・第九歩兵連隊の5個中隊の総計1051名、そして輸送隊(ラバ250頭・幌馬車106両)と合衆国側に帰順したクロウ族(クプレンティ・クー酋長)及びショショーニ族(トム・コスグローブ酋長)の二部族連合部隊300名)6月17日遂にモンタナ州南東部パウダー川流域ローズバット・クリークの丘陵地においてクレージー・ホース率いるスー族・シャイアン族連合軍1500名との戦闘が始まりました。戦場はなだらかな丘陵で騎兵戦には絶好の地形。戦闘は翌日まで続き激しい攻撃と反撃が繰り広げられ、一時はクルック准将の司令部も孤立する有様。また負傷者を銃弾飛び交う中で救出する場面も両軍に数多く見られたそうです。結果的にはスー族・シャイアン族連合軍側の方の損害が、合衆国軍の損害をやや上回り、クルック准将は自軍の勝利を確信・・・�犢臀姐餬海寮鐔囘�勝利��しました。しかし彼らは、北進しカスター隊と合同するという目的を果たす事が出来ず、さらに補給と休養の為にワイオミング方面(南進)に撤退せざるを得なくなり、その為インディアン側の追撃は行われませんでした。しかしその頃インディアン側は、北方リトル・ビッグホーン川のほとりに集結し、自らの大集落の防備を固め、結果的には�爛ぅ鵐妊�アン側の戦略的勝利��となっていました。運命の「リトル・ビッグホーンの戦い」まで、残すところ一週間・・・。第2ラウンド・・・インディアン側有効
リトル・ビッグホーンの戦い インディアン討伐軍のもう一人の指揮官アルフレッド・H・テリー准将は、モンタナ州リトル・ビッグホーン河畔のインディアン集落の包囲殲滅作戦(キボン大佐が主力部隊を率い集落北側より攻撃し、カスター中佐率いる第七騎兵隊が集落南側に進撃しインディアンの退路を断つ)を実行に移します。しかし前述の通り、インディアン側はリトル・ビッグホーン河畔の大集落の防備を一層固めていました・・・そして運命の6月25日の夜が明けます・・・。 6月25日未明 前日の24日夜半に先発していたクロウ族の斥候がリトル・ビッグホーン河畔にインディアン大集落を発見(野営地より北西24km地点)・・・その数の多さを「騎兵隊員の弾帯ベルトに付けた弾丸の数より多い」と表現し、攻撃中止を進言しましたが、カスターはその報告を過少評価・・・ギボン大佐指揮下部隊(6月26日到着予定)との合同で攻撃を開始する、というテリー准将からの命令を無視し、進撃開始を決断します。 カスター指揮下部隊の編成・・・諸説有り 第七騎兵連隊12個中隊(士官28名下士官兵550名) ●G・A・カスター中佐直率大隊221名 C中隊(カスター大尉:弟)E中隊(スミス中尉)F中隊(イェーツ大尉)I中隊(キーオウ大尉)L中隊(カルフーン中尉) ●M・A・リーノ少佐指揮大隊175名 A中隊(モイラン大尉)G中隊(マッキントッシュ中尉)M中隊(フレンチ大尉) ●F・W・ベンティーン大尉指揮大隊120名 D中隊(ウィアー大尉)H中隊(ベンティーン大尉直率)K中隊(ゴッドフリー中尉) ●T・M・マクドゥーガル大尉指揮/B中隊62名 第七歩兵連隊2個中隊(C、G中隊)士官20名下士官兵220名 第六歩兵連隊1個中隊(B中隊)士官8名下士官兵135名 第二○歩兵連隊砲兵分遣隊(ガトリング砲二門)士官2名下士官兵32名 インディアン斥候隊(クロウ族34名、スー族4名、混血2名) 軍医(3名)通訳(2名)道案内(2名)民間官吏(2名)新聞記者(1名)輸送隊(馬車隊6隊、ラバ隊3隊)軍属179名 6月25日12:00時頃 カスター指揮下の騎兵三個大隊(主力カスター大隊/集落北側攻撃・リーノ大隊/集落南側攻撃・ベンティーン大隊/集落南西側偵察&退路遮断)の内、リーノ大隊及びベンティーン大隊が先発・・・各歩兵中隊及び砲兵分遣隊・補給中隊は野営地残留。 6月25日14:00時頃 カスター指揮の主力大隊出撃。 6月25日15:00時過 リーノ大隊攻撃開始・・・リトル・ビッグホーン川を渡河し下馬・徒歩にて突撃・・・しかしインディアン側の猛烈な反撃に遭い、多くの損害を出し撃退(15:30過)され、リトル・ビッグホーン川対岸の断崖上(現在のリーノ・ヒル)まで撤退、防御陣を敷く(15:50時頃)。 6月25日16:00時頃 カスター大隊集落北側に丘陵に到着・・・ベンティーン大隊及び補給中隊に対し合流命令の伝令を出す。この頃既にカスター大隊の動きはインディアン側に察知されており、クレージー・ホースやゴールに率いられたシャイアン、フンクパパ、ミニコンジュウ、オグララなどの各部族の戦士たち約3000名(複数説あり)が身を隠しカスター大隊を包囲する為移動していた。 6月25日16:30時頃 カスターからの伝令によりベンティーン大隊は応援に向かうが、途中インディアン側の激しい攻撃を受け、合流を断念・・・リトル・ビッグホーン川断崖上のリーノ大隊防御陣地に合流。 同時刻頃カスター大隊、リトル・ビッグホーン丘陵頂上付近(現在のカスター・ヒル)でインディアン側に挟撃され、各中隊毎に防御陣を組み(カスターを含むC中隊を先頭に、右翼側をF・E中隊、左翼側をI・L中隊としたV字隊形)自らの乗馬を射殺し遮蔽物にして防戦するも、奮戦空しく全滅(17:00頃までに)。カスター中佐指揮下の合衆国第七騎兵隊の一個大隊と軍属、新聞記者、クロウ族の斥候隊264名が命を落とした。CUSTER'S LAST STAND�������������� 6月26日〜27日 リーノ大隊及びベンティーン大隊、インディアン側の執拗な攻撃を防戦・・・散発的な狙撃が続き損害を多数出す。その後テリー将軍の司令部及びキボン大佐指揮の主力部隊がリトル・ビッグホーンに到着し、インディアン側は序々に後退始める・・・リーノ大隊、ベンティーン大隊救助される。 6月28日午前 リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残り部隊がカスター大隊の惨劇の地に到着・・・戦死者の確認・仮埋葬を行い撤退する。第3ラウンド・・・インディアン側勝利
知ってても余り得しない物知り知識 �.�スターは第七騎兵隊の正式な指揮官ではなかった・・・ 正式な指揮官はサミュエル・D・スタージェス大佐(南北戦争時はカスター同様将官まで昇った)で、リトル・ビッグホーンの戦いの時は別途派遣任務で連隊を離れていた。 �▲�スターはインディアンが大軍なのを知っていた・・・ クロウ族の斥候の報告により、インディアンの集落が予想以上の大集団である事を、カスターは事前に知っていた。斥候たちは作戦中止を進言したがカスターはそれを無視、敵戦力を過少評価し、自分の指揮下部隊だけで蹴散らせると考えていた。現在では、カスターは独断専行する事により勝利を一人占めしようとしていた、と考えられている。1876年はアメリカ独立百周年記念の年であると共に大統領選挙の年でありカスターが大統領職を熱望していたのは間違いないらしい。大統領選に出馬し勝利する最も近道は�爛ぅ鵐妊�アンを殲滅した英雄�瓩箸靴胴駝韻涼輒椶鮟犬瓩觧�だったと思われている。 ��最後まで従ったクロウ族の斥候たち・・・ クロウ族は早くから合衆国政府に帰順し、斥候隊員として大きく貢献していた。クロウ族は伝統的にパウダー川の流域からロッキー山脈に渡る土地で暮らしていた。ここにはバッファローが多く棲息した絶好の狩猟地で、この地を巡ってスー族とは永年の宿敵だったので、白人と手を組む事が永年の宿敵と決着を着ける絶好の機会であると考えていた。戦闘開始前、クロウ族の斥候たちが騎兵隊の軍服を脱ぎ、クロウ族の伝統的な衣装に着替えていたので、カスターが理由を聞くと「自分は今日死ぬが、死ぬ時はクロウの戦士として死にたい」と答えた。その為カスターはクロウ族の斥候たちに戦わず後退するように命令したが、彼らは最後までカスターに従った。 �ぅぅ鵐妊�アンは馬鹿ではない・・・ 「壮烈!第七騎兵隊」では、孤立し円陣を組んだ騎兵隊員たちの周囲を、インディアンたちが騎馬でまるで撃ってくださいとばかりにグルグル回っていたが、実際は多くの戦士が騎馬ではなく身を隠しながら近づき戦った。遮蔽物のない騎兵隊員たちは自らの愛馬を射殺しバリケードとしていたが�狢神�に無勢�畧鐺�は僅か30分〜60分位で終結したらしい。インディアンたちの多くが昔ながらの斧、棍棒、皮剥ぎナイフ、弓矢、槍を主たる武器として戦ったが騎兵隊員たちは隠密裏に移動するためサーベルを野営地に置いて来ておりこの為白兵戦ではインディアン側が有利だったらしい。 �ゥぅ鵐妊�アンのライフル銃の方が高性能だった・・・ この時代、騎兵隊の正式装備ライフル銃はMODEL1873スプリングフィールド・トラップドア後装式単発カービン銃で、この銃は一発ずつ弾丸と薬包を装填し発射しなければならなかった。それに対しインディアン側は毛皮の交易で白人商人から手に入れたMODEL1866ウィンチェスター弾倉装填式13連発ライフル銃を多数所持(推定20%)していた。この銃は南北戦争時に使用された�爛好撻鵐機悉�(金属薬莢薬室式七連発)�畊渋い瞭探�に改良を加え完成したライフル銃で、その後改良され西部開拓史上最も有名な「ウィンチェスターM73」ライフル銃へと発展する銃である。 �Π貘旅況發忙臆辰靴織ぅ鵐妊�アン戦士は何人いたのか・・・ インディアンには元来数量の観念がなかった為、はっきりした史料は残っていない。最も少ない人数は合衆国政府が算定した北部シャイアン族120人、ハンクパパ及びサンティー・ダコタ族260人、オグララ・ダコタ族240人、ミニコンジュウ族150人、サン・アーク族110人、その他のダコタ族120人の1000名。しかし最近では1500名以上いた事はほぼ間違いないと言われている。インディアン側の損害は60名程度であったと伝えられている。因みにインディアンの総数は最大1万人はいたという説もある。 �Д�スターは頭の皮を剥がされていなかった・・・ 6月28日テリー将軍とギボン大佐の援軍到着後、リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りがカスター大隊の救助に向かった。しかし時既に遅く、戦場には惨たらしい姿で戦死したカスター大隊の兵士の遺体が残されていた。戦死者の遺体の殆んどは軍服・下着を剥ぎ取られており頭部は叩き割られ、頭皮が剥がされ、手足は切り取られ、胴体は切り刻まれ、多くの矢が突き刺さり、複数の銃弾が打ち込まれており身元の確認は難航した。後の調査によれば、それらの残虐行為はインディアンの女子供たちによって行われたとの事である。カスターの遺体には頭部と胸部に二カ所の弾傷があった。衣服は剥ぎ取られていたが頭皮を剥がされてはいなかった。しかし死後加えられた傷が多くあり、片方の太腿が抉られ、手の指が一本切り取られ、生殖器に矢が突き刺さっていた。そして両の耳から木の棒が突き刺さされていた。弟のカスター大尉の遺体は更に惨たらしく、胸を切り開かれて心臓が切り取られ、手足は切断され、喉をかき切られ、頭部は鈍器で叩き潰されており、腕に残ったTWCの刺青が唯一の身元確認の手掛かりだった。リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りは、身元確認を終えると、遺体の仮埋葬を行いリトル・ビッグホーンの戦場を去って行った。まだインディアンの襲撃を受ける脅威があった為だった。カスター以下の兵士たちの遺体が正式に埋葬(改葬)されるのは、それから1年後の1877年7月2日、第七騎兵連隊から選ばれたI中隊の兵士たちがM・V・シェリダン大佐に率いられ再びリトル・ビッグホーンの地を訪れた時であった。この時、戦死者の遺体発見場所が調査、確定された。現在この戦跡は「カスター・バトルフィールド」という国定公園兼国立墓地になっており、対インディアン戦争で命を落とした多くの兵士が埋葬されている。 �┘�スター一族の死・・・ この戦いにおいてカスター一族は大きな痛手を負った。ジョージ・A・カスター中佐の他に、C中隊長で実弟のトーマス・W・カスター大尉、官吏として同行していた実弟のボストン・カスターと従兄弟にあたるオーティ・リード、そしてカスターの妹婿のL中隊長ジェイムズ・カルフーン中尉がカスターと共に命を落としている。 ��リトル・ビッグホーンの戦い唯一の生き残り・・・ ダスティ・ホフマン主演の「小さな巨人」という作品では主人公がカスター大隊の斥候としてリトル・ビッグホーンの戦いに参加し、唯一生き残るが、これはあくまでも創作・・・実際の唯一の生き残りはI中隊長キーオウ大尉の乗馬であったコマンチ号で、体に七か所の矢傷と弾傷が残された姿で発見・保護された。コマンチ号は現在剥製となってリトル・ビッグホーンの記念館に展示されている。
カスター指揮の第七騎兵隊の全滅により世論等でインディアンへの報復の声が高まった為、合衆国軍による徹底的な掃討戦が開始されます。「ウォーボネット川の戦い(ネブラスカ7/17)」「スリム・バッデスの戦い(ダコタ9/9)」「ダル・ナイフの戦い(ワイオミング11/25)」「ウルフ・マウンテンの戦い(1877/1/8)」と、撤退するインディアンたち対し執拗な追撃戦が展開されます。そして総司令官シャーマン将軍は第七騎兵隊に対し、新たに2500人の兵士を補充・・・このカスター復讐部隊は1890年の�爛Α璽鵐妊奪鼻Ε法爾竜垰Ν�事件を引き起こし、合衆国軍とインディアンとの戦いは終焉を迎えます。第4ラウンド・・・合衆国軍圧勝
こうしてアメリカ人に語り継がれる英雄伝説が生まれました・・・でも英雄なんて生まれなくてもいいから戦争は映画だけにして欲しいもの・・・そう思う今日この頃です。【続く】
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