| 【File041】あゝ邦画戦争映画は燃えているか・・・突入編【ネタバレ警報】 |
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2002年05月13日(月)
いや〜ッ久しぶりの邦画戦争映画・・・。って言うか、先日の日曜日、ゆっくり休みが取れたんで、観に行ってきました。で、調子に乗って書き込んでる訳です。何を観てきたのか・・・まあタイトルからお察しの通り「突入せよ!あさま山荘事件」であります。�爐修譴辰得鐐莟撚茲舛磴Δ笋�・・・�瓩辰洞弔詈�も多いでしょうが、誰が何と言っても・・・例え監督が否定しても、はっきり言って「戦争映画」です・・・。戦争映画歴○十年の私ATFが言うんだから間違いありません(オイオイ)そんな訳でお久しぶりの【閑話休題シリーズ】は�爐◆桔�画戦争映画は燃えているか・・・突入編�瓩了呂泙蠅任后� 私ATFと同世代(昭和30年代)以上の方ならば、30年前の事件の記憶は結構はっきり残ってるんじゃないでしょうか・・・私もテレビの前にしがみ付いて、山荘の窓や銃眼から犯人が顔を覗かせる度に「わッ、犯人だ・・・」と騒いでいた記憶があります。後年成長してからは(精神的に成長してないやん・・・って言わないでね!)TVの特番(昭和の大事件っぽいヤツ)とか記録映像で度々放送されたりして、山荘の壁や屋根を壊すクレーンに釣られた鉄球(業界用語で�爛皀鵐院璽鶚瓩辰童世Δ修Δ澄砲篝笋┫屬覆�放水を浴びせる装甲車(コレも制式名称は�狷歎新挌�車�瓩噺世Α傍‘安皸�による催涙ガス弾の応射シーンが脳裏に焼き付いています。60年代〜70年代にかけて日本中を混乱させた学生運動については、詳しい知識はありませんが、派生誕生した多種の学生運動各派閥の中に超過激な行動を取る人たちがいて、そのまた一部が暴走し、人民革命を唱えて爆破テロを繰り返した、そんな時代の出来事のひとつ、と言っては犠牲者の方々に失礼かもしれませんが、NYでの同時多発テロやパレスチナでの自爆テロみたいな爆破テロやハイジャックが日常いつ起こってもおかしくなかった時代があったなんて、遠い昔の歴史の中の出来事となってしまったのでしょうか・・・。この「あさま山荘事件」は長年映画化の計画はあったらしいですが、様々な理由により中々実現しなかったらしいです。結局事件発生から30年の歳月が過ぎた今日、映画化が実現した訳ですが、ご存知の通り、今回の作品の原作は佐々淳行氏の著作です。佐々氏は当時警視庁派遣幕僚幹部として現場第一線で指揮・監督に当たられた方(今じゃ危機管理アドバイザーとして有名ですが)で、その経験を元にして書かれた作品です。まあ多少の脚色、誇張はあるとしても、実際その現場での体験を基にして書かれたモノなので、臨場感って言うか、迫力は満点な訳です。まあ言ってしまえば�犖�人社の体験談的戦記モノ�瓩別�ですよ。大体警察モノの映画と言えば、殺人等の事件捜査を行う刑事を描いた作品が圧倒的ですが、この作品は、犯行の再現シーンや捜査の推移を描いたり、また犯人側の視点に立って犯人像を描く事は無く、悪までも人質立て篭もり事件を解決する為、山荘の周囲を包囲し過酷な条件下で苦闘する長野県警・警視庁の一般警官・機動隊員の姿をドキュメンタリータッチで描いています。 それでは、この「突入せよ!あさま山荘事件」の戦争映画たる由縁をATF的に考察してみよう・・・と思いますので暫しお付き合いを・・・コレって昭和の「二○三高地」じゃん!! �ヽ�級組織社会的考察 言わずと知れた事ですが、警察も軍隊も階級・命令を基にした組織です。従がって上官の命令が絶対な訳です。まあ警察は治安維持・犯罪捜査が主な任務の為、例えば戦闘下の軍隊の様に命に係わるような命令を命じられる事はないでしょうが、この作品では、山荘突入の決死隊員を募る場面で、警視庁側の志願者が決定した後、長野県警機動隊幹部が「部下が死ぬような命令は出せない」と人選命令を拒否する場面があります。「それじゃあんたが志願しろよ・・・俺も行くから」とは佐々氏のセリフ。似たような場面、どっかの戦争映画(ハンバーガー・ヒルだっけ)でみたな〜ッ。階級組織として各々独立運営されている地方警察機構、基本的に日本の警察は国家公安委員会・警察庁の下で自治体警察・分権主義によって指揮運営されているので、当然長野県警側は管内で発生した事件は自分達で解決するって意気込んでるんですが、警察庁長官判断により安保闘争で場慣れした警視庁(首都である東京都の自治体警察)から指揮幕僚幹部・機動隊の応援派遣が決定されるのですが、これは独立意識の強い長野県警にとっては名誉とメンツに係わる大迷惑な訳です。この辺は「二○三高地」で旅順要塞正面攻撃が停滞し損害ばかり急増した乃木大将麾下の第三軍司令部に、大本営から大山巌参謀総長が作戦指導に来る(28サンチ攻城砲を持ってくる)のに似ています。警視庁から応援派遣される警視庁幕僚班のトップが長野県警本部長と同階級�犒抻覺騰瓩任△訖擁�が選ばれるのも、階級や年功がモノを言う警察(軍隊)ならではの問題を意識した決定なのでしょう・・・。作品中では、対抗意識を燃やし何かと突っかかる長野県警(でも慣れない事から失敗が多い)を、警視庁側が絶えずメンツを立ててやる(最後の突入場面も先頭は長野県警隊員)様に描かれています(長野県警怒らんか・・・事実だから生姜無いか?)が、この辺も「パリは燃えているか」で、最後のパリ入城一番乗りをド・ゴール将軍指揮下の自由フランス軍に譲ってやる英米軍に似てますな・・・。 �∪鐺�場面演出的考察 この作品、特に山荘の包囲・突入シーンでは、犯人側の発砲するライフル・散弾銃と機動隊側からの催涙ガス弾と拳銃弾(使用許可が出るのは警察側に殉職者が出てからですが)の飛び交う最前線のような臨場感が演出されています。至近距離での銃撃戦は、第一次大戦を舞台とした塹壕戦や「二○三高地」の様な要塞攻略戦、「スターリングラード(1993)」や「ウィンターウォー」での白兵遭遇戦を連想させてくれます。実際、コレほどの銃撃戦が行われたのか、実写の記録フィルム等観てもわかりません。誇張演出されているのかもしれませんが、私ATFが度々嘆いている�猖�画の銃撃戦は迫力が無い�甅狃憧錣留藹个�下手�瓩箸い�視点から観れば、充分及第点を差し上げれます。まあ本格的戦争映画の様な機関銃や火砲の応射はありませんが、犯人側の殺傷力のある銃器に対し、催涙ガス銃でしか応戦が出来なかった機動隊員たちが恐怖心を打ち消す為、片っ端からガス弾を打ち込むシーンは「二○三高地」でロシア軍の機関銃陣地に立ち向かう日本兵の姿を思い起こさせました。また登場する�狷歎新挌�車=装甲放水車�瓩�、犯人側の銃弾を跳ね返しながら前進してくるシーンは「バルジ大作戦」で米軍陣地を突破してくる、将に独軍戦車そのモノ。装甲車の中から防弾ガラス越しに山荘を視察しているシーンで、真正面に銃弾が当たり、貫通はしないが余りのショックで車内でひっくり返るシーンは「やっぱそうなんだろうな〜」と感心させられました。特にこの�狷歎新挌�車�瓩茲�出来てます。なんでも中身は旧式の消防車だそうですが・・・。いよいよ鉄球による攻撃開始・・・この辺の事情は○HKの人気番組「○ロジェクトX」でも放送されていたので、余り踏み込んだ演出は無いように思えます・・・何でも噂では原作者の佐々氏は、その番組を観て�狹椶辰伸瓩修Δ任垢�・・・。そしていよいよ山荘内への突入シーン。指揮官が殉職(戦死)し復讐心に燃える警視庁第二機動隊員たち(自制心を失っているとして、第九機動隊と配置が交代させられるのですが、それを不満と上司に食って係る)。余りの緊張から自制心を失う現場指揮官。犯人側からの応射、鉄パイプ爆弾により次々を出る重軽傷者・・・。高圧放水により壁をぶち破る間の緊張・・・「突入、検挙せよ〜ッ」破られた壁の穴目掛け、犯人の立て篭もる最後の部屋へ我先に突入していく決死隊員たち。次々の犯人を検挙。人質の生存を無事確認した時の人々の安堵とテレビを注視する人々の歓声と拍手。そして全てが終わった後の焦燥感。「ハンバーガー・ヒル」で頂上に達した場面、邦画で言えば「二○三高地」で砲台に到達した場面・・・以外にこんな場面演出を観たこと無い・・・ぞ。 ��その他人物・情景演出的考察 極寒の戦場、急遽派遣された警視庁機動隊も耐寒装備が間に合わず苦労します。現場での食事も弁当が凍って食べられない・・・「二○三高地」でも、折角運ばれてきた握り飯が凍って喰えないシーンがあった(で、現場で最も重宝された食料が�爛�ップ○ードル�瓩世辰震�で、協力日○製粉クレジット)し、佐藤允氏演じるヤクザ上がりの兵隊が軍服の上からドテラみたいなの着てたし〜。靴紐が凍って解けないので、靴を脱ぐ時にお湯をかけるシーン。「八甲田山」(天は我れを見放した・・・)を思い出した。戦後まだ27年。警察内部にも軍隊経験者が一杯いて、旧軍の伝統が残ってたりします。そのひとつが�犹愆�官先頭�瓩寮鎖澄I�下に先立って敵陣に突っ込む、後方の安全なところから指揮するのではなく、第一線で部下と一緒に戦う、部下との信頼感、この上官のためなら命を賭けられる・・・そんな伝統の生きていた時代。殉職した第二機動隊長、特車中隊長、共に第一線で指揮時に狙撃され殉職。本部より通達「各現場指揮官はヘルメット・指揮帽から指揮官表示を取り外せ」ベトナムでは前線指揮官が真っ先に狙撃され「大尉の墓場」なんて言われてたそうです。そう言えば「ならず者部隊」で、日本軍の狙撃兵の目標にならない為、襟の階級章を外すシーンがあったっけ・・・。最後に嫌われ者の隊長が、襟章を付けた途端に狙撃されたよな〜。その他にも長野県警と警視庁の無線の周波数が違って使えなかったり、ジェラルミンの楯の防弾性能が低く、犯人に近づく程貫通されて、二枚を針金で繋ぎ合わせたり、放水用の貯水が凍って使用できなくなったり、鉄球の操作で協力してもらう建設会社社長に長野県警・警視庁どちらの制服を着せるかでもめたり(一応臨時警察官に任命してるらしい)・・・いっぱい非常時下での組織や人間関係のエゴが描かれています。 �じ�えない敵を描け・・・演出技法的考察 私ATFは前から「戦争映画は人と人との殺し合いを描いている映画だから、味方だけでなく敵が描けなければダメだ」と言っていますが、姿を現さない(直接敵を描かない)事によって、敵への恐怖心や敵愾心を演出する手法は、一般的に良く用いられる演出技法です。代表的なものにスピルバーグ監督の「激突」(謎のトラックに追い掛け回される作品で最後までトラックの運転手の姿は出てこない)があります。戦争映画でも見えない敵が登場?する作品が多い(ジャングルの中に潜む日本兵やベトコン、狙撃兵、未知の潜水艦や飛行物体等々)ですな。この作品でも、立て篭もり犯の姿は最後(検挙される)まで登場しません。犯人を象徴するのは、銃眼から覗くライフルの銃身だけです。また中々確認できない人質の安否・・・実質的に逃走手段の無い追い詰められた状態の犯人側にとって、人命尊重を第一とする警察側に対する最終秘密兵器であり切り札である訳です。この人質も最後まで姿を見せませんが、戦争映画でよく観られる敵が持つ秘密兵器や核兵器、捕虜のような存在感(抑止力効果)をイメージさせます。
と、まあざっと思いつくまま書き綴って見ました。ひとつの作品について、じっくりプレビューを書くなんて、私ATFにとっては余程の事なんですが・・・。勢いで書き込んだので、何時もに増して乱筆乱文な内容で申し訳ないです。ご存知の如く、ここ最近っていうか実際に「あさま山荘事件」が起こった70年代以降、邦画の戦争映画は、それ以前に比べ急激に制作される数が減って行きます。また演出や制作側の主観が、それ以前の作品に比べ、大きく異なってきます。「独立愚連隊」や「兵隊やくざ」「二等兵物語」のような娯楽的戦争映画=�爛船礇鵐丱蕁Ε灰鵐丱奪鉢瓩亘�画の中から姿を消して行きます。同時に戦争をありのまま伝えようとする風潮も消えていったのでしょうか・・・。金のかかる戦争映画より日活ロマンポルノや任侠極道モノ、アニメ作品が毎年制作される作品の圧倒的多数を占めるようになるのも時代の流れなんでしょうか。文化・政治・思想・主義・主張・・・いろんなモノが70年代を境に変わって行ったのでしょうか・・・バブル経済、娯楽の拡大、政治不信・・・21世紀になって、30年前の事件を振り返った作品によって、久しぶりに、マジメに�狎鐓讚瓩筬狎錣き甅狄祐岫瓩鯢舛い榛酩覆�観れた事に、何か因縁を感じてしまうATFなのでした。次回は予告通り�犒慨廊疂圓墨辰鯡瓩靴泙垢里�・・・【続く】
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