せきねしんいちの観劇&稽古日記
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早稲田大学公認セクシュアルマイノリティサークル「GLOW」の演劇公演「海の告白」を見に行く。早稲田祭でのイベント。 大学のセクシュアルマイノリティサークルに所属する男の子が、サークルの面々と一緒に鹿児島の実家(海が近い)に夏休み帰省する。 彼には、そこで一人暮らしている母親に、自分がゲイだとカミングアウトするという計画があった。 一人だと言えないけど、みんなと一緒だと言えそうな気がして・・・というセリフが、とてもリアルに思えた。 回想シーン、カラオケボックスのシーン。となりの部屋のノンケの友達にゲイだということがばれてしまい、しかたなくカミングアウトする、主人公の友人の姿も描かれる。カミングアウトされたノンケの友達は、彼を受け入れずに去っていく。 後半、多くの人物が登場して、それぞれの思いを語る場面がある。 カミングアウトのむずかしさ、孤独をかみしめるつらさなどなど。彼ら自身の言葉が、しっかりとした強さを持って語られる。 それは、まるでフライングステージを旗揚げしたばかりの自分の姿を見ているようだった。 自分たちはゲイだと言って、舞台に立つことの重さ。その重さを彼らも引き受けているんだということが、とてもよくわかった。 実を言うと、21世紀を生きる現役大学生の彼らは、セクシュアルマイノリティである自分をもっと軽やかに、当たり前のように受け入れているんじゃないかと、勝手に想像していた。 大間違いだった。世の中がどんなに変わっても、変わったように見えても、一人一人が向き合う自分との問題は、そうそう変わるもんじゃないんだ。 主人公の母親へのカミングアウトはうまくいくのか。文字通り手に汗をにぎってドキドキしながら見守った。 その場面で、母親と向き合った主人公が、話し始めた途端に声をつまらせた。涙ぐんでいる。芝居なのに。セリフなのに。演技で揺れている心ではなく、ほんとうに動いている心と体がそこにあった。そして、その場面は、「母さん、実は・・・」というセリフで暗転した。どうなったんだろうか? 観客の一人一人に考えることをゆだねた、いい結末だと思った。 彼らは演劇に取り組むのは初めてなのだそうだ。それでも、冒頭のダンスシーンや、カラオケボックスでの歌(「天城越え」!)も、とってもレベルの高いちゃんとしたものだった。 終演後、客席で、抱き合って涙ぐんでいる出演者が何人もいた。 今日、一回だけの公演。何度も再演してもらいたい、いい舞台だったと思うけれど、きっとむずかしいだろうなと思う。 見ることができたことに感謝。今の僕が、この舞台を見ることができたことに感謝。 他のどんな舞台からももらえない、大切な何かを、手渡してもらった、そんな気がした。 フライングステージの旗揚げ公演は、16年前のちょうど今日だ。
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