せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2008年06月19日(木) あいまいさを認める

 高校時代の恩師、中島浩籌さんの法政大学での講義にゲスト講師として話をしにいく。
 新宿で待ち合わせをして、めじろ台へ。
 駅前のバーミヤンで昼食をいただく。バーミヤンはどこに行っても、スタッフのお姉さんがいいかんじの大人だ。こういうファミレスはありだと思う。というか、時代の流れか。
 2000年からうかがっているこの授業、一年おきで、今年は五回目だ。
 教育心理の講座で教職課程をとっている学生さんたちに、僕のライフヒストリーを「発達」というテーマを頭の隅に置きながら話す。90分×2コマ。
 2年に一度、自分のこれまでを振り返り、今を考えるいい機会をもらっている。
 準備していたアメリカの同性婚のことなどは、すっかり忘れて話して、質疑応答。
 テレビドラマ「ラストフレンズ」(今日が最終回)のことなども話しながら、うかんできたのは
、現代のセクシュアリティにおけるゆらぎとあいまいさの許容のされ方だ。
 「ラストフレンズ」もそうだけれど、よくわからないけど、今自分はここにいるんだということを、ちゃんと言えるようになったんじゃないか。
 男、女、ゲイ、レズビアンという、箱のどれかに入るしかないんじゃなくて、一人一人の有り様はグラデーションで、いくつもある座標軸の中の小さな点のように、あらゆるところにちらばっている。
 ドラマでそんなキャラクターを見ると、ああ、なんてはっきりしないの!といらいらした昔もあった。
 でも、今は、無理にカテゴライズするのではなく、ゆれうごく、あいまいな、もしかしたら、自分でもよくわからない自分を受け入れればいいんだなあと思える。
 言葉にしたことのない、そんな思いを、言葉にして伝えた授業だった。
 授業の後、今回も別の教室で何人かの学生さんたちと話す。
 ここで初めて、アメリカの同性婚の話を質問されて、ああ、そうだったっけ!と話をする。
 二十年近く前、目の前にいる彼らと同じような年代の自分のことを、彼らに話すことが妙におかしかった。
 よくわからない若い子たちという遠さではなく、不思議に近く思えたのはひさしぶりの感覚。
 フライングステージの公演案内は今のところないので、HPにアクセスしてメルマガを登録してみてねと話す。
 このブログも読んでくれているとうれしいな。
 今日はどうもありがとう。楽しい時間を感謝です。


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