せきねしんいちの観劇&稽古日記
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富士見丘小学校演劇授業。 今日の講師は永井愛さん。3時間目から6時間目まで、6年1組2組、2クラスともを篠原さんと一緒に見学させていただく。 即興劇の授業。テーマは「場をつくる」。 5人のチームから一人ずつ出て行って、場をつくる。 椅子を3つ並べたベンチのようなものと、バラバラの椅子が少し離れて2つ。 この空間を、さあ、どこにするか? セリフなしで動作で場を説明してゆくのだけれど、みんなものすごい確率でゲームをしている。 座っていても、歩いていても、公園でも部屋でも、当然のように。 5人目がここはどこかという場をコールして、場面に入ると、それまでだまっていた人物が新しく動き始めて、関係が生まれてくる。 一組ずつやっていくなかで、みんなどんどん上達していく。前のチームをただ見るだけじゃなく、自分ならどうするかということを考えているからだろう。 動きだけで場を表すということがまずできるようになったら、次は、どうやって人と関係をつくっていくかが問題になってくる。 永井さんは、大人に話すのと同じような言葉でダメだしをする。「また公園だとうんざりだよね」「自分が何なのか決めると話がしやすいね」「何していいかわからなかったら、前の人と同じことをするの。二番目の人は許します。一人と二人じゃおもしろさが違うからね」。 ベンチの下に潜り込んだ子とその様子を見守る子。ここはどこ? 地震の被害現場?と思っていたら、5人目のコールは「公園!」だった。まあ、こういうこともある。 ベンチの上に立ってバランスを取っている子がいて、これはサーフィン?と思っていたら、これも公園の平均台ということになってしまった。誰かが泳ぎ始めでもしないと「海」はむずかしそう。 一人目が正面を向いて、黒板を拭くような仕草を始めたチーム。教室? またか・・とあまり期待しないで見ていたら、これがとてもおもしろくなった。 掃除を始めてゴミを集め、ジャンケンで負けた子が捨てに行く。 これだけの一見なんでもないことが実におもしろかったのだ。 それは、それまでの誰だがわからない人じゃなくて、彼ら自身(みんなお互いの本名を呼んでいたし)を演じていたからだろう。そして、場面はまぎれもない「教室」だった。 この「教室」のチームから一気に、その後のチームの演技の質が変わっていった。 一番目の子が、ピアノの影にかくれてピストルを撃った。何人かが次々出て行って、みんながピストルをかまえて、最後の子が「運動場!」。永井さんが「はい、ストップ」と止めて、「違う場所にして」と。 もう一度やった結果、今度は「だれもいない住宅地!」ということに。 彼らは、ピストルでさんざん撃ち合っているうちに、ピストル犯をつかまえる警察になり、犯人を車で護送(無線で連絡もした)、警察で取り調べ、そして裁判と、お話をどんどんどんどんすすめていった。 場面ももちろん変わっていって、取調室では「お前がやったんだろう!」という刑事に、しらばっくれる犯人、そして裁判所。「被告人は控訴できますよ」とどこでおぼえたそのセリフ?というようなのも登場し、最後の判決を裁判長が「判決は死刑。執行はうーん、明日ね」というところでおしまい。 何の打ち合わせもないまま、ここまで運んでしまったことがまずすごい。そして、それぞれのキャラクターをみんなが見事に演じていたのがもっとすごい。中でも犯人役の彼は「それでもぼくはやってない」とうそぶいたりして。判決を言い渡された瞬間の「へ?」という表情もすごかった。拍手! 後半は、エレベーター。5人の人が乗り合わせたエレベーターが止まってしまうというエチュード。 「知らない人どうし」の話し方はむずかしい。みんなで笑いながら、アニメのようなセリフをつるつるしゃべってしまう。 「知らない人とそんなにくっつくの?」永井さんの指摘は具体的だ。 妙にこわい人を演じた男子が登場したときには、「いいね、怖い人。いるね、こういう人。こういう人がいると、離れるよね」と。 回を重ねるごとにだんだん、ユニークなキャラクター、そして、場面が生まれていく。 赤ちゃんを抱いて登場した女の子がいた。永井さんがこっそり見ていた子たちに「赤ちゃんの泣き声やって」と耳打ちしたのだけれど、「え、できません」と何人にも「断られ」て、あきらめていたら、どこからか赤ちゃんの泣き声が! 後で聞いたのだけれど、子どもたちの間を伝言がまわって、結局、違う子が赤ちゃんになったらしい。この赤ちゃんは、エレベーター内の緊張に敏感で実にいい泣き方をしていた。拍手。 そして、最後のチーム。このチームは四人。男子二人に女子二人。 それぞれのキャラクターをつくって、エレベーターの前で待つところから場面は始まるのだけれど、このチームの二人目、エレベーターの前に、四つんばいになって近づく男子。何だろう?と思っていたら、片足をあげて「おしっこ」をした。犬?! エレベーターのエチュードは毎年一回五年やっているのだけれど、人間以外が登場したのは初めてだ。見ていたみんなはもう騒然(笑)。 この犬は、エレベーターに乗ると自分でボタンを押して(!)、隅に丸くなって座った。 そして、エレベーターが止まっても、ずっと寝ている。まあ、犬だから、何もできないんだけど。 この犬っぷりが見事だった。もう、演じきってる。 そして、乗り合わせた男子が、もう二人いる女子にどうしましょう?と話しかけても、二人はなんだか知らん顔。備え付けの電話をかけて「人が三人と犬が一匹とじこめられてるんです。・・・ふざけてないです! ・・・切れた」ということに。 彼は、女子に話しかけたいんだけどできず、エレベーターも動かず、つい犬をなでに行ってしまう。この気持ちのゆれが生々しくて、切なくて、とってもおかしかった。 エレベーターが止まってるのに犬にさわってしまう気持ち(しかも相手は眠っている)、とてもよくわかる。というか、途方にくれてる彼の気持ちがものすごくリアルだった。 みんな大笑いして、大拍手! すばらしかったなあ。ものすごいものを見せてもらった。 終了後、先生方とフィードバック。 5年間続けている演劇授業の積み重ね、演劇のDNAがあきらかにあるんじゃないかと永井さん。 今年の6年生は、一年目の発表を二年生のときに見ている。 「体育館の一番前で、退屈しないかと思っていたのに、ちゃんと覚えてるんだなあって」と長崎先生。 ほんとにすごいことだと思う。一年目の彼らももちろんがんばったし、すばらしかった。でも、目に見えないものがこんなふうに伝わっていくのってなんていいんだろう。 先生方と一緒に、あれはおもしろかった!と話ながら、演じていた子のことをいろいろうかがい、そして、たとえば最後の犬が登場したエレベーターで「何もできないでいた女子二人はあの場で何を思っていただろう?」と馬場先生。やっぱり、ここは学校なんだ。演技の上手い下手じゃなく、子どものことをまず第一に考える。 今日は、職場体験で一昨年の6年生が学校に来ていた。「光速マシーンに乗って」の代だ。みんな大人に一歩近づいて、それでもやっぱり演劇授業の時の表情がありありと浮かぶ中学二年生だ。 帰りは、永井さん、篠原さんと「非戦を選ぶ演劇人の会」の打ち合わせをさっくり。 電車の中では、今日の授業のこと、あの「犬」の話でもりあがる。 夕方から、新宿で、「劇読み!」の打ち合わせを、石原さん、篠原さん、相馬くん、上原くんと。 演出打ち合わせと台本について。熱が入って、3時間、みっちり話してしまい、のどががらがらになる(怒鳴ったりしたわけじゃないのに)。 思ったことを存分に言わせてもらった。がんばれ、石原さん!
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